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82夜 ときおりの休息 参  自然の作法


ゆうべの寒さで、吾妻山に初冠雪があった。
今朝の山はふしぎな景色で、山の頂(いただき)とその嶺(みね)には白い雪、
中腹は赤黄緑の美しい紅葉、下界はまだ緑。

今日はストーブを買いに行き、木小屋からは各部屋分の数だけストーブを出して石油を入れ、
いつでも点けられる準備、すっかり冬支度だ。
もうとうにこたつは出ており、朝夕はときどきエアコンを点けて暖をとっていたけれど、
本格的な寒さに東北はエアコンでは間に合わない。

身支度も薄手のセーターから少し厚手のセーターへ。
でもまだウールのコートには早くて、つるりとした手触りのジャケットを羽織るので丁度。
食卓にはおでんが似合うようになる。
真っ白な高原大根はもう出回っていて、紫色の小さな大根は酢大根にすると紅色。
服装はカラフルでなくなるのに、自然のものは色味が増える不思議。
そうそう、牛すじのおでんには、セロリを大きく切って一緒に煮ると旨い。
セロリは夏から秋、もう節(旬)のものではないけれど。

畑にはたまねぎの苗を五十本ほど植えなくちゃならない。
冬を越させなければ春の芽が出ない、不思議な野菜。
今から植えて収穫は六月、長い長い時を畑で過ごす本当に不思議な野菜。
たまねぎは、丸のまま包丁を下までは入れずに四つ割りにし、
皿に入れて電子レンジにかけ、酢醤油をかけて食すると柔らかな甘みが旨い。
複雑な調理にも堪える野菜だけれども、こんな単純な主役にしてやると素朴な良さがある。

今年の夏はいつまでも暑くて、白菜の種の蒔き時(まきどき)に困ったのはうちだけではなくて、
いつもは上手に野菜を作る山あいの温泉町の本家でも、
発芽したら涼しいところに移してやったものの生育が悪く、
そのまま畑に放っておいたもののほうが成績がよかったのだとか。
うちでは種がうまく発芽せずに、仕方がないので苗を買って植えた。
近隣では三度も種を蒔いて、三度目の正直でやっと綺麗に発芽したという。

大根はまだ白い首を土から持ち上げない。葉は天に広がっているけれども、土の下はまだちびだ。
寒さが来ると土の下で急に育つと本家から教わった。
うちの畑にはホウレンソウやシュンギクが若い緑、これも雪をかぶるとうまみが増すのだそうだ。
そして本当に青い葉物が甘みとうまみを備えるのは、正月が明けて本格的な雪の後。

かぼちゃはとうに収穫が済んでいるけれど、保存が効くので冬至に食されることが多い。
かぼちゃと粒あんを一緒に煮たものをこの地では食するのだが、
わたしはもともと粒あんを好まず、このようないとこ煮はちょと苦手だ。
路地かぼちゃは場所取りの野菜なのでうちでは作らないが、
本家は戦後の食糧難を思い出しては毎年作る。
米がなくて、何割にも水増しして野菜を煮た食事、
ことにかぼちゃを煮たものが続くと、顔まで黄色になるという。
温泉町には当時「錦」の文字がつく旅館があって、そこは十一人家族、
十一人の顔が皆が皆、錦じゃないが黄色かったと本家と母が昔語り、
・・ほんとうなのかしらん。




今夜で「ときおりの休息 参」はおしまい。
ゆるゆると長くつづくとはじまりに書いたとおり、
七月の旅はやっぱり夏を越し、秋を越し、山の初雪になってしまった。
よくおつきあいくださいました。


今夜のお写真は、最後に、食の旅を。
□京都の昼食 夏の編
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略式の会席。折敷(おしき)が用意されている。箸には祇園の「まとの」。


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先付。


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吸い椀。


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向付。お造り。


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炊き合わせ。


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焼き物、揚げ物、酢の物等々の八寸盛り。
小さな紙は幣束(へいそく)を模(かたど)っているんだろうか。
ちょうど祇園祭の宵々山だったので「蘇民将来子孫也」と書かれている。


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ご飯と留め椀と香の物。やっぱり京都ってじゃこ山椒なのね。


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水物。
チープな旅の中で唯一の贅沢、京料理。旅の前から、京都は喫茶店と建築と和食と決めていた。
寺めぐりは眼中になかった。




□大阪のおやつ
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王将という店は大阪のあちこちにあるけれど、こちらでは近くにはない。仙台に支店があって、いつも行列だ。
餃子をつまみに昼から飲む。

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もちろんおやつの王様串かつ。もちろん飲む。

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どて焼き。白味噌なのかなぁ。

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どて焼きはこんなふうにして温めている。


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三時のおやつ、たこ焼き。飲んでません。


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帰りの梅田駅で立ち食いうどん。これから夜行のバスに乗る。飲みませんでした。
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by noone-sei | 2010-10-28 01:12 | ときおりの休息 参(12)

81夜 秋の味 


この地の柿はほとんど渋柿で、ゴマ柿といわれる黒の斑点の入った甘柿はほとんど見ない。
方角が悪いと切り倒してしまったうちの柿の木は、まだひこばえが出てこない。
ひこばえ、っていい言葉だと思わないか?
切り株から細く新しい新芽が出ているのを見ると、なんともいえぬ気持ちになる。
また切り取られるかもしれぬのに、緊急措置を己の体に施す樹木のしたたかさ、
その強さ。


今夜は渋を焼酎で抜いて食う渋柿のお写真を。
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友人がお姑さんに頼んで柿もぎをさせてくれた。
お姑さんの畑には、柿の木が五本もあり、橙(だいだい)色の実がびっしりと付いている。
付くというより点くという感じ?


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庭にはちょうどワレモコウ。
我も請う?吾も乞う?吾亦紅?なんてせつない語感だろう。
ほんとうの意味はよく知らない、でも知らなくていいような気もするんだ。


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少し前に収穫した夏ハゼ。
夏ハゼのソースはブルーベリーソースよりも地味だが、癖がなくて、わたしは美味いと思う。
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by noone-sei | 2010-10-26 04:25

80夜 せつない話


きっときっとふたりとも、胸にしまっておいてほしいと思う。

母は少女に近い若い頃、関東に働きに出た。
山あいの温泉町で生まれて暮らして学校を卒業したけれども、
一時(いっとき)皆がそうであるように、地元ではなくて都会にあこがれた。
友人と汽車に乗り、上野に着いて乗り換えて、目的の職場に向かう。
頃はちょうど昼時、朝早くにばっぱちゃんが持たせてくれた握り飯がある。
けれども、友人は母よりすこし裕福な家の娘で、昼飯にと金を持たされていた。
どうしても荷物を下ろして握り飯を出すことができなくて、
結局、誰にもわからぬようにそれを捨てた。

・・それはわたしがずいぶん大きくなってから聞いた昔話。


鰐号とはあれ以来、会っていない。
顔を合わせない時に自分の部屋に来ている。
わたしが留守で母がおり、頃はちょうど昼時、わたしのほうの茶の間にいた鰐号に、
母が飯と煮魚とおひたしを運んでくれた。
夕方にわたしが帰り、夕食の支度を始めたら、ごみ入れにおかずが捨ててあって
鰐号が来ていたことを知った。
飯はなにか好きなおかずで食っていった様子、わたしはごみ入れから魚とおひたしを
汚さぬようにそっと取り出しその晩食った。
その魚は、料理の不得手な母が前の晩、煮方をわたしに教わって作ったもの。

・・鰐号は自分でどのようにも腹ごしらえができるはずだから、
もうわざわざ茶の間に飯を運ばなくてもいいのだから、とだけ母に告げた。
せつなくてせつなくて、ほんとうのことが言えない話。


今夜の気分はSWANという曲の感じ。
            メッテ・ハートマン(Mette Hartmann)の1stアルバムより



気分を変えて

□ふだんのたいせつなこと
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ふだんのごはんを撮ってみた。
青菜の炒め物と、鶏のソテー、セロリやトマトを煮たソース、
じゃこは水分を飛ばしてオリーブオイルと黒胡椒と白胡麻を混ぜておく。


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アジのマリネ、大根のひきな炒り、焼いた油揚げ、乾物の和え物、カボチャサラダ、紫蘇の実ごはんなど。
母と鰐号に作った昼ごはん。


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アジのマリネ。


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味噌味の芋煮に焼き餅を入れて。大根の葉は刻んで塩をして菜めしにする準備。


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じゃこ山椒ごはん、おでん。味噌汁には卵を落として。
もってのほか酢の物(食用菊)、はらこ醤油漬け(シャケの卵)、ふきの甘酢漬け。


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十月はシャケ(鮭)の季節。白子は醤油や味噌に漬けて焼く。
腹子(卵)は熱湯をかけて身をほぐし、醤油と酒に漬け、ごはんにかければはらこめし。


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もってのほかという名の食用菊。山形が本場。


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庭のもって菊。


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これはおまけの黄金桃。

■おまけ
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シワ コ :セイさん、こじゃれたカフェランチごっこしてるんですか?

わたし:そうだよぉ。ほんとは「あるものごはん」なの、ふふ。
     中身は変わらなくても気分を変えて、、ねっ。
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by noone-sei | 2010-10-26 04:02

79夜 ときおりの休息 参  五時から飲んだ


 ・メンタルな話なので、引っ張られるひとは読まないほうがいい


王様は帰りが遅いので、外で飲もうとすると夜もずいぶん更けてからになるのが常、
塾を終えて、母が寝たのを確認してから夜の街にそっと出る、わたしたちは不良だ。
出掛けたのを知っているのは犬ばかり。

王様は酒を飲まないんだが、酒を出す店は好ましく思っていて、
裏路地の居酒屋でもカウンターバーでも、面白がってつきあってくれる。
わたしはビルの中の店は苦手なので、できるだけ地面に建っている店がいい。
地に足がついている店、というのか?
飲むほうの人間はちっとも地に足がついてはいないんだが。

わが家で地に足がついているのは、王様ただひとりなんじゃないかと思う。
母は墓参の花に緑も欲しいと、あろうことか神棚に供える榊(さかき)なんか買ってしまう
物知らずのひとだし、
わたしはいつも疲れていて、毎晩酒を飲んでは酔っ払いになるし、
鰐号にいたっては上から読んでも下から読んでもでたらめとめらたでを繰り返している
奇妙な動物になってしまったし、
王様の明るさがなかったら、わが家は灯が消えてしまう。

今日は初めての就職活動で県外に行かねばならず、地の利のたいそう良くない所だったので、
王様が車を出してくれることになったんだが、鰐号は予定を全部すっぽかしてしまった。
気が小さいので、そのまま逃亡し行方知れず、携帯電話の電源まで切っている。
踏み出したいような逃げ出したいような、そんなそぶりには気づいていたんだが、
鰐号は自分で段取りながらしまいに土壇場でひっくり返した。
はげましじゃなくて、見て見ぬふりじゃなくて、「いつでもやめにしていいんだよ」と
腕にくるむような接し方をしておけばよかったのか?
どうすればよかったのか、今でもわからない。

鰐号の後始末をしたらまだ外は夕暮れ、このまま飲んでしまおうと、王様と昔ながらの居酒屋へ。
商店はまだ仕舞いにならず、酒を出す店はぼちぼち開き始める、そんな時間。
初めてそんな時間に飲んでみたわたしたちは不良か?
家路につく途中、王様は急にハンドルを切って鰐号のアパートに向かった。
「生死の確認だけ~」と言って、鰐号の部屋に明かりが点いているのを見、帰ってきた。
ずっと家に居続けだった鰐号、今晩は自分のアパートにいる。
地に足ではなくて、布団に根っこじゃなければいいが。




今夜のお写真は、日中の商店街を。


□大阪の商店街
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わたしの印象は、大阪の商店街といえば、自転車に乗った人。


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ほらね、自転車を押している。そして気になるのはお惣菜。大きく載せてみよう。


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ほんとうは正面から見える角度で撮りたいんだけど。


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ミシン店があれば、うちの昭和三十年代の足踏みミシンも調子よくなるのだろうになぁ。


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大阪といえばうどん。歯ごたえのしっかりしたうどんよりも、優しいだしとすこし甘めのつゆがかかった玉うどんがいい。


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和菓子の店。ここで雲形の餅と青海苔の不思議でしかもくせになるお味のおはぎを作ってもらった。

ちかごろの犬たち
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by noone-sei | 2010-10-20 03:36 | ときおりの休息 参(12)

78夜 ときおりの休息 参  枕木のように


困難なことが枕木のようにやってくる。
枕木とはいい言葉だなぁ。
線路に敷き続けられた枕木のように、次から次から問題が起こる。
これは嫌だなぁ。

鰐号の旅は野球で阪神を追うところから始まり、
行く先々で王様やわたしの友人たちに飲ませてもらい食わせてもらい、
学生に大人がどれほど優しいかを知るのはこの先の将来、逆の立場になった時のことだろうが、
夢のような二週間を過ごして行方不明になっていた。
帰ってきたら夢は一転していて、いや二転三転、半ば内定していた就職が駄目になった。

なにもかも面倒になってしまった鰐号は家に居続け、
だるまのようにただ転がっていたら、アパートの水道管が破裂して大騒ぎになっており、
大学からは後期の履修届けの不備が知らされ、再び卒業が危うくなるところだった。
この枕木のような既視感はなんだろう。

たいてい、困難なことや問題が起こるのは、ひとつで済まないと相場は決まっている。
あといくつ枕木は転がってくるだろう。
あといくつ寝るとお正月、、、なのだけれども、その前に、
あといくつ練ると対策は建てられるだろう。



今夜のお写真は、さまざまにしなやかに建っている日本建築を。
□京都寺町界隈
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通りで見かけた素敵な親子連れ。
子どもの長靴も可愛いけれど、若いお母さんの長靴が可愛い。


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・・くだらない駄洒落を言ってしまおう。
わたしの旅の途中で、足袋(たび)の店。


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なんだかわくわくしてしまわないか?香料は調香師が調合するのだな。
そうそう、おそらくもう二度と観ないけれども「パヒューム」というのは映画らしい映画だった。



□祇園 八坂神社裏の料理屋
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□加茂川
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加茂川沿いは、雨で川床料理どころではない。


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京都南座



□大阪
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「ちいさいおうち」という可愛い絵本があるんだが、そこには周囲がどんどん変わってゆく様子が描かれている。
これは、駒川駅そばのちいさいおうち。



ところで、「ときおりの休息 参」をゆるゆると載せていたら、お写真が貯まってしまった。
このあと、愛機パタリロであとふたつ、ときおりの休息がある予定なんだが、
じつは愛機バンコランがすこしずつ手に馴染んできていてお写真が保管庫にある。
鰐号の枕木を寝かせることはできないけれど、対策を練りつつ自分の時間も持とう。
またあした、のあしたが何日かかるかわからないけれども、
すこし速い足並みでおはなしとお写真を載せてゆきたいものだと思っている。


     

そのバンコランは
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by noone-sei | 2010-10-17 03:13 | ときおりの休息 参(12)

77夜 「血は立ったまま眠っている」


 ・「十三人の刺客」を観る予定のひとは読まないほうがいい



              一本の樹の中にも流れている血がある
              そこでは血は立ったまま眠っている        ---寺山修司
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77夜は語呂がいいので趣味の話を。

この地の町で、あちこちのライヴハウスでさまざまな歌や演奏がある音楽の祭の晩に、
遠藤ミチロウを聴いた。
スターリンというバンドもよく知らなかったし、彼の歌を聴くのは初めてだった。
今は伝説のパンクロッカーと言われるらしいんだが、聴いたらわたしにはたいそう懐かしく、
歌詞というにはむしろ詩だと思われる言葉のひとつひとつは、地下演劇そのものだった。
つまりは生と死を歌い続けているんだと思う。

寺山修司の戯曲を蜷川幸雄が演出した舞台があって、それが「血は立ったまま眠っている」。
遠藤ミチロウは公衆便所の便器に座り、猫を捨てにくるばか者の頭をぱっかんと叩く役だったとか。
そして「血は立ったまま眠っている」を歌う。
ライヴではそのあと下水道の歌を歌い、「ああ 中央線よ 空を飛んであの娘の胸に つきさされ」と
友部正人の歌でアンコールに応えた。

ところでその舞台で娼婦を演じた女優が、映画「十三人の刺客」で四肢欠損の娘を演じている。
崇り(たたり)って恐ろしい言葉だろう?天願というのもそら恐ろしい。
天願成就という言葉は聞いたこともないが、仏教用語にありそうでこわい。
「心願成就」は個人の願い、一切衆生に対して向けられたのが「本願成就」、
それだけでも風呂敷は大きいのに、その上をゆくような天願は想像もつかない。
「十三人の刺客」は、そんな恐ろしい名を持つ監督(三池崇史)と脚本家(天願大介)が、
時代を間違えて生まれ空しい帝王学に生を実感できない歪んだ藩主を藩士たちが、
世のため下々(しもじも)の人のために殺(あや)めるという物語、それを映画にしたものだ。

工藤栄一が監督した前作は文字通り世のため人のためという大義名分をかざしていたのだけれど、
今作は、非道な行ないをいくつかエピソードにして観せるんだが、
切腹の肉を斬る音、矢が刺さる音、藩主になぶられる女たちの鼻水やよだれや血の涙、
そして四肢欠損にされた一揆の首謀者の娘を見た藩士の生理的にタガが外れた怒りを
つまりは最後の暗殺までの原動力としたところが三池崇史の趣味の世界なんだろう。
それらまきちらしたグロテスクなものたちは、三池の悪ふざけとしてしか回収されていない。

過剰に神経を逆撫でするような事象に対して真実を見るという型の人間っているだろう?
むしろ、そうした刺激にしか真実を見出せない狭いところに入り込む型というか。
たいそう疑り深いがゆえに、陰または影に実感を得、陽または日に鈍いというか。
三池のそうした面を映画という大掛かりな手法で見せられたようで気が重い。

映画を観たあと、ふいに「新必殺仕置人」の最終話を思い出した。
昔の記憶なのでほんとうは違うかもしれないのだが、
廃人になった鋳掛屋の巳代松に、いつも使用していた竹筒鉄砲を持たせて大八車に乗せ、
仲間のおていと正八がこれで命が尽きることを覚悟の上で押してゆくラストシーンだったような。
三池の映画にこの切なさはない。本当は描きたくてたまらないように感じられるのに、
なにがそんなに怖いのだか、悪ふざけで隠してしまう。
そうそう、調べたら「新必殺仕置人」は監督が工藤栄一だった。



今夜のお写真は秋の草花を。
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彼岸花の群生地。


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リンドウ。山のリンドウは九月でおしまい、観賞用は色もさまざま。
バンコランで夕暮れにお写真を撮るのはたいそうむずかしい。焦点を合わせられない。


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田んぼの畦道のツユクサ。田んぼは稲刈りで忙しい。


「血は立ったまま眠っている」
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by noone-sei | 2010-10-07 04:12 | 趣味の書庫話(→タグへ)