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48夜 浄土は極楽?


「王様の千と線」の、千の森にわたしは『夜ノ森(よのもり)』と名づけていて、
そこには怪しげでユーモラスな、おかしなもの達が棲んでいる。
一方、恐ろしげなものは絵や活字の中に棲んでいる。

幼い頃、従姉妹が引き戸の奥にしまっておく少女雑誌の、
楳図かずおの漫画が怖くて、そっと出しては閉じ、また出しては閉じた。
それでいながら、晴れた日には祖母の眠る山の斜面の墓地に行った。
ずいぶん後まで埋葬は土葬で、今ならばひとりで墓地には行きたくない。
その頃は、なにが怖くてなにが怖くないか、境目が曖昧だった。
小さな頃に住んでいたのは野中の一軒家で、ひとりで留守番は怖かった。
狸も蛇も虫も当たり前に居て、闇は怖い。それでも絵や活字のほうがもっと怖い。

この地には吾妻山があり、それぞれの場所に、浄土平だとか一切経山だとか、
烏帽子山、天狗岩、梵天岩、など、仏教を思わせるような名がついている。
ごろごろと岩がころがり、賽(さい)の河原のようなえぐれた岩肌に硫黄の水が流れ、
有毒ガスが立ち込める中に山母子草(ヤマハハコグサ)が咲いている。
そんなこの世のものでないようなところを抜けると、一転して美しい湿原が広がる。
風が強くて背が伸びない木々の林の中に、転々と沼や湿地がある。

吾妻山は、わたしにとって安達太良よりも身近だ。
浄土なんて意味を知らないうちからあの岩だらけの場所が浄土だったし、
火山を流れる川には魚が棲めないから、その水を飲んではいけなかった。
浄土はパラダイスじゃなくて、荒涼とした景色だと仏教を知る前から知っていた。
言葉を知ってなお、仏さまのいるところはさぞ怖かろうと、今でも思う。


今夜は吾妻山、浄土平のお写真を。
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山の上から見る景色。よく見えない時には、下界から見て雲の上にいるのだろうな。

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ここはガスが強くて危ない。

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一切経と赤い葉。

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一切経を雲が覆うところ。

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赤い川。土も石も硫黄分で変色している。

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浄土平の湿原から見た景色。
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by NOONE-sei | 2007-09-19 01:15

34夜 葉底蛇

   嫌いなひとは読まないほうがいい。

花底蛇(かていのじゃ)という言葉が中国の故事にあるのだそうだ。
美しい花の下には時として怖いものが潜んでいる。
まっすぐなまなざしで日々を生きる少女と、その周囲の人々との関わりを描いた漫画に
この言葉があった。吉田秋生の新連載。
少女が人の心の底の底にある闇を垣間見るお話だった。

いつも行く、山のふもとの公園の森は木々の間に山百合の街道が続く。
不自然なほど大柄の花が緑の中に点々と白い。
花芯は毒々しい朱の色とめまいがするように甘い匂いだ。
王様に、怖いものが匂いの下には居ることがあるから近くに寄ってはいけないと叱られた。

数日前、塾で庭の手入れをしていたら、長いものを見つけた。
とても細く長いそれを、わたしは腹を壊した野良猫の糞だと思った。
じっと見ているとゆっくりと動いたものは顔だった。いや、目がないので顔のような部分だった。
目で見たものが頭の中でわかるまでには時間差がある。長く感じる呆けたような時間が。
腰を抜かすほど驚いて、塾に駆け込み、
「だれか、だれか、長いものが怖くない子、割り箸持ってわたしを手伝って!」
塾生たちが箸でつまんで裏の川に捨ててきてくれた。
玄関に隠れて耳をふさいでも、形状をよく観察する声は聞こえてしまった。

その数日後、王様と塾で庭の手入れをしていたら、王様が長いものを見つけた。
ちいさな塾は文字通り寺子屋で、高い木に囲まれた寺のそばにあり、秋には落ち葉が山のように降る。
掃いても掃ききれずに積もった葉は腐葉土になる。その秋の葉の底に、それは居たんだという。
わたしや塾生の話からヒルかと思っていたが回虫かな、という。
わたしはあれ以来、ずっと映像が目の奥に払っても払いきれずにあって困っていた。
気味悪いのは正体がわからないからだったが、怖くて図鑑を見ることもできないでいた。

足のない長いものは怖い。名がわからなければなお怖い。
「博物誌」のルナールとかいう著者は、蛇を『長すぎる』と簡明に定義したのではなかったっけ?
虫と出くわす覚悟がなければ庭の手入れはできないけれど、わたしには長すぎるものへの覚悟がない。
それはずっとこれからもない。塾の長いものは、、、蛇じゃなくて虫、蛇じゃなくて虫。
・・・呪文のように自分に言い聞かせたって、やっぱり長すぎることに変わりないじゃないか、、、。

                      * * *

今夜は山のふもとの公園の花や実を。
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あざみ、じゃないかな。蜂が留まっている。

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白や紫の花、これらの名前がわからない。

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桜の実?

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これの名はわたしにもわかる、へびいちご。

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百合の咲く森。山百合とは鬼百合のことをいうのか?
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by NOONE-sei | 2007-07-15 23:31 | 趣味の書庫話(→タグへ)

96夜 ちかごろのこと


いつも行く場所のいつものものが、ちがって見えることがある。
それは、見るほうの角度でちがって見えることもあれば、
ほんとうにちがうものになっていることもある。

気づいたことが嬉しいこともあれば、
さみしいこともある。
でも気づかないままでいるよりいい。

今夜はちかごろのことをお写真で。

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犬と散歩していたら、松ぼっくりの群(ぐん)を見た。
葉がひとつもない高い松に、びっしりと。小鳥が枝という枝に留まっているみたいに。
これはいつもの松なんだろうか。松の木って、こんなふうに落葉するのか?


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木立の中に、木のテーブルがある。
子どもが松ぼっくりを拾ってきては一個一個置いて並べた群。いつものテーブルとちがって見える。
写真を撮っていいかどうか、子どもに了解をとったお写真。


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わたしも子どもの真似をして、松ぼっくりや伐採時にでた板や松の葉を拾ってきた。
ままごとのように並べて、ちかごろめずらしく自分のために買ったアクセサリーを置いてみる。
立体的なブローチ。でもこのバレリーナ、ふくらはぎが太いような。


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ちかごろ読んでは積んだ漫画。むかしの漫画もひっぱりだしてきて。

中には数冊、よそのウェブログで知ったものがある。紹介してくれたひとはさまざまな画像を集めていて、
それらは美しかったり時に気味悪かったりしたけれど、不思議と追いかけてこなくて好きだった。
そのひとの日記のほうは、職場で徹夜になると椅子を集めてきて並べたその上で寝るだとか、
お昼に買ったカレー弁当には何故味噌汁がついてくるんだろうだとか、お腹の調子がよくないのに
ステーキを食っただとか、くすくすと笑いながら読むようなことが淡々と書かれていて楽しかった。
やがて画像のウェブログはパブリックな印象になって日記はだんだんに日常が見えなくなり、
すこしさみしいと感じていたら、ある日急に画像のウェブログは休載になった。
ちかごろ日記には画像も掲載され、それまでと変わりなくなったように見えるけれどすこしちがう。
わたしはそのひとが犬を飼っていることを知って、すこし嬉しい。
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by NOONE-sei | 2007-01-31 02:50 | 趣味の書庫話(→タグへ)

59夜 夜美女


ええい、検索したいなら、そのままをお題にしてあげる。
何を検索して辿り着くかを解析する機能というものが世の中にはさまざまあるらしく、
わたしの鄙のウェブログにも最低限の機能が付いている。
こんな辺鄙なところにどんな言葉を探して来るんだろうと思ったら、
とても人気があるのが「夜美女」。
意味深長で悩ましいこの単語、わたしはお話に書いた憶えがない。

わに丸は、美女がいっぱいの雑誌に囲まれている。
わに丸の部屋には作りつけの本棚があって、少し大きくなって部屋を与えるときに、
大人の本をいくつか、わざとそのまま残しておいた。
マンディアルグや澁澤龍彦、ベルメールも四谷シモンも置いておいたが、
怪奇も幻想も関係なさそうで、本や図譜に囲まれる愉しみはないらしい。
王様がむかしむかし机にぽいと乗せておいた中井英夫を読んだ塾生がいたが、
とっつき易い種村季弘を棚に置いておいても、わに丸が手に取ることはない。

ディアギレフの時代など、昔の舞踊の映像や、名の知れた「雨に唄えば」のジーン・ケリーや、
優雅なタップのフレッド・アステアのミュージカルも置いてあるけれど、
それらはわに丸の大量のコレクション、野球のビデオに徐々に追いやられた。
親の趣味と子の趣味の狭間をやっとつなぐのは、せいぜいが「ゲゲゲの鬼太郎」くらいだ。

漫画も、丸尾末広も大友克洋も諸星大二郎も、手塚治虫もますむらひろしも、
「ドカベン」に棚を明け渡した。
もっとも、手塚漫画をわたしはあまり好まず、「どろろ」と「ワンダー3」さえ残してくれればよかったが、
それも今ではダンボール箱の中に詰め込まれている。おそるべし「ドカベン」。
わに丸の部屋に置いた大人の単行本の数々は、かろうじてダンボール箱の刑を免れたけれど、
今では棚は、本の背表紙も見えないほど野球選手のサインボールや記念のお品で飾られている。

音楽はどんな趣味なのか、わたしにはわからない。
携帯音楽プレイヤーをいつも聴いていて、両耳の塞がったわに丸は、
まるで耳のおんつぁになった爺様だ。おんつぁというのは方言で、おんつぁまとも言い、
おやじ様なのだろうが、意味はちっとも偉くなくて少しあちゃこちゃになった状態を言う。
朝食をとる間だけはなんとか外させたけれど、そんなわに丸とわたしは、
孤立と疎外感の組み合わせだ。

テレビでなにかの宣伝に、ダミ声が流れた。
わに丸も聞き覚えがあったらしく、歌うのは誰だという。 
 What A Wonderful World このすばらしき世界
歌い手の名がなかなか思い出せず、翌日になってようやくひらめいた。
わに丸は、授業中携帯電話の電源を切り忘れていないだろうか。いたずらしてやれ。
『ルイ・アームストロング』と送信してやった。いつもは返事などよこさないわに丸だが、
めずらしく折り返し、『そう!それだ』。
スタンダード・ナンバーを聴く耳はおんつぁじゃなかったらしいな。

わに丸の現在の心境と願望。
米国メジャーの選手達が来日して試合をするのだとか。
 Fly Me To The Moon わたしを月まで連れてって ・・さしずめ、ぼくを日米野球に連れてって
さてこのスタンダード・ナンバーを わに丸は知っているでせうか。


夜美女で心あたりがあるのはこれ。美女の雑誌のお話。7夜の「夜」と「美女」をつなげて夜美女なんだな、きっと。
新百夜話 7夜 美女と野獣
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by NOONE-sei | 2006-09-30 22:50 | 趣味の書庫話(→タグへ)

55夜 天空×字拳

 
飛行場から自宅に、専用の道路があるのだとか聞く鳥山明も、
老人の皮をかぶった子供、または子供の皮をかぶった老人にこだわる大友克洋も、
どこか湿度の低い漫画だと思っていたら、
アメリカの漫画の影響を受けた作家なのだと聞いたのはずっと後になってから。

「バットマン」も「スパイダーマン」も、先日観た「スーパーマン」も「X-メン」も、
映画の本家は漫画。そしてアメリカの漫画はひとつの作品を複数の作家が交代で描く。
だから古くは物語に重点を置いた、胸のすく冒険活劇だったものが形を変えていったりする。
あやふやな情感でお茶を濁さない湿度の低さだったり、ゆで卵(ハードボイルド)だったり、
単純に分けられない正義と悪の混在が描かれたり、ヒーローに人間的な葛藤も影もあったり。
かといって作品には甘さがない、漫画の新しい分類グラフィック・ノベルズには、
日本の劇画の影響もあるのだとか。
劇画は大人の読み物という感じがするのだが、アメリカでも漫画は大人のものになった?
口を半開きにした顔が良く似合うジョニー・デップが切り裂きジャックを追う、
「フロム・ヘル」は気に入っている映画だが、これも本家は漫画なのだと知って驚いた。

X-メンのリーダー「教授」が授業で物理の事例を挙げて、生徒に考えさせるシーンがあった。
植物状態の患者の脳にミュータントが意識を飛ばすことは可能か。倫理はどうか。だったか。
常識的な回答をした生徒に『アインシュタインはミュータントじゃなかった、おそらくね。』
法則にとらわれない視点を求めた時にちょうど事件が起こり、解答は後回しになったけれど。
映画を見終えた時、その謎が解けないわたしは、アメコミに精通している男性客同士の会話に
耳が聴診器になってしまった。

ヒーローってなんだろう。
光の戦士的な、正義を体現するヒーローは子供のお手本に格好の材料だ。
子供はヒーローものに自分を投影する。
男の子はヒーローのその強さをかっこいいと感じ、女の子は魔法とファッションに惹かれる。
敵(かたき)役を仰せつかった時には、子供より強くてはいけない。
泣くほど悔しがられるから。
わに丸に妖怪役をやらされて、わたしのほうが強くて何度泣かれたことか。
女の子も小首をかしげてなりきっている時には、決して笑ったりけなしてはいけない。
傷ついて、ずっと忘れてくれないから。
なりきりファッションって、とっても可笑しいのだけれど。

ずっと昔から不思議に思っていたことがある。
ヒーローを持たない子のこと。
誰もが幼い頃には、自分を何かに見立てたり、何かになったりしたと思う。
自分と何かが切り離されて、すこしだけ挫折や失望を経験して、
そうして少年期に別れを告げるのだけれど、
中には、遠いあこがれに形を変えずに、自分に酔ったまま大きくなる子供もいる。
そういう子の胸にはヒーローはいない。
初めからいなかったのか、ヒーローを取り込んで消してしまったのかわからない。
そういう子は、成人した大人の皮をかぶっていたり、
可愛らしい子供の皮をかぶっていたりするものだから、
ひと目ではそれとわからない。
・・ヒロイズムとナルシズムは、どちらが健全だろう。

ところで天空×字拳(てんくうぺけじけん)は、X-メンの技じゃない。

ドラゴンボール
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by NOONE-sei | 2006-09-19 01:48

53夜 夏のつまさき 


夜のおでかけが好き。
猫の夜回りじゃないが、あちこち点検して歩きたい。
昼間は、けだるく眠っている路地が、夜になるとぴかぴかに目を覚ます。
これ、猫の夜回りじゃなくて夜遊びとも言う?

「綿の国星」という猫漫画に、真夜中の集会というのがある。
そういえば、登場する高貴で美しい雄猫は神秘的で、
まるで王の傍(かたわ)らに静かに佇む道化師、白のクラウンのようだったっけ。
もう一度読みたい。

夏の初めのこと。
暑気払いをしよう、と男友達から誘いの電話があった。
仕事を終えた王様も合流。
三人の真夜中の集会で、飲んで食べて喋ったら、町をふらふら歩きたい。
けれど、わたしは足をくじいていた。

鈍いのも鈍い、ここまで鈍いと呆れてしまう。
夏は玄関を開けて打ち水をするが、
低い板を敷居に渡して外の埃(ほこり)除けにしておく。
それにつまづいて転んだ。
つまり足元を見ていないんだな、猫みたいにしなやかじゃない。

ひょこひょこと足元のおぼつかないわたしに、男友達が
  「セイってさ、いつも足、怪我してない?
   骨折だとか捻挫だとか。今日はなに?」

  「・・生爪。」

  「はがしたの?」

  「はがれそうなのっ。」

  「じゃあさ、ちがうの履いてくればよかったじゃない、
   ないの?ちがう履物。」

  「ある。・・雪駄。」

王様はけらけら笑う。
お洒落していたんだ。履けるわけないじゃないか、雪駄。
足の親指に包帯を巻いていたって、綺麗なサンダルを履きたい。
夏のお洒落は、オープン・トゥなんだ。

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この夏、家族それぞれに読んでは積んで重ねた漫画。
「綿の国星」はむかしむかしの漫画なのでここにはない。・・王様の趣味なんだけど。
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by NOONE-sei | 2006-09-09 02:22 | 趣味の書庫話(→タグへ)

47夜 連想ゲーム


連想はよくあることなのだが、自分では突飛と思わない。
頭が悪いと思われるが、頭に悪い所は無い。
昔、交通事故にあったことがあって、頭を打ち、耳から出血していたので、
周囲からは、脳がやられてもう駄目だろうと思われた。
けれど、お花畑だとか彼岸を観なかったから、どこかに意識がさ迷ったわけでもない。

頭の中で起こっていることを伝えるのはむずかしい。
伝播する電気信号の羅列なのだけれど、そう割り切れるものでもない。
活発に機能する脳は赤く、停滞した脳は青い。

わたしの脳の中の連想はこうだ。

先日「トリック劇場版 2」(監督 堤幸彦)を観たのだが、その宣伝画像が「おろち」なのだ。
山の中で遠くを指差す主人公の女奇術師の指がそれを連想させた。
人差し指以外の指をたたんでいる手が美しくない。たたみかたが特徴的だ。
漫画「おろち」(楳図かずお)の女主人公がこんな手だった。

楳図かずおの恐怖漫画にはずいぶん悩まされた。
カラーじゃないのに、登場する人間たちは皆、顔が青ざめていて怖かった。
ことに少女は目が大きく、女の子らしさを強調した服装をしており、
それらは『きいちのぬりえ』(蔦谷喜一 絵)に描かれた少女たちと等質に思えた。
生きた気がしないぬりえの少女と漫画の中の少女。 

「おろち」は、少なくともわたしにとっては少女ではなかったので、
奇妙ではあったが『きいちのぬりえ』の連想はなかった。
「あかんぼ少女」のような、結末の哀しさがないかわりに、
不思議な力を持つばかりに、旅を終えられない女性は哀しかった。

「おろち」と「七瀬ふたたび」(筒井康隆 著)が重なる。
七瀬の最後の戦いをなにかで読んだが、思い出せない。
おろちは戦うのではなく時に癒し救うが、最後はあったのだろうか。
終わらない物語はたくさんあるのだけれど、このふたつの物語にも終わりがない。

連想の連は「連(つらなる)」と書く。
わたしの手相は生命線が二本あると言われたことがあるのだが、
今では一本だ。
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by NOONE-sei | 2006-07-09 23:59 | 趣味の書庫話(→タグへ)

35夜 漫画はどうだ


△△はどうだ。
押し付けがましく下品で、この言い回しは嫌いじゃない。

このあいだから本屋で妙に気になっていた平積みの漫画、「万福児」。
これがどんな内容なのか、前もっての情報はない。
今日もまだ積んであって、表紙の豚饅頭のような幼児の細い目が、
どう角度を変えてもわたしを見るので買ってしまった。

万福寺の子供。だから万福児。
本の中に入ることができたなら、きっと頭を『くらすけて』いるだろうガキ。
くらすける、というのは方言でぱこんとどつくことだ。父に教わった。
今なら、ぼこるとでもいう意味だろうか。

妙に可笑しな漫画だった。
・・漫画は嫌い?

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牛も内緒話をするんだろうか。見ている。(漫画とは関係のないお写真なのだけれど)

追って・・・
漫画が嫌いじゃない人はこちら
 万福児
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by NOONE-sei | 2006-06-08 01:30 | 趣味の書庫話(→タグへ)

33夜 耳よりなおはなし 弐


33夜は、耳夜のおはなし、だから耳よりなおはなし。
復刊ドットコムで知りました。
なつかしい感じのするです。

-西- 岡- 兄- 妹

本はこちらから見ることができます。
book shopカタログ目次→西岡兄妹→各本の表紙をクリック→すると本文の紹介も。

ところで、ほかにもギャラリーのカタログ目次はどれも素敵本だけれど、
トレヴィルの本の「バロック・アナトミア」をクリックした時にはちょっと困りました。
からだ=未知なる小宇宙「人体の不思議展」という
大掛かりに宣伝しているプラストミック人体標本展があちこちで開催されているのですが、
わたしはそれが怖くて観られない。JRみどりの窓口にもリーフレットが置いてあるのですけど、
どうしてもそれに触(さわ)れない。指先でつまみあげて内容を読みました。
それを思い出してしまったのです。
だからね、うっかりしてわたしのように固まってしまうことがないように、
どれをクリックするかしないかは、自分で考えてから決めてね。

ギャラリーのトップページ
百夜話 33夜 耳よりなおはなし
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by NOONE-sei | 2006-06-01 12:13 | 趣味の書庫話(→タグへ)

50夜 折り返しの頁


貢(みつ)ぐじゃなくて頁(ページ)。
似て異なるもの、鼠と栗鼠(リス)、蜥蜴と蛇。

「動物のお医者さん」という漫画の登場人物は皆、無表情でおかしな人間ばかり。
そのうちの獣医学生のひとりが、どうにも苦手な鼠を鼠じゃないと自分に暗示をかけるために、
鼠の写真の載っているところに注釈をつける場面がある。

 『ワタシはリス。しっぽを剃られたの』 ・・でもほんとは鼠。

詭弁だか欺瞞だか、なにしろそのネガティブなすり替えを責められるのが面白かった。

数日前のこと。
駐車場から車を出したら、道路に寝ていた。いや、すでに永久に寝ていた、干からびて。
初めはわからなかった。・・いや、本当は目ざとく見つけ、すぐに勘がはたらいた。
普段はぼんやりのわたしでも、アレだけはわかる。
あの、『足の無いトカゲ』 ・・でもほんとはアレ。

この頃、よく窓の網戸に現われるカマキリで遊んだから、バチがあたったんだろうか?
それ以外に悪い事は、近頃はした記憶がない。
家の中に入ってきたイナゴだって、仮面ライダーだと言ってすこし遊んだけれど、
写真も44夜に載せたけれど、ちゃんと外に逃がした。
なんでこんな目に遭うかなぁ。

嫌なものは見ないに限る。
だから家の図鑑や百科事典のアレが載っている頁は、折り返しておく。
けれども塾にあるものは、頁を折ってしまうわけにはいかない。

小粒がまだ小学生のちいさいさんだったころ、魚や鳥をみんなで調べたことがあった。
アレの頁がわたしはさわれない。
本当なら頁を菜箸でつまんでめくり、直接には手を触れたくない。
 仕方がないので、頁と頁で挟(はさ)んでセロテープを貼り、開かないようにした。
それ以来、しばらくの間、わたしは事あるごとに小粒たちにそれで脅された。
小粒たち男子は、中学生になっても思い出すらしい。
執念深いのはアレとおんなじじゃないか?
塾に蚊が飛んでいると、潰してやるのはわたしだろう?

今夜は50夜。
百夜話の半分、折り返し、ということで。
しかし、なにが悲しゅうて、目出度い折り返しに蛇のお話を書くかなぁ、、、。
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by NOONE-sei | 2005-09-21 01:53 | 新百夜話 本日の塾(12)