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1夜 生きた心地 


手厚い看病をしたと言っていいと思う。
ここ十日で急激に衰弱していった猫を車に乗せ、吹雪く嵐の三日三晩獣医に通った。
体温や体重の推移、食への意欲や行動の意志を確かめながら、
医者は生きようとしていると判断して治療を続けた。
静かに逝こうとしているなら見守るにとどめたのだけれども、
もとより猫は生まれたときから虚弱でぎりぎりのところで生きており、
意志に体の力がついてゆかないだけだという判断だった。
意識レベルがあるのならよりよく生きるための努力をする、・・それは父の看護から学んだこと。
逝くことがわかっていたけれども、その時が来るまでは猫の望むようにしてやる。
看病というよりも、看護と言ったほうがぴったりするのかもしれない。

陰猫(かげねこ)という言葉があるのだとか。
ことに来客があるときなどは人前に姿を現わさない。
餌を食う時だけ姿を見せる猫。アク コ もそのような猫だった。
ところが父の自宅ホスピスが始まると、人の出入りが多くなったものだから、
姿を見せ、時には人の輪に紛れていたりして驚かされた。
父にだけ懐(なつ)いていたから、毎夜父の寝台の下で寝た。

アク コ はそもそも野良の子で、虚弱に生まれたためにわが家に居ついた。
母猫に生きた餌を食わされて育ったけれども、自力で獲る力はないだろうと見くびっていたら、
昨年の秋には、言葉にするのもおぞましい長いものを獲って家に持ち込んだのでひっくりかえった。
しかも信じられないことに、アク コ が齧ったのか、長いものは出血しながら暴れた。
田んぼの側溝に流してこいと母にどれほど言われても、
わたしがそれだけは勘弁してくれと頑なに拒んだものだから、鰐号がしぶしぶ出動し事なきを得た。
アク コ は普段から、うまく手を使い蓋のある器からも盗み食いをする知恵があったので、
出入り口をきちんと閉めない鰐号に、猫が入って来るからちゃんとしてくれなければ困る、と
注意するいい口実も作ってくれた。

アク コ は、わたしたちが父の命日に一周忌の人寄せを終えた途端に、ほとんど物を食わなくなった。
医者に言われて振り返れば、年が明けると多尿期に水を大量に飲み、それを過ぎて乏尿期に入っており、
見た目にも衰弱がわかるようになっていた。
まもなくだろうと感じたので、医者にはっきりと診たてと方針を言ってもらった。
「一週間までもたないでしょうが、見ていると、生きたいように見える。動けないけど動きたい気があります。
外に行きたがったら連れていくとか抱いて外を見せるとか、楽しみは取り上げないでいきましょう。
口に入れれば食べ物を吐かずに飲み下すのだから、食べられないだけで食べようという気があると思います。
点滴はミネラルと水分の補給にしかなりません。口から栄養を摂るに勝るものはない、
だから三時間おきの強制給餌でいきましょう。
それから、必要以上に始終顔を覗き込んだり声を掛けたりしないで、いつもどおりでいきましょう。
あんまり構われたら、生きた心地がしないでしょ?」
『生きた心地』とはびっくりするような表現だ。
生きた心地、生かした心地。数日間、それだけを思った。

いよいよかと思う晩、寿司とたらちりを用意して、家族全員で食卓を囲んだ。
父もそのような最中(さなか)に呼吸することをやめたのだったが、アク コ も同様だった。
不思議な符丁など、わたしは信じないのだが、父の命日から十日後の同じ時刻に逝ったのには驚いた。
九年間、よくがんばってぎりぎりの生を生き抜いたと思う。動物とは天晴れである。
アク コ は死ぬまで生きた心地がしていただろうか。




ブチ コ の話  本日の産声 四
ブチ コ の話  本日の産声 五
クロ の話    時おりの休息 無口な猫

アク コ
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by NOONE-sei | 2009-02-21 04:01

95夜 動物になってしまう


鬼にも蛇(じゃ)にもなれるというじゃないか?
愛する者のためならば。
その強烈な喩(たと)えにくらくらしてしまう。

火の中水の中、と自然界のものを喩えることもある。
総じて、身を挺して大切なだれかを救いたいという強い願い。
そんな気持ちになったことがあるだろうか。

「お母さんと一緒に死のう。」
そう言って裸足のまま小さなわに丸を引きずって外に出たことがある。
あんまり悪い子で他所様(よそさま)に迷惑をかけるから、
神経どころか脳幹そのものがぶつりと切れたように血が逆流した。
ところが外は、雪の日でもなく海でもなく、もちろん火の中でもなく、
ただのおっとりとした田んぼ。
救うだとか願うだとか、そんな尊い気持ちはみじんもなく、
ただの本能の、瞬間的な反応だった。

なにかを喩えるのに動物になぞらえることがよくある。
鬼も蛇もちょと勘弁してほしいけれど、
ちかごろ、うちにはムササビがいる。
床からそれはそれは高く跳び上がる子犬を王様と鰐号が見て、
「ムササビジャンプ!」と笑う。

笑ってはいられないのだ。
迎えたときから頭ひとつ大きくなった子犬は、
蛙のジャンプのケロリンとか、ケロ コ とか、なさけないジャンプではなくなった。
脚の付け根の筋肉の線がはっきりと見える。

あのころ鰐という動物の調教に苦戦したわたしは、
いま、自分が動物になって子犬と戦っている。
ジャンプしたら必ず潰すし、転ばすし、ときには頸に噛み付く。
向かって来た首の付け根を持って、左右に揺らすさま、どこかで見たような。
そうそう、相撲取りの稽古でこういうのがあった。

・・つまりわたしは今、ムササビ部屋の親方なのである。


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これはなに?
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by NOONE-sei | 2008-11-12 11:35

ときおりの休息  十一  あやしげな薬


ガマの油売りの口上を聴いたのは幾度かある。
蛙のおばけが鏡に映った自分の姿を見て、汗がたらぁりたらぁり、
その汗を集めたものがガマの油なのだったか?
テレビで見た口上のおじさんは、袴(はかま)をはいてたすきがけ、
髪は五分刈り、手に刀を持っていたような。
自分の腕を切ってみせるのが怖かった。

生で口上を聴いたのは紅テントの花園神社。
芝居を観に来た人々がテントまで並ぶ、その横でお兄さんが口上を述べていた。
テレビのおじさんよりずっと若く、劇団の若い俳優の修行だったが、
だみ声なのはおんなじで、夜の刀が怖かった。

へび売りもいて、ぬめぬめとした長いものを腕に首に巻いて口上を述べる。
刀を当てたガマの油売りの腕よりも、
月夜の刀よりも、
夜に光る長いものが怖かった。


                            * *


今夜は薬の町のちいさな博物館のお写真を。

■道修町 地下鉄北浜駅にて
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地下鉄堺筋線北浜駅を出てきょろきょろしていたらこんな大きな看板が。
ショーウィンドウには、あるある、あやしげな薬。


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動物の剥製、キノコを乾燥させたもの、貝、長いものが入った酒。
美人になる酒、精がつく酒。ガラス越しに臭ってきそうな、あやしい数々。
怖くてカメラも向けられない。


■道修町 くすりの博物館にて
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ちいさな博物館は無料展示で観覧者はわたしひとり。
これは常設の展示、化学薬品の形状いろいろ。


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このときの特集展示は、「流行り病と錦絵」。


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十返舎一九の絵の複製。


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博物館のビルのうしろは神農神社。ビルの一階が社務所になっている。


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絵馬のひとつひとつには、病を治してほしいという願い、医学部や薬学部に合格したいという願い、
医療の研究チームが成功の結果を出したいという願い。


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これが、博物館に鎮座していた神農さん。




なつかしい百夜話 月下の一群
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by NOONE-sei | 2008-10-02 02:33 | ときおりの休息 壱(14)

ときおりの休息  十  あやしげな幸


目に焼きついて離れないということがある。
恐いもの見たさということも、恐いから見たくないということもある。
恐怖なのは長いものの姿で、それは払っても拭(ぬぐ)えない。脳裏に焦げ付くのだもの。
今年の夏は手を合わせて勘弁して欲しいほど、長いものを見た。

蛇腹とはよく言ったもので、ひっくり返って道路にのたばって死んでいたそれの腹は白く、
たくさんの横皺があり、一瞬で目に全像が焦げ付く。
温まった道が気持ちよくて昼寝して車に轢かれてはじけたもの。
薬屋のショウウィンドで薬壜に浸かり精力の素などと冠されているもの。
よせばいいのに酒屋が焼酎の品揃えを誇るなかに紛れて酒に浸かるもの。
これから美しい湿原のニッコウキスゲの群生を観に行くというその山のはじまりに、
頼みもしないのに山を登るもの等々。

数えたら悠に五指を越えるそのほかに、幾つかのウェブログに載っていたものがあって、
いつもなら気をつけて勘を働かして避けるのに、わたしの防衛器官は麻痺していたらしい。
迂闊にも抜け殻まで見てしまった。
それらは不思議なことに、脳裏に焦げ付くのではなく、網膜がやられる。
長いもののはずなのに、脊椎を丸め、網膜の裏側に巻きついて離れない。

今夜のお写真は、恐いもの見たさ。



■銭湯にて
これは恐くない。
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ここはユーモラスな源ヶ橋温泉
お写真は緑でよく見えないのが残念だけれど、屋根には金のシャチホコと自由の女神が。
大阪には町の中に温泉があるということにびっくり。
町屋散策の後、タオルを一本友人に貰って一人で入浴。ほとんど一番風呂だったのだが、
すでにおばあちゃん達が居て、「ぎょうさん使いなさい」とわたしに石鹸を貸してくれた。
道を聞いたら分かる所まで連れて行ってくれるのはおばあちゃん。
遠くから来たんだね、と旅を気づかってくれるのもおばあちゃん。
大阪の見ず知らずのおばあちゃん達は、優しかった。



■商店街にて
これから恐くなる。
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労働者の町、新世界から南に行くと、飛田新地と呼ばれる場所がある。
商店街を歩いてゆくと大門があって、高い門柱には、昔、遊女が逃げないよう塀があった。
「ここからはカメラを閉まってね。」友人に教えられてからの道は、まっすぐ前だけ見て歩いた。



■料亭にて
恐いのに行きたかった場所がある。
そこは内も外もワンダーランドのような建物。
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料亭の入り口には予約客の看板が。友人の心意気の計らい、「セイご一行様」。


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店の名は「鯛よし百番」、ここの意匠に囲まれて友人達と飲みたかった。


意匠の数々
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廊下の灯り
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楽しく過ごした部屋は鈴の間。



罰当たりな願いを叶えて迎えてくださったかたがたに感謝を込めて
ひすさんご夫妻
Hugoさん
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by NOONE-sei | 2008-09-15 00:37 | ときおりの休息 壱(14)

86夜 色っぽい


過日は夏日で、半袖のシャツで過ごした。
とはいえ、部屋にはまだこたつがある。
外気は暑く、家の中はひんやりしている。

袖口の色っぽいひとを見ると、ひそかにきゅんとなる。
それは女性にも男性にもいて、線というか、輪郭というか、そこからかもし出される空気が、色っぽい。
すくなくともぽちゃぽちゃしたわたしの袖口では無理だ。

父に瓜二つどころか瓜三つと言われるほど似ていたのはいつのことだったか、はるかかなた。
ぽちゃぽちゃして、父にも母にも別段似てはいなくなったのに、
父の看病で痩せたので、葬式に遺影と見比べながら「お父さんにそっくりだ。」と皆に言われた。

またぽちゃぽちゃになったのは、酒の量のせい。
飲むとすぐにぽちゃぽちゃになる。
花の蕾のように、音を立ててぽんとはじけるわけではないんだが。

まだだろうと油断していたら、長いものが車に轢かれてのたばっているところにでくわした。
いつも訪問するウェブログに脱皮した抜け殻が載せてあって、
叶うことなら時間を逆回転させて、見なかったことにしたかった。
予感がよぎる脳を鈍くしてやりすごしたのに、現実のほうが唐突にやってきた。

それは長くて大きくて色味があった。
・・音、、、したかもしれない。 ぞくっ。


                           * * *

今夜は85夜のつづきのお写真を。
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木の根元はあたたかみがあるんだろうか。木に体温があるんだろうか。
生えた根元の雪が丸く消えている。


木のさまざまな表情を。
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風が強い山で、木というか樹というか、これらはダンスを観せてくれる。



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露天風呂にゆく路(みち)。

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湯けむりという言葉があるが、これは噴煙。有毒なガス。



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道端でみつけたふきのとう。
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by NOONE-sei | 2008-05-25 02:50

53夜 年の功 積の候


・・ほんとうは積(せき)の候などという語句はない。
誕生日に山ほど漫画を買ったと言ったら、その積んだ高さが歳の嵩(かさ)だそうなので、
それならばと漫画のお話。

紙類には微小な虫が付く。本の類は重くて地震が起きたら怪我をする。
本類を家の外にと西太后に命じられ、泣く泣く物置に入れた。
書庫と呼びはするが、木造の物置は砂埃(すなぼこり)が入りいちいちハタキをかけないといけない。
いつか少しずつ部屋に運び込もうと思っていたら、物置の辺りで尻尾を見た。
・・とかげ?
父に言うと、笑って、外だからとかげもいるだろうと言う。
物置の床下に潜り込んだと言うと、涼しいから隠れるのにちょうどだ、あいつらは歯がないから
ちっとも恐いことはない、と笑う。
去年の盆に逝った猫は蛇もとかげも獲ったから、とかげを住まわせるようなことはなかった。
歯がなくとも、床板一枚の差でとかげの上にある本って、恐くないか?

とりあえず、漫画を救出しよう。
寝る前にちびちび読む楽しみをこのごろ覚えたものだから、いちいち物置に置くよりも
寝る部屋のそばに置きたい。
寝る前に諸星大二郎は目が疲れそうな絵だ。
ゆうきまさみの「パトレイバー」は、熟読してやめられなくなりそうだ。
皆川亮二の「スプリガン」も、終わりまで読んでしまうかもしれない。
浦沢直樹の「パイナップルアーミー」がちょうどいいかな。
壮大な宇宙物のころは楽しかったけれど、星野之宣は女性を画一的に描くからもう結構だ。

そういえば、いつか観たテレビで、サディスティック・ミカエラ・バンドのボーカルが
課長島なんとかという漫画が楽しいと言っていた。
ありえない女の人ばかりが登場するから、男の人の思い描く女性像の妄想を見ているようで面白いと。
作者は柴門ふみの夫だったか。わたしは柴門ふみもかなり苦手だ。

女性作家の描く、ここではないどこかが舞台の漫画はおもしろい。
24年組・ポスト24年組という名で括(くく)られる作家たちがいることをつい最近知った。
その中の幾人かの、ごくいくつかの作品は、思い出したように読むことがある。
団塊世代頃の女性たちなのだとか。団塊世代の男性たちは、癖が強くて苦手だけれども。

聡明な女性たちが生んだ物語に登場する者の、とりわけ女の子も女の人も、
ちゃんと自分の肺で物語を呼吸しているような気がする。
幼い頃、物語を読んで育ったわたしは、大きくなった今ほとんど本を読まなくなったが、
今でも漫画の中に物語を探している。



24年組
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歳の嵩で崩れそうだなどと言ってはいけない。くすくす

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最近復刊した漫画を取り寄せたら、サイン本だった。ちょと嬉しい。

                        *

おまけ 秋の味覚。
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十月は里芋・あけび・鮭の腹子飯。小芋もよいけれど、お写真の里芋の親芋もいい。
あけびには肉味噌を詰めて揚げ、腹子は湯をかけほぐして酒・醤油に漬ける。
焼いた鮭と昆布で飯を炊き、食べるときにざっくり混ぜ、茶碗に盛ったらたっぷり腹子をかける。
白子は天ぷらか、アンチョビとニンニクでバターソテー。

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先日のムーミンの料理本を参考に煮た洋梨の名を知った。
マルグリット・マリーヤー、なんだか気高そうな名だと思わないか?
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by NOONE-sei | 2007-10-11 01:08 | 趣味の書庫話(→タグへ)

46夜 叫び

   嫌いなひとは読まないほうがいい。

ムンクの「叫び」じゃない。
今夜は虫のお話。

叫ぶほど嫌うって、一体どんな感情なんだろう。
その「嫌い」という言葉に含まれるものは、人それぞれ。
気持ち悪さ、不気味さ、不潔感への嫌悪、恐怖感、、、、。
「嫌い」とは、もとより生理的な感覚、ほかの言葉に置き換えにくいもの。
わたしが蛇を嫌う中に、人間という種が恐竜の末裔を恐がる、
遺伝子に刷り込まれたような「嫌い」が在るのとおんなじ。
よく聞く「ゴキブリが嫌い」には、そんな根源的な「嫌い」のニュアンスを感じる。

夕げの支度に、庭の畑で三つ葉を摘んで流しに入れたら驚いた。
根元にアゲハの蛹(さなぎ)が付いているのを採ってきてしまった。
夕暮れ時で手元がよく見えなかった。
ひっそりと羽化する日を待っていただろうに、たった一本の細い糸で身を支えて。
委ねたはずの、たった一本の細い三つ葉の茎は、わたしが折ってしまった。
蝶の羽化の観察を始めなければならない。

家に来た友人に、嫌いだったら見せないようにしなくちゃ、と思ったら、
もとを見ても、最後の姿がわかるなら大丈夫だと言う。
本来は、本能だとしか思えないほど、虫は嫌いなんだと言う。
ことに、変態する虫は、最終形態がわからないから恐いのだ、と。

44夜にゴキブリのお話を書いた晩、鰐号が叫んだ。
男の子の叫びって、動物みたいだ。
鰐号はどこかで見たことがあるのか、ゴキブリが大嫌いだ。
よだれをたらして(嘘)寝ていたら、顔にしゅたっと飛んできて着地した。
転がるように叫びながら下りてきた鰐号から紙の包みを渡されて、見るとカマキリが気絶していた。
なんだ、叫びのもとはカマキリじゃないか。ああ小気味いい。
もう、カマキリの季節なんだなあ。


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まだ綺麗な黄緑色の蛹。三つ葉は新鮮な黄緑だから、植物に擬態して色が明るい。

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ライティングして撮ってみた。

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虫嫌いなのに見てしまったひとは、これで口直しをしてね。
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by NOONE-sei | 2007-09-16 01:44

34夜 葉底蛇

   嫌いなひとは読まないほうがいい。

花底蛇(かていのじゃ)という言葉が中国の故事にあるのだそうだ。
美しい花の下には時として怖いものが潜んでいる。
まっすぐなまなざしで日々を生きる少女と、その周囲の人々との関わりを描いた漫画に
この言葉があった。吉田秋生の新連載。
少女が人の心の底の底にある闇を垣間見るお話だった。

いつも行く、山のふもとの公園の森は木々の間に山百合の街道が続く。
不自然なほど大柄の花が緑の中に点々と白い。
花芯は毒々しい朱の色とめまいがするように甘い匂いだ。
王様に、怖いものが匂いの下には居ることがあるから近くに寄ってはいけないと叱られた。

数日前、塾で庭の手入れをしていたら、長いものを見つけた。
とても細く長いそれを、わたしは腹を壊した野良猫の糞だと思った。
じっと見ているとゆっくりと動いたものは顔だった。いや、目がないので顔のような部分だった。
目で見たものが頭の中でわかるまでには時間差がある。長く感じる呆けたような時間が。
腰を抜かすほど驚いて、塾に駆け込み、
「だれか、だれか、長いものが怖くない子、割り箸持ってわたしを手伝って!」
塾生たちが箸でつまんで裏の川に捨ててきてくれた。
玄関に隠れて耳をふさいでも、形状をよく観察する声は聞こえてしまった。

その数日後、王様と塾で庭の手入れをしていたら、王様が長いものを見つけた。
ちいさな塾は文字通り寺子屋で、高い木に囲まれた寺のそばにあり、秋には落ち葉が山のように降る。
掃いても掃ききれずに積もった葉は腐葉土になる。その秋の葉の底に、それは居たんだという。
わたしや塾生の話からヒルかと思っていたが回虫かな、という。
わたしはあれ以来、ずっと映像が目の奥に払っても払いきれずにあって困っていた。
気味悪いのは正体がわからないからだったが、怖くて図鑑を見ることもできないでいた。

足のない長いものは怖い。名がわからなければなお怖い。
「博物誌」のルナールとかいう著者は、蛇を『長すぎる』と簡明に定義したのではなかったっけ?
虫と出くわす覚悟がなければ庭の手入れはできないけれど、わたしには長すぎるものへの覚悟がない。
それはずっとこれからもない。塾の長いものは、、、蛇じゃなくて虫、蛇じゃなくて虫。
・・・呪文のように自分に言い聞かせたって、やっぱり長すぎることに変わりないじゃないか、、、。

                      * * *

今夜は山のふもとの公園の花や実を。
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あざみ、じゃないかな。蜂が留まっている。

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白や紫の花、これらの名前がわからない。

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桜の実?

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これの名はわたしにもわかる、へびいちご。

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百合の咲く森。山百合とは鬼百合のことをいうのか?
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by NOONE-sei | 2007-07-15 23:31 | 趣味の書庫話(→タグへ)

14夜 箱根はケチの半次郎


小粒が十四歳になった。いや、この秋には十五だ。
小学生のちいさいさんだった頃、塾でわたしが何を言おうとどうおだてようと、
「やだねったら、やだね~~ やだねったら、やだねぇ~~」と、
『箱根八里の半次郎』を歌っていたのに。
それでも作文を書かせようとあの手この手の変化球を繰り出すと、
わたしがセロハンテープで開かなくした百科事典の蛇のページを持って来て、
「見せるぞ見せるぞ」と反撃していたものだったのに。

山椒は小粒でぴりりと辛い、小粒はあっという間に中学三年生。
先日、修学旅行に行ってきた。行き先はディズニーランド。歌っていた箱根までは、行かない。
塾ではいつのころからか、中三になると修学旅行のお土産の菓子を買ってきて見せ合い、
分け合って食べ、下級生にもお裾分けをするようになった。
自分が上の子からしてもらったことを 今度は下の子にして返すというような、
代々のならわしのようになっている。

今年の中三男子は皆ケチんぼだから、お土産はないかもしれないな、と思っていたら、
買ってきたのだ、皆が。しかも、あの小粒もだ。
鞄から菓子の包みを出した小粒が言った。
 「ほい、土産。・・あれ?小学生って、何人だべ?・・足りるかなぁ、、、、。
  足りなかったら、あっからな。もひとつ。」
ちらっと鞄の中のもうひとつの包みを王様に見せた。

楽しい旅の話をしながら皆で菓子をほおばる。
小粒はちいさいさんだった頃から、たとえば何か決めるような話がばらけると、
ばしっと正論を言って、はっとさせる子だった。
不思議なことに、誰よりも自分中心で、いつも自分が一番なのに、そういう時の
当たり前なことを当たり前だと言う小粒には、皆を納得させる力がある。
ケチんぼなどと言っちゃわるかったかな。

さて残りの菓子を下の子たちの分としてひとまとめにして、茶話会の時間はおしまい。
いつもどおりに円卓でお座りして、頭を寄せ合いながら口喧嘩もしながら勉強。
まだ受験生と呼ぶには、この地で言う赤ん坊の意「ややこ(嬰児)」の中三男組。
おしまいは「さぁなら~」と口々に言いながら自転車に乗って帰る。

ややこの塾生が帰った後は、静かな塾。王様がひとり残って仕事をするのだが、、、、
王様は、はっと思い出した。小粒は、もうひとつの包みを鞄から出さずに持ち帰った。
・・あったな、前にもこんなこと。


前にもあった小粒のあんなこと


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ちょっと伸びたつくしは、小粒に似ている。
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by NOONE-sei | 2007-04-29 02:36 | 新々々百夜話 本日の塾(4)

78夜 聞いたらこわい


まだ暖かかった秋の終わりのある日、
おつかいに行った家の庭でカナチョロを見た。
飛び上がりそうになったら、その家の人は、
山の斜面を削って建てた宅地だからたくさんいるんだと言った。足がついているからまだ平気だ、とも言った。
わたしの足元をうろついたのはカナチョロトカゲ。

帰り道、足のことを考えながら運転していたら、
ずっと空いていたビルの化粧直しを見て思い出した。
そこは以前、自社ビルで、自宅と社屋が兼用だったので、上の階の窓には生活する様子が時おり見えた。
ある時、窓に貼り付くような長いものを見てぎょっとしたのは猿の足。

猿で以前に聞いた話。
遠い北国からお嫁に来たひとの実家は豪商で、
いち早く買ったテレビを店に来る客に見せていたから、珍しいからと大勢人が集まった。
当時は一日中なにかしらの放映があるわけではなく、
放映のない時間帯にはテレビの前に幕を下ろして、余興を見せた。
まだ幼かった彼女が日本舞踊を踊ったり、飼っている猿に芸をさせた。
猿の名は、エテ男とエテ子。足を上げてよく踊ったから、彼女より拍手を貰うこともあった。

わたしの中では足やら猿やらが、連想を呼ぶ。
昔流行ったのだ、こんな意地の悪い選択問題。

□問い
 あなたは自分の足で高い山を登らなくてはいけない。
 次の動物を連れて登るが、ひとつまたひとつと別れがある。
 どういう順に、何故、別れるか。
□動物
 牛
 トラ
 猿
 ウサギ

わたしは気味が悪いからまず猿と別れ、こわいからトラと別れ、大きくて鬱陶しいから牛と別れ、
最後にウサギを食べて、ひとりで登った。
ある人は食べ物を採って来てくれるから最後まで猿を残し、ある人は寂しいから最後までウサギを残した。
またある人は危険だから最初にトラを退け、ある人は愚鈍だから最初に牛を捨てた。
王様はうるさいから最初に猿を捨て、最後に食糧にもなる牛を残した。
男友達の選択にはひっくり返った。最後の最後までトラを残した。そのわけは、
・・・「トラに乗った僕はかっこいい。」

                   *  *  *

今夜は山のお写真を。
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動物の選択肢には無いけれどイノシシの名のつく場所、猪苗代湖周辺、朝のカラマツ林。

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猪苗代から遠く離れ、会津若松から只見に向かう途中の山。
昼だというのに山はもやをかぶっている。

この選択のつづきを聞きたい人だけ。
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by NOONE-sei | 2006-11-29 20:08