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57夜 百花の書庫まつり


遠くに見える吾妻山の雪がずいぶんと融け、
白くくっきりと跳ねていた種蒔きうさぎの、耳が短くなってきた。
安達太良はあと数日で山開き、
山に雪はあるけれど、装備がしっかりしていれば登れるくらいには融けた。

この地の桜はおしまい、山桜が薄い桜色でぽつぽつと山に見える。
とうに花桃はおしまい、実のなる桃の花選りも終えた。
綿羊ロードの果樹畑には林檎の花が咲いている。

先日入った川沿いの露天風呂には冬眠から覚めた「『長いもの』が寝そべっており、
山もすでに春になった。
川べりに『長すぎるもの』がいるのは、考えてみれば当たり前で、
よく岩の上で寝そべっているのだから考えなくてもわかるはずのことだった。
風呂そうじのおばさんが棒を持って退治にきてくれて、
「風呂に入ってたべか?」
「いやいや、風呂のぐるりの木の廊下に。」
「何色してたべナイ?」
「いやいや、これこれこんな形状で(ほんとは言いたくない)」
「んじゃ、かかってこね(こない)。マムシでねぇから。
 ひなたぼっこしてたんだべー。」
「昼寝?」
「いや、ひなたぼっこだぁ。もういねぐなったから、もういっぺん風呂入んなさい。」
「いや、その・・(ぜったいに露天はもういやだ)
 内風呂に入りますから、はは。」
『あれ』も目覚める頃。寒いからとたかをくくっていたわたしが大馬鹿。

山は根雪が残っていてこれからが春。
ひと山越えれば猪苗代、まだこれから桜が見られる。
日曜日に、桜好きの母を連れて行ったが今年の冬は長くて明けていなかった。
この地はすでにハナミズキ、かの地は桜がまだつぼみ。



今夜のお写真は、かの地の雪と、この地が百花繚乱だったとき。



■雪
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猪苗代付近から見る磐梯山。
手前に写るのがまだつぼみの桜。


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山越え途中の鬼面山。


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鬼面山と白樺。


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ブナと白樺。風雪で曲がっている。
樹木はとても人体に似ていると、山に行くといつも思う。ダンスをしているようだ。





■花
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桜と菜の花。


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花桃と菜の花。


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花桃とコブシ。それともモクレン?


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花桃と連翹。


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花桃の山。






□おまけ
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一輪草だろうか?





□おまけのおまけ
冬から春の初めに読んだ漫画群。
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「ワンピース」は映画を観たので非売品の「ワンピース零(ゼロ巻)」をもらった。

一條裕子とよしながふみはなんだか読後感が似ている。
切なさをざっくりと腑分けして、感傷をソテーしてしまって、魔法のような旨い料理に変えて
ぱくりと食べてしまうようなおそろしさ。

鶴田謙二は面白いと思うし絵も上手いんだが、星野之宣と共通していて女性像が画一的な気がする。
彼らの妄想の中の、この世にはもういない女性像だと思うしかない。

ガンガンは「鋼の錬金術師」の読者プレゼントが欲しかったから。

「present of me」は表題作がいちばんよかった。

吉田秋生は、読み手が言葉にできないで抱えているものをざっくりと切って言葉に置きなおしてくれる。

小田ひで次は面白いところもあるんだが、もっと作家の自我や情緒を抑えて欲しい。

「くらしのいずみ」、こんな漫画を淡々と描いていってもらいたいと思う。

いわずもがな「獣の奏者」、漫画が完結したら小説も読んでみよう。

「観用少女」、こういう作品をわたしは少女漫画と呼びたい。
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by NOONE-sei | 2010-05-05 03:03 | 書庫まつり(12)

数のない夜 砂糖と塩


菓子にも料理にも使える野菜ってなんだろう。
わたしはかぼちゃが初めに浮かぶのだけれど。
塩気のものは、そぼろ煮、ほうとう、コロッケ、サラダ、ポタージュ、
甘味のものはプディング、ケーキ、パン、 ・・ほかにはなんだ?

つい先週に桜が満開だった。
今は鑑賞用の花桃は終わって食べるための桃が満開、
花選り(はなすぐり)に果樹農家は精を出し、
同時に田んぼを整え田植えに備えて水を入れ始めている。

それにしてもいつまでも寒い。火のつくストーヴがちょくちょく活躍する。
季節はもう煮込み料理ではないのに、まだトマト入りのポトフなんか作っている。
このまえはかぼちゃを煮たが、さて菓子にするか料理にするか迷った。

結局、両方にした。
塩気のものは、グリンピースとシーザーサラダドレッシングで和え、
パルメザンチーズを振りかけたサラダ。
甘味のものは、そのままでジャムとアイスクリームを載せただけの簡単スイーツ。
ほんとうに簡単、菓子の作れないわたしにぴったりだ。
デコレーションするだけ、そのままのかぼちゃが美味しい。



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今夜は砂糖と塩のお話。
それには訳(わけ)がある。
だから、花々のお写真は次の夜に。

訳とは
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by NOONE-sei | 2010-04-30 03:41 | 数のない夜(23)

48夜 にせちち


十年以上ぶりに会った男ともだちが、
同級生がやっている店に連れて行ってくれて飲んだ。
案内してくれたのはたまに行っていた店なので驚いた。
つまりその日は小さな同窓会、
店主が同級生だとは、それまで互いに気づかなかったというわけ。
「馬鹿でごめんねー。」と詫びたら酒が進んだ。

小さな店にはひとりで飲みに来た年上の女性もいて、
店の女の子に「それ、にせちち?」と聞いたのが妙に可笑しかった。
聞くほうも答えるほうも、大真面目でそれはそれで可笑しかったんだが、
胸を触ればわかるものなのか見ればわかるのか、
わたしはすっかり飲んでいたので、そこが最後までわからなかった。

したたか飲んで、今読んでいる漫画の話をしたのが記憶にある。
今わたしは五十嵐大介の作品を読んでいる。
初めは絵が受け入れ難かったことを ブルーチーズになぞらえよう。
匂いが嫌だが味は好き、だから鼻をつまんで食えるようになる練習をした。
そうまで貪欲に食いたい物か、ブルーチーズ。
いや、ヤギのチーズだってどうしても食いたい物だった。
五十嵐作品って、わたしにとってそういう漫画だ。

官能がなくはないが器官のほうが色濃い。
浮世に暮らしても浮き草じゃない。
にせちちでも、描ききったものは本当になる、そんな感じ。

男ともだちはほどのいい馬鹿な話に花を咲かせてくれ、
五十嵐大介も知ってはおり、漫画の話なぞほんの少しだったが十分楽しんだ。
でも今度また会うときには、作品を数冊、恰幅(かっぷく)のよくなった胸に押し付けてやろう。
わたしの記憶の男ともだちは今より三分の二の骨組みだったはずだ。
・・いや、ひとのことは言えない。



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食えない漫画だけど食いごたえのある作品群の中で、特に食い物にそそられるのは「リトルフォレスト」。
作家は実際に山村に生活しながら日々の暮らしを漫画にするのだが、
最後まで主人公を架空の女性で描ききったことに拍手。
主人公が大きな口で食べるのがあんまり旨そうだったので、
描かれているレシピどおりに作ってみたものもある。

もうひとつ、作ってみたい料理のこと。
スウェーデンの伝統料理『ヤンソンの誘惑(Jansson's temptation)』が、
「女の子の食卓 6」(志村志保子)に載っている。
レシピを載せようと思ったけれど、なにしろ『誘惑』だもの、
ちょっとどきどきしながら検索してみるといい。くすくす
わたしはもうアンチョビを用意した。
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by noone-sei | 2010-03-13 03:30 | 趣味の書庫話(→タグへ)

40夜 ひとり


 ・メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい


ひとりの時間が苦しい時と、ひとりの時間がなきゃいけない時ってないか?
過去の事象に囚われると身動きがとれずひとりの時間が苦しいけれど、
再生へのプログラムを発動させる糸口が見つけられるとひとりの時間が必要になる。

時間が薬というのは正しい。
けれども時間をどう使うかで薬の効き目はちがってくる。
思考を痺(しび)れさせて捨て置くこともあろうが、飾りなく思考して向き合うという方法もある。

喪失というのは、別れだ。
この「別れ」という言葉はとても大切で、「別れ」をきちんと認めて初めていろいろなものが動き出すように思う。
動物の親と子の別れ、人間の親と子の別れ、人の別れ、男女の別れ。
父との別れは、むしりとられるような別れだった。
鰐号とのへその緒を切ってやる時には、動物の本能のような感触があった。
人や男女の別れは、濃密な関係であればあるほど破綻は苦しい。
どのような「別れ」であれ、それを認めるところから「別れを弔う」ことが始まり「再生」が動き出す。
再生には、ふたたびという文字があるけれど、脳細胞が再生するようなふたたびのやり直しではない。

これまでわたしは、どこにあるのかわからない心というものの単なる器として「脳」という語句を使った。
電気的な刺激で点滅するだけの入れ物じゃないかと皮肉な使い方をしてきた。けれど、それはもうやめよう。
これまでの嘲(あざけ)るような使い方は、自分を嫌ったり大切に思えない心情の反映だったから。
脳は、思考する脳だ。

ひとりの時間、「思考」してさまざまな「別れ」をして、今「弔い」をしている。
「再生」が始まるのはこの弔いを終えてから。




今夜のお写真は書庫。同じものが二度写っているのは、ぼぉっとしているやつなので勘弁。
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夏から秋への書庫。
「天顕祭」(白井弓子)は重厚だった。「苺田さんの話」(小沢真理)は面白かった。
「越後屋小判」(奈知未佐子)は切ない話。遠藤淑子には男女ペアの話をもっと描いてもらいたい。


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秋から冬への書庫。
荒木飛呂彦は懐かしかった。「乙嫁語り」(森 薫)は描き込みが楽しい。
「魔女」(五十嵐大介)は深い。「ひみつの階段」(紺野キタ)は丁寧な気持ちで読んだ。
・・と、いままでになく感想も書いてみた。

ところで知ったこと。
花郁悠紀子と波津彬子は姉妹、森薫と荒川弘は女性作家。
「鋼の錬金術師」も「D.Gray-man」も「家庭教師ヒットマンREBORN!」も女性作家のだったとは。びっくりだ。


追って:
いつもここに積むのは漫画であって本ではありません・・ 本はほとんど読まないのです・・

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by noone-sei | 2010-01-17 03:10

14夜 献身


死んでも生きている 死んでも死んでも終わりがない世界
という文を友人のところで読んでどきりとした。

昔、好きでときどき通っていた銭湯に、どきりとするポスターが貼ってあり、
それを見るたびになんともいえない気持ちになった。
「リボンのない贈り物、献体」
相撲取りの全身が載っていた。
周囲に、献体の意思表示と手続きをしている人は幾人かおり、実際に舅をそのように見送った人もおり、
友人の医者から医学生時代の実習や都市伝説を聞いたこともあった。

以前「カテゴリ~趣味の書庫話」で少し触れたけれども、「水の時計」(初野 晴)について。
事故に遭って脳死しているはずの少女が、自分の意志で身体の一部ずつを分け与えてゆく。
ときどきしか本を読まないわたしには精神的な痛みに同調しないための抗体が不足していて、
読んだことを後悔しながら痛くてたまらなかった。
ことに、脳死でありながら生かされている身体が初潮を迎え、開かない眼から涙が流れる描写は切なかった。
昇華される読後感ではなく、いつまでも胸にくすぶった。
「水の時計」は、「幸福の王子」(オスカー・ワイルド)を底本に書かれたミステリーなのだが、
わたしには寓話に思える。そういう意味では、「みどりの指」(モーリス・ドリュオン)もおなじ匂いを持つ。

前知識なく、題名に惹かれ図書館で手に取った「密やかな結晶」(小川洋子)について。
体のどこかが欠損してゆく過程に目をやり、静かに見つめるのはこの作家の特徴だろうか。
漫画「22XX」(清水玲子)も胸が痛む読後感だった。

 (これから読む予定の人はこの先を読まないほうがいい)

一方は食欲をプログラムされたが食という行為を厭う人型ロボット。
もう一方は夫を食べた母親から生まれ、自らも母親を食べ、
いつかは自分も子どもにそのようにして能力や命を継がせることを誇らしく考える惑星の種族の少女。
食という行為は神聖で、食事の前には長く深く祈りを捧げる。
狩りで獲物を得る種族にとって肉体の欠損は命取りであるのに、
彼女は危険な目に遭って動けないロボットをロボットと知らずに自分の一部を分け与える。
けれどもロボットはどうしてもそれを食べることができず、後に食欲のプログラムを外す。
そして、なにも食さずともいられる今になって過去に食べたかったものを思うとき、
それはたったひとつ、あのとき彼女から与えられたものだった。



ところで話は変わるが、
生まれ変わることのないよう、天の人によく頼んであるので、わたしには生まれ変わる予定はないんだが、
矛盾するようだがもしもそのようなことになったなら、
わたしは看護士になりたいと思っている。





友人のところ
百夜話 22夜 神さまからの贈り物 (「密やかな結晶」のこと)
追って:
本の題名を間違えたので訂正しました。夜中に書いた夜話なので、頭に木瓜の花(ぼけのはな)が咲いていました。
 正 「水の時計」
 誤 「青の時間」



今夜は晩冬から早春にかけて読んだ活字、読むつもりの活字を積もう。
ほとんどの活字は言うまでもなく漫画。
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上から五冊目「遠藤浩輝18」というのは帯で隠れてしまった「EDEN」の最終巻。
十年以上の連載だったとか。

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このお写真は
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この地のレッドデータで準絶滅危惧種に指定されている高山植物、シラネアオイ。
盗掘などで少しずつ持っていかれて減ってしまった。
花は、身を与えようなどという意思さえ持たず、ただ咲くだけで献身なのかもしれないのに。
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by NOONE-sei | 2009-05-14 03:02 | 趣味の書庫話(→タグへ)

97夜 明けても暮れても


いや、暮れたら明ける、のまちがいだろう?

今夜は暮れの三十日、わが家はまだ喪に服していて「歳とり」をしないから、
家族みなでゆるやかに静かに過ごしたかった。
じいじを失った鰐号めは、相も変わらず太陽でわたしを惑星にするのでそれもままならない。

はたちを過ぎたとは信じがたい日々の言動に血が逆流して、久々の乱闘になった。
鰐号は、引っ張られた耳は痛かろうが、人の気持ちを思えという言葉に耳は痛くない。
わたしは咳をすると鎖骨にひびく。
『咳をしてもひとり』は、尾崎 放哉(おざき ほうさい)だったか?
そのようなよるべない孤独の極みを知れとは言わないが、
男の子なら、そろそろ「ひとり」を知ってもいい頃だ。

男の子は早いうちに一人暮らしを経験するべきだ、と思っている。
一人になったことがない人をどうこうは思わないけれども、
地方にあって長男で家から出たことのない男性に、
ちょと惜しいな、と思うなにかを感じることはよくある。
とりわけ鰐号のような「なに様」ぶりの著しい者には必須じゃないかと思う。

幾度か促してきたのだが、うやむやになってしまうのは、
必要性を感じていないからだろう。
けれども、この乱闘で嫌な思いを引き金にして不承不承(ふしょうぶしょう)、出ざるを得ない、
それでもいいんじゃないかと思う。
暮れても明けても安穏と家がある、というわけにはいかない。

ところで、母 西太后から、そろそろ西太后の称号を外してやろうかと思っている。
父は理のある篤いひとだったが、母を大人にしないでしまった。
父が亡くなって、わたしが父の代わりになっていたが、
ちかごろようやく、変化がみえはじめている。
泣いて訴えたこともあったし、耐えたこともあったし、
それでも母というひとは変われないと思っていたら、そうではなかった。

ひとは、いくつになっても大人になれるものなのだな。
鰐号も、明けても暮れてもではいられないだろう?




今夜は冬の書庫。ほとんど漫画ばっかし。


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あれぇ?
古い漫画を重複して撮っている。 ・・ぼんやりだなぁ、まぁいいか。
あれぇ?
文字が読めない本がある。 ・・ボルヘスの「伝奇集」とサキ傑作集の文庫だ。
でもまだ読んでいないから、これもまた ・・まぁいいか。



カテゴリをすこし整理しました
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by NOONE-sei | 2008-12-30 03:07 | 趣味の書庫話(→タグへ)

83夜 春までの書庫


秋から冬、冬から春、今では山は新緑で、先日登った山では
ウグイスが美しく鳴き交わしていた。
今朝はカッコウの声を聴き、夕方には田んぼでカエルが合唱をしていた。

憂いの中にあるような、けだるい気分で日々を過ごしていたら、
撮りっぱなしのお写真の整理が進まないまま増えてしまった。
カメラが替わったので手に馴染ませるようにちょこちょこと撮り始めたら、
あっという間にたくさん撮っていて驚いた。
映画も観たし、音楽も毎日部屋に流しているし、漫画も読んだ。
お写真だけがまだ勘がつかめないのか鈍いのか、かちっと決められない。
それらは、ゆるゆるとまた今度の夜に。

今夜は読んだ漫画を。
このところのわたしの選書は、開拓者のようだ。
これまで縁の無かったようなものをことさら選んでいる感がある。
夢中になって読むと、その日いちにち、頭の中の半分が別の世界に引っ張られている。

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これらの三分の一は、古本屋に処分する。
娯楽を傍(かたわ)らに置かずにいられないのに、
いつのころからか、コレクションの趣味が希薄になった。
脳に記憶しておく自信のないものだけを とり置くようにしている。

娯楽といえば、初めて買ったものというのは記憶に刻まれる。
自分のこずかいで、初めて買ったクラッシックはなんだっただろう。  ・・「ボレロ」だ。
ジャズは、なかなか思い出せない。  ・・「ポートレイト・イン・ジャズ」だった。
どちらも、好きだとか詳しいとかではなく、ジャケットで引いたように思う。
これが当たりなのかはずれなのかは、よくわからないけれども。

このあいだ古本屋に手塚治虫の文庫をたくさん持って行った。
ほとんど好きではなかった。
手元に「W3」と「どろろ」だけを残そうと思ったら、鰐号に
「ノーマン」と「マグマ大使」も残すように言われた。
ふうん、 ・・鰐号、手塚漫画も読んでいたとは。


当時、鰐号は
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by NOONE-sei | 2008-05-17 02:09 | 趣味の書庫話(→タグへ)

67夜 伊達巻き


今夜を写真保管庫にするか67夜にするか、迷った。
迷って決めかねたのだけれど、きまりがつかないまま、またゆるゆるとお話を始めようと思う。

「女の子の食卓」(志村志保子)という漫画がある。
よく訪問するウェブログで教わって以来、大切に読んでいる。
教わらなかったらきっときっと出会うことのない作品だったと思う。

父の病が痛くて、映画も漫画も遠ざかってしまった。
いつだって美しい娯楽をかたわらに置かなくてはいられなかったはずなのに、一変してしまった。
絵空事が虚(むな)しいとかくだらなく感じるとか、そういうことではなく、
娯楽がわたしを呼ばず、わたしの眼は見えず耳は聴こえないというような。

それが少しずつ開いてきた。
寝る前に一編だけ読もうか、という気持ちになって手にしたのが「女の子の食卓」だった。
静かでなにげない挿話が幾つか描かれて一冊の本になっている。
珠玉という言葉があるけれど、ほんとうにそのとおり、ちいさな光を放つ。

挿話のひとつに、ふたりっきりで生きてきた兄妹のお話があって、
兄が結婚してひとりになった妹が、けなげにがんばろうとする。
義姉は華やかで料理上手で、妹に「○○ちゃんてーあんまり料理できないのねー、
そんなに地味なのに料理できなかったらどうやって男つかまえるの?」などと言う。
新婚家庭の邪魔をしないよう気遣う妹は、義姉からおせち料理を手伝ってと誘われる。
買い忘れたというはんぺんのおつかいに行って、妹はふと「はんぺんなんておせちに使ったっけ?
こんなの本当に要るのかな。別になくたって。別に 私 いなくたって。」と思う。
そっと帰ってしまおうとしたら、義姉が、「ほんとに使うのに!勝手に要らないなんて決めないでよ!」と怒る。
妹が自分を 要らない存在邪魔な存在とひとり決めしたことに対して悲しんでいたのだ。

わが家のおせち、今年は煮しめを作る時間が持てなかったら本家が届けてくれた。
お重は王様が、駅裏の台湾料理屋に注文してくれた。
年末は忙しいだろうから犬を預かろうか、と犬友達が申し出てくれ、
さみしいからときどき近況を知らせてと言ったら、ちょこちょこと友人がメールをくれた。
そんな、なにかあたたかいつっかえ棒があちこちから伸びてきて、
66夜の年始の挨拶にはコメントまでいただける。
さみしがりやのわたしがさみしがらずに、ひとりじゃなかった幸せを思う。

はんぺんを材料に使うおせちがあると知ったのはお正月の少し前に「女の子の食卓」を読んだから。
卵とはんぺんと砂糖をミキサーで混ぜて焼いたら、伊達巻きのできあがり。
王様と鰐号が大好きなおせちだ。



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何年も前に撮ったお写真のこの女の子、
今ではすっかりお姉さんになっているかな。
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by NOONE-sei | 2008-01-07 03:10 | 趣味の書庫話(→タグへ)

53夜 年の功 積の候


・・ほんとうは積(せき)の候などという語句はない。
誕生日に山ほど漫画を買ったと言ったら、その積んだ高さが歳の嵩(かさ)だそうなので、
それならばと漫画のお話。

紙類には微小な虫が付く。本の類は重くて地震が起きたら怪我をする。
本類を家の外にと西太后に命じられ、泣く泣く物置に入れた。
書庫と呼びはするが、木造の物置は砂埃(すなぼこり)が入りいちいちハタキをかけないといけない。
いつか少しずつ部屋に運び込もうと思っていたら、物置の辺りで尻尾を見た。
・・とかげ?
父に言うと、笑って、外だからとかげもいるだろうと言う。
物置の床下に潜り込んだと言うと、涼しいから隠れるのにちょうどだ、あいつらは歯がないから
ちっとも恐いことはない、と笑う。
去年の盆に逝った猫は蛇もとかげも獲ったから、とかげを住まわせるようなことはなかった。
歯がなくとも、床板一枚の差でとかげの上にある本って、恐くないか?

とりあえず、漫画を救出しよう。
寝る前にちびちび読む楽しみをこのごろ覚えたものだから、いちいち物置に置くよりも
寝る部屋のそばに置きたい。
寝る前に諸星大二郎は目が疲れそうな絵だ。
ゆうきまさみの「パトレイバー」は、熟読してやめられなくなりそうだ。
皆川亮二の「スプリガン」も、終わりまで読んでしまうかもしれない。
浦沢直樹の「パイナップルアーミー」がちょうどいいかな。
壮大な宇宙物のころは楽しかったけれど、星野之宣は女性を画一的に描くからもう結構だ。

そういえば、いつか観たテレビで、サディスティック・ミカエラ・バンドのボーカルが
課長島なんとかという漫画が楽しいと言っていた。
ありえない女の人ばかりが登場するから、男の人の思い描く女性像の妄想を見ているようで面白いと。
作者は柴門ふみの夫だったか。わたしは柴門ふみもかなり苦手だ。

女性作家の描く、ここではないどこかが舞台の漫画はおもしろい。
24年組・ポスト24年組という名で括(くく)られる作家たちがいることをつい最近知った。
その中の幾人かの、ごくいくつかの作品は、思い出したように読むことがある。
団塊世代頃の女性たちなのだとか。団塊世代の男性たちは、癖が強くて苦手だけれども。

聡明な女性たちが生んだ物語に登場する者の、とりわけ女の子も女の人も、
ちゃんと自分の肺で物語を呼吸しているような気がする。
幼い頃、物語を読んで育ったわたしは、大きくなった今ほとんど本を読まなくなったが、
今でも漫画の中に物語を探している。



24年組
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歳の嵩で崩れそうだなどと言ってはいけない。くすくす

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最近復刊した漫画を取り寄せたら、サイン本だった。ちょと嬉しい。

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おまけ 秋の味覚。
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十月は里芋・あけび・鮭の腹子飯。小芋もよいけれど、お写真の里芋の親芋もいい。
あけびには肉味噌を詰めて揚げ、腹子は湯をかけほぐして酒・醤油に漬ける。
焼いた鮭と昆布で飯を炊き、食べるときにざっくり混ぜ、茶碗に盛ったらたっぷり腹子をかける。
白子は天ぷらか、アンチョビとニンニクでバターソテー。

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先日のムーミンの料理本を参考に煮た洋梨の名を知った。
マルグリット・マリーヤー、なんだか気高そうな名だと思わないか?
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by NOONE-sei | 2007-10-11 01:08 | 趣味の書庫話(→タグへ)

52夜 紅い花


「セイ、そういうときには、『耳がいたいです、せつないです』っていうんだよ。」
あるとき、うまく言葉が出て来ずに言いよどんでしまったわたしに、女友達が助け舟を出してくれた。
彼女は手で耳を塞ぐ真似をしてみせた。
小柄な彼女はおしゃれさんなので、後にその台詞がガロに掲載された「紅い花」(つげ義春)に
登場する女の子のものだったと知って、なんだか似つかわしくない気がした。
男漫画、女漫画と分けるとしたら、つげを読む女性は少ない。

「紅い花」は、まだ大人になりきっていない男の子と女の子の挿話で、不器用で恋と呼ぶには幼い、
格好をつけるにもまださまにならない、読む者が大人になっていたならいた分だけ切なさが増すような、
そんな物語だったと思う。
わたしが初めて読んだのは大人になりきる前のことだったから、情感を胸に入れるには至らなかった。
ただ最後に、男の子が女の子をおぶって山を下りる野辺に一面、紅い花が咲く情景だけを憶えている。

父の検査入院が決まり、母西太后の精神は不安定になっている。
悪いほうに物事を捉えて疑心暗鬼になってゆくのを
わたしは「大丈夫だから」という決まり文句で支えるしかない。
それは今までもそうで、これからも変わることはないのだが、骨が折れることにはちがいない。
紅い花は少女から大人になる女だけでなく、猜疑の沼のほとりを歩く老女の足元にも咲く。

鰐号の何様ぶりが増すと、父が入院して歯止めをかけるのが不思議な符号になって久しい。
ちかごろの鰐号は、急に世界が開けて大人になった気分と現実の未熟な精神とで均衡が崩れている。
相手を思うより、自分の精神の安全を一義とする西太后と鰐号、
慎重なのではなく臆病で脆弱(ぜいじゃく)なところがなぜかよく似ている。
仏の顔も三度までというが、仏様より人間が出来ているから四度目に怒ると自分をうそぶく王様が、
今朝、鰐号がわたしを言葉で四度傷つけたのを見てわたしをかばった。
王様が出勤してもなお、悔しくてわたしをなじる鰐号に抗う言葉がなくて、わたしも悔しくて鰐号を蹴った。
手で耳を塞げばよかった。
成人にはまだ遠い獣の道にも、紅い花が咲く。

近くの田んぼの用水路沿いに、何百メートルも彼岸花が咲いている。
わたしの野辺に咲くのは赤い花?それとも紅い花?



用水路の両脇に続く彼岸花
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                            * *
赤いものをいろいろ
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彼岸花

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赤まんま

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水引き

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唐辛子

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赤いものばかりじゃ目が疲れるから緑を
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畑で育っている葉もの。左上から時計回りにルッコラ・小松菜(だと思うんだけど)・香菜(シャンツァイでもパクチーでもコリアンダーでもいいんだけど)・三つ葉。

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白くなる予定のものを
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上はこれから大きくなって白菜になる予定。下は大根になる予定。
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by NOONE-sei | 2007-10-05 23:52 | 趣味の書庫話(→タグへ)