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11夜 山あいの風情


地震から四十九日経った。
わたしが育った温泉町にも、遅い春がきた。
とりまく状況は大きく変容したけれども、春は春、変わらず花はちゃんと咲く。

今夜のお写真は、冬から春のふるさとを。




□冬の太子講
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聖徳太子の忌日、毎年旧暦の一月二十一日に行なわれる古くからの歳時。
こんなつららのある二月下旬に太子講に行った。


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まだ除雪車が。二月は十分に冬である。


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雪は掃いたが凍っているので、転ばないように気をつけて石段を昇る。


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白衣の男衆が勢ぞろいで馳走の準備。


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給仕をするのも皆、男衆。この日ばかりは、女衆は長机に座ってもてなしてもらえる。


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毎年変わらぬ献立の精進料理。


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茶碗酒を注いでもらったり。
こんな毎年変わらぬ風情の二月は来年も変わらず来るだろうか。





□春のふるさと
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小さな青い花の群が絨毯のように地面を覆う。


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育った家があった場所。周囲にはカタクリと一輪草の群生。


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四月下旬は伯父の命日だったので本家に行った。
昼間、女の人たちで料理を持ち寄って、故人を偲ぶ。
凍み大根とミガキニシンの煮物や、キノコの天ぷら。天然の山菜の天ぷらにはまだ少し早い。


わが家の周囲は、花桃が終わり実の生る桃が満開。
桃や庭の草花のお写真はむずかしい。日中に晴れていると色が綺麗に写らない。
天気や時間とよく相談するから次の夜のお写真を待っていてくれ。

450グラム
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by noone-sei | 2011-04-30 00:10

10夜 小さな画面 


この地のテレビは画面が小さい。よそは、そうじゃないの?

左に帯状に「△△相談」とか「本日の○○値」とか「学校について」とか「避難所の□□」とか。
商店の営業時間とか支援内容とか。下に帯状に文字情報でテロップが流れる。
余震があれば画面上部に緊急のお知らせで震源地と震度が出る。もう、ずっとそう。

鰐号が、大好きな野球を日々録画しているんだが、
このへんな画面の録画をいつまで収集しておくんだろう。
もう何年分も貯め込んだ記録、でも今年のだけがへんだ。

その鰐号は、留年して休学をした。
地震直後からずっと話し合っていて、東京に行くことに気持ちを定めた。
いま、この地でアルバイトを探すのは、震災後の現実問題として厳しい状況だ。
もともとは、地震があったからじゃなくて、アパートに立てこもっているときから
鰐号の時間の流れは六三三制では測れないんだと親は学んだから、
気持ちを一新していろんな経験をしに上京してみたらどうかとずっと考えていての提案だった。
いつ復学するかとか、いつまで東京にいるかとか、それは後回しにして、
東京でアルバイトをしながらいろいろ考えてみたらいいと思う。
快く引き受けてくれた王様とわたしの先輩の家には、鰐号と同じ年頃の子ども達もいる。

いよいよ話を詰める段になって、先輩から差別への懸念が出た。
現住所や住民票や本籍など、働く上でいらぬ差別を受けぬよう、
配慮が必要ではないだろうか、という心配だった。
それはわたしも案じていたことで、ことに食べ物商売の場では気をつけるように言っていた。
笑って跳ね返せと言いたいところだし、親なら未来のためにそう接してやりたいのだけれど、
それでは済まないほどに、世の中は小さくて画面が区切られていてぐちゃぐちゃだ。

小さなわが家、ちっぽけな鰐号、つなごうとしているのはささやかな希望、
・・なのに現実はむごいな。




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いま起きていること
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by noone-sei | 2011-04-24 00:10

9夜 贈り物


地震が起きてから、
日本各地の友人知人から有形無形無償の贈り物をもらった。
笑わせるもの、聴かせるもの、味わわせるもの、飲ませるもの、泣かせるもの、
そしてこのウェブログでは静かな共振という贈り物を。

きのう、花を観た。
ほんとうにいい日で、天気が良くて上空のヘリコプターもわりと静かで鳥の声もあって、
なにしろ余震が日中は無かった。
遠くからの友人にすっきりした吾妻小富士と花の盛りを観せることもできた。

世には「天の配剤」という言葉がある。天は物事を適切に配するということ。
皮肉なくらい天の調和は乱れていて、天にいる者はすこし気がふれたんじゃないかと思う。
天災をもたらしてみたり人災を与えてみたり、そんなことをするから、
便利さを享受する自分の周囲だけが世界の全てになっていた視点で
これは天罰だなどとおかしなことを言ってしまった輩までいた。
その輩はこれから治世に乗り出すそうだから、褌を締め直すさまをよく見ておくことにしよう。

ずっと花を待っていた。
地震のあとに鳥がどこかに消えてしまい、不気味な日々が続いた。
花が咲けば鳥が戻ってくる。花が咲いたらきっと泣いてしまうと思っていた。
ところが、花は息せき切ってやってきた。
急ぎすぎているんじゃないか、と思うほどの速さで。速過ぎて泣く間もなかった。
一斉に咲くけれども、花には花の咲く順番がある。
ところが今年の花は順番がでたらめに、とにかく咲くことに必死だった。
・・天も褌を締め直して、焦るあまりにちょっと前のめりになったのか?





□花その一
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町の中心部の山は桜が満開。




□花その二
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吾妻小富士が見える場所。山あいの村はわたしの密かな花見の名所。


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山に農家が植えた河津桜の群。


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花桃の群、連翹の群。


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この山は、ちっとも有名じゃないから人も来ない。
この山の持ち主はそれでも観たい人のために山に花を植えてくれている。美しい贈り物。

もうひとつの贈り物
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by noone-sei | 2011-04-19 00:10

8夜 ほんとうのおはなし


 ・おはなしの体裁をとっておらず、長く、明るくもないので引き寄せられる人は読まないほうがいい


「王様の千と線」は、おはなしを書くところだ。
でももうおはなしが書けないので、今夜はほんとうのことを書く。

大きすぎてすでに余震とは呼びたくないような地震の連続で、
船酔いが続き、毎日夕暮れになると頭が痛くなるのは数週間続いている。
怖いんだ。

大丈夫?と聞かれても、「大丈夫」と答えたくない。
大丈夫だと言い続けていた王様が、電車が東京まで回復していないので
先日夜行バスで上京して都内の電車に乗ったら揺れがものすごく怖かったと言った。
頭と体の大丈夫への認識はちがう。体は怖さを本能に刻んでいた。
そうしてこの地に再びバスで戻ったら、三十分後に大きな余震があった。
王様に東京に行かれて初めて、行って欲しくなかったんだと自分の気持ちに気づいた。
津波で家を失わなかったから、家族を失わなかったから、
地震で家が壊れなかったから、だからまだうちは大丈夫、なんて、もう言うのはやめだ。

311から一ヶ月が経ち、黙祷したその夕暮れに大余震があった。
わたしは母を連れて本家に行っており、311と同じシーンを繰り返した。
すぐに電話は通じなくなり、孤立感もおんなじ、ただ、テレビだけは消えなかった。

その夜、計画避難の発表を聴いた。
ときどき行ってひとりランチをしていた店はこの地でいちばんの美味い店で、
その店の食材は「飯舘村」のとびきりの肉や野菜だった。
村のトミちゃんがときどき店に来て、トミちゃんブランドを食わせてもくれた。
わたしはトミちゃんの、ミニトマトをひとつひとつ丁寧に湯むきして
オリーブオイルとビネガーとスパイスに漬け込んだマリネの瓶詰めがお気に入りだった。
小正月のだんごさしには、雪の中、村から美味い餅を持って振る舞いに来てくれ、
311がなかったら、彼岸には彼岸まつりでまた
あの美味い餅を寄ばれる(馳走になる)はずだったんだ。
あのトミちゃんはじめその工房の人々が遠くに行かなくちゃならない。
「飯舘村」の人々の、顔の見えるような肉や野菜が、
そしてそれらを生み出す技術や意識が福の島から失われる。

飯舘村は、町村合併の波に逆らって、自立と自律の道を選択したという、
農業も酪農も独自のブランドで誇り高く、丁寧で信用のおけるしかも安価をめざす
意識の高い村で、大学からも教えを請(こ)いに教員も学生も行くような村だった。
だった、という過去形で書かねばならないのが、身がよじれるほど口惜しい。
この地の風評被害を越えてゆけるような道をきっと大学と協同で模索してくれると
わたしは期待していたのだから。

この地の方言で「までぃ」という言葉がある。
例えばあんこを煮る時に、「焦げ付かせないように、までぃにかきまぜて」というふうに、
丁寧に、、という温かい言葉である。
その「までい」を掲げた村はあとひと月でどこかに行かなくちゃならない。

一週間くらいだから、と牛や馬や犬猫を繋いで山盛りの水と餌を置いて、
とるものもとりあえずバスに乗せられた人々がずっとわたしの周囲で避難生活をしている。
一緒に風呂に入りながら、置いてきた動物の話を聴く。
その人たちも学校が始まったからコミュニティをばらけさせられて各地の次の避難所に移っている。
多くを収容するためには旅館がほとんどで、犬猫を連れて来れた人たちも
ペット同伴禁止の旅館に機械的に割り当てられている。

わたしが生まれ育った山あいの温泉町も避難者でいっぱいだ。
三ヶ月は満館、そのあとは予約がまったくない。
地震で損壊した旅館は数軒すでに廃業を決めた。それに伴い、
繁華街のみやげ物屋も十軒近く廃業する。もう、温泉町として成り立たない。

いつまでこんな日々が続くんだろうと思ったら、原発の収束には十年単位だと知った。
ならば、一時的な避難じゃなくて、こんな待機とか流浪の民のような日々じゃなくて、
ダムの底に沈む村や町のように、コミュニティごと移転すればいいと思う。
いつ終わるとも知れぬ疲弊感や、希望を無理して沸き立たせる不自然さと別れて、
ほんとうに再生するためだけにエネルギーを使わせたらどうなんだと思う。
飯舘村には、もう二度と牛や馬や豚を置いてきて餓死させるようなことをさせずに、
役場も大人も子どもも老人も妊婦も動物も、まるごと気候風土の似た田舎に引越しをさせて、
その村づくりの技術や知恵を伝承させたらいい。

犬の散歩にはマスクと帽子と手袋で出掛ける。
カラになった家々や、人が住んでいても窓を開けず洗濯物を室内に干す家々の横を歩きながら、
吾妻山に融け残った雪の形、種蒔きうさぎを見る。
だいぶ耳が短くなってきた。急がなくちゃ、種の蒔きどきを逸してしまう。
まだ本当は手をつけちゃいけないのに、田んぼは田おこしされ、田植えを待っている。
ここいらでは米をそのつど買っては食わない。
自分の家や親戚知人の分は一年分、作らなくちゃいけない。
たとえ市場に出すことはできなくても、米そのものを作らなくなったら田んぼはだめになる。

わたしの近くで避難しているのは、津波と地震と原発の人々、
または土地家屋があるのに原発で連れてこられた数え切れない人々。
県庁が避難をするならもうそのときは、福の島はおしまい。県で残るのは会津だけになると思う。
わたしは、この地を離れるなら、「福島」の出身を隠さなくてもいいところに行きたいと思う。


飯舘村について



□庭の小さな春
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カタクリが咲いた。


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二輪草が咲いた。



8夜は目出度い数だけれど、今夜の8夜は目出度くない。
だから「数のない夜」のカテゴリとする。


口直し
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by noone-sei | 2011-04-14 00:10 | 数のない夜(23)

7夜 目は口ほどに


大学も被災して損壊した建物があるので、授業計画が組み直されていて、
わたしのような聴講生の受け入れは無理かと思っていた。
五月から授業を開始するという。
がんばろうという気分になって、急ぎ、手続きに行った。

震災以来、初めて駅から昼の町を歩いたら、美しかった蔵が崩れたり、
みっともないほど景観が町にそぐわなくて嫌いだったマンションの土台がひび割れたり、
通りの隆起や亀裂や陥没の痕を見た。
それでも店は四月からほとんど平常運転に近くなっていた。
この地のいくつかある大学では、他県からの入学辞退者が多数出た。
それでも在学中の学生は戻ってきつつある。

今年度受講するのは、認知心理学。
認知症における認知じゃなくて、脳内で変換して理解される錯視の話。
脳内変換という言葉がわたしは好きじゃないんだが、
脳内で行なわれる認知へのメカニズムは、学問としてならおもしろいと思わないか?

目は口ほどにものを言い 

口は多くのことを言い間違う罪作りな器官だ。
目は嘘をつかないけれども見間違いはある。

街並みを歩きながら、おや、と思うものを見つけた。
たくさんののぼりが風にたなびいて立っている。
「がんばろう、本日」

日の丸に、本日。

いわずもがな、「がんばろう、日本」 は、
鰐号が毎日甲子園春の大会を映像観戦していたからよくわかっている。
日本は裏返しにすると本日なのだな。今日、初めて知った。

目は口ほどに見間違う、錯視もなかなかいいじゃないか?



□春のお写真
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四月になったら花の入荷が増えた。
本日入荷したばかり、というミニバラを買って窓辺に置いてみた。


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強い余震の前日は中学校の入学式だった。だから余計にきのうの強い余震にはくじけそうだった。

入学式のために、母親たちも美容院に行ったので美容院は大忙し。
この地でいちばん美味しいケーキ屋も四月から平常に近い営業。
ケーキ屋も大忙し。みんな美味しいものに飢えていた。
ぴかぴかの制服。ぴかぴかの一年生と同じ店内でケーキを買うのが嬉しかった。
もちろん、ケーキを食べることもとびきりの嬉しさだったけれど。

じつはこの店のフルーツがたっぷり載っているケーキをもう食べた。
四月に入ってすぐに、いつもお茶を飲みに行っていた店の誕生祝をしに行った。
震災以来閉めていて、消沈していた店主を驚かせようという女友達二人の企み。
ほんとうなら、いまごろ三周年記念の献立で美味しいごはんを出しているところだった。
気持ちが奮わなければ店を開ける気にはならないだろうけれど、
ケーキには魔力があるから、それをとにかく一緒に食べよう、この地でいちばんのケーキにしよう。
おめでとうの歌を歌ったら、泣かせてしまったけれど、
こんな涙を幾度も流して、そしてもういちどお店を開けて欲しい。
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by noone-sei | 2011-04-10 00:10

6夜 あといくつ寝ると


ゆうべ十一時三十二分、震度5強の強い余震があった。
またぐらぐらと揺れた。
311の地震はわけがわからず恐怖はあとからやってきたので、
気力も体力もちゃんとあったが、
ゆうべの余震は恐怖と失望が同時だった。
強い余震はあといくつ気持ちをくじくんだろう。

ちいさな幸せをすこしずつ重ねて約ひと月が経つところなんだ。
摘んでくれるな。
あと三週間で花が咲く。
それを見てから泣こう。


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ライフラインに支障はまだ出ていません。
もとより栃木県から北は新幹線もまだ復旧していません。
交通手段はすべて車です。ガソリンは先日入れることができたので、
今後ふたたび物資や燃料に影響が出てもしばらくは大丈夫です。
友人知人が送ってくれたありがたい物資がちゃんとあります。

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by noone-sei | 2011-04-08 08:43