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38夜 出したらこわい


こわいこわいと思っているから目で追ってしまうのだ。
けれど嫌いなものにこそ敏(さと)く反応してしまうことってないか?
そして道を歩くときには用心するが、室内では無防備なもの。

中学校に入学したばかりのちびだったわたしは、
同じ小学校だった子が一人もいなくてどう振る舞っていいのかわからなかった。
町の中学だったので、山で育ったわたしには町の子たちが大人びて見えてまぶしかった。
教室の席は一番前、教卓は目の前。
隣の席の男子はいじわるで、わたしをからかってばかりいる。
わたしは、怒ったり泣きそうになったり、情けない気持ちになったり。
町場の子はこんなふうに口達者でせっかちでいじわるなんだろうか。おんなじちびのくせに。

腹が痛くなったり怪我をしたりしないかな、と
寝る前に祈るのに、起きてみるとなんともないから登校する。
学校にゆくのが嫌なのに、学校とはゆかなくてはならぬものだった。

教室の席に座り、教科書を机の中に入れ始めたらがさごそとなにかが入っていた。
手を差し入れて取り出したら、カサカサしたごみ。
目の高さまで持ち上げてみたけれど、つぶつぶ模様がうっすらとあるひらひらしたもの。
指でぶらさげてみたら、なにやら見覚えのある輪郭。
・・それは蛇の抜け殻だった。

木を見て森を見ないという、視野の狭さを喩(たと)える言葉があるけれど、
田舎に住んでいる者が自然と仲がよいかというとそうとは限らない。
見るつもりで見なければ、目玉は飾りだ。
わたしは物知らず、物の名知らず、森どころか木も見ていない子供だったから、
蛇の抜け殻を見たのが初めてだった。

やっと手にあるものがなんなのかを認識したわたしは、おそらく気が狂ったんだろう。
悲鳴も上げ、叫び、きっと大騒ぎをしたにちがいない。憶えていないが。
隣の席の男子は担任にみっちりしぼられ、ばつの悪そうな顔で教室に戻ったけれど、
うなだれてはいなかった。

「仲良くすっぺな。」

席についたら小さな声でそう言ったので、わたしはなんだか安心した。
朝の授業はいつもの通り。
彼もわたしも机と机の間を離したりはしなかった。
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by NOONE-sei | 2006-06-16 18:24

37夜 福財布


財布の中になにか御利益(ごりやく)のあるものを入れることってある。
蛇の皮をそのまま入れるだなんて、知らなかった。

もう、とうに蛇の季節は到来していて、あっちで見ただのこっちで見ただの、
おばあちゃん達の立ち話には耳をそばだててしまう。
・・実はもう見た、、、。

ほんとうは昼と夜の間の境が曖昧になる黄昏、それが逢魔が刻なのだけれど、
わたしの逢魔が刻は蛇に遭う頃合い。
少し湿り気がある暑い昼間、そんなときが逢魔が刻だ。
湿った草むらから出てきて昼寝をするのだ、長々となって。
蛇は乾いて温まった石が好きだから、アスファルトの上に寝転ぶ。
足も無いのにころりと寝転ぶのだ。
蛇が気持ちいいだなんて、想像もできないが。

昨年のいまごろ、近くの友人が長い長いぬけがらを拾ったときには困った。
珍しくて嬉しくて、彼女は近所の子供達を呼んで、ちぎって少しずつ分け与えた。
お財布に入れなさい、おこづかいが増えるから、と。
・・ひっくりかえりそうなお話。

こわくてこわくて、彼女の家の前を通る時には足早に、今でも息を止めて歩く。
・・これは内緒のお話。


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ヘビイチゴという名だけれど、ほんとうにこんな草むらの赤い実を枕にするんだろうか。

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アザミのような葉だけれど、名がわからない黄色の花。

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田んぼのあぜにはいろいろな花が咲く。これはハルジョオン?ヒメジョオン?

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野原では、草が波のようにさざめく。犬はおまけ。
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by NOONE-sei | 2006-06-15 01:13

63夜 ふくれちまった哲学に


61夜は、思わぬところで「哲学」という固有の言葉に反応があって、驚いたり慌てたり。
どう返答したものか、言葉に慣れていない脳を使ったので、ちょっぴり眠れない夜だった。

「哲学」。
元来は個人的な楽しみであったはず、と教えてくれたひともいた。
わたしの連想する「哲学」は、遥かなところに浮かんでいる。

たとえば「知のたのしみ」と言い換える。
それは個々それぞれの楽しみ方だったんだ。するとすこしだけ力が抜ける。

たとえば「普遍を求める」と言い換える。
求める過程より得た結果こそ大切。すると置いてきぼりを食ったようで悲しい。

たとえば「物事の根源を知ろうとする理性の立場」と言い換える。
もう窮屈で逃げ出したい。すると楽しくなくて、身の置き所がない。

そもそも源には宗教や思想がからんでいただろう、「哲学」。
派生して政治・経済・科学・そして精神や心理にまで及ぶもの。・・大きすぎて、持て余す。

たとえば一家言ある人物と会話するのに骨が折れるのと同じように、
たとえば心の世界を旅する人に寄り添うのが居心地悪いのと同じように、
天邪鬼(あまのじゃく)で脆弱な脳では、黄色い信号が点滅する。・・避けて通りたいのだ。

「哲学」というものも、考えてみれば可哀相に。
いつしか、歴史に望まれ普遍になり、人々が描くイメージをたっぷり吸って膨らんでしまった。
可哀相な「哲学」は、今では実体を離れ幽体になって、あちらこちらにぷかぷか浮かぶ?
それともユーモラスで庶民的になって、時を越えて懐深く変容した?

61夜は、会話は相手に幻想を持たせることもある、というわたしの恐がりでおよび腰のつぶやき。
思わぬ「哲学」という言葉は藪を突いて出た蛇。

六三(ろくさん)という昔からの習わしがある。
年に一度、体の傷むところや悪さをするところを寺で払ってもらう、厄払い。

今夜は、「哲学」で痛んだ脳みそに、六三払いの63夜。
払ってしまえば幻想も蛇も、ただの無邪気な言葉の遊びだ。

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青い林檎は王林(おうりん)。良い香り。
香気とはこの林檎の香りを言うのではないかと思うほど。
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by NOONE-sei | 2005-10-20 19:34

50夜 折り返しの頁


貢(みつ)ぐじゃなくて頁(ページ)。
似て異なるもの、鼠と栗鼠(リス)、蜥蜴と蛇。

「動物のお医者さん」という漫画の登場人物は皆、無表情でおかしな人間ばかり。
そのうちの獣医学生のひとりが、どうにも苦手な鼠を鼠じゃないと自分に暗示をかけるために、
鼠の写真の載っているところに注釈をつける場面がある。

 『ワタシはリス。しっぽを剃られたの』 ・・でもほんとは鼠。

詭弁だか欺瞞だか、なにしろそのネガティブなすり替えを責められるのが面白かった。

数日前のこと。
駐車場から車を出したら、道路に寝ていた。いや、すでに永久に寝ていた、干からびて。
初めはわからなかった。・・いや、本当は目ざとく見つけ、すぐに勘がはたらいた。
普段はぼんやりのわたしでも、アレだけはわかる。
あの、『足の無いトカゲ』 ・・でもほんとはアレ。

この頃、よく窓の網戸に現われるカマキリで遊んだから、バチがあたったんだろうか?
それ以外に悪い事は、近頃はした記憶がない。
家の中に入ってきたイナゴだって、仮面ライダーだと言ってすこし遊んだけれど、
写真も44夜に載せたけれど、ちゃんと外に逃がした。
なんでこんな目に遭うかなぁ。

嫌なものは見ないに限る。
だから家の図鑑や百科事典のアレが載っている頁は、折り返しておく。
けれども塾にあるものは、頁を折ってしまうわけにはいかない。

小粒がまだ小学生のちいさいさんだったころ、魚や鳥をみんなで調べたことがあった。
アレの頁がわたしはさわれない。
本当なら頁を菜箸でつまんでめくり、直接には手を触れたくない。
 仕方がないので、頁と頁で挟(はさ)んでセロテープを貼り、開かないようにした。
それ以来、しばらくの間、わたしは事あるごとに小粒たちにそれで脅された。
小粒たち男子は、中学生になっても思い出すらしい。
執念深いのはアレとおんなじじゃないか?
塾に蚊が飛んでいると、潰してやるのはわたしだろう?

今夜は50夜。
百夜話の半分、折り返し、ということで。
しかし、なにが悲しゅうて、目出度い折り返しに蛇のお話を書くかなぁ、、、。
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by NOONE-sei | 2005-09-21 01:53 | 新百夜話 本日の塾(12)

16夜 世にも不幸せな物語の不幸せ


どれだけ美しいものは醜さと境界が際どく、どれだけ清らかさは陰険さと隣合わせで、
ほとんどの道徳は狂気に満ちているか、、、。
単語を入れ替えてみる。 ・・狂気は道徳に満ちている、なんだか魅力的だったりしないか?

「阿修羅城の瞳」を観たときだったか「コンスタンティン」を観たときだったか忘れたが、
「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」の予告を観て、惹かれていた。
 頭の中では、ジュネ&キャロの撮った「ロストチルドレン」(仏)のような映画を期待していた。
子供のように心優しい怪力男や、少女なのに妖しく美しい、孤児院の盗賊団のリーダー、
のみのサーカス、憎たらしいシャム双子の婆さん、おかしな潜水服、同じ顔でねじがゆるい人工的な人々、、、。
異形(いぎょう)でゴシックで、ごった煮で寓意的な、美しい映画。そしてわたしは水がある場所の映画に弱い。

「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」
火事で焼け出された三姉弟妹が、財産を執拗に狙う後見人の魔の手から繰り出される数々の不幸を
知恵と勇気で払いのけてゆく物語。
はじまりが水辺、これが予告にもなっていたのが惹かれたきっかけ。
極端な遠近法で造った背景や風景は意味ありげだったし、家具調度品も必要以上に凝っていたし、
まだ口がきけない、歯だけが異様に頑健な末の幼児の活躍も見たかった。

どんな仕掛けで、どんな非常識で、どれほど裏切ってあちらの世界に持っていってくれるかと
思ったのはわたしの不幸せだったようだ。物語に映像に、狂気がなければ道徳は浮かび上がらない。

そして、やっぱりジム・キャリーはご馳走様だ。
あの過剰なアピールは鼻について受け入れ難い。
 彼の出演した映画、「トゥルーマンショウ」で、主人公の青年は最後に、
なにもかも作り物の島を出て作り物の海を渡るが、この海をみつめるエド・ハリスのまなざしが好きだった。
主役はジム・キャリーでない俳優ならなおよかったのに。


『ジム・キャリー「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」』というサブタイトルにまでなっているから、
彼はほぼ全編に登場するけれど、登場しない場面には素敵な映像がある。
亡くなった両親のシルエットを影絵にした蚊帳の中で、かりそめの家族水入らずになる三姉弟妹。
二軒目に預けられた蛇屋敷の博士が、ちいさなハープのような楽器で弾き語ってくれる静かな夜。

印象的だったのはエンドロール。
この映画でいちばんよかったのは、このアニメーションかもしれない。
背景音も単調だから心地よく、耳に残った。

・・アニメーション。
ふいにロシアのアニメーションをおもいだしちゃった。影絵ではないのだけれど、、。



レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語
 水の音を聴きながら、なかなか開かないのにじれながら
 あちこちクリックして観るのは楽しい。
 上映が終わっているので、このサイト、いつまで在るかな。

ロシアのアニメーション
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by NOONE-sei | 2005-06-14 12:43

6夜 蓼か虫か


蓼食う蟲も好きずき、ひとの嗜好性もさまざま。

先日、犬を散歩させていたら、草野球のグランドで使うトンボのような道具を使い、
水を入れた田で丁寧に泥を均(なら)すのを見かけた。
さぞ良い米が実るだろうと感心してながめていたら、田の畦で長々と昼寝をする蛇も見た。
これは見たくなかった。
田んぼの水際の畦には蛙の卵、天気のいい日には、そろそろ蛙の声も聞こえ始めている。
餌はあるし、水を入れられて田んぼの土中から這い出してきた蛇が畦にいるのは当然のこと。

蛇は泳ぐとか。
田に張った水の上を一直線に進むのだとか。しゅるりと音が聴こえてきそうで、
目だけでなく耳も塞ぎたい。
早く田植えが終わってしまえばいい、と思う。泳ぐ姿が苗に隠れてしまえば、見ずに済む。
世に蛇好きの人種がいることは信じ難い。

さて、世には、蛇は好き、蟲は嫌いという人種もいる。
わたしは逆で虫は平気だ。蟲という文字は嫌だが、毛のない虫のいくつかには触ることもできる。
それは、きっとその温度のない乾きかたなのだろうと思う。
両生類や爬虫類には、冷たいにせよ温度というものが感じられて、有機的で気味悪い。

ちいさいときに住んでいたのは山の中だったから、オニヤンマは家にまで入って来、
ふつうのトンボをわたしはその餌にと与えた。オニヤンマの口はメカニックに開いて餌を喰う。
思えば残忍なことだったがいたずらとはちがう。自然の摂理はそうしたものだ。

こんなこともあった。
わに丸のところへ遊びに来てテレビゲームばかりやる子供達を 無理やり連れ出して、
望んでもいないのにバッタとイナゴの違いを教えて捕らせ、ひとりは泣き泣き捕ったのは楽しかった。
 また、発掘現場でバイトをしていた頃、プレハブに入ってきたカマキリ二匹を闘わせたら、
考古学調査の先生が、叫びながら吹っ飛ぶように出て行ってしまったのも楽しかった。
こんなじゃ、メスがオスを喰うのをみたら、倒れるんじゃないだろうか。 

乾いてはいないが、アゲハの幼虫もいい。
アゲハはわに丸の理科の観察に付き合って、山椒の葉裏の卵から羽化するまでを見、
一羽だけは、最後に標本にした。
十匹ほどの幼虫を飼うのは楽しかった。朝、数えて足りないと、脱走したその一匹を探すのが楽しく、
成長して体を細い細い糸で、枝から斜めに支えて羽化を待つ姿は植物のようだった。

蚕もいい。
ちいさい頃に見た蚕様は美しかった。
白いユーモラスな姿を手にとって、手の甲に這わせた。
夜も日もなく桑の葉を食べ続け、はたと音がやんでまどろみ始めると体は透けてくる。
糸を吐いて体が繭の中におさまると茹でられ絹糸がとられる運命だが、
この虫は豊かさをもたらす虫だから、敬称が付く。蚕様。

蛇嫌い蟲嫌いの人種はなんだろう、文明人?

・・ところで、こんな人種もいる。
学生の頃、美しい女ともだちと学食で蕎麦を食った。彼女は月見蕎麦。
黄身をつぶさず蕎麦を食い、最後に汁といっしょに黄身をこくんと飲んだのを見たときには、
わたしはかすかに、すうっと寒くなった。
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by NOONE-sei | 2005-05-14 16:22

86夜 蛇も目覚める頃


今日は春分の日。
もしかしたら、蛇も目を覚ましているかもしれない。

こわいこわいと東京案内を書いたら、蛇を飼っている漢方薬屋の話を聞いた。
これもありそうで怖い。
小さい頃、父がきのこ狩りに行くと、きのこに蝮(まむし)も付いてくるのが怖かった。

春なのに秋のおはなし。

父はきのこ狩りに行く時には手拭いを一本、首に下げてゆく。
汗拭きにはもちろんだし、怪我したときにももちろんなのだが、蝮に出くわした時に、
生け捕りにするために必要なのだ。
 蝮は香りの良いきのこを好む。
食するわけではなく、芳香を放つきのこの根元にうっとりととぐろを巻いている。うたたねするように。
ほかの蛇なら臆病だからすっといなくなるのだが、蝮は毒を持っているからかかってくる。
高く人めがけて一直線に飛び上がる蝮の、牙のある口に手拭いを首から取って噛ませる。
一度噛んで毒を使ってしまうと、次の毒はすぐには使えない。
だからわざと手拭いを噛ませてから掴むのだ。

歯のあるものの口は赤い。
蝮だけではない。川面をすれすれに飛ぶ虫を狙う岩魚の口も、威嚇するときの猫の口も赤い。
口を開けたその中に、真っ赤な色が見えるのは怖い。

採ってきたきのこを置くと、父はだらんとした蝮を「ほれ」と見せ、当たり前のように首を掴んで皮を剥(む)く。
わたしは足がすくんで動けない。
剥くところは覚えているのだが、そのあとどうしたのかは覚えていない。

ずいぶん大きくなってから、父に訊ねたことがあった。

 「あれ、焼酎に入れたの?」

 「いや。おまえに食わせたんだぞ。」

 「う、うそっ!覚えがないっ!」

 「焼いてほぐして、元気な体になるように、飯と餌に少しずつ混ぜて、おまえと年とった犬に食わせた。」

蝮飯と蝮餌、、、。
わたしとあの十八年生きた婆犬は、乳兄弟ならぬ、まむしの兄弟だったのか、、、。
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by NOONE-sei | 2005-03-21 01:23 | 百夜話 父のお話(19)

19夜 もうひとつの白蛇伝


「白蛇伝」は、日本で初めて生まれたカラー長編アニメーション映画。
中国神話、恋人たちの美しい物語。これからするのは、もうひとつ別のおはなし。

ゆうべ、へびの夢を見た。
毎年、実物には初秋の頃にお目にかかる。
田園地帯に住んでいるのだから仕方ないけれど、機会は無いに越したことはない。
今年は無かったので安堵していたら、夢で会ってしまった、あぁ嫌い。

夢は二度目だ。
一度目は大切な友人の、虫の知らせ。
姫。彼女はそう呼ばれていた。そしてその名のとおり、美しくて我儘な女性だった。
少女のような、、、そう言ったほうが正しいかもしれない。
青いほど白くて薄い肌と、神秘的な茶がかった瞳の。
 月並みな表現しかできない自分の筆力が口惜しい。

彼女とは大学で知り合い、一緒に遊んだ。
泊まりに行くと、夜、銀座のオネエサンたちをタクシーで送りながら
「上がれ上がれ」と家に上げてしまうお父さんと遭遇したものだった。
試験前には広尾図書館でふたりで勉強し、有栖川公園でおしゃべりした。
今でこそ整備されてしまったが、彼女は混沌の街、六本木が好きだった。
 十九で発病して、ほんの数年の間に亡くなった。
望んでいた心理学の勉強は、これからだったのに。

お母さんに形見わけをしていただきに、お宅に伺った。
写真も筆跡の残るものも、彼女は全部自分で処分してしまっていたという。
思えば病院から最期の外泊のときだったのかもしれない、と。
勝気で人を心に寄り添わせない、姫らしい、と思った。
 そのお母さんも亡くなってから、ずっとやりとりしていた賀状に、
お父さんは添え書きをしてくれるようになった。

わたしが初めて見た夢は、白いへびが上にしゅるっとまっすぐ走るさま。
姫が昇天した夜明け、その時間。こんな偶然があるんだろうか。

昔、王様は嘘ぶいたはずなのに、
ゆうべはこわいテントのへび売りに会ってしまった、あぁ単純。
そしてこの上ない蛇足。
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by NOONE-sei | 2004-12-10 13:49 | 趣味の書庫話(→タグへ)