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83夜 謹賀新年 


七福神のなかに恵比寿や大黒天がいる。
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今朝、近くの神社に詣でたら思い出した。
昨年の初詣には、二階建ての家の高い屋根に停まるシロサギを見たのだった。
えらく目出度いものを見たのだけれども、昨年一年間の幸運を告げていたわけでもなく、
鳥は停まりたかったから屋根に停まっていただけ。
幸運をなぞらえて見るのは人間の勝手であって、今日の今日まで忘れていたわたしのほうがめでたかった。

とはいえ、信心深いわけでもなぞらえたものにすがるわけでもないが、
昔からの言い伝えや慣わしには面白さがあって、そこに地域性が加わると地方文化と言えるものになる。
わが家では不思議なものを昔から飾っている。
それは幣束(へいそく)と呼ばれる白い紙なんだが、普通、幣束といえば神社のもの。
けれどもわが家では天台宗の寺から暮れになるともらってくる。
しかも金額は決まっていないので、白い紙に包んだいくらかを渡す。
布施というものはこちらの思う金額らしく、父の葬儀のときにも戒名をもらう時にも、こうして幣束をもらう時にも、
渡した白い紙の中身がそれでよかったのかどうかわからないがずっとそんなふうだ。

もらってくるのは和紙を裁った飾り物。

・歳神
一般的な幣束。
歳神、山の神、庚申、地鎮祭などに使用。

・三宝荒神(さんぼうこうじん)
角が生えている。火の神、穢れを焼き払う。
神棚の左に三宝荒神、右に普通幣を供える。
葬儀のあった家は、納骨後、後祈念として家を清める時に使用。

・水神
水の神。洗い場、水源地、井戸、風呂などに供える。

・お釜様(おかまさま)
台所、釜場などに供える。

・稲荷
敷地に稲荷を祀っている場合に供える。

・恵比寿大黒
縁起の幣束。農事豊楽などの福を願う。
下がっているのは升と鯛を表わしている。



というわけでお写真は恵比寿大黒の幣束。
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これを広げると大きい。


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なにやらユーモラスな感じがする。




□祝いの膳
数年前のこと、昔の建物を移築している大きな庭園で祝いの膳を馳走になったことがある。
お写真はその時に撮ったもの。
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献立


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昔の食事の意味や謂(いわ)れが書かれたしおり。


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塗りの食器が美しい。


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正統な和食とはこういうものをいうのだろうか?


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この日の膳を用意してくれたスタッフの膳。


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昔の建物。


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室内にはこうして火鉢が置かれていた。

新年の獣
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by NOONE-sei | 2014-01-02 02:13

82夜 よいお年を


こころを鎮めて過ごすことにちからを尽くす一年だった。
シワ コ が死んでペロ コ がおとなになり、母は認知力の低下に伴いおとなになり、
そうしてわたしもこころを鎮めておとなになろうとし。

でも頭の中は自由で、自由を欲する業というのか欲というのか、
わたしは渦中にあっても自由を強欲に欲する業を持っているのだなと思う。
自由というのは、「ひとり」とも言い換えられるもので、
それを自覚するかしないかで日々の過ごし方には大きなちがいがでる。

ひとりを自覚しても傍(かたわ)らにはシワ コ があたりまえに居た。
今はほんとうにかみしめるようにひとりだ。
もともと懐こいペロ コ はわたしと距離をとるということがないので、
夜になるとぺったりと側(そば)にへばりついて、無防備に腹を出して寝ている。

ペロ コ がわたしとひとりを分け合うようになるのはいつだろう。
それともペロ コ なりに分け合おうとしているんだろうか。



今夜のお写真は撮り貯めてきた漫画のお写真を。
ずいぶんと貯まってしまっているので、少しずつ載せていこう。

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写真には「大人女性」と名づけて保存していた。
まず、描き込みが凄まじい森薫。
「シャーリー」は楽しく読める短編集なので、眠る前に読むと幸せな気持ちになる。
笠井スイも達者。
えすとえむは、達者すぎるのと、作中に流れる時間が読み手であるわたしとどうもずれる。
オノ・ナツメの時間の流れと似ているものが感じられる。
「このたびは」に登場する新郎の挨拶はとても好き。


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写真には「大人青年」と名づけて保存していた。
諸星大二郎はもう言わずもがなの彼岸世界。
三宅乱丈は絵柄からして女性作家とは思えない。
現在連載中の「イムリ」も特別な能力を持つ者たちが登場するんだが、不条理や理不尽が必ず物語られる。
今敏はまじめすぎるように思う。
「ナチュン」はどこまで行ってしまうんだろうとはらはらさせる物語。


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写真には「平均女子」と名づけて保存していた。
鈴木有布子は達者なラブロマンス。恋愛に必要な要素がきちんと散りばめられている。
高橋美由紀は大きな使命を背負った者を描くことが多い。「9番目のムサシ」もそう。
ところで「六番目の小夜子」という恩田陸の小説は題名がこれと似ており、内容は吉田秋生「吉祥天女」と似ている。
勝田文の作品はほわほわと掴みどころがあるようなないような。でも温かみがある。
「女の子の食卓」は最終話を終えてしまった。よい短編集だったので残念。


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これも「平均女子」
荒川弘と今市子をこのカテゴリに入れたのはまちがいだった。ぜんぜん平均じゃない。
いくえみ綾については長い間の作家としての変遷を見てきているので思うところは一言にできない。
「ありをりはべり」は登場人物の高校生たちにみんながんばれと思う。
川原由美子は昔の作品は甘ったるいが、「観葉少女」で開花したように思う。
現在の作品群は漫画の既成の枠を超えたい願望を感じる。


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写真には「剛と柔」と名づけて保存していた。
作風は全く違うのだが、勝田文も緑川ゆきも作家自体に不思議な雰囲気を感じる。
吉田秋生作品はずっと読んできて息苦しい頃もあったが、この海街シリーズはどれもいい。


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これも「剛と柔」
末次と上田は似ているとか似せたとかいい話を聞かない。
そういうことは脇において読むと、末次作品のひたむきな登場人物は以前も現在も共通している。
谷川史子は少女漫画の王道だと思う。現在は登場人物の年齢を上げた作品が多いが、
中学生や高校生の淡い恋物語の清潔感こそ谷川作品の良さだと思う。
テガミバチは、とにかく早く謎を解いてくれ。
白井弓子作品はどれも重くてきついが、最後の幸を願ってやまない。

来年もよい年でありますよう
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by noone-sei | 2013-12-31 01:26 | 趣味の書庫話(→タグへ)

79夜 亡者のために


本屋で小説の背表紙をざっとながめていたら、「七緒のために」(島尾 理生)という題名を見て
それが「亡者のために」と読めてしまった。
意図した嘘読みは、ちいさなころからのわたしの密かな愉しみなんだが、
その日は眼鏡の調子が悪くて本当にそう読めた。
どんな小説かと手にとってぱらぱらめくると、それは十四歳の女の子同士の、痛々しい物語だった。
亡者のためにという嘘読みは正解ではないが、間違ってもいなかったように思う。

いつの世も変わらず、少女期は苦い。
別れが少女たちを本当に大人にするのか、信頼を回復するちからを少女たちは備えているのか、
それとも求めるものが大きすぎるのか、受け止める奥行きを持つには傷に敏感過ぎるのか、
いずれにせよ少女たちは孤独だ。

少女は寄り添う。そして残酷に遠ざけあう。
ときに、無視という武器を振るい、力関係の、閉じない輪を繰り返す。
きっかけはちいさなほつれ目なのに、長期に渡る無視がまとわりつくこともよくある。
その長期に耐えることでほつれの代償は払ったかと思うのに、いつのまにか、許す許されざる関係が出来上がる。
それまでの、いい時があったことも通い合ったものも塗り替えてしまうのに、やめられない。
それは孤独から生じた執着だろうか。

「愛を乞うひと」という日本映画がある。
もう二度とわたしは観ないだろうけれども、二度と忘れることができない母と娘の物語。
生まれ落ちて最初に結ぶひととひととの関わりがうまくいかないことが、こうも尾を引いてゆくものかと思う。
親と子のことが出発点だと言ってしまえば話は簡単、そして短絡。
けれども無下(むげ)に否定できない現実が実際にはある。
少なくともわたしが知っている少女たちやかつて少女だった者たちは、
情愛を持ったことそれ自体が呪わしいかのように愛を乞うひとたちだった。

いまになって、ひとはみな愛を乞うひとたちなのだと気づく。
ワレモコウ、吾亦紅、我も乞う、、と。
誰かと話していて、このひとも愛を乞うひとだった、と感じることはよくあること、
いちばん身近な母も鰐号も、そしてわたしも、みなそうだ。

母はあるときわたしに「大人になるから」と言った。
母たちの年代のユーモアに、衰えたり老いてゆくことを「大人になる」と言う言い方がある。
もちろん母が言った大人とは、もっと素直に接したり自分の力で物事に対処できる姿を指しているが、
わたしは心の中で、ユーモアのほうの「大人になる」でもまあいいか、そう思ったりする。
それが現実だし、かつて少女だったころをほんの少し前まで持ち続けていた母よりも、
大人になった母のほうがわたしには親しみが湧く。

ところで本屋で嘘読みをしたわたしは眼鏡を新調した。
嘘読みした亡者と盲者も、たいへんよく似ている。




今夜は秋から冬のお写真を。



□十月なかばの安達太良山
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今年は母を連れて二度行ったのだが、紅葉の時期を少し逃したみたい。


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まあまあの紅葉かな。


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このゴンドラで山を上り下りする。


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とっさのことで焦点がぼやけているのが本当に残念。
昨年は牡(オス)のカモシカが車の目の前を駆け抜けて行き、今年はゴンドラの下をカモシカの母子が歩いていた。
仔はむっちりとした、まるでツチノコ?「カモシカのような脚」というのはぜんぜん細くない。




□つい先日の吾妻山
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冠雪。うちも初雪が降った。


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夕暮れの田んぼ。




■おまけ
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安達太良を下りて入った田舎料理の店。
ほんとにいかにもこの地のごく一般的な田舎料理には、煮しめに凍み豆腐、いかにんじん、山菜の和え物、
しその葉の塩漬けのおにぎり、味噌味の芋煮、山椒味噌を塗った焼き団子。


・ご報告
78夜 大学でのこと
その後のご報告です。プレゼンは二週をかけて全グループ終了し、三週目に一位の投票が行われました。わたしのグループは有効票の半数近くを獲得し、一位になりました。
講師は来年の実現に向けて準備を進めたいとしています。


ちいさな来客
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by noone-sei | 2013-11-30 01:10

74夜 春の足跡  五 盆の入り明け


死んで十五年も経つ猫が、前触れもなく夢に現われたと友人が言う。
わたしの犬は、死んで二週間で夢に出て以来現われない。
そもそも動物は神や仏とは縁がないので、盆だからどうだということはない。
それでも、盆に鰐号が帰省すると自然にシワ コ の思い出を語る機会が増える。
けれどもわたしときたら、あんなに可愛がったのに、
こんな時シワ コ はどうだっただろうというような細かいことはずいぶんと忘れて、
憶えているのはカメラのシャッターを切るような映像だったりする。
シワ コ が冬の大雪と嵐の晩に逝ってからは、映像を思い浮かべることができなくなっていた。
思い出を語りたくても語れる記憶を失ったかのようだった。
盆というのはよい区切りだな。鰐号のおかげでシワ コ が会話に上(のぼ)った。
切れぎれでも、映像が蘇ると嬉しい。

今夏が新盆の伯父が夢に現われた。
伯父は旅館でもある自宅で亡くなったので、枕辺に駆けつけることもできた。
ほんとうに罰当たりな話なんだが、わたしは墓にも仏壇にも故人は入ってなぞいないと思っているので、
世間並みの法事も仏事も父の月命日の墓参も、欠かさず行なうけれども何も祈らない。
手は合わせるが心の中でつぶやく言葉は何も持たない。
感情の蓋を一旦ずらしたら、きりがないほど人の死は傍(かたわ)らにあるから。
けれども、この伯父の七夕に行なわれた葬儀では、棺(ひつぎ)に手を合わせて感謝の言葉をつぶやいた。
伯父にはいろんなことを相談しいろんなことを教えてもらった。
おかげで、父が亡くなった後の世間並みのことで恥ずかしい思いをせずに済んだ。
これからは相談できる人がもういないので、王様とふたりで判断してゆかなくちゃならない。
夢で伯父はなにも言わず、わたしと向かい合ってテーブルを挟んで座っていた。
静かであたたかい気持ちで目が覚めた。

昨年の盆は人寄せがあってたいそう忙しかった。
今年は、わたしの生活の中心には母があるので、人寄せも父の盆提灯も盆棚も省略させてもらった。
仏壇に、ホウズキと、母が週に一度遊びに行くデイサービスで色染めをしたナスとキュウリの絵でおしまい。
それと、盆の迎え火を焚いただけ。

それでも父の弟子が今年も手を合わせに来てくれた。
毎年、盆には必ず顔を見せていつも賑やかに父の思い出話をしていってくれる。
木造の回り階段を教わった時は誇らしかったこと、
棟上式には棟梁に皆酒を注(つ)ぎに来るが、父は全くの下戸だったので代わりにその酒を呑むのに、
弟子のくせに他の一人前の職人たちを差し置いて親方の隣にいつも座ったこと、
昨年の盆の、長いものを切って食った話にはさすがにひっくり返ったが、
今年はきのこ狩りの話をしてくれた。父は孫の鰐号にきのこの漁場は教えずにしまったが、
弟子を連れて歩いたので父の漁場はちゃんと受け継がれている。
時間が経つのは早い。名残惜しかったが別れ際にビールを持たせた。
夕暮れ、鰐号が犬の散歩で父の墓に寄ると、墓にはビールが一缶供えられていたという。
呑めないのはわかっているが、形だけは茶碗に注いであったとか。

盆が過ぎた。
今夜のおはなしを下書きしていたら、現実が飛び込んできた。
一昨日は夜中に消防車のサイレンがひっきりなしに鳴った。
心おだやかじゃない夜を過ごしたら、昨日のニュースで、山奥の一軒宿が焼失したと知った。
今日になって、建物ばかりでなく痛ましい結果になっていたことも知った。

ニュースでは宿を愛した人が大勢いたことも知った。
父は昔、その宿の仕事をした。
大正の頃に山の斜面に建った小さな湯治場を 昭和の中ごろに父が増築した。
幾種類も川べりに沿ってある風呂には長い長い階段を作った。
あまりに長い木の階段なので、途中には腰掛けも設(しつら)えて休み休み歩けるようにした。
趣(おもむき)のある組み木の建具、黒く光る廊下、すべてが木造の宿だった。
わたしは小さな頃から幾度もその宿に泊まり、父からは幾度も宿にまつわる話を聴いた。
今でこそ道路が少し良くなって車で近くまで行けるようになったが、
昔は温泉町から徒歩で山道を上らなくちゃ行けなかった。
宿の猫が急に具合が悪くなり、父が温泉町まで抱えて下りて、車で町から大きな町まで運んでやったこと、
その猫は体が良くなると、仕事を終えて山を下りる父を毎日見送りに付いてきたこと、
けれども見送るのには一定の距離を保ち、夕暮れに灯が点(とも)った温泉町が見えるところまで下りたら、
黙って帰って行き、振り返るともういなかったこと、
朝は、父が飼っていた犬が弁当を口に銜え、父に付いて山道を上ったこと、
イソップ童話の犬じゃないが、小さな川の小さな橋を渡る時にその弁当を流してしまったりしたこと、
・・宿の主人と父が語る話が蘇る。
胸の騒ぎと、まるで見たかのような鮮やかな昔話のいとおしさが、心の中で拮抗する。





□昨盆には
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昨年の盆には人寄せで食事を振舞ったので、料理の準備よりむしろ食器に準備が要った。




□六月の庭
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東北の名庭園と称される日本庭園が近くにあって、母を連れてアヤメを観に行った。
ところが目に入るのは二千本もあるという松。その剪定の見事さに目が吸い寄せられる。
じゃあ今まで何を見ていたんだろう?見るつもりで見なければ見えていないのと同じだった。



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こういうものを何というのだろう。戸?門?柵?あちらとこちらの境界線の出入り口。



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蓮か睡蓮か


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菖蒲もアイリスもアヤメも見分けがつかないが、アヤメまつりに出かけたんだからこれはアヤメなんだろう。


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水辺のアジサイ




□行楽のあとは蕎麦
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店先に植えてあった蕎麦の花


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山のものを供する店なので、山菜を売ってくれる。この日は山蕗。


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いつもめずらしい山菜を天ぷらにしてくれるんだが、美味いのに名がわからない。
この日の山菜の名は「はんごんそう」・・反魂草。調べたら菊の仲間で若芽を食するのだとか。

獣の夏祭り
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by noone-sei | 2013-08-31 23:44 | その六の百夜話 父のお話(2)

68夜 さくやこのはな 六  会いたい


ずいぶん時間が経ったな。
一年くらい?
いや、ほんとうはまだ二ヶ月にもなっていないらしい。


シワ コ に会いたくなったよ。



セイは元気で浦島亀子をやっていた。
現世では日々を忙しく過ごしながら、脳みそは浮世から離れてぼーっとしていた。
ときどきシワ コ のことを思い出すけれどもどう思い出していいかわからないので、
わからないままにしておいた。
霞がかかったような脳みその中身は悲しみだったのかもしれないけれども、
シワ コ と別れた時に泣いたきり。
我慢していたわけでもなく自分をほったらかしておいたら春になっちゃった。
後悔という傷がないから放っておけたのだと思う。

三月の末には雪が降った。
四月になってほんの数日前から桜がちらちら咲き始めた。
まだ本物の菜の花は咲いていないから、今夜は久しぶりにお写真で菜の花の中のシワ コ に会おう。

さくやこのはな 春の犬
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by noone-sei | 2013-04-09 03:31 | さくやこのはな

66夜 さくやこのはな 五  もうひとつの生きた心地


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犬が眠りながら脚を動かすのは、こんな夢を見ているからだと思いたい。
このお写真は七年前の今頃のシワ コ 。



雪が降って、路面が凍り、吾妻おろしが吹き下り、時には地吹雪。
気温の変動で昔の古傷が痛んだり頭痛がしたり、体調が良くない時季。
雪道を車で走るとそこここで葬式を見るのは例年のこと。
二月から三月の峠を越えるのは大変なことで、生きることと自然界は直結している。

脳の異常から蘇ったシワ コ は65夜のその後の二週間を順調に回復していった。
が、今週になって、門の前を通った犬に尻尾を高く吠え掛かり、その直後に四肢を投げ出して横転した。
すぐに助け起こしたが茫然自失の様子を見て、わたしは自分で自分に驚いたのだろうと思った。
ところが、翌日も虚脱があり、その翌日もだった。
今になるとそれは虚血による失神だったとわかる。

医者には血圧の変動は命に関わるから覚悟するようにと言われた。
検査は心臓と血液の両面から調べた。
心臓はペースメーカーの役割をきちんと果たしており、問題は血液だとわかった。
骨髄で血液の元は造られているのだが、赤血球と血小板の数値が極端に低い。
増血剤をワンクール投与し、それでも思わしくなかったら輸血をすることになった。

数値から、食欲は出ないし立ち上がることも困難だと医者は言うが、
今日の午前中は立ち上がって餌を食ってから虚脱した。
しかし夕方には立って餌を食いながら虚脱、明日がどうなのかは明日になってみないとわからない。
もう、飼い主の手の届くところではないのだという。

獣たちにユーモアをもらいながらシワ コ とごくごく普通に過ごしたい。
シワ コ は床(とこ)からわたしを目でずっと追う。
いつもどおり、わたしの動きに応じられる準備をしている。
赤身の肉を食う。大根の切れ端を食う。床から半身は起こせる。

医者の言葉、「シワ コ は倒れるたびに、死の淵に行って帰って来ています。
これは飼い主のせいじゃない。あとはシワ コ の気持ち次第なんです。」
シワ コ の気持ち?
犬の気持ち?
医者らしからぬ珍しいことを言う、と、不思議な気持ちで聞いていたら、
「生きた心地」という言葉を教えてくれたのもこの医者、それも二月のことだった。



追って:シワ コ はさきほど息を引き取りました。
     ペロ コ から緊急に血液を貰い、輸血しながら餌も食い、意識もぎりぎりまでありました。
     もう少し看護する時間をくれてもよかったんじゃないか?と言ってやりたいくらいでした。
     十四歳十ヶ月を全うしたシワ コ には、あと数分待ってくれれば会えたのにとも言ってやりたいです。
     ご挨拶はまた改めて次の夜に。




【その後(五)の百夜話】 1夜 生きた心地 2009-02-21

三頭の さくやこのはな
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by NOONE-sei | 2013-02-24 01:31 | さくやこのはな

65夜 さくやこのはな 四  這えば立て


なんだかおはなしを書くのが怖くなってしまう。
ちかごろ、「そこにいて」とお題をつければ「ほんとうにそこにいて」のおはなしを書くことになったり、
現実世界におはなしが引っ張られてゆく。
今夜のおはなしもそうだ。「あたまにくる」と怪我のはなしを書いたら、
今度は「ほんとうにあたまにきた」おはなしに繋がってしまった。
だから、お題を替えよう、「這えば立て」。
我が家の犬のはなしだから、犬嫌いは読まないほうがいい。



シワ コ が倒れて十日余りになる。
朝、玄関の段差を踏み外したので、足をくじいたと思った。
そのまま夕方になっても腰が抜けて立てなかったので医者に連れて行ったら、
「もう、お気づきですよね?」と、医者はわたしに答えを促す。
顔つきから体から、犬のバランスはめちゃくちゃだった。
「いやだなぁ・・・・ 認めたくないんです。」

認めたくないと言ったって、左半身は麻痺し、険しい顔のまぶたも閉じないし出目金になっている。
脳に異常があるとしか思えないじゃないか。
でも、七年前に大学病院の医者は「脳梗塞は再発しない」と言ったはずだ。じゃあこれは何なんだ。
ぐるぐると血液がわたしの頭の中で逆流していた。
その時、犬の脳内は、耳の奥深い所で神経症状が起こっていて三半規管と平衡感覚がおかしくなっていた。
めまいと吐き気で物も食えない様子に、わたしはこのまま犬が寝付くのを覚悟した。
脳圧を下げる薬がどこまで効くかは未知数で、その晩は王様が留守、
母の世話と犬に添い寝で、長い夜はわたしも犬もぐるぐるだった。

翌朝、人の手を借りようと思った。
母の手も借り、近くの友人に生肉を届けてもらい、遠くの友人に寝付いた時の対処法を聞いた。
犬を失くしたその友人たちには大変申し訳なかったんだが、率直に、助けて欲しいと伝えた。
以前の十五まで生きた親犬と十八まで生きたその親犬の子は老衰で静かだった。
しかしシワ コ はそのどれとも違う。
動けないのに人に頼らない所は同じだけれども、気力がある。
「それはセイさんのためなんだよ。」と友人の言う言葉に、
「シワ コ はわたしの犬なんだ。」とぽろぽろ泣いた。

しかし泣いてばかりはいられない。
外は毎日大雪、雪かきをし、凍結した路面をツルハシで砕いていつでも車を出せるようにした。
晴れた日は雪が明るい。ストーヴのやかんには湯気がしゅんしゅんと立ち、犬は吐きながら肉を食った。
薬には治す力はない。原因がわからないから、現在のめまいや吐き気を抑え、脳圧を調整しながら、
犬の野生が状態に体をどこまで馴染ませられるかを待つだけだ。
わたしの犬は精神が自立していて、おかしな言い方だけれども、大人だ。
自分の回復力を精一杯に使おうと日々を過ごす。

数日後、自力で起き上がろうとした。
これはこれで危ない。よろけて転ぶと怪我をする。目が離せない。
這えば立て、立てば歩めというけれども、転ばぬ先の杖だって必要になる。
杖の代わりをしているうちに、犬は本当に立って、外の物干し竿からちょうどいい長さにして吊ったら
吊られたまま歩くようになった。
生き物には日光の明るさと口から摂る栄養だ。薬で吐き気は抑えられている。

歩いた、良かった、それじゃ済まない。
転ばずに歩けるまでに機能を持ち直せるか、薬をいつまで投与し続けるのか、まだ課題はいくつかある。
一番の課題は、シワ コ の場合、器質的にこの前庭疾患を再発する可能性を持っているということ。
「そういう器質を持っていることは不運と言えるかもしれないけれども、
生命力とリカバリー力を持っていることはシワ コ の運です。」そう医者は言った。




こんな音楽に助けられながら日々を過ごした。
ローラ・パウジーニ
リサ・ローブ



□今夜の さくやこのはな は、昨年のちょうど今頃のお写真。
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雪の原でそりすべり。


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尻を叩かれて焦るのはヒトばかり。犬は喜ぶ。


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三頭とも雪の原で遊んだ夜はしんしんと寝る。
しんしんと言ったら雪なのだろうけれど、雪で遊んだ夜はそう言いたいくらい。



□つい先日、発病する前の雪の日
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雪をほおばったあとのへんな顔


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雪の夜

犬の経過
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by NOONE-sei | 2013-02-02 02:27 | さくやこのはな

59夜 そこにいて


 ・メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい



ずっと考えてきたことがある。
それは、311の前からすでに考え始めていて、
あれから夏をふたつ過ごし、吾妻山に初冠雪があってもなお考えていた。
そしてこの地には初雪、薄氷も張った。こうして書きながらなおなお考える。

オンライン上の交流は、対面のそれに勝ることがたびたびある。
雑味を削(そ)いだ、よりパーソナルな、高い純度の交流。
しかも、相手の負担にならぬよう、自分の心の中で純化する交流。
頭の中だけで起こった反応だから、と、そっとしまっておくことが多い、
それはわたしの一方的な所産。それでいいと思っていた。
ありったけを開いて見せ合ったら、反(かえ)ってさみしいこともある。
多くを伝えない良さを わたしはそれまで好ましいと思っていた。
でもちがうかもしれない。
大切に思っているなら「大切に思っているよ。」と言えばよかったんだ。

考え始めたきっかけは今から二年以上も前のこと。
好んで訪問していたウェブログの主(あるじ)が急逝した。
そのことにわたしはひどく動揺し、自分の中で折り合いがつけられなかった。
今でも、ひとりの時間の隙間には、そのウェブログの主をふうっと思い出す。
交流どころか、わたしは当時、そっと物陰から覗くように彼女の文章を読み続けていた。
ずっと辛口の文章を読み続けられる幸が続くと思っていたんだろうか。
いや、わたしはなにも思っていなかった。
そこに行けば彼女の文章があるのは当たり前のことだったから。
当たり前のはずのものが前触れもなく分断されて、
わたしはそのウェブログにコメントしたことが一度もなかったことに気づき、
初めて、自分の一方的な所産だったことを悔いた。

彼女のウェブログに訃報がもたらされると、
読み手は皆驚き、混乱を動揺を冥福を コメントで寄せた。
ウェブログは個人のものだから、IDやパスワードがなければ動かせない。
わたしはその報によって、彼女があらかじめ結末を準備していたことを知った。
ウェブログの使い方、オンライン上で彼女が交流したことのある読み手のプロフィール、
彼女の姉上が、彼女から病床でそれら詳細な準備を託されていた。
もしも自分がいなくなった後にコメントが届いたら、
その読み手とどう交流していたかを知った上で返事を入力してくれというものだった。
姉上は困惑したけれども、彼女の望みに応じた。彼女は若くて病の進行は速かったから。

彼女はオンライン上の交流を「文章対話形式」と呼んでいた。
彼女の姉上は、コメントへの返事で読み手ひとりひとりに預かっていたメッセージを伝えた。
印象的だったのは、交流が途絶えていた読み手への対応だった。
つまり、対応の準備があっても、コメントが来なければ追うものではない、という準備だった。
彼女は現実世界の忙しさから、過去に一度だけ一時的にコメント欄を閉じたことがあった。
ゆっくりとやりとりしていたある読み手との交流が、
欄を開けても、再びは戻らなかったことをどれほど悔いていたかを姉上には伝えておいた。
その読み手からコメントが寄せられて、やっと気持ちを姉上を通じて伝えることができた。
ウェブログは最後に姉上の手によって閉じられて削除され、今は既にない。
わたしは訃報から閉鎖まで一ヶ月あまりの一部始終を静かに見守るしかなかった。
そして幕の引き方が見事すぎて、置いてきぼりをくった子どものようにさみしかった。

そういう出来事がわたしに苦い変化をもたらしたから、
わたしは「王様の千と線」の五回目の百夜話を終えた後、
おそらく静かに読んでいてくれたであろうある読み手に、
「大切に思っているよ。」という気持ちをメールに書いた。
すると、メールをしてからほどなく311が起こった。
  『まだとりだててなにもありませんが
   五百話はまだ半分なのだと思うと
   これからこんなふうにお伝えする機会があるかどうかと思ったのです』
と、メールには書いた。書いたけれども、だからといって、
あんな恐ろしいことが起こるなどと予知していたわけではない。
胸騒ぎに急(せ)かれたわけでもないのに、その読み手に伝えたい、という、
そのときの思いはまっすぐだった。

今年になってから、殊に気になることがあった。
好んで訪問していたウェブログが数軒、更新されずに何ヶ月も経っていった。
胸騒ぎがしてくる。それなのにどうにもできない。
そうして、相手をどれほど大切に思っていたかということと、
これほど親しみを覚えていながら、ただ案じるばかりで
直接それを伝える術(すべ)もないことに気づいて愕然とした。
より反応の速い情報発信の手段を用いてウェブログから離れていたとか、
単に手段を変化させてオンライン上に生息していることには変わりなかったとか、
とにかくめまぐるしい忙しさだったんだとか、
だんだんに、状況は多様なんだということが飲み込めてきた。
「なにかおそろしいこと」が起きたわけではなくて、
「とりだててなにかがあった」わけではなくて。
それにしてもその速度には目を見張る。

交流の分断はいつどんなふうに起こるのかわからない。
それを「別れ」と言い換えよう。
「別れ」といえば「訪れるもの」と思いがちだけれども、そんな悠長な響きとはすこしちがう。
「別れ」は線がぶつりと切れる感じに近い。そして長い喪失感が伴う。
オンラインには、突然切れてつながらなくなる危うさがある。
ウェブログが停止している書き手と切れてしまったんじゃないかと、どれほど気をもんだことだろう。
あの311で人と人が分断されて、親しいひとたちとたくさんの急な別れを経験しなかったら、
ここまで感じなかったと思う。そしてそれは、今も現在進行形で重い。
考えつづけるのは、別れに過敏になっているからだろうか。
今でも余震で飛び起き、体が憶えている怖さが蘇る。
週に一度、放射能のために仮設住宅に避難を余儀なくされている飯舘村の若い母親たちと会う。
彼女らと一緒に体操をして、冗談を言い合って明るく別れる。
風の通り道だったために放射線量が下がらないあの村は、
今では牛もおらず、田に米は実らず、畑はイノシシが踏み荒らしている。

  『もう、急な別れをするのはいやだ』
久しぶりに便りをくれた大切な友人に、メールでそう書いた。
「大切に思っているよ。」ただそのことを伝えたかった自分の気持ちに気づかずに。
すると、友人はこう返事をくれた。
  『少なくともわたしはここにいますよ
   セイさんがそこにいるようにわたしもここにいます』
それを読んだらぽろぽろと涙がこぼれた。

そうだったんだ、「ここにいるよ。」
わたしはそう言って欲しかったんだと、こうして書きながら自分の気持ちを初めて知った。



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たくさんの母子との別れを思い出す。


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こんな音楽を聴いている。とても可愛らしい。





□今夜のお写真は、少し前、初冠雪の吾妻山とふもとの紅葉を。
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コスプレショー
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by NOONE-sei | 2012-11-30 02:21

45夜 天の寿


父が青年期を過ごした浜からもう少し南に下った、
北関東の大伯母(おおおば)が天寿を全うした。
葬式の引き物には紅白の饂飩(うどん)があって驚いた。
百に近い高齢なので、弔う葬るではなく祝い事なのだという。
熨斗(のし)に「天寿」と記してあるのを初めて見た。

忌みごとがそのように転じるのはたいそう不思議だ。
ものごとは、見方ひとつで簡単に転じることができるとは思わないけれども、
からりと転じるまでの中間には転じきるに至る過程があるのだけれども、
ああ、そういうものなのだなぁと、妙に納得がいく決まりごとは、
ひとの気持ちを落ち着くべきところに連れて行く。

組になった言葉があるだろう?
天と地、生と死、それらは上から下に視線が動くような気がして、どうも陰気だ。
内と外、陰と陽、喪失と再生、それらならば左から右に視線が動く。
しかも、人に教わった最近覚えたてのイメージがあって、
喪失は再生を飛び越して、奪還へと飛び立つ。

足踏みしているときには言葉少なでもいい。
寡黙と饒舌の中間には、転じるほどの威力はないが、思慮という落ち着きがある。




                         *   *   *




愛機バンコランは天寿を全うせず、復活した。
愚息、鰐号は大学に復学することになった。
わたしのPCは天寿を全うしたけれども、かなりのデータを持っていかれた。
震災で半壊した塾を 大家さんに頼んで塾生の卒業まで続けさせてもらったけれども、
三月末日をもって閉塾した。

そのようなわけで、イメージの転換や組になった言葉のようには
現実というものはなかなか動き出さないけれど、
この思慮の時を閉塾に伴う整理に追われながら過ごすのも、
なかなかできない経験じゃないかな。
これからのことはそれから。





□音楽は天の寿
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友人に貰った心地いい音楽はフランス語やポルトガル語、
どちらも流麗で同じような言葉に聴こえる。
音楽は落ち着きの素(もと)だな。

一歳
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by noone-sei | 2012-04-04 00:11 | 趣味の書庫話(→タグへ)

44夜 ひととせ 


「思い出す」ようにと、新聞もテレビもこぞって311を特集している。
それは、「忘れない」ためにという働きかけなんだろう。

「思い出す」ということと、「忘れない」ということは、
似ているようでいて、実はまったく違うような気がする。
けれども「忘れられない」こそ、「思い出したくない」と濃厚に繋がっているようにも思う。

夕べも今夜も、たびたび余震がある。
思い出さないわけがないのだ。
記憶に刻んださまざまな出来事は、何も見なくてもちゃんとなぞれる。

一年(ひととせ)の三月十一日には、テレビを観ないで過ごそうね、と友人と約束した。
彼女は一年を支えてくれた布雛作りをして静かに過ごすという。
わたしはいつもどおりに母とお茶を飲み、その時間がきたらそっと手を合わせるつもりだ。
玄関には春の花が生けてある。




□あの頃わたしを支えてくれた音楽
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三月は家から一歩も出ずに、必死に家族を守っていた。
そんな緊張の日々のお供をしてくれた音楽たち。
友人から戴いた井上陽水はレイ・チャールズとよく似た顔なので中央に置いてみたよ。


次の夜からは、この一年の漫画や音楽のおはなしをしてゆこう。
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by NOONE-sei | 2012-03-11 01:05 | 趣味の書庫話(→タグへ)