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86夜 安達太良登山 その弐


毎年、近くを女子ランナーたちが走る。
東日本女子駅伝といって、26年目の走りを見に行ってみた。
テレビを見ていると、紅葉のみごとな道を選手たちが走っており、
あぁもうすぐだなと思って外に出るとちょうど間に合う。

ここは盆地なので、走者は出発の県庁からずっとなだらかに続く坂道を上り、
山すその美しい道を通ってまた長い下り坂を町に下りてゆく。
わたしの家のそばを走るのは中学生だった。

選手の走りというものを実際に見たことがあるだろうか。
想像とはまったくちがう。
あっという間に走り去っていくんだ。

道路には警察車両や警察官がおり、報道のポイントには足場が組まれ、中継車がいる。
信号は操作され、車は一時通行止めになるので、
最初の走者の前には白バイ、最後の走者の後ろには通行を解除された長い列の車が走る。
今年の白バイは女性で、赤い制服を着ていた。

ところで近くには交通機動隊があるので、普段から道路で女性の白バイはよく見かける。
中には青い250CCのバイクもあり、青バイと呼ばれるのだそうで、
これに乗る女性警察官は、長い髪で格好がいい。
当たり前にいるものだと思っていたら、女性の乗り手はまだそう多くないのだって。びっくりだ。



今夜は安達太良山の坂道のお写真を。

□山を歩く
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ゴンドラには軽装の観光客が乗って気軽に山に来る。
けれどもそこから先に登る人はぐっと減って、ちゃんと登る気で登る人が来る。


□道標
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ゴンドラを降りて登りつづけると、ここでぱあっと道が開け、見事な景色を見る。
名を仙女平というのだが、天女が降り立ちます、と言われても受け入れてしまいそうな場所。
ほんとうは、伝説で羽衣が松にかかってしまうのは三保の松原なのだけれど、
この山には五葉松がたくさんあるので、松の海だからまぁいいか。


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仙女平から再び苦しい道を登ると、あと一息で頂上という道標がある。
登ったのはここまでだけれども、道は十分楽しい。




ここからは女子駅伝のお写真を。

■道を走る
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先頭に白バイ。ふたりとも女性。


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バイクが撮影しながら。


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こちらも撮影しながら。バイクが二台、後ろには報道車。


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飛ぶように走る足元、走るその向こうには安達太良が見える。
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by noone-sei | 2010-11-27 02:33

85夜 安達太良登山 その壱


安達太良のお写真を次の夜に、と言いながら、すぐに次の夜にはならず、
ずっと遅い次の夜になってしまってごめん。

今年も紅葉の十月半ばに安達太良に登った。
数日前に母と滝に沿って遊歩道を歩いて足慣らしをしておいたので、
始めから終わりまで変わらぬリズムで登れた。

天気は昨年のほうが良く、ときどき山には霞か靄(もや)か、白いものが風に流れる。
緑の松にナナカマドの赤が映え、そして白。
昨年はからりと晴れて風がなく、白は遠くの下界から立ち昇る煙だった。
稲刈りを終えた後、田んぼで藁を焼いている幾筋もの白。

昨年と同じく、もうすこしで頂上というところで、
体力が十分にあるうちに引き返した。
安達太良の頂上はごろごろとした岩場で、それはすぐ目の前だったから、
母は頂上に向かって手を合わせた。
どの山も、頂上には鳥居に神が祀(まつ)ってあるのだろうか。
来年もまた登れるかどうかは来年の神様に聞いてみないとわからない。
だから来年の約束はしなかった。



□昨年の安達太良
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頂上近くより下界を見る。


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下界では田んぼから幾筋も白い煙が。


ところで昨年の安達太良登山、34夜はもうない。
その頃に載せたおはなしはずいぶん虫食いにして、なくしてしまったが、
「赤と白」という文章は捨てられず手元に残っていたので再掲する。




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34夜 赤と白   (再掲)  

赤は山から下(お)りてきて
白は天から降ってくる。

十月の初めから、半ばの十五日までが安達太良の赤の季節だ。
いつも書いているがなお書こう。
裏磐梯はカラマツの金、安達太良は緑に映える赤の山だ。

紅葉(こうよう)もぎりぎりに、今年も安達太良へ行った。
数え切れないほど母が父と登った山に、登らせてやりたかった。
頂上を目指さず、行けるところまで行ってみようと歩いたら、
頂上まであとちょっとというところまで登れた。
体力はまだあったが足場が悪いのでやめた。

これからの季節、赤から白へ、そして緑になるのは野菜。
山は緑から赤へ、そして雪の白になる。

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さて、

□今年の安達太良

■ゴンドラより
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ゴンドラから見える景色。


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ゴンドラから見える緑と黄。


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ゴンドラから見える緑、黄、橙(だいだい)、赤。



■地面
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懸命に歩くと、地面に這えているものに励まされるのに、名前がさっぱりわからない、しくしく。


安達太良のお写真、つづきはまたあした。
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by noone-sei | 2010-11-21 03:40

84夜 のぼりくだり


次の夜に秋の安達太良山を載せよう。
今夜は登山の前に、母を連れて足慣らしをした安達太良遊歩道のお写真を。

わたしには人に自慢したい場所があって、この遊歩道もそのひとつだ。
自慢したい場所って、ある?
ひそかに隠し持っている場所はあっても、いざ自慢したいとなると、
あれこれ考えてしまわないか?
陽気に自慢、ひそかに自慢、おずおずと自慢、どんな自慢で自慢しようか。
思いが上滑りになりそうで、すこし複雑な気持ちになるのではないかな。

遊歩道とはいうけれど、なかなか上り下り(のぼりくだり)は変化があって、
渓流沿いに歩くこの道は滝の中を歩む気分になる。
山ならば道が突然開けた時の開放感ったら格別だけれど、
ここには静謐はあっても陽気な開放感はない。
けれど不思議なことにまた繰り返し行きたくなるんだ。
・・水とは、癖になる場所?



■滝、滝、滝
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みちしるべ


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こんなふうに、滝に沿って木道を歩く。


■秋らしいもの、いろいろ
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どれもこれも足元には美味そうなきのこが。食べちゃいけません。
山に住む人々は、塩で強く漬けて一年ほど寝かせてから茹でると、毒気は抜けるんだと言うが、
それはこわくて真似できない。


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これはどんぐり、きのこじゃありません。


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十月十日くらいの足元の秋。


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父と母はふたりでこの注意書きに気をつけながら縦走したけれど、
母とわたしは登れるところまででゆとりを残して下りてくる。
この足慣らしをして、次の夜は登山のお写真を。




・案じてくださる方々へ
鰐号は連絡がつかないままサナギになってしまいました
おそらく頭の中まで真っ白なサナギなんだと、認めることに努めているところです
モチベーションを失った人間は停止してしまうものなのですね

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by noone-sei | 2010-11-11 01:32

83夜 知の愉しみ


とても根源的なことを言うのだけれども、「本」ってなんだ?
紙?活字?手書きの印刷物?絵?写真? ・・では内容はどうだ?

自分にとっての「本」の定義って、考えたことがなかった。
本との初めの出会いは物語で、その後、小説や評論を読むようになっても、
ひとりの時間をくれるものという意味では漫画も価値が等しい。
映画を観ることももしかしたら価値は等しい。
音楽は背景音なのですこしちがう。

本をほとんど読まない、と時々書いてきたが、
活字であれ手書きであれ、紙に印刷してあるものには引っ張られる。
しかし定義を考えてみたら、まったく引っ張られないものがあった。
心理面やビジネス面を強化するための印刷物。
「強い自分の作り方」とか「自分に負けない方法」とか「美しく生きるために」とか
「夢はかなう」とか「夢はかなえる」とか「やる気への戦略」とか・・
適当に題名を付けてみたら無数にありそうだ。

覇気を得ることをはっきりと目的にして何かを読むということがない。
結果的に覇気を得たとしても、初めから装置として「本」が存在したことがない。
美しくてどこかすこし甘やかで、それでいてきりりとしたところがあって、
装丁や意匠が知への小さな入り口になっていて、手に取ったときに既にある昂揚感。
読み終えて起こる思いがけない情動が、本がもたらす愉しみ。
あらためて考えてみると、まったく引っ張られない印刷物はわたしの「本」の範疇になかった。
それらは服を着たまま風呂に入るような感じに似ている。




□本博
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先月末に、ここを会場にして本のイベントがあった。ここはわたしが通う聴講生二年目の大学。



■催しのうちのひとつ トークライブ 
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授業や講義は受けるが、人の講演は人生訓が入り退屈なのでほとんど聴かない。けれどもこの講演はたいそう面白かった。
上:ブックカフェ。棚に袋に閉じてある本が並んでいる。
下:カフェ。ケーキセットと同じようにメニューに文庫本のセットがある。

内沼晋太郎



■催しのうちのひとつ 一箱古本市
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一箱古本市に出店。ぜんぜん振るわなかったので、編み物をしながらのんびり店番。この本はイギリスで書かれた絵本。誰かが面白がってくれると思ったのだけれど。


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めずらしいことに王様が初出店。
踊りや舞台の本、岡本綺堂、四谷シモン、中井英夫などなど。そのほか、わたしは本を読まないのでよく知らない本。
こちらもぜんぜん振るわなかった。誰かにとってはきらきらした本でも必要としない誰かにとっては視界に入らないということがある。「百人にひとりがいるのかな、と思って一箱古本市に出てみたんだけど、ぼくのセレクトは百人にひとりもいなかったんだねぇ」と王様は自分の趣味を客観的に分析、くすくす。



■ごほうび
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弁当への取り組みが紹介された本にちなみ、実際に弁当のおかずが披露された。弁当は親が子に伝える文化だと思っていたら、子どもが自分で弁当を作れるように教育していくのだって。それって、親に期待できなくなっても、子が自力で文化を継承できるということ?

むずかしいことはわからないけれども、披露ののちに余ったおかずを戴いたので嬉しい。弁当作りのチャンピオンが作った美味しいおかず、いろいろ。二日間の参加をねぎらってもらったような気がする。
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by noone-sei | 2010-11-02 02:35 | 趣味の書庫話(→タグへ)