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61夜 さくやこのはな 壱  思い返すと


花が咲いて実が熟すといったって、それにしてもほどがある、というくらい、
わたしの文章は文章になるのが遅い。
こういうのを「後だし」というのか?

切れ切れの映像であったり言葉の断片であったり、
このおはなしは次の夜に、、、という「王様の千と線」の約束であったり、
それら頭の中にあるものは、枯れてしまうのではないかというくらい時間が経ってから文になる。
記憶を手放さない業を持っているので、ジグソーパズルのピースはいつかは繋がるんだが、
それにしても、遅い。
しかも、頭の中にあるものを開いてお見せできるかというとそれには至っておらず、
書くということは進行形の検証であって、まだちゃんと自分でわかっているわけじゃない。
反射のように情報という形を借りて文章が流れてゆく昨今、
わたしのありようは、まるで化石だ。

もう、化石なら化石でいいや。
今年一月からの石の種をお写真で載せてゆこう。


連続するお題、「さくやこのはな」のわけはまた次の夜に。ふふ


□一月の雪の町
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今年の初め、一月に、母を連れて旅をした。


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こんな雪のある温泉町。
鰐号が家族旅行を提案したのでとても驚いたが、今になってみれば母を連れての遠出はもう無理なので、
この時に思い切って出かけておいてほんとうによかった。



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こんな電車に乗って、


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駅ではこんなアヒルみたいな顔の電車を見て、


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こんな小さな電車に乗り換え、


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次の朝は雪をかぶった電車で帰る、そんな小さな旅。


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仙台と山形の間。とてもとても遠く、地図の距離と、時間は比例しない。


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町のあちこちから湯煙が立ち上っているんだが、
ここは大学生たちが掘りあてた湯を使った共同風呂。


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宿は純和風旅館。


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窓からの景色をと思ったら、いちばんに見えたのはつらら。


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浴衣のほかに、足袋が用意されている。
たしかにこれがないと、床や畳が冷たくて歩けない。


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温泉は風呂。


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とにかく風呂。


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寒いからやっぱり風呂。
鰐号が宿代を わたしたちが旅費を出し合ってほとんど初めてのような家族旅行だった。
思い返すと鰐号はこの旅から一年ちかくかけて、母の変化をやっと今受け入れ始めている。
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by NOONE-sei | 2012-12-11 01:10 | さくやこのはな

60夜 ほんとうにそこにいて


夕方、本屋にいたらあちこちからビービーと携帯電話の大きな音が鳴り出した。
するとそのすぐ後にぐらぐらと床が建物が揺れ出して収まらず、
電車が走っているわけでもないのにごうごうと音がして、
どうしたらいいかもわからず立ち尽くしてしまった。
その場にいた人たちも皆そうで、おそらく皆の脳裏によぎったものも同じだっただろう。

すぐに電話は繋がらなくなった。
王様に打ったメールは、夜になって津波警報が解除されてから届いた。
本屋で呆然としている時に大切な遠くの友人からのメールが届いたのは、
「ここにいるよ」という幸運のメッセージだったんだと思う。

皆が家路を急ぎ、小さな余震の中で車の運転をするのは怖かった。
原発に異常がないかということと、ガソリンが手に入らなくなるのかということと、
食べ物が手に入らない寒い日々を迎えるのかということが、
家族の無事を確認しなくてはという思いと同時に脳裏に浮かんだ。

津波は1メートルだった浜もあり、仙台では二千人が避難した。
余震だとはわかっていても、この大きさは尋常じゃない。
環境庁の会見をニュースで見ながら、とにかく母と夕飯を食べたら、
「非常時だから早く食べてしまうべね。それにしても国の役所は
もっと安心させるようなことをテレビで言えないのかね。総理大臣がしゃべればいいんだ。」
母がしゃっきりとしているので思わず拍手をした。

いやになったり、怖くなったり、がっかりしたり。
でも、犬や猫は落ち着いており、母も落ち着いており、
今夜もちゃんとわたしをしっかりさせてくれる。



□311の前後に読んでいた漫画
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311の後、たくさんの漫画家が集って一冊の漫画を出版した。



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近未来の物語は、起こるはずがないものを書いているかのようでいて
本当に起こってしまうと刺さる。


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たまたま読んでいた「コッペリオン」は特に現実になってしまった漫画。



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これは漫画じゃなくて小説。
日本SF大賞を取った時に、今のこの現実は予想できただろうか。



「華竜の宮」 この小説は表紙絵と題で損をしている。
本日の地震についてのニュース


     
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by NOONE-sei | 2012-12-08 02:18 | 趣味の書庫話(→タグへ)

58夜 秋が終わる夜長



                      落葉




             秋の日の

             ヰ゛オロンの

             ためいきの 

             ひたぶるに

             身にしみて

             うら悲し



                                       ヴェルレーヌ 「秋の歌」より  訳:上田敏





木枯らしがつめたい。
吾妻山には初冠雪。
「王様の千と線」は、スキンを暖かい色に換えた。

こんな夜更けは、ひとりで起きていて家族を思う。
毎年かわらず結婚記念日に花束をくれる王様に、
さっきちいさなことで苛立ち悲しい思いをさせたこと。
日中、買い物やランチに連れて行った母が、
すこししか食べられないから、
自分のもわたしのも美味しいところだけ食べてしまい残りをわたしが食べているのに、
家に帰ると、よかれと思ってすることが気に入らなかったりすること。
大学の授業のために週一回バスで帰ってくる鰐号が、
わたしにワインのシャブリやチーズを土産にくれたりするが、
母にはろくに口をきかないこと。
その母が朝食のあとで、
鰐号がご飯をよそってくれたとわたしに言ったこと。
そして礼を本当はよそっていない鰐号に言ったこと。
通ってくれている料理上手なヘルパーさんが、
我が家の皆の笑顔が印象的でとてもいいと言ってくれて、
母とわたしが父の笑顔こそが我が家で一番よかったと話したら、
ひとめぼれだったと母が言ったこと。

・・そういえば、この福の島の新米の名は、「ひとめぼれ」だ。





□今年最後の安達太良
先月の末に、やっぱり最高の錦秋が見たくて、
母と鰐号と三人で再び安達太良へ。
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ただいま撮影中。赤いひもが女子カメラ。ふふ
撮影は鰐号、隠し撮りされちゃった。

秋の夜長は
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by NOONE-sei | 2012-11-08 03:08

55夜 ただいまかも


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55夜と言ったら、やっぱりGOGOじゃないか?

ウゴウゴルーガという、なんだか可愛い言葉があっただろう?
ゴーゴーガールを逆から読んだと知ったのはずいぶん経ってからだった。

ただいま。
ずいぶん経っているね。
コメントのお返事もまだだけれど、きっと書くから。


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ただいまか、只今だけひとりの時間が持てたのか、
まだ体がふたつもみっつも欲しいので約束はできないのだけれど、
そしてこんなに留守をしていた鄙(ひな)のウェブログを
今でも読んでくれるひとがいるかどうかもわからないのだけれど、
そっと帰ったよ。

ひとまず今夜はご挨拶ね。



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最初のお写真、風鈴の下にあるのは梅干ではなくて、ドライトマト。
よく干して刻んで、オリーブオイルに漬けて保存する。



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二番目のお写真、丸いしずくの実はやまおとこ。夏はぜの実。
黒くなったら採ってジャムにする。



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ナスのオイル漬け。



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ラッキョウを蜂蜜と酢、醤油と鰹節、塩水での三種。

こんなものを作りながら、尻もちをついて背骨を折ってしまった母を看ていたよ。
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by NOONE-sei | 2012-09-17 04:17

53夜 村の図書館


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すっかり浦島亀子になっていて、しかもわたしのPCは数度目の不調、
再インストールというのか?再びすっかり入れ直してもらったら、
さくさく動くようにはなったものの、音が出ない。
動画を見ても、、、無音。
友人のところで新しいPCにしたそうで、背中を押されるようにお揃いのPCを注文したものの、
ぜんぜん届かない、、、注文したのはまだ暑くない頃だったような。

すっかり猛暑だ。
ここひと月は、お百姓と図書館の司書と夏への模様替えに明け暮れた。
床下にとかげが出入りしていた外の書庫に、久しぶりに着手、
埃(ほこり)にまみれ、震災でめちゃくちゃに棚から落下したままになっていた本を
庭にシートを敷いて綺麗にし、捨てるものと一箱古本市に並べるものとを取捨選択してぐっと減らし、
家の中に運び入れ、書庫の棚を外して屋内に設(しつら)え、
本日、やっと全ての本を並べ終えた。
ひと目でぐるりと見渡せる量で、しかも一部は漫画まで並べることができたのだから、
「本は財産だから手放せない」などと思っていたのがいつのことだったかというくらい。

ここ数年、画集は友人に、演劇や今ではサブカルチャーと呼ばれるようになった本は
そういう垂涎ものだけを扱う四国の古書店に、行くべき人のところに行くように一箱古本市へ、と、
王様とわたしは本を手放してきた。
漫画は、まだ読んでいなさそうな友人が「送ってしまえ」の合言葉で笑って貰ってくれるので、
よくよく、大手の古本屋とは呼びたくない業者には持ち込まないようにしている。

母の混乱が始まってちょうど一年。
大混乱を起こしていたわたしもすこしはおとなになった。
心の中で幾度殺したか数え切れない母を 今では可愛げがあると思うことさえある。
嫁の立場で苦労している友人の話を聞いたりするにつけ、
わたしは嫁でも娘でもなく、家族という扇の要(かなめ)、
もしかしたら生まれた時から位牌持ちという名の長男だったんじゃないだろうかと思う。

書架というのか書棚というのか。
少しずつ時間を見つけては本を棚に並べていたら、母が、村の小さな図書館だと言った。
あのね、図書館と呼べるほどの本の量はもうないから、
ここは村の図書室というのが相応しいのかもしれないよ。


□外の書庫
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□書庫から本を救出
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□書棚
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もうすこしで並べ終えるところ。
CDも棚に収まって、なんだかせいせいした。

一箱古本市のおはなしは、また次の夜に。

三匹劇場
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by NOONE-sei | 2012-07-16 11:56 | 趣味の書庫話(→タグへ)

50夜 最高のしあわせ


わたしにはいろんな顔があって、
或る時は「十分の女」。『じゅうぶん』じゃない、『じゅっぷん』。
わたしの携帯電話は、相手が固定電話であれ携帯電話であれ国内のどこであれ、
十分未満なら通話が無料なので、
携帯を持たされるようになってから必要に迫られての通話が多い中、
遠くに住む女ともだちと、たまには自分のために夜の長電話をしたい時もあって、
そんな時、十分ぎりぎりでかけ直す、を数セット繰り返させてもらう。
女ともだち達は、初めはきっとぎょっとするんだろうけれど、
そして会話が一度途切れることに多少違和感を持つのだろうけれど、
それでも徐々に慣れてよくつきあってくれる。
その寛容に感謝しつつ、「わたしを十分の女と呼んでください。」などど言ってみる。
きっと彼女達にとっての女ともだちとしては、わたしは不十分だろうと思う。
・・これは『じゅっぷん未満』じゃなくて、『ふじゅうぶん』、という読みだ。
わたしにとって女ともだちがいてくれることは、最高にしあわせ。

わたしの母にもいろんな顔がある。
或る時、「娘さんと一緒に出かけてお昼ごはんなんて、しあわせねぇ。」
いつもの慣れた店で、ごはんを食べに来ていた年配の女性に
そう話しかけられた母は、「そうでも思わなくちゃねぇ。」と答えた。
そんな癖のある答え方は、昔からの習い性どおりの顔が反応しただけで、
忘れてしまうから現在の母に他意はない。
聞くと、話しかけた年配の女性は桜島の見える所から嫁に来て、
数年母と会っていなくてさみしいのだという。
物理的な距離が離れていてさみしいのと、物理的にすぐそばにいてもさみしいのと、
さみしさにもまたいろんな顔がある。

店を出た後で、母にさっきの女性の「しあわせねぇ」の背景を説明したら、
「わたしはそんなに遠くまで会いに行くエネルギーはないねぇ。」
つまり、母は遠くで待つ彼女の母にではなく、
話しかけた女性の側に、つまり子の側に、もしも自分だったらと自分を重ねたのだ。
年取ったり若返ったりする母には細やかな手助けがより必要になってきた。
クオリティ・オブ・ライフという言葉があるのだけれども、
母のクオリティを維持するために、母の行動に多くの観察と多岐の予測が要る。

母は、自分の近親者以外にはなかなか心を開かないので、
母の妹でも姪でもないわたしは、母にとっていろんな顔を持つ。
或る時は立ち寄り風呂で背中を流しながら幼馴染みになったり、
或る時は夕げの仕度の最中に「セイは(どこ)?」と訊ねられるセイになったり。
もう、そういうことには驚いたりがっかりしたりしないようにしている。
母にしあわせでいてもらいたいと気持ちを定めたので、
ごはんを食べに出かけたり買い物に行ったり毎日一緒に遊ぼうと思っている。
ただ、母には最高のしあわせをあげることができない。
母にとっての最高は、父と一緒に山に登ったりドライブすることだからだ。
父になることはできないし、代わりにもなれない。

或る時ではなく時々、母はわたしを「おとうさん」と呼ぶことがある。
さすがに蓋をしたはずの気持ちがぐらりとする。
・・それはいろんな顔のあるわたしの中の、十分未満だろうか。
母にとってわたしがいることは、『じゅうぶん未満』と読むしあわせだろうか。




今夜のお写真は、花や鳥を。



□山のふもとの公園
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西洋シャクナゲ、真っ赤。


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西洋シャクナゲが群生している。


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燃えるようなツツジ。


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タチツボスミレ。 調べてみたらシソ科カキドオシ(垣通)なのかも。葉が円形。


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タチツボスミレ、こんな風に緑の中に青い点々。


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小さな川が流れている。


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警戒してしきりに鳴くこの鳥はなに?


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筆リンドウという。子どものこぶしくらいの大きさ、小さく可憐な花。




□もうひとつのしあわせ
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贔屓にしている洋食屋の主がしきりに娘ちゃんの愚痴をこぼすと思ったら、ちかじか結婚するのだって。
花嫁の父のために作って店に置いてもらった花かご。お嫁さんにはスズラン。花言葉は純潔。

われわれはの顔
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by NOONE-sei | 2012-05-29 01:30

42夜 うるうるの年


寒さも冬の真骨頂、二月半ばは春を願う祭りがたくさんあった。
実際にはあんまり冬の寒さがたけなわなので、
火を燃したり脱いじゃったり飲んじゃったりして、
そうでもして祭りで目覚めさせなければ春は眠っている。

あんまり今年の滑り出しが縁起よかったものだから、
二月はちょとまずかった。
PCは幼児化するし愛機バンコランは不良になるし。
もうすこし手をかけて子どもから大人にしてやらなくちゃいけない。

ところで子どものころで印象深いことってある?
普段は記憶が眠っていて深いところに沈んでいるのに、
ふとした現実の出来事で呼び覚まされることはないか?
わたしは今日、目覚めちゃったよ。

今日は雪がしんしんと降っていて、
それでも凍るような雪ではないから母と小高い山のピザテリアに昼ごはんに行った。
そこから見る景色は、晴れていれば遠くに吾妻山も安達太良も霊山も蔵王も、
たいそう美しくて、母のお気に入りの場所。
けれど凍るような道も怖いが今日のようなべたつく雪も怖い。
上りの坂道でスリップして、雪道の運転の仕方を久しぶりに思い出した。

目覚めたのは運転のことじゃない。
そのあとに連れて行ったスーパーマーケットでの出来事。
母から離れて必要な物を買い揃えていたら、
店内放送が二度も三度もわたしの名を呼ぶ。それもフルネームだ。
大急ぎでレジにかけつけたら母がにこにこ待っていた。

やられた。
子どものころ、わたしはデパートでそれをやったことがあるのだ。
迷子になって、母の名を店内放送してもらい、たいへん慌てさせた。
さぁっとその時のことが蘇った。

・・今年は閏年(うるうどし)なのだって?
もしや今日は、うるうる年のうるうるの日?



                         *   *   *



もうすぐ雛祭りだから桃の節句のお写真を。
雛が成長するように。
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雛飾り。赤子が載っている。


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紅白の餡。


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内裏雛の抹茶碗と和菓子。


雛ではないが、鳥のお写真は次の夜に。
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by noone-sei | 2012-02-29 23:59

40夜 はつはるの抱負


「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」

これは歌舞伎『三人吉三巴白浪』(さんにんきちざともえのしらなみ)の台詞だとか。
台詞の冒頭は、

 「月も朧(おぼろ)に白魚の
  篝(かがり)も霞む春の空
  冷てぇ風もほろ酔いに
  心持ちよくうかうかと・・・」

関東に初雪が降ったという今夜、春霞にはまだ少し早いけれども、
うかうかと、というよりは、へべへべといつも酔っているわたしにとても似合いだと思う。

初春の抱負を最後に述べるまで、今夜はとりとめないはなしを。



馴染みとか贔屓とか言うだろう?
母とは昼によく外出する。母とワリカンで昼食、
母の血圧を上げるためと食欲を出すためと外界の刺激を与えるため。
ラーメンは食べきれないので五百円の大盛りをふたりで分ける。
こんなこと、馴染みじゃないと頼めない。
おばちゃんは「いつものね?」と言って小どんぶりと、レンゲをふたつくれる。
大将は、喧嘩にならぬようにと具を二人分乗っけてサービスしてくれる。
小さな小さな店で派手なラーメンじゃない。毎日食えるような中華そばだ。

馴染みはいいんだが、贔屓にしちゃいけない。
なんてことない小さな居酒屋で、
仏蘭西料理の修業をした厨房の兄さんが盛り付ける料理は美しかった。
昔からの寿司屋で、
晩酌セットというつまみの刺身やちょっとした小鉢と寿司と酒で、
しかも手頃な勘定なのは嬉しかった。
広々したカフェダイニングで、
したたか他所で飲んで最後にきりっとしたカクテルが飲みたい時、
少しずつ盛り付けたアンティパストを一皿つまみにするのが丁度よかった。
「うまいがな(もの)いろいろ」という居酒屋で、
馬肉と鹿肉の刺身を馳走になった時は、鹿肉が旨かった。
適当に任せると、雲丹を半分に割って小匙をつけてくれた。

・・わたしが贔屓にした店はいくつも店じまいしてしまった。
その理由は震災だったり親方が他界したり。
けれどもわたしが贔屓にしたからだ、となぜかそう思う。
友人のウェブログで雲丹の箱舟を見たら、
雲丹を食った店のいいところをたくさん思い出して無性に懐かしくなった。

牡蠣で当たって腹を壊したなどということはない。
三陸の牡蠣は新鮮で、牡蠣小屋を贔屓にして焼き牡蠣を食いに毎冬通った。
ところが昨年は津波で牡蠣の養殖棚が流されてしまった。
そら見ろ、贔屓にしたからだとがっかりしたら、
例年の一割しか収穫できなかった岩牡蠣で三ヵ月だけ営業してくれた。
冬でも暖かい日など、海辺に面した小屋の外で炭を熾してくれたものだけれど、
外はもう無くて地盤が沈んで海に突っ立ったように建つ小屋になっていた。

震災の後、やっとスーパーマーケットに行けた時には、
食い損ねた牡蠣を探した。あんな時にあるわけはないのだが。
取り寄せようにもこの地への宅配が出来なかった時だ。
それが、暮れに三陸の牡蠣小屋に行くことができた。
行く途中にはさらわれた海を見た。
車中でかけていたCDが、道路のでこぼこで幾度も曲が飛んだ。
その高速道路で津波はせき止められたんだった。

三陸から帰ると、遠くの島からクリスマスプレゼントに岩牡蠣が送られてきた。
三陸の土産に牡蠣をおすそ分けした女ともだちから暮れの挨拶メールを貰い、
また牡蠣を食っているんだと書いてやったら、「なんだとぉー」と返事がきた。
牡蠣がなんとしても食いたいという願いが叶った。
人に、今年は運がいいのじゃないかと言われた。
そういえば、「作ったらあげる」と言われていた藁づと納豆をたまたま会えて貰えたり、
ずっと前から聴きたいと思っていたフレンチポップスの音楽を友人が送ってくれたり、
いいことが叶い続いている。

さて初春の抱負。
今年は雲丹を食う。それもひと舟、わたしひとりで食う。
当たらないよ、バチなんか。今年は春から縁起がいいんだから。


□嬉しい牡蠣まつり
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炭で焼いて。平らな面を上向きにして網の上に載せる。


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ぷくぷく泡が出てきたら食ってヨシ。
全部、漁師のおじさんがやってくれる。


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一人前十五個。いつか二人前をひとりで食いたいという抱負も持っている。


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ホットプレートで焼いて。アルミホイルと蓋があれば上手く焼ける。


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ぷっくり。火を通すと甘みが強くなる。


□おまけ
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三陸の寿司
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by noone-sei | 2012-01-21 00:11

38夜 一陽来復


昨年は変な年だった。
そんな言い方ができるほど出来事は彼方には行っていないんだが、
寄る辺ない波間に浮くようなおぼつかなさに抗(あらが)って、
端正に暮らそうと努めてもいた。

もとよりこの一年は、
おかしなことばかりが続いたし続いてもいるし、
自分だけは新年を目出度いと思ってはいけないような気がしていた。
こころからの見舞いの言葉と明くる年の言祝(ことほ)ぎを
いたわりながら述べたい気持ちは同時に在(あ)って、
けれども「誰に何に」相応しい言葉を献ずればよいかわからなかった。

そんな暮れに母の姉が他界して、大晦日が葬儀だった。
遅い秋の頃、母を案じた母の弟が関東から来てくれたので、
母の姉妹弟の四人のためにわが家で姉弟会を開いた。
その無理がたたったとは思いたくないが、その後の健康が芳しくなくなったことは、
訃報を聞いて初めて知った。

一陽来復。
陰が極まれば陽に転ずるという意味。
ほんとうは明日から日が伸びる冬至を指すのだけれど、
わたしは頭を四角三角にして考えた末に、賀状にこの言葉を充てていた。
母は喪中となり、本当に正月は来なくなってしまった。
けれども、わたしが年の暮れに用意した言祝ぎは、
「誰にでも何にでも」、そしてわたし自身にも相応しい言葉だったのだな。




□外にある 陰
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外に陰はあっても同時に内には陽が在る。

 □内にある 陽
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by NOONE-sei | 2012-01-01 02:46

36夜 願わくば


真夜中に明日を願う。
こころに勇気を 胸に希望を ちいさなしあわせを重ねてゆこう。


"God,
grant me the serenity to accept the things I cannot change,
the courage to change the things I can,
and the wisdom to know the difference."



神よ
願わくば私に
変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと
変えることのできる物事を変える勇気と
その違いを常に見分ける知恵を授け給え

                         ~カート・ヴォネガットが作中で引用していた文章




これは敬愛する方が、わたしが混乱していた時期に教えてくれた祈りの言葉。
言葉にはちからがないと諦めなくていい。
311の後には、がんばれって言わないで、そう思っていたのに、
現在のわたしにはがんばれも有効だ。
貰った祈りの言葉を繰り返し唱えてその深みをかみしめるゆとりも今ならある。


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あの時期、マリーアントワネットは真夜中の散歩をした。
だから夜の歩兵に立っていたら、ある朝、わたしは声が出なくなった。
やがて声が戻り素敵なハスキーボイスになり、
その声で女王に、毎晩居所を変えて失せるハンドバックに財産の一切合財を入れるのを
止めてくれるよう懇願したら、城に帰りたい城に帰りたいと反対に懇願されて困っていた。
薬はもちろんだけれども、日常は接し方でずいぶん改善される。
今晩はもう遅いから泊まっていったら、とか、じゃぁ一緒にお城を探しましょう、とか、
嘘といえば嘘、ユーモアといえばユーモアで日々を繋いだ。
嘘つきな歩兵は倒れこむようにして寝るので、
夜中にマリーアントワネットになにがあっても次第にわからなくなった。
もうそれでもいいんだと思うことにした。


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マリーアントワネットには薬が良く効いて、今では意欲も明るさもあり、
不安が不安に拍車をかけることがない。
心根(こころね)のきつさが失くなったらさみしいと親戚は言うけれど、わたしはちがう。
きつさを少し失って、いたわりの言葉を得た母と、新しい関係が始まったのだと思っている。
それに、きつさというものが完全に失せるということはない。
なにしろ、心の根っこだもの。


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薬が効いて得られたこの時間は、いつかあの混乱の時期を再び迎えるまでの
ごほうびかもしれない。
だから願わくば、真夜中に明日を願う。


お写真は、十月からずっと玄関で楽しませてくれている花かご。

ちかごろの獣
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by NOONE-sei | 2011-12-15 00:34