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59夜 そこにいて


 ・メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい



ずっと考えてきたことがある。
それは、311の前からすでに考え始めていて、
あれから夏をふたつ過ごし、吾妻山に初冠雪があってもなお考えていた。
そしてこの地には初雪、薄氷も張った。こうして書きながらなおなお考える。

オンライン上の交流は、対面のそれに勝ることがたびたびある。
雑味を削(そ)いだ、よりパーソナルな、高い純度の交流。
しかも、相手の負担にならぬよう、自分の心の中で純化する交流。
頭の中だけで起こった反応だから、と、そっとしまっておくことが多い、
それはわたしの一方的な所産。それでいいと思っていた。
ありったけを開いて見せ合ったら、反(かえ)ってさみしいこともある。
多くを伝えない良さを わたしはそれまで好ましいと思っていた。
でもちがうかもしれない。
大切に思っているなら「大切に思っているよ。」と言えばよかったんだ。

考え始めたきっかけは今から二年以上も前のこと。
好んで訪問していたウェブログの主(あるじ)が急逝した。
そのことにわたしはひどく動揺し、自分の中で折り合いがつけられなかった。
今でも、ひとりの時間の隙間には、そのウェブログの主をふうっと思い出す。
交流どころか、わたしは当時、そっと物陰から覗くように彼女の文章を読み続けていた。
ずっと辛口の文章を読み続けられる幸が続くと思っていたんだろうか。
いや、わたしはなにも思っていなかった。
そこに行けば彼女の文章があるのは当たり前のことだったから。
当たり前のはずのものが前触れもなく分断されて、
わたしはそのウェブログにコメントしたことが一度もなかったことに気づき、
初めて、自分の一方的な所産だったことを悔いた。

彼女のウェブログに訃報がもたらされると、
読み手は皆驚き、混乱を動揺を冥福を コメントで寄せた。
ウェブログは個人のものだから、IDやパスワードがなければ動かせない。
わたしはその報によって、彼女があらかじめ結末を準備していたことを知った。
ウェブログの使い方、オンライン上で彼女が交流したことのある読み手のプロフィール、
彼女の姉上が、彼女から病床でそれら詳細な準備を託されていた。
もしも自分がいなくなった後にコメントが届いたら、
その読み手とどう交流していたかを知った上で返事を入力してくれというものだった。
姉上は困惑したけれども、彼女の望みに応じた。彼女は若くて病の進行は速かったから。

彼女はオンライン上の交流を「文章対話形式」と呼んでいた。
彼女の姉上は、コメントへの返事で読み手ひとりひとりに預かっていたメッセージを伝えた。
印象的だったのは、交流が途絶えていた読み手への対応だった。
つまり、対応の準備があっても、コメントが来なければ追うものではない、という準備だった。
彼女は現実世界の忙しさから、過去に一度だけ一時的にコメント欄を閉じたことがあった。
ゆっくりとやりとりしていたある読み手との交流が、
欄を開けても、再びは戻らなかったことをどれほど悔いていたかを姉上には伝えておいた。
その読み手からコメントが寄せられて、やっと気持ちを姉上を通じて伝えることができた。
ウェブログは最後に姉上の手によって閉じられて削除され、今は既にない。
わたしは訃報から閉鎖まで一ヶ月あまりの一部始終を静かに見守るしかなかった。
そして幕の引き方が見事すぎて、置いてきぼりをくった子どものようにさみしかった。

そういう出来事がわたしに苦い変化をもたらしたから、
わたしは「王様の千と線」の五回目の百夜話を終えた後、
おそらく静かに読んでいてくれたであろうある読み手に、
「大切に思っているよ。」という気持ちをメールに書いた。
すると、メールをしてからほどなく311が起こった。
  『まだとりだててなにもありませんが
   五百話はまだ半分なのだと思うと
   これからこんなふうにお伝えする機会があるかどうかと思ったのです』
と、メールには書いた。書いたけれども、だからといって、
あんな恐ろしいことが起こるなどと予知していたわけではない。
胸騒ぎに急(せ)かれたわけでもないのに、その読み手に伝えたい、という、
そのときの思いはまっすぐだった。

今年になってから、殊に気になることがあった。
好んで訪問していたウェブログが数軒、更新されずに何ヶ月も経っていった。
胸騒ぎがしてくる。それなのにどうにもできない。
そうして、相手をどれほど大切に思っていたかということと、
これほど親しみを覚えていながら、ただ案じるばかりで
直接それを伝える術(すべ)もないことに気づいて愕然とした。
より反応の速い情報発信の手段を用いてウェブログから離れていたとか、
単に手段を変化させてオンライン上に生息していることには変わりなかったとか、
とにかくめまぐるしい忙しさだったんだとか、
だんだんに、状況は多様なんだということが飲み込めてきた。
「なにかおそろしいこと」が起きたわけではなくて、
「とりだててなにかがあった」わけではなくて。
それにしてもその速度には目を見張る。

交流の分断はいつどんなふうに起こるのかわからない。
それを「別れ」と言い換えよう。
「別れ」といえば「訪れるもの」と思いがちだけれども、そんな悠長な響きとはすこしちがう。
「別れ」は線がぶつりと切れる感じに近い。そして長い喪失感が伴う。
オンラインには、突然切れてつながらなくなる危うさがある。
ウェブログが停止している書き手と切れてしまったんじゃないかと、どれほど気をもんだことだろう。
あの311で人と人が分断されて、親しいひとたちとたくさんの急な別れを経験しなかったら、
ここまで感じなかったと思う。そしてそれは、今も現在進行形で重い。
考えつづけるのは、別れに過敏になっているからだろうか。
今でも余震で飛び起き、体が憶えている怖さが蘇る。
週に一度、放射能のために仮設住宅に避難を余儀なくされている飯舘村の若い母親たちと会う。
彼女らと一緒に体操をして、冗談を言い合って明るく別れる。
風の通り道だったために放射線量が下がらないあの村は、
今では牛もおらず、田に米は実らず、畑はイノシシが踏み荒らしている。

  『もう、急な別れをするのはいやだ』
久しぶりに便りをくれた大切な友人に、メールでそう書いた。
「大切に思っているよ。」ただそのことを伝えたかった自分の気持ちに気づかずに。
すると、友人はこう返事をくれた。
  『少なくともわたしはここにいますよ
   セイさんがそこにいるようにわたしもここにいます』
それを読んだらぽろぽろと涙がこぼれた。

そうだったんだ、「ここにいるよ。」
わたしはそう言って欲しかったんだと、こうして書きながら自分の気持ちを初めて知った。



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たくさんの母子との別れを思い出す。


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こんな音楽を聴いている。とても可愛らしい。





□今夜のお写真は、少し前、初冠雪の吾妻山とふもとの紅葉を。
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犬たちに服を作ってくれた人がいて、鰐号が浅草仲見世で動物用のカツラを土産に買ってきた。
そんなにしてもらったからには扮装させなくちゃいけない。

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出番待ち中


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「おかん」という感じ?


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ペロ コ のヅラ、ぷぷっ


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シワ コ はあんみつ姫という感じ?




     
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by NOONE-sei | 2012-11-30 02:21


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