絵を描いていた頃のこと。 描写しようと目を凝(こ)らして、なぞるように視ていたら、夕暮れになると急に見え始めて驚く。 それはもう輪郭も色の階調も、なにもかもが鮮やかで、それまでの葛藤が嘘のように。 けれども刻一刻と夕暮れは深まり、追えば追うほど加速して遠のく。 掴まえたかったのに、画面に定着させる技量がなく暮れてしまうのは口惜しいことだった。 この地の山の紅葉(こうよう)は、北からとは限らず、天から下りてくる。 山から地上に下りるまでに、半月ほどの差がある。 カエデの赤や五葉松の緑で色鮮やかな紅葉は、安達太良中腹から頂上を臨むのが美しい。 錦繍と言うにふさわしい、安達太良の盛りの紅葉を まだわたしは観たことがない。 縁あって鯰(なまず)のようなひげの爺(じじ)を菊人形と安達太良に案内した。 菊人形は生き人形のようで、今見ても怖い。菊の匂いは年寄りの匂い。 たいてい、ちいさな孫が婆ちゃんに手を引かれて観る怖いものの一等賞、 お祭りのおばけ屋敷や見世物小屋の怖さとはまたひと色ちがう、静かな怖さだ。 子どもにとって、それはまだ物心つく前のイニシエーション。 婆(ばば)は孫の手を引いて、ちょろちょろさせないよう歩くが、 いまどきの爺はカメラの紐を首に下げて、ちょろちょろ達者に歩く。 京都のタカオモミジのような真紅のカエデを探しているらしく、 鯰の爺はこれを写真に収めたくて、どこを案内しても赤を撮ったらお終(しま)い。 色には細やかな階調があることをばさりと裁(た)って、 緑や黄が引き立てる赤の階調を切り捨て、欲のおもむくままに赤だけを求める爺。 世に爺(じじ)もいろいろ。鯰の爺は百など悠々と超えて生きるにちがいない。 王様曰(いわ)く、 「葉っぱが落ちたのを紅葉とは言わないけどいいもんだ。 錦鯉のような毒々しい紅葉が好きな人は、これはこれで結構居るよ。」 今度こそ理想の赤を撮りたいそうだから、来年は赤の盛り、十月の中旬までにお招きしよう。 ・・鯰が鯉に会いに来るというわけ。 * * * 今夜は十一月初め、終いの安達太良のお写真を。 山のむこうに、わたしの家も写っているかもしれない。(でもまめつぶ・・) おまけ これはなんだろう。 鷹ノ巣をみつけた。とても大きくて、木にかかった揺りかごのようだった。
by NOONE-sei
| 2007-11-22 01:25
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