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91夜 返事はいらない


宮崎 駿が引退すると聞いた。
その幕引きである最後の作品で流れる音楽が『ひこうき雲』、映画は観なかったが、
松任谷由実がテレビ出演して自分のことを語る番組を見た。
松任谷になる以前の、荒井由美の音楽はとても好きだった。

男ともだちからそっけないメールをもらった。「返事はいらない」。
小娘だった頃に聴いていたラジオの最終回がどのようだったかという知らせだった。
そのラジオで荒井由美も知ったのだった。

・ 林美雄 空白の3分16秒/特別番組TBSラジオ
2013.12.27 19:00-20:00


『小説すばる8月号』より 「ノンフィクション新連載」
『1974年のサマークリスマス -- 林美雄とパックインミュージックの時代』柳澤健



林美雄が選ぶ音楽や映画は、狭い狭いところをより狭く忍び足で歩くような薄暗さがあって、ことに映画は、
やさしいにっぽん人
青春の蹉跌
ラジオで、覚えてしまうほど流れたこれらの音楽を使う映画はいったいどんなものなのかとずっと思っていた。
大学生活を東京で送るようになってから、それらがATGという一連の映画だったこと、
それらを観るには今でいうミニシアター、当時の名画座に行かねばならないこと、
ひとりで観るにはすこし勇気が要ること、わたしには背伸びが要ること、そういうことがすこしずつわかってきた。

ライヴハウスもひとりででかけた。一人暮らしは渋谷だったので、てくてく歩いて渋谷屋根裏やエッグマンに行った。
エッグマンで聴いた石川セリも、林美雄のラジオで知っていたから。



たびたび訪問させてもらうウェブログのお題に「・・<ビートニク映画祭>/スペイン坂を登った左をまた降りた」というのがあった。
その映画祭の上映館はスペイン坂にはない。
わたしは舞台の芝居が大好きだったから、スペイン坂を上る時には上りきった所で芝居を観る時だったし、
渋谷屋根裏はその頃はまだスペイン坂を下りた所にはなかった。
屋根裏は、渋谷から下北沢に移転しスペイン坂左下に再び移転し、先ごろ閉じてしまった。
だから彼は、そのお題で屋根裏を悼んでいるのかと思った。
でも、映画祭だ。わたしは行ったことがなかったけれども、スペイン坂の左下にはミニシアターがあり、
そこも先ごろ様変わりしてしまった。彼はいろんな映画をそこで観たのだという。

ひとを形づくるものはさまざまある。
形づくられたと意識するのはずっとあとになってからだ。
その形づくったものが今はもうなくなっていたり変容するのはせつない。

芝居は一度限りのものだから、記憶からしか呼び起こせない。
それは呼び起こした時には鮮烈ではあるがどこか甘やかに形を変えている。
けれども音楽や映画は、なくなったり失くしたはずのものがそのまま褪せずに蘇る。
どれをどう残酷とは言えないけれども、感情の蓋が悲鳴を上げて吹っ飛ぶような、泣きたいような、そんな気持ちになる。

わたしは鈍くて、『返事はいらない』が荒井由美の曲の題名だったとはしばらく気づかなかった。
でもちゃんとなぞなぞは解いたから、こうして返事を書いてみたよ。


お写真は、311の震災のあとに聴くようになった音楽いろいろ

□こころを揺り動かさないで鎮めてくれる音楽
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# by noone-sei | 2014-03-31 01:58 | 趣味の書庫話(→タグへ)

90夜 美容院では何を読む?


決まっているじゃないか、「日経エンタテイメント」だ。
少し前にはテレビドラマの変遷というのがあって、女性が主人公のテレビドラマのまとめも載っていて楽しかった。
  沙粧妙子最後の事件簿
  ケイゾク
  QUIZ
  トリック
  スペック
ここに「ボーダー・犯罪心理捜査ファイル」が入っていればもっと楽しかった。


アニメーションの変遷というのがあったときも楽しかった。
  ガンダム
  装甲騎兵ボトムズ
  青の6号
  機動警察パトレイバー
ここに「イ・リ・ア」が入っていればもっと楽しかった。
そうそう、押井 守の「Halo Legends(ヘイロー レジェンズ)」をまだ観ていない。
実写とはちがうから、そうはずれではないと思うんだが。


日経エンタメは美容院でのおたのしみなので、続けて読んでいるわけじゃない。
実写はどのような変遷でどのようにまとめられていたんだろう。
きっとわたしの好きな、金子修介版ガメラも、平成ゴジラの女性が主人公のも載っていただろう。


時間を作って観なければと思っていた映画がある。
  銀の匙
  機動警察パトレイバー
  ハリウッド版ゴジラ
どれも実写で、原作の漫画やアニメーションや日本のゴジラを思うと、大丈夫かと不安になるんだが、
とりあえずひとつ目の「銀の匙」は観た。撮影に臨む前にきちんと俳優の体の準備が整ったよい実写だった。
押井は実写に弱いから不安がある。
ハリウッド版はゴジラを単に素材として使って勧善懲悪を描くんじゃないかとこれまた不安だ。


アニメーションの変遷には、もちろん
  アンパンマン
  サザエさん
どの分類だったかは忘れたが大御所として載っていた。
どうこう言えるような代物(しろもの)ではないんだが、少しどうこう言ってみる。
「アンパンマン」の魂は正しく美しい。真っ直ぐで真っ直ぐで息苦しくて、美しいものが正しいとは限らない。
自己犠牲を大上段に掲げる物語はおそろしい。
「サザエさん」は非常識だ。
常識の定規(じょうぎ)は曖昧で、「それはあなたの常識、わたしの非常識」なのでつまらないことなのだが、
「サザエさん」は明るく清い。陰(かげ)というものがなくて不気味で、清いものが明るいとは限らない。
事情のある娘でもないのに、長男を教育して一家の明るさの権化となっているのはへんな家族だ。
長男が青年になって家を出たら困るだろう。
まぼろしのような家族の結び目がほどけて負を背負ってくれる者を失ったら困るだろう。
少なくともわたしは家長、あ、この家には家長が二人いたんだが、年をとっているほうの家長から
『バカモ~ン』なんて言われたくない。


・・美容院では頭を洗ってもらいながら頭の中もしくは頭の中身まですすいでもらえるから楽しい。



追って:
「サザエさん」にわたしが感じている違和感を説明するのは難しい。わたしの中に、わたしが跡取りとして教育された家族観があることへの自覚があるからだ。
「サザエさん」は、波平を頂点とした日本の家長制度の体(てい)をとりながら、実は長女が家を離れずに実質上の跡取りとなっており、本来の跡取りである長男がおりながらその長男に道化として家族の負を負わせて成り立つ、かりそめの家族形態にわたしには見えてならない。
まだ小学生の長男カツオが、思春期や青年期を迎えたのちに自立するためには、この家族形態を自分で切り離すしか方法がないと思うのだが、もしカツオが嫁をこの家に迎え、ワカメが婿をこの家に迎えたら、それを笑って素敵な大家族と言えるだろうか。姓がマスオの姓に変わり、嫁となって家を出たはずの娘がさしたる事情なく家に居つくというのが、そしてそれを許すマスオでないほうの家長波平の神経がわたしにはどうにも理解しがたいのだ。



                                   *


□宝島社が発表するその年の漫画の順位づけ「このマンガがすごい!」。
かならずしもわたしの趣味や好みと合っていないか、またはかけ離れていることもしばしばなんだが、
たまたま持っていたもので一般に流通していないものがあった。
「足摺り水族館」は、ページをめくると紙からインクの匂いがした。
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# by noone-sei | 2014-03-17 00:25 | 趣味の書庫話(→タグへ)

88夜 春も近づく


「王様の千と線」 今夜は88夜。
夏も近づく八十八夜、野にも山にも若葉が繁る、、、のは、むかしからある雑曲の歌詞で、茶摘み唄。
そして八十八夜とは二月四日の立春から数えて88日目。
現実の今夜は春彼岸にもまだ早い。

しかし季節というものは、三月には三月の顔があって、相貌というのかそれらしさとでもいうのか、
その月なりに変化を見せる。
まだ、朝は外の水道が凍りバケツからはつららが垂れるし、路面はつるつる滑り危ないのだけれど、
日中の空気がどことなく春に近づいている。

いや、これにはわたしの願望も含まれているけれども、
春も近づく88夜、、、とちょと唄ってみようかな。




今夜のお写真は、87夜で予告した、先日の大雪の報告。
やっと振り返れるくらいに路肩の雪がなくなったよ。


■二月九日
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わが家の玄関、この程度の雪なら大丈夫。


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道路には大きな除雪車が。


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高速道路は通行止め。


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埋まった車。




■二月十五日
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ふたたびの雪。ずんずん降り積もり、これが大混乱を呼んだ重い雪。



■二月十六日
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お写真で見るとたいした雪に見えない。


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除雪車がとても間に合わない。



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運転に技術と勇気と即座の決断が要る、轍。

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前の軽自動車が向かって来る。かしいでいる。

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前の車は一体どの轍を選んで、追突しないように走るでしょう?


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こんなことになっちゃって。



■二月十九日
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夜のつらら。ムードがある。



■二月二十一日
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流通も回復したので買い物ができた。
花を買わなくちゃね、こんな時には。


追って:
ゆうべ春宣言をして唄まで唄ったというのに、翌日になったら今日は午後から雪が。
降り続いていて屋根も地面も真っ白、、、唄うにはまだ早かったよ。


わが家の獣たちは
# by noone-sei | 2014-03-10 01:22

87夜 雪の折り合い


冬に雪が降るのは当たり前のことで、いつもなら、雪そのものがめずらしい、ということはない。
それは、光に反射してきらきら輝くスノウダストだったり、
水分を多く含んでいるために、転がせばすぐに立派な雪だるまになりそうな水気を含んだ雪質だったり、
幾度も温度変化を受けて分厚い氷になってしまった、かつては雪と呼ばれるものだったり、
ひと口に『雪』と言ってもいろんな表情がある。
家の中で聴く雪の音も、風のようだったり、柱が軋(きし)むようだったり、音の無い音だったり、
屋根から地面に叩き落ちる大きな振動だったり、これもいろんな表情を持つ。
叩き落ちるというのは、どうやら方言らしいが察してくれ。

ただ、雪との折り合いとなるとこれはやっかいで、数日来の大雪は御するにも共存するにも骨が折れた。
折り合いというのはたいへん曖昧模糊とした言葉で、子どもなぞには真似のできない高等技術でもある。
加減乗除を自在に駆りつつ退(ひ)き時も心得ているという、食えない術(じゅつ)とも言える。
この度の雪は、だれかが天災と呼んだほどのやっかいさで、折り合いどころではなかった。
なす術(すべ)がなかったとも言えるし、人のちいさな力をたくさん集めて闘ったとも言える。

坂道を登れない車のせいで後続車が渋滞して夜を明かし、除雪車も車道が渋滞で到着できなかったとか、
峠が雪で塞がって自衛隊を要請したとか、国道は26キロメートルにわたって渋滞し、
主要幹線道路や高速道路は通行止めになり、雪でこれほどの混乱をするのは近年にないことだった。
重くて水分を大量に含んだ、ほんとうにたちの悪い雪だった。
積雪量50センチメートルが二日降り続くと、道路はもはや道として機能しない。
道には深くて安定しない轍(わだち)があり、選ぶ轍を間違えると、路脱や、ハンドルを捕られて進めなくなる。

地域では、大通りの轍とはまた違う、罠にかかるような雪の路に嵌(は)まり込んだ車を
住民総出で掘り出してやるとか、一晩放置された見知らぬ車を掘り出してやったらいつのまにかいなくなったとか、
助け合いも思いやりも恩知らずも久々に総登場の日々だった。
車庫の屋根が雪の重みで潰れて車の窓ガラスも割れてしまった家もあり、
わたしの車は、雪で腹が(こす)擦れ、ナンバープレートは破損してしまった。
道の両側に、除雪した雪が積み上がり張り出し、たとえ二車線の国道でも怖くて二台並んで走ることができない。
一本わき道に入ると車同士がすれ違うことができず、旧道のバス路線は回復していないところがまだある。

おとといはうちのような住宅地にもやっと除雪車が入った。
装甲騎兵のような四つ足の車両の操縦部にはオペレーターが立ち、
大きなシャベルを道路と平行に整え瞬時に角度を決定し、一気に雪を押しつつ道の両脇に積み上げて進む。
これは高等技術が要る。
数年前、この地の行政は予算削減のためオペレーターの確保をやめ始めたのが心配だと聞いたことがあった。
この度の雪で、孤立した山梨県に新潟県がオペレーター付きの除雪車群を派遣したと聞いて、
この独特の技術を かの雪国は継承しているのだと思った。
災害時に自衛隊は頼りになる、なるけれども、雪を御するのには独特の技術もまた要る。

一週間前には弁当も惣菜売り場もパンの陳列もからっぽだったスーパーに、食料品がちゃんと並んでいた。
昨日は14日に発送したと聞いていた本が長野県の上田からやっと届いた。
今日は、ひところ燃料の輸送と流通が危ぶまれ給油制限も一部にあったガソリンを満タンにした。
数日中には、雪で断られた灯油のタンク車にも来てもらえると思う。
一週間前には母が週に二度通所しているデイサービスセンターから、
一週間ほどの食材の備蓄なので雪の影響で流通が確保できなければ休業すると予告されたが、
現在はそれも解消された。

つい数日前までは、じわじわと震災の311を思い出していた。
大雪の直後はみなスコップを持ってわっせわっせと雪をかいてがんばれる。
その時はそれからあとの流通の回復に見込みが立たないことなど頭にはない。
食い物や燃料に困ることをじわじわと知り、高揚感が消え、じわじわと元気を失ってゆく。
災害は、起こったその時よりもあとに響く。

女ともだちの父上がひどいめまいで倒れ、つい昨日救急車で搬送されたと知らされた。
震災以降に環境が変わってしまって続いた心身疲労の蓄積と連日の雪との闘い、堰を切ったような入院だった。
「もうたくさんだー。」と、女ともだちがめずらしく弱音を吐いた。
いいかげんにしろよな、天のなにものか。わたしも上を向いて言ってやりたい。


もうひとつ言いたい。
もともとテレビはほとんど見ないんだが、この雪で立ち往生した地域が日本中にたくさんあったのに、テレビの報道はたいへん杜撰(ずさん)だった。
雪の状態が収まってきたのでオリンピックをハイライト映像でゆうべやっと観た。
でも、ちゃんと感動はあったよ。



おはなしはここまで
・・・・写真はこれからup
# by noone-sei | 2014-02-23 18:09

86夜 白いものふたつ


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「紺屋の白袴(こうやのしろばかま)」という言葉の意味を知らなかった。
女ともだちが「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」というメールをくれたので、
おなじく白いものが含まれる言葉だからと調べてみた。
紺屋が自分の袴は染めないで、白袴をはいている意。
他人のためにばかり忙しく、自分のことを後回しにしているさま。

彼女には昔から世話になってばかり。
猫の手ほどの手伝いだけれど、と言いながら、わたしが困った時にはいつも助けてもらった。
聡明なひとだから、自分のことを後回しにしたとは思えないけれども、
幾度助けてもらったか数えられない。

今夜のおはなしは、数はあるけれども「数のない夜」。

鰐号はまだちいさなわに丸だった頃、心臓が悪くて大学病院のこども病棟に入院していた。
彼女は町から遠いその病院にたびたび見舞ってくれた。
なぜかというと、わたしに食べるものを届けるため。
わたしのように食い意地が張っている者でも、食欲はなくなる。
なにか食べたいものはあるかとたずねられ、わたしはそうめんが食べたいだの、
目玉焼きが食べたいだの、入院の付き添いでは食べられないようなものを言った。
・・今思えばやっぱり食い意地は張っていたのだな。

父の看病で病院通いが続いていた頃、彼女は犬など飼ったこともないのに、
留守中に雪の中をたびたびシワ コ の散歩をしてくれた。
シワ コ はほんとうに生意気で、犬に慣れていない彼女に近所を案内してやると言わんばかりの
子分ができたかのような傲慢な散歩で彼女を引き回した。
やがて父が自宅ホスピスになると、彼女はたびたび買い物をしてきてくれた。
ハンバーガー十個だの、菓子パン十個だのと言うわたしに、
もしや台所に立てていないのではと、料理を届けてくれるようになった。
そして父が亡くなると、弔いごとの忙しさでまだ台所に立てないわたしに、
やっぱり食べるものを届けてくれた。
・・食い物の恨みは恐ろしいというが、一宿一飯の恩義ならぬ多飯の恩義はそれを凌駕する。

その彼女の子猫が事故で急死した。
冒険心の強い猫は、家の中で飼っていても外界へ興味津々だ。
わが家に居ついた子猫もそうして事故に合ったし、もう一匹は雪の朝に出て行ったきりだ。
姿がないといつまでも別れが言えない。
彼女から知らせを聞いて、姿があってよかったとは思ったけれども、
彼女の悲しみにはどんな言葉をかけてよいかわからなかった。
悲しみは、涙の量に比例しない。
悲しみかたも悼みかたもそれぞれのものがあり、思い浮かぶことのあれこれを
これじゃないあれじゃないと消去していったら、なにもしてあげられないことに慌てた。

会えなかったらそれはそれ、と、わたしは彼女がしてくれたことに倣って
おにぎりを持って玄関先に置くつもりで訪問することにした。
折よく会えたからもう帰ろうと思ったら、家に上げてくれたので、
馬鹿な、しかも動物にまつわる痛いのに笑ってしまう話をぺらぺら喋った。

悪いともだちのわたしは、今日、「どう?泣いてる?」と、痛さを擦り込むようなメールをした。
「因幡の白兎」という返事が来たのは、そんなわけ。
悲しみは、涙の量に比例しない。
・・しないけれども、やっぱり今は泣いたほうがいいんだ。



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たとえばこんなものをめくって、


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たとえばこんなふうにお茶でも飲んでいてくれたらよいけれど。
# by noone-sei | 2014-01-24 01:04 | 数のない夜(23)