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20夜 馳走


むかし友人のお母さんに、「心を込めて買ってきました。」という言葉を教わった。
仕事を持っているかただったから、なにもかも手作りの食卓というわけにはいかない。
手早くならぶお皿もご馳走のうち。

この茶目っ気ある言葉の真髄を、このときのわたしはまだ知らなかった。

子育ては分刻みに忙しい。
忙しいとなると、ふたつもみっつものことが同時進行だ。
そしてやっかいなことに、そんなときに限って「僕を見てビーム」は全開になる。
あいづちさえ打っていれば、なんとかやり過ごせるかと思いきや、そうはいかない。
目だ。わに丸は視線を追うのだ。
視線が自分にないと感じ取るや、わたしという木によじ登り首にぶら下がったまま
どんどんしゃべり始めて止まらない。

食事の支度のころにそれがピークに達したら、あきらめることにした。
わに丸を車に乗っけて、車の中で話を聞く。
なぜか視線はわに丸になくても許される。あたりまえか、、、。
信号の赤をわに丸は、「青にーーなれっ!」という呪文でどんどん青にしながら、
、、、と自分では信じ込んで、お店で今日のおかずを一品。
わに丸には、「特別だよ。」と言いきかせておもちゃ付きお菓子を一個。
そのお菓子はたいてい小さなラムネだ。
パック詰めのお惣菜をお皿に移し変えて食卓に。
作る時間とわに丸ビームを引き換えに。

子育てで疲れ果てながらも、生真面目に食の安全を追及するお母さんが、
わたしのまわりにはたくさんいた。
たまにならいいんじゃない?
そう前置きして、わたしは友人のお母さんの言葉を言ってみる。

山や畑に馳せて心のこもった食材を揃え、おもてなしをする。
そういうご馳走を差し上げて、相手の喜ぶ顔で自分も満たされる。
そういう心構えでありたいとは思うけれど、
子育てをしながらふと気づいたことがあった。
いつのまにか、手作りにこだわり、温かさにこだわるあまり、
喜ぶタイミングを見落としていたこと。
ひとの喜びは食だけで満たされるものではないのに。
わに丸が充たされることより、作る自己満足に走っていたかもしれない、と。
無理をすることをやめにした。

今夜、じいじが病院から一時帰宅。
夕食はじいじの好きな海老のチリソース煮。でも作る時間がない。
うーーん、心を込めて、馳走だっ。
by NOONE-sei | 2004-12-12 20:37


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