お写真は昨年初夏の蔵王高原、ヤギと跳ねる子どもたち。 ちょうどその頃は、東北各地の山の噴火が危ぶまれたり地震が起こったりした時期で、観光地は客足が遠のき静かだった。 地震には、3.11から長く続いた余震で徐々に体が強く反応してしまうようになって久しい。 自然界の変動は突然やってきたり息をひそめたりする。 昨年までは、3.11が近づくと地震の数が増えて、忘れるな、と思い知らされていた。 だから今年の3.11もきっとそうなのだと構えていたらちがった。 数日前に久々に地震はあったものの、ごく小さなものだった。 自然界というものはあまりに大きすぎて、抗うということができない。 構えると肩透かしを食わされ、忘れかけていると気まぐれのように恐いものを突きつけてくる。 抗えないならどうする?小さく丸くなって耐える?変動が行き過ぎるのを物陰から待つ? できることはないのか考えながらまっすぐに見据える? 人間の微力でどうにもできないものをどうにかできるようなつもりになった驕(おご)りが、 原発の再びの稼動を始めさせていて恐ろしい。 わたしたちが生きている間に鎮めることのできないものが、この地ではあちこちに積み上げられている。 除染作業がまだ続いていて、剥がした表土はシートを被せて敷地に置き、 美観を甚だしく損ねつつ恐ろしい存在主張をし、またはシートで覆って土中に埋めている。 放射能に汚染された土は鎮められたのではなく、長い時間、いや気の遠くなる年月隔離しておくだけだ。 気の遠くなる年月だとわかっているのに、原発で避難して故郷に帰れないままの人たちに、 もうあそこには戻れないんだと告知しないのはなぜなんだろう。 いつまでも故郷を思い、仮の地と馴染むことのない人々が大勢近くに住んでいる。 ちかごろ、苛々して人に当たる人に遭遇することが幾度かあり、 そういう人の心根までは到底わからないけれども、 その反射に近い苛立った言動が浅ましく人を傷つけるのを見過ごせず、 近寄っていって「そんなに怒んないの。ね。」と声を掛けてしまったことがある。 日々の生活の中で蓄積されたものか、環境が思い通りにゆかない悲嘆か、いずれにしても 自分で自分の発露が止められない哀れないきものになってしまいそうな時、彼または彼女は声を出す。 そんなせっぱつまった声をとどめようとするのだから、 わたしは殴られるのを覚悟しているのだが、声掛けをすると彼らは行動だけでなく目までが止まって、 しばらく機能を停止してしまうので、仕方なくそっとその場を離れるしかない。 自然の変動が人の気持ちに揺らぎを与えるのか、大地の揺らぎが不安を煽るのか。 依って立つべき地を持てない寄る辺なさをこの先何年彼らは抱えてゆくのだろう。 今日は震災から五年と一日目。 震災の傷みはフラッシュバック、原発による不安はフラッシュフォワード。 六年目になってもなおあるこの苦しさや閉塞感は、未来に重くて永い不安を見ているからだ。 過去なのか未来なのか、どっちつかずの昨日を終えてほっとした。 3.11は、理性でなく感情がざわつく日だから。 ことに昨日は朝から、五年前と天候がよく似ていてざわざわした。 こんな日にあの曲は聴きたくないな、と思っていたら聴かずに済んだ。 『見上げてごらん 夜の星を』 何か悲しいことが起こると流れる曲。 わたしには世界でふたつ、嫌いな曲があるんだが、その三番目にこの曲を入れることにした。 ひとつは『四季の歌』ふたつは『千の風になって』その三番目だ。 今日は、五年前にやっと耳が開いた頃に聴こえてきた曲を久しぶりにテレビで聴いた。 ずいぶん前の曲らしいんだが、それをどこでどんな状況で聴いたのかが鮮烈に蘇った。 五年前だって今だって、どっちつかずの日の夜の星は見上げたくない。 SMAP『この瞬間(とき)、きっと夢じゃない』 おまけ 獣たちの昼寝とはなちゃん #
by NOONE-sei
| 2016-03-12 11:50
母、はなちゃんが夏に緊急入院して、退院してから二ヶ月とすこしが過ぎた。 わたしはもうはなちゃんを家に帰したいと言って、病院から自宅に連れて帰った。病院や施設を転々とするよりも、家がいいと思った。 入院していた病院ははなちゃんが「食べる」機能を思い出す訓練を言語聴覚士にさせてくれた。 福祉に関わる大勢の人が計画を立ててくれ、毎日朝夕ヘルパーさんに助けてもらって、家での介護が手厚く受けられるようにできた。 寝たきりになったはなちゃんは、わたしが作るペースト食を食べる。訪問看護師が定期的に家でバイタルチェックをしてくれる。 往診を専門にしているお医者とも出会うことができた。お医者は、急変してもあわてて救急車を呼ばないようにと言った。 このウェブログを長く読んでいる読み手は、おや?と思わないか?父を自宅で看病したことと重ならない? はなちゃんの介護ベッドの上には毎日ぺろてんが一緒に寝ている。 五年近い介護の中で一番穏やかな日々を過ごしていたのに、今度ははなちゃんの「飲み下す」という機能に異変が起きてしまった。 はなちゃんは認知症とパーキンソン病なので、脳からの食べろという指令が混乱し、飲み下す筋肉がこわばり始めた。 呼吸を確保するために喉に痞(つか)えた痰の吸引が必須で、これができないと自宅介護(看護)が崩壊する。 わたしは父の時にもそうしたように、いや父の時よりも頻繁に、吸引のチューブを使って苦しい息を和らげてやる。 もし、クリスマスになにかを願っていいなら、はなちゃんの意識レベルがすこしでも長く維持できますように、と思う。 意識が混濁し、昏睡するほうが本人は楽かもしれない。けれど、たまに電流がつながるようなわずかな会話の疎通を大切に思う。 * * * よし、それじゃ、ささやかな聖なる夜のおはなし。 クリスマスだね。 こんなカードをもらったよ。 今年は雪がほとんど降らなくて不思議な冬だよ。 ゆっくり絵本を読んでお昼まで過ごしてみる? わたしはこの訳者、村上春樹の小説を一冊も読んだことがない。 次は、まど みちおの詩集。 このおじいさんが亡くなって、わたしはとても悲しい。 このひとの詩は胸が、なんというの、きゅんきゅん鳴るというの、きしきしと軋(きし)むというの、とにかく、なにかでいっぱいになる。 だれよりも、何か強いことばやちからで追いかけてきたりしない、静けさのある時間をくれる。 さてっ。お昼だよ。ごはんを食べに行こうよ。 さてさて。家では獣が待っている。 獣たちと遊んでいたら夕暮れになってきた。 と思ったら、すっかり夜に。 冬の夜は早くやってくるから、なんだかそわそわしないか? 獣にもごちそう #
by NOONE-sei
| 2015-12-25 11:59
吾妻山に初冠雪があった。 山の鮮やかな錦繍(きんじゅう)も平地に降りて、街の紅葉も終わり、数日前にこの地では初雪が降った。 家はこたつを出して久しく、火の使えるストーヴにはやかんを乗っけ、鍋を載せ、煮込み料理を始めている。 今夜は「王様の千と線」の目出鯛100夜。 生ってなんだ、死ってなんだ。それを綴り続けて六つ目の100夜を迎えた。 死がころりと転じて生のおかし味となるようにと願いながら。 わたしの100夜はいつもそのようなおはなし。 思えば遠くへ来たものだ。 春だったウェブログが、冬の始めのウェブログになった。 久しぶりだね。 春は庭が花々で賑わったよ。 草むしりも追いつかないほど雑草の勢いと追いかけっこをした。 春眠暁を覚えず、夏眠は暁とともに目覚めるので、早朝に草むしりをしていたら グーグルのカメラを屋根に付けた乗用車がすいーっと走っていって、 こんな鄙びた田舎道もいよいよ画像になるのかと驚いたりした。 夏には美味い桃を食ったよ。 畑ではミニトマトの生(な)りがたわわ、優等生のハナマルだったので、ドライトマトも作ってみたよ。 ナスやオクラやピーマンの花はたいそう可愛かったし、 毎日少しずつ実が生るというのも趣きがあってよかった。 しかし今年の夏は体温を越えた気温の日々が続いて厳しかったので、野菜は生るのがさぞ辛かっただろう。 虫にもたくさん会ったよ。 あちこちでセミの抜け殻も見つけた。少女の頃に瓶にたくさん入れて集めたという友人がいた。 カマキリの小さいのから大きいのも見た。腹をつまんで近くで見たら鎌を振り上げたいそう怒った。 ところで蟷螂(とうろう)って漢字は虫虫して目にも蟲っぽいけれど、 きっと虫じゃなくてコウモリだと思っていたらこれがカマキリだった。 コウモリのほうは蝙蝠と書く。なんだこっちも虫虫している。 カマキリの泡あわした卵を見つけたら、これがその年の雪の高さになるんだと教わった。 虫じゃないけど、おそらくもう冬眠しただろうから安心して報告。 今年はほんとうに久しぶりに長いものに出くわさずに済んだ。 庭の空池のそばに抜け殻だけは見つけてしまって、秋になるまで池には近づけなかったけれど。 その抜け殻は、千切って財布に入れるという友人に押し付けた。 この抜け殻というものは、なんと数えればいい?一本二本?それとも一体二体? 殻(空)になってぴらぴらしたものに一匹二匹と言うのは、なんだかちょと違うような気がする。 明日から十二月。 明日からは本格的な冬だから、十一月最後の今夜は滑り込むようにして秋の食事のお写真を載せてみるよ。 冬の長いこの地では、春や秋に採った山菜を塩漬けにしておいてその塩を使う毎に抜いては食する。 季節をなぞりながら思い起こしては大切に口に入れる食の豊かさ。 どうぞお写真を楽しんで、食を楽しんで、百の生(せい)を生きて。 □山の山菜料理店 2012年秋の写真保管庫より ---------------------commercial message by Excite Japan Co., Ltd.-------------------------- #
by NOONE-sei
| 2015-11-30 11:57
今夜も閑話休題。でもPCがすこしお利口になりつつあり、 そしてわたしもPCを開くゆとりを半年ぶりに手に入れつつあるので、 秋のお写真を載せてみるよ。といっても、ちょうど去年の今頃の風景なのだけれど。 お写真が保管庫にたくさん貯まっています。 □獣たちからもごあいさつ 次の夜は100夜。 ちょと長いおはなしになります。 #
by NOONE-sei
| 2015-10-19 18:34
| 閑話休題(22)
PCが不調です。 天候が不順です。 テン コ がエイプリルフールに四歳になりました。 おめでとうのハム一枚を二口で食いました。 寒くて桜が長持ちしているけれど、 ソメイヨシノはぱっと咲いてさっさと散るのが似つかわしいと思います。 100夜を前にして、スマートフォンからおはなしをupしているのは悲しいので、 わたしのPC、がんばってくれ。 今がこの地は一番の観光の時。 花見山を模した演出が駅前にも為されています。 スマートフォンで撮った写真はどう見えるのかしら? #
by NOONE-sei
| 2015-04-13 01:21
| 閑話休題(22)
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