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63夜 うろんな書庫まつり 弐

Book! Book! Sendai 2010レポート その2


 ・今夜のおはなしは長いから時間のあるときにどうぞ


・・つづきはまたあした、が、とうに明けてしまった今夜。

ラテン語で ex libris (エクス・リブリス)という言葉があって、書票という意味。
小さいとき、古い本の表紙の裏に小さな紙片が貼ってあるのを見て、
なんだか素敵、と、ときめいた記憶がある。
その小さいものの名が蔵書票とか書票とか、ましてエクス・リブリスなんていう言葉だったなんて
小さいときには知らなかったけれども、ずっと大きくなってから、
収集されていたりまとまった本になっていることを知ったときには、
あの小さいものがえらく気になったことに合点がいった。
意匠を凝らした図案だったもの。

古本屋の本には、裏見返しの上部に本屋の屋号や所番地が印刷された小さな紙片が貼られている。
なんてことない紙が、ちょこっと糊づけされているんだが、これも気になる。
印刷のインクが、たいてい落ちつきのある渋みがかった色だからだ。
大きな催し物会場などで手に入れた本のうしろに、
たとえば日本海に面した県の思いがけない所番地などを見つけると、
行ってもいないのに旅して本を手にしたような気分になる。
本で旅するなんてちょと不思議。

もうひとつ気になったものといえば、本屋で本を手に取ると挿(はさ)んであるスリップ。
買う前は付いているのに、買うとなくなってしまう不思議な栞(しおり)。
ちょこんと頭を出しているから栞だとばかり思っていたら、
書店が売り上げを把握するための短冊だった。
今では書店からでなくインターネットで本を取り寄せるとスリップが付いているから
めずらしい感じがしないかもしれないが、
たとえば古本屋で昔の書物で初版本でスリップが付いている本がもしあったら、
たいそうめずらしいのではないかしら。

値付けしたスリップは付箋で二枚貼った。
一枚はうろん書店用、もう一枚は一言書評(というかpop)と値段。
一枚は剥がして、もう一枚は本に貼ったまま持ち帰ってもらった。


□開店
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商店街の、駅に近いいちばん端っこが今回のわたしのブースなので、地味目。


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駅からいちばん遠い端っこが本部・物品・飲食・遠方から参加の古書店ブースなので、華やか。
縁日とか、ひしめき合う商店街の片隅で店を出すのとは少しちがっていて、
街そのものや人並みやプロジェクトの持つ鷹揚な雰囲気が感じられる。

・・ところで、なにかをやるときには、陰と陽というか、かすかなうしろめたさというか、
わずかな不健全さを内包していることを感じて気持ちが落ち着くことってないか?
商店街から入る、戦後の名残りの横丁が実はとても気になった。
それがなければ、メインストリートは明るくてお洒落ですこしくすぐったかったかもしれない。



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うろん書店
当初ブースの割り当ては縦一畳くらいの面積で、箱のまま置いて
覗き込んでもらうものとばかり思っていたら、悠々といただいたので、
ゴザの敷物を横に敷き、本をいくつか並べることができた。


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隣り合って仲良く吉田屋遠古洞さん
敷物は競馬新聞がたいへんよく似合った。でもビニールシートを買うより値が張るのだとか。


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立ち止まり本を手に取る様子



あえてひと箱という「一箱古本市」とはいい名だと思う。
運べる大きさだからとか、小さな区画で並べるからだとか、そういった理由からだけでなく、
出店者の意図を汲み取ったり本を選んだりするのに、
自分がお客の側になった時にひと目で見てとれる量とは、そう多くない。
「Sendai Book Market」会場のアーケードを自分もお客になって楽しく歩いてみて、
段ボール箱ひとつ分というのはちょうどいい本の量と密度だった。
ただひとつの本と出会うということはもとより稀有なことなんだが、
もし本のほうが贈り物のように飛び込んでくるなら、あんまり並んでいると拡散してしまう。
そうではなく、人のほうが本を選ぶ愉しみならば、たくさんあれば豊かな気持ちで選べるだろう。

出店する側としては、初めはお客にどう対応するかとてもむずかしかった。
初めて出会う人の懐に入ってしまうんじゃないかというような、戸惑いがあった。
結局それは杞憂で、本が呼び寄せその本に似合う人がそれを買い、
その本にまつわる話や今考えていることなどなどを語っていってくれた。
こんなに短い時間に相手のことを理解しようと懸命になる、
こんなに深く結びついていいのかしらと思うくらいに。

あの本を買った人はいまごろ読んでいるかしら、と思いがめぐる。
あるおじさんは、ポケットからあるだけの小銭を出し、この版画雑誌が欲しいと言ったっけ。
ある男性は、自分が仙台市内で通う絵画教室の楽しさを語っていったっけ。
きのこが好きな若いお母さんは、絵本の挿絵の特集をめくりながら、
赤ちゃんの名前が「きの」だと教えてくれたっけ。
ある女性は、お母上が英語教師だったからこの英語の絵本が懐かしいと言っていたっけ。
売値が法外になるので古本市には結局一冊しか出さなくて、なんだか申し訳なかった。
会津木綿のワンピースを着た人は、目立たぬよう隅に並べた「老人をかく」を手に取り、
自分の絵画教室の話をしてくれ、ほかにも目立たぬものを探して、
地味で飾り気のない技法書だからいいと言っていたっけ。
そしてスリップに書き込んだ小さなpopも探しては愉しんで読んでいたっけ。
ちょと照れくさかったけど、ちょとうれしかった。

準備したうち約半分の本が人の手に渡り、わたしは小一万の売り上げを得たわけだけれども、
自分の本が行った先を今も思うなんていうことがあるとは想像もつかなかった。


つづきはまたあした。
会場の様子はこちら 
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by noone-sei | 2010-06-26 15:58 | 書庫まつり(12) | Comments(6)

62夜 うろんな書庫まつり 壱

Book! Book! Sendai 2010レポート その1


つづきはまたあした。
・・そう言ったのに数日が過ぎた。
ちかごろ雨つづきで畑の野菜には蝸牛がいる。
わたしの「あした」は時間がゆっくり過ぎなので、いっそ蝸牛と呼んでくれ。
蝸牛とは「かたつむり」なのだけれど、でも「かぎゅう」というとちょと格好いい。
いやそんな場合ではない。約束は守らなくちゃ。

六月の仙台は本の月。「杜の都を本の都にする会」が
Book! Book! Sendai 2010というプロジェクトを展開している。
そのなかの一日、本と人とが街で出会う「Sendai Book Market」に参加した。
さまざまなブースは、骨董・洋品・文房具・雑貨等の物販、カフェ飲食。
そしてわたしが参加したのは、不忍ブックストリートから発祥したという一箱古本市。

一般参加者約40箱の出店で、
「自分の蔵書の中から選んだ本を販売します。こだわりの一冊、昔読んだ懐かしい本、
店主との会話も楽しみながら素敵な本との出会いを!個性あふれる看板やディスプレイも必見です。」
というプロジェクトの惹き文句のとおりわたしは「店主」。つまり屋号を持つ古本屋さんごっこである。
古書「うろん書店」、本気で遊ぶから真剣に準備した。



□本の選定
右下の絵本「うろんな客」エドワード ゴーリー(著)  柴田 元幸(訳)  は非売本。
なぜって、「うろん書店」の看板本だから。 
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今は描かなくなったけれど、絵に連なるものを選定。
専門の古書店の参加とは準備する量がちがうので、みかん箱に充実の約四十冊。
漫画については脱力のお遊び漫画と本気の本気を取り混ぜて。
売りたくない本、隅っこに隠しておこうと密かに思う渋い本、黒くて暗い本、
これは地味にもほどがあるだろうという本、わたしのところ以外で今はもう手に入らない本、
読んだら特定の誰かと夜中に話したくなるだろうという漫画、
そういうひそやかな企みに気づく人だけが手に取ればいいと思う本の数々。
準備には、不忍ブックストリートの店主マニュアルを参考にした。



□ご挨拶
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はじめて出会う人へのメッセージも作ってみた。



□選定本の一部
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版画雑誌の特集は木口版画による詩画集。



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ブルトンとかバタイユとかの美術雑誌。



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ルドンのカラー図録のなかでも、わたしの好きな「笑うクモ」と「オタマジャクシ」。
どちらもへんな顔の生き物。



値付けの参考にしたのは全国古書籍商組合連合会「日本の古本屋」データベース検索なんだが、
美術関連の書物は思いのほか値が下がっていない。
逆に稀少本として値が上がっていたりしたのでたいへんに困った。
海外の絵本については、インターネット上で法外な売値になっていて、
準備はしたものの、一冊を除いて最終的に箱からはずしてしまったものもあった。
(実際にはその一冊に目を留め思い出を語ってくれたお客がいて驚いた)


このつづき、お店の開店はまたあした。


なお出店にあたっては吉田屋遠古洞主人坊さん、名付け親になってくれた連れ合いさん、そしてBook! Book! Sendai のオールスタッフ、Sendai Book Marketを訪れてくれたたくさんのお客さんに、この場を借りて深く感謝したい。
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by noone-sei | 2010-06-24 00:50 | 書庫まつり(12) | Comments(2)

61夜 日曜日の書庫まつり


このあいだの日曜日は、わたしが思い描くとても日曜日らしい日曜日だった。
本の整理をして本まみれになるとか、書棚を作るとか、
そんなふうにして一日を過ごすことができる、
そういうことって今までにないことで、わたしにはあこがれの日曜日なんだが、
ふつうはあこがれるほどのことではないんだろうか?

ストーヴをしまったり扇風機を出したり、
座布団カバーを明るいものに替えたり模様替えをしたり、
梅雨の前にやっておくことがたくさんあって、
なんだか「居住まい」だとか「暮らし」だとかいうものを
心地よく感じるのがとても久しぶりのような気がする。

ここ最近のわたしの愉しみは縫い物。
夜には映画よりも気楽に観られる米英海外ドラマを流して、
ちくちくとお裁縫をするような日々、こんな過ごし方って初めてだ。
ネットから浦島亀子になって遠ざかり、ウェブログもご無沙汰、
でもいい感じ。

と書くと充実しているようだろう?
いや充実してはいるんだが、いちばんやらなきゃいけないことがあるんだ。・・本の選定。
一箱古本市に参加することにした。
仙台の六月は本の月、街のあちこちで本に関する催しがあって、そのひとつが一箱古本市。
その準備が佳境に入っていて、今も本の値付けの真っ最中、
ちょっと逃げるようにしてこうして今夜のおはなしを書いているというわけ。
また準備に戻るから、つづきはまたあした。



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新しい書棚は漫画専用。屋外の書庫から屋内に移す本の発掘をしたところ。



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合間にパン焼き器に入れておいた生地が膨らんで、初めてこんなパンが焼けたよ。
気温が高くなったからだね。不器量なパンだけれども、なんだかうれしい。
アーモンドとドライフルーツとキャラウェイのパン。



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階段を利用して組んだ書棚。
子どもが隠れ場所にするみたいに、階段に腰を下ろして読みふけってしまいそう。


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一箱古本市に出す本の選定中。テーマは「絵のような文のような」。

そのころ犬たちは
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by noone-sei | 2010-06-18 02:41 | 書庫まつり(12) | Comments(16)

60夜 くちづたえの書庫まつり


 ・今夜のおはなしは長いから時間のあるときにどうぞ


くちづたえ ・・って言ってみてくれ。
「づ」って、む「づ」かしい。いやまちがい、むずかしい発音だと思わないか?

前歯が一本、無くなったんだ。
根元で折れてやむなく抜いてしまったので、わたしは今、歯抜け。
子どもの歯抜けは大好きで、うっとりするくらいに好きなんだが、
自分のこととなると、歯抜けは間抜けだ。上あごの骨が固まるまでは義歯となる。
歯医者は、舌の学習力と記憶力はめざましいから、意識して発音すれば大丈夫と言う。
時期が来なければ矯正もできないので待つしかない。

わたしはがちゃ歯なので、しょっちゅう歯医者に行くんだが、面白い話が聞ける。
たいへん大きな前歯なので、抜くのはさぞ後で痛むだろうと思ったらそうでもなかった。
下の親知らずを大学病院に紹介されて手術したときには、それはひどい目にあった。
麻酔を足してくれと、術中に数回言うほど長丁場だった。
ところが、下あごの骨より上あごの骨は薄く血管が密集していないので、痛みも軽く、
上の歯を抜くのは造作もないんだという。ほんとにそのとおりだった。

さて今夜のお話はくちづたえにまつわること。
先日、大学で講義を聴いた。
「キリスト教文化との出会い」と題して、西洋と古代日本の神を比較するというもの。
同席者に「セイさん、古事記って誰が作ったの?」と聞かれた。
古事記についてほとんど知らないので「くちづたえ、いつのまにかのお話だよ。」と答えた。
実際にはくちづたえから文字にする段になって、天皇家の出自に都合のいいように
物語のおしまいは歪められたようなのだけれど。

『聖なるもの』という本(オットー著 岩波文庫)が紹介された。著者は神学者。
西洋の神の存在を証明する試みは過去からなされていて、合理的に言葉で論証したり、
カントのように、人が道徳的に生きるために神は必要、故に存在すると論じたりさまざま。
オットーは神に、神霊的なイメージを持って論じた。
畏(おそ)れるという感情は、原始的な神秘の戦慄だと。
聖なるものとはなんだろう。清く正しく輝く善というイメージだけでは弱い。
その奥底には戦慄を伴なった神秘がある。それをデモーニッシュ(魔的)と表現した。

キリスト教にみる神の聖性は、原始は抑えられやがて光明なるものとして洗練されてゆくんだが、
では古代日本の神もそうだったのかというのが講義の本題。
この世とあの世。この世が天と地に分かれたとき、天には名があり地はただ混沌として名もなかった。
天は高天原(たかまがはら)という名を持ち、そこにイザナギ(男)とイザナミ(女)が降り立ち、
結婚してイザナミは島を産んだ。
国土を造って火の神を産んだらイザナミは燃えてしまって黄泉の国に行った。
イザナギが黄泉の国で覗き見たイザナミはウジが涌き周囲では雷が鳴りすっかり死者だったので、
恐ろしくなり諦めて帰ってきた。
死んだ妻を取り戻しに冥界へ行ったが、振り返ったため叶わなかったオルフェウスの話は
ギリシア神話にもあり、こうした死者との別れの挿話は万国共通なんだろうか。

黄泉の国で穢れたイザナギは川で禊(みそ)ぎをした。
そのときたくさんの神が産まれ、最後に産まれたのがアマテラス(女)とスサノオ(男)だった。
スサノオの乱暴振りでアマテラスが天岩戸(あまのいわと)に隠れたのはわたしも知っている。
けれどもそれは怒りによってではなく恐れによってであり、岩戸から出るよう計らった神々も、
岩戸の前で神祭りをし賑やかに皆が笑う。なんだかのんびりした感じがしないか?
古代日本の神は荒ぶるものに寛容で、戦わずにデモーニッシュは鎮められる。

スサノオは天の国を追われたので根の国に行きたいと言った。
根の国は堅い島で、この世以外にあるあの世のひとつ。
スサノオは地の国を経由して根の国までの旅路、オオケツヒメ(女)に食べ物を貰うんだが、
覗き見たら鼻やら口やら尻から馳走が出る。
穢(きたな)くして食わせたな、と切り殺してしまったら、その遺骸からさまざまな種ができた。
農耕のきっかけを天を追われた荒ぶるものスサノオが作る。
光明なるものではなく、荒ぶるものが人間に恩恵をもたらした不思議。

こんなふうに、古事記にみる古代の日本は、荒ぶるものだけに悪を負わせることをしない。
最終的に神のデモーニッシュは光明なるものとしてひとつになるにせよ、
そのプロセスは抑えるための戦いではなく、鎮めるための葛藤だ。
原始は光明へと洗練され変化するのではなく、古代の日本は原始を取り込んでゆく。

講義を受け終えてみたら、くちづたえの物語「古事記」は、
原因や結果を突き詰めるということのない鷹揚な物語だった。
自然界にたゆたい、受け入れるのではなく受け入れられよ、の物語だったのかもしれない。


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右の妖怪の絵本はおまけ。


□おまけ
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58夜で書いた本はこれのこと



□もひとつおまけ
パタリロで撮っておいた野菜のお写真を載せなくちゃ。もう六月だ。
畑では玉ねぎがしっかりとしてきた。今は立っている茎が倒れたら収穫できる。
キャベツも小さいながら玉を結んできた。
それらはまた次の夜に。
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地元農協の料理教室にて。講師は和食料理屋の親方たち。


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たらの芽、丸ナスの揚げたて。


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揚げた野菜と身欠きニシンを だしと醤油と干しえびの煮汁で煮る。



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アスパラ、うど、きゅうりはサラダの材料。
野菜は皆水に放し下ごしらえ。きゅうりの端が見える?



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油揚げと炊きたてセリご飯。



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汁物はくきたち菜と凍み豆腐。山盛りの野菜サラダ、野菜づくしの食事の完成、いただきます。

春のころの犬たち
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by NOONE-sei | 2010-06-02 17:38 | 書庫まつり(12) | Comments(6)