タグ:書庫 ( 81 ) タグの人気記事

47夜 春よ恋


一年のうちで、日本は本当に南北に胴が長い島なのだとしみじみ再認識するのがこの時季。
桜前線がやっとこの地にも北上して、街なかの桜が満開になった。
でも我が家の周囲は五分咲きくらい。山あいの温泉町は家から二十分ほど、
こちらはまだ全然咲いていない。もう少し山を行くと雪まで残っている。
いつもよりも、十日くらいは全体に花が遅い。
昨年の春の、気が昂(たか)ぶったような、気がふれたような開花にもぎょっとするが、
寒さが長引くこの花々の気の持たせようにも、なかなかやきもきさせられる。

つい先日は本家の叔父の命日だったので山の日当たりのよい斜面にある墓に参った。
フキノトウが開きかけてそれはそれで可憐な花のようで、
うつむいたようなカタクリは周囲の空気まで薄紫に染めて、
しゅっと立った細長い葉の間に硬いつぼみやほころんだつぼみや黄色に咲いた花の水仙、
それらが一面の、春の始まりの美しい墓地だった。

我が家の庭は既に春は目覚めて、福寿草もカタクリも花を終え、
一輪草や二輪草が咲き始めている。
散歩に行くと、連翹の黄色と水仙の黄色、椿だか山茶花だかが桃色や赤。
道端のその花を犬はぱっくりと食いながら歩く。




今夜のお写真は山の晩冬と庭の春を。


□山
c0002408_3204378.jpg
この日、町では桜が満開って信じられない。


c0002408_3205279.jpg
でもよく見ると山肌が見えるくらい、雪はもう融けているんだ。


c0002408_32126.jpg
ちいさなフキノトウ。


c0002408_3211282.jpg
寒いお写真ばかりじゃつまらないので、白い湯の風呂をどうぞ。




□庭
c0002408_3251948.jpg
庭のカタクリ、ちょうど咲いていた頃のお写真。


c0002408_3261072.jpg
タネツケバナ。


c0002408_3263532.jpg
ホトケノザ。


c0002408_3265922.jpg
福寿草、終いの頃。


c0002408_3274046.jpg
ユキノシタ。この山菜の天ぷらは旨いのだけれど、この地では今年も山菜はあまり口にできない。


c0002408_3291282.jpg
二輪草がもうじき。


c0002408_329416.jpg
ペロ コ の好物、これは山茶花?




■おまけ
c0002408_3341189.jpg
この春いちばんのお薦めしたい漫画。
・「路地恋花」ろおじコイバナ(麻生みこと)
どうせ少女たちが好きなコイバナでしょう、などと侮ってはいけない。
京都の町屋に敢えて住む、若い絵描きや細工職人や工人の手仕事をたっぷり資料検証して
麗しい物語と京都弁で味付けしたオムニバス。

c0002408_3342064.jpg
これは本の手仕事の一場面。

 十四歳
[PR]
by NOONE-sei | 2012-04-25 01:11 | 趣味の書庫話(→タグへ)

45夜 天の寿


父が青年期を過ごした浜からもう少し南に下った、
北関東の大伯母(おおおば)が天寿を全うした。
葬式の引き物には紅白の饂飩(うどん)があって驚いた。
百に近い高齢なので、弔う葬るではなく祝い事なのだという。
熨斗(のし)に「天寿」と記してあるのを初めて見た。

忌みごとがそのように転じるのはたいそう不思議だ。
ものごとは、見方ひとつで簡単に転じることができるとは思わないけれども、
からりと転じるまでの中間には転じきるに至る過程があるのだけれども、
ああ、そういうものなのだなぁと、妙に納得がいく決まりごとは、
ひとの気持ちを落ち着くべきところに連れて行く。

組になった言葉があるだろう?
天と地、生と死、それらは上から下に視線が動くような気がして、どうも陰気だ。
内と外、陰と陽、喪失と再生、それらならば左から右に視線が動く。
しかも、人に教わった最近覚えたてのイメージがあって、
喪失は再生を飛び越して、奪還へと飛び立つ。

足踏みしているときには言葉少なでもいい。
寡黙と饒舌の中間には、転じるほどの威力はないが、思慮という落ち着きがある。




                         *   *   *




愛機バンコランは天寿を全うせず、復活した。
愚息、鰐号は大学に復学することになった。
わたしのPCは天寿を全うしたけれども、かなりのデータを持っていかれた。
震災で半壊した塾を 大家さんに頼んで塾生の卒業まで続けさせてもらったけれども、
三月末日をもって閉塾した。

そのようなわけで、イメージの転換や組になった言葉のようには
現実というものはなかなか動き出さないけれど、
この思慮の時を閉塾に伴う整理に追われながら過ごすのも、
なかなかできない経験じゃないかな。
これからのことはそれから。





□音楽は天の寿
c0002408_3571368.jpg
c0002408_3572347.jpg
c0002408_3573483.jpg
友人に貰った心地いい音楽はフランス語やポルトガル語、
どちらも流麗で同じような言葉に聴こえる。
音楽は落ち着きの素(もと)だな。

一歳
[PR]
by noone-sei | 2012-04-04 00:11 | 趣味の書庫話(→タグへ)

44夜 ひととせ 


「思い出す」ようにと、新聞もテレビもこぞって311を特集している。
それは、「忘れない」ためにという働きかけなんだろう。

「思い出す」ということと、「忘れない」ということは、
似ているようでいて、実はまったく違うような気がする。
けれども「忘れられない」こそ、「思い出したくない」と濃厚に繋がっているようにも思う。

夕べも今夜も、たびたび余震がある。
思い出さないわけがないのだ。
記憶に刻んださまざまな出来事は、何も見なくてもちゃんとなぞれる。

一年(ひととせ)の三月十一日には、テレビを観ないで過ごそうね、と友人と約束した。
彼女は一年を支えてくれた布雛作りをして静かに過ごすという。
わたしはいつもどおりに母とお茶を飲み、その時間がきたらそっと手を合わせるつもりだ。
玄関には春の花が生けてある。




□あの頃わたしを支えてくれた音楽
c0002408_1534961.jpg

c0002408_154142.jpg

c0002408_1541267.jpg

c0002408_1542410.jpg


三月は家から一歩も出ずに、必死に家族を守っていた。
そんな緊張の日々のお供をしてくれた音楽たち。
友人から戴いた井上陽水はレイ・チャールズとよく似た顔なので中央に置いてみたよ。


次の夜からは、この一年の漫画や音楽のおはなしをしてゆこう。
[PR]
by NOONE-sei | 2012-03-11 01:05 | 趣味の書庫話(→タグへ)

20夜 復興の街


311以来、初めて高速道路に乗った。そして初めて県外に出た。わたしは浦島亀子か。

今年も一箱古本市に参加、Book! Book! Sendai! の実行委員は
「いつもの日常がどんなに大切なものかを考えよう」と、中止にしないで開催を決めた。
準備中の期間はおそらくまだ震災の傷痕が生々しくて、街中が意気消沈していて、
開催への意欲を鼓舞するのには力が要ったことだろう。
しかし昨年同様、六月の仙台は本の月と定めてそのひとつ一箱古本市の参加者を募った。
参加者は約四十組。

坊さんと王様と三人でおもいおもいに一箱分の店を出し、
おもいおもいに商店街の通りを歩いて足を止めるお客と接した。
仙台は東北の復興のさきがけとなる大切な都市だ。
お洒落してデパートの買い物袋を提げている人々を見ると、
震災の傷はまだ各地で渦巻いているけれども、この街は歩き始めたのだということが感じられる。

翻(ひるがえ)って福の島の重たさはどうだ。
山ひとつむこうでも避難が始まった。
浦島亀子のわたしは、明るさを取り戻しつつある仙台ですこしだけ立ち尽くし、
ほんのすこしうらやましさを感じ、そして仙台は仙台なりに血だらけで歩き始めたことも知った。
福の島は復興にはほど遠く、今日と明日のことはわかっても、あさってのことがわからない。
希望を持とうにも持つ端から取り上げられているような日々だ。
あさっての見えかくれする街やなにもかも失くしてもあさってだけはある、そういう所には
前を向いて歩いてくれと願ってやまない。

帰りの高速道路のパーキングエリアで、初めてボランティア・バスを見た。
いつもは自衛隊の、行方不明者捜索と原発立ち入り禁止区域の警備に向かう災害派遣車、
そして避難しているコミュニティの子どもたちがいくつかにばらけて通うスクールバスを見ている。
放射能で手をつけられない瓦礫にはまだボランティアに入れない所が多くあるので、
体を張って働きに行く彼らを生で見たことがなかった。
・・バスが光って見えた。夕方だったからなのだと知ってはいるけれど。




□うろん書店
c0002408_338443.jpg

それにしてもわれながらいい名前の屋号だなぁ。名付け親に謝謝。
準備した本は舞台、美術、文学などなど。王様は久世光彦や国枝史郎などなど。


c0002408_3382466.jpg
c0002408_3385555.jpg
アーケードの商店街、いい夫婦。


c0002408_3407100.jpg
c0002408_3401970.jpg
文化横丁、いい親子といいふたりづれ。


c0002408_3463744.jpg
文化横丁のうしろ。

今年も、昼には去年の旨い寿司屋がちゃんと店を続けていた。
親方親子が看板のこの店、じいちゃん親方は震災以来店に出れていないそうで残念だったが、
そのかわり孫が修行に入っていてうれしかった。だからというわけじゃないが、昼から銚子を一本。
ちょうど蔵元が地酒を納めに来て、親方は客たちに宮城の美味い地酒を振舞ってくれた。
ごちそうさま。

     
[PR]
by noone-sei | 2011-06-30 00:33 | 書庫まつり(12)

92夜 今年の書庫


今年最後の展示会。
予告したあしたがちゃんと守れたのははじめてじゃないだろうか。
ゆうべ、「鋼の錬金術師」まつりをしたけれども、
今夜はこの春からこの秋にかけて読んだ漫画と小説を。


c0002408_1951161.jpg

緑川ゆきの作品には不思議な倦怠感がある。売れている「夏目友人帳」も面白いけれど、
こういう、倦怠の危うさのなかでの鮮やかな作品が実は彼女らしさなのではあるまいか。

遠藤淑子は人の関係性をあぶり出させたらとても巧い。この「ヘヴン」はそこに
どうしようもない悲しみが加わって切なさが一層映える。

少女漫画や少年漫画にはそれぞれ提示されるべき道のりがあって、それは役割に似ている。
その役割を担って、自分のためではなく読者のための漫画を描くのが商業ベースの漫画家なんだが、
岩本ナオや小玉ユキや志村志保子の描く短編にはきらきら感があって、それは必須だと思う。

萩尾望都、その名が本名だということ自体に驚かないか?
残念ながら同時代を少し遅れてきた青年よろしく、現在過去作品を読み進めているところ。

紺野キタは少女と幼女の描き分けが巧い。丁寧に味わいたい。「日曜日に生まれた子供」以外は。


c0002408_19512865.jpg

小沢真理の作品は、すべり出しが気持ちいいのにどうして最後は女性週刊誌的になるかなあ。
短編を連ねることの良さが、女性漫画の真髄ではないかと思わされてしまう。

吉田秋生は振り返ると永く描いている。それでも古くならない眼なのは揺るがないからか。

娚の一生」は賞をもらったのだそうな。尾骶骨がむずむずするようないい作品だった。
この作家の作品は大嫌いで好きだ。

谷川史子の作品は可愛い。くすぐり方を心得ていてそれに乗せられてみたいと思う。

森薫の「乙嫁語り」はストーリーも巧いのだがその絵の偏執的な絵作りに感服する。
ぜひこれをゆっくり見て欲しい。絵が出来上がるさまを進行と同じく感じて欲しい。

c0002408_19515653.jpg

高橋葉介は「こんなに怖い物はセイさんとこに送ってしまえ」とやってきたもの。面白かったよ。

早世した波津彬子の姉、花郁悠紀子は、もし生きていたら
繊細だけれども芯のあるSFを描いたのかもしれないなと思わされる。

今市子の作品は迷走に誘い込んで読ませるところが面白い。

諏訪緑の作品って、台詞が多いからなんだろうかモノローグが多いからなんだろうか。
いやおうなく登場人物に同化したような錯覚に陥る。

「獣の奏者」、物語の世界観に圧倒され、読み終えても現実世界と物語世界の区別があやしくなる。


c0002408_1952876.jpg

白井弓子は「天顕祭」以来の付き合いだが、連載中の「WOMBS」と短編集。
絵が斬新なわけでもないし物語がスタイリッシュなわけでもないのに、惹かれるのはなぜだ。

「死がふたりを分かつまで」は「ジーザス」シリーズ・「イージス」シリーズ・「アルクベイン」
と登場人物が絡み合ってきて面白い。

結賀さとるの「E’S」、何年も連載しての完結、つまりはフロイトの自我、超自我の話。

「テガミバチ」は現在わたしが注目の少年漫画。

五十嵐大介「SARU」と、井坂幸太郎「SOSの猿」は漫画と小説での共作。
ところで「海獣の子供」続編を早く出版してもらいたい。
[PR]
by noone-sei | 2010-12-23 00:10 | 趣味の書庫話(→タグへ)

91夜 月は東に日は西に


 ・「鋼の錬金術師」をこれから読む予定のひとは、今夜の夜話を読まないほうがいい

昨日は雲ひとつなく空が澄んで、
こんなに美しい山々の稜線はそう見られないというほど。

そんな日の日の入りはたくさんの色を目にくれる。
山の連なりは青いような紫のようななんとも言えない階調で、
古(いにしえ)のひとなら、わずかな、けれども確かにある色のいろいろを
たくさんの色の名で言い当てられるのだろうに。

そうしてぽっかりと大きな白い月が昇っていた。
月は東に日は西に、そんなことばがあったっけ。

今夜は月蝕だったのだそうだが、外は雨。
昨日と今日をとりかえばやにすればよかったのに、
天はときどき気の利かないことをする。

                  *


ひとり「鋼の錬金術師」まつりをしている。
2001年から2010年まで少年誌に連載した物語が完結した。
作家はひとり立ちするまで、酪農で産業動物の育成と農業に従事していた。
そこは生命が生まれる現場でもあり、自然に反する生命操作の現場でもあり、
生き物の手触りと生命科学が同時にある場所だった。
その背景から窺(うかが)える生命観、死生観、倫理観。

漫画の話である。「鋼の錬金術師」は、
基本の流れがあり、多層構造で物語は幾重にも交錯しつつ、しかし少年誌には欠かせない
勇気や友情や困難を乗り越える要素も入れつつ、そして残酷さや非情さと向き合って
大団円で終結をみた。

漫画は本来、物語だけを切り取って批評されたり論評されたりするものではない。
雑誌「ユリイカ」の中に「・・漫画は、展開だけからなる単層の構造物ではない。
・・殆ど映画的なカットの接続を伴い音声の立体感を伴って、複数の層がぶつかり
干渉し合う動きの中から立ち上がってくるものであり、・・・」という記述の寄稿があった。
しかし敢えて宗教論から身体表象論から幹細胞生物学から等々、さまざまな見地からの
アプローチによる寄稿文が載っているので面白い。
なかには東大生がありったけの論拠をありったけの参考文献の後押しと「私たち」という
人称にやっと支えられて寄稿したものもあったけれど、笑って許そう。
今月の「ユリイカ」の特集は、連載が終わってのおまつりのようなものだから。

さて神や天をその身に取り込みたかったホムンクルス、劇中では日蝕や月蝕が大きな鍵となる。
これが現実だったら、「約束の日」の今夜は雨で大きな野望は崩れるところだっただろうな。
今、大きな雷まで鳴った。
物語のほうは、肉弾戦で野望を砕き、大団円ののち、兄弟は東と西に分かれて円環の旅へ。

そうそう、作家が女性と知って驚いたのは今年のことだったが、
二年前に連載も休まず男児を出産していたと「ユリイカ」で知って、再びびっくりだ。



c0002408_3431672.jpg


c0002408_3432518.jpg
隅に手だけが描かれているのは、主に劇中で死んだ者たちなど。


c0002408_3433465.jpg
読者プレゼントでもらったアルフォンスの携帯充電器。可愛い。



春から秋に読んだ漫画の展示会はまたあした。
[PR]
by noone-sei | 2010-12-22 00:10 | 趣味の書庫話(→タグへ)

83夜 知の愉しみ


とても根源的なことを言うのだけれども、「本」ってなんだ?
紙?活字?手書きの印刷物?絵?写真? ・・では内容はどうだ?

自分にとっての「本」の定義って、考えたことがなかった。
本との初めの出会いは物語で、その後、小説や評論を読むようになっても、
ひとりの時間をくれるものという意味では漫画も価値が等しい。
映画を観ることももしかしたら価値は等しい。
音楽は背景音なのですこしちがう。

本をほとんど読まない、と時々書いてきたが、
活字であれ手書きであれ、紙に印刷してあるものには引っ張られる。
しかし定義を考えてみたら、まったく引っ張られないものがあった。
心理面やビジネス面を強化するための印刷物。
「強い自分の作り方」とか「自分に負けない方法」とか「美しく生きるために」とか
「夢はかなう」とか「夢はかなえる」とか「やる気への戦略」とか・・
適当に題名を付けてみたら無数にありそうだ。

覇気を得ることをはっきりと目的にして何かを読むということがない。
結果的に覇気を得たとしても、初めから装置として「本」が存在したことがない。
美しくてどこかすこし甘やかで、それでいてきりりとしたところがあって、
装丁や意匠が知への小さな入り口になっていて、手に取ったときに既にある昂揚感。
読み終えて起こる思いがけない情動が、本がもたらす愉しみ。
あらためて考えてみると、まったく引っ張られない印刷物はわたしの「本」の範疇になかった。
それらは服を着たまま風呂に入るような感じに似ている。




□本博
c0002408_35345.jpg
先月末に、ここを会場にして本のイベントがあった。ここはわたしが通う聴講生二年目の大学。



■催しのうちのひとつ トークライブ 
c0002408_37716.jpg
c0002408_371831.jpg
授業や講義は受けるが、人の講演は人生訓が入り退屈なのでほとんど聴かない。けれどもこの講演はたいそう面白かった。
上:ブックカフェ。棚に袋に閉じてある本が並んでいる。
下:カフェ。ケーキセットと同じようにメニューに文庫本のセットがある。

内沼晋太郎



■催しのうちのひとつ 一箱古本市
c0002408_3133863.jpg
一箱古本市に出店。ぜんぜん振るわなかったので、編み物をしながらのんびり店番。この本はイギリスで書かれた絵本。誰かが面白がってくれると思ったのだけれど。


c0002408_316617.jpg
めずらしいことに王様が初出店。
踊りや舞台の本、岡本綺堂、四谷シモン、中井英夫などなど。そのほか、わたしは本を読まないのでよく知らない本。
こちらもぜんぜん振るわなかった。誰かにとってはきらきらした本でも必要としない誰かにとっては視界に入らないということがある。「百人にひとりがいるのかな、と思って一箱古本市に出てみたんだけど、ぼくのセレクトは百人にひとりもいなかったんだねぇ」と王様は自分の趣味を客観的に分析、くすくす。



■ごほうび
c0002408_3311247.jpg
c0002408_3312677.jpg
弁当への取り組みが紹介された本にちなみ、実際に弁当のおかずが披露された。弁当は親が子に伝える文化だと思っていたら、子どもが自分で弁当を作れるように教育していくのだって。それって、親に期待できなくなっても、子が自力で文化を継承できるということ?

むずかしいことはわからないけれども、披露ののちに余ったおかずを戴いたので嬉しい。弁当作りのチャンピオンが作った美味しいおかず、いろいろ。二日間の参加をねぎらってもらったような気がする。
[PR]
by noone-sei | 2010-11-02 02:35 | 趣味の書庫話(→タグへ)

77夜 「血は立ったまま眠っている」


 ・「十三人の刺客」を観る予定のひとは読まないほうがいい



              一本の樹の中にも流れている血がある
              そこでは血は立ったまま眠っている        ---寺山修司
c0002408_2223675.jpg



77夜は語呂がいいので趣味の話を。

この地の町で、あちこちのライヴハウスでさまざまな歌や演奏がある音楽の祭の晩に、
遠藤ミチロウを聴いた。
スターリンというバンドもよく知らなかったし、彼の歌を聴くのは初めてだった。
今は伝説のパンクロッカーと言われるらしいんだが、聴いたらわたしにはたいそう懐かしく、
歌詞というにはむしろ詩だと思われる言葉のひとつひとつは、地下演劇そのものだった。
つまりは生と死を歌い続けているんだと思う。

寺山修司の戯曲を蜷川幸雄が演出した舞台があって、それが「血は立ったまま眠っている」。
遠藤ミチロウは公衆便所の便器に座り、猫を捨てにくるばか者の頭をぱっかんと叩く役だったとか。
そして「血は立ったまま眠っている」を歌う。
ライヴではそのあと下水道の歌を歌い、「ああ 中央線よ 空を飛んであの娘の胸に つきさされ」と
友部正人の歌でアンコールに応えた。

ところでその舞台で娼婦を演じた女優が、映画「十三人の刺客」で四肢欠損の娘を演じている。
崇り(たたり)って恐ろしい言葉だろう?天願というのもそら恐ろしい。
天願成就という言葉は聞いたこともないが、仏教用語にありそうでこわい。
「心願成就」は個人の願い、一切衆生に対して向けられたのが「本願成就」、
それだけでも風呂敷は大きいのに、その上をゆくような天願は想像もつかない。
「十三人の刺客」は、そんな恐ろしい名を持つ監督(三池崇史)と脚本家(天願大介)が、
時代を間違えて生まれ空しい帝王学に生を実感できない歪んだ藩主を藩士たちが、
世のため下々(しもじも)の人のために殺(あや)めるという物語、それを映画にしたものだ。

工藤栄一が監督した前作は文字通り世のため人のためという大義名分をかざしていたのだけれど、
今作は、非道な行ないをいくつかエピソードにして観せるんだが、
切腹の肉を斬る音、矢が刺さる音、藩主になぶられる女たちの鼻水やよだれや血の涙、
そして四肢欠損にされた一揆の首謀者の娘を見た藩士の生理的にタガが外れた怒りを
つまりは最後の暗殺までの原動力としたところが三池崇史の趣味の世界なんだろう。
それらまきちらしたグロテスクなものたちは、三池の悪ふざけとしてしか回収されていない。

過剰に神経を逆撫でするような事象に対して真実を見るという型の人間っているだろう?
むしろ、そうした刺激にしか真実を見出せない狭いところに入り込む型というか。
たいそう疑り深いがゆえに、陰または影に実感を得、陽または日に鈍いというか。
三池のそうした面を映画という大掛かりな手法で見せられたようで気が重い。

映画を観たあと、ふいに「新必殺仕置人」の最終話を思い出した。
昔の記憶なのでほんとうは違うかもしれないのだが、
廃人になった鋳掛屋の巳代松に、いつも使用していた竹筒鉄砲を持たせて大八車に乗せ、
仲間のおていと正八がこれで命が尽きることを覚悟の上で押してゆくラストシーンだったような。
三池の映画にこの切なさはない。本当は描きたくてたまらないように感じられるのに、
なにがそんなに怖いのだか、悪ふざけで隠してしまう。
そうそう、調べたら「新必殺仕置人」は監督が工藤栄一だった。



今夜のお写真は秋の草花を。
c0002408_405161.jpg
彼岸花の群生地。


c0002408_4191.jpg
リンドウ。山のリンドウは九月でおしまい、観賞用は色もさまざま。
バンコランで夕暮れにお写真を撮るのはたいそうむずかしい。焦点を合わせられない。


c0002408_411958.jpg
田んぼの畦道のツユクサ。田んぼは稲刈りで忙しい。


「血は立ったまま眠っている」
[PR]
by noone-sei | 2010-10-07 04:12 | 趣味の書庫話(→タグへ)

65夜 うろんな書庫まつり 四 番外編

Book! Book! Sendai 2010レポート その4 おわり


一箱古本市を順調なすべりだしで迎えた昼どき。
王様から「どぉ?」と電話。
「お昼に行ってきまぁす、と行ったきり戻ってきません・・」と吉田屋遠古洞さん。
ふたりは兄と弟のように仲が良くて、たいへんよろこばしい。
留守の間も吉田屋さんとわたしの本は売れていたそうだし。
・・って、そういう話ではないのだったか。

実はそのころ、うろん書店店主のセイは、一人でうろんな行動をとっていた。
「うろん」とは胡乱と書く。簡単に言うとあやしいという意味。
路地裏というの?裏路地というの?
商店街の華やかさから横道に逸れると、わくわくするような細い路地がある。
その裏路地が気になってしかたなかったのである。
店番を吉田屋さんにお願いして、うろうろうろと横丁を徘徊、別世界に紛れ込んでいた。

商店街の横に数本ある横丁は戦後の名残り。
仙台は空襲を受けているので、戦後の焼け野原の露天から市場へ、
そして映画館ができて娯楽が生まれ、仙台で最初に復興したのがこの界隈。
街が整備されビルが建ち、華やかで整然とした街並みになったけれども、
この界隈には当時の匂いが残っている。

うろうろして入ったのは小さな寿司屋。
狭いその通りには寿司屋が何軒もあるので不思議だ。
「お昼、食べられますか?」
と、のれんをくぐったら、お客が一人いて、
そのおじさんはカウンターで冷酒を飲みながらお好みで寿司をつまんでいる。

寿司屋は親方というの?大将というの?
握るのは息子に任せた大将がテーブル席に居て、わたしにカウンターの奥を勧めてくれた。
昼は驚くほど安価で、敷き葉ランに一個付けで丁寧に握ってゆっくりと置いてくれる。
スズキの昆布締めが旨くて常温でお銚子を一本頼んだ。
鳳陽というその地酒も安価で、初夏に合うさらりとした美味さ。
カナガシラという魚を初めて知った。
さりげない会話もちょうど良く、最後は初物の枇杷(びわ)を出してくれた。

ひとり蕎麦屋とかひとり寿司屋とかが平気って、わたしはおじさんかもしれない。




□横丁のお写真
c0002408_0453711.jpg
壱弐参(いろは)横丁


c0002408_0475693.jpg
横に並べて二枚のお写真。
この横丁には「New Elegance(ニューエレガンス)」という素敵な喫茶店があって、
京都の「イノダコーヒ」が味わえるのだそう。礼儀正しい接客で、年配の客もくつろぎに来るとか。
喫茶店っていい感じ。こじゃれていたら緊張する。
普通のおじさんが静かにたばこを吸ったり新聞や本を読んだりする場所だと思う。
そしてそういう場所をカフェとは言わないんじゃないかな。




c0002408_0584682.jpg
文化横丁

c0002408_0564192.jpg
横丁の建物のひとつを裏から見た窓。


c0002408_10352.jpg
横に並べて二枚のお写真。
活動写真館「文化キネマ」があったから「文化横丁」と呼ばれるのだとか。


c0002408_123222.jpg
新富寿司。いい昼だったから写真はないが、こんなお店で、こんな店内



■おまけ

ハランとは
カナガシラとは  (生魚の写真なので、苦手な人は見ないほうがいい)
[PR]
by noone-sei | 2010-07-08 01:13 | 書庫まつり(12)

64夜 うろんな書庫まつり 参


Book! Book! Sendai 2010レポート その3


本を買おうというきっかけは、なに?
本屋で背表紙が光って呼ぶ、わたしの場合はまずそれが多いのだけれども、
よく考えてみると、なにも下地(したじ)がなくそんな現象が起こるとは考えにくい。
本が人を呼び寄せるのか自分が本を呼び込むのか、
背表紙が光るのは、つまりは本が人を呼び寄せるからだろう。
では本を呼び込む自分って、なに?
過去から現在に至るまで、嗅覚がなにに働いてきたかという、長い時間を経た下地なしに、
本と自分の関係ってあるんだろうか。

自分の嗅覚だけを頼りにしていると狭い所に入り込む。
かといって、新聞や雑誌で書評を読んだとか、帯の推薦文を読んだとか、
近頃よく読まれているらしいという評判を聞くだとか、
そういった、互いの趣味を知っている友人以外の者の紹介文には慎重になろうと心掛けているのに、
それでも気になってしまう本というものがある。

だいぶ前から気になってしかたがなかった本があって、
活字本はできるだけ避けて通ろう、漫画だけを十分に愉しもうと思っているのに、
それでもそれはどこかでひっかかっていた本だった。
「死」の匂いが鼻について離れなかった。

伊藤計劃(いとう けいかく)という作家が遺した
「虐殺器官」「ハーモニー」「伊藤計劃記録(遺稿集)」が手元にある。
まだ恐くて読めない。おそろしいのではない、彼の死の影がいたましいのだ。
この三冊は、本がわたしを呼び寄せたんだろうか、自分が本を呼び込んだんだろうか。
 ・・作家が本を使ってわたしを呼んだんじゃないだろうか。



□書店員POP大賞
c0002408_213854.jpg
仙台にはそれぞれ特色のある書店がある。
期間を定めて書店員渾身の推薦文(POP)を集め、投票した書店員POP大賞


c0002408_212211.jpg
c0002408_2123589.jpg
c0002408_2125578.jpg
「虐殺器官」が入賞でじつはびっくり。しかもこのPOPの主が男性と知って二度びっくり。



□通りの風景
c0002408_228791.jpg
楽器店にて音楽を。

c0002408_230349.jpg
 orahoさんと、たくさん話を聞かせてくれたヤンマさんのブース。
布製品は、会津木綿を一度洗ってから、デザイン通りにおばあちゃんたちが縫うのだそう。

c0002408_2373487.jpg
東京から参加の集団わめぞさん、後ろも本棚さすがの陳列。

c0002408_2404179.jpg
木箱を組んで。

c0002408_2444535.jpg
ここで五百部限定復刻版「鎌鼬(かまいたち)」(写真・細江英公 舞踏・土方巽)を見つけた。

このほか、同郷の、本の路地裏さんをみつけてあいさつ。
お客さんとして来てたくさんお喋りしてくれた駄々猫舎さん。
【風の時編集部公式ブログ】仙台の原風景を観る、知る。には「ブックマーケット その1」から「ブックマーケット その9 (ラスト)」までの記事に、ひとつひとつ参加店の写真レポートが載っている。


□店じまい
c0002408_310253.jpg


□打ち上げ
仙台から戻って吉田屋遠古洞さんたちと。

つづき                                   
[PR]
by noone-sei | 2010-07-03 03:25 | 書庫まつり(12)