<   2009年 01月 ( 7 )   > この月の画像一覧

数のない夜  死がふたりを別つまで


 ・メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい

前夜に書いた、『病める時も健やかなる時も』にはつづきがある。
・・『死がふたりを別(わか)つまで』

子犬が生後半年になって、先住犬のシワ コ とすこし折りが良くなってきた。
どちらが譲ることを覚えたのか、見て見ぬ振りを覚えたのか、
どちらもだと思いたいところだが、実際のところはシワ コ が力の抜き加減を覚え、
ペロ コ はシワ コ に慣れたんだろう。

相変わらず周囲には無頓着に無邪気なペロ コ に接するのは、ある意味気が楽だ。
シワ コ との十年は、切なかったり気づかったり、濃いものがあり、
傍らに寄り添っていても周囲に気を張り巡らせ野生を失わずに距離を置くシワ コ は、
いつもわたしと神経の糸が繋がっている。
一方ペロ コ は、シワ コ のように気配を読んでわたしの視線や行動を追わないので、
糸がまったく繋がらない。
たとえ乱暴に扱っても誤って踏んづけても、シワ コ に感じる切なさや憐憫を感じない。
わたしが指をさしたらシワ コ はその先にあるものを見るが、ペロ コ は指そのものを見る。
日本語がわからないので、ぼぉっとしている。

シワ コ は、王様に言わせるとわたしと一心同体なので、そばにいるのが当たり前だった。
けれどもペロ コ には、言葉にして言ってみた。
言ったところでわかりはしないんだが。
「一生、一緒にいようね。」
ペロ コ がどれくらい生きるかはわからないが、長く生きてほしいと思う。
わたしにとって、犬を飼うことは日常で、ペロ コ が最初の犬でも最後の犬でもないけれども、
ペロ コ にとってはここで生きるのが全てなのだと、いまさらのように気づいた。

シワ コ は従順でありながら気難しい犬だったから、母はすこし距離を置いて扱っていたが、
ペロ コ のことはかわいくてかわいくて、普通の犬にやっと会えたような気持ちになるらしい。
その天真爛漫さに、気持ちがほぐされるのだろう。
父を失って一年、記憶の中の父に恋をし続ける母に、笑いをもたらしてくれるのは子犬だ。


死がふたりを別つまで

まるでそこで終わりのような文言だけれども、父と母、ことに母にとっては、
病める時も健やかなる時も、死がふたりを別(わか)つまで  ・・ではなく、
病める時には揺れ惑い、やがて死がふたりを別ち、そうして初めて健やかに愛が訪れている、
そんなふうに見える。

本日の犬たち
[PR]
by NOONE-sei | 2009-01-31 03:00 | 数のない夜(23)

数のない夜  病めるときも


 ・メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい

もうじき父の命日。
ちかごろ、わたしの「記念日反応」が朝になるとやってくる。
目が覚めると、そこが病室なのか家なのか、よくわからない。
なぜだか病床の父がいなくなっているような気がして、
看護士詰め所で一睡もせずに働いている父を迎えに行かなくちゃ、と思う。

朝、よく病院から電話がきて起こされた。
父がずっとぴかぴかに起きて、騒いでいるから来てくれという知らせ。
見えないものが見えたり、居ないひとがいたり、
看護士たちは、夜の病院で繰り広げられる長い架空のお話には慣れっこになっているのだが、
父は働きづめだったから迷惑をかけた。
夜中に様子を見に行くと、父の隣の空き寝台で、たたんで重ねた布団の上に日誌を載せて
お座りして書きながら父の相手をしてくれている看護士の後ろ姿を何度も見た。
やがて寝台から朝方転げ落ちるようになってからは、寝ずの番で付き添うようになったから、
もう朝の電話はなくなったのだけれども今頃になって錯覚する。

結婚式で訊かれるだろう?病める時も健やかなる時も、あなたは愛し続けられますか。

母はぴかぴかになった父を「あれはお父さんじゃない」と言った。
だから付き添いたがらなかったし恐がった。
水が引いたように透明な眼差しになって、静かに話ができる時もあったのに、
その静けささえも恐がって避けた母は、もったいないことをしたと思う。
死への恐怖を最後まで口にしなかった父を 王様は「雄雄しい」と今になって振り返る。
医者がいいと思うことを心底受け入れてその先の先にあるものをとやかく言わない、
そういう日々の積み重ねを意識が遠のくまで淡々と繰り返した。

父が死に対して淡々としていたから、律し続けていられたから、母は今になって
「あんなに早く死んでしまうとは思わなかった」と言う。
わたしは何度も「思っているほど長くない、後悔のないように」そう言ったのだけれども。
人間というものは、見ようとしなければ、聞こうとしなければ、目にも耳にも入らないもの。

一年を区切りに人寄せをする準備で、母は毎日、父の笑顔の写真を探している。
古いアルバムからはがした懐かしい写真を毎日わたしに届ける。
それをわたしは内心苦い思いで淡々と受け取る。
母の納得いくだけの数がたまったら、集った人々に見てもらえるような体裁のものにする。

ほんとうは父の写真を見たくない。
記念日反応には慌てず自然なこととして受け入れて、
ちゃんと泣いたり悲しんだり、実感がないことには実感が伴うまでなぞってみたり振り返ったり、
無理に蓋をしないで向き合えと聞く。
そうすると、弔いも回復も為され精神を傷めないのだとか。でもわたしは写真を見たくない。

病める時も愛していられますか。

母は父と連れ添って、おばちゃんにもお婆ちゃんにもならずに女の人のまま歳をとった。
病める時に愛せなかった母は今、写真の中に恋人を見ている。
病んでおらず健やかな笑顔の。



c0002408_4394587.jpg
大工仕事で塗りをせず白木のままにしたい時、
これは「とのこ」といって、木目を最後に綺麗に拭きあげるもの。
[PR]
by NOONE-sei | 2009-01-28 03:05

閑話休題


c0002408_153369.jpg



森であやかしに会ったなら
きっとお話をせがまれる

焚き火を囲んで輪になって
お話を謡って語っているうちに
夜もしらじらと明け始め
あやかしの姿も顔も森とまじりあってあわくなる

そうしたらおいとましなきゃならない
愉しさに礼を述べるかわりに
土産を残してこなきゃならない
さいごにお話をひとつ

そうしてもと来た道を帰るけれど
提灯に焚き火の火をもらって点けちゃいけない
お話がついてきてしまうから
お話は、森で語って森においてくるもの


・・これはでたらめなお話
[PR]
by NOONE-sei | 2009-01-22 01:26 | 閑話休題(22)

100夜 ちいさなひとつ


落ち込んでいるだれかに、
できないという九十九を数えるより、
できるかもしれない一つを挙げてみな。
そう言ったことが、これまで幾度あっただろう。

塞(ふさ)いでいるだれかに、
九十九人のだれかより、
いちばんたいせつな、一人の自分をいたわって。
そう言ったことを数えたら、数え切れない。

自分をたいせつにすることを忘れているひと、
自分一人もたいせつにできないひとが、
だれかひとりを しあわせにしてやれるはずがない。

それは、神様の目線で言うのではなくて、
祈るような気持ちで幾度も幾度も
それぞれのだれかに言ったこと。
・・ときどき、わたしというひとにもね。

ちいさなひとつは、おまじないのようなもの。



c0002408_275422.jpg
今日の、犬にもらったちいさなひとつ。





四百の夜、夜話におつきあいありがとうございました。
また、一つ目の夜にもどって千の森を歩きます。

[PR]
by NOONE-sei | 2009-01-19 02:09

99夜 晴と褻


今夜は四度目の99夜。
99夜はいつも、死のお話をしてきた。

「晴(はれ)と褻(け)」ということばがある。
たとえば、婚儀や出産が晴れなら、日常や忌みごとは褻だというような。
「王様の千と線」は、99夜に死を 100夜に目出度さを 
褻の場が晴の場にくるりと転じて100夜を迎えるような仕掛けで綴ってきた。
いつもわたしの脳の中にあるのは、生ってなに、死ってなに。
その、背中あわせなのにちっともわからないものを 百ものお話のちからを借りて見つめてきた。

さて、なにを語ろう。
この新々々百夜話は、父の死に臨んでずっと死について書いてきたので、99夜に語るお話がない。
語れないから、歌うことにする。


     松の木の 雪や はや消ゆ 軒の褄   (作 未詳)

   
父がこよなく愛するものだから、毎冬の雪払いに難儀した門かぶりの松、
この冬は一度しか雪払いをしていない。
春が近づくと花のようにぼたぼたと降る雪の中、幾度も脚立を出しては雪払いをしたものだったが。
父があんまり愛でるので、「カドマツ」と、ヤクザの三下か舎弟のような名を付けて、
わたしはひそかに疎んじていたけれども、松もさみしそうだ。
難儀したら憎らしくて、雪がないとさみしく見えるなんて、ひとの目などいいかげんなものだ。
悪口も言えなくてはつまらない。もう一度くらい、春の雪が巡ってこないかな。

・・上の俳句は、さして魅力的でもない句だと思うだろう?謎解きをしてあげる。
はじまりからもおしまいからも巡る文、回文。


     まつのきのゆきやはやきゆのきのつま


ほぉら、すこしは春の気配?



c0002408_213582.jpg


c0002408_214933.jpg

もうじき父の命日が巡ってくる。
一周忌に人寄せをして喪服で法要を営むのはもう嫌なので、
ゆかりのある職人さんや、父が世話役をしていた神社の神主や仲間に参集願って会食をすることにした。
儀式よりも、懐かしいお話が聞きたい。お話が生まれる場所を営みたい。
晴でも褻でもなく。


※これまでの99夜は
死の顔 2005,04
死の発見 2006,01 
お迎えが来る 2007,02
[PR]
by NOONE-sei | 2009-01-13 03:18 | 新々々百夜話 父のお話(12)

98夜 赤いかまぼこ


ゆく年くる年。
明けゆく年くる佳き年という意味だろうか。
正月の来ないわが家は言祝(ことほ)ぎを言わない。
言わないままゆく年とくる年のあわい狭間でよろしくを言う。

おせちの準備をしなかったけれど、ひとりで暮れの買い物には行った。
大きな店舗には家族連れの客がごった返しており、
晦日に食べたいご馳走を選んだり、元旦に食べたいおせちの、出来合いの素材を選んだり。
その晩の食卓の賑(にぎ)わいが見えるようだ。

一昨年までは、父が暮れの買い物をしていた。
食料の買い物が好きな父と、それが嫌いな母。
料理をよくする父と、料理が嫌いな母。
母は、父のいいところの影響を受けろよと言いたいくらいに
父の人懐(ひとなつ)こさとは縁遠い。
どうしてこういう組み合わせかなぁと不思議になる。

お神酒徳利(おみきどっくり)とは酒を入れて神前に供える一対の徳利。
転じて 同じような姿をした一対の人や物。
一対とはいい言葉で、父と母は似ていなかったが一対だった。

暮れに、母の冷蔵庫に赤いかまぼこがあって驚いた。
正月の来ないわが家、わたしはにんじんの赤が入らない煮しめを作ったというのに。
聞けば、かまぼこが食べたくなって買ったら、
売り場には正月準備の食料品が並んでいるのでたまたま赤かったという。
そういう、こだわりがないというよりも屈託がないところが母にはあって、笑ってしまう。
父と母がよく行ったラーメン屋になぞ、いないだけで悲しいから行くのが嫌かと思いきや、
存外平気でわたしを誘う。

通夜も斎場も告別式も、涙のなかった人だから周囲は驚いていたけれど、
わたしとふたりになるとこんなことを言う。
「お父さんはわたしがお父さんを好きなくらいにわたしを好きだったかな。
 わたしはこんなにお父さんが大好きなのに。」
それでいて仏壇に花を飾るわけでもなく、墓に足げく通うわけでもない。

赤いかまぼこを買うひとは、今でも父を愛していて、あの世とこの世のあわい狭間にいる。




c0002408_310592.jpg
皇族のお屋敷、お姫さまが使うような鏡台。
[PR]
by NOONE-sei | 2009-01-06 03:11

新年 春の風 


c0002408_272926.jpg




    今年は今年の
    春の風に吹かれて
    はしれ

新年の犬たち
[PR]
by NOONE-sei | 2009-01-01 02:17