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絵のような 文のような  壱


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四度目の百夜話、
もうすぐ四百目のお話だというのに、
なんだかまだ気持ちが追いつかない。

すこし道草を食ってもいいですか。


                  * *


以前、浜田広助(ひろすけ)の資料館というのか文学館というのか、
そこでこじんまりした展示を観たことがあって、
わたしを形づくったものは、やはりこうした日本語の物語なのかなと思った。
日本の、ではなく日本語の、端正な文章を目にすると落ち着く。
すこしむかしびとのような語り口はおっとりとして、挑んでくるということがない。

散文詩とおとぎ話と昔話と童話の区別が、わたしにはよくわからないのだが、
童話には童話を名乗る、その世界の黎明期というのか夜明けがあったのだとか。
小川未明や新美南吉はかろうじて読んだことがあるけれど、
雑誌「赤い鳥」を創刊した童話の創始者だという鈴木三重吉についてはさっぱりわからない。

外国の童話を訳したものは、ちいさなときに毎日読んだ。
けれど日本で生まれた童話を読むようになったのは、ずいぶんと遅かったような気がする。
いずれにしてもわたしにとっては、なんであれ皆「物語」で、
今では筋(すじ)もよく憶えていないほど、眠くて舟を漕ぐ間(ま)の短い寝物語だった。

悲しすぎてはいけない。
残酷すぎてもいけない。
教条的にすぎるのもいただけない。
ほんのほんのひと匙、可愛げがなくては。

日本の物語では、浜田広助の書くなにげなさを大切に慈しむところが、
わたしには好ましく感じられる。



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「ひろすけ」という名前が、なんだか可愛げがあると思わないか?
さりとて田舎くさくなく、重くなく、斬りつけてくるようなひんやりした感じがない。



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集い、童話について真剣に語り合っているようなお写真は、
なんだかおじさんばっかりのような。



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生まれてはじめてお月さまにおめにかかったり、
川底にしずむまえにちらと青空を見て沈んだり、
えだからおちてもなかないで、ひとりでおきる月夜のどんぐりになりたい。




おまけ 浜田家所蔵の素敵な年賀状
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わが家はお年賀の礼を遠慮するのだけれども、
今頃はみんな、年賀状を書いている頃だろうか。
このお年賀の初山 滋のお話は、また次の夜に・・。
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by NOONE-sei | 2008-12-09 02:14 | 絵のような 文のような(5)

ときおりの休息  十一のおまけ  100万光年の彼方


ゆうべは、夜の森の美術館で遊んだのか遊ばれたのか。
こんなところで、こんなところが、わたしと遊んでくれた。

山の庭にはJ.A.シーザーの音楽が流れている。
つるっぱ頭で白いお化粧をした、裸の男たちは黒いはかまをはいていて、
美術館の、平たい岩が敷き詰められた広い庭を駆け回る。
ガラス張りの美術館にその影が躍る。
観ているこちらに近づくと、甘い芝居化粧の匂いがしていい気持ち。
はかまを手でたぐって走ると、白い足に白いおしり。
下穿き(ぱんつ)も着けていない。

ゆっくりとゆっくりと、手の中に点った丸い小さな明かりを掲げながら女が踊る。
そうした、広い広い庭の、照明を身に受けた動くオブジェを眺めていればよいかと思ったら、
時が来るまで開かないかばんを持った、外套に黒い帽子の男がわたしたちを組分けする。
「人生はいたずらなもの。」二度と出会えないかもしれないふたつの組。
受付を済ますときから観客は野外劇に巻き込まれており、
すでにわたしの手の中には何もなく、手の甲には黒いスタンプが印されている。

前もって準備させられた懐中電灯を手に、真っ暗な美術館に誘い込まれる。
オペラ歌手が、大きな宇野亜喜良の複製画の前で楽器に合わせて歌っている。
美術館はすべての照明を切って、消防のための非常灯も切って、
懐中電灯だけが蛍のように館内をゆらめく。
天井には柱時計を持った詰襟の少年人形が吊るされていて、時刻は永遠に十時五分だ。
蛍のようなわたしたちは、昼の展示物のひとつひとつを夜の懐中電灯で照らして観る。
内田善美が絵を描いた寺山の絵本、わたしも持っている山下清澄の銅版画「奴婢訓」、
使っていた原稿用紙、舞台の模型、寺山の遺品の数々が浮かび上がる。

奥へ奥へと誘い込まれながら、ときどき柱時計の詰襟の生き人形とすれちがう。
暗闇の奥に赤い明かりが見えると、そこには舞台があって、
昼間は寺山の遺品のようにひっそりしていただろう人のいない舞台が、
機能を取り戻し、照明も装置も小道具も、俳優という人と声を得て本来の姿に息づく。
ここで床に座り、室内劇を観るのかと思ったら、
今度は黒布で目隠しされて、宇宙の小部屋に連れてゆかれる。

なつかしい俳優、根本豊はすぐにわかった。
東北の訛りそのまま、機関銃のように寺山の遺した言葉を散りばめる。
夜の美術館にはあなたが展示されている。
ノーベル賞科学者に発見されたニュートリノだったか?
体の中を突き抜け、一秒間に千も億も細胞から地球の裏側まで吐き出されているのだとか。
それには質量があるとわかり、であれば地球の裏側から宇宙にまで突き抜けたそれは、
われわれのDNAも写し取って宇宙にばらまいているとは考えられないか?
であれば、星の彼方にはわれわれのもうひとつの実像がいて、
それと出会うために、探せ、「100万光年の彼方」劇。

再び目隠しで外の庭に連れてゆかれると、そこにはもうひとつの組のわれわれがいて、
目隠しを手渡し、目が見えなくなった彼らはもうひとつの実像になって小部屋に消えた。
わたしたちはガラスの美術館に戻り、ある者は化粧を施され、ある者は衣装を着けられ、
ある者はネギをかじらされ、ある者は美術館の闇にマッチを擦らされ、
ある者は包帯を顔に巻かれ、ある者はレミング帽をかぶり、蝶の標本箱と柱時計を持って
オペラを聴きながら生きたオブジェになってたたずむ。
懐中電灯の蛍がそれを照らし、寄って離れてゆらめく。

もうひとつのわれわれと、オブジェの魔法の解けたわれわれがふたたび夜の庭で出会う。
夜の森、闇の美術館をさ迷ったのは三時間半。
広い広い庭の劇的空間で迷子たちは自分に戻った、そういうことなのかな。

美術館の企画展、寺山のポスターに、蘭妖子のサインをもらった。
観客にまぎれていたのだけれどね。




                        * * *



追って:
こんな映像が 根本豊 氏のところで紹介されていたので ・・

TVニュース Ⅰ(上演前)
郡山美術館 企画展のTV・CM
TVニュース Ⅱ(上演後)
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by NOONE-sei | 2008-10-06 01:57 | ときおりの休息 壱(14)

ときおりの休息  十一  あやしげな薬


ガマの油売りの口上を聴いたのは幾度かある。
蛙のおばけが鏡に映った自分の姿を見て、汗がたらぁりたらぁり、
その汗を集めたものがガマの油なのだったか?
テレビで見た口上のおじさんは、袴(はかま)をはいてたすきがけ、
髪は五分刈り、手に刀を持っていたような。
自分の腕を切ってみせるのが怖かった。

生で口上を聴いたのは紅テントの花園神社。
芝居を観に来た人々がテントまで並ぶ、その横でお兄さんが口上を述べていた。
テレビのおじさんよりずっと若く、劇団の若い俳優の修行だったが、
だみ声なのはおんなじで、夜の刀が怖かった。

へび売りもいて、ぬめぬめとした長いものを腕に首に巻いて口上を述べる。
刀を当てたガマの油売りの腕よりも、
月夜の刀よりも、
夜に光る長いものが怖かった。


                            * *


今夜は薬の町のちいさな博物館のお写真を。

■道修町 地下鉄北浜駅にて
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地下鉄堺筋線北浜駅を出てきょろきょろしていたらこんな大きな看板が。
ショーウィンドウには、あるある、あやしげな薬。


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動物の剥製、キノコを乾燥させたもの、貝、長いものが入った酒。
美人になる酒、精がつく酒。ガラス越しに臭ってきそうな、あやしい数々。
怖くてカメラも向けられない。


■道修町 くすりの博物館にて
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ちいさな博物館は無料展示で観覧者はわたしひとり。
これは常設の展示、化学薬品の形状いろいろ。


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このときの特集展示は、「流行り病と錦絵」。


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十返舎一九の絵の複製。


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博物館のビルのうしろは神農神社。ビルの一階が社務所になっている。


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絵馬のひとつひとつには、病を治してほしいという願い、医学部や薬学部に合格したいという願い、
医療の研究チームが成功の結果を出したいという願い。


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これが、博物館に鎮座していた神農さん。




なつかしい百夜話 月下の一群
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by NOONE-sei | 2008-10-02 02:33 | ときおりの休息 壱(14)

83夜 春までの書庫


秋から冬、冬から春、今では山は新緑で、先日登った山では
ウグイスが美しく鳴き交わしていた。
今朝はカッコウの声を聴き、夕方には田んぼでカエルが合唱をしていた。

憂いの中にあるような、けだるい気分で日々を過ごしていたら、
撮りっぱなしのお写真の整理が進まないまま増えてしまった。
カメラが替わったので手に馴染ませるようにちょこちょこと撮り始めたら、
あっという間にたくさん撮っていて驚いた。
映画も観たし、音楽も毎日部屋に流しているし、漫画も読んだ。
お写真だけがまだ勘がつかめないのか鈍いのか、かちっと決められない。
それらは、ゆるゆるとまた今度の夜に。

今夜は読んだ漫画を。
このところのわたしの選書は、開拓者のようだ。
これまで縁の無かったようなものをことさら選んでいる感がある。
夢中になって読むと、その日いちにち、頭の中の半分が別の世界に引っ張られている。

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これらの三分の一は、古本屋に処分する。
娯楽を傍(かたわ)らに置かずにいられないのに、
いつのころからか、コレクションの趣味が希薄になった。
脳に記憶しておく自信のないものだけを とり置くようにしている。

娯楽といえば、初めて買ったものというのは記憶に刻まれる。
自分のこずかいで、初めて買ったクラッシックはなんだっただろう。  ・・「ボレロ」だ。
ジャズは、なかなか思い出せない。  ・・「ポートレイト・イン・ジャズ」だった。
どちらも、好きだとか詳しいとかではなく、ジャケットで引いたように思う。
これが当たりなのかはずれなのかは、よくわからないけれども。

このあいだ古本屋に手塚治虫の文庫をたくさん持って行った。
ほとんど好きではなかった。
手元に「W3」と「どろろ」だけを残そうと思ったら、鰐号に
「ノーマン」と「マグマ大使」も残すように言われた。
ふうん、 ・・鰐号、手塚漫画も読んでいたとは。


当時、鰐号は
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by NOONE-sei | 2008-05-17 02:09 | 趣味の書庫話(→タグへ)

67夜 伊達巻き


今夜を写真保管庫にするか67夜にするか、迷った。
迷って決めかねたのだけれど、きまりがつかないまま、またゆるゆるとお話を始めようと思う。

「女の子の食卓」(志村志保子)という漫画がある。
よく訪問するウェブログで教わって以来、大切に読んでいる。
教わらなかったらきっときっと出会うことのない作品だったと思う。

父の病が痛くて、映画も漫画も遠ざかってしまった。
いつだって美しい娯楽をかたわらに置かなくてはいられなかったはずなのに、一変してしまった。
絵空事が虚(むな)しいとかくだらなく感じるとか、そういうことではなく、
娯楽がわたしを呼ばず、わたしの眼は見えず耳は聴こえないというような。

それが少しずつ開いてきた。
寝る前に一編だけ読もうか、という気持ちになって手にしたのが「女の子の食卓」だった。
静かでなにげない挿話が幾つか描かれて一冊の本になっている。
珠玉という言葉があるけれど、ほんとうにそのとおり、ちいさな光を放つ。

挿話のひとつに、ふたりっきりで生きてきた兄妹のお話があって、
兄が結婚してひとりになった妹が、けなげにがんばろうとする。
義姉は華やかで料理上手で、妹に「○○ちゃんてーあんまり料理できないのねー、
そんなに地味なのに料理できなかったらどうやって男つかまえるの?」などと言う。
新婚家庭の邪魔をしないよう気遣う妹は、義姉からおせち料理を手伝ってと誘われる。
買い忘れたというはんぺんのおつかいに行って、妹はふと「はんぺんなんておせちに使ったっけ?
こんなの本当に要るのかな。別になくたって。別に 私 いなくたって。」と思う。
そっと帰ってしまおうとしたら、義姉が、「ほんとに使うのに!勝手に要らないなんて決めないでよ!」と怒る。
妹が自分を 要らない存在邪魔な存在とひとり決めしたことに対して悲しんでいたのだ。

わが家のおせち、今年は煮しめを作る時間が持てなかったら本家が届けてくれた。
お重は王様が、駅裏の台湾料理屋に注文してくれた。
年末は忙しいだろうから犬を預かろうか、と犬友達が申し出てくれ、
さみしいからときどき近況を知らせてと言ったら、ちょこちょこと友人がメールをくれた。
そんな、なにかあたたかいつっかえ棒があちこちから伸びてきて、
66夜の年始の挨拶にはコメントまでいただける。
さみしがりやのわたしがさみしがらずに、ひとりじゃなかった幸せを思う。

はんぺんを材料に使うおせちがあると知ったのはお正月の少し前に「女の子の食卓」を読んだから。
卵とはんぺんと砂糖をミキサーで混ぜて焼いたら、伊達巻きのできあがり。
王様と鰐号が大好きなおせちだ。



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何年も前に撮ったお写真のこの女の子、
今ではすっかりお姉さんになっているかな。
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by NOONE-sei | 2008-01-07 03:10 | 趣味の書庫話(→タグへ)

60夜 すきまのじかん


父の検査が一段落し、ちょびひげの医者からこれからのことを聞いたら、
気が抜けたのか目覚まし時計をかけわすれ、寝坊した。王様も鰐号も遅刻、すまないことをした。
いつもなら起こさなかったわたしになにか言う鰐号はなにも言わず、
王様は、日頃からわたしをあてにしていないはずなのに起きられなかったと、
首をかしげながら出かけた。

父は本格的な治療に入る前に少し退院させてもらえるというので、
今日は母もわたしも休みをもらった。
返しそびれていた図書館の本、いつか行ってみようと思っていたお店でひとりでランチ、
役所、病院で自分の健康診断の申し込み、そしてついでに点滴。
あとまわしにしていたことをいっぺんにやろうと思ったら、
病院の予約時間に間に合わなくなりそうだったので午後に変更してもらったんだが、
そのやりとりでふと思った。
ありのままの自分ってよくいうけれど、それはなんだろう?

以前なら、変更を希望するときに、誤解をされたくない一心で病院にあれこれ説明をしただろうな。
だめなやつと誤解されたら困る、けれども、身の丈以上にきちんと思われても先が窮屈になる。
それではなんと思われたいのだ?
・・等身大。・・それ以上でも以下でもなく。・・ほんとに?
ちがうな。
等身大とありのままって、似ているようで立って見ている場所も見ているひとにもちがいがある。
等身大は、見られたい自分、ありのままは、見られるがまま。
今日のわたしは、どう見られてもよかった。約束を守り、迷惑をかけないですんだから。
ちかごろ、いろんなところで失敗つづきだったから。

今日は、しめくくりに美容院に行った。
点滴は即効性があるとはいえ、そうすぐに効くものではない。けれども、行きたかった。
こんなおやすみの日にこそ、美容院に行くのは大切なことに思えた。
出来上がった頭は、おかっぱ。
泳ぎが達者でも時には失敗することを河童の川流れというのだったっけ?
かっぱはかっぱでも、おかっぱは初めから泳ぎは達者じゃない。
だから目覚まし時計を今夜はちゃんとかけて、すきまのじかんに起きるよ。



借りていたのはこんな本
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太陽と月の間で右往左往して悲しかった「すきまのじかん」が、
夜明けにちょこっと顔を見せる「よあけのお姫様」に、
アオサギに姿を変えて会いに行くお話。
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by NOONE-sei | 2007-10-31 02:45 | 趣味の書庫話(→タグへ)

59夜 文章の記憶


「銀の匙」(中勘助)を教えてくれたのは、中学の時の教育実習生だった。
中学の教諭はみな老練で、今思えばさほど年寄りでもなかったはずなのだが、
まだ小学生のしっぽをつけているわたしの幼い目には、
自信に満ちた立派な大人たちが、立派すぎて近寄り難(がた)かった。
実習生はまだ大学生のおにいさんおねえさんで、
ともに六週間の日々を過ごすと親しみがつのり、別れ難かった。

その実習生は、実習を終えると、勉強のできないわたしの家庭教師になった。
彼女は農家の納屋の二階に住んでいて、納屋の木の階段を上り、
隠し扉のような天井の一部分を押し上げると広い一部屋に台所があった。
そこでわたしは天気図を書く楽しさを教わり、歌を教わり、食の愉しみを教わり、
ときには思想めいた話を聴いた。

あるとき、初めて書いたちいさなお話を読んでもらったときに、
「セイちゃんのこのお話は、中原中也の詩のようだね。」と言われた。
勉強どころか物知らずのわたしは、中原中也を知らなかった。
そして、知ったことを深くなお知るという喜びも知らなかった。
そんな、教える手ごたえも張り合いもないわたしに、
綺麗な日本語だからと、彼女は「銀の匙」を教えてくれた。

目の粗い、笊(ざる)のようなわたしの感応の受け皿に、
一つ残っているのはさらさらと陽の射した、宝石のような小石。




                  一つのメルヘン
                                 中原中也

       秋の夜は、はるかの彼方に、
       小石ばかりの、河原があつて、
       それに陽は、さらさらと
       さらさらと射してゐるのでありました。

       陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
       非常な個体の粉末のやうで、
       さればこそ、さらさらと
       かすかな音を立ててもゐるのでした。

       さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
       淡い、それでゐてくつきりとした
       影を落としてゐるのでした。
  
       やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
       今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
       さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました・・・

中勘助そのほか
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by NOONE-sei | 2007-10-29 02:37 | 趣味の書庫話(→タグへ)

53夜 年の功 積の候


・・ほんとうは積(せき)の候などという語句はない。
誕生日に山ほど漫画を買ったと言ったら、その積んだ高さが歳の嵩(かさ)だそうなので、
それならばと漫画のお話。

紙類には微小な虫が付く。本の類は重くて地震が起きたら怪我をする。
本類を家の外にと西太后に命じられ、泣く泣く物置に入れた。
書庫と呼びはするが、木造の物置は砂埃(すなぼこり)が入りいちいちハタキをかけないといけない。
いつか少しずつ部屋に運び込もうと思っていたら、物置の辺りで尻尾を見た。
・・とかげ?
父に言うと、笑って、外だからとかげもいるだろうと言う。
物置の床下に潜り込んだと言うと、涼しいから隠れるのにちょうどだ、あいつらは歯がないから
ちっとも恐いことはない、と笑う。
去年の盆に逝った猫は蛇もとかげも獲ったから、とかげを住まわせるようなことはなかった。
歯がなくとも、床板一枚の差でとかげの上にある本って、恐くないか?

とりあえず、漫画を救出しよう。
寝る前にちびちび読む楽しみをこのごろ覚えたものだから、いちいち物置に置くよりも
寝る部屋のそばに置きたい。
寝る前に諸星大二郎は目が疲れそうな絵だ。
ゆうきまさみの「パトレイバー」は、熟読してやめられなくなりそうだ。
皆川亮二の「スプリガン」も、終わりまで読んでしまうかもしれない。
浦沢直樹の「パイナップルアーミー」がちょうどいいかな。
壮大な宇宙物のころは楽しかったけれど、星野之宣は女性を画一的に描くからもう結構だ。

そういえば、いつか観たテレビで、サディスティック・ミカエラ・バンドのボーカルが
課長島なんとかという漫画が楽しいと言っていた。
ありえない女の人ばかりが登場するから、男の人の思い描く女性像の妄想を見ているようで面白いと。
作者は柴門ふみの夫だったか。わたしは柴門ふみもかなり苦手だ。

女性作家の描く、ここではないどこかが舞台の漫画はおもしろい。
24年組・ポスト24年組という名で括(くく)られる作家たちがいることをつい最近知った。
その中の幾人かの、ごくいくつかの作品は、思い出したように読むことがある。
団塊世代頃の女性たちなのだとか。団塊世代の男性たちは、癖が強くて苦手だけれども。

聡明な女性たちが生んだ物語に登場する者の、とりわけ女の子も女の人も、
ちゃんと自分の肺で物語を呼吸しているような気がする。
幼い頃、物語を読んで育ったわたしは、大きくなった今ほとんど本を読まなくなったが、
今でも漫画の中に物語を探している。



24年組
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歳の嵩で崩れそうだなどと言ってはいけない。くすくす

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最近復刊した漫画を取り寄せたら、サイン本だった。ちょと嬉しい。

                        *

おまけ 秋の味覚。
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十月は里芋・あけび・鮭の腹子飯。小芋もよいけれど、お写真の里芋の親芋もいい。
あけびには肉味噌を詰めて揚げ、腹子は湯をかけほぐして酒・醤油に漬ける。
焼いた鮭と昆布で飯を炊き、食べるときにざっくり混ぜ、茶碗に盛ったらたっぷり腹子をかける。
白子は天ぷらか、アンチョビとニンニクでバターソテー。

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先日のムーミンの料理本を参考に煮た洋梨の名を知った。
マルグリット・マリーヤー、なんだか気高そうな名だと思わないか?
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by NOONE-sei | 2007-10-11 01:08 | 趣味の書庫話(→タグへ)

52夜 紅い花


「セイ、そういうときには、『耳がいたいです、せつないです』っていうんだよ。」
あるとき、うまく言葉が出て来ずに言いよどんでしまったわたしに、女友達が助け舟を出してくれた。
彼女は手で耳を塞ぐ真似をしてみせた。
小柄な彼女はおしゃれさんなので、後にその台詞がガロに掲載された「紅い花」(つげ義春)に
登場する女の子のものだったと知って、なんだか似つかわしくない気がした。
男漫画、女漫画と分けるとしたら、つげを読む女性は少ない。

「紅い花」は、まだ大人になりきっていない男の子と女の子の挿話で、不器用で恋と呼ぶには幼い、
格好をつけるにもまださまにならない、読む者が大人になっていたならいた分だけ切なさが増すような、
そんな物語だったと思う。
わたしが初めて読んだのは大人になりきる前のことだったから、情感を胸に入れるには至らなかった。
ただ最後に、男の子が女の子をおぶって山を下りる野辺に一面、紅い花が咲く情景だけを憶えている。

父の検査入院が決まり、母西太后の精神は不安定になっている。
悪いほうに物事を捉えて疑心暗鬼になってゆくのを
わたしは「大丈夫だから」という決まり文句で支えるしかない。
それは今までもそうで、これからも変わることはないのだが、骨が折れることにはちがいない。
紅い花は少女から大人になる女だけでなく、猜疑の沼のほとりを歩く老女の足元にも咲く。

鰐号の何様ぶりが増すと、父が入院して歯止めをかけるのが不思議な符号になって久しい。
ちかごろの鰐号は、急に世界が開けて大人になった気分と現実の未熟な精神とで均衡が崩れている。
相手を思うより、自分の精神の安全を一義とする西太后と鰐号、
慎重なのではなく臆病で脆弱(ぜいじゃく)なところがなぜかよく似ている。
仏の顔も三度までというが、仏様より人間が出来ているから四度目に怒ると自分をうそぶく王様が、
今朝、鰐号がわたしを言葉で四度傷つけたのを見てわたしをかばった。
王様が出勤してもなお、悔しくてわたしをなじる鰐号に抗う言葉がなくて、わたしも悔しくて鰐号を蹴った。
手で耳を塞げばよかった。
成人にはまだ遠い獣の道にも、紅い花が咲く。

近くの田んぼの用水路沿いに、何百メートルも彼岸花が咲いている。
わたしの野辺に咲くのは赤い花?それとも紅い花?



用水路の両脇に続く彼岸花
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                            * *
赤いものをいろいろ
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彼岸花

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赤まんま

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水引き

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唐辛子

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赤いものばかりじゃ目が疲れるから緑を
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畑で育っている葉もの。左上から時計回りにルッコラ・小松菜(だと思うんだけど)・香菜(シャンツァイでもパクチーでもコリアンダーでもいいんだけど)・三つ葉。

                             * *

白くなる予定のものを
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上はこれから大きくなって白菜になる予定。下は大根になる予定。
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by NOONE-sei | 2007-10-05 23:52 | 趣味の書庫話(→タグへ)

48夜 浄土は極楽?


「王様の千と線」の、千の森にわたしは『夜ノ森(よのもり)』と名づけていて、
そこには怪しげでユーモラスな、おかしなもの達が棲んでいる。
一方、恐ろしげなものは絵や活字の中に棲んでいる。

幼い頃、従姉妹が引き戸の奥にしまっておく少女雑誌の、
楳図かずおの漫画が怖くて、そっと出しては閉じ、また出しては閉じた。
それでいながら、晴れた日には祖母の眠る山の斜面の墓地に行った。
ずいぶん後まで埋葬は土葬で、今ならばひとりで墓地には行きたくない。
その頃は、なにが怖くてなにが怖くないか、境目が曖昧だった。
小さな頃に住んでいたのは野中の一軒家で、ひとりで留守番は怖かった。
狸も蛇も虫も当たり前に居て、闇は怖い。それでも絵や活字のほうがもっと怖い。

この地には吾妻山があり、それぞれの場所に、浄土平だとか一切経山だとか、
烏帽子山、天狗岩、梵天岩、など、仏教を思わせるような名がついている。
ごろごろと岩がころがり、賽(さい)の河原のようなえぐれた岩肌に硫黄の水が流れ、
有毒ガスが立ち込める中に山母子草(ヤマハハコグサ)が咲いている。
そんなこの世のものでないようなところを抜けると、一転して美しい湿原が広がる。
風が強くて背が伸びない木々の林の中に、転々と沼や湿地がある。

吾妻山は、わたしにとって安達太良よりも身近だ。
浄土なんて意味を知らないうちからあの岩だらけの場所が浄土だったし、
火山を流れる川には魚が棲めないから、その水を飲んではいけなかった。
浄土はパラダイスじゃなくて、荒涼とした景色だと仏教を知る前から知っていた。
言葉を知ってなお、仏さまのいるところはさぞ怖かろうと、今でも思う。


今夜は吾妻山、浄土平のお写真を。
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山の上から見る景色。よく見えない時には、下界から見て雲の上にいるのだろうな。

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ここはガスが強くて危ない。

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一切経と赤い葉。

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一切経を雲が覆うところ。

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赤い川。土も石も硫黄分で変色している。

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浄土平の湿原から見た景色。
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by NOONE-sei | 2007-09-19 01:15