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40夜 はつはるの抱負


「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」

これは歌舞伎『三人吉三巴白浪』(さんにんきちざともえのしらなみ)の台詞だとか。
台詞の冒頭は、

 「月も朧(おぼろ)に白魚の
  篝(かがり)も霞む春の空
  冷てぇ風もほろ酔いに
  心持ちよくうかうかと・・・」

関東に初雪が降ったという今夜、春霞にはまだ少し早いけれども、
うかうかと、というよりは、へべへべといつも酔っているわたしにとても似合いだと思う。

初春の抱負を最後に述べるまで、今夜はとりとめないはなしを。



馴染みとか贔屓とか言うだろう?
母とは昼によく外出する。母とワリカンで昼食、
母の血圧を上げるためと食欲を出すためと外界の刺激を与えるため。
ラーメンは食べきれないので五百円の大盛りをふたりで分ける。
こんなこと、馴染みじゃないと頼めない。
おばちゃんは「いつものね?」と言って小どんぶりと、レンゲをふたつくれる。
大将は、喧嘩にならぬようにと具を二人分乗っけてサービスしてくれる。
小さな小さな店で派手なラーメンじゃない。毎日食えるような中華そばだ。

馴染みはいいんだが、贔屓にしちゃいけない。
なんてことない小さな居酒屋で、
仏蘭西料理の修業をした厨房の兄さんが盛り付ける料理は美しかった。
昔からの寿司屋で、
晩酌セットというつまみの刺身やちょっとした小鉢と寿司と酒で、
しかも手頃な勘定なのは嬉しかった。
広々したカフェダイニングで、
したたか他所で飲んで最後にきりっとしたカクテルが飲みたい時、
少しずつ盛り付けたアンティパストを一皿つまみにするのが丁度よかった。
「うまいがな(もの)いろいろ」という居酒屋で、
馬肉と鹿肉の刺身を馳走になった時は、鹿肉が旨かった。
適当に任せると、雲丹を半分に割って小匙をつけてくれた。

・・わたしが贔屓にした店はいくつも店じまいしてしまった。
その理由は震災だったり親方が他界したり。
けれどもわたしが贔屓にしたからだ、となぜかそう思う。
友人のウェブログで雲丹の箱舟を見たら、
雲丹を食った店のいいところをたくさん思い出して無性に懐かしくなった。

牡蠣で当たって腹を壊したなどということはない。
三陸の牡蠣は新鮮で、牡蠣小屋を贔屓にして焼き牡蠣を食いに毎冬通った。
ところが昨年は津波で牡蠣の養殖棚が流されてしまった。
そら見ろ、贔屓にしたからだとがっかりしたら、
例年の一割しか収穫できなかった岩牡蠣で三ヵ月だけ営業してくれた。
冬でも暖かい日など、海辺に面した小屋の外で炭を熾してくれたものだけれど、
外はもう無くて地盤が沈んで海に突っ立ったように建つ小屋になっていた。

震災の後、やっとスーパーマーケットに行けた時には、
食い損ねた牡蠣を探した。あんな時にあるわけはないのだが。
取り寄せようにもこの地への宅配が出来なかった時だ。
それが、暮れに三陸の牡蠣小屋に行くことができた。
行く途中にはさらわれた海を見た。
車中でかけていたCDが、道路のでこぼこで幾度も曲が飛んだ。
その高速道路で津波はせき止められたんだった。

三陸から帰ると、遠くの島からクリスマスプレゼントに岩牡蠣が送られてきた。
三陸の土産に牡蠣をおすそ分けした女ともだちから暮れの挨拶メールを貰い、
また牡蠣を食っているんだと書いてやったら、「なんだとぉー」と返事がきた。
牡蠣がなんとしても食いたいという願いが叶った。
人に、今年は運がいいのじゃないかと言われた。
そういえば、「作ったらあげる」と言われていた藁づと納豆をたまたま会えて貰えたり、
ずっと前から聴きたいと思っていたフレンチポップスの音楽を友人が送ってくれたり、
いいことが叶い続いている。

さて初春の抱負。
今年は雲丹を食う。それもひと舟、わたしひとりで食う。
当たらないよ、バチなんか。今年は春から縁起がいいんだから。


□嬉しい牡蠣まつり
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炭で焼いて。平らな面を上向きにして網の上に載せる。


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ぷくぷく泡が出てきたら食ってヨシ。
全部、漁師のおじさんがやってくれる。


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一人前十五個。いつか二人前をひとりで食いたいという抱負も持っている。


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ホットプレートで焼いて。アルミホイルと蓋があれば上手く焼ける。


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ぷっくり。火を通すと甘みが強くなる。


□おまけ
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三陸の寿司
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by noone-sei | 2012-01-21 00:11

39夜 たからぶね


今日はいいことがあった。
まだ若くて新米の大工の兄ちゃんが、父が長年使った大工道具を貰いに来た。
もう四年もほったらかしで埃だらけにしてあって、
けれどもうちでは大工の跡継ぎはおらず、父の道具に申し訳ないようで、
ずっと気が引けていた。

年季の入った鉋(かんな)や墨壷やノミや鋸(のこぎり)などなど、
たくさんの道具が作業小屋から出されて日の目を見た。
父の四十九日に父の弟子に形見分けのノミを選び出した以来、ずっと眠っていた道具だ。
「用と美」という言葉があるが、そのとおり道具には美しさとちからがあって、
庭に並べられた道具類は壮観だった。
彫刻が施されている道具をいくつかだけ記念に残して、ライトバンに一杯の道具を持ち帰り、
兄ちゃんは時間をかけてそれらを生き返らせる。

四年前、父の弟子が訃報を聞いてわが家に駆けつけた時、
彼は開口一番、「親方、手を握らせてください。」と言った。
夜間高校で学びながら父の元で修行をした彼は父と同じごつごつした手をしていた。
葬儀では弔事を述べてくれ、原稿なしで父の遺影に
「親方、俺はおやじがいなかったから、親方がおやじだった。」
そう呼びかけると弔問客の皆が泣いた。
その強い想いのあまり、弔事の最後に彼は
「セイちゃん!俺は、俺は、、、がんばってもらいたい!」
わたしを大きな声で励まし握手の手を伸ばした。
葬式で親族が「はいっ!」と返事をして弔事の最中に立ち上がるなど、
いままで多くの葬儀に参列したが一度も見たことがない。

新年の蓋(ふた)明け、道具が蘇るに相応しい晴れた日、
わたしは父の葬儀のことを思い出していたけれど、
父も喜んだかもしれないがもう雲の上の人なのでその気持ちはわからない。
なにより、日の目を見た道具たちが、今日一番喜んだのではないかな。
今夜は初夢、宝船の荷はきっとたくさんの大工道具だ。



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兄ちゃんが年始にくれた酒。
年末年始は疲れがたたって調子を崩し、酒が飲めなくて困るんだが、
気持ちのいい酒だから飲まないわけにはいかない。
昼から利き酒。

わが家の鏡餅
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by NOONE-sei | 2012-01-03 01:41 | その六の百夜話 父のお話(2)

38夜 一陽来復


昨年は変な年だった。
そんな言い方ができるほど出来事は彼方には行っていないんだが、
寄る辺ない波間に浮くようなおぼつかなさに抗(あらが)って、
端正に暮らそうと努めてもいた。

もとよりこの一年は、
おかしなことばかりが続いたし続いてもいるし、
自分だけは新年を目出度いと思ってはいけないような気がしていた。
こころからの見舞いの言葉と明くる年の言祝(ことほ)ぎを
いたわりながら述べたい気持ちは同時に在(あ)って、
けれども「誰に何に」相応しい言葉を献ずればよいかわからなかった。

そんな暮れに母の姉が他界して、大晦日が葬儀だった。
遅い秋の頃、母を案じた母の弟が関東から来てくれたので、
母の姉妹弟の四人のためにわが家で姉弟会を開いた。
その無理がたたったとは思いたくないが、その後の健康が芳しくなくなったことは、
訃報を聞いて初めて知った。

一陽来復。
陰が極まれば陽に転ずるという意味。
ほんとうは明日から日が伸びる冬至を指すのだけれど、
わたしは頭を四角三角にして考えた末に、賀状にこの言葉を充てていた。
母は喪中となり、本当に正月は来なくなってしまった。
けれども、わたしが年の暮れに用意した言祝ぎは、
「誰にでも何にでも」、そしてわたし自身にも相応しい言葉だったのだな。




□外にある 陰
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外に陰はあっても同時に内には陽が在る。

 □内にある 陽
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by NOONE-sei | 2012-01-01 02:46