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37夜 でかけよう


イブだね。
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雪は降っている?
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でかける?
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一緒に。
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もうじき日暮れになるよ、急ごう。
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森のレストランには、暖かいストーブがあるよ。
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優しい色の灯りも燈(とも)っているよ。
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お料理をどうぞ。
冬のホタテはいかが?
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お野菜もしっかり食べてね。
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そのお野菜が付け合わされていたのは、柔らかいお肉です。
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甘いものいろいろ、食べられる?
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やっぱりお風呂には入っておゆきなさいな。
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送ってゆく前に、お土産をあげる。
画質はわるいのだけれど、冬と言ったらやっぱりこんなハグだから。


レストランではこんな音楽が流れていました。
Emi Meyer
Halie Loren
Karin Maria Andersson   動画がなかったので試聴をクリックして聴いてみてね。

     
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by NOONE-sei | 2011-12-24 23:59

36夜 願わくば


真夜中に明日を願う。
こころに勇気を 胸に希望を ちいさなしあわせを重ねてゆこう。


"God,
grant me the serenity to accept the things I cannot change,
the courage to change the things I can,
and the wisdom to know the difference."



神よ
願わくば私に
変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと
変えることのできる物事を変える勇気と
その違いを常に見分ける知恵を授け給え

                         ~カート・ヴォネガットが作中で引用していた文章




これは敬愛する方が、わたしが混乱していた時期に教えてくれた祈りの言葉。
言葉にはちからがないと諦めなくていい。
311の後には、がんばれって言わないで、そう思っていたのに、
現在のわたしにはがんばれも有効だ。
貰った祈りの言葉を繰り返し唱えてその深みをかみしめるゆとりも今ならある。


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あの時期、マリーアントワネットは真夜中の散歩をした。
だから夜の歩兵に立っていたら、ある朝、わたしは声が出なくなった。
やがて声が戻り素敵なハスキーボイスになり、
その声で女王に、毎晩居所を変えて失せるハンドバックに財産の一切合財を入れるのを
止めてくれるよう懇願したら、城に帰りたい城に帰りたいと反対に懇願されて困っていた。
薬はもちろんだけれども、日常は接し方でずいぶん改善される。
今晩はもう遅いから泊まっていったら、とか、じゃぁ一緒にお城を探しましょう、とか、
嘘といえば嘘、ユーモアといえばユーモアで日々を繋いだ。
嘘つきな歩兵は倒れこむようにして寝るので、
夜中にマリーアントワネットになにがあっても次第にわからなくなった。
もうそれでもいいんだと思うことにした。


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マリーアントワネットには薬が良く効いて、今では意欲も明るさもあり、
不安が不安に拍車をかけることがない。
心根(こころね)のきつさが失くなったらさみしいと親戚は言うけれど、わたしはちがう。
きつさを少し失って、いたわりの言葉を得た母と、新しい関係が始まったのだと思っている。
それに、きつさというものが完全に失せるということはない。
なにしろ、心の根っこだもの。


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薬が効いて得られたこの時間は、いつかあの混乱の時期を再び迎えるまでの
ごほうびかもしれない。
だから願わくば、真夜中に明日を願う。


お写真は、十月からずっと玄関で楽しませてくれている花かご。

ちかごろの獣
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by NOONE-sei | 2011-12-15 00:34

35夜 食む話

 ・嫌いな人は読まないほうがいい

言を食む(げんをはむ)は前言を翻(ひるがえ)す偽りや嘘のこと。
一度口にした言葉をもう一度口に入れるから。「ことをはむ」ともいう。

今夜は食むのおはなしを。

夜中に月蝕を見た。月を食むのは地球なのか太陽か。
とぐろを巻いたような赤い月、皆既月蝕は怪奇な奇奇怪怪、丸いものの蝕(むしば)み。
ところでこの冬までに、わたしは長いものを生涯でいちばん多く見た。
息絶えて長々とのたばった長いもの、その長いものの啄(つい)ばみ。
月を蝕むのは黒い影、長いものを啄ばむのは黒い鳥。

夏のこと、山あいの温泉町のはずれ、本家の畑を訪ねたら、
それはそれは立派な青灰色の長いものが、ずるずると草薮に帰って行った。
人の来ない道路でのたばって昼寝していたんだろう。
歯はあるのか無いのか知らないが、案外小心ものなんだ。

夜の窓にはカエルがへばりつき、白い吸盤の指を広げている。
道路では身投げのようにカマキリが死に、時にはペロ コ に食われる。
そんな秋のこと、空には白い半月と日の入りが赤々した夕暮れ、黄金色の田んぼは所々刈り入れが。
稲藁の束は地面に刺した杭に、まるでかさこ地蔵のように掛けられている。
犬の散歩の綿羊ロードはイチジクがたわわ、見とれながら歩いたらとぐろを跨(また)いだ。
犬も跨ぎながら匂いを嗅いだ。
長いものもイチジクの木の根元は気持ちよかったんだろうか。
翌日は、悪夢を繰り返さぬよう遠くから気をつけて見たら、
長いものは実に長く伸びていた。白い腹を出して。
今年の邂逅はこの二回でおしまいにしたいと思ったら、
ほんの数日後には、田んぼのあぜ道で別の長くて白いものが伸びていた。

道路の隅に鳥がうつ伏せで死んでいて、毎日それを横目で見ながら散歩する。
夏から秋は暑さと雨で日に日に鳥は骨になっていった。
隅で死んでいるタヌキはすぐに片付けられるのに、
その鳥は骨格標本のようになってうつ伏せで居続けた。
鳥の近くには小さな川が流れていて、手入れもしていない藪だ。
藪をつついて何かを出すとか言うけれど、その藪にはたいそう気になるものが伸びていた。
田んぼに稲が無くなると、それまで密やかだった生き物の気配が濃くなる。
散歩の度に気になるのに恐くて近寄って見られない。
思い切って近くのガソリンスタンドの兄ちゃんに取り払ってくれるよう頼んだ。

有り難がって神棚に飾ったり、千切って切れ端を財布に入れ、金が貯まるようにと
験(げん)を担ぐ者もいるけれど、わたしには必要ない。
兄ちゃんはわたしが気にしていた一本だけでなく、五本もびらびらと掴んで持ってきた。
十メートルを三歩で飛びのくようにして、遠くから「要りませんから」と答えた。
長いものは川のそばに棲んでいる。
そこは巣だったらしく抜け殻が幾本も伸びていたのだった。

今度こそ邂逅はおしまいと思ったら、綿羊ロードでカラスの群れを見た。
よくよく見たら白くて長いものが千切られている。
こうして啄ばまれるから長いものは跡形も無くなるのだと知った。
けれども不思議なのはうつ伏せの鳥。それはカラスよりもずっと小さい骨格。
カラスは共食いまでしそうな恐ろしい鳥だと思っていたけれども、
同じ種は食まないのだろうか、それとも美味くないのだろうか。
啄ばむのは嘴(くちばし)であって、言を食むような口は持っていないんだろうか。





今夜のお写真は、十月、近くの陸上自衛隊祭のいろいろを。



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大きくて細身のバイク。


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ギュイーンゴゴゴという音がして、想像よりずっと素早く動く乗り物。


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これはジープなのか?


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ロビーの書棚。


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精神面の援助がなされている。


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お土産いろいろ。美味しいものや便利なもの。
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by NOONE-sei | 2011-12-13 01:00

34夜 雨の遠足


土曜日に久しぶりに休みがもらえて、ひとりで遠足に行った。
いつ初雪が降ってもおかしくない寒さが続いていて、
その日は冷たい雨が朝からざんざん降っていた。
遠足前の子どもみたいに、前の晩はなかなか寝付けず、
朝の雨には愕然、わたしが雨女のはずはないんだから、
きっと王様が遠足を楽しめるようわたしのために念を入れ過ぎたにちがいない。

仙台までは高速バスで一時間。
福の島が雨なら北の仙台も雨、雨は南から北にゆく。

小さな地図を片手に、やっと街をひとりで歩けるようになったのが嬉しい。
戦後に整備されたコンパクトな街だから歩きやすいと聞くけれど、
なかなかこれまでは位置関係が頭に入らなかった。
しかも裏路地好きなので道草を食ってしまうから。

昼は裏路地の寿司屋で地酒をお銚子一本。
わたしのほかにもおじさんたちがひとりで来ていて、皆お銚子一本。
皆おもいおもいの週末という感じ。

アーケードの商店街では、幼稚園児たちの小さな聖歌隊が歌を歌ってくれた。
クリスマス・キャンディを配ってくれたのはピーターパンみたいな扮装をした外人の先生たち、
ちびさんたちは皆英語でクリスマス・キャロルを歌う。

ビルの地下には古い喫茶店があって、焙煎の香りが気持ちいい。
邪魔にならない音量のジャズが流れる静かな店でお茶を飲んで、
光のページェントというイルミネーションが点灯するのを待った。

秋には通りのあちこちでジャズの演奏が聞ける音楽祭があって、
その通りにはケヤキが四列もの長い並木になっている。
毎年そこにみごとな灯りが点くのだけれど、
電球をしまっていた倉庫が津波で流れてしまった。
今年は止めるしかないと諦めかけたら全国から電球の貸与や募金が寄せられて、
ひときわ特別な年の特別な意味の輝きが点(とも)った。

311でラインが止まっていたビール工場がやっと再開して、
樽ビールの立ち飲みブースを出店した。つまみは牛舌(たん)の煮込み。
きらきらのイルミネーションにみとれながらビールを飲んで、
浮世かこの世かこの夜がきよしこの夜なのか、
酔っぱで歩いて帰りのバスに乗ったら、
土産の紙袋をひとつ失くしていた。
あきれますな。



雨の遠足にはカメラ・バンコランを持たずに出たので、お写真はなし。
今夜のお写真は、夜話とはがらりと変わって九月の風景を。


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ケイトウ


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ひまわり、あんまりセシウムを吸い上げなかった。


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ワレモコウ


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むかご


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枝豆


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田んぼ

わるいやつら
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by NOONE-sei | 2011-12-06 01:01