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100夜 すずめ百まで


今年の雪はたいして積もらないので、朝夕の雪かきをしたのは二度ほど、
犬が雪めんぼになったのもほんの数えるほど。
しかし大寒とはよく言ったもので、その前後は雪も降るし気温も低い。
その大寒に母方総本家の旅館のおかみさんの一周忌があった。

山あいの温泉町は雪の中。
山の雪にすっぽりと隠れて湯気が立っている。

旅館代々の墓は山にあるので、旅館の子たちが前日にスコップを持って山に行き、
雪の中、雪めんぼになって墓を掘り出した。
墓の茶碗、ひとつには水、ひとつには茶、左右どちらに置くかは決まっているそうなんだが、
それよりも皆が笑って供えた酒に、酒が好きだったおかみさんを思い出し、
わたしはどちらがどちらだか忘れてしまった。

笑という文字がいくつも入った戒名のおかみさんの一周忌らしく、
和やかで賑やかな法事を終え、母の本家に戻ると茶飲み話も弾む。
本家の隣家の二階には芸妓が間借りしていたという懐かしい話にもなった。
そういえば、通りで遊んでいると、三味線の音を聞いた憶えがある。
そのうちに年上の従姉妹が、その芸妓の稽古場に幾度も連れて行ってもらったと言った。
小さな子どもの従姉妹は舞を教わったのだそうで、
それは夜の宴席で披露する「黒田節」。
黒田節とは、雅楽の越天楽にさまざまな歌詞をつけて歌う「越天楽今様」が元で、
福岡の民謡だとか。
そんな由緒ある謡い(うたい)を舞っているとは子どもだから知らない。
従姉妹は「こんなふうにナイ、踊ったんだヨ。」と、謡いながら踊ってみせた。

小さな時分に覚えたことがふとしたきっかけで蘇ることがある。
すずめ百まで踊り忘れず、というけれど、たとえでもなんでもない、
従姉妹はほんとうに踊りを忘れていなかったのだなぁ。





        * 黒田節 *


   酒は飲めのめ 飲むならば

   日の本(ひのもと)一の 此(こ)の槍を

   飲みとるほどに 飲むならば

   これぞ真(まこと)の 黒田武士



   峰の嵐か 松風か

   訪ぬる人の 琴の音か

   駒をひきとめ 立ち寄れば

   爪音高き 想夫恋(そうぶれん)



   花よりあかるく み吉野の

   春の暁 見渡せば

   もろこし人も 高麗人も

   大和心となりぬべし



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今夜で五百の夜話はお仕舞い。
「舞い」という言葉を本日のおはなしの内容に掛けてみました。
「王様の千と線 その後(五)の百夜話」を読んでくださってありがとうございました。

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by noone-sei | 2011-01-27 00:10

99夜 一生に一度


「一生に一度は」なんて口にしたことがあるか?
よくよく文字を見ると、なんて差し迫ったような言葉だろう。
一が二度もあるなんて、業の深い。
数というものには、目にも耳にも特別な働きかけをする不思議さがある。
夢にまで見るほど思い描く夢のようで、それはなんだかうなされそうだ。


今夜は99夜。
生と死の境目が淡くなる夜には、いつも死にまつわるお話を綴ってきた。
そしてころりと転じて生の100夜へと。

「王様の千と線」はまもなく五百の夜話を迎えるから、
今夜は四百九十九話目、千の夜の折り返しにはひとつだけ足りない。

こんな夜は力を抜いてしまおう。
読んでいてくれるひとたちの話が聴きたい。
一生けんめいに聴くから、「一生に一度は」の話を軽く聞かせてくれないか。

わたしの「一生に一度は」は、薔薇の風呂だ。
薔薇の花びらが溢れるほどに浮かべられた風呂に入ったことがある。
そのときに、「これは一生に一度は、だな」と思ったのだった。

けれど「一生に一度は」を終えたからといって、死ぬわけじゃない。
再びの薔薇の風呂があったらまた入りたいと思う。

「一生に二度も三度もいつも」があったっていいんじゃないか?



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美しい花柄の本のカバー。東京駅八重洲ブックセンターのもの。
むかしからいいなぁと思うのに一度も行ったことがない。だからこれも軽く「一生に一度は」だ。
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by noone-sei | 2011-01-19 00:10

98夜 花嫁の小正月


小正月は女(おんな)正月。
嫁に行った姉様(あねさま)が実家に帰してもらえる。
今夜は「初嫁さま」のおはなし。

今でこそ嫁ぎ先の姑(しゅうとめ)も若く、核家族を知っているから、
これをわたしに語ってくれたひとは、昔の慣わしを嫁に踏襲させようとは思わない。
そのひとが嫁に来た明くる年の正月には、初嫁さまは親類縁者の家々を回って披露目をした。
結婚式で顔を合わせてはいるが、それぞれの家に訪問するのはこれが初めてだ。
各家では膳を用意して待っている。
嫁ぎ先が一同を集めれば良いではないかと思うが、一軒一軒の敷居をまたぐことに意味がある。
年寄りのいる家では、その目出度さに「まんまたきができてよかったナイ」と言う。
まんまとは飯のこと、まんまたきとは飯炊きする人のことである。

ほどなく子が生まれ、長男を授かると、またもや各家を回って披露目をする。
すると年寄りは、その目出度さに「位牌持ちができてよかったナイ」と言う。
なんて縁起の悪い、と内心思うけれどもその意味を知らない。
子を大きくし、夫を見送り、舅を見送り、二度の葬式の位牌をその子が持った。
それはつい先ごろのことで、「位牌持ち」の意味がようやく解かったとそのひとは言った。

この正月、そのひとの家には「初嫁さま」が居た。
初嫁さまの披露目はもうやらない、そのための結婚式だったのだもの。
そう思っていたら、初嫁さまのほうから「わたし、親戚のおうちに行ってきましょうか」
と言ったので驚いた。もうお仕舞いにしようと思っていた慣わしを若いひとが知っている。

初嫁さまはお百姓の家の出だった。
仕事を持っているけれども実家の田植えもすれば稲刈りもする。
ふたりの結婚式は、五月の田植えが終わってから。
そのひとの家の初嫁さまは、だからジューンブライド、六月の花嫁だった。

初嫁さまは結局、正月の披露目に回らなかったけれど、
位牌持ちをした子は「初婿さま」になって、この小正月、初嫁さまの親類縁者を回る。


□初春の山
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うちから見える吾妻小富士。白い雪の綿帽子をかぶったお嫁さん。お相手は富士山。



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近くの山の地面には、山クルミが。
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by noone-sei | 2011-01-15 00:10

97夜 香の箱


一度だけ、香を聞かせてもらったことがある。
香道と言うのか聞香と言うのか、そしてそれは茶のようにお手前と言うのか。
なにしろ知らない世界のことなので、言葉の使い方もわからない。
沈香とはなんだろう?そのときは伽羅の香りが印象的だった。

十五日は小正月、十四日は寺社で焚き上げをするので、松の内もおしまい。
七草粥を食して七日に松飾りを外す家も近頃では多いが、
焚き上げまでが松の内と言うほうが、なんだかしっくりするのだけれど。

今夜のおはなしは、焚き上げの火と香炉で使う火を掛けているわけじゃない。
昨年の神事や仏事のもの、お守り、正月飾りなどをまとめて、焚き上げの準備をした。
すぐに持ってゆけるようにと駐車場に面した父の材木置き場の戸を開けたら、
木が積み上げられている上に、白っぽいものがいた。
「・・・誰?」
それは猫だった。

ブチ コ もアク コ もいなくなって日が過ぎた。
天井裏をネズミが走った時には猫を飼いたいと思ったけれども、それももう落ち着いている。
猫のいない暮らしに慣れていたから、目に映った猫の姿と猫という言葉が繋がらなかった。
それで出た言葉が「・・・誰?」。猫は座っていた。

猫が姿勢を低くし、前足を内側に折り曲げて足先を隠して座っている姿を、香箱と呼ぶそうな。
香箱とはたいへんに美しい言葉。
座る姿は香箱のようにと言うのか、香箱になっていると言うのか。
なにしろ知らない世界のことなので、言葉の使い方がわからない。

答えは、香箱を「組む」もしくは「作る」。うーん、美しい。
今夜は、器量こそ良くないがたくさん思い出をくれたクロとブチ コ とアク コ の夢が見たい。



□山の中の料理屋で見かけた猫
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香箱を組んでいる。動詞的用法をしてみたよ。


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なんだこれは。こんな姿を「猫が落ちている」と言うんだそうだが、犬もこうなる。
今は冬なので、うちの犬は猫のようにこたつで丸くなっている。
シワ コ は人から離れているのだが、ペロ コ は人の膝に乗ったりこたつにもぐり猫化している。


もうひとつの素敵な香箱
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by noone-sei | 2011-01-10 00:10

96夜 日々のなりたち


日々のあれこれを言祝(ことほ)ぐとき、
その、「あれこれ」というのはどれなのかと、ふと思う。
こんなふうに夜も更けてから夜話を書くとき、
どのちいさなことを書こうか、と思い巡らすほどに、その「ちいさなこと」は「あれこれ」ある。
こころを鎮めて文字にする、この「ちいさなあれこれ」を
わたしのために『日々のなりたち』と名づけてくれたかたがいた。

年が改まって、気持ちが改まったら、ひとには大切に思うことが視えるのだろうか、
他所の文章で、つながりはないのに奇しくも二箇所で、こんな文をみつけた。
「現実の世界をちゃんとつないでおくこと。」
「日々の暮らしを手元から見るような視線。そこから大きな物語に目をやるという作業。」

わたしには「他所様のいい文章」というとっておきのフォルダがあって、
忘れがたい文や文章に出会うとそっとその文箱にしまう。
他所様の大切に思うことを誰に言うでもなく、わたしだけの感じ方で。
ネットではウェブログだけでなくたくさんのつぶやきやさえずりが現れては消えるけれど、
その箱にはきらきらした言葉が詰まっている。
・・ほんとうにちいさな箱なのだけれども。



□ときどきの、日々のなりたち
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これは雪が降る前に土の中に埋めた大根。
見よう見まねで母が畑をやるようになった。裏の工場のおじさんが「畑の先生」になってくれる。
秋に植えた玉ねぎの苗の成績が悪いので、見かねて自分の畑から苗をどっさりくれた。
そうそう、今日は雪が降ったけれども、玉ねぎの苗はしゃんと茎が立っていた。



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冷たい水で洗って。でも地下水は使っているうちに温かくなる。


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葉は茹でて。


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寒風に干して。戻して細かく刻み、ひき肉と炒め合わせると常備菜になる。


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白菜は畑から収穫してしまい、まとめて風の当たらないところに積んで並べ保存する。
お写真の白菜は大きくならなかったものなので、すぐに使う。


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大根は干し過ぎないよう気をつけて、酢大根や柚子大根にして漬ける。


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野菜やきのこは、干すと甘みが増す。
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by noone-sei | 2011-01-08 00:10

95夜 呼び捨て御免


新年早々、切り捨て御免の縁起の悪い話じゃない。

ともだちができるって、万に一つの確率じゃないだろうか。
何年通ったって習い物の稽古場で名前しか知らない間柄なんて、
わたしの身近にはざらにある。
人に興味を持って失敗した話を聞くと、それは知らない世界の話のように聞こえ、
人が人に関心を持つということは、そうはないのが現実のような気がする。
ともだちの定義はむずかしいんだが、互いにともだちだと意識できることは、
じつは稀有な得がたい幸運なんだと思う。

お茶を飲んで居心地がいい店はあるが、店の人と話すということはない。
ちかごろすこし話す店がわたしにもできて、嬉しい反面ちょとこわいなあと思う。
うまくつきあって行けるよう、敬語を心がけてみようと思う。きっとそれがいい。
敬語を離れたからといってひとを失うとは限らないのに、ほかに方法を知らない。
ほどのよさがなにか、秘訣を探すのはむずかしいことだ。
わたしはだめなやつなので、なににつけ王様が身近な手本だ。
だから王様に習ってみることにした。

王様の職場では皆が敬語なんだという。ずっと年下にも敬語。
王様が入った当初はそうではなかったというが、新しい人に意識的に初めから敬語で話せば、
いずれ古い人が抜けて順送りで全員が敬語という日が来るというわけ。
そうしてほどのいい距離感を何年もかけて作った王様って、もしかして人が悪いのではないか?
そういえば結婚したとき、王様は集まってくれた人たちに
「これからは敬語で話す家庭を作ります」と言ったら皆が引いた。
敬語を使わずそういう家庭にできなかったのはわたし。

正月の夕方、女ともだちが自分の事務所を持ったので祝いに行った。
十三、四の小娘の頃に会っているので、互いに呼び捨て敬語なし。
王様を学生の頃に紹介しているから、女ともだちと王様も同様。
王様も、人との日々は敬語を心がけているのに、その日は呼び捨てのつきあい。
なんだかとてもなつかしい。

女ともだちもスタッフも、事務所開きの祝いに来る客には酒を出す。
客がもう退(ひ)けてから行ったから、事務所のお披露目は同窓会となり、
わたしは鏡開きの樽から枡に地酒をもらい、木の匂いを嗅ぎながら飲んでへべへべ。
用意された正月らしい酒菜は、黒豆、数の子豆、大根と人参のなます、田作り。
スタッフは火のあるストーブでアタリメと薄く切った餅を焼き、
餅には、だいだい色でめでたそうなからすみを挟んでくれながら言った。
「ぼくはこの仕事で七年くらいのおつきあいになるんですが、
学生よりもっと以前のおつきあいのかたにお会いしたのは初めてです。
正月にお会いしたからというわけじゃありませんが、どうぞ、
末永いおつきあいをこれからよろしくお願いします。」

もう大人になってから出会ってしまったら、そうそう敬語は崩れない。
たとえへべへべでも、だ。
敬語じゃないつきあいが生まれることはもうなかなかないけれども、
新しい出会いはとても嬉しい。



□朝
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父が亡くなってから、たいした歳時をしない。正月の朝はこの程度。
大根、人参、白菜を短冊に切り、小さく切ったさといもと鶏肉、ねぎとセリを散らした雑煮。煮物。
家々でちがう雑煮の具や切り方なので、どう作るのか心もとない。
他所ではきっと凍み豆腐を短冊に切って入れるのだろうな。
いかにんじんと数の子豆は定番、このほかごぼうのきんぴらや柚子大根を準備する家もあるだろう。



□道すがら
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犬の散歩をしながら、母と王様と三人で近くの神社に初詣。
道々の小川には川大根(クレソン)とセリ。



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風呂の焚きつけだろうか、ストーブだろうか、薪を割って積んである。



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賽銭箱には賽銭だけでなく白飯を包んだ藁苞(わらづと)が納めてあった。



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こちらは街中(まちなか)の神社。売っているのは「まさる」という縁起物。「去年にまさる、福まさる」という。
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by noone-sei | 2011-01-04 20:54

94夜 謹賀新年


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年末に男ともだちと飲んだら、「ぼくは二十五歳くらいまでにベースができてしまって、
それからちっとも変わっていない。」と言う。
それが残念そうなので、つまり変化を成長と捉えているのだろうかと考える。
「わたしはいつも変化を好むからいつがベースだったかがわからない。」
そう言ったら、「セイはチャレンジャーだからなぁ。」と評された。

その晩は、王様とわたしはひとつ忘年会の約束があったので、
それを終えて遅くなってから男ともだちの家に行った。
部屋は薪ストーヴで温まっており、テーブルには美しいグラスと飲み物と
つまみにスモークタンとチーズが用意してあって、間接照明が気持ちよかった。
わたしはすでにへべへべだったので、その家のえらく太った猫をかまっていじめ、
音楽にイタリアンロックだとか村治佳織の古楽だとか、あれこれと所望し、
スティングの映画音楽は「Until」の三拍子が好きだとか、
そもそもなぜわたしの好きな音楽がここんちにあるんだ、などと喋った。
音楽のほかにも、鰐号のこと、精神医学のことなどなど、
脈絡なく酔いに任せてぺらぺらと喋り、自律の箍(たが)をすっかり外した。

外は冷え冷え、スェーデン住宅のテラスは広くてテーブルもあったので、
コートを着て外に出て飲んだら、冬の星座を王様と男ともだちは教えてくれたんだが、
星は人一倍美しく見られる環境で育ったのにもかかわらずさっぱりわからない。
ただただ口を開けて空を見ていた。

                        

・・こんなふうにへべへべをほったらかしておいてくれるともだちや、
へべへべ話をこうして書いても笑って読んでくれるであろう「王様の千と線」の読み手が
ここにいてくれることを こころから幸いに思う。



もうじき五百の夜話が終わろうとしています。
今年もよろしくおつきあいください。


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正月の重ね餅の上にはみかんを載せるものだと思っていたら、
昔は干し柿を載せていたんだと塾の大家のばあちゃんに聞いて驚いた。
この地は渋柿が大半で、焼酎で渋を抜くか干して甘くする。
綺麗に粉を吹いた干し柿を今年も大家のばあちゃんは餅に載せているんだろうか。
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by noone-sei | 2011-01-03 00:10