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100夜 百まで生きて


吾妻山に初冠雪があった。
山の鮮やかな錦繍(きんじゅう)も平地に降りて、街の紅葉も終わり、数日前にこの地では初雪が降った。
家はこたつを出して久しく、火の使えるストーヴにはやかんを乗っけ、鍋を載せ、煮込み料理を始めている。

今夜は「王様の千と線」の目出鯛100夜。
生ってなんだ、死ってなんだ。それを綴り続けて六つ目の100夜を迎えた。
死がころりと転じて生のおかし味となるようにと願いながら。
わたしの100夜はいつもそのようなおはなし。
思えば遠くへ来たものだ。

春だったウェブログが、冬の始めのウェブログになった。
久しぶりだね。

春は庭が花々で賑わったよ。
草むしりも追いつかないほど雑草の勢いと追いかけっこをした。
春眠暁を覚えず、夏眠は暁とともに目覚めるので、早朝に草むしりをしていたら
グーグルのカメラを屋根に付けた乗用車がすいーっと走っていって、
こんな鄙びた田舎道もいよいよ画像になるのかと驚いたりした。

夏には美味い桃を食ったよ。
畑ではミニトマトの生(な)りがたわわ、優等生のハナマルだったので、ドライトマトも作ってみたよ。
ナスやオクラやピーマンの花はたいそう可愛かったし、
毎日少しずつ実が生るというのも趣きがあってよかった。
しかし今年の夏は体温を越えた気温の日々が続いて厳しかったので、野菜は生るのがさぞ辛かっただろう。

虫にもたくさん会ったよ。
あちこちでセミの抜け殻も見つけた。少女の頃に瓶にたくさん入れて集めたという友人がいた。
カマキリの小さいのから大きいのも見た。腹をつまんで近くで見たら鎌を振り上げたいそう怒った。
ところで蟷螂(とうろう)って漢字は虫虫して目にも蟲っぽいけれど、
きっと虫じゃなくてコウモリだと思っていたらこれがカマキリだった。
コウモリのほうは蝙蝠と書く。なんだこっちも虫虫している。
カマキリの泡あわした卵を見つけたら、これがその年の雪の高さになるんだと教わった。

虫じゃないけど、おそらくもう冬眠しただろうから安心して報告。
今年はほんとうに久しぶりに長いものに出くわさずに済んだ。
庭の空池のそばに抜け殻だけは見つけてしまって、秋になるまで池には近づけなかったけれど。
その抜け殻は、千切って財布に入れるという友人に押し付けた。
この抜け殻というものは、なんと数えればいい?一本二本?それとも一体二体?
殻(空)になってぴらぴらしたものに一匹二匹と言うのは、なんだかちょと違うような気がする。

明日から十二月。
明日からは本格的な冬だから、十一月最後の今夜は滑り込むようにして秋の食事のお写真を載せてみるよ。
冬の長いこの地では、春や秋に採った山菜を塩漬けにしておいてその塩を使う毎に抜いては食する。
季節をなぞりながら思い起こしては大切に口に入れる食の豊かさ。
どうぞお写真を楽しんで、食を楽しんで、百の生(せい)を生きて。



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吾妻小富士は花嫁の綿帽子をかぶっている。



□山の山菜料理店 2012年秋の写真保管庫より
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キノコや木の実や山菜を保存している。


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白いのは白身の魚じゃなくてキノコ。


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山菜とイチジク。軽く燻製にした魚がちょこっと。


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赤いのは肉に見立てたキノコ。


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白いカボチャと赤いカボチャ。


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山のものや薬用人参の天ぷら。


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温かい椀物と柿のサラダ。


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根菜汁と塩に漬けておいたシソの実飯と漬物。食後に梨。




     
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by NOONE-sei | 2015-11-30 11:57

74夜 春の足跡  五 盆の入り明け


死んで十五年も経つ猫が、前触れもなく夢に現われたと友人が言う。
わたしの犬は、死んで二週間で夢に出て以来現われない。
そもそも動物は神や仏とは縁がないので、盆だからどうだということはない。
それでも、盆に鰐号が帰省すると自然にシワ コ の思い出を語る機会が増える。
けれどもわたしときたら、あんなに可愛がったのに、
こんな時シワ コ はどうだっただろうというような細かいことはずいぶんと忘れて、
憶えているのはカメラのシャッターを切るような映像だったりする。
シワ コ が冬の大雪と嵐の晩に逝ってからは、映像を思い浮かべることができなくなっていた。
思い出を語りたくても語れる記憶を失ったかのようだった。
盆というのはよい区切りだな。鰐号のおかげでシワ コ が会話に上(のぼ)った。
切れぎれでも、映像が蘇ると嬉しい。

今夏が新盆の伯父が夢に現われた。
伯父は旅館でもある自宅で亡くなったので、枕辺に駆けつけることもできた。
ほんとうに罰当たりな話なんだが、わたしは墓にも仏壇にも故人は入ってなぞいないと思っているので、
世間並みの法事も仏事も父の月命日の墓参も、欠かさず行なうけれども何も祈らない。
手は合わせるが心の中でつぶやく言葉は何も持たない。
感情の蓋を一旦ずらしたら、きりがないほど人の死は傍(かたわ)らにあるから。
けれども、この伯父の七夕に行なわれた葬儀では、棺(ひつぎ)に手を合わせて感謝の言葉をつぶやいた。
伯父にはいろんなことを相談しいろんなことを教えてもらった。
おかげで、父が亡くなった後の世間並みのことで恥ずかしい思いをせずに済んだ。
これからは相談できる人がもういないので、王様とふたりで判断してゆかなくちゃならない。
夢で伯父はなにも言わず、わたしと向かい合ってテーブルを挟んで座っていた。
静かであたたかい気持ちで目が覚めた。

昨年の盆は人寄せがあってたいそう忙しかった。
今年は、わたしの生活の中心には母があるので、人寄せも父の盆提灯も盆棚も省略させてもらった。
仏壇に、ホウズキと、母が週に一度遊びに行くデイサービスで色染めをしたナスとキュウリの絵でおしまい。
それと、盆の迎え火を焚いただけ。

それでも父の弟子が今年も手を合わせに来てくれた。
毎年、盆には必ず顔を見せていつも賑やかに父の思い出話をしていってくれる。
木造の回り階段を教わった時は誇らしかったこと、
棟上式には棟梁に皆酒を注(つ)ぎに来るが、父は全くの下戸だったので代わりにその酒を呑むのに、
弟子のくせに他の一人前の職人たちを差し置いて親方の隣にいつも座ったこと、
昨年の盆の、長いものを切って食った話にはさすがにひっくり返ったが、
今年はきのこ狩りの話をしてくれた。父は孫の鰐号にきのこの漁場は教えずにしまったが、
弟子を連れて歩いたので父の漁場はちゃんと受け継がれている。
時間が経つのは早い。名残惜しかったが別れ際にビールを持たせた。
夕暮れ、鰐号が犬の散歩で父の墓に寄ると、墓にはビールが一缶供えられていたという。
呑めないのはわかっているが、形だけは茶碗に注いであったとか。

盆が過ぎた。
今夜のおはなしを下書きしていたら、現実が飛び込んできた。
一昨日は夜中に消防車のサイレンがひっきりなしに鳴った。
心おだやかじゃない夜を過ごしたら、昨日のニュースで、山奥の一軒宿が焼失したと知った。
今日になって、建物ばかりでなく痛ましい結果になっていたことも知った。

ニュースでは宿を愛した人が大勢いたことも知った。
父は昔、その宿の仕事をした。
大正の頃に山の斜面に建った小さな湯治場を 昭和の中ごろに父が増築した。
幾種類も川べりに沿ってある風呂には長い長い階段を作った。
あまりに長い木の階段なので、途中には腰掛けも設(しつら)えて休み休み歩けるようにした。
趣(おもむき)のある組み木の建具、黒く光る廊下、すべてが木造の宿だった。
わたしは小さな頃から幾度もその宿に泊まり、父からは幾度も宿にまつわる話を聴いた。
今でこそ道路が少し良くなって車で近くまで行けるようになったが、
昔は温泉町から徒歩で山道を上らなくちゃ行けなかった。
宿の猫が急に具合が悪くなり、父が温泉町まで抱えて下りて、車で町から大きな町まで運んでやったこと、
その猫は体が良くなると、仕事を終えて山を下りる父を毎日見送りに付いてきたこと、
けれども見送るのには一定の距離を保ち、夕暮れに灯が点(とも)った温泉町が見えるところまで下りたら、
黙って帰って行き、振り返るともういなかったこと、
朝は、父が飼っていた犬が弁当を口に銜え、父に付いて山道を上ったこと、
イソップ童話の犬じゃないが、小さな川の小さな橋を渡る時にその弁当を流してしまったりしたこと、
・・宿の主人と父が語る話が蘇る。
胸の騒ぎと、まるで見たかのような鮮やかな昔話のいとおしさが、心の中で拮抗する。





□昨盆には
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昨年の盆には人寄せで食事を振舞ったので、料理の準備よりむしろ食器に準備が要った。




□六月の庭
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東北の名庭園と称される日本庭園が近くにあって、母を連れてアヤメを観に行った。
ところが目に入るのは二千本もあるという松。その剪定の見事さに目が吸い寄せられる。
じゃあ今まで何を見ていたんだろう?見るつもりで見なければ見えていないのと同じだった。



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こういうものを何というのだろう。戸?門?柵?あちらとこちらの境界線の出入り口。



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蓮か睡蓮か


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菖蒲もアイリスもアヤメも見分けがつかないが、アヤメまつりに出かけたんだからこれはアヤメなんだろう。


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水辺のアジサイ




□行楽のあとは蕎麦
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店先に植えてあった蕎麦の花


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山のものを供する店なので、山菜を売ってくれる。この日は山蕗。


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いつもめずらしい山菜を天ぷらにしてくれるんだが、美味いのに名がわからない。
この日の山菜の名は「はんごんそう」・・反魂草。調べたら菊の仲間で若芽を食するのだとか。

獣の夏祭り
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by noone-sei | 2013-08-31 23:44 | その六の百夜話 父のお話(2)

73夜 春の足跡  四

 ・嫌いな人は読まないほうがいい

ほんとうにほんとうに、今夜のおはなしはひどいから、嫌いな人は鳥肌が立つので止めるなら今だ。


わたしは虫なら平気だ。
セミもカマキリもイナゴも掴める。
あ、今、漢字の変換がなにやらもったいぶった印象なので順序どおりに変換してみよう。
蝉・蟷螂・蝗。全部、部首は虫偏。
もったいぶるどころか、恐怖を呼び覚ますので、虫じゃないのに虫偏のあの長いものは、
漢字どころか言葉にもしたくない。
けれども、タグをつけてあるその『長いもの』の数を見ると、結構な数のおはなしを書いている矛盾。
告白?告解?それとも懺悔?
書いてしまわずにはおれない。今夜の「王様の千と線」は掘って埋める讒訴(ざんぞ)の穴だ。
讒訴はわたしの中では「懺阻」というイメージだったのだけれど、調べてみたら違った。
そして方言だった。方言はもともとは古語が地方に残ったものが多く、これは悪口というような意味。

ここのところずっと雨続きだ。
畑や庭木の手入れに精を出すにも、雨の間をぬって空模様と相談しながらやっている。
それら土や樹木や花のことを総称して「園芸」というんだと近頃気づいた。
園芸の話題には邪気がない。人と話していると会話が弾む。学ぶことばかりだ。

今日は雨が降ったり止んだりだった。
ずっと気になっていたカエデの剪定をした。
剪定は先々の枝の流れや勢いを想定しながらするもので、わたしにはまだそこまでの腕も知識もない。
とりあえず葉が込み入っている所に鋏(はさみ)を入れていたらおかしな枝に気がついた。
太すぎるし色もおかしい。 ・・目の前に長いものが絡んでいた。
おぞましい。気持ちが悪い。鳥肌どころではない、ぞぞ毛が立つ。

今年はずっと運が良かった。
年に何度か出くわす長いものに、ほとんど遭わなかった。
このままやりすごせるような気もしていた。 ・・そう上手くいくものではなかった。今日のはひどい。

裏の自動車工場に駆け込んで、退治してくれないかと懇願した。
普段から工場のおじさんたちとは挨拶や言葉を交わし、野菜の苗をもらったりあげたりしていたから、
ツナギを着た青年団のようにわらわらと、長い棒を持ってみんな来てくれた。
中には、工場に出たんだという長いものを撮った携帯を見せてくれようとする親切なおじさんまでいて、
それだけは頑として断らせてもらった。
挨拶程度で、いちばん言葉少ななおじさんが最終的に仕留めてくれて、
その一部始終をわたしは遠くの柱にへばりついて薄目を開けて焦点をずらして見ていた。
それでも瞼の裏側に映像はへばりついて網膜に刻まれる。

騒ぎが静まった頃、おずおずと近づいて行ったら、携帯のおじさんが
「もう行ったでハァ。みんな触れないからナイ、棒の先っちょにひっかけて川に流しに行ったんだー。」
もうひとりのおじさんは
「土は雨でやばしねからナイ、アレも木の上が良かったんだべー。しばらく剪定できねナイ。」
う、、剪定、それは言わないでくれ、と思ったら、道路のむこうでバシバシと音が聞こえた。
生命力の強い長いものが棒でひっぱたかれた音だったんだろう。
やばしない、というのは、例えば濡れた肌着が体にまとわりついたら気持ちが悪いというような不快感のこと。

わたしが剪定している間、長いものは息を潜めて隠れていたのかもしれない。
やばしなくて、川の傍の巣から風に当たりにうちの庭まで来たのかもしれない。
人間に悪さをするわけではないのだ。ただ、理屈ではどうしようもない嫌悪がある。
夕方、一本だけ父の仏壇から線香をもらって庭に立てた。





□五月末の松の剪定
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松の新芽。このままにするとぼさぼさになる。


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思い切りよく、ぼきんと折る。





□口直しに  四月二十八日の菜の花と桃畑
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五月の田植えを待っている、水が入った田んぼ。


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雨が降ると、雨が嫌いだった犬を思い出す。
菜の花が良く似合うその犬は、雨が降ると雨をよけて歩いた。
どこを歩いたって当たる雨には変わりがないのに、柵に沿って歩くと雨が少ないと思い込んでいた。
シワ コ に会いたい。


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菜の花のむこうには桃畑。


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桃の花。
今はもう、ちょうど桃の実の季節。これから盆明け過ぎまで果物と言ったら桃一色。

獣たち
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by noone-sei | 2013-07-31 11:59

64夜 さくやこのはな 参  あたまにくる


雪の小正月、いや大雪の小正月、いやいやこれはなにも珍しいことじゃない例年通り、雪かきの小正月。
成人の日は、その後の行く手が平坦ではないと指し示すのか例年雪が降る。

例年通りじゃないのは、なにやらわたしも鰐号も運がないらしいということ。
昨年の暮れ、鰐号の助手席に乗っていたら追突されて軽いむちうちになった。
こんな声が出るんだというくらいの悲鳴を上げた記憶はあるんだが、どうやらわたしは育ちが悪いらしく、
後で聞いたら「きゃー」じゃなくて「うわあーーーーっ」と声を上げ、その上なんと、
「なんだ、このーーーーー!!」と怒って叫んだという。
血が瞬時に遡(さかのぼ)って頭に届いたらしい。
そうだったそうだった、もともとわたしはそうした熱情の家で育ったんだった。
穏やかに思慮深く暮らそうと努めるうちに、自分の中の血の流れ方を忘れていた。
そのむちうちはほんとに軽く、例年のような疲れによる体調不良もなかったので、
鰐号にもらった上等なワインで年越しをし、正月は朝から、いただきもののたいへん美味い地酒を飲んだ。
頭には、適度に血が遡るぶんには快適である。

そんな数日を過ごし、東京に帰る鰐号のために神社に札をもらいに行き、
まだ時間があるからと犬らを連れて散歩に出たら、鰐号が田んぼ道でシワ コ を放した。
十四歳の婆犬ゆえ、視界が狭くなり嗅覚に頼って歩いていたと思ったら、いきなり走り出して驚いた。
すたたたとのびのび走るシワ コ を追ったら、わたしが引き綱を握っていたペロ コ も走った。
しかもわたしの前を斜めに横切りシワ コ を追う。
つまりわたしはペロ コ に蹴躓(けつまづ)いて、走りながら前にのめり正面から顔面を地面に打った。
眼鏡の蔓(つる)とレンズは砕け、顔からだらだらと流血していた。
手。手があるだろう?とその時のわたしに言ってやりたい。
手は引き綱を握ったまま体を庇わず、血は頭でなく顔の外に流れた。
すぐに頭痛が起こったので近くの病院に行ったら、脳をCTでスキャンされた。
幸い脳も骨も異常が見られず外傷だけなので、傷はみるみる腫れたけれどもたいした処置もせず、
医者はわたしのすばらしく美しくなった顔を見て笑いを堪(こら)えていた。失礼な。

年末からちょっと頭にくることが続く。車や地面に当たるのは当たると言っても有難くない。
そういえば、普段はほとんどテレビは見ないが昨年観ていたドラマの特別放送を録画していた。
昨年度の大学での聴講、最新の認知心理学では、脳をワーキングメモリに見立て、
その働きやしくみを特殊な例も併せて科学的に講義していたので、
サヴァン症候群の青年が主役のその物語は面白かった。験(げん)直しにそれを観よう。

テレビを観る時にはいつも、なにか手仕事や整理作業をする。
その晩は届いた賀状の整理をしていたが、だんだんにむかむかしてきた。
どれもこれも今年の干支の賀状、つまりは巳年の長いものだらけ。
昨年は母があまり散歩をしたがらなかったこともありほとんど長いものには遭遇しなかった。
『実を結ぶ』という言葉は美しいけれども、ほんとうに『巳』を結んだら、長すぎて不気味だ。
今日など、本屋でその『巳』の写真集まで平積みで販売しており、
親切なことに帯には「嫌いな人にはたまらない、好きな人にもたまらない」。
昨今は初詣のシロヘビ神社がどうだとか、スネークセンターで太いのを首に巻いたとか、
ネット上にでるわでるわ長いものが。

あらら、頭に血が上(のぼ)るはなしから、頭にくるはなしが加わって脱線した。
こういうのを蛇足というのだっけ。
書かなくちゃいけなかったのは前述のドラマの題名だった。 ・・「ATARU」というんだ。





今夜のお写真は、さくやこのはな ずっと以前に読んだもの
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いただきもの。照れくさかったり爽やかだったりとっても恥ずかしかったり。
愉しかったよ、ありがたう。また本が旅して来ることを願う。



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一気に読んだ小説群。恩田作品では「光の帝国」がいちばん印象深い。
認知心理学では、錯視や錯聴のメカニズムやワークもたくさん行なった。
「スナーク狩り」は、わかっているのにスナークがどうしてもスネークに錯視を起こすのでいずれ手放す。
宮部みゆきと夏樹静子と山村美紗も区別がつかない。
ついでに言ってしまおう。藤沢周平と山本周五郎と池波正太郎も区別がつかない。



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大真面目であればあるほど笑わされたりアクや苦味が強かったりほんとにひどい話だったり。
わたしはこういった濃いものを「色もの」というPCの分類箱にしまう。



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背中を押される話だったり清らかさにこころが鎮まったり。
丁寧にひとつひとつの文字を拾うように読む。



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紺野キタの作品には品性と麗しさがある。
特徴的なのは幼い者への会話だ。「泣いちゃだめ」ではなく「泣かないよ」と話しかける。
わたしもそういう言い回しをする時がたびたびある。
転んでしまったけれども、「走らないよー」とシワ コ に向かって声掛けしながら追っていた。






□おまけ
いつも母と行くラーメン店。厨房からおじいちゃんがわざわざ出てきて母を出迎えてくれる。
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三年ほど前の一人前。


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現在の大盛り。一人前とたいして値段が違わない。
ふたりで分けて食せるようにというおじいちゃんの心意気。
不思議なスープは見た目よりもさらりとして塩気も控えめ、長い時間鶏の骨を煮込んで漉すのだという。

雪の夜の獣
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by NOONE-sei | 2013-01-18 01:31 | さくやこのはな

51夜 鴨の足千鳥足

 ・あの生き物が嫌な人は読まないほうがいい


青息吐息で50夜の折り返しを過ぎた。
ゆるゆるとあと五十の夜話を歩く。
今夜はその折り返しに相応しい、おかしな動物たちのおはなしを。



ある日、一日の出来事。

帰り足の頃、通勤の車が多くなる夕暮れ。
王様が妙な渋滞に出くわした。
なにかと思ったらカルガモが道路を横断中。
左の田んぼから右の田んぼによちよち。
カルガモにしてみれば、田んぼの中に道路があるのだから仕方がない。
あのカルガモは田んぼの主のお百姓が飼っているんだろうか。
田んぼで仕事を終え、家路につくところなんだろうか。

週に一度高速バスで東京から来て大学の授業を受けて帰る鰐号。
一晩泊まってゆくのでこれ幸いと留守番をさせ、王様と夜の町に出た。
人通りは少ないがたまに車が通る道、
おじいさんが赤信号なぞないかのごとく、みごとなへべへべ。
久しぶりに正統な千鳥足を見た。
おじいさんにはわるいが、とってつけたような背広姿、
きっとなにかの寄り合いで、愉しい宴席だったんだろう、いいものを見せてもらった。
まさかもう一軒なんて言わずに真っ直ぐ家へお帰りよ。

それから路地にゆくと、パトカーが停まっていた。
その横を通り過ぎる時に見たのは、後部座席で両手に花ならぬ、両側に警官のおじいさん。
すっかり出来上がっている。
パトカーの向かいには古くからの焼き鳥屋、たらふく飲んでへべへべで
とぐろならぬくだを巻いて警官が呼ばれたんだろう。
よくよく諭されて、無罪放免、家に帰るのだろうか。

王様がくすくす笑って、あれはきっと、おじいさんがふたり喧嘩して、
引き剥がされてひとりは千鳥足でとぼとぼ帰り、
ひとりは大トラだものだからパトカーの中で熱く語っているんだ、
そんな勝手な物語を組み立てる。

いやいや王様、
鴨も千鳥も虎も可愛いけれどね、
わたしは今日、長いものを見たよ。
それが道路を横断していたものだから、アクセルを踏んで急いで通り過ぎた。
鴨も千鳥も虎も、ちょっと遠くの家に帰るのだろうけれど、
どうも長いものは、うちの近くの川が家らしくて。
足も無いのにあんな長いものも家には帰るんだねぇ。




今夜のお写真は、安達太良山を。



□春に見た安達太良
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うちの近くから望む安達太良山。まだ四月末、桃の花の頃。




□五月中旬 安達太良山開き
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母を連れて安達太良まで。
頂上まではもう無理なので、ゴンドラを降りたところ勢至平から頂上を見ることにした。


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向こうのぽちっとした所が山頂。


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山頂から降りてきた登山者。


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こんな登山道。




□ゴンドラからの景色
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風もなく良く晴れた日。


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山桜が見える。




□乗り物
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ゴンドラの乗り場。


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自衛隊の救護車。


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除雪車。




□遊歩道へ
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道標。


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これはなんという花?


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渓流。


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まるで自分の体よりも大きな荷物を背負ったような子どもの後ろ姿。
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by NOONE-sei | 2012-06-06 01:53

35夜 食む話

 ・嫌いな人は読まないほうがいい

言を食む(げんをはむ)は前言を翻(ひるがえ)す偽りや嘘のこと。
一度口にした言葉をもう一度口に入れるから。「ことをはむ」ともいう。

今夜は食むのおはなしを。

夜中に月蝕を見た。月を食むのは地球なのか太陽か。
とぐろを巻いたような赤い月、皆既月蝕は怪奇な奇奇怪怪、丸いものの蝕(むしば)み。
ところでこの冬までに、わたしは長いものを生涯でいちばん多く見た。
息絶えて長々とのたばった長いもの、その長いものの啄(つい)ばみ。
月を蝕むのは黒い影、長いものを啄ばむのは黒い鳥。

夏のこと、山あいの温泉町のはずれ、本家の畑を訪ねたら、
それはそれは立派な青灰色の長いものが、ずるずると草薮に帰って行った。
人の来ない道路でのたばって昼寝していたんだろう。
歯はあるのか無いのか知らないが、案外小心ものなんだ。

夜の窓にはカエルがへばりつき、白い吸盤の指を広げている。
道路では身投げのようにカマキリが死に、時にはペロ コ に食われる。
そんな秋のこと、空には白い半月と日の入りが赤々した夕暮れ、黄金色の田んぼは所々刈り入れが。
稲藁の束は地面に刺した杭に、まるでかさこ地蔵のように掛けられている。
犬の散歩の綿羊ロードはイチジクがたわわ、見とれながら歩いたらとぐろを跨(また)いだ。
犬も跨ぎながら匂いを嗅いだ。
長いものもイチジクの木の根元は気持ちよかったんだろうか。
翌日は、悪夢を繰り返さぬよう遠くから気をつけて見たら、
長いものは実に長く伸びていた。白い腹を出して。
今年の邂逅はこの二回でおしまいにしたいと思ったら、
ほんの数日後には、田んぼのあぜ道で別の長くて白いものが伸びていた。

道路の隅に鳥がうつ伏せで死んでいて、毎日それを横目で見ながら散歩する。
夏から秋は暑さと雨で日に日に鳥は骨になっていった。
隅で死んでいるタヌキはすぐに片付けられるのに、
その鳥は骨格標本のようになってうつ伏せで居続けた。
鳥の近くには小さな川が流れていて、手入れもしていない藪だ。
藪をつついて何かを出すとか言うけれど、その藪にはたいそう気になるものが伸びていた。
田んぼに稲が無くなると、それまで密やかだった生き物の気配が濃くなる。
散歩の度に気になるのに恐くて近寄って見られない。
思い切って近くのガソリンスタンドの兄ちゃんに取り払ってくれるよう頼んだ。

有り難がって神棚に飾ったり、千切って切れ端を財布に入れ、金が貯まるようにと
験(げん)を担ぐ者もいるけれど、わたしには必要ない。
兄ちゃんはわたしが気にしていた一本だけでなく、五本もびらびらと掴んで持ってきた。
十メートルを三歩で飛びのくようにして、遠くから「要りませんから」と答えた。
長いものは川のそばに棲んでいる。
そこは巣だったらしく抜け殻が幾本も伸びていたのだった。

今度こそ邂逅はおしまいと思ったら、綿羊ロードでカラスの群れを見た。
よくよく見たら白くて長いものが千切られている。
こうして啄ばまれるから長いものは跡形も無くなるのだと知った。
けれども不思議なのはうつ伏せの鳥。それはカラスよりもずっと小さい骨格。
カラスは共食いまでしそうな恐ろしい鳥だと思っていたけれども、
同じ種は食まないのだろうか、それとも美味くないのだろうか。
啄ばむのは嘴(くちばし)であって、言を食むような口は持っていないんだろうか。





今夜のお写真は、十月、近くの陸上自衛隊祭のいろいろを。



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大きくて細身のバイク。


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ギュイーンゴゴゴという音がして、想像よりずっと素早く動く乗り物。


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これはジープなのか?


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ロビーの書棚。


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精神面の援助がなされている。


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お土産いろいろ。美味しいものや便利なもの。
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by NOONE-sei | 2011-12-13 01:00

19夜 なくしたもの


長いこと飼っていた動物をなくした方がいて、
悲しみは悲しみとしてそのまま自分のものとして抱えていかねばならない、
朝、ご飯をねだる鳴き声の聞こえない寂しさ、悲しさも、
ずっと忘れずにゆくのだと言った。
わたしは、「なくす」とは亡くすなのか失くすなのかと考える。

世には時間の経過や日々の暮らしの積み重ねが忘れさせてくれるということがあるけれど、
わたしは業が深いのか、「時間も薬」と言いながらちっとも忘れようとしない自分を知っている。
折り合いだとか受け入れるだとか傷はいつしか癒えるだとか、
そんな触りのいい言葉群を日頃は意識して使っているくせに、
裏腹に記憶を絶対に手放さない自分も知っている。

悲しみが喜びに変わるなぞという経験をしたことはないし、
悲しみの波長が伸びたり縮んだりはしない。
「忘れる」ということは神とやらが子らに与えた愚かな救いの知恵だけれども、
ちかごろ、神なぞ信じないので忘れるために祈ることもなくなった。
「なくなる」とは無くなるなのか失くなるなのか。
壊れたものも死んだものも、替えのきかないものたちは総(すべ)てそれぞれの波長を持つ。

病の動物と死んだ動物と置き去りにされて殺された動物のためには祈ろう。
天に? ・・いや、天の者は今、欠伸(あくび)をしている。だから福の島の名物、虹に。


◆本日の百ケ日連打
梅雨の晴れ間には虹が。
虹は波長の色。
本日見たのは長い長いもの。
長いものと虹は、どうしてこうも漢字が似ている?


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梅雨の数日だけ開かれたカフェ。名を NIJI cafe という。


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遠くの島からわが家にやってきた果物。
美しい名を 美生柑(みしょうかん)という。
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by noone-sei | 2011-06-29 01:22

57夜 百花の書庫まつり


遠くに見える吾妻山の雪がずいぶんと融け、
白くくっきりと跳ねていた種蒔きうさぎの、耳が短くなってきた。
安達太良はあと数日で山開き、
山に雪はあるけれど、装備がしっかりしていれば登れるくらいには融けた。

この地の桜はおしまい、山桜が薄い桜色でぽつぽつと山に見える。
とうに花桃はおしまい、実のなる桃の花選りも終えた。
綿羊ロードの果樹畑には林檎の花が咲いている。

先日入った川沿いの露天風呂には冬眠から覚めた「『長いもの』が寝そべっており、
山もすでに春になった。
川べりに『長すぎるもの』がいるのは、考えてみれば当たり前で、
よく岩の上で寝そべっているのだから考えなくてもわかるはずのことだった。
風呂そうじのおばさんが棒を持って退治にきてくれて、
「風呂に入ってたべか?」
「いやいや、風呂のぐるりの木の廊下に。」
「何色してたべナイ?」
「いやいや、これこれこんな形状で(ほんとは言いたくない)」
「んじゃ、かかってこね(こない)。マムシでねぇから。
 ひなたぼっこしてたんだべー。」
「昼寝?」
「いや、ひなたぼっこだぁ。もういねぐなったから、もういっぺん風呂入んなさい。」
「いや、その・・(ぜったいに露天はもういやだ)
 内風呂に入りますから、はは。」
『あれ』も目覚める頃。寒いからとたかをくくっていたわたしが大馬鹿。

山は根雪が残っていてこれからが春。
ひと山越えれば猪苗代、まだこれから桜が見られる。
日曜日に、桜好きの母を連れて行ったが今年の冬は長くて明けていなかった。
この地はすでにハナミズキ、かの地は桜がまだつぼみ。



今夜のお写真は、かの地の雪と、この地が百花繚乱だったとき。



■雪
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猪苗代付近から見る磐梯山。
手前に写るのがまだつぼみの桜。


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山越え途中の鬼面山。


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鬼面山と白樺。


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ブナと白樺。風雪で曲がっている。
樹木はとても人体に似ていると、山に行くといつも思う。ダンスをしているようだ。





■花
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桜と菜の花。


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花桃と菜の花。


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花桃とコブシ。それともモクレン?


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花桃と連翹。


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花桃の山。






□おまけ
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一輪草だろうか?





□おまけのおまけ
冬から春の初めに読んだ漫画群。
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「ワンピース」は映画を観たので非売品の「ワンピース零(ゼロ巻)」をもらった。

一條裕子とよしながふみはなんだか読後感が似ている。
切なさをざっくりと腑分けして、感傷をソテーしてしまって、魔法のような旨い料理に変えて
ぱくりと食べてしまうようなおそろしさ。

鶴田謙二は面白いと思うし絵も上手いんだが、星野之宣と共通していて女性像が画一的な気がする。
彼らの妄想の中の、この世にはもういない女性像だと思うしかない。

ガンガンは「鋼の錬金術師」の読者プレゼントが欲しかったから。

「present of me」は表題作がいちばんよかった。

吉田秋生は、読み手が言葉にできないで抱えているものをざっくりと切って言葉に置きなおしてくれる。

小田ひで次は面白いところもあるんだが、もっと作家の自我や情緒を抑えて欲しい。

「くらしのいずみ」、こんな漫画を淡々と描いていってもらいたいと思う。

いわずもがな「獣の奏者」、漫画が完結したら小説も読んでみよう。

「観用少女」、こういう作品をわたしは少女漫画と呼びたい。
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by NOONE-sei | 2010-05-05 03:03 | 書庫まつり(12)

17夜 ふんだりけったり

 ・嫌いな人は読まないほうがいい

カッコウの声を聴き、ツバメを見、人も衣を替える季節になった頃、
行く道々が恐ろしいものに変わる。

「綿羊を観に行くべなー。」
そう言って、夕暮れになると犬を連れて散歩に出掛けるのが日課になった頃、
田んぼには水が満ち、昼の暑さは道路に残り、
綿羊のいる、お大尽の広い敷地にたどり着くまでの道々は、
周囲の景色を楽しむことより地表に目を凝らす道のりに変わる。

幾度も車に轢かれて干からびた、足があると自分の脳に刷り込んだ長いものは、
乾いて飛んでいってしまったか、道路にはすでにない。
けれど、一度見たからもう大丈夫と安心してはいられないのだ。

先日、車で山道を走る機会があり、たいそう長いものが白い腹を出して道路にのたばっており、
それを避けて運転はしたものの、目はその白に釘付けだった。
幸い、同じ道を覚悟して帰るときには消えており、おおかた脳震盪でも起こして長々と道路に寝そべっていた、
その時にちょうど出くわしたんだろう。
本当に山道というものは一度で終わらないもので、帰りの道路では、今度は路肩に丸くなったタヌキを見た。
脳震盪であればいいけれど、きっと車に当たってしまったんだろう。
二度見たくないものを見たその晩は、きわめつけに中学の同級生の訃報を聞き落ち込んだ。

一週間前に腰を傷めたんだが、寝ているとろくなことを考えない。
立っていると、ぐずぐずっと腰が砕けるような妙な感覚が走る。
それでも身体に起こったことを認めることができず、さして大切にせずに過ごした。
今日は母と鰐号を高校野球の試合観戦に、山のふもとの公園にある球場に連れて行った。
試合が始まると鈍痛で座っていられなくて、ひとり外の芝生にゆき、ベンチで寝ていたら、
ふたりが応援していた高校は大差のコールドで負けた。

帰りの車までは大きな公園を抜ける。
銀杏並木がまるで外国のようで美しく、芝生を踏んで歩くのも気持ちがいい。
そうしてふたりを連れて車に戻ろうとした時に、なにかを踏んだ。
乾いて長い、言葉にするのもおぞましいものの抜け殻だった。
不覚にも周囲の景色に気をとられていたので、ぎょっとして立ちすくむような感覚に落ち込むのに、
足だけは素早くそれから離れた。

そうだった、人だけでなく、あの長いものにも衣替えがあったのだったなぁ。




今夜は綿羊を観に行く道々の風景を。
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桃の実はまだこんな大きさ。
ちょうど梅の実くらい。これが夏には桃色の丸い実になるなんて不思議。



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道々の田んぼはこんな感じ。



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田んぼの畦(あぜ)に、草が生(は)えている。食べられない豆が生(な)る。



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田んぼと桃畑の間を流れる小川に、白い猫が。



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目的地、お大尽の敷地の綿羊。





おまけ
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草を食む牛、二頭 、、嘘。

おおきな牛(嘘)
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by NOONE-sei | 2009-06-09 02:39

4夜 ねこまた


ねこまたって、なんだ?
猫もまたいで通る学生寮のまずい食事、と聞いたことがあるが。
妖怪化け猫とも聞いたことがあるが。

枕木のように問題が沸き起こる日々から平穏な日々になったと思うだろう?
ネットから遠ざかり、縫い物をする、と聞くとさも平穏そうだ。
・・PCは、春休みでどっかり茶の間に居座り、ゲームと野球に嵩(こう)じる鰐号に占領されている。
・・縫い物は、ペロ コ めが食いちぎった、引き綱やシワ コ の首に巻いた可愛らしいリボンの補修だ。
いや、そんなことはたいした問題ではない。

ネズミが出たのだ。
農村地帯なのだからどこにだってネズミぐらいは、いる。
思い返せば、アク コ が弱り始めた頃、木小屋に保存しておいたリンゴが食われた。
上からきれいに丸く、しょりしょり齧ったような跡を見つけた時には、ハクビシンが居ついたのかと思った。
居つく動物なら追い出すわけにもいかない、というのがわが家の考えかただけれど、
それにしては糞溜(くそだま)りがない。
王様にリンゴ箱の周辺を見てもらったら、あるのはネズミの糞(ふん)だという。
ハクビシンなら仕方がない。ツバメが巣を掛けるなら大歓迎。
なのに、出たのは歓迎しないネズミだ。

アク コ の親は、カエルやら長いものやらコウモリやらネズミやらを
せっせと獲ってアク コ に食わせていたから、
アク コ はほとんど家から離れないで生き餌を喰う猫だったけれども、
親のブチ コ がいなくなってからは、見よう見まねで気まぐれに自分も獲ってくることがあった。
それでも床下からネズミが出ることがあったのだから、アク コ の狩りなどたかがしれていたのだが、
いくらかは役に立っていたんだろう。
昨日、裏口で納戸の床下から外の書庫の下にさささと走る小さいネズミを見てしまって驚いた。
アク コ や親が居た頃は、糞を見てネズミが居ることを知るが実物を見ることはなかった。

これは困った、猫はもういない、猫いらずを撒(ま)いたら、ペロ コ が食うにちがいない。
シワ コ は手でばしっと玄関の引き戸を開ける知恵があるけれども、閉めることをしない。
玄関が開いていたらネズミが家に上がってしまう。
玄関の錠を掛けに行ってみると、石畳に水に濡れたネズミが死んでいた。
どうやら、玄関の外の水屋で水を飲み走り去るネズミをシワ コ が仕留めたようなのだ。
シワ コ は尋ねても答えないから憶測でしかないのだけれども。

アク コ を看取ったそのすぐ後に、母が言った。
 「みんなに話があるから。
  もう、犬も猫も拾って連れて来ないこと。いいね?」
逝ったばかりのアク コ の前でそれを言うのはどうかとも思ったが、
母のために次の猫をという考えがよぎっていなかったかといえば嘘になる。
猫いらずより本物の猫に勝るものはなく、猫を飼えば何所帯かのネズミが即座に退散するのだが、
今日、母に気は変わらないのか尋ねても答えは変わらなかった。

猫は十歳を過ぎたら猫又と言ってもいいのだとか。
シワ コ はもうすぐ十一歳を迎える。アク コ はもういない。
妖猫よばわりするようで申し訳ないんだが、一肌脱いで、ここはひとつ、犬又になってはくれまいか?



猫又とは


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今は亡きアク コ : 猫はネズミを獲って一人前だからねっ。
シワ コ : うーーん、それは・・
      努力はしてみますけど、、、。

ちかごろの犬たち
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by NOONE-sei | 2009-03-14 02:36