100夜 百まで生きて


吾妻山に初冠雪があった。
山の鮮やかな錦繍(きんじゅう)も平地に降りて、街の紅葉も終わり、数日前にこの地では初雪が降った。
家はこたつを出して久しく、火の使えるストーヴにはやかんを乗っけ、鍋を載せ、煮込み料理を始めている。

今夜は「王様の千と線」の目出鯛100夜。
生ってなんだ、死ってなんだ。それを綴り続けて六つ目の100夜を迎えた。
死がころりと転じて生のおかし味となるようにと願いながら。
わたしの100夜はいつもそのようなおはなし。
思えば遠くへ来たものだ。

春だったウェブログが、冬の始めのウェブログになった。
久しぶりだね。

春は庭が花々で賑わったよ。
草むしりも追いつかないほど雑草の勢いと追いかけっこをした。
春眠暁を覚えず、夏眠は暁とともに目覚めるので、早朝に草むしりをしていたら
グーグルのカメラを屋根に付けた乗用車がすいーっと走っていって、
こんな鄙びた田舎道もいよいよ画像になるのかと驚いたりした。

夏には美味い桃を食ったよ。
畑ではミニトマトの生(な)りがたわわ、優等生のハナマルだったので、ドライトマトも作ってみたよ。
ナスやオクラやピーマンの花はたいそう可愛かったし、
毎日少しずつ実が生るというのも趣きがあってよかった。
しかし今年の夏は体温を越えた気温の日々が続いて厳しかったので、野菜は生るのがさぞ辛かっただろう。

虫にもたくさん会ったよ。
あちこちでセミの抜け殻も見つけた。少女の頃に瓶にたくさん入れて集めたという友人がいた。
カマキリの小さいのから大きいのも見た。腹をつまんで近くで見たら鎌を振り上げたいそう怒った。
ところで蟷螂(とうろう)って漢字は虫虫して目にも蟲っぽいけれど、
きっと虫じゃなくてコウモリだと思っていたらこれがカマキリだった。
コウモリのほうは蝙蝠と書く。なんだこっちも虫虫している。
カマキリの泡あわした卵を見つけたら、これがその年の雪の高さになるんだと教わった。

虫じゃないけど、おそらくもう冬眠しただろうから安心して報告。
今年はほんとうに久しぶりに長いものに出くわさずに済んだ。
庭の空池のそばに抜け殻だけは見つけてしまって、秋になるまで池には近づけなかったけれど。
その抜け殻は、千切って財布に入れるという友人に押し付けた。
この抜け殻というものは、なんと数えればいい?一本二本?それとも一体二体?
殻(空)になってぴらぴらしたものに一匹二匹と言うのは、なんだかちょと違うような気がする。

明日から十二月。
明日からは本格的な冬だから、十一月最後の今夜は滑り込むようにして秋の食事のお写真を載せてみるよ。
冬の長いこの地では、春や秋に採った山菜を塩漬けにしておいてその塩を使う毎に抜いては食する。
季節をなぞりながら思い起こしては大切に口に入れる食の豊かさ。
どうぞお写真を楽しんで、食を楽しんで、百の生(せい)を生きて。



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吾妻小富士は花嫁の綿帽子をかぶっている。



□山の山菜料理店 2012年秋の写真保管庫より
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キノコや木の実や山菜を保存している。


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白いのは白身の魚じゃなくてキノコ。


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山菜とイチジク。軽く燻製にした魚がちょこっと。


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赤いのは肉に見立てたキノコ。


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白いカボチャと赤いカボチャ。


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山のものや薬用人参の天ぷら。


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温かい椀物と柿のサラダ。


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根菜汁と塩に漬けておいたシソの実飯と漬物。食後に梨。




     
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# by NOONE-sei | 2015-11-30 11:57

閑話休題その弐 秋だから


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今夜も閑話休題。でもPCがすこしお利口になりつつあり、
そしてわたしもPCを開くゆとりを半年ぶりに手に入れつつあるので、
秋のお写真を載せてみるよ。といっても、ちょうど去年の今頃の風景なのだけれど。
お写真が保管庫にたくさん貯まっています。


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秋の安達太良はとても美しい。




□獣たちからもごあいさつ

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いちゃいちゃ


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ちょとうるさいです


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まあそう言わず



次の夜は100夜。
ちょと長いおはなしになります。
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# by NOONE-sei | 2015-10-19 18:34 | 閑話休題(22)

閑話休題 春だから



PCが不調です。
天候が不順です。
テン コ がエイプリルフールに四歳になりました。
おめでとうのハム一枚を二口で食いました。
寒くて桜が長持ちしているけれど、
ソメイヨシノはぱっと咲いてさっさと散るのが似つかわしいと思います。

100夜を前にして、スマートフォンからおはなしをupしているのは悲しいので、
わたしのPC、がんばってくれ。

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今がこの地は一番の観光の時。
花見山を模した演出が駅前にも為されています。
スマートフォンで撮った写真はどう見えるのかしら?


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# by NOONE-sei | 2015-04-13 01:21 | 閑話休題(22)

100夜ひとつ前  とくべつな夜


99夜には死のおはなしを 
100夜には目出度さを
 
褻(ケ)の場が晴(ハレ)の場にくるりと転じて100夜を迎えるような仕掛けの王様の千と線。
ほんとうなら、今夜が600夜目のおはなしなのだけれど、
今夜は3.11 特別な夜だからね、100夜のひとつ前というお題にするよ。


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畑ではフキノトウが、霜でかじかんだ土から芽を出したよ。


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庭では福寿草が咲いたよ。今日は雪が舞っていたというのに。



あれから四年が経った。
日々を静かに過ごしているものだから、悲しみは静かに閉じ込めて蓋をしておいたつもりだった。
だからテレビの特別番組には困った。
ほんとうに言葉が音としてしか聴こえなくなった母とふたり、それを観ながら夕餉をとっていたら、
画面に、あの日に生まれた東北の赤ン坊の顔がたくさん映し出された。
わたしの知人も、震災の翌日に出産して言葉にできないような思いをしていた。
画面を見た母が、「どの子どもも、みんなほんとにかわいいねぇーーー。」と無邪気に言った。
母から脈絡のある言葉を聞くのは久しぶりで、なんだかぐっときた。

そして次の場面で、うちから三十分ほどの小学校の子どもたちの歌声が流れた。
子どものひとりが、「こんなに、ストレートな歌詞を(仮設住宅や被災した人)みんなの前で、歌っていいのかな、と、
とても、まよいました。」と、ひとことひとことをかみしめるように話した。
わたしはその歌を初めて聴いた。
あまりに飾り気がなくて、直接的で、距離を置いて聴けなくて、泣けてきた。

阪神淡路大震災から二十年が経った。
でも信じられないニュースが絶え間なく続いたあの日のことは忘れない。
二十年目の日には、この地も揺れた。
神戸の子どもたちは小さな頃からその歌を歌ってきたのだという。
それを今、福の島の子どもたちが歌っている。

情感で歌われたらたまらないので、ロックバージョンをここに。



□習いごと その一
宮城の名取市閖上(ゆりあげ)で、赤貝が採れるようになったという。
福島の相馬では北寄貝(ほっきがい)漁が盛んだったのだけれど、
原発汚染水の問題で、まだ試験操業しかできていない。
それでも名産を知ってもらおうと、漁師の奥方たちが浜料理の講習会に来てくれた。
浜通りの気質はこの地のような中通りとはだいぶちがう。
二枚貝の開(あ)け方を楽しく教わり、試食し、礼を述べて解散の時になって、家も土地も船も流され、
地元の消防団として住民避難の誘導の最中に津波に巻かれた家族がまだみつからない講師もいたことを知った。

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貝の開け方、じゃなくて剥(む)き方


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刺身にするには身が不揃いの貝とねぎを刻み、味噌と砂糖で調理。


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北寄味噌。すばらしく旨い。


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いただいたレシピ集




□習いごと その二
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春の花のアレンジメント講習で作った花かご。




□美しい雪景色
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よく晴れた日曜日の山。


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雪面に映った樹木の影。葉脈という言葉があるのだから、これはさしずめ幹脈?


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樹木の根元は、よく見ると雪が少ない。樹の体温で溶けるのだろうか。


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あちこちに動物の足跡。


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スノーシューは初めての体験。雪景色、綺麗だろう?

いつもどおりに
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# by NOONE-sei | 2015-03-11 23:59

99夜 姿かたち顔かたち


暦の上では立春も過ぎ、畑の野菜の植え付けも関東以南では始まったと聞く。
この地はまだ雪が降るけれども、溶けるのが徐々に早くなってきて、
土からはフキノトウや福寿草が芽を出し始めた。
一昨日は旧暦の正月だったそうで、それなら春が間近なことにもうなづける。

冬から春への変化には、大変な熱量が要る。
殊(こと)にこの地の春は、枯れ色から桃色へと気がふれたような変貌を遂げるので、
二月の峠を越えるのは、生物にとって一年で一番厳しい摂理なんじゃないかと思う。
不祝儀や別れの二月。父の二月、シワ コ の二月。

  月日が流れるのはたいそう大切なことで、
  とらえきれぬほどの大きな現実を 一旦、自分の胸に取り込んで咀嚼する時間をくれる。
  月日を数えるのはもっと大切なことで、
  亡くなったひとや死んでゆく動物や、失くしたものやこれから失くなるものを 
  ずっと、思い続けるよすがとなる。   (12夜 花の名 2011,05)

月日を数えるということには、後ろ向きで前へ進めない負が纏(まと)うイメージや、
内向的で思い出にすがる奇異な感じがあるかもしれないけれども、
正も負も清も濁も併せ呑んで飲み込んでみると、そこにはきっとより鮮やかに、
別れたものたちが立ち現われると思うのだ。




今夜は六つの100夜の、ひとつ手前。
99夜にはいつもそうしているように、死にまつわるおはなしをいくつか。
長い話になる。


                          *

ひとつ目のおはなし。
犬の名はソロー。それは「沈まない悲しみ」という意味。
「ホテル・ニューハンプシャー」(英米カナダ合作1984年)という、
ある家族を描いた物語に登場する大型犬。

犬を飼う家族にとってそうであるように、犬の存在は生活の中で当たり前にあるものだったから、
悲しみという名とは無縁に、犬は家族なりの愛し方でそれなりに可愛がられていた。
ソローは、歳とってから不運な死に方をした後、剥製にされる。
このソローの家族は、生命力に満ち満ちている。まあ、ただそれだけとも言えるほどに。
この家族はそれぞれ皆ろくなもんじゃなくて、ほんとうにろくなもんじゃないので、
強くたくましいとも言えるし、おろかだとも言えた。

家族にはいろいろな出来事があって、それらを端折(はしょ)ってしまえばつまりは不運つづきだったので、
起死回生心機一転、家族は全員で引っ越すことを決意する。
二手に分かれてアメリカからヨーロッパに引っ越すことにし、一組は飛行機に乗り剥製のソローも運ぶ。
けれども飛行機は不運にも海に墜落してしまい、その飛行機に乗った方の家族は死んでしまう。
その飛行機に乗らなかった残りのもう一組は、ろくな夢じゃないけれどもそれでも父の夢をかなえるべく、
新天地ウィーンでこの家族らしくたくましく生きていく。

ソローは剥製だから、きっとどこかの海をぷかぷかと漂っているんだろう。
「ソロー」とは、「悲しみ」と呼ばれるすべてを 一頭で肩代わりしたみたいに皮肉な名だけれども、
それでもソローは悲運じゃない。そして家族にとって不運と悲しみはイコールじゃない。
この家族に起こった不運な出来事はたっぷりあるのに、この家族の辞書には「悲しみ」がない。
悲しみの伴わない、むしろ希望に感じる前向きさが描かれているという、ジョン・アービング原作の映画。
「希望」と言ったってろくなもんじゃないのだけれども、それはそれだ。


                          *

ふたつ目のおはなし。
犬の名は太郎丸。それは小さな柴犬。家族はその犬が可愛くて可愛くて、
死んでもなお可愛いので、剥製にしようと思い立った。
この地では、鉄砲打ち(てっぽうぶち)が熊打ち猟や鹿打ち猟をする。だから探せば剥製師もいる。
探し出した剥製師に頼んで、太郎丸を生きていた時の姿にしてもらった。

してもらったはずなんだが、家に戻ってきた太郎丸はキツネの姿になっていた。
熊や鹿や狸やキツネなどの、野にいる獣を手がける剥製師は、家庭犬の風貌を再現できなかった。
犬が死んで悲しい家族は、キツネになった犬を見て、二度悲しかったはずなんだが、
これをわたしに話したひとは、当時はまだ幼くて、剥製になった太郎丸を見てもよくわからなかった。
家にいた太郎丸が、死んでちがうものになって帰ってきた、ただそれが不思議だったという。
大人になった今なら、悲しみという名もその在り処(ありか)も知っているのだけれども。


                         *


みっつ目は、鰐号がわに丸だった頃に名前を付けた犬のおはなし。
犬の名はシワ コ 。
シワ コ は意識を失くす時にひと声吼えた。
最期の様を聞いたら獣医がそう教えてくれた。
王様とわたしはシワ コ が死んでほんの数分後に、長靴のまま病院に着いた。
その晩は大嵐で、雪かきに自宅に戻ったその間だった。

シワ コ はペロ コ に貰った血を輸血しながら、目には力があり、しっかり餌を食い、
意識を失くしたのはいよいよ逝くほんのすこし前だったという。
獣医は送管し、気道を確保し、わたしたちの到着まで保たせる努力をしてくれた。
治療台のシワ コ の姿を見ればそれはすぐにわかった。
王様とわたしの代わりに、シワ コ の目も息を引き取る喘ぎも痙攣も、獣医が見届けてくれた。
どう手を施したかを静かにつぶさに説明する彼をさえぎって、王様が
「先生、もういい、もういいよ、ほんとによくやってくれた。ありがとう。」そう言って彼の手を握った。
獣医はぽろぽろと涙をこぼした。そしてそのことに自分で驚いて、
「(病院をやっている以上)これは避けられないことなので、冷静に臨む経験は積んでいるのに、、」
あとは言葉が出てこず、わたしたち三人は一時(いっとき)静かな時間を過ごした。
シワ コ はその獣医のもとで幾度も奇跡のような生還をした。
「生きた心地」という言葉をくれたのは彼だ。
シワ コ に生きた心地を与え続けた年月は長い。シワ コ はまもなく十五歳だった。

動物の亡骸(なきがら)は目を開けている。
目をつぶっていたらよいのだけれど、現実はそうではない。
生きていれば目は口ほどに物を言うけれども、死んだら目をつぶらせなくちゃいけない。
目が語らなくなると、表情のニュアンスというものは頬に出る。
人ならばエンジェルメイクを施して、口元や頬のふくらみに面影を残す。
だから一緒にシワ コ の体を綺麗にしている時に、獣医に頬の内側の含み綿を頼んだ。 
シワ コ の舌を口の中にしまいながら、犬に含み綿をするのは初めてだと彼は言った。

すっかり綺麗になったシワ コは、大きなタオルでくるんで連れ帰った。
一体どこの雪をかいたかもわからないほど雪は積もっていた。
降り続ける大雪の中、王様がシワ コ を前抱っこで抱えて駐車場から家までの雪道を歩くと、
シワ コ はぐんにゃりと力が抜けていて、担いでもまたずり落ちる。
思わずわたしは「シワ コ!しっかりしろっ!」と言った。

鰐号はシワ コ が死んだ知らせを聞いて、翌朝一番の新幹線で帰ってきた。
うとうとしては目が覚めて叫ぶように泣き、またうとうとする、その晩の繰り返しは、
じいちゃんが死んだ晩と同じだったと言った。
じいじの時に鰐号がそんな泣き方をしていたことを初めて知った。

イギリスのことわざにこんな言葉があるという。

  子供が生まれたら犬を飼いなさい
  子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となり
  子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となり
  子供が少年期の時、子供の良き理解者となり
  そして子供が青年になった時、
  自らの死をもって子供に命の尊さを教えてくれる

鰐号がまだわに丸だった頃、ちいさいわに丸は動物が怖くて触(さわ)れなかった。
動物使いのようだったじいじだから、家にはいつも生き物がいた。
そんな家の子が動物に触れないなんてあり得ない。
そうして飼ったシワ コ はわに丸の練習台になるはずだった。
ところが子どもは動物と人間の境目があわい。
子ども自身がまだ人間以下の存在だから、どの種に属しているのかわからないんだろう。
わに丸はシワ コ に毎朝欠かさず朝餌をやり、メスなのに時にシワオと呼んで弟のように接した。
二頭は一緒に育ったはずだったが、犬は成長が早いからすぐに追い抜かれて、
わに丸はシワ コ に守られるほうの側になった。
夏休みは庭にテントを張って、わに丸とシワ コ は毎晩毎晩一緒に寝た。
シワ コ は、寝る時はわに丸の足元で丸くなり、朝そっとテントの中を覗くと
わに丸の枕元でわに丸を抱えるように寝ている。
一応の兄貴分に、寝る前は花を持たせ、寝てからは本来の立場に戻っていたんだろう。

わに丸とシワ コ の写真がある。
長距離徒歩の遠足から帰り、へとへとの小学生のわに丸を見上げて吠え立てる子犬のシワ コ 。
成犬になって、目を細めてわに丸を見つめるシワ コ 。
わに丸は年頃になると、他聞にもれず写真に写ることを嫌がるようになった。
だが犬となら別で、しかもアニバーサリーには犬と並ぶものと思っているらしく、
親子での写真はそうそうないが、わに丸の入学式や卒業式の写真はみなシワ コ と並んで写っている。
歳とったシワ コ は眠る時間が多くなった。するとわに丸もひっくり返って昼寝をするので、
頭をくっつけて眠る二頭をそっと撮った写真がある。
思えば、いつも一緒だった二頭、けれど大学の卒業式にシワ コ は間に合わなかった。
シワ コ の代わりはペロ コ が務めた。
びしっと座って鰐号を見上げるペロ コ 。ただしそれは一枚だけ。
あとは鰐号の側(そば)でごきげんな、あどけない顔だ。

死後硬直で目が閉じなくなることのないよう、一晩、頭部から目にリボンをかけておいたので、
翌朝のシワ コ は、まるでよそゆき顔で眠っているようだった。
家に着いた鰐号は、シワ コ を横たえてある部屋でしばらくシワ コ と二頭というか、ふたりきりでいた。
部屋から出ると「死んだら魂が抜けるのかな、触ると硬い。」と言った。
姿かたち顔かたちは同じでも、もうそこには「生」がない。

翌日は王様と鰐号が焼き場に運ぶため、大きな箱に入れたシワ コ に花を振り入れた。
「おばあちゃん、シワが死んだからね、お別れだよ。」母にも会わせたら、
母は「シワちゃんさよなら。また会いましょう。」と言った。
母にもシワ コ がこの世にもういないことがわかったようだった。

わたしはこれまで、動物とは焼き場で永の別れをしてきた。
鰐号にも、形見をとっておくようなことを見せたことはない。
けれども鰐号は以前、じいじの猫だったアク コ と別れる際にひとつまみ体毛を切り、
それをじいじの松の木の根元に埋めた。
焼き場では市の職員にシワ コ の頭頂部の骨をひと欠け頼んできたという。
わたしは内心、鰐号はその骨をいつまで持ち続けるつもりだろうと気がかりだった。

それから数ヶ月が経った春のある日、
鰐号は帰省すると壷から小さな骨を取り出し、アク コ の毛も埋めてあるじいじの松の根元に埋めた。
気が済んだのか、それは淡々としたものだった。
次に夏に帰省した時には、ペロ コ に五歳の誕生ケーキをくれた。
それは動物用なので、材料はとびきり良いのだが人の味覚には全く相応しくなく、非常に不味かった。
「シワ コ のために、できることは全てやったでしょ?」と鰐号は言って、
別れを胸に収めて東京に戻ったようだったけれども、
十五歳の誕生日を迎えられなかったシワ コ への思いがあったのだろうか。

そう、わたしたち家族は十分にやった。そう言えるのかもしれない。
でもまだ、それ以上、十二分にしてやれたとも思っている。
十分では充分には満たなくて、わたしの中では十二分が充分なのかもしれない。


                          *


あれから丸二年も経って、いまごろ書くのも申し訳ないんだが、
「王様の千と線」に登場するシワ コ を愛してくださった皆さま、ほんとうにありがとう。
案じてくれて手を貸してくれて思いをかけて一緒に歩いてくれて、ほんとうにありがとう。
やっと、振り返れた。


参考:悲しみの五段階 
エリザベス・キューブラー・ロス
『死ぬ瞬間』の著者として知られる精神科医
死の受容のプロセスと呼ばれているキューブラー・ロスモデルの提唱者




□懐かしい写真
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シワ コ 6歳



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シワ コ 11歳



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シワ コ 8歳



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シワ コ 11歳                                              photo by tsure



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# by NOONE-sei | 2015-02-21 23:59