<   2009年 04月 ( 4 )   > この月の画像一覧

11夜 上等なもの高級なもの


母のおでかけにはわたしが運転手なので、
おかかえ運転手には名前があってもいいんじゃないかと閃(ひらめ)いた。
昔観た、今は失き自由劇場の舞台で、面白い役柄があった。
吉田日出子がお嬢様で笹野高史が運転手。
お嬢様が呼んだ名はコバヤシだったかな。
白い帽子に手袋のコバヤシが、小さな埃(ほこり)も見逃さない、職務に誇りを持った、
神経症的な運転手を芸達者に演じていたっけ。
一方わたしは、白い手袋はしているがそれは紫外線よけ、
車には犬も乗せるので、多少どころか犬の毛だらけでも気にしない。
じゃあ、わたしの名はコ抜けのハヤシでどうだろうか。本日はハヤシの日。
日常だけれども延長にせずに切り分けて捉えてみると、
気持ちひとつでなかなか似合いな感じがしてくる。

街では、用を済ませたあとの百貨店めぐりが母の愉しみで、
買い物を終えて家でファッションショーをするのもまた愉しみのひとつだ。
先日の伯父の一周忌には、宝飾品は黒真珠、靴は銀座ヨシノヤ、
季節と相談してコートはバーバリーを羽織って出掛けた。
家で野良着を着て庭仕事をする母と同一人とは思えないほどここ一番には洒落る人なのだが、
ただ、犬との散歩に小一万もする帽子を買ったりするのには首をかしげるけれども。
普段は気に入ったものを買う人で、ブランドの名に特別な感情を持つわけではない。
だから、ずいぶん前に王様が母から貰って使っていた皮のキーケースが古ぼけたので捨てたら、
あとになってそれがセリーヌという名だったと知って、しまったと思った。

ほんとうに上等でいいものに囲まれて暮らしたいと願うのだったら、
似合ってゆき、身の丈に合ってゆく、そんな出会いかたがいいんだろう、きっと。
けれど、生まれたときからあらかじめ当たり前に裕福だとどうなんだろう。
高村光太郎と智恵子は清貧の暮らしぶりだったと言われている。
光太郎は、入院している智恵子によく銀座千疋屋の果物を買っていくのだが、
ブランドへの憧れとか見栄でなく、そういうものに触れて育った育ちからくる感覚だったから、
暮らし向きが苦しくともそれは別だったんだろう。
似合ってはいるが、身の丈には合っていない感じを本人は感じていなかっただろう。

もともと、お遣(つか)え物に千疋屋の果物というのが当たり前の感覚をわたしは知らない。
千疋屋のものだからありがたい、という感覚はなお知らない。
採ったばかりのものを果樹農家が畑の横で売っている美味しさは知っているが、
名の通った専門店の高級なものがどういうものか、よく知らない。
だいたい、わたしの知る限りこの地に果物店なんてあっただろうか。
食べる物に先取りはあまり価値を見ない。
お洒落に関しては、母のような目利きで先取りすることに価値はあるのだろうが。

ところで、母から西太后の称号を外してしばらくになる。
外してよかったと思うときもあれば、外さねばよかったと思うときもあるので日常とは面白い。
今、わが家には早く外してやりたい犬がいる。
エリザベス。 ・・ペロ コ にこの名は全然似合わない。
ペロ コ は不妊手術後、エリザベスカラーという、外傷をなめて悪化させないための
半円錐形状の保護具を付けている。英国エリザベス王朝のレディーではないんだが。

日々不満そうな顔の、ペロ コ の首から名前とカラーが外れるのはあと少し。
また身の丈に合った暮らしが始まる。





  「上海バンスキング」という舞台でよく知られた
  六本木自由劇場のファンサイトはここ


                                   * *


今夜のお写真は珍しい花桃を。
c0002408_17274940.jpg
この地にいくつかある温泉町のひとつが、観光のために山に花桃を植えた。
白い花桃は初めて見る。


c0002408_17275921.jpg
写真奥でわかりずらいんだが、
真紅の花桃は中国種のものだとか。桃というより、木瓜(ぼけ)か紅梅のような色だ。


c0002408_17281021.jpg
観賞用の桃でも、実は生(な)ると思うんだが、何色の桃が実るだろう。


c0002408_17282817.jpg
これはよく知っている花、大根の花。
この山はもともとは野菜畑だったんだろうか、抜き忘れられた大根がこんなに花を付けた。



・・珍しいからいいというものでもないような気がする。
土地を空けておくのももったいないからと花桃を植え、
いつも一年に一度の愉しみをくれる近所の農家が何件もあるが、
その心意気と相(あい)まって観る花桃は身に近く、親しみ深く、わたしの身の丈には合っている。
[PR]
by NOONE-sei | 2009-04-25 17:47

10夜 鳥啼く人泣く


花々が、気が狂ったように咲いたからだろうか。
この春はウグイスの声が美しかった。
近くに啼き方を教えてくれる先住鳥がいないと、
新米鳥はなかなか美しい啼き方を覚えないと聞いたが、
きっとここいらに面倒見がいい鳥がいるんだろう。
鳥の声は音楽なんだろうか信号なんだろうか。

別れの季節、春。
周囲で、ひとりになったり家族が離れたりする話を聞く。
わが家もこの春から、鰐号がアパート暮らしだ。

夜が来ると泣いている友人がいる。
子どもたちが一度に地元を離れたために、急に一軒家に一人になってしまった。
独身の一人のさみしさを知っていても、家族の味わいを知ってからの一人はつらい、と。
わたしも、鰐号がひとり暮らしを始めたその翌朝は気持ちが沈んだ。
なにか音楽を聴こうとコンピレーションアルバムをかけたら、
そのうちに「Your Song」(エルトン・ジョン)が流れて、
気持ちが動き出しそうな旋律が耳に残るので素早く切ってしまった。
琴線を鈍くたわませていなくちゃいけないのに、音楽に直接働きかけられてはたまらない。
直(じか)に向き合わずにほどよく気をそらしてくれる、そして時には弾みをつけてくれる、
その朝はそんな音楽が必要だった。

優しくなる音楽が欲しいと言った知人がいる。
家族が離れてしばらくになり、以来、悲哀のある音楽を聴き続けている。
割合軽やかさもある素朴な女性ボーカルをいくつか選んで進呈した。
喜んでくれて、ではお返しに、と先方からも音楽が送られてきた。
アルゼンチンタンゴ、スパニッシュギター、インディオの歌、等、、
それらは哀愁に満ち満ちて心のひだとやらに沁みるどころではない、
奥の奥の生理を素手で掴んで涙の製造元に働きかけ、
泣いてしまえ獣になって啼いてしまえという旋律で参った。
まるで音楽がそう操作するように気持ちの安定レベルを下げるのにも参るが、
なにが参るって、知人の泣く声が直に脳に伝達されるようで参る。
共に落ちてゆくような音楽もあるのだな。

音楽には、共振し合う愉しみというのがある。
恣意的に音楽に劇的要素を求め、同化しようと試みる聴き方もあろうし、
いつかの懐かしい場面を重ね合わせ、心地よく記憶野が刺激される聴き方もあろうし、
没頭して聴き込んで、己の鏡とする聴き方もあろう。
聴く側の態度というか志向性というか、言ってしまえば嗜好、癖のようなものがある。
志向性という意味では、わたしにとって音楽は背景音で、
いつも音楽を途切れさすことがないかわりに、ほとんど身を入れて聴いてもいない。
なくてはならないものなのだが、耳に留(とど)まって脳に障(さわ)っては困る。

音楽とは恐ろしいものだな。
鳥啼き人の目に涙とはいうけれど、
鳥の声とはちがって、その快(こころよ)さに魂まで開(あ)けてしまおうとは思わない。
だって、そこからなにが出てくるのか想像もつかなくて、恐ろしいじゃないか。



追って: ほんとうは・・
行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 (松尾芭蕉)
    春が過ぎ去るのを 鳥は啼き、魚は目に涙をうるませて惜しんでいるように、
    旅立つ自分のために門弟たちは別れを惜しんでくれている。


                                  * *

今夜のお写真は、まだ盛りだった時の桜のお写真。
c0002408_1245351.jpg
山の中腹にある寺のしだれ桜。


c0002408_125378.jpg
c0002408_1251363.jpg
c0002408_1252317.jpg
桜の花が、写真に撮るのは一等むずかしいと聞く。
接写と望遠を使う撮り方を覚えたので載せてみる。


c0002408_1254741.jpg
c0002408_1255951.jpg
c0002408_126129.jpg
寺の裏庭にて。上から順に、カタクリに雑(ま)じって珍しい白のカタクリ。
カタクリと一輪草。
カタクリとふきのとう。


c0002408_1262599.jpg
寺の境内では、参詣した人々のために休憩の椅子や卓が設けられ、こんなもてなしを受ける。
檀家の婦人会のおばあちゃんたち手製の、自慢の茶受け。初物の葉わさび漬けも馳走になった。
おばあちゃんたちの、揃いの白い割烹着がまぶしい。



c0002408_1264881.jpg
お城山のソメイヨシノを観に山道を登る。


c0002408_127162.jpg
ご褒美は茶店で求めただんごと豚汁。
春の汁物はじゃがいもだから、芋煮ではなく豚汁。





素早く切ったのはこんな曲 僕の歌は君の歌Your Song/Elton John
昨年の暮れにはげまされたのはこんなアルバム Sunshine State/Sunshine State  試聴ができる

本日の犬
[PR]
by NOONE-sei | 2009-04-18 02:13

9夜 すこし前の春


散歩の道々で見かけている野菜のお写真を
ようやっと撮ったと思ったら、あっという間に山々は、花々が開花の伝播。
あんまりいっぺんに咲くものだから、花に酔ってしまう。

桜の好きだった父を思って、
母があっちの桜、こっちの桜と、桜を追うのにいそがしい。
昼はしだれ桜、江戸彼岸、山一帯のソメイヨシノ。
夜は池に火が映る、桜の下のかがり火。

こんなにちいさなこの地だけれど、花には花の伝播する時間差があって、
例年ならこんなにせわしなく追わずとも、もう少し長く楽しめたものだけれど。
今年の「春」は、なにを焦っているんだろう。
いっぺんに咲いたらいっぺんにさみしくなるじゃないか。

誰とも約束していないのに、
この地に遊びに来るなら春の花の数日を逃さずに早く早く、と、
毎年遠くの友達に教えたくなるものだったが、
こんなに早いのでは豪奢な春を観せてやれないじゃないか。



次の夜にはまた花のお写真を載せるから、
王様の千と線を訪れてくださる方々が酔ってしまわぬよう、
今夜は緑と土のお写真を。



c0002408_3144173.jpg
まだ花が開かない、ほんの数日前の桃畑。
おばあちゃんが芽選りの手を休めて一服。


c0002408_3145588.jpg
花がなくて区別がつくだろうか?
リンゴの木は一本の幹から、ごつごつと腕を伸ばしたような姿。
桃の木は地面からはやばやとほっそりした手を広げる。


c0002408_315923.jpg
道々の草。名のある雑草なのだろうに、物の名知らずでちょと悲しい。

追って:
教えていただきました、ありがたい。
左上から時計回りにタネツケバナと天人唐草、ノボロギクとホトケノザ、ヒメオドリコソウ、タネツケバナ。



c0002408_3152163.jpg
田んぼには農機具が入り、土が起こされている。水が入るのはもうじき。向こうに見える白い山は安達太良。
畑にも新しい土が入り、もう急いで種まき。
吾妻山の雪がだいぶ消え、白い雪が融(と)け残り、種まきうさぎの姿が見えたから。


c0002408_3153278.jpg
左上から時計回りに、くきたち菜、かぶれ菜、セリ、からし菜。


c0002408_3154829.jpg
アサツキはひょんとした細い茎、ノビルはひょろんとした細い茎。父はひょろこと呼んでいた。
これはアサツキ。


c0002408_31614.jpg
これはもうトウが立ち始めたからし菜だけれど、
なんてきれいな緑なんだろうといつも思う。上手く手早くさっと茹でると鮮烈な辛み。


・・わかったようなことを書いているけれど、物の名知らずばかりでなく物知らずでもあるので、
間違っていたら教えてください。

ちかごろの犬たち
[PR]
by NOONE-sei | 2009-04-12 03:45

8夜 本日の春


いつも春になると思うことなのだが、
なぜ三月の春はもたもたと寒々した春で、
なぜ四月の春は急に駆け出すのだろう。

四月四日あたりの清明の声を聴いたとたんに、
花々が転がるように咲き始めた。
噴(ふ)き出すような、こぼれるような、気が狂ったような春である。




今夜のお写真は、うちの近くの畑の春を。
c0002408_0572070.jpg
田んぼの真ん中に花桃畑。


c0002408_05858.jpg
花桃と木瓜と連翹と桜。


c0002408_0583122.jpg
花桃と桜。



近くで見るとこんな感じ。
c0002408_0591692.jpg
ソメイヨシノは堂々たる桜の樹木だけれども、
寄り集まって咲くこの花の群も愛らしい。これはなんという名?


c0002408_112626.jpg
これは実のなるほうの桃の花。夏に大きな実をつける。花びらが開ききる直前の花。


c0002408_1124013.jpg
ついこの間まで芽選(すぐ)りに忙しかった果樹農家の年寄りが、今度は花選りに忙しい。
桃の実が成れば実選りをして大きな実にしてゆく。
芽選りをしないで花のついた桃の木は、実ならぬ花がたわわで美しいのだとか。
花にたわわとはおかしな表現だけれども、ほかに言葉がみつけられない。


c0002408_172556.jpg
桃畑の近くには雪柳の白。
ついこの間まで雪が降っていたのだったっけ。


c0002408_1102266.jpg
夕暮れまで芽選りをする年寄りの向こうに、夕焼けの吾妻連峰。



すこし撮り貯めていた野菜のお写真はまた次の夜に。
[PR]
by NOONE-sei | 2009-04-11 01:20