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64夜 さくやこのはな 参  あたまにくる


雪の小正月、いや大雪の小正月、いやいやこれはなにも珍しいことじゃない例年通り、雪かきの小正月。
成人の日は、その後の行く手が平坦ではないと指し示すのか例年雪が降る。

例年通りじゃないのは、なにやらわたしも鰐号も運がないらしいということ。
昨年の暮れ、鰐号の助手席に乗っていたら追突されて軽いむちうちになった。
こんな声が出るんだというくらいの悲鳴を上げた記憶はあるんだが、どうやらわたしは育ちが悪いらしく、
後で聞いたら「きゃー」じゃなくて「うわあーーーーっ」と声を上げ、その上なんと、
「なんだ、このーーーーー!!」と怒って叫んだという。
血が瞬時に遡(さかのぼ)って頭に届いたらしい。
そうだったそうだった、もともとわたしはそうした熱情の家で育ったんだった。
穏やかに思慮深く暮らそうと努めるうちに、自分の中の血の流れ方を忘れていた。
そのむちうちはほんとに軽く、例年のような疲れによる体調不良もなかったので、
鰐号にもらった上等なワインで年越しをし、正月は朝から、いただきもののたいへん美味い地酒を飲んだ。
頭には、適度に血が遡るぶんには快適である。

そんな数日を過ごし、東京に帰る鰐号のために神社に札をもらいに行き、
まだ時間があるからと犬らを連れて散歩に出たら、鰐号が田んぼ道でシワ コ を放した。
十四歳の婆犬ゆえ、視界が狭くなり嗅覚に頼って歩いていたと思ったら、いきなり走り出して驚いた。
すたたたとのびのび走るシワ コ を追ったら、わたしが引き綱を握っていたペロ コ も走った。
しかもわたしの前を斜めに横切りシワ コ を追う。
つまりわたしはペロ コ に蹴躓(けつまづ)いて、走りながら前にのめり正面から顔面を地面に打った。
眼鏡の蔓(つる)とレンズは砕け、顔からだらだらと流血していた。
手。手があるだろう?とその時のわたしに言ってやりたい。
手は引き綱を握ったまま体を庇わず、血は頭でなく顔の外に流れた。
すぐに頭痛が起こったので近くの病院に行ったら、脳をCTでスキャンされた。
幸い脳も骨も異常が見られず外傷だけなので、傷はみるみる腫れたけれどもたいした処置もせず、
医者はわたしのすばらしく美しくなった顔を見て笑いを堪(こら)えていた。失礼な。

年末からちょっと頭にくることが続く。車や地面に当たるのは当たると言っても有難くない。
そういえば、普段はほとんどテレビは見ないが昨年観ていたドラマの特別放送を録画していた。
昨年度の大学での聴講、最新の認知心理学では、脳をワーキングメモリに見立て、
その働きやしくみを特殊な例も併せて科学的に講義していたので、
サヴァン症候群の青年が主役のその物語は面白かった。験(げん)直しにそれを観よう。

テレビを観る時にはいつも、なにか手仕事や整理作業をする。
その晩は届いた賀状の整理をしていたが、だんだんにむかむかしてきた。
どれもこれも今年の干支の賀状、つまりは巳年の長いものだらけ。
昨年は母があまり散歩をしたがらなかったこともありほとんど長いものには遭遇しなかった。
『実を結ぶ』という言葉は美しいけれども、ほんとうに『巳』を結んだら、長すぎて不気味だ。
今日など、本屋でその『巳』の写真集まで平積みで販売しており、
親切なことに帯には「嫌いな人にはたまらない、好きな人にもたまらない」。
昨今は初詣のシロヘビ神社がどうだとか、スネークセンターで太いのを首に巻いたとか、
ネット上にでるわでるわ長いものが。

あらら、頭に血が上(のぼ)るはなしから、頭にくるはなしが加わって脱線した。
こういうのを蛇足というのだっけ。
書かなくちゃいけなかったのは前述のドラマの題名だった。 ・・「ATARU」というんだ。





今夜のお写真は、さくやこのはな ずっと以前に読んだもの
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いただきもの。照れくさかったり爽やかだったりとっても恥ずかしかったり。
愉しかったよ、ありがたう。また本が旅して来ることを願う。



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一気に読んだ小説群。恩田作品では「光の帝国」がいちばん印象深い。
認知心理学では、錯視や錯聴のメカニズムやワークもたくさん行なった。
「スナーク狩り」は、わかっているのにスナークがどうしてもスネークに錯視を起こすのでいずれ手放す。
宮部みゆきと夏樹静子と山村美紗も区別がつかない。
ついでに言ってしまおう。藤沢周平と山本周五郎と池波正太郎も区別がつかない。



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大真面目であればあるほど笑わされたりアクや苦味が強かったりほんとにひどい話だったり。
わたしはこういった濃いものを「色もの」というPCの分類箱にしまう。



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背中を押される話だったり清らかさにこころが鎮まったり。
丁寧にひとつひとつの文字を拾うように読む。



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紺野キタの作品には品性と麗しさがある。
特徴的なのは幼い者への会話だ。「泣いちゃだめ」ではなく「泣かないよ」と話しかける。
わたしもそういう言い回しをする時がたびたびある。
転んでしまったけれども、「走らないよー」とシワ コ に向かって声掛けしながら追っていた。






□おまけ
いつも母と行くラーメン店。厨房からおじいちゃんがわざわざ出てきて母を出迎えてくれる。
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三年ほど前の一人前。


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現在の大盛り。一人前とたいして値段が違わない。
ふたりで分けて食せるようにというおじいちゃんの心意気。
不思議なスープは見た目よりもさらりとして塩気も控えめ、長い時間鶏の骨を煮込んで漉すのだという。

雪の夜の獣
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by NOONE-sei | 2013-01-18 01:31 | さくやこのはな

63夜 さくやこのはな 弐  謹賀新年


はつはるのご挨拶、松の内にはやっと間に合ったかな。

佳き年に 佳きひとと 佳き出会いがありますよう、
ここを訪れてくださるみなさまの幸(さち)を こころより願っています。

    人の幸

返り見すればこれに勝るものはないように思うのです。
昨年は、多くのひとに見守られ支えられた一年でした。




                         *    *    *





さて、今夜のおはなしは約束どおり連続するお題「さくやこのはな」の謎解きを。

『木花咲耶姫(このはなさくやひめ)』という名の姫君がいて、
これはいにしえ日本神話に登場する女神のひとり。
そして『咲くやこの花』というのは、姫の名ではなくて和歌の一部分。


    難波津(なにはず)に
    咲くやこの花冬ごもり
    いまを春辺と咲くやこの花


千両や万両という赤く目出度い実を 松と一緒に門口に飾るのが正月だけれども、
ほんとうは正月から二ヶ月ほどは雪の花ばかりで生花のない時期で、
この歌に出会ったときにはなんだかうれしくなったのだ。
寒いこの地で花を願うのは誰しも同じ。
花には活(かつ)を呼び覚ますちからがあって、そのまわりの空気さえ甘やかな気がする。 

正月に、かるた百人一首で遊ぶだろう?
遊ぶのではなくて競技としての百人一首は熱い。
そこまでではなくとも、ちいさい頃に全首を覚えておけばよかったとつくづく思う。
母がむかし、冬になると茶の間の障子の桟(さん)に百人一首をびっしりと書いた半紙を貼った。
正月までに覚えるつもりだったんだろう。
当時の友人たちとかるた取りをして遊びたかったのだと思う。
わたしもそのときならきっとまだ幼くて覚えてしまえただろうに、
残念なことに和歌に触れるには幼すぎた。

上記の歌は、競技開始に先立って読まれる、百人一首には無い和歌なのだとか。
それを「序歌」という。
この場合、創作ではなくて読み上げるのだから、「詠む」ではなく「読む」でよいのだろう?


では『さくやこのはな』はというと・・
これはわたしの当て字で、『朔夜此花』を当てている。
このウェブログ「王様の千と線」は夜の森のおはなし、
返り見すると冬の森にぽつぽつと点(とも)るような花があったらそこだけ温かいじゃないか?
夜を遡るように、撮りためたお写真を載せる時にこのお題を冠しようと思ったというわけ。
今夜のお写真は王様がお百姓の真似事を始めて、初めて収穫した白菜。



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あんまり目出度いので正月の供え物にしてみたよ。



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十月の初めはこんな感じ。


近隣のおじさんたちにも褒められるくらいの良い出来。
ただし、大根は種の蒔き時を逸してしまったのでちびのままだった。
さすがに本格的なおじさんたちが、どうだどうだとにこにこして立派な聖護院と青首の大根を
食うようにと持って来てくれた。

我が家の鏡餅たち
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by NOONE-sei | 2013-01-05 00:05 | さくやこのはな