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52夜 ひとりふたり


昔は女性のひとり旅は嫌われた。
わたしの育った山あいの温泉町では、旅館にひとりで泊まる女は傷心と相場は決まっていて、
夜に宿を求める女性客は、部屋に空きがあっても断られたものだった。
自殺でもされたらあとが面倒だったからだ。

旅館と死は離れてもいない。
旅館の湯は源泉の硫黄がきつくて、朝に客が風呂で浮いていたなどということは、
めったにはないが、そうめずらしいことでもなかった。
そんな事故があっても、宿の営業は休まなかったし、
誰もわざわざ口の端に上(のぼ)らせるということもなかった。

近頃はだいぶ様子も変わってきていて、
ひとりで泊まる女性を歓迎する宿が増えた。
少人数の女ともだち同士で泊まるということはよくあるが、
日常の喧騒を離れてのんびりしたい、そういうひとり客も増えてきて、
男性は旅することを楽しむために宿に来るのに対し、
宿で過ごすことを楽しもうという女性の志向が多くなってきたのだ。

なかにはめずらしい客もいる。
ひとりなのに二人分の宿賃を払いたいという話。
布団も二人分敷いて、食事は子どものものを用意してくれと言う。
動物じゃない。人形を連れてくる。
人形の数え方は一体二体。けれどもそういう客の場合はひとりふたりと言わなくちゃならない。
どんなわけがあったかは知らないが、生きている人として扱い、
おろそかにしてはいけないので仲居は神経を使う。

人形は小さな子どもくらいの大きさはあり、兄弟会や子供会や同窓会があったりもする。
補修が必要な時には、それを里帰りという。
どこまで人として扱うのか扱われたいのか、
どこまで人として信じているのか信じて欲しいのか、
人間の心の深淵は量り知れないし、深淵のほうも人を覗き込んでいるというから、
目を閉じて、深淵とやらと目を合わせないにこしたことはない。



今夜はわたしのひとり旅を。


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お供はこの写真機パタリロ。ひと月くらい前のひとり湯治の旅。


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以前にも女ともだち数人で湯治に来た小さなリゾートホテルなので緊張しない。ロビーにはこんな春が。


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オフシーズンだったので、宿のはからいで正午からチェックインさせてくれた。まず風呂。


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三人部屋、これをわたしひとりで使う。のびのび。


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読み物を用意して、飲み物を用意して。


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部屋からの夜。ひとりの夕食もさみしくない。
夜の料理はパタリロでまだうまく撮れないので、なし。


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朝食ものんびり。外はまだ寒くて、雪が残っている。
外は仙台郊外の名取川、まだ冬だったのに家よりも北に行きたいと思うのはなぜだろう。


ひとり湯治はくせになるかもしれない。
まったく退屈しないで風呂三昧、読書三昧、気分が一ヶ月は保てる気がする。
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by NOONE-sei | 2010-03-31 03:48 | ときおりの休息 杜の都(4)

51夜 血湧き肉踊る


PCの中に小動物が棲みつくことがあるそうで、
ネズミがカリカリと音を出すようになった。
それがいずれガーリガーリという音になったらえらいことなので、
別のPCにデータの入れ替えをした。

わたしのPCはだんだんに言葉を覚えてシワ コ になってゆくのに、
ときどき変換がペロ コ になることもある。
千脇二区踊る、まるでペロ コ が認識する音だ。選挙じゃないんだから。
ほんとうは、血湧き肉踊る。
意味が通っていないことに呆れたり責めたりしないで、ひとつひとつ教えていこう。

脳内変換などという流行りの言葉があるけれど、わたしは好まない。
巷(ちまた)では、自分勝手な解釈をしているさまを表するようだけれど、
評する側のそのさまこそ、突き放した高みの視線ですこし醜い。
何故そうなったかには必ず理由があるのだから、ひもといて伴走してやればいいではないかと思う。
近頃、年寄りと多く接する機会が増えて、ひとにはひとの心理のリズムがあるものだと、
そう感じるようになったからこれは自戒でもある。

さてその「血湧き肉踊る」。
湧(わ)く とは、底から生じること。沸(わ)く とは沸騰すること。
じつは今夜のお話は、湧くなのか沸くなのか、今でも迷う。

昨年大阪に行ったときに、めずらしい店があった。
きらきらぴかぴかなので、わたしはすっかりパチンコ屋だと思った。
だからその名も「スーパー出玉」だと思い込んだ。
ほんとうはスーパーマーケット「玉出」。
大阪にはあちこちにある店らしいのだが、わたしは今でも内心、
パチンコ秘密倶楽部「スーパー出玉」だと思っている。

先日教えてもらった店はめずらしかった。
店に入ると軍艦マーチが流れていて、もうそれだけで血が沸くように湧き肉が踊った。
ほんとうに肉が踊ったのだ。1グラム六円って、見たことがない。
100グラムの表示に慣れているから、グラム百円といったら100グラムだと思うだろう? 
(追記:ん?1グラム六円じゃなくて10グラム六円か?
100グラム六百円の豚肉じゃ、高すぎるだろう?ほーら、よくわからなくなってきた)
その店は単位を変換しなくてはならなくて、しかも軍艦マーチが盛り上げてくれるものだから、
肉のパックの山に頭がぐるぐるになった。

まちがえた。
肉が踊ったんじゃない。肉に踊ったんだった。 ・・踊ったのは、わたしの眼。


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踊るものはタコ。吸盤が出玉ならぬ目玉に見えないか? ・・先日のわたしだ。
お写真は季節がちがうのだけれど、「踊る」からの連想ということで。

ちかごろの犬たち
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by NOONE-sei | 2010-03-27 02:35

50夜 綿羊ロード


ひとには生来というものがある。
生来そのままならばさぞ面白かろうが、それでは世は生きにくい。
だから、表層のふるまいという、のちに得た蓋の力を各々が借りている。

蓋の下にあるものを想像したらこわい。
けれどこわいもの見たさということもある。

書くということは井戸の蓋をほんのちょっとずらすこと。
読むということは井戸の水を見てしまうこと。
水が澄んでいるか濁っているかは見るまでわからない。

怪かしと出会うような森に迷ったら、
井戸の底の物語は、見ても忘れてしまうがいい。
そのまま森へ置いてくることだ。



                        * * *



今夜は50夜。
「王様の千と線」は、百夜話の半分、【その後(五)の百夜話】の折り返しにきた。
100夜はいつになるだろう。これまでは冬に終えていたのだったけど。

この、ウェブログというものにこれまでひそやかにお話を書いてきた。
世にはもっと仲間内のものやひとりつぶやきをするものなど、方法があれこれとある。
わたしときたら、初めは写真機も持っておらず、コメント欄も開けておらず、
パーソナルでそっけない口調で、どうなることやらの歩みだった。
はるばると読みに訪れてくれる読み手がいるということもよく知らなかった。

この数年、閉じてしまうウェブログや、不都合が起こったウェブログや、
開いているけれども休んでいるウェブログや、運営者が亡くなってしまったウェブログなど、
予告なしになにかは起こり、永遠ではないことも知った。
交流はなく静かに読んでいただけだったから、静かに悲しんだり案じたりするほかない。

【その後(五)の百夜話】では、読まれるこわさに、わたしもいっそ閉じてしまおうとした。
「喪失は無理矢理やって来るけれど、再生は自分の気持ちと力で呼び寄せられるかもしれない」
そんな励ましを戴いて、ひとりの時間を逃げずに、そしておずおずと歩いてみた。
不器用だけれど、これからもこのようにしておずおずと書き続けられるものならと思う。
静かに見つめてくれた皆さまにこころから感謝している。



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ふきのとうが採れた。



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まだ不出来な自家製パン。材料をパン焼き器に入れるだけなのだけれど。
摘んできたクレソンとルッコラのサラダと一緒に。

綿羊ロードのお話
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by noone-sei | 2010-03-18 03:31

49夜 男の食彩


国営放送「きょうの料理」じゃない。
上手く名付けたものだと思う。
男が男らしさを武器に作る料理、肴や魚やあれこれつまり ・・男らしい料理。
わたしの勝手な印象はアウトドア雑誌BE-PAL に近い。
ここいちばんの、ハレとケで言ったらハレの場。
そういう時だけの料理はとことんこだわればいい。

近頃、蕎麦打ち修行をして店を出す男性が増えていて、蕎麦屋があちこちにある。
大学のある日は、昼に「ひとり蕎麦」をすることがけっこうあって、
女ともだちからは、お銚子を一本つけたら立派な大人だとからかわれる。
いや、蕎麦を打ってはじめて立派な大人なんじゃないか?

山間部では米があまり収穫できなくて蕎麦を栽培するから、贅沢な食糧じゃなかったと聞く。
山あいのおばあちゃんが打つ蕎麦はたいへん美味いんだと聞いたこともある。
だから、「ひとり蕎麦」をする度に、近頃の男の食彩の蕎麦は値が張るなあと思う。

市政を広く知ってもらおうと農業振興会が企画した農村視察に交ぜてもらったことがあって、
初めて見る農産物や地域を盛り上げる意気込みや日々の暮らしなど、
それは新鮮な驚きを持って新しい目で農村部を知る機会だった。
ある山間部はうちからそう遠くなく馴染みのある場所だったが、
米の減反や地形などから蕎麦作りに力を入れていると知った。

山間部の地元に暮らし、蕎麦の村として認知されるまでの過程は進行形なんだが、
男の食彩を逆手(さかて)にとって、そこに住む男衆はハレの場に楽しさを維持しようと試みていた。
週末の夜は集会場に集って蕎麦打ち修行をする。
蕎麦打ち段位を掲げ、外部の者への講習会や蕎麦まつりをやり、
まず自分たちが飽きずに蕎麦と付き合って行く道を模索していた。

そうそう、わたしはそこで蕎麦打ち講習を受けたのだった。・・つまりもう、大人かしらん?



□蕎麦あれこれ
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わたしが生まれる前からやっているようなおじさんの店の蕎麦。


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蕎麦打ち修行をして開いた店の蕎麦。


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奥会津の蕎麦。会津高遠蕎麦は、辛み大根おろしにネギをかじりながら蕎麦を食う。
江戸時代初期、長野高遠の城主だった保科正之が会津藩に国替えになり伝わった。


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蕎麦どころ猪苗代の地物粉で打った蕎麦。ありゃ、蕎麦がよく見えない・・


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山形の蕎麦。太い。


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いつも行く店の蕎麦。店主は師匠なのか、いつも別棟で誰かが蕎麦打ち修行をしている。



■女人禁制
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わたしの育った所で百年以上続いているんだろう。
僧侶が大勢で読経する寺の講では、男衆だけが料理をして地元の男だけに振舞った。
いつも女は食べられなかったと母が文句を言うけれど、今では大丈夫。
講の名は太子講といい、毎年聖徳太子の忌日旧暦一月二十一日に行なわれる。

男だけで作る精進料理は、青紫蘇を乾燥させ、揉んで、醤油・砂糖・ごま油で味付けした紫蘇飯。沢庵。
サツマイモの天ぷら。油揚げを甘じょっぱく煮付けたもの。切り昆布の煮物。こんにゃくとニンジンの白和え。
・・じつはわたしはこれが好き、王様はこれが大嫌い。あらら・・ まだ子どもかしらん?
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by noone-sei | 2010-03-16 02:16

48夜 にせちち


十年以上ぶりに会った男ともだちが、
同級生がやっている店に連れて行ってくれて飲んだ。
案内してくれたのはたまに行っていた店なので驚いた。
つまりその日は小さな同窓会、
店主が同級生だとは、それまで互いに気づかなかったというわけ。
「馬鹿でごめんねー。」と詫びたら酒が進んだ。

小さな店にはひとりで飲みに来た年上の女性もいて、
店の女の子に「それ、にせちち?」と聞いたのが妙に可笑しかった。
聞くほうも答えるほうも、大真面目でそれはそれで可笑しかったんだが、
胸を触ればわかるものなのか見ればわかるのか、
わたしはすっかり飲んでいたので、そこが最後までわからなかった。

したたか飲んで、今読んでいる漫画の話をしたのが記憶にある。
今わたしは五十嵐大介の作品を読んでいる。
初めは絵が受け入れ難かったことを ブルーチーズになぞらえよう。
匂いが嫌だが味は好き、だから鼻をつまんで食えるようになる練習をした。
そうまで貪欲に食いたい物か、ブルーチーズ。
いや、ヤギのチーズだってどうしても食いたい物だった。
五十嵐作品って、わたしにとってそういう漫画だ。

官能がなくはないが器官のほうが色濃い。
浮世に暮らしても浮き草じゃない。
にせちちでも、描ききったものは本当になる、そんな感じ。

男ともだちはほどのいい馬鹿な話に花を咲かせてくれ、
五十嵐大介も知ってはおり、漫画の話なぞほんの少しだったが十分楽しんだ。
でも今度また会うときには、作品を数冊、恰幅(かっぷく)のよくなった胸に押し付けてやろう。
わたしの記憶の男ともだちは今より三分の二の骨組みだったはずだ。
・・いや、ひとのことは言えない。



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食えない漫画だけど食いごたえのある作品群の中で、特に食い物にそそられるのは「リトルフォレスト」。
作家は実際に山村に生活しながら日々の暮らしを漫画にするのだが、
最後まで主人公を架空の女性で描ききったことに拍手。
主人公が大きな口で食べるのがあんまり旨そうだったので、
描かれているレシピどおりに作ってみたものもある。

もうひとつ、作ってみたい料理のこと。
スウェーデンの伝統料理『ヤンソンの誘惑(Jansson's temptation)』が、
「女の子の食卓 6」(志村志保子)に載っている。
レシピを載せようと思ったけれど、なにしろ『誘惑』だもの、
ちょっとどきどきしながら検索してみるといい。くすくす
わたしはもうアンチョビを用意した。
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by noone-sei | 2010-03-13 03:30 | 趣味の書庫話(→タグへ)

47夜 「い」のじかん



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いっせーのせ、って言うか?
いっせー、とは一斉のことか?
抜け駆け禁止、牽制(けんせい)にもこれを言う?

うちではつまり、王様とわたしと鰐号が揃ってよーいどん、ってことなんだが。
それは鰐号が準備をする。フォークを数本。ひと皿の菓子。
それはロールケーキだったりホールケーキだったりフルーツゼリーだったり。
そして切り分けない。それは、まるまるひとつ。

食事の前に「今日は甘いものがあるよ」と言っておくと、
いつもなら尻が重くてなんにもやらない鰐号が、
食事が終わると食卓にどんとそれを置く。
すると王様がわたしにフォークを渡してくれる。

「よし」じゃない。
「よーいどん」というわたしの掛け声と、一斉に始まるざっくざっく。
好きなだけ食っていいことになっている。
そう決めたわけじゃないんだが。

このスイーツタイム、誰もが無口かというとそうでもない。
競争かというとそうでもない。
なにが入っているのかと生地やソースを解剖する時間をわたしにくれるかのように、
王様と鰐号はなにやら喋っている。
・・ざっくざっくの手は休めないけれども。



■こちらは、いいことがあったの「い」
いいことはいっぺんにやってくることがある。

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関西からはるばる春の香り「若ごぼう」という野菜がやってきて、
関東からはわたしが聴きたかった音楽がやってきて。

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「お弁当日本一」になった手による料理をこの地で馳走になって。
注文していたパン焼き器がやっと、そしてちょうど届いたので、
試作には九州のおすすめパンを真似た香辛料を配合して。
なんだか津々浦々でつながった気分の二月のある日。
音楽はいつか近いうちに、近頃の「趣味の書庫話」として載せることにするけれど、
パンはなぁ・・。いつかちゃんと膨らんだら、ね。
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by noone-sei | 2010-03-10 02:48