12夜 さよならをもう一度


『十二夜』はシェイクスピアの恋愛喜劇。
双子の兄妹が海で嵐に遭い辿り着いた港で、周囲からの人ちがいから起こる騒動。
男装した双子の妹に、それと知らずに恋する姫、姫に恋する公爵、公爵に恋する妹、、、。
恋は縺(もつ)れるけれど、双子の兄が生きていたことでお話はうまくまとまり、めでたしめでたし。

日本の古典の世界にも、兄妹が入れ替わる『とりかへばや物語』が。
ある平安貴族が、性格の正反対の兄妹を「取り替えたいなあ」と嘆き、兄を「姫君」、妹を「若君」として育てる。
それぞれが性を偽りながら出世までするのだが、妹が恋をして密かに出産を、、、。
苦悩の末、やがて二人は周囲に悟られぬよう互いの立場を入れ替えて、めでたしめでたし。

男性と女性が入れ替わるという非現実的な設定には、奇妙な面白さがある。
男装の麗人は、凛として前向きな、擬似男性というあこがれの対象のイメージがあるが、
女装の麗人(?)には、ちょっとたじろぐ。擬似女性といえば確かにそうなのだが、
姿よりも会話の妙味で、どこか人の等身大を引き出す天性のものがあって、
自分の愚痴を肴(もしくは餌)に、人から思わぬ本音を釣り上げながら不快感を与えない。

女装というと、ずいぶん昔観た学生演劇で『ハメルンの鼠』(作・唐十郎)を思い出す。
そのときの女装した登場人物には悲哀や可笑し味(おかしみ)があった。
そのせいか、以後、ニューハーフと呼ばれる女性以上に美しい男性を目にするようになっても、
やっぱり『ハメルンの鼠』を思い出す。

中世ヨーロッパの『ハーメルンの笛吹き男』はこんなお話。
ネズミに悩まされていた村ハーメルンに、鼠捕りと称する男がやって来た。
村は男にネズミ退治を頼み、報酬を約束した。男の笛の音にネズミの群れは惹き付けられ、
そのまま男は川に向かい、ついて行ったネズミを残さず溺れさせた。
ネズミが退治されたのに、ハーメルンの人々は約束を破り、報酬を支払わなかった。
笛吹き男は黙ってハーメルンを出たが、やがて戻って来て、再び笛を吹き、
子供達を村から連れ去った。子供たちは笛に合わせて踊りながらついて行ったという。
・・めでたしめでたしじゃない。

この『ハーメルンの笛吹き男』を下敷きに書かれた戯曲『ハメルンの鼠』では、
底辺の人々を追い払うために雇われた男が、女装して一人の女に近づく。
切なく懸命に不器用に生きる女に、好意を持つほどに本当のことが言えない男。
やがては雇い主に追い詰められ、女には偽りが露見する。
けれど、裏切りを決意して男は女を連れて逃げようとする。
ゆく手には、ちっぽけな希望が待つのかちいさな未来があるのか。
越えるべき果てには、大きな河が横たわっているが、それでも渡ろうとするふたり。
・・やっぱりめでたしめでたしじゃない。

越えるべき困難の象徴に、河を描くのは唐だけではない。清水邦夫の戯曲もそうだったように思う。
何かに阻まれ、傷だらけで息も絶え絶えになりながら、いやすでに先には死しかないのに、
それでも見せる、新天地を目指すカタルシス。
それまで外界とは布一枚で隔てた舞台だったのに、最後に後ろのテントが一気に開いて、
お芝居事と、現実の世界が突然出遭わされる唐の演出。
蜷川幸雄の演出で泉鏡花を観た時にも、テントではなく立派な劇場の後ろの壁が開いて、
唐とまったく同じ演出を観て、出処(でどころ)は同じなのだと思った。
蜷川というと、シェイクスピアや心中物というイメージがあるけれど、
蜷川が、劇団という枠を超えて芝居を初上演したときに戯曲を提供したのが唐だったという。
時代性もあったのだろう、当時テントの公演が多かったけれど、蜷川は大きな劇場で演出した。
出処、出発点には、はなむけのように贈られた数作の、蜷川のための戯曲がある。

誰かのための、というと、劇団「第七病棟」がある。
唐作品の蜷川演出『盲導犬』初演で石橋蓮司と緑魔子が、共演をきっかけに旗揚げ。
初演が、前述の唐作品『ハメルンの鼠』。
わたしはまだ小娘だったので、この初演どころか芝居も知らず、ぼんやり暮らしていた。

この戯曲『ハメルンの鼠』は、ふたりのために書かれたものだと思う。
劇中、女になりすました男が、男をすっかり女だと思っている女を励ます場面がある。
女が好きな人にふられた後だったのか、ふられないための指南だったのか、
一度しか観ていないので記憶が曖昧なのだけれど、
さよならをもう一度という映画で、アヌーク・エーメが歌うのだという。
 「ららら~ ららら~ ららら~ ららら~」
もう一度、もう一度、ってせがんだら、、、さよならなんて、永遠になくなる ・・・
いかつい石橋蓮司が、消えてなくなりそうな緑魔子に懸命に語るさまが、映像で浮かぶ。
・・「さよならをもう一度」、その映画にアヌーク・エーメは出演していないんじゃないか?

もう一度、もう一度「第七病棟」の『ハメルンの鼠』を観ることができたなら、
本当の台詞で確かめられるのに。


おまけ 唐十郎教授
定年で横浜国立大学を退職する唐の最終講義、こちらも「さよならをもう一度」か
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by NOONE-sei | 2006-03-30 02:20 | 趣味の書庫話(→タグへ) | Comments(10)
Commented by 廃墟徒然草 at 2006-03-31 18:04 x
トラックバック、2つも、ありがとうございます。
こちらこそ時々読み逃げしていました。
写真についてよく思うことがあります。被写体を撮った写真なのか、写真を撮った写真なのか。「写真」という文字からついつい被写体を見てしまいますが、写真を撮った写真は、被写体に関係なく魅力的です。
seiさんの文章を拝見するたびに、勿論そこに書かれてあることも大事なのですが、それ以上に、文体というんでしょうか、そこからくらくらするほどの色気を感じてしまいます。でもそれでいて凛としていて。(勝手なことを書いていてごめんなさい)
そうそう、緑魔子でしたね。すっかり忘れていた、忘れられない女優さん。『ハメルンの鼠』そして第七病棟の新作をみてみたいです。
遅くなりましたが、拙blogからのリンクを頂いてよろしいでしょうか?
 
Commented by NOONE-sei at 2006-04-01 00:47
廃墟徒然草さん、
あぁよかった。緑魔子というたいそうパーソナルな思い入れの文章のTBでしたので、強引に押し付けるようで、すこしどきどきしていたものですから。お互い様の読み逃げとは、これもまた面白い。
写真をわたしはよく知らないので、語る言葉を持ちませんが、 廃墟徒然草さんのところでの、一月のやりとりに「光画」という文字を見ていい感じがしました。また、画像・図像という区別も知りました。であれば、わたしは「お写真」と、自分の撮ったものを呼んでいるのにも、なにか意味はあるのでせう。
 ところで、わたしにとって、書くことは表現ではなく、トレーニングです。口で喋れないもどかしさを文字が脳と直結して埋めているといった感じです。けれど、読み手次第で文体が醸すものが掘り起こされることがあるのですね、しかも、全く意図しないものが醸成されたようで、意外!そして気恥ずかしく誇らしい。書き手を離れて届いたものがどう映る(写る?)かをお聞きできて嬉しいです。
 リンクですが、こんな辺境の鄙のブログでよろしければ、、、。光栄です♪
Commented by akasatana-xyz at 2006-04-01 07:53
女装と聞いて思い出すのは、以前勤めていたお店でのこと。
和田アキ子のような短髪にロングスカートの背の高いお客さんが、婦人服売場にいるのですが、アゴのあたりが青々としている。
どう見ても男なのですが、スカートを手に取る指先はとてもしなやか。
あの人、結局何を買ったのでしょうか。
何も語りはしなかったけどやはり悲哀がありました。

いろんなお芝居を見てらっしゃるんですね!
それよりなにより唐十郎氏が大学で教えていたとは。
芝居なんて何年も見てませんが、久し振りに見にいきたくなりました。
Commented by at 2006-04-01 08:46 x
私はもともと「演劇」というものに対して、それほど興味がありませんでしたが、たまたま人づてでチケットを入手した唐組の地方公演を見に行ったのは15年ほど前でしょうか。ひたすら大久保鷹氏に飲まれてしまいました・・・・私にとっての演劇はイコール大久保鷹氏の生き様です(笑)
Commented by NOONE-sei at 2006-04-02 00:20
あかさたなさん、
こんなところでなんですが、もしや高校野球一色のあかさたな家では?
わたしもちんぷんかんぷんながら、リキがはいってしまうです。

ところで長身の麗人。それはなかなか印象深い経験でしたね。
目を引くだけでなく、そうなるまでの経緯に思いを馳せさせる、不思議なオーラがきっと発せられていたのだろうなぁ。
 最近はとんとご無沙汰の舞台。今のところ最後に観たのは、三輪明宏の「毛皮のマリー」、ずいぶん前です。
なにしろ田舎に住むと、都会にゆくことがとんとありませぬが、今のあこがれは、歌舞伎座の一幕見、、、あかさたなさんも、これどうですか?

Commented by NOONE-sei at 2006-04-02 00:37
坊さん、
椎名林檎をわたしは生で観たことがないのですが、どうも寺山っぽい。
すごく劇的空間を意識して演出しているように思います。
「演劇」と言ってしまうと別世界だけれど、歌舞伎の幕間のように、長い休憩に軽いアルコールやソフトドリンクや一口サンドイッチをつまんで談笑できる小洒落た劇場もいいよね。
大久保鷹については疎いのですが、彼が登場すると、男の野太い声が掛かる。
昨年「ガラスの使徒(つかい)」という映画に出演したそうですね。ほかにもわたし好みの(ははは)俳優陣、皆曲者。
Commented by at 2006-04-02 17:13 x
私は逆に生で寺山をみたことがないのですが、
椎名林檎さんは演出をかなり意識的にやっておるようで、
じっさいにはかなりストレートだと思います。
おそらくそのへんをひっくるめて70年代テイストを
上手くからめているのでは?とはいえ、私もデビュー作と
2枚目しかまともに聞いてはいませんが(笑)
実は彼女の持ち味には「スタンダードさ」もあると思います。
鷹がでると、「たかぁあ〜〜!!」と叫ばずにはいられません(笑)
Commented by NOONE-sei at 2006-04-03 00:00
虚と実とを、観せる・聴かせる、にきちんと整理している彼女の演出は心憎い。
先日、ラジオから東京事変が。歌のほうは既にジャズのような進化でしたね。
わたしはてっきり、坊さんがずぅっとファンで見続け聴き続けていると思ってたので、
「演劇」的なものは身近にあると言いたくて彼女を引合いに出したのですけど、
持ち味には「スタンダード」、それはわたしも同感です。
 坊さんが鷹ファンとは、まったくちっとも知らなかったよ、びっくりでした。
Commented by ひす at 2006-04-03 18:17 x
私は演劇には詳しくないのでよく分かりませんが、
テントが開かれて、外の世界が見えたときの衝撃は想像できます。
ある意味、安全な場所から眺めていて「観衆」であったはずのお客さんが、
一気に登場人物と同じ立ち居地に下ろされてしまう、衝撃、驚き、そして喜び。
さぞかし新鮮な衝撃であったでしょうね~♪

関係ないようなあるような…
子供の頃読んだ、日野日出志の恐怖漫画(地獄変)で、
最期の一ページで正にそのような衝撃を受けました。
以来怖くって怖くって。
こういうことを思いつく日とって、やっぱりぬきんでていますよね。
Commented by NOONE-sei at 2006-04-04 11:11
ひすさん、
(久しぶりに会えたような嬉しい気持ち♪)
新鮮な衝撃、まったくそのとおりでした。感激とはちがって、驚愕に近かったです。
前知識なしで、いきなりテント芝居を観たものですから、恐いくらいでしたよ。
ほら、テントはサーカスの連想、入ったら戻って来れないような気がして。

日野日出志っていうとガロの人ですか?
ストーリーよりなにより、まず絵が怖い!避けて通っていた世界じゃ!
地獄変は、一気に絵空事の安全から引きずり出されるですかぁ、、、コワイなぁ・・
頭の中を覗いたら、脳みそは何色なんだろう、普通の二倍の量だろうか、
それとも、案外整然としているんだろうか、、、(←アブナイつぶやき)

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