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5夜 贈られもの


時間がゆっくり流れているのはわたしだけか?
七月に書いたおはなしを寝かせたまま、九月の秋彼岸になってから載せた4夜から三ヶ月が過ぎた。

四月 花の盛りにはなちゃんが旅立ち、
七月 家族のご苦労さま会をしようと、鰐号に連れられて台湾に行った。
八月 人寄せやら仏事に追われる盆が過ぎ、
九月 秋彼岸を終えてから、それまでずっと離れていた浮世に戻った。

浮世は魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)する怖ろしいところなので、
ひとりでこつこつと家の片づけに明け暮れ、譲り受けた家を機能させるのに忙しく暮らしていた。
そのようにして月日が過ぎて、やっとはなちゃんとの別れのおはなしを載せたのだけれども、
その間にも、わが家には大きな出来事があった。
子犬が来たのだ。
これを贈られものととらえよう。
子犬は八月二十八日に来た。その時の月齢は約三か月。

はなちゃんの葬儀と初七日を過ぎたあたりから、鰐号が、プロジェクトDを発動しようと言い始めた。
プロジェクトCでもいいんだがやっぱりDだろうと言う。

遠くの親戚より近くの他人というがその通りで、わたしはこの五年間多くの他人に世話になった。
だれがわたしたち家族を支えたかといったら、言葉では挙げきれないほどの多くのひとが
わたしたちに関わってくれた。
そのありがたい他人さまたちがみな、Dの発動を心待ちにしてくれた。
Dとはdog、Cとはcatのことである。

この子犬についてはまたこの次に書くこととして、まず紹介しなければ。
「王様の千と線」の登場人物、じゃなかった、新入りが入ったのだから。
名をビー コ と名付けた。 


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赤ん坊の時、保護主の所で。

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兄弟七匹で保護され、うち雌はビー コ のみ。

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三ヶ月、保護主から譲渡されてすぐ。

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わが家にて。

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すでに柴犬くらいの大きさだけれど、まだ子犬。
九月からのビー コ の成長はまたこの次に。



さ、イヴだね。
鰐号のスペイン土産のワインで乾杯しよう。
ありあわせのものばかりだけど、みんなでイヴの卓を囲んだら楽しい。
犬も猫も、新入りの犬になりたての贈られものも。

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by NOONE-sei | 2016-12-25 01:11

4夜 人の噂も七十五日



ほんとうは七月にこのおはなしを書いていたのだけれど、カギをかけてしまっておいたよ。
はなちゃんは四月十七日にみまかりました。
案じてくれたかたがた、見守ってくれたかたがた、応援してくれたかたがたに深く感謝します。
そして、身内ではありますが、ずっとはなちゃんのそばにいてくれたペロ コ とテン コ に感謝します。
四月十七日はシワ コ の誕生日でした。
符牒を合わせようなどとは思わないけれども、なんとも不思議なことです。




人の噂も七十五日とは、世間で人があれこれ噂をしていても、それは長く続くものではなく、
やがて自然に忘れ去られてしまうものだということ。

忘れたいこと、忘れられないこと、忘れたほうがいいこと、忘れないほうがいいこと。

はなちゃんが父のもとへ去って、七十五日が経った。
毎日朝夕はヘルパーさんが車椅子に乗せて庭を見せたり庭に押していってくれたりしていて、
その晩にはいつものように梅酒を飲んで元気におやすみを言ったのに、
朝様子を見ると呼吸が止まってすぐだった。
そんなふうに呼吸に異状が起こり、すぐに吸引して持ち直させることがそれまでも数度あったけれど、
今度は引っ張り上げることができなかった。
救急車は呼ばず、家で蘇生の手を尽くし、お医者の指示を片手に持った電話で受けながら
「心臓を押すその手を止めなさい。はなこさんもう充分にがんばった。きっと苦しくなかったよ。」
そう言われてやっと引き戻せないことを知った。



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今日は秋の彼岸。庭の彼岸花が真っ赤に咲いている。
もうそろそろはなちゃんにお別れをいわなくちゃ。

はなちゃん、さよなら。
おとうさんがずっと待っていた安達太良山に行ったんだね。




     
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by NOONE-sei | 2016-07-01 03:34

2夜 どっちつかずの夜


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お写真は昨年初夏の蔵王高原、ヤギと跳ねる子どもたち。
ちょうどその頃は、東北各地の山の噴火が危ぶまれたり地震が起こったりした時期で、観光地は客足が遠のき静かだった。

地震には、3.11から長く続いた余震で徐々に体が強く反応してしまうようになって久しい。
自然界の変動は突然やってきたり息をひそめたりする。
昨年までは、3.11が近づくと地震の数が増えて、忘れるな、と思い知らされていた。
だから今年の3.11もきっとそうなのだと構えていたらちがった。
数日前に久々に地震はあったものの、ごく小さなものだった。
自然界というものはあまりに大きすぎて、抗うということができない。
構えると肩透かしを食わされ、忘れかけていると気まぐれのように恐いものを突きつけてくる。

抗えないならどうする?小さく丸くなって耐える?変動が行き過ぎるのを物陰から待つ?
できることはないのか考えながらまっすぐに見据える?
人間の微力でどうにもできないものをどうにかできるようなつもりになった驕(おご)りが、
原発の再びの稼動を始めさせていて恐ろしい。
わたしたちが生きている間に鎮めることのできないものが、この地ではあちこちに積み上げられている。
除染作業がまだ続いていて、剥がした表土はシートを被せて敷地に置き、
美観を甚だしく損ねつつ恐ろしい存在主張をし、またはシートで覆って土中に埋めている。
放射能に汚染された土は鎮められたのではなく、長い時間、いや気の遠くなる年月隔離しておくだけだ。

気の遠くなる年月だとわかっているのに、原発で避難して故郷に帰れないままの人たちに、
もうあそこには戻れないんだと告知しないのはなぜなんだろう。
いつまでも故郷を思い、仮の地と馴染むことのない人々が大勢近くに住んでいる。

ちかごろ、苛々して人に当たる人に遭遇することが幾度かあり、
そういう人の心根までは到底わからないけれども、
その反射に近い苛立った言動が浅ましく人を傷つけるのを見過ごせず、
近寄っていって「そんなに怒んないの。ね。」と声を掛けてしまったことがある。
日々の生活の中で蓄積されたものか、環境が思い通りにゆかない悲嘆か、いずれにしても
自分で自分の発露が止められない哀れないきものになってしまいそうな時、彼または彼女は声を出す。
そんなせっぱつまった声をとどめようとするのだから、
わたしは殴られるのを覚悟しているのだが、声掛けをすると彼らは行動だけでなく目までが止まって、
しばらく機能を停止してしまうので、仕方なくそっとその場を離れるしかない。
自然の変動が人の気持ちに揺らぎを与えるのか、大地の揺らぎが不安を煽るのか。
依って立つべき地を持てない寄る辺なさをこの先何年彼らは抱えてゆくのだろう。




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今日は震災から五年と一日目。
震災の傷みはフラッシュバック、原発による不安はフラッシュフォワード。
六年目になってもなおあるこの苦しさや閉塞感は、未来に重くて永い不安を見ているからだ。
過去なのか未来なのか、どっちつかずの昨日を終えてほっとした。
3.11は、理性でなく感情がざわつく日だから。
ことに昨日は朝から、五年前と天候がよく似ていてざわざわした。
こんな日にあの曲は聴きたくないな、と思っていたら聴かずに済んだ。
『見上げてごらん 夜の星を』
何か悲しいことが起こると流れる曲。
わたしには世界でふたつ、嫌いな曲があるんだが、その三番目にこの曲を入れることにした。
ひとつは『四季の歌』ふたつは『千の風になって』その三番目だ。

今日は、五年前にやっと耳が開いた頃に聴こえてきた曲を久しぶりにテレビで聴いた。
ずいぶん前の曲らしいんだが、それをどこでどんな状況で聴いたのかが鮮烈に蘇った。
五年前だって今だって、どっちつかずの日の夜の星は見上げたくない。

SMAP『この瞬間(とき)、きっと夢じゃない』





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今まで外に食べ物を干すのをはばかっていたのだけれど、近隣で除染作業を終えたので干しリンゴを作ってみた。


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リンゴチップスは甘みが凝縮されている。でもリンゴってほとんど水分なのね。


おまけ
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こちらは煮リンゴ。

獣たちの昼寝とはなちゃん
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by NOONE-sei | 2016-03-12 11:50

100夜 百まで生きて


吾妻山に初冠雪があった。
山の鮮やかな錦繍(きんじゅう)も平地に降りて、街の紅葉も終わり、数日前にこの地では初雪が降った。
家はこたつを出して久しく、火の使えるストーヴにはやかんを乗っけ、鍋を載せ、煮込み料理を始めている。

今夜は「王様の千と線」の目出鯛100夜。
生ってなんだ、死ってなんだ。それを綴り続けて六つ目の100夜を迎えた。
死がころりと転じて生のおかし味となるようにと願いながら。
わたしの100夜はいつもそのようなおはなし。
思えば遠くへ来たものだ。

春だったウェブログが、冬の始めのウェブログになった。
久しぶりだね。

春は庭が花々で賑わったよ。
草むしりも追いつかないほど雑草の勢いと追いかけっこをした。
春眠暁を覚えず、夏眠は暁とともに目覚めるので、早朝に草むしりをしていたら
グーグルのカメラを屋根に付けた乗用車がすいーっと走っていって、
こんな鄙びた田舎道もいよいよ画像になるのかと驚いたりした。

夏には美味い桃を食ったよ。
畑ではミニトマトの生(な)りがたわわ、優等生のハナマルだったので、ドライトマトも作ってみたよ。
ナスやオクラやピーマンの花はたいそう可愛かったし、
毎日少しずつ実が生るというのも趣きがあってよかった。
しかし今年の夏は体温を越えた気温の日々が続いて厳しかったので、野菜は生るのがさぞ辛かっただろう。

虫にもたくさん会ったよ。
あちこちでセミの抜け殻も見つけた。少女の頃に瓶にたくさん入れて集めたという友人がいた。
カマキリの小さいのから大きいのも見た。腹をつまんで近くで見たら鎌を振り上げたいそう怒った。
ところで蟷螂(とうろう)って漢字は虫虫して目にも蟲っぽいけれど、
きっと虫じゃなくてコウモリだと思っていたらこれがカマキリだった。
コウモリのほうは蝙蝠と書く。なんだこっちも虫虫している。
カマキリの泡あわした卵を見つけたら、これがその年の雪の高さになるんだと教わった。

虫じゃないけど、おそらくもう冬眠しただろうから安心して報告。
今年はほんとうに久しぶりに長いものに出くわさずに済んだ。
庭の空池のそばに抜け殻だけは見つけてしまって、秋になるまで池には近づけなかったけれど。
その抜け殻は、千切って財布に入れるという友人に押し付けた。
この抜け殻というものは、なんと数えればいい?一本二本?それとも一体二体?
殻(空)になってぴらぴらしたものに一匹二匹と言うのは、なんだかちょと違うような気がする。

明日から十二月。
明日からは本格的な冬だから、十一月最後の今夜は滑り込むようにして秋の食事のお写真を載せてみるよ。
冬の長いこの地では、春や秋に採った山菜を塩漬けにしておいてその塩を使う毎に抜いては食する。
季節をなぞりながら思い起こしては大切に口に入れる食の豊かさ。
どうぞお写真を楽しんで、食を楽しんで、百の生(せい)を生きて。



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吾妻小富士は花嫁の綿帽子をかぶっている。



□山の山菜料理店 2012年秋の写真保管庫より
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キノコや木の実や山菜を保存している。


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白いのは白身の魚じゃなくてキノコ。


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山菜とイチジク。軽く燻製にした魚がちょこっと。


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赤いのは肉に見立てたキノコ。


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白いカボチャと赤いカボチャ。


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山のものや薬用人参の天ぷら。


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温かい椀物と柿のサラダ。


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根菜汁と塩に漬けておいたシソの実飯と漬物。食後に梨。




     
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by NOONE-sei | 2015-11-30 11:57

100夜ひとつ前  とくべつな夜


99夜には死のおはなしを 
100夜には目出度さを
 
褻(ケ)の場が晴(ハレ)の場にくるりと転じて100夜を迎えるような仕掛けの王様の千と線。
ほんとうなら、今夜が600夜目のおはなしなのだけれど、
今夜は3.11 特別な夜だからね、100夜のひとつ前というお題にするよ。


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畑ではフキノトウが、霜でかじかんだ土から芽を出したよ。


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庭では福寿草が咲いたよ。今日は雪が舞っていたというのに。



あれから四年が経った。
日々を静かに過ごしているものだから、悲しみは静かに閉じ込めて蓋をしておいたつもりだった。
だからテレビの特別番組には困った。
ほんとうに言葉が音としてしか聴こえなくなった母とふたり、それを観ながら夕餉をとっていたら、
画面に、あの日に生まれた東北の赤ン坊の顔がたくさん映し出された。
わたしの知人も、震災の翌日に出産して言葉にできないような思いをしていた。
画面を見た母が、「どの子どもも、みんなほんとにかわいいねぇーーー。」と無邪気に言った。
母から脈絡のある言葉を聞くのは久しぶりで、なんだかぐっときた。

そして次の場面で、うちから三十分ほどの小学校の子どもたちの歌声が流れた。
子どものひとりが、「こんなに、ストレートな歌詞を(仮設住宅や被災した人)みんなの前で、歌っていいのかな、と、
とても、まよいました。」と、ひとことひとことをかみしめるように話した。
わたしはその歌を初めて聴いた。
あまりに飾り気がなくて、直接的で、距離を置いて聴けなくて、泣けてきた。

阪神淡路大震災から二十年が経った。
でも信じられないニュースが絶え間なく続いたあの日のことは忘れない。
二十年目の日には、この地も揺れた。
神戸の子どもたちは小さな頃からその歌を歌ってきたのだという。
それを今、福の島の子どもたちが歌っている。

情感で歌われたらたまらないので、ロックバージョンをここに。



□習いごと その一
宮城の名取市閖上(ゆりあげ)で、赤貝が採れるようになったという。
福島の相馬では北寄貝(ほっきがい)漁が盛んだったのだけれど、
原発汚染水の問題で、まだ試験操業しかできていない。
それでも名産を知ってもらおうと、漁師の奥方たちが浜料理の講習会に来てくれた。
浜通りの気質はこの地のような中通りとはだいぶちがう。
二枚貝の開(あ)け方を楽しく教わり、試食し、礼を述べて解散の時になって、家も土地も船も流され、
地元の消防団として住民避難の誘導の最中に津波に巻かれた家族がまだみつからない講師もいたことを知った。

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貝の開け方、じゃなくて剥(む)き方


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刺身にするには身が不揃いの貝とねぎを刻み、味噌と砂糖で調理。


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北寄味噌。すばらしく旨い。


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いただいたレシピ集




□習いごと その二
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春の花のアレンジメント講習で作った花かご。




□美しい雪景色
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よく晴れた日曜日の山。


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雪面に映った樹木の影。葉脈という言葉があるのだから、これはさしずめ幹脈?


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樹木の根元は、よく見ると雪が少ない。樹の体温で溶けるのだろうか。


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あちこちに動物の足跡。


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スノーシューは初めての体験。雪景色、綺麗だろう?

いつもどおりに
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by NOONE-sei | 2015-03-11 23:59

99夜 姿かたち顔かたち


暦の上では立春も過ぎ、畑の野菜の植え付けも関東以南では始まったと聞く。
この地はまだ雪が降るけれども、溶けるのが徐々に早くなってきて、
土からはフキノトウや福寿草が芽を出し始めた。
一昨日は旧暦の正月だったそうで、それなら春が間近なことにもうなづける。

冬から春への変化には、大変な熱量が要る。
殊(こと)にこの地の春は、枯れ色から桃色へと気がふれたような変貌を遂げるので、
二月の峠を越えるのは、生物にとって一年で一番厳しい摂理なんじゃないかと思う。
不祝儀や別れの二月。父の二月、シワ コ の二月。

  月日が流れるのはたいそう大切なことで、
  とらえきれぬほどの大きな現実を 一旦、自分の胸に取り込んで咀嚼する時間をくれる。
  月日を数えるのはもっと大切なことで、
  亡くなったひとや死んでゆく動物や、失くしたものやこれから失くなるものを 
  ずっと、思い続けるよすがとなる。   (12夜 花の名 2011,05)

月日を数えるということには、後ろ向きで前へ進めない負が纏(まと)うイメージや、
内向的で思い出にすがる奇異な感じがあるかもしれないけれども、
正も負も清も濁も併せ呑んで飲み込んでみると、そこにはきっとより鮮やかに、
別れたものたちが立ち現われると思うのだ。




今夜は六つの100夜の、ひとつ手前。
99夜にはいつもそうしているように、死にまつわるおはなしをいくつか。
長い話になる。


                          *

ひとつ目のおはなし。
犬の名はソロー。それは「沈まない悲しみ」という意味。
「ホテル・ニューハンプシャー」(英米カナダ合作1984年)という、
ある家族を描いた物語に登場する大型犬。

犬を飼う家族にとってそうであるように、犬の存在は生活の中で当たり前にあるものだったから、
悲しみという名とは無縁に、犬は家族なりの愛し方でそれなりに可愛がられていた。
ソローは、歳とってから不運な死に方をした後、剥製にされる。
このソローの家族は、生命力に満ち満ちている。まあ、ただそれだけとも言えるほどに。
この家族はそれぞれ皆ろくなもんじゃなくて、ほんとうにろくなもんじゃないので、
強くたくましいとも言えるし、おろかだとも言えた。

家族にはいろいろな出来事があって、それらを端折(はしょ)ってしまえばつまりは不運つづきだったので、
起死回生心機一転、家族は全員で引っ越すことを決意する。
二手に分かれてアメリカからヨーロッパに引っ越すことにし、一組は飛行機に乗り剥製のソローも運ぶ。
けれども飛行機は不運にも海に墜落してしまい、その飛行機に乗った方の家族は死んでしまう。
その飛行機に乗らなかった残りのもう一組は、ろくな夢じゃないけれどもそれでも父の夢をかなえるべく、
新天地ウィーンでこの家族らしくたくましく生きていく。

ソローは剥製だから、きっとどこかの海をぷかぷかと漂っているんだろう。
「ソロー」とは、「悲しみ」と呼ばれるすべてを 一頭で肩代わりしたみたいに皮肉な名だけれども、
それでもソローは悲運じゃない。そして家族にとって不運と悲しみはイコールじゃない。
この家族に起こった不運な出来事はたっぷりあるのに、この家族の辞書には「悲しみ」がない。
悲しみの伴わない、むしろ希望に感じる前向きさが描かれているという、ジョン・アービング原作の映画。
「希望」と言ったってろくなもんじゃないのだけれども、それはそれだ。


                          *

ふたつ目のおはなし。
犬の名は太郎丸。それは小さな柴犬。家族はその犬が可愛くて可愛くて、
死んでもなお可愛いので、剥製にしようと思い立った。
この地では、鉄砲打ち(てっぽうぶち)が熊打ち猟や鹿打ち猟をする。だから探せば剥製師もいる。
探し出した剥製師に頼んで、太郎丸を生きていた時の姿にしてもらった。

してもらったはずなんだが、家に戻ってきた太郎丸はキツネの姿になっていた。
熊や鹿や狸やキツネなどの、野にいる獣を手がける剥製師は、家庭犬の風貌を再現できなかった。
犬が死んで悲しい家族は、キツネになった犬を見て、二度悲しかったはずなんだが、
これをわたしに話したひとは、当時はまだ幼くて、剥製になった太郎丸を見てもよくわからなかった。
家にいた太郎丸が、死んでちがうものになって帰ってきた、ただそれが不思議だったという。
大人になった今なら、悲しみという名もその在り処(ありか)も知っているのだけれども。


                         *


みっつ目は、鰐号がわに丸だった頃に名前を付けた犬のおはなし。
犬の名はシワ コ 。
シワ コ は意識を失くす時にひと声吼えた。
最期の様を聞いたら獣医がそう教えてくれた。
王様とわたしはシワ コ が死んでほんの数分後に、長靴のまま病院に着いた。
その晩は大嵐で、雪かきに自宅に戻ったその間だった。

シワ コ はペロ コ に貰った血を輸血しながら、目には力があり、しっかり餌を食い、
意識を失くしたのはいよいよ逝くほんのすこし前だったという。
獣医は送管し、気道を確保し、わたしたちの到着まで保たせる努力をしてくれた。
治療台のシワ コ の姿を見ればそれはすぐにわかった。
王様とわたしの代わりに、シワ コ の目も息を引き取る喘ぎも痙攣も、獣医が見届けてくれた。
どう手を施したかを静かにつぶさに説明する彼をさえぎって、王様が
「先生、もういい、もういいよ、ほんとによくやってくれた。ありがとう。」そう言って彼の手を握った。
獣医はぽろぽろと涙をこぼした。そしてそのことに自分で驚いて、
「(病院をやっている以上)これは避けられないことなので、冷静に臨む経験は積んでいるのに、、」
あとは言葉が出てこず、わたしたち三人は一時(いっとき)静かな時間を過ごした。
シワ コ はその獣医のもとで幾度も奇跡のような生還をした。
「生きた心地」という言葉をくれたのは彼だ。
シワ コ に生きた心地を与え続けた年月は長い。シワ コ はまもなく十五歳だった。

動物の亡骸(なきがら)は目を開けている。
目をつぶっていたらよいのだけれど、現実はそうではない。
生きていれば目は口ほどに物を言うけれども、死んだら目をつぶらせなくちゃいけない。
目が語らなくなると、表情のニュアンスというものは頬に出る。
人ならばエンジェルメイクを施して、口元や頬のふくらみに面影を残す。
だから一緒にシワ コ の体を綺麗にしている時に、獣医に頬の内側の含み綿を頼んだ。 
シワ コ の舌を口の中にしまいながら、犬に含み綿をするのは初めてだと彼は言った。

すっかり綺麗になったシワ コは、大きなタオルでくるんで連れ帰った。
一体どこの雪をかいたかもわからないほど雪は積もっていた。
降り続ける大雪の中、王様がシワ コ を前抱っこで抱えて駐車場から家までの雪道を歩くと、
シワ コ はぐんにゃりと力が抜けていて、担いでもまたずり落ちる。
思わずわたしは「シワ コ!しっかりしろっ!」と言った。

鰐号はシワ コ が死んだ知らせを聞いて、翌朝一番の新幹線で帰ってきた。
うとうとしては目が覚めて叫ぶように泣き、またうとうとする、その晩の繰り返しは、
じいちゃんが死んだ晩と同じだったと言った。
じいじの時に鰐号がそんな泣き方をしていたことを初めて知った。

イギリスのことわざにこんな言葉があるという。

  子供が生まれたら犬を飼いなさい
  子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となり
  子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となり
  子供が少年期の時、子供の良き理解者となり
  そして子供が青年になった時、
  自らの死をもって子供に命の尊さを教えてくれる

鰐号がまだわに丸だった頃、ちいさいわに丸は動物が怖くて触(さわ)れなかった。
動物使いのようだったじいじだから、家にはいつも生き物がいた。
そんな家の子が動物に触れないなんてあり得ない。
そうして飼ったシワ コ はわに丸の練習台になるはずだった。
ところが子どもは動物と人間の境目があわい。
子ども自身がまだ人間以下の存在だから、どの種に属しているのかわからないんだろう。
わに丸はシワ コ に毎朝欠かさず朝餌をやり、メスなのに時にシワオと呼んで弟のように接した。
二頭は一緒に育ったはずだったが、犬は成長が早いからすぐに追い抜かれて、
わに丸はシワ コ に守られるほうの側になった。
夏休みは庭にテントを張って、わに丸とシワ コ は毎晩毎晩一緒に寝た。
シワ コ は、寝る時はわに丸の足元で丸くなり、朝そっとテントの中を覗くと
わに丸の枕元でわに丸を抱えるように寝ている。
一応の兄貴分に、寝る前は花を持たせ、寝てからは本来の立場に戻っていたんだろう。

わに丸とシワ コ の写真がある。
長距離徒歩の遠足から帰り、へとへとの小学生のわに丸を見上げて吠え立てる子犬のシワ コ 。
成犬になって、目を細めてわに丸を見つめるシワ コ 。
わに丸は年頃になると、他聞にもれず写真に写ることを嫌がるようになった。
だが犬となら別で、しかもアニバーサリーには犬と並ぶものと思っているらしく、
親子での写真はそうそうないが、わに丸の入学式や卒業式の写真はみなシワ コ と並んで写っている。
歳とったシワ コ は眠る時間が多くなった。するとわに丸もひっくり返って昼寝をするので、
頭をくっつけて眠る二頭をそっと撮った写真がある。
思えば、いつも一緒だった二頭、けれど大学の卒業式にシワ コ は間に合わなかった。
シワ コ の代わりはペロ コ が務めた。
びしっと座って鰐号を見上げるペロ コ 。ただしそれは一枚だけ。
あとは鰐号の側(そば)でごきげんな、あどけない顔だ。

死後硬直で目が閉じなくなることのないよう、一晩、頭部から目にリボンをかけておいたので、
翌朝のシワ コ は、まるでよそゆき顔で眠っているようだった。
家に着いた鰐号は、シワ コ を横たえてある部屋でしばらくシワ コ と二頭というか、ふたりきりでいた。
部屋から出ると「死んだら魂が抜けるのかな、触ると硬い。」と言った。
姿かたち顔かたちは同じでも、もうそこには「生」がない。

翌日は王様と鰐号が焼き場に運ぶため、大きな箱に入れたシワ コ に花を振り入れた。
「おばあちゃん、シワが死んだからね、お別れだよ。」母にも会わせたら、
母は「シワちゃんさよなら。また会いましょう。」と言った。
母にもシワ コ がこの世にもういないことがわかったようだった。

わたしはこれまで、動物とは焼き場で永の別れをしてきた。
鰐号にも、形見をとっておくようなことを見せたことはない。
けれども鰐号は以前、じいじの猫だったアク コ と別れる際にひとつまみ体毛を切り、
それをじいじの松の木の根元に埋めた。
焼き場では市の職員にシワ コ の頭頂部の骨をひと欠け頼んできたという。
わたしは内心、鰐号はその骨をいつまで持ち続けるつもりだろうと気がかりだった。

それから数ヶ月が経った春のある日、
鰐号は帰省すると壷から小さな骨を取り出し、アク コ の毛も埋めてあるじいじの松の根元に埋めた。
気が済んだのか、それは淡々としたものだった。
次に夏に帰省した時には、ペロ コ に五歳の誕生ケーキをくれた。
それは動物用なので、材料はとびきり良いのだが人の味覚には全く相応しくなく、非常に不味かった。
「シワ コ のために、できることは全てやったでしょ?」と鰐号は言って、
別れを胸に収めて東京に戻ったようだったけれども、
十五歳の誕生日を迎えられなかったシワ コ への思いがあったのだろうか。

そう、わたしたち家族は十分にやった。そう言えるのかもしれない。
でもまだ、それ以上、十二分にしてやれたとも思っている。
十分では充分には満たなくて、わたしの中では十二分が充分なのかもしれない。


                          *


あれから丸二年も経って、いまごろ書くのも申し訳ないんだが、
「王様の千と線」に登場するシワ コ を愛してくださった皆さま、ほんとうにありがとう。
案じてくれて手を貸してくれて思いをかけて一緒に歩いてくれて、ほんとうにありがとう。
やっと、振り返れた。


参考:悲しみの五段階 
エリザベス・キューブラー・ロス
『死ぬ瞬間』の著者として知られる精神科医
死の受容のプロセスと呼ばれているキューブラー・ロスモデルの提唱者




□懐かしい写真
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シワ コ 6歳



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シワ コ 11歳



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シワ コ 8歳



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シワ コ 11歳                                              photo by tsure



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by NOONE-sei | 2015-02-21 23:59

94夜 わたしの作庭帖


書きたいことがいっぱいあるよ、どうしませう。


今夜のおはなしは庭にまつわるあれこれ。

庭というのは、自然界のあれこれの再現なのだろう。
盆に間に合うようにと松の剪定に来てくれた庭師が、父の残した庭を見て、
「これは吾妻山の石を使った景色だね、このあたりの造園屋に頼んだの?」と言う。
わたしは何十年も前のことを知らない。
しかも、山野草にも、ましてや松だの石だのには全く興味が持てなかった。
王様なぞ、「手も金もべらぼうな松は三本とも切ってしまえ、庭は潰してしまえ、
じいちゃん大好きだけど、この道楽だけは負の遺産だ」などど言ってのける。
昨今はひとり一台の車を持つのが当たり前なので、
車のために庭をガレージに作り変えることはめずらしくない。
今では作り込んだ造形の日本庭園は人気がなく、自然形に近い雑木の庭が和洋を兼ねていて人気だ。

母が音を立てるように認知力を失っていった五月から七月、わたしは松の手入れをしていた。
庭にいると家の様子がわかるし、脚立に上っていると気持ちがよかった。
脚立が山野草を踏まないよう気をつけたり苔を傷つけないようしているうちに、
やがて庭の隅々に目が行くようになった。
雨が降ると大きな木の下で雨宿り、犬も猫も雷が鳴るとわたしの陰に隠れるが、
寄らば大樹の陰になれない小さいわたしよりも、松は四十年もどっしり立っている。
その庭の松三本のうち、門かぶりだった松と一番華奢な松を残して、
もうわたしでは手入れできないほど育って電柱の邪魔をしている松を切ることに決めた。
庭師の仕事はさすがに速く、伐採も門の松の剪定も一日で終わった。
わたしが最後まで仕上げた華奢な松は、結構いい出来だと褒めてもらった。

今年の二月は、早いもので父の七回忌だった。
それが済んだら、庭の池を空池(からいけ)にさせてもらおうと思っていた。
鯉とドジョウの棲む池に土を入れ、苔と岩ヒバを植えてまた違う風情の池に作り直す。
もう父もうなずいてくれると思った。
二月は春のような暖かく晴れた日と大雪の日が交互にやってくる。
その狭間に、父の七回忌を家族だけで行なった。
雪が降り始めた日の朝、長靴を履きスコップを持って父の墓の雪を払い、
花だけは春の、桃のつぼみとチューリップを供えてから寺に出かけ、
あぁもうあれから丸六年なんだね、と和やかに読経してもらい、塔婆を墓に立てて帰った。
母を気遣いながら外で食事をするよりも、家に仕出しを届けてもらってゆったりしよう、
庭のことなどのんびり話しながら酒を飲んで過ごそう、そんなふうに静かに法事をした。

今になって思うのは、父がわたしに手を合わせて頼んだ母の行く末。
その母は強運の持ち主で、さすがに西太后だということ。
先日、ついに徘徊して母が心の中の郷里に向かって歩いた時、
さほど遠くない場所でおかしいと気づいて警察に通報してくれた人がちゃんといた。
本庁まで迎えに行くと、がっしりと頼もしい若者の警察官をはべらせて母は嬉しそうだった。
現在の郷里と母の心の中の郷里はすでに乖離しているので、実際に連れて行っても意味はない。
そのように、容れ物としての身体に余病がなくても脳が機能しなくなってゆくことがある。
反対に父の場合は脳の意識が最期まであり、容れ物が保たなくなっていった。
認知症は母本人のためのもの。死を怖がらなくしてくれる神の配剤。
癌はわたしたち周囲のためのもの。死というものを知る機会をわたしたちに与えた神の配剤。
母では心が弱すぎて、癌と闘えない。

「セイはもともとのイメージからして野の作業のおばちゃんだよね。」そう言葉に出したら、
自分の言ったことに笑いの拍車がかかり止まらなくなった不届きな男ともだちがいる。
不届きではあるが、そう外れてもいない。なぜならよく日に焼けて麦わら帽子を被って立つ姿は、
悔しいが男ともだちの言う姿ではある。
わたしは今、空池作りに精を出しているのだ。
とはいうものの自然界は怖い。安達太良山も吾妻山も怖い山だ。
安達太良では火山のガスの流れる場所があるし、吾妻では震災以降水蒸気の噴煙が立ち上っている。
その怖い自然界の山を模した庭に手を入れるにはそれなりの鎮めをしなければならない。
切る前には松に酒と塩を 水を枯らす前には池に酒と塩を。

お神酒(おみき)というくらい神に酒はつきもの。
なにやら神を数える単位は「柱」というのだとか。
松は木だから一本二本だと思うのだが、酒を撒くとは特別だからもしかして一柱二柱か?
夕方、池の石組みと土入れをしていたら王様が帰ってきてこんなことを言う。
「ご精が出ますなあ。松の次に土と石では、行き着くところまで行っちゃったね、ははは。」
人間は年を経るに従って花から緑へ、そして土から石へと志向が動いてゆくというけれど、
これはずいぶんな言いようだ。王様め。

ところで、仏はどう数えるのだろうか。 
仏像は一体二体。仏の姿は生々しいもの、だからきっと、おひとりおふたりにちがいない。



□法事の仕出し
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法事だからといっても、精進にこだわらずに賑やかに。

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てんぷら


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きぬかつぎをきのこに見立てた包丁技、日本料理は面白い。


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鰐号が用意したワイン。




□庭の変遷

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六月、暑い日の庭。


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八月、これから松の清め。


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松、伐採中。


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松、剪定中、その手際の良さと腰の道具袋。


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松、完成。わが家の男たちはこれから池の掃除。



□池の変遷

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存在感がありすぎる池。


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自家繁殖していた鯉と、鰐号が小学生の時に釣った、まるでウナギのように大きくなったドジョウを捕まえて川に放流した。
ドジョウの寿命ってどれくらいあるんだ?

お久しぶりの獣たち
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by noone-sei | 2014-10-01 23:24

91夜 返事はいらない


宮崎 駿が引退すると聞いた。
その幕引きである最後の作品で流れる音楽が『ひこうき雲』、映画は観なかったが、
松任谷由実がテレビ出演して自分のことを語る番組を見た。
松任谷になる以前の、荒井由美の音楽はとても好きだった。

男ともだちからそっけないメールをもらった。「返事はいらない」。
小娘だった頃に聴いていたラジオの最終回がどのようだったかという知らせだった。
そのラジオで荒井由美も知ったのだった。

・ 林美雄 空白の3分16秒/特別番組TBSラジオ
2013.12.27 19:00-20:00


『小説すばる8月号』より 「ノンフィクション新連載」
『1974年のサマークリスマス -- 林美雄とパックインミュージックの時代』柳澤健



林美雄が選ぶ音楽や映画は、狭い狭いところをより狭く忍び足で歩くような薄暗さがあって、ことに映画は、
やさしいにっぽん人
青春の蹉跌
ラジオで、覚えてしまうほど流れたこれらの音楽を使う映画はいったいどんなものなのかとずっと思っていた。
大学生活を東京で送るようになってから、それらがATGという一連の映画だったこと、
それらを観るには今でいうミニシアター、当時の名画座に行かねばならないこと、
ひとりで観るにはすこし勇気が要ること、わたしには背伸びが要ること、そういうことがすこしずつわかってきた。

ライヴハウスもひとりででかけた。一人暮らしは渋谷だったので、てくてく歩いて渋谷屋根裏やエッグマンに行った。
エッグマンで聴いた石川セリも、林美雄のラジオで知っていたから。



たびたび訪問させてもらうウェブログのお題に「・・<ビートニク映画祭>/スペイン坂を登った左をまた降りた」というのがあった。
その映画祭の上映館はスペイン坂にはない。
わたしは舞台の芝居が大好きだったから、スペイン坂を上る時には上りきった所で芝居を観る時だったし、
渋谷屋根裏はその頃はまだスペイン坂を下りた所にはなかった。
屋根裏は、渋谷から下北沢に移転しスペイン坂左下に再び移転し、先ごろ閉じてしまった。
だから彼は、そのお題で屋根裏を悼んでいるのかと思った。
でも、映画祭だ。わたしは行ったことがなかったけれども、スペイン坂の左下にはミニシアターがあり、
そこも先ごろ様変わりしてしまった。彼はいろんな映画をそこで観たのだという。

ひとを形づくるものはさまざまある。
形づくられたと意識するのはずっとあとになってからだ。
その形づくったものが今はもうなくなっていたり変容するのはせつない。

芝居は一度限りのものだから、記憶からしか呼び起こせない。
それは呼び起こした時には鮮烈ではあるがどこか甘やかに形を変えている。
けれども音楽や映画は、なくなったり失くしたはずのものがそのまま褪せずに蘇る。
どれをどう残酷とは言えないけれども、感情の蓋が悲鳴を上げて吹っ飛ぶような、泣きたいような、そんな気持ちになる。

わたしは鈍くて、『返事はいらない』が荒井由美の曲の題名だったとはしばらく気づかなかった。
でもちゃんとなぞなぞは解いたから、こうして返事を書いてみたよ。


お写真は、311の震災のあとに聴くようになった音楽いろいろ

□こころを揺り動かさないで鎮めてくれる音楽
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by noone-sei | 2014-03-31 01:58 | 趣味の書庫話(→タグへ)

89夜 復という文字


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今日は311。明日から震災四年目になる。
今日は祈りの日。過ごすことが適(かな)う者はいつもどおりに過ごす日。
復活とか復興とか、復と書いてふたたびを意味する日はまだ遠い。

声に出して怒りを露わにしたら堪える糸が途切れてしまう。
けれども慣れないようにしよう、除染作業やニュースで日々発表され続ける県内各地の放射線量、
県産品には必ずある放射性物質検査のラベル、あちこちの道路に標識のようにある仮設住宅群への案内板、
この不自然なものがいつも身近にあることに。
いつもどおりに過ごすことにちからを尽くしても、忘れてはいないことを忘れないようにしよう。

○猫は三歳になる。
311にはまだ母猫の腹の中にいて、公園で拾われわが家に来た猫はすっかり「うちの猫」だ。
出ない犬の乳を吸い、犬たちの腹や尻で寝た猫は、今では犬の体を舐めてやる猫になった。


                                     *


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大きな島に住む友人から、木に生るのが想像できない瑞々しいみかんが届いた。
食い意地の張るわたしが311の後、やっと開いたスーパーで牡蠣を探して歩いたのを友人はよく憶えていて、
三陸が打撃を受けて手に入らなくなった牡蠣の代わりにと、南から牡蠣も送ってくれる。

○松島湾の牡蠣がやっと食えるようになった。
三陸の最南端に位置する松島湾では、
牡蠣漁師たちが牡蠣小屋を開いて炭火で焼き牡蠣を供してくれていた。
それが津波で牡蠣棚も牡蠣筏も船も流され、それでもその年は残った分を供してくれたのだが、
翌年の昨年はまったく小屋を開けなかった。
三年目の今年は、期間は長くないがやっと松島湾で牡蠣がとれるようになって牡蠣小屋が再開された。
牡蠣の養殖は海の整備ばかりではなく山も整えなければならない。
森林の腐葉土からは栄養が湾に流れこみ、多くのプランクトンが発生する。
その淡水と海水が混じる海域で牡蠣は繁殖するから。
牡蠣の出荷をやっと始められたところ、やめざるを得なかったところ、そのどちらもある。


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友人が送ってくれていた牡蠣。


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つい先日の休日に行った松島。


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牡蠣の加工・生産工場。


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牡蠣小屋の周囲には痛ましい傷跡が残っている。


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これが一人前。


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賑わいがあってうれしい。宮城県外ナンバーの車もたくさん見た。


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ホタテも食う。


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牡蠣を食う。漁師の女房が、焼いた牡蠣の汁を酒に入れてくれた。牡蠣酒、旨い。



                                      *



○歌に助けられた。
昨年のNコンという全国学校音楽コンクールの課題曲にもなった「ふるさと」。
アイドルグループの青年たちが震災前から歌っていた短い曲が、
幾通りにも歌詞を変化させながら歌われ続けている。
歌のちからは、まず曲にある。歌詞はそれをふくらませる役割だ。
想像力や記憶や経験が相まらないと言葉だけでは立っていられない歌詞が、曲を得て歌になる。


NHK みんなのうた 「ふるさと」   歌: 嵐

                  『ふるさと』      作詞:小山薫堂  作曲:youth case


1番

夕暮れ迫る空に 雲の汽車見つけた
なつかしい匂いの町に 帰りたくなる
ひたむきに時を重ね 想いをつむぐ人たち
一人一人の笑顔が いま 僕のそばに
巡り合いたい人がそこにいる
やさしさ広げて待っている
山も風も海の色も いちばん素直になれる場所
忘れられない歌がそこにある
手と手をつないで口ずさむ
山も風も海の色も ここはふるさと


ワクワク学校Ver.の2番

ここに集えた奇跡 胸に深く刻む
小さき光が照らす 大いなる夢
明日への扉開いて 5つの種を蒔いたら
見過ごしてきたものさえ いま 愛(いと)しすぎて
助け合いたい友がここにいる
遠くを見つめて歩き出す
空の星も虹の橋も 全ては心の中にある
気付くことで輝く生き方を
いつまでも大切にしたい
空の星も虹の橋も 君のふるさと


紅白2011Ver.の2番

写真の中の声が ふと恋しくなった
夢を語りあった日々 輝いていた
あの頃と同じように 空を見つめる木々たち
揺るぎなきその強さが いま 僕の胸に
支え合いたい人がそこにいる
明日を信じて歩いている
花も星も虹の橋も すべては心の中にある
生きることで感じる幸せを
いつまでも大切にしたい
花も星も虹の橋も 君の ふるさと


紅白2012Ver.の2番

朝焼け色の空に またたく星ひとつ
小さな光が照らす 大いなる勇気
何気ない日々の中に 明日の種を探せば
始まりの鐘が響く いま 君のために
雨降る日があるから虹が出る
苦しみぬくから強くなる
進む道も夢の地図も すべては心の中にある
助け合える友との思い出を
いつまでも大切にしたい
進む道も夢の地図も それは ふるさと

僕のふるさと

ここはふるさと

                                                                       採詞: 666**99000
                                  *



復ではなく福であってほしい。ここはもともとは福の島なんだから。

新聞の記事
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by noone-sei | 2014-03-11 23:59

86夜 白いものふたつ


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「紺屋の白袴(こうやのしろばかま)」という言葉の意味を知らなかった。
女ともだちが「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」というメールをくれたので、
おなじく白いものが含まれる言葉だからと調べてみた。
紺屋が自分の袴は染めないで、白袴をはいている意。
他人のためにばかり忙しく、自分のことを後回しにしているさま。

彼女には昔から世話になってばかり。
猫の手ほどの手伝いだけれど、と言いながら、わたしが困った時にはいつも助けてもらった。
聡明なひとだから、自分のことを後回しにしたとは思えないけれども、
幾度助けてもらったか数えられない。

今夜のおはなしは、数はあるけれども「数のない夜」。

鰐号はまだちいさなわに丸だった頃、心臓が悪くて大学病院のこども病棟に入院していた。
彼女は町から遠いその病院にたびたび見舞ってくれた。
なぜかというと、わたしに食べるものを届けるため。
わたしのように食い意地が張っている者でも、食欲はなくなる。
なにか食べたいものはあるかとたずねられ、わたしはそうめんが食べたいだの、
目玉焼きが食べたいだの、入院の付き添いでは食べられないようなものを言った。
・・今思えばやっぱり食い意地は張っていたのだな。

父の看病で病院通いが続いていた頃、彼女は犬など飼ったこともないのに、
留守中に雪の中をたびたびシワ コ の散歩をしてくれた。
シワ コ はほんとうに生意気で、犬に慣れていない彼女に近所を案内してやると言わんばかりの
子分ができたかのような傲慢な散歩で彼女を引き回した。
やがて父が自宅ホスピスになると、彼女はたびたび買い物をしてきてくれた。
ハンバーガー十個だの、菓子パン十個だのと言うわたしに、
もしや台所に立てていないのではと、料理を届けてくれるようになった。
そして父が亡くなると、弔いごとの忙しさでまだ台所に立てないわたしに、
やっぱり食べるものを届けてくれた。
・・食い物の恨みは恐ろしいというが、一宿一飯の恩義ならぬ多飯の恩義はそれを凌駕する。

その彼女の子猫が事故で急死した。
冒険心の強い猫は、家の中で飼っていても外界へ興味津々だ。
わが家に居ついた子猫もそうして事故に合ったし、もう一匹は雪の朝に出て行ったきりだ。
姿がないといつまでも別れが言えない。
彼女から知らせを聞いて、姿があってよかったとは思ったけれども、
彼女の悲しみにはどんな言葉をかけてよいかわからなかった。
悲しみは、涙の量に比例しない。
悲しみかたも悼みかたもそれぞれのものがあり、思い浮かぶことのあれこれを
これじゃないあれじゃないと消去していったら、なにもしてあげられないことに慌てた。

会えなかったらそれはそれ、と、わたしは彼女がしてくれたことに倣って
おにぎりを持って玄関先に置くつもりで訪問することにした。
折よく会えたからもう帰ろうと思ったら、家に上げてくれたので、
馬鹿な、しかも動物にまつわる痛いのに笑ってしまう話をぺらぺら喋った。

悪いともだちのわたしは、今日、「どう?泣いてる?」と、痛さを擦り込むようなメールをした。
「因幡の白兎」という返事が来たのは、そんなわけ。
悲しみは、涙の量に比例しない。
・・しないけれども、やっぱり今は泣いたほうがいいんだ。



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たとえばこんなものをめくって、


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たとえばこんなふうにお茶でも飲んでいてくれたらよいけれど。
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by noone-sei | 2014-01-24 01:04 | 数のない夜(23)