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32夜 すこしずつ


山の紅葉が下界に下りてきた。
ちいさな断片を書き記したメモも、
夏から秋へのお写真も、
たくさん貯まってしまった。

ひとりの時間がなかなかとれなくて、
暮らしのリズムがなかなか軌道に乗らなくて、
泣いたり安堵したり、そんなふうに日々を送りながら
でも懸命に暮らしているよ。

越し方行く末という言葉があるけれど、
そんな長い時間の流れの中でなく、
ちょっと歩いて振り向いて、またちょっと歩いて軌道修正を試みて、
そんなふうにすこしずつ書いてゆこうと思う。

311の後に書いた言葉、
あさってのことはわからない、でも明日のことならわかるような気がする。
この地は放射線量が高くなってきていて、県外に出て行った子どもが多くなった。
校庭や公園の土を掘り返したので、来年はセミが土から出てこないだろうと思う。
素晴らしく美味かった桃はその多くが捨てられ、
刈り取った米も行き場に苦しんでいる。
林檎畑に真っ赤な実がたわわ、その行く末を考えるのはやめる。
土の苦しみ、生き物の苦しみ、ひとの苦しみ、暮らしの苦しみ、
この地はそれでも循環してゆくんだ。




今夜のお写真は、七月の田舎の温泉を。



□裏磐梯
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磐梯山と五色沼、美しいなぁ。




□猪苗代町
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映画のロケに使われる清冽な水の滝、達沢不動滝。




□田舎の温泉
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露天風呂


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温泉成分がたいそう強いのでこんな貼り紙が。読める?



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鉄色の湯




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館主はランニング一丁。
田舎の温泉には飯館村からの避難者がいたけれど暗くない。こんな犬が宿の中を散歩していた。





・母はとても落ち着いています。自分の身に起こった変化にうろたえて不安がることが少なくなりました。
あんまり穏やかで優しいと、マリーアントワネットと陰で仇名で呼んで憂さを晴らすことができません。
体調がいい時にはマリーアントワネットになります。
わがままさと優しさの天秤がうまく釣り合ってくれたらいいのですけれど。

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by noone-sei | 2011-10-31 11:50

31夜 いま起きていること

 
メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい

田舎では「自分の」のことを「我が」と言うことがあって、
母が父の看病を投げ出したときに本家筋からは「我が旦那だべに」という声が聞こえた。
今度は、現在、その母が急変しひとりぼっちでわたしは対応に追われている。
親類縁者というものは日々の現実は知らない。
知らないけれども「我が親だからナイ。頼むよ。」当たり前のことだからと何度も言われた。

文字通りの親と子、だから当たり前なんだろうか。
産んだから親なんじゃなくて、認識し続けたから親と子なんじゃないんだろうか。
その関係をうまく作れなくてきたわたしと母は、
今、親と子というよりは保護する者とされる者という形で成り立っている。

認知の問題は、緩慢に進む人もいれば、母のように堰を切ったように表出する人もいる。
母は自分に起こっている急速な変化に不安の中で認識があって、
そのことをいたましいと思い、わたしは母を寝かしつけてから毎晩泣く。

この涙が一体なんなのかがわからずに、
ずっとウェブログに文字を綴ることができずにきた。
・・これは悲しみというよりは、憐憫なんだと今日気づいた。




□九月初めはリンドウの季節
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山野草を供する料理屋で添えられていた花。母に生けてもらった。



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吾妻山に連れて行った。高原の花々。



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湿原のリンドウ。



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温泉のつり橋。
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by NOONE-sei | 2011-09-25 01:18

30夜 夏雨前線


秋雨前線(あきさめぜんせん)には注意するように、と、獣医に言われている。
シワ コ は脳梗塞の病歴があるので、気圧の変動が頭に影響を与えるんだという。
秋雨前線は九月から十月の頃。
シワ コ は普段から、秋に限らず雨の前にはそわそわして外に出たがらなくなる。

この夏の雨は人にも厳しかった。
暑さも厳しかった。過酷な自然界は、ずいぶんと試練を与えて、
生きるもの達すべてが文字通り試され続けていたように思う。

311のもたらし続ける数々の容赦のなさや、雨のもたらした追い討ちや、
忘れるな、と、津波警報さえ伴った大きな余震や、耐え難い気候に、
この地の者たちは皆で長期にわたり鬱(うつ)になっていると聞いた。
先日の二時半の余震では久々にラジオで定型句の津波警報を聞いて、
電気も電話も繋がらない311のあの時に「三時三十分に津波が到達する予定です。」と
繰り返し伝えるアナウンサーが、定型以外の台詞「もう来ているかもしれません!」
そう言った時の、奇妙な感覚を思い出した。

試練に振り落とされた者には容赦ない仕打ちがあって、
母の認知力に明らかな問題が急速に表われてきた。
その急激な変化に強く傷つけられ、そのときはまだ認知の問題とは知らずに
わたしは発狂しそうになりながら盆の迎え火を焚いた。
口から言葉という形を持つものが出なくなって、音という声しかなくなったら、
シワ コ が餌を食わなくなった。

そうだった、シワ コ はわたしの体と連動する犬だった。
ちっとも傍に寄って来ず、触ればあさってのほうを見る犬なのに、
体でわたしに反応する犬だったことを、ちかごろすっかり忘れて油断した。
シワ コ に気づかされて、母の変化への手当てをどうするか、
気を取り直したら今はいつものシワ コ に戻った。

母の娘であったことを紐解(ひもと)いて、母がわたしの子どもになることを
よくよく考えてゆこうと思ったら、ふとひらめいて、くすりと笑った。
シワ コ はわたしの犬、ペロ コ は王様の犬、そしてテン コ は、、
テン コ は ・・ペロ コ の犬。
今こうして書いている横で、夜にぴかぴかになった猫が箱に頭を突っ込んで、
出られなくなってぎゃおぎゃお泣いている。




お写真は夏の、あり合わせの昼ごはん。
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野菜たっぷりのポテトサラダ、ミネストローネ。


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とうもろこしと紫蘇のチャーハン、たけのこと人参と新タマネギのピクルス、ナス煮、鶏から揚げ甘酢あん、
揚げ小芋に甘味噌をからめて。もずくとトマトのスープ。

そのぎゃおぎゃおは・・
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by noone-sei | 2011-08-27 00:10

2夜 桃雪の節句


今日は桃の節句。

春の桃とは名ばかり、朝から雪が吹き降りて、外のバケツには氷が張った。
公共の水道ではそうはいかないんだが、わが家は地下水なので、
寒い間は一日中、外にある水道の水を細く出しておく。
昔は台所や洗面所の水も、夜はそうしていた。
うっかり栓をきゅっと締めて寝てしまうと、夜に水道管の水が凍ってしまって、
朝には水が出なくなり、昼には解けて激しい勢いで噴出するということがあった。
水道管が破裂することもあるので、寒い夜には水との相談が要った。
古い家では、今でもそうしているのじゃないかな。

畑にいたずら心で植えた蕗が、フキノトウになってたくさん芽を出した。
フキとフキノトウは同じ根のものなのだと、一年を通して見るとやっと分かる。
花のない時期。そう思っていたら、福寿草が咲き始め、
日当たりのいい畦道(あぜみち)には、小さく青い花がびっしりと咲いていた。
やっぱりもう春なのかしら。

今年はついぞ雛飾りを出さずにしまった。
そのかわり、甘酒を飲んで和菓子を食べ、母と茶飲みをした。
週末には、田舎に住むわたしが言うのもなんなんだが、
すばらしく田舎の町の雛祭り、つるし雛を見せに連れて行く。
運転がたいそう不安なんだと女ともだちに言ったら、予行演習をしよう、と、
山坂越えて車を走らせ連れて行ってくれた。
今度は自分で運転してゆけるだろうか。やっぱりたいそう不安だ。

わが家のお雛様は、おでかけはわたしといつも一緒。
こんなふうに濃密に過ごす日々が来ようとは思ってもみなかった。
わたしは母のお内裏様か、父の代わりか。
わたしを言葉で傷つけてきた母を 密かに西太后と呼んでいたけれど、
ちかごろ、ありがとうが言えるようになった母をお雛様と呼ぶ日が来ようとは、
やっぱり思ってもみなかった。


今夜のお写真は、その田舎町で見ためずらかな物たち。


□春のめでたさ
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サンシュユという花。春一番に咲く花なのだって?


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「すあま」だろうか。桃の節句にちなんだ餅菓子。


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つるし雛。稚児の形だろうか。


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まつぼっくりに丹念に布を挟み込む。


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こういう手仕事は、材料で違いが出る。
小さなものでも木綿と絹では光沢が違うので見るとわかる。


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おめでたいから、真っ赤な海老。あんまり写実的なので、思わず漢字で「海老」と書いてしまった。


□めずらかな物
この町では、商店街のおかみさん達が一年かけてつるし雛を作り、
それを節句の時期に店に飾って、商品とともに自由に入って観てもらう。
肉屋、電器屋、スーパーマーケット、皆、店内に飾りがたくさん吊ってある。
ここは荒物屋で、昔のアルミ弁当箱や見たこともないような金物が並んでいた。
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五徳もめずらしいと思うけれども、書いてある文字が読めない。
セリだか市場だかで業者が使う専門用語なのだとか。


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モグラ捕り。うちでは以前に居たコリー犬、クロ コ がモグラを捕まえてくれたっけ。


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イタチ捕り。農家にしてみれば、イタチやハクビシンは害獣だったんだなぁ。
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by noone-sei | 2011-03-04 00:10

85夜 安達太良登山 その壱


安達太良のお写真を次の夜に、と言いながら、すぐに次の夜にはならず、
ずっと遅い次の夜になってしまってごめん。

今年も紅葉の十月半ばに安達太良に登った。
数日前に母と滝に沿って遊歩道を歩いて足慣らしをしておいたので、
始めから終わりまで変わらぬリズムで登れた。

天気は昨年のほうが良く、ときどき山には霞か靄(もや)か、白いものが風に流れる。
緑の松にナナカマドの赤が映え、そして白。
昨年はからりと晴れて風がなく、白は遠くの下界から立ち昇る煙だった。
稲刈りを終えた後、田んぼで藁を焼いている幾筋もの白。

昨年と同じく、もうすこしで頂上というところで、
体力が十分にあるうちに引き返した。
安達太良の頂上はごろごろとした岩場で、それはすぐ目の前だったから、
母は頂上に向かって手を合わせた。
どの山も、頂上には鳥居に神が祀(まつ)ってあるのだろうか。
来年もまた登れるかどうかは来年の神様に聞いてみないとわからない。
だから来年の約束はしなかった。



□昨年の安達太良
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頂上近くより下界を見る。


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下界では田んぼから幾筋も白い煙が。


ところで昨年の安達太良登山、34夜はもうない。
その頃に載せたおはなしはずいぶん虫食いにして、なくしてしまったが、
「赤と白」という文章は捨てられず手元に残っていたので再掲する。




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34夜 赤と白   (再掲)  

赤は山から下(お)りてきて
白は天から降ってくる。

十月の初めから、半ばの十五日までが安達太良の赤の季節だ。
いつも書いているがなお書こう。
裏磐梯はカラマツの金、安達太良は緑に映える赤の山だ。

紅葉(こうよう)もぎりぎりに、今年も安達太良へ行った。
数え切れないほど母が父と登った山に、登らせてやりたかった。
頂上を目指さず、行けるところまで行ってみようと歩いたら、
頂上まであとちょっとというところまで登れた。
体力はまだあったが足場が悪いのでやめた。

これからの季節、赤から白へ、そして緑になるのは野菜。
山は緑から赤へ、そして雪の白になる。

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さて、

□今年の安達太良

■ゴンドラより
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ゴンドラから見える景色。


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ゴンドラから見える緑と黄。


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ゴンドラから見える緑、黄、橙(だいだい)、赤。



■地面
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懸命に歩くと、地面に這えているものに励まされるのに、名前がさっぱりわからない、しくしく。


安達太良のお写真、つづきはまたあした。
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by noone-sei | 2010-11-21 03:40

84夜 のぼりくだり


次の夜に秋の安達太良山を載せよう。
今夜は登山の前に、母を連れて足慣らしをした安達太良遊歩道のお写真を。

わたしには人に自慢したい場所があって、この遊歩道もそのひとつだ。
自慢したい場所って、ある?
ひそかに隠し持っている場所はあっても、いざ自慢したいとなると、
あれこれ考えてしまわないか?
陽気に自慢、ひそかに自慢、おずおずと自慢、どんな自慢で自慢しようか。
思いが上滑りになりそうで、すこし複雑な気持ちになるのではないかな。

遊歩道とはいうけれど、なかなか上り下り(のぼりくだり)は変化があって、
渓流沿いに歩くこの道は滝の中を歩む気分になる。
山ならば道が突然開けた時の開放感ったら格別だけれど、
ここには静謐はあっても陽気な開放感はない。
けれど不思議なことにまた繰り返し行きたくなるんだ。
・・水とは、癖になる場所?



■滝、滝、滝
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みちしるべ


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こんなふうに、滝に沿って木道を歩く。


■秋らしいもの、いろいろ
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どれもこれも足元には美味そうなきのこが。食べちゃいけません。
山に住む人々は、塩で強く漬けて一年ほど寝かせてから茹でると、毒気は抜けるんだと言うが、
それはこわくて真似できない。


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これはどんぐり、きのこじゃありません。


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十月十日くらいの足元の秋。


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父と母はふたりでこの注意書きに気をつけながら縦走したけれど、
母とわたしは登れるところまででゆとりを残して下りてくる。
この足慣らしをして、次の夜は登山のお写真を。




・案じてくださる方々へ
鰐号は連絡がつかないままサナギになってしまいました
おそらく頭の中まで真っ白なサナギなんだと、認めることに努めているところです
モチベーションを失った人間は停止してしまうものなのですね

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by noone-sei | 2010-11-11 01:32

80夜 せつない話


きっときっとふたりとも、胸にしまっておいてほしいと思う。

母は少女に近い若い頃、関東に働きに出た。
山あいの温泉町で生まれて暮らして学校を卒業したけれども、
一時(いっとき)皆がそうであるように、地元ではなくて都会にあこがれた。
友人と汽車に乗り、上野に着いて乗り換えて、目的の職場に向かう。
頃はちょうど昼時、朝早くにばっぱちゃんが持たせてくれた握り飯がある。
けれども、友人は母よりすこし裕福な家の娘で、昼飯にと金を持たされていた。
どうしても荷物を下ろして握り飯を出すことができなくて、
結局、誰にもわからぬようにそれを捨てた。

・・それはわたしがずいぶん大きくなってから聞いた昔話。


鰐号とはあれ以来、会っていない。
顔を合わせない時に自分の部屋に来ている。
わたしが留守で母がおり、頃はちょうど昼時、わたしのほうの茶の間にいた鰐号に、
母が飯と煮魚とおひたしを運んでくれた。
夕方にわたしが帰り、夕食の支度を始めたら、ごみ入れにおかずが捨ててあって
鰐号が来ていたことを知った。
飯はなにか好きなおかずで食っていった様子、わたしはごみ入れから魚とおひたしを
汚さぬようにそっと取り出しその晩食った。
その魚は、料理の不得手な母が前の晩、煮方をわたしに教わって作ったもの。

・・鰐号は自分でどのようにも腹ごしらえができるはずだから、
もうわざわざ茶の間に飯を運ばなくてもいいのだから、とだけ母に告げた。
せつなくてせつなくて、ほんとうのことが言えない話。


今夜の気分はSWANという曲の感じ。
            メッテ・ハートマン(Mette Hartmann)の1stアルバムより



気分を変えて

□ふだんのたいせつなこと
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ふだんのごはんを撮ってみた。
青菜の炒め物と、鶏のソテー、セロリやトマトを煮たソース、
じゃこは水分を飛ばしてオリーブオイルと黒胡椒と白胡麻を混ぜておく。


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アジのマリネ、大根のひきな炒り、焼いた油揚げ、乾物の和え物、カボチャサラダ、紫蘇の実ごはんなど。
母と鰐号に作った昼ごはん。


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アジのマリネ。


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味噌味の芋煮に焼き餅を入れて。大根の葉は刻んで塩をして菜めしにする準備。


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じゃこ山椒ごはん、おでん。味噌汁には卵を落として。
もってのほか酢の物(食用菊)、はらこ醤油漬け(シャケの卵)、ふきの甘酢漬け。


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十月はシャケ(鮭)の季節。白子は醤油や味噌に漬けて焼く。
腹子(卵)は熱湯をかけて身をほぐし、醤油と酒に漬け、ごはんにかければはらこめし。


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もってのほかという名の食用菊。山形が本場。


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庭のもって菊。


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これはおまけの黄金桃。

■おまけ
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シワ コ :セイさん、こじゃれたカフェランチごっこしてるんですか?

わたし:そうだよぉ。ほんとは「あるものごはん」なの、ふふ。
     中身は変わらなくても気分を変えて、、ねっ。
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by noone-sei | 2010-10-26 04:02

76夜 ときおりの休息 参  はじめの吐息 


家にお邪魔してお茶をいただきながら話していると、
妙齢のお姉さまは「もう歳だから」と、奇妙なことを言う。
わたしにはそれがほんとうに奇妙に聞こえるので、感じたとおりに言ってみる。
普通は謙遜なのでしょうが、わたしには母がいるので「普通」がなんなのかわかりません、と。
お姉さまをわたしは敬愛しているが、
「もう歳だから」という言葉は、会話の潤滑剤にするにはほんとうに奇妙だ。

そのお姉さまよりもわたしの母はずっと年上で、近頃初めて天ぷらをひとりで揚げた。
母の茶の間にはカトリーヌ・ドヌーヴの映画「シェルブールの雨傘」のフライヤーが貼ってあり、
マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」も、観たいと言ったので連れて行った。
ときどき茶の間からそのCDが聴こえる。
母は観劇の会に入っているんだが、先日は代わりにわたしが行った。
新派の芝居は花柳界だの旦那というパトロンだの身請けだのと、百年も古くて退屈だからと。
達者な芝居に、わたしは十分愉しかったのだけれど。

母が人にものを頼むときに言う言葉は変わっている。
「~してもいいよ」と許可形で言う。許可形なんていう言葉はわたしの造語なんだが。
「~してもいいよ」、それは鰐号も同じで、これはなんだろうと考えてみる。
よほど意地っ張りなのか、ものを頼む言いようを知らないのか、普通はどうなんだろう。
そんなふたりが身近にいるわたしには、お姉さまの慎みがたいそう珍しいものに感じられる。

昨日はゴンチチのコンサートだった。
「ノルウェーの森」「ひまわり」「スカボロ・フェア」など母が知っている曲も演奏してくれたし、
ストリングス・カルテットも共演したので気持ちよかった。
「放課後の音楽室」はアンコール、最後は「Birth of Sigh 」、
ためいきのはじまり?生まれたてのためいき?ためいきの誕生?Birth of Sigh の訳はなんだろう。
わたしには曲名の紹介が「First of Sigh」と聞こえていて、
・・ああ、はじめの吐息なのね、、などと思いながら眠ってしまった。

普通、眠っちゃいけないんじゃないかと隣を見たら、母は気持ちよく眠っており、
周囲を見渡したらわたしたちだけじゃない、皆眠っている。
普通ってなに?ゴンチチは普通眠っていいんだって、後になって知った。



                        * *



今夜のお写真も洋館を。
□京都 寺町界隈
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銀行かな。


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中京郵便局。ここから母に葉書を出した。
頼むと、観光地などの郵便局では風景印といって図柄の入った消印を押してくれる。
鳶色(赤茶色)のインクで押した大きな丸い消印は記念印ともいう。
切手の収集家は使わずに保存するのではなくて、葉書や封筒に貼り記念印を押してもらう。
いつどこでそれがどういう道順を辿って手元に来たか、それを表わしてこその切手なのだとか。


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郵便局の入り口。


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保険会社。



□祇園
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八坂神社の後方、この洋館は別荘?



□河原町いろいろ
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□大阪 松竹座
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ためいきとも吐息ともつかぬ、えもいわれぬ無意識の息、なんて美しい建物だろう。
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by noone-sei | 2010-09-26 03:15 | ときおりの休息 参(12)

53夜 家出のすすめ


まだ一人だった頃、母と折り合いが悪くて家出をした。
わたしを案じて、王様の母がわたしに連絡をくれた。
王様の母は、日本の母を体現したような、包容力のある優しい話し方のひとだった。
娘のいない王様の母には、実母と娘が折り合えないことを想像するのは難しかっただろう。
王様の母にそういうことを想像しては欲しくない。
わたしは自分のことをうまく語れなかった。

その声の優しさにただただ泣き、あとになって腹立たしくなった。
それがなぜなのかよくわからない。
いいお母さんを持った王様が憎らしくなったか、
それとも、いいお母さんというものが世の中にあることが悲しかったか、
なにかに八つ当たりしたくなったのか。

鰐号がひとり暮らしをして一年になる。
初めは電話で今日の献立なんかを聞いてから来たのに、
今では昼となく夜となく来たい時に来て、
中学や高校の時のようにテレビで野球、PCで野球、携帯で野球、小型ゲーム機、
家族の茶の間を独占した後、風呂、飯、寝る、、をやってゆく。

鰐号が描く母親像は、鰐号の気分で話したい時には相槌を打ち、
温かいご飯、温かい風呂を用意し、ユーモアがあって明るい。残念でした。
わたしは鰐号の望みを叶えず居心地の悪さを告げるので、小競り合い大競り合いを繰り返し、
家財道具がひっくり返ったのは鰐号がはたちの時だった。

ひさびさに先日は茶箪笥が水浸しになった。
怪我をしなかったのは運動能力が高まったのではなくて、
居場所がなくなってわたしのほうが出て行ってしまったから。
母のお守りをして間を置かず鰐号に営業を強いられることに、我慢が利かなくなった。
犬小屋にでも家出すればよかった。

家出したわたしは父に連れ帰られたのだが、
あの時王様に、「家に帰れ」と言われなかったらどうだっただろうと今でも思う。
王様が鰐号に、「今、うちは大掃除中。おまえはしばらく出入り禁止」とメールをした。
鰐号が詫びるなどというのは記憶の遥か彼方なので、きっとまた
いつものようななし崩し戦法で時を稼ぐにちがいないのだが、
家出したかったわたしと家に寄り付き過ぎる子ども、
わたしの家出は、どうして子どもに遺伝しなかったかなぁ。



■杜の都(もりのみやこ)案内

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仙台は戦後に復興した街なのだとか、どこか整然とした感じがする。
並木は冬になるとライトアップされ華やかな夜の街は不夜城のような印象。
秋には大きな音楽のフェスティバルがあって、街のあちこちから音楽が聴こえる。


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デパートのショーウィンドウ。


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街に清潔感があって、ふたりで歩くのが似合う。


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夜の賑やかさが密集した通り。
牡蠣料理店、牛たん屋、海鮮居酒屋などなど店を選ぶのも楽しい。


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ちょうどこの街を訪れた頃、「ゴールデンスランバー」という映画のロケ地で沸いていて、街のいたるところに映画にちなんだものが見られた。
本屋やカフェやレストランにはカラーがあり、皆そう遠くない所にあって移動しやすい。そうした店々に置いてある小さな情報誌を読むのは楽しい。
地方都市が地方や中央をあまり意識しなくなって、自分の街で丁寧に文化を発信してゆこうという緩くて息の長い動きが感じられるから、わたしが学生なら住んでみたい街かな。一生かどうかはわからないけど。


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仙台青葉城から観た街。
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by NOONE-sei | 2010-04-07 01:39 | ときおりの休息 杜の都(4)

24夜 東京散歩 参


 ・メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい

  
昨夏は新盆だったから、二十日盆、三十日盆(みそかぼん)が来た。
今夏はあっという間、たった三日のお盆。
迎え火もたった三日。
父はきゅうりの馬でやって来て、ナスの牛に乗って帰って行ってしまった。
行ってしまうとさみしいのだが、来る前は気が重かった。
わたしは父を思い出したくなかった。
母は、亡くなってから一度も会っていなかった父に、
盆の入りに夢で逢ったのだという。
笑顔で幾人かの人たちと談笑していたというが、言葉は交わさなかったのだとか。

盆の慣わしに追われてさえいれば、気持ちがやるべきことにとられるから、
ほんとうは手は動き脳は使わないはずなのに、
あの世からの人たちに会いに、あちこちの墓や家々を巡るのには気が滅入る。
ほおずきとは鬼灯と書くのだな。
鬼に気をすくわれないよう、ついつい顔から表情が消える。
夏の虫は飛んで火に入るのだろう?
迎え火を焚いていたら、細い薪が赤から置き火に変わるのが虫に見えてきた。
木を這う虫が骨を這う火の虫に見えたのは、火を見すぎたからなんだろう。

本家は新盆でなくとも毎年きちんと盆棚を飾る。
盆ござを掛けた棚には位牌や写真やお盆さまへの供物。
上の横棒には杉の葉、ほおずき、麩のまんじゅうを下げる。
供物はナスとささぎをみじんに切って生米を混ぜたもの、切り昆布の煮物。
本家は分家や新宅とちがって忙しい。
自分のところのご先祖さまだけでなく、本家を出た人たちの墓を巡る。
竹筒と花と線香を用意して、花を供える筒には屋号を書き記す。
参らねばならない墓がたくさんあるので、すべての家のお盆さまにまでは
手を合わせに寄ることができないから、墓に参ったしるしを残すのだ。
朝早くからの墓参りを済ませて帰るともてなしの準備。午後は本家を出た人たちが集まる。

小さい頃には、都会に出た伯父や伯母の家族が本家に集まって賑やかだった。
夜、子どもたちは浴衣を着せてもらって盆踊りに行った。
昔は面を付けて踊ったのかもしれないが、今はうちわを手にして、
それをやぐらから木々に渡した綱に点ったたくさんの提灯にかざして踊る。
そして盆踊りを終えると、土産を持って都会という生活の場に帰る人々。
踊りに紛れたご先祖さまには逢えただろうか。

ふるさととはなんだろう。
子どもたちが巣立ってひとりになった友人は、
家を引き払ってもっと手狭なマンションに住み替えようとしたら反対されたという。
自分たちは出てゆくくせに、戻るべき、または戻ろうと思えば戻れるかもしれない場所を
残しておきたいというのは傲慢というものなんだろうか。
ふるさとに帰ってこなければならなかったわたしには、
出て行った者や出てゆかなければならなかった者のことはわからない。

東京は特別な町だ。
地方から行った者は、残してきた地方とどう折り合い、
そして日頃はそれをどうかき消して過ごすのだろうか。
普段は忘れているのだろうか、忘れようと努めているのだろうか。
偲んで過ごすのはきつかろう。
遠くに行った者の家族はうまく暮らせているだろうか。
近くに面倒見のいい先住者をみつけただろうか。

先日、郊外から都内への僅かな往復に乗った電車で、おかしな人をたくさん見た。
流行りだからと初めて着たような浴衣の人、
電車の中で化粧をする、隙だらけの女の子、
上から下までエレガントで美しい身なりなのに武装感たっぷりの女性、
座席にパンを広げて食べる年のいった母娘、
鳥打帽に金のネックレスをした、シャツの襟を広げ胸元から胸毛を見せている男性、
若い頃は愛くるしい女の子だっただろうに黒一色の服装に濃い化粧の女性、
秋葉原から乗った年配の男性ふたりの、持っている手荷物と口調の不思議さ。

これらの人々は、いつから東京に住んでいるんだろう。
地方に、残してきたふるさとがあるんだろうか、それともはじめからそこに居たんだろうか。

 
                                *

今夜は東京駅や丸の内周辺のお写真を。


□丸の内周辺
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こじゃれたカフェ


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カルティエゴルチエのショーウィンドウ


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ふたりづれ


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マロニエの並木道
手入れされた花や観葉植物が植えられていたり、吊り下げられたり、景観への配慮があった。



□建物
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三菱UFJ銀行
顔にあたる近代建築を残しつつ、後方に高層ビルを建てた銀行。


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偉そうなビル
威圧感のある建築物だと思ったら、これが新丸ビルだった。



□東京駅周辺
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橋の欄干か
川が流れ、橋が架かっていたのだとか。


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改修工事中の塀
たくさんの、東京駅に関する資料が掲示されていた。
「帝都」って、なんだかすごい言葉だと思わないか?


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中央郵便局
こちらも改修工事中。大きな時計に針がない。


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現在の東京駅
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by noone-sei | 2009-08-17 02:37 | 東京散歩(5)