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52夜 花田少年、はなたらし


「花田少年史」は貧乏くさい映画だった。貧乏な家とぽっちゃんトイレが舞台だったから。
夏の少年記には、ぽっちゃんトイレと幽霊が良く似合う。

主人公は、貧乏だけれど健全な精神の家庭に育ち、
自分が赤ん坊のときにどんなに手をかけさせたかなど棚にあげた暴れん坊の少年。
それが「妖怪伝さくや」でさくや役だった女子高生に導かれて、自分が生まれる前の両親の姿を見る。
少年役は、「妖怪大戦争」や「ガメラ」の子役よりずっと達者な子役。
友達は、「だいじょぶかー」と聞かれて「・・だいじょばないぃー」と答える、気の弱い少年。
物語は、家族は揃っていて当たり前だから目に入らない少年と、
親に虐げられて死んだ子供の幽霊が成長した少女と、
死に別れたが父から強い愛を胸に貰った気の弱い少年の、三人の成長を描いている。

日本の作品の多くは、情緒に重きがありすぎて、行間から情感を読み取ってくれとか、間を感じてくれとか、
そんな声が聴こえるようで、、観る側への要求がわたしには受け止めきれない。
よくわからないんですけど・・という、素朴な声を上げるには躊躇するような閉塞感を感じてしまう。
日本映画が醸すカタルシスが、まだ人間的な深まりの足りないわたしにはカタルシスにならない。
人間的な深まりとは、想像力とも言い換えられる。夢想や妄想じゃなくて、
実際に目にしなくとも、きちんと他者の立場や環境に思いが至ること。
それが未熟なうちは、意図のわかりずらいものより論理的なほうが、からりとしていて気分がいい。

「花田少年史」は、わたしにもわかる映画だった。「洟(はな)たら」を題の間に挟んでみた。
映画の中で、洟をたらす場面は無かったけれども。
おとなってなんだ・こどもってなんだ、、人が成長するために必要な関わりってなんだ、、
意地を張らないとか遠慮するとか、謙遜するとか感謝するとか、そうした、ほんとに照れくさい、
ちいさなちいさな機微を表わせずにいると、いつしかこうまで歪んでずれるんだ、、、等々
子供映画の色は濃いけれども、観ながら真面目にいろいろ考えた。映画とは別に、鞄の奥深くさんが
「年齢と共に失うものもあろうけれど、で、成長や成熟の方はどうなの?」と投げかけていたから。
わたしはおとなであるけれども、おとなだって成長できるんだと思った。

男の子は、小さい時から手がかかる。
赤ん坊も、綺麗な赤ちゃんなどというけれど、洟を喉に詰まらせ死にそうになったり、
だらだらと涎(よだれ)が多いのも男の子に多い。
唇でぶぶぶぶ・・と遊ぶようになると、涎はあわあわになる。泡を「あぶく」と言わないか?
だから赤ん坊で涎の多い子は「あぶく太夫(たゆう)」と呼ばれ、涎は健康の証しと喜ばれた。
男児は死亡率が高いため、多く産まれるが生かすのはたいへんなことだ。

男の子の、はじけるような力の放射の制御には手がかかる。
やんちゃで、「ばばぁ」なんて言っても愛すべき少年なんて、今どきいるんだろうか。
「『おいた』をしちゃいけません」なんて言葉も、久しく聞かない。美しい日本語なのだが。
やんちゃという言葉は小僧に掛かるものと思っていたが、近頃では成人男性にも使うのが妙だ。
やんちゃとは、予(あらかじ)め失うことを前提としたジュブナイル、少年期にこそ許される言葉で、
分別のわかる歳になった大人の男性の逃げ口上に使う言葉じゃない。
そしてわたしの頭の中では、やんちゃは洟たらしだ。
若造を洟たれ小僧というけれど、「はなたれ」と「はなたらし」は、同じ未熟でも微妙にちがう。
「はなたらし」は、本当に洟を垂らしながら懸命に遊ぶ。

男の子も爺様になると、やっかいで手がかかる。
「きぶくさい」という言葉がある。方言で、気難しいという意味だ。
一家言を貫くむかしびとに多く、そういう御仁は側(はた)で見ているぶんには面白いけれど、
その刃の先に自分がさらされたときには逃げの一手しかない。爺様はなかなか成長してくれない。
きぶくさくなったら、爺様は唯我独尊の世界に生きる人になり、多面的な思考ではないから、
他者の思いやそれに至る過程への想像はすでに及ばない。一家言の一貫性も、ちと怪しくなる。
爺様から一方的に些末なことをがみがみ言われ続けると、気持ちがへこまないわけはないのだが、
あら、そんな爺様にも、おむつを当てられていた幼児期があったくせに、、、と思うと
かくれてくすくすと、いじわるにも微笑んでしまう。
爺様がそういう「じじぃ」に成るには、成るだけの時間と手間がかかっているのだろうな。
少年期には、爺様もがみがみと人に叱られたんだろうか。
案外、すぐにへそやらつむじやらを曲げてしまう短気者だったりして。

わたしが成りたいものはいぢわるばあさん。しかも成長をしつづける。きぶくさい婆様はいや。
王様とふたりで暮らすときがきたら、食べ物やさんごっこだ。
ブランチは王様が焼いた素朴なパンとイタリアンサラダを食べ、
ヨーグルトには庭のブラックベリー・ジャム。夏のスープには刺激を少なく作ったガスパチョ。
夜は香りのある和洋の野菜とアジアの調味料で作った無国籍ごはんいろいろ。
台所に一緒に立つ王様にも、きぶくさくない爺様になってもらわなくちゃ。

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夏の野菜とブラックベリー

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これはイメージのお写真ということにしておこう。こんなのを毎日供せたら、おでかけしなくなる。
by NOONE-sei | 2006-09-06 10:59


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