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64夜 うろんな書庫まつり 参


Book! Book! Sendai 2010レポート その3


本を買おうというきっかけは、なに?
本屋で背表紙が光って呼ぶ、わたしの場合はまずそれが多いのだけれども、
よく考えてみると、なにも下地(したじ)がなくそんな現象が起こるとは考えにくい。
本が人を呼び寄せるのか自分が本を呼び込むのか、
背表紙が光るのは、つまりは本が人を呼び寄せるからだろう。
では本を呼び込む自分って、なに?
過去から現在に至るまで、嗅覚がなにに働いてきたかという、長い時間を経た下地なしに、
本と自分の関係ってあるんだろうか。

自分の嗅覚だけを頼りにしていると狭い所に入り込む。
かといって、新聞や雑誌で書評を読んだとか、帯の推薦文を読んだとか、
近頃よく読まれているらしいという評判を聞くだとか、
そういった、互いの趣味を知っている友人以外の者の紹介文には慎重になろうと心掛けているのに、
それでも気になってしまう本というものがある。

だいぶ前から気になってしかたがなかった本があって、
活字本はできるだけ避けて通ろう、漫画だけを十分に愉しもうと思っているのに、
それでもそれはどこかでひっかかっていた本だった。
「死」の匂いが鼻について離れなかった。

伊藤計劃(いとう けいかく)という作家が遺した
「虐殺器官」「ハーモニー」「伊藤計劃記録(遺稿集)」が手元にある。
まだ恐くて読めない。おそろしいのではない、彼の死の影がいたましいのだ。
この三冊は、本がわたしを呼び寄せたんだろうか、自分が本を呼び込んだんだろうか。
 ・・作家が本を使ってわたしを呼んだんじゃないだろうか。



□書店員POP大賞
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仙台にはそれぞれ特色のある書店がある。
期間を定めて書店員渾身の推薦文(POP)を集め、投票した書店員POP大賞


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「虐殺器官」が入賞でじつはびっくり。しかもこのPOPの主が男性と知って二度びっくり。



□通りの風景
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楽器店にて音楽を。

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 orahoさんと、たくさん話を聞かせてくれたヤンマさんのブース。
布製品は、会津木綿を一度洗ってから、デザイン通りにおばあちゃんたちが縫うのだそう。

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東京から参加の集団わめぞさん、後ろも本棚さすがの陳列。

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木箱を組んで。

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ここで五百部限定復刻版「鎌鼬(かまいたち)」(写真・細江英公 舞踏・土方巽)を見つけた。

このほか、同郷の、本の路地裏さんをみつけてあいさつ。
お客さんとして来てたくさんお喋りしてくれた駄々猫舎さん。
【風の時編集部公式ブログ】仙台の原風景を観る、知る。には「ブックマーケット その1」から「ブックマーケット その9 (ラスト)」までの記事に、ひとつひとつ参加店の写真レポートが載っている。


□店じまい
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□打ち上げ
仙台から戻って吉田屋遠古洞さんたちと。

つづき                                   
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by noone-sei | 2010-07-03 03:25 | 書庫まつり(12)

58夜 青い書庫まつり


昨秋、シルク・ドゥ・ソレイユが東北公演をするということを知って、
個人でチケットを手に入れるのはなかなか骨が折れた。
それから半年以上も経ち、やっと公演を観ることができた。
装置や衣装や照明、肉体はもとより、生の音楽も美しかった。
まだ呆けていてなにから書いていいのかわからなくて困る。

この集団を知ったのはカルガリー冬季オリンピックからだろうか。
けれど、初めて日本公演をするまで、なんというか、
趣味性が強く、こんなに官能的で演劇的な祝祭空間を作っているとは知らなかった。

カナダに本拠地を置き、設立から二十五年、
四千人もの人間を抱える巨大集団になったシルク・ドゥ・ソレイユは世界中でショーをやっている。
オリンピックのメダリスト、ダンサーなど肉体言語者、歌手、演奏者、道化師。いないのは動物。
二十五年間、そしておそらくこれからも創り続けることができることに驚く。

訳せば太陽のサーカスという意味だそうだが、本当にサーカスだろうか。
もとよりサーカスとしては見ておらず、舞台として捉えていたから、
このたび初めて観て、やっぱりそうだったと思った。

観たのは「コルテオ」という舞台。
天に召される直前に見る道化師の夢まぼろしの葬列。
仲間や天使や人のようで人でないものなどに囲まれ、美しい歌や楽器に囲まれ、
ときに静けさ、そしてたいていは賑やかさに送り出されて、
自転車に乗って天国にゆく。
それを見送る観客も幸せな気持ちになる。




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いざない



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大きな大きなテント



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円形劇場、中央にステージ



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エントランステントの床は色の照明が足元を追う



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本日の演目



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大きなテントの入り口へ向かう



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こんな入り口から祝祭空間へ



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行列



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ベッドで飛んで跳ねて



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高い高い天井からシャンデリアが吊られ回りながら踊る。



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小人のアダージョ、頭上には天使がいて雪を降らせる。



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自転車に乗ってクラウンが昇天する。写っていないが、この下では大勢で大車輪ぐるぐる。




シルクドソレイユ ホーム(日本)
各ショーの物語のあらすじが読める

シルクドソレイユ ホーム コルテオ(英語版)
View Trailerをクリックすると動画が見られる

ほぼ日刊イトイ新聞
「シルク・ドゥ・ソレイユからの招待状。」



□おまけ
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仙台の愉しみは本屋にゆくこと。
この書店、UPという小冊子を無料で置いているんだが、
数年前に、記事を連載している学者の文章が読みたくて定期購読で取り寄せていたっけ。
(2001~2003 橋本毅彦「学問の図像とかたち」、現在は
「描かれた技術 科学のかたち」として単行本化されたが、
わたし個人は小冊子時代の、随筆のような物語のような味わいが好きだった。
単行本化するにあたって大幅な加筆修正がなされて、アカデミックになったのはすこし残念)

仙台は本の楽しさを広げる市民活動もさかんで、「6月の仙台は本の月」、
街のあちこちで本と出会うのだそうだ。
一箱古本市という、すてきな古書店ごっこがあって興味惹かれる。
遠巻きにながめるだけじゃなく ・・わたしも参加できるかも。
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by NOONE-sei | 2010-05-16 02:21 | ときおりの休息 杜の都(4)

52夜 ひとりふたり


昔は女性のひとり旅は嫌われた。
わたしの育った山あいの温泉町では、旅館にひとりで泊まる女は傷心と相場は決まっていて、
夜に宿を求める女性客は、部屋に空きがあっても断られたものだった。
自殺でもされたらあとが面倒だったからだ。

旅館と死は離れてもいない。
旅館の湯は源泉の硫黄がきつくて、朝に客が風呂で浮いていたなどということは、
めったにはないが、そうめずらしいことでもなかった。
そんな事故があっても、宿の営業は休まなかったし、
誰もわざわざ口の端に上(のぼ)らせるということもなかった。

近頃はだいぶ様子も変わってきていて、
ひとりで泊まる女性を歓迎する宿が増えた。
少人数の女ともだち同士で泊まるということはよくあるが、
日常の喧騒を離れてのんびりしたい、そういうひとり客も増えてきて、
男性は旅することを楽しむために宿に来るのに対し、
宿で過ごすことを楽しもうという女性の志向が多くなってきたのだ。

なかにはめずらしい客もいる。
ひとりなのに二人分の宿賃を払いたいという話。
布団も二人分敷いて、食事は子どものものを用意してくれと言う。
動物じゃない。人形を連れてくる。
人形の数え方は一体二体。けれどもそういう客の場合はひとりふたりと言わなくちゃならない。
どんなわけがあったかは知らないが、生きている人として扱い、
おろそかにしてはいけないので仲居は神経を使う。

人形は小さな子どもくらいの大きさはあり、兄弟会や子供会や同窓会があったりもする。
補修が必要な時には、それを里帰りという。
どこまで人として扱うのか扱われたいのか、
どこまで人として信じているのか信じて欲しいのか、
人間の心の深淵は量り知れないし、深淵のほうも人を覗き込んでいるというから、
目を閉じて、深淵とやらと目を合わせないにこしたことはない。



今夜はわたしのひとり旅を。


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お供はこの写真機パタリロ。ひと月くらい前のひとり湯治の旅。


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以前にも女ともだち数人で湯治に来た小さなリゾートホテルなので緊張しない。ロビーにはこんな春が。


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オフシーズンだったので、宿のはからいで正午からチェックインさせてくれた。まず風呂。


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三人部屋、これをわたしひとりで使う。のびのび。


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読み物を用意して、飲み物を用意して。


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部屋からの夜。ひとりの夕食もさみしくない。
夜の料理はパタリロでまだうまく撮れないので、なし。


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朝食ものんびり。外はまだ寒くて、雪が残っている。
外は仙台郊外の名取川、まだ冬だったのに家よりも北に行きたいと思うのはなぜだろう。


ひとり湯治はくせになるかもしれない。
まったく退屈しないで風呂三昧、読書三昧、気分が一ヶ月は保てる気がする。
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by NOONE-sei | 2010-03-31 03:48 | ときおりの休息 杜の都(4)

44夜 花も嵐も

 
先週末は大雪、吾妻おろしの地吹雪。
門までの道を作ろうにも、かいてもかいても雪が降る。
地吹雪が来ると息もできず、一寸先(いっすんさき)も見えない。
雪は、しんしんと降ってしまえば心なしか温かみがあるものなのだが、
山から風が吹き降りると底冷えがする。
夏の風は太いが、冬の風は細くて鋭いから隙間に吹き込む。

父が亡くなって丸二年が経ち、日曜は三回忌だった。
この二年、この地は雪が少なくてさほどの雪かきもせずに済んだが、
そろそろ平常運転しろよとでも言うように、三回忌の前日に、
父はせっかちにどっさり雪を降らせてくれた。
まだ二年なのに三回と数えるくらいだから、仏事は万事、気が短い。

前日の大雪はとーちゃんが雨男だからかじいじが仕組んだかと鰐号は笑うし、
犬たちは久々の雪の小山に登ってはしゃぐし、三回忌はしめやかじゃない。
王様と鰐号でスコップを手に身支度は完全防備、
雪用の長靴を履いて、法会(ほうえ)の前に墓を掘り出しに行ったら雪めんぼ。
雪めんぼとは、雪にまみれること。この場合は白いだるまのようになってしまうこと。
墓堀りのだるまたちは墓石を掘り出すのが精一杯だった。
だるまはうずくまらない。地吹雪で転ぶんだ。
黒い喪服に、皆が黄色や青の長靴やら黒のゴム長って笑えるだろう?
つまり上はちゃんとしたしめやかさ、下はなんだもない格好。
なんだもないとは、この場合ふさわしさに構っていられない身なりのこと。

さてその法会、外は地吹雪、中は隙間風。
菩提寺(ぼだいじ)は古い造作(ぞうさく)なので隙間風が入る。
和尚(おしょう)も、ストーブのそばに固まって座してくれればいいからといった具合。
和尚の、組み結んだり鳴らしたりする指の所作は興味深く、
読経の前に唱えてくれる御詠歌は訛(なま)っていて微笑ましい。
経文は、唱えられても漢字音読みの羅列でさっぱり意味がわからず、
ありがたい内容なのだろうにいまひとつありがたみが薄い。
一方、和歌を詠み歌う御詠歌はたいそう美しい。

「詠歌」とは五・七・五・七・七の短歌、「和讃」は七・五調の長歌、
現在ではどちらも合わせて御詠歌と呼ばれるのが一般的になってきた。
どちらも共に節をつけて唱え上げる。
本家の伯父の葬儀では、妻である伯母が近隣の女の人たちと御詠歌を歌った。
この世は常ならむものであることや、朝に夕に想っていることなど、
御詠歌はしっとりと穏やかな心もちにさせるような内容で、
まるで、自然界にたゆたい、あるがままに受け入れられよ、と沁みこんでくるような。
受け入れよ、ではなく、受け入れられよ、という捉え方が素敵だと思わないか?

曼荼羅の数やその意味や仏のいろいろ、父の浄土への旅のあれこれを教わり、
法会を終えると地吹雪の墓地へ。
用意した花は風に飛ぶし、線香も点けられないし、
五輪塔に模した細長い板の卒塔婆を和尚は持って来るのを忘れるし、
風の中、大笑いなのだが笑うと口が雪めんぼになる。この場合は白髭じいさん。
墓地を後にしたら地吹雪がぴったり止み青空まで出て、
やっぱりきっと、じいじがあの世からなにかしてたにちがいない。

昨年の一周忌は人寄せをし、父と深い関わりのあったかたがたと会食をした。
この会食は神社の宮司が参席したので神式で『直会(なおらい)』。
今年の三回忌は家族だけで、和やかに総本家の旅館でのんびり、
会席膳と、父が手がけた露天風呂と昼寝、一体誰のための日だったんだか。
こちらは仏式で『斎(とき)』。

うちの前日が旅館のおかみさんの二七日(ふたなのか)だったので、
仏壇に手を合わせたら、満面の笑みの遺影が飾ってあった。
位牌の戒名には、俗世での象徴的な文字を選んで入れるものだろう?
父は大工だから匠の文字がある。
おかみさんは顔と歌と笑の文字があり、こんな戒名は初めて見た。
温泉町を一望する墓は雪の山になっており大雪と大風、
前日の墓参は嵐の最中(さなか)だったという。
うちはさっきやっとこさ墓石を掘り出して花入れに花を挿すんじゃなく刺したと笑ったら、
総本家では雪がどっさり降るなか雪の墓山に抱えきれぬ程の花をずぼっと刺して、
おかみさんを花の雪だるまにしてきたんだと聞いてなお笑った。

笑いで供養したふたつの仏事。
一寸先は闇というけれど、ふたりはおそらく閻魔様には拝謁していないだろうから、
一寸先の浄土は笑いのパラダイス、ほんとの極楽なのではないかな。




 先日の仏事 42夜 化粧直し

    

『斎(とき)』をパタリロで
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by noone-sei | 2010-02-14 00:53 | その五の百夜話 父のお話(1)

42夜 化粧直し


母方のばっぱちゃんは旅館の末娘だったので、親が手放して嫁にやるのにしのびなく、
苗字を継がせて分家に出した。
そこで子が生まれ孫が生まれれば、亡きばっぱちゃんの家は本家となるのだが、
辿れば旅館が、本家の本家ということになる。
血は水より濃いけれど、薄まっていくのが本来の姿。
山あいの温泉町はちいさいから、血だけが薄まり付き合いは色濃い。
分家や新宅にとって、総本家は根に拠って立つ場所だ。

葬式などがあると系図が頭を巡る。
親の代、祖父母の代と、やっと糸が繋がるのはそういう時で、
誰がどこに位置するかという系図を浮かべて、集う人に挨拶することになる。
これが幼い頃にはなんだか恐くて、大きくなると疎ましくて、できれば避けて通りたいものだったが、
いつのまにか自分の子どもに長男の務めとしてこうしたことを仕込むことになった。
苗字だったり並び順だったり、滞りなく務めるための要点を伝えながら、
自分が背を向けてきたことを棚に上げて鰐号を教育する可笑しさに内心苦笑する。

小さい時から可愛がってくれた総本家のおかみさんが亡くなり、葬儀があった。
鰐号を伴って枕辺に別れの挨拶をし、改めて通夜と告別式に出席した。
華やかで気性は豪胆で、歌の上手いひとだった。
枕辺の顔は美しく、豪奢な宝飾品が亡くなってもなお似合う。
通夜の席では生前の歌が流れ、拍手が起こった。
それは「カスバの女」という古い流行歌で、小さい時に彼女に教わったからわたしも歌える。

死化粧はむずかしい。
生前の容貌を思い出させるものでありたいのに、そうでない場合も多い。
葬儀社の専門の人は、愛用していた化粧道具では整えてやらないことが多いからだ。
彼女の死化粧は彼女の娘と若おかみが施した。
枕辺から告別式までの数日間、毎日、日に二度化粧直しをしたという。
そうまでして保つおかみの顔とはなんだろう。
旅館の顔、総本家の顔、そして鰐号たちの新しい系図を目覚めさせる顔?




                       * * *



写真機パタリロの試し撮りと化粧直し
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上はオート。下はそれを色加工。


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上はオート。下は絞り優先パタリロまかせ。


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上は絞り優先パタリロまかせ。下はそれを色加工。


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上はオート。真ん中は赤を加えコントラスト強く。下は明るさを強く。

パタリロはほっとくと青が強く写る。ピントもまだよく合わせられないが、オートじゃないほうがいいのかな。
絞り優先に、お花マーク(マクロ)それにわざと離れてズームを使うと、周囲にボケ感が出るのかしらん。
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by noone-sei | 2010-01-28 03:23

40夜 ひとり


 ・メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい


ひとりの時間が苦しい時と、ひとりの時間がなきゃいけない時ってないか?
過去の事象に囚われると身動きがとれずひとりの時間が苦しいけれど、
再生へのプログラムを発動させる糸口が見つけられるとひとりの時間が必要になる。

時間が薬というのは正しい。
けれども時間をどう使うかで薬の効き目はちがってくる。
思考を痺(しび)れさせて捨て置くこともあろうが、飾りなく思考して向き合うという方法もある。

喪失というのは、別れだ。
この「別れ」という言葉はとても大切で、「別れ」をきちんと認めて初めていろいろなものが動き出すように思う。
動物の親と子の別れ、人間の親と子の別れ、人の別れ、男女の別れ。
父との別れは、むしりとられるような別れだった。
鰐号とのへその緒を切ってやる時には、動物の本能のような感触があった。
人や男女の別れは、濃密な関係であればあるほど破綻は苦しい。
どのような「別れ」であれ、それを認めるところから「別れを弔う」ことが始まり「再生」が動き出す。
再生には、ふたたびという文字があるけれど、脳細胞が再生するようなふたたびのやり直しではない。

これまでわたしは、どこにあるのかわからない心というものの単なる器として「脳」という語句を使った。
電気的な刺激で点滅するだけの入れ物じゃないかと皮肉な使い方をしてきた。けれど、それはもうやめよう。
これまでの嘲(あざけ)るような使い方は、自分を嫌ったり大切に思えない心情の反映だったから。
脳は、思考する脳だ。

ひとりの時間、「思考」してさまざまな「別れ」をして、今「弔い」をしている。
「再生」が始まるのはこの弔いを終えてから。




今夜のお写真は書庫。同じものが二度写っているのは、ぼぉっとしているやつなので勘弁。
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夏から秋への書庫。
「天顕祭」(白井弓子)は重厚だった。「苺田さんの話」(小沢真理)は面白かった。
「越後屋小判」(奈知未佐子)は切ない話。遠藤淑子には男女ペアの話をもっと描いてもらいたい。


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秋から冬への書庫。
荒木飛呂彦は懐かしかった。「乙嫁語り」(森 薫)は描き込みが楽しい。
「魔女」(五十嵐大介)は深い。「ひみつの階段」(紺野キタ)は丁寧な気持ちで読んだ。
・・と、いままでになく感想も書いてみた。

ところで知ったこと。
花郁悠紀子と波津彬子は姉妹、森薫と荒川弘は女性作家。
「鋼の錬金術師」も「D.Gray-man」も「家庭教師ヒットマンREBORN!」も女性作家のだったとは。びっくりだ。


追って:
いつもここに積むのは漫画であって本ではありません・・ 本はほとんど読まないのです・・

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by noone-sei | 2010-01-17 03:10

24夜 東京散歩 参


 ・メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい

  
昨夏は新盆だったから、二十日盆、三十日盆(みそかぼん)が来た。
今夏はあっという間、たった三日のお盆。
迎え火もたった三日。
父はきゅうりの馬でやって来て、ナスの牛に乗って帰って行ってしまった。
行ってしまうとさみしいのだが、来る前は気が重かった。
わたしは父を思い出したくなかった。
母は、亡くなってから一度も会っていなかった父に、
盆の入りに夢で逢ったのだという。
笑顔で幾人かの人たちと談笑していたというが、言葉は交わさなかったのだとか。

盆の慣わしに追われてさえいれば、気持ちがやるべきことにとられるから、
ほんとうは手は動き脳は使わないはずなのに、
あの世からの人たちに会いに、あちこちの墓や家々を巡るのには気が滅入る。
ほおずきとは鬼灯と書くのだな。
鬼に気をすくわれないよう、ついつい顔から表情が消える。
夏の虫は飛んで火に入るのだろう?
迎え火を焚いていたら、細い薪が赤から置き火に変わるのが虫に見えてきた。
木を這う虫が骨を這う火の虫に見えたのは、火を見すぎたからなんだろう。

本家は新盆でなくとも毎年きちんと盆棚を飾る。
盆ござを掛けた棚には位牌や写真やお盆さまへの供物。
上の横棒には杉の葉、ほおずき、麩のまんじゅうを下げる。
供物はナスとささぎをみじんに切って生米を混ぜたもの、切り昆布の煮物。
本家は分家や新宅とちがって忙しい。
自分のところのご先祖さまだけでなく、本家を出た人たちの墓を巡る。
竹筒と花と線香を用意して、花を供える筒には屋号を書き記す。
参らねばならない墓がたくさんあるので、すべての家のお盆さまにまでは
手を合わせに寄ることができないから、墓に参ったしるしを残すのだ。
朝早くからの墓参りを済ませて帰るともてなしの準備。午後は本家を出た人たちが集まる。

小さい頃には、都会に出た伯父や伯母の家族が本家に集まって賑やかだった。
夜、子どもたちは浴衣を着せてもらって盆踊りに行った。
昔は面を付けて踊ったのかもしれないが、今はうちわを手にして、
それをやぐらから木々に渡した綱に点ったたくさんの提灯にかざして踊る。
そして盆踊りを終えると、土産を持って都会という生活の場に帰る人々。
踊りに紛れたご先祖さまには逢えただろうか。

ふるさととはなんだろう。
子どもたちが巣立ってひとりになった友人は、
家を引き払ってもっと手狭なマンションに住み替えようとしたら反対されたという。
自分たちは出てゆくくせに、戻るべき、または戻ろうと思えば戻れるかもしれない場所を
残しておきたいというのは傲慢というものなんだろうか。
ふるさとに帰ってこなければならなかったわたしには、
出て行った者や出てゆかなければならなかった者のことはわからない。

東京は特別な町だ。
地方から行った者は、残してきた地方とどう折り合い、
そして日頃はそれをどうかき消して過ごすのだろうか。
普段は忘れているのだろうか、忘れようと努めているのだろうか。
偲んで過ごすのはきつかろう。
遠くに行った者の家族はうまく暮らせているだろうか。
近くに面倒見のいい先住者をみつけただろうか。

先日、郊外から都内への僅かな往復に乗った電車で、おかしな人をたくさん見た。
流行りだからと初めて着たような浴衣の人、
電車の中で化粧をする、隙だらけの女の子、
上から下までエレガントで美しい身なりなのに武装感たっぷりの女性、
座席にパンを広げて食べる年のいった母娘、
鳥打帽に金のネックレスをした、シャツの襟を広げ胸元から胸毛を見せている男性、
若い頃は愛くるしい女の子だっただろうに黒一色の服装に濃い化粧の女性、
秋葉原から乗った年配の男性ふたりの、持っている手荷物と口調の不思議さ。

これらの人々は、いつから東京に住んでいるんだろう。
地方に、残してきたふるさとがあるんだろうか、それともはじめからそこに居たんだろうか。

 
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今夜は東京駅や丸の内周辺のお写真を。


□丸の内周辺
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こじゃれたカフェ


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カルティエゴルチエのショーウィンドウ


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ふたりづれ


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マロニエの並木道
手入れされた花や観葉植物が植えられていたり、吊り下げられたり、景観への配慮があった。



□建物
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三菱UFJ銀行
顔にあたる近代建築を残しつつ、後方に高層ビルを建てた銀行。


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偉そうなビル
威圧感のある建築物だと思ったら、これが新丸ビルだった。



□東京駅周辺
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橋の欄干か
川が流れ、橋が架かっていたのだとか。


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改修工事中の塀
たくさんの、東京駅に関する資料が掲示されていた。
「帝都」って、なんだかすごい言葉だと思わないか?


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中央郵便局
こちらも改修工事中。大きな時計に針がない。


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現在の東京駅
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by noone-sei | 2009-08-17 02:37 | 東京散歩(5)

14夜 献身


死んでも生きている 死んでも死んでも終わりがない世界
という文を友人のところで読んでどきりとした。

昔、好きでときどき通っていた銭湯に、どきりとするポスターが貼ってあり、
それを見るたびになんともいえない気持ちになった。
「リボンのない贈り物、献体」
相撲取りの全身が載っていた。
周囲に、献体の意思表示と手続きをしている人は幾人かおり、実際に舅をそのように見送った人もおり、
友人の医者から医学生時代の実習や都市伝説を聞いたこともあった。

以前「カテゴリ~趣味の書庫話」で少し触れたけれども、「水の時計」(初野 晴)について。
事故に遭って脳死しているはずの少女が、自分の意志で身体の一部ずつを分け与えてゆく。
ときどきしか本を読まないわたしには精神的な痛みに同調しないための抗体が不足していて、
読んだことを後悔しながら痛くてたまらなかった。
ことに、脳死でありながら生かされている身体が初潮を迎え、開かない眼から涙が流れる描写は切なかった。
昇華される読後感ではなく、いつまでも胸にくすぶった。
「水の時計」は、「幸福の王子」(オスカー・ワイルド)を底本に書かれたミステリーなのだが、
わたしには寓話に思える。そういう意味では、「みどりの指」(モーリス・ドリュオン)もおなじ匂いを持つ。

前知識なく、題名に惹かれ図書館で手に取った「密やかな結晶」(小川洋子)について。
体のどこかが欠損してゆく過程に目をやり、静かに見つめるのはこの作家の特徴だろうか。
漫画「22XX」(清水玲子)も胸が痛む読後感だった。

 (これから読む予定の人はこの先を読まないほうがいい)

一方は食欲をプログラムされたが食という行為を厭う人型ロボット。
もう一方は夫を食べた母親から生まれ、自らも母親を食べ、
いつかは自分も子どもにそのようにして能力や命を継がせることを誇らしく考える惑星の種族の少女。
食という行為は神聖で、食事の前には長く深く祈りを捧げる。
狩りで獲物を得る種族にとって肉体の欠損は命取りであるのに、
彼女は危険な目に遭って動けないロボットをロボットと知らずに自分の一部を分け与える。
けれどもロボットはどうしてもそれを食べることができず、後に食欲のプログラムを外す。
そして、なにも食さずともいられる今になって過去に食べたかったものを思うとき、
それはたったひとつ、あのとき彼女から与えられたものだった。



ところで話は変わるが、
生まれ変わることのないよう、天の人によく頼んであるので、わたしには生まれ変わる予定はないんだが、
矛盾するようだがもしもそのようなことになったなら、
わたしは看護士になりたいと思っている。





友人のところ
百夜話 22夜 神さまからの贈り物 (「密やかな結晶」のこと)
追って:
本の題名を間違えたので訂正しました。夜中に書いた夜話なので、頭に木瓜の花(ぼけのはな)が咲いていました。
 正 「水の時計」
 誤 「青の時間」



今夜は晩冬から早春にかけて読んだ活字、読むつもりの活字を積もう。
ほとんどの活字は言うまでもなく漫画。
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上から五冊目「遠藤浩輝18」というのは帯で隠れてしまった「EDEN」の最終巻。
十年以上の連載だったとか。

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このお写真は
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この地のレッドデータで準絶滅危惧種に指定されている高山植物、シラネアオイ。
盗掘などで少しずつ持っていかれて減ってしまった。
花は、身を与えようなどという意思さえ持たず、ただ咲くだけで献身なのかもしれないのに。
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by NOONE-sei | 2009-05-14 03:02 | 趣味の書庫話(→タグへ)

10夜 鳥啼く人泣く


花々が、気が狂ったように咲いたからだろうか。
この春はウグイスの声が美しかった。
近くに啼き方を教えてくれる先住鳥がいないと、
新米鳥はなかなか美しい啼き方を覚えないと聞いたが、
きっとここいらに面倒見がいい鳥がいるんだろう。
鳥の声は音楽なんだろうか信号なんだろうか。

別れの季節、春。
周囲で、ひとりになったり家族が離れたりする話を聞く。
わが家もこの春から、鰐号がアパート暮らしだ。

夜が来ると泣いている友人がいる。
子どもたちが一度に地元を離れたために、急に一軒家に一人になってしまった。
独身の一人のさみしさを知っていても、家族の味わいを知ってからの一人はつらい、と。
わたしも、鰐号がひとり暮らしを始めたその翌朝は気持ちが沈んだ。
なにか音楽を聴こうとコンピレーションアルバムをかけたら、
そのうちに「Your Song」(エルトン・ジョン)が流れて、
気持ちが動き出しそうな旋律が耳に残るので素早く切ってしまった。
琴線を鈍くたわませていなくちゃいけないのに、音楽に直接働きかけられてはたまらない。
直(じか)に向き合わずにほどよく気をそらしてくれる、そして時には弾みをつけてくれる、
その朝はそんな音楽が必要だった。

優しくなる音楽が欲しいと言った知人がいる。
家族が離れてしばらくになり、以来、悲哀のある音楽を聴き続けている。
割合軽やかさもある素朴な女性ボーカルをいくつか選んで進呈した。
喜んでくれて、ではお返しに、と先方からも音楽が送られてきた。
アルゼンチンタンゴ、スパニッシュギター、インディオの歌、等、、
それらは哀愁に満ち満ちて心のひだとやらに沁みるどころではない、
奥の奥の生理を素手で掴んで涙の製造元に働きかけ、
泣いてしまえ獣になって啼いてしまえという旋律で参った。
まるで音楽がそう操作するように気持ちの安定レベルを下げるのにも参るが、
なにが参るって、知人の泣く声が直に脳に伝達されるようで参る。
共に落ちてゆくような音楽もあるのだな。

音楽には、共振し合う愉しみというのがある。
恣意的に音楽に劇的要素を求め、同化しようと試みる聴き方もあろうし、
いつかの懐かしい場面を重ね合わせ、心地よく記憶野が刺激される聴き方もあろうし、
没頭して聴き込んで、己の鏡とする聴き方もあろう。
聴く側の態度というか志向性というか、言ってしまえば嗜好、癖のようなものがある。
志向性という意味では、わたしにとって音楽は背景音で、
いつも音楽を途切れさすことがないかわりに、ほとんど身を入れて聴いてもいない。
なくてはならないものなのだが、耳に留(とど)まって脳に障(さわ)っては困る。

音楽とは恐ろしいものだな。
鳥啼き人の目に涙とはいうけれど、
鳥の声とはちがって、その快(こころよ)さに魂まで開(あ)けてしまおうとは思わない。
だって、そこからなにが出てくるのか想像もつかなくて、恐ろしいじゃないか。



追って: ほんとうは・・
行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 (松尾芭蕉)
    春が過ぎ去るのを 鳥は啼き、魚は目に涙をうるませて惜しんでいるように、
    旅立つ自分のために門弟たちは別れを惜しんでくれている。


                                  * *

今夜のお写真は、まだ盛りだった時の桜のお写真。
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山の中腹にある寺のしだれ桜。


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桜の花が、写真に撮るのは一等むずかしいと聞く。
接写と望遠を使う撮り方を覚えたので載せてみる。


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寺の裏庭にて。上から順に、カタクリに雑(ま)じって珍しい白のカタクリ。
カタクリと一輪草。
カタクリとふきのとう。


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寺の境内では、参詣した人々のために休憩の椅子や卓が設けられ、こんなもてなしを受ける。
檀家の婦人会のおばあちゃんたち手製の、自慢の茶受け。初物の葉わさび漬けも馳走になった。
おばあちゃんたちの、揃いの白い割烹着がまぶしい。



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お城山のソメイヨシノを観に山道を登る。


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ご褒美は茶店で求めただんごと豚汁。
春の汁物はじゃがいもだから、芋煮ではなく豚汁。





素早く切ったのはこんな曲 僕の歌は君の歌Your Song/Elton John
昨年の暮れにはげまされたのはこんなアルバム Sunshine State/Sunshine State  試聴ができる

本日の犬
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by NOONE-sei | 2009-04-18 02:13

7夜 ちかごろの春


春彼岸は墓参り。
本家で、ぼたもちと、青菜とふきのとうを和えたおひたしと、
これは必ず作る、切り昆布と車麩の煮物を馳走になった。
毎年季節に食するもの、慣わしに食するもの、変わらずに墓前に供えるもの。

毎年変わらず替えることというのがある。
季節に合わせて装いを替えること。春には春の装い。
ちかごろ雪が降って、春だと思っていた体が驚いて、体感温度が低くて寒い。
それでも、素材は厚物でも色は春物。
このように、着る物の素材や色に思いをめぐらし、
着る物に季節と相談をすることを美しいと思う。
食生活も同じように、野菜も白いものから青みのあるものへと替えてゆく。
白菜や大根から、かぶれ菜や野の物へ。

ところでまだ春は名のみの風の寒さ。
母とほとんど毎日、昼の陽のある時間に犬を伴って散歩をしている。
ひとりで犬を連れていたときには、よく休耕田でノビルを採ったり小川でセリを摘んだりした。
犬はわたしの道草をのんびり待っていてくれた。
ふきのとうやつくしもそのようにして食卓に上ったのだったが、今年は野の物が摘みにくい。
母は父としていた散歩をわたしとするので、道草を食わない。
それに加えて子犬は待たない。

先日、紅梅の赤と連翹の黄に、白い山からこぼれた雪がちらついて、
それでも風をよけながら歩いていたらふきのとうをみつけた。
ちかごろとんと見かけていなくてとても食べたかったので、
母に子犬を任せて休耕田に入り摘んでいたら、子犬は待っていなかったらしい。

・・子犬はぱくんと食うんだという。
しかも、ふきのとうを選んで。



                    * *


ここでちかごろの野のお写真を載せたいところなのだけれど、
まだゆとりがない日々なので、食べ物のお写真を載せて冬から春を感じてもらおう。

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友人のところで馳走になったキクイモの漬物。


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宮城松島の浜で焼いた牡蠣、働く手が美しい。


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焼きホタテ。



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                                                        photo by bow
父を偲ぶ食事会での前菜。このときはまだ二月初旬だったのに、ホテルが春らしい献立にしてくれた。
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by NOONE-sei | 2009-03-29 02:46