80夜 三世代三様 


王様とわたしはじじとばばになった。
卒塾生が赤ん坊を見せに来てくれた。
まるまるとして、まるで昔ながらの餅のような赤ん坊だった。
「塾の孫だー。」
かわりばんこに抱く王様とわたしは、
あきれた、ただの、目のくらんだ、、、、冠(かんむり)の詞をたっぷり載せたじじとばば。

その子には、ちいさいさんのときから母性ともとれるようなものが備わっていたので、
早く母になるかもしれないという予感があった。
けれども、若すぎるし、なにより夫もまだ若いので、じつは案じてもいた。
「職はどうした?籍は入った?」

短いスカートに細い細い眉の、いまどきのその新米ママは、
まだ首の据わらない赤ん坊をこともなげに抱き上げる。
まるで『生かしてゆくんだ』という根源が備わっているかのように。

ところで、塾にはさまざまな少女たちが通(かよ)ってくる。
全員が長女だけ、というクラスがあって、これがちょっと怖い。
子が母を 母が子を 近親憎悪する日常が、ときにひょいと顔を出す。
「生かす」ことに急(せ)かされ、ときに几帳面さにつぶされそうな母が、
子を自分の子としてでなく、天からの預かり物として扱う困惑を見る。
子は天からの授かり物ではあろうが、いつから預かり物になっただろうか。

絵を描いていた頃、好んでつけた題が、『Keep In Touch』 だった。
本来の訳は知らないが、「ほどのいいつきあいかた」というのがわたしの解釈だった。
ほどのよさとはむずかしい。
現実の世界でそれを実現するには、よほどのパワーが要る。

少女というものに限ったことではないが、
自分を好きでない者は、人を好きになりにくかったりする。
前述の長女の少女たちは、自分だけが好きで、まだ人を好きでない。
「人」を好きになっていない者は、「ひと」を好きになる手前に居る。
人間未満の者たちを生かしてゆくには、ほどのいい揺さぶりも要る。

少女たちと、これから数年間のおつきあいをする。
彼らはその間、幾度人間への脱皮をするだろう。
ときに醜く、ときに苦しく、ときに切なく。
それを見つめるわたしたちは、「生かす」ことに手を貸してゆくんだ。
赤ん坊ではない彼らには、まだ冠をつけたじじばばではいられない。



c0002408_1274577.jpg
餅のような赤ん坊。それにしても頭の大きいこと。





c0002408_1275764.jpg
ポットに入った花の苗を地面に移すときにはね、
土を掘るでしょ、そこにじょうろでたっぷり水を注いでね、それから植えると
根っこがよく水を吸い上げて土と馴染むんだよ。
・・なんて、今では知ったかぶりをするわたしも、庭仕事の上手な人にこれを教わったときには
この子みたいな目をしていたんだろうな。
[PR]
by NOONE-sei | 2008-05-12 01:45 | 新々々百夜話 本日の塾(4)


<< 81夜 野菜の花 79夜 青い花 白い花  >>