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ときおりの休息  七  食の幸


もう一度言おう。
どうしておなかには限りがあるんだろう。

二泊三日の旅に出る前に、数えたものがある。
それは食事の回数。
朝にあんまりしっかりとした食事を摂ると空腹感がなく、昼に影響が出る。
だから、ちゃんと、きちんと、みっちり食を楽しもうと思ったら、昼と夜の二回しかない。
回数が見落とせない要点になる。
友人に、前もって食べることについて伝えた。
有名なところに行きたいとか珍しいものが食べたいのではなく、
地元の人が行くところで食事がしたい、よそゆきでないものが食べたい。

他所(よそ)に行くと、スーパーマーケットに入ってみたい。
地元の人が当たり前と思って食卓に載せるものが、
わたしにとってはそれこそ珍しいものだったりする。
惣菜、鮮魚、練り製品、乾物、インスタント食品等々、
そのような売り場にゆくと、わくわくが最高のわくわくになる。

有名な神社仏閣よりも、家々の屋根が魅力的に見えるのは、
そこに住んでいる人がいるから。
自然の中で朽ちた場所には引き込まれてゆくけれど、
ひとの中で見たいものはひとの暮らしや食だ。

・・いや、やはりわたしは食い意地が張っているだけだな。



■食堂で食べたもの
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まずうどんを食べなければいけない。
でも食べたい気持ちが逸(はや)り、カメラの操作にまだ慣れていないことを忘れていた。
接写モードにするのをすっかり忘れた一枚。


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「やっこ」という食堂にて天丼。海老だっ。


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おなじく「やっこ」のカツカレー。甘みがある。
友人のを味見させてもらったが、わたしは自分の海老をあげなかった。二本あったのにひどいやつ。


■夜のジャンジャン横丁にて
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ここここにある「ぜにや」。
あこがれの串かつ。土手やき。酒は懐かしい剣菱。
食に酔い酒に酔い集った人の縁(えにし)に酔った夜。



■おやつ
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商店街のたこ焼き。美味さに目がくらんで、接写モードを再び忘れる。
名物豚まん。駅で買って帰りのラピートβ内でおやつ。



■朝食
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味わい深い「ボンバーガー」
友人が食べさせようと買っておいてくれた嬉しさに、
ほおばった後になって、お写真を撮らなかったことに気づいた。
惣菜売り場で買った好物だし巻き玉子。




※カテゴリについて
次の「ときおりの休息 八」は、カテゴリが重複するため、「新々々百夜話 本日の塾」に入っています

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by NOONE-sei | 2008-08-30 02:26 | ときおりの休息 壱(14)

数のない夜  でぶの素


でぶの素は酒だ。
よそ様がどうかはしらないが、酒を飲まないと痩せる。
けれど、酒が飲めないのは体調が悪いときで、酒だけでなく食事も摂れない状態になる。
食い意地の張っているわたしは、食事が摂れないと心底がっかりする。

口癖がある。
「どうしておなかには限りがあるんだろう。」
そしてそれを言う時には、決まってぴょんと跳(は)ねる。
「こうすると食べた物が下りてすきまができるんだ。」 ・・そんなわけはない。
けれど、ときには馬鹿食いがしてみたい。

学生の頃、渋谷OS劇場の近くで飲んだ後はガード下の立ち喰い屋に寄った。
手で渡すほうが速かろうに、ベルトコンベアみたいなもので仰々(ぎょうぎょう)しく流れてくるどんぶり。
ハンガーに吊り下げられ、ゆらゆら来るのは天ぷらラーメン。
飲んだ後にラーメンなぞ、今ではもう食える胃を持たないが、当時は馬鹿だった。しかも天ぷらだって。
そして仲間は皆ひょろひょろと痩せていた。
わたしもひょろで、夏の血圧は病気じゃないかと思うほど低かった。

ある時、社会人の先輩の家で飲んでいたはずの、先輩の親友を立ち喰い屋で見かけた。
彼は元自衛隊の戦車の隊長だと聞いたが、寡黙な人だった。
楽しく飲んで人と交わった後の立ち喰い屋は、一人という均衡を保つ中継地だったんだろう。
迷ったが、おちゃらけて手を振って言葉を掛けずに別れた。
言葉は、足りないくらいでちょうどよかったのかもしれない。

ここ数日、酒が飲めなかった。
でも、でぶになってからは何日も寝込むということがなくなった。
家で休んでいたら、塾のちいさいさんたちが電話をくれた。
おしゃまに、
「大丈夫ですかー?おだいじにー。」などと言う。
塾では、中学生が羨ましがるくらい小学生をひいきするので、
大切にされる喜びを知ったちいさいさんたちは、こんなふうに人にお裾分けすることを覚えたんだろう。

足りなくてちょうどの言葉もあれば、掛けても余らない不思議な算数のような言葉もある。




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これは、大阪からの帰路、高速バスの乗り継ぎで降りた駅の立ち喰いうどん。
関東以北は醤油がきつい。関西のうどんのだしは美味かった。



数のない夜はおしまい。次回から再び大阪のお写真に戻ります
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by NOONE-sei | 2008-08-27 01:52 | 数のない夜(23)

数のない夜  盆送り


日が落ちて真っ暗になる前の夕暮れは、あの世とこの世の境界が淡くなる。
そんな時間に、盆の迎え火を焚き始める。
十三日から十五日まで迎え火を焚き、十六日は送り火を焚き、二十日と三十日にも焚く。
三十日のは晦日盆(みそかぼん)というのだとか。

山あいの温泉町は、盆は泊まり客で賑わう。
家々の前の迎え火はすこし幻想的で、浴衣姿に旅館の下駄で散歩に来た客たちが喜ぶ。
子どもたちがその迎え火で花火をしてはしゃぐうちに、川のほうから笛や太鼓が聴こえてくる。

わたしの育ったその町ではどうだったのか知らないが、
昔はほっかむりをして盆踊りを踊ったと聞いた。
春彼岸も秋彼岸も、あの世の者たちはむこうの岸辺までは来るが渡れない。
一年に一度きりの盆に、彼方の岸から此方(こなた)の岸へと渡る。
笛や太鼓に誘われて、この世の皆と一緒に踊ったり、ときには誰かに憑いたり。
ほっかむりで誰が誰やらわからないから。

今年、うちを入れて近隣で三軒に不祝儀があったから、ここいらでは新盆が三軒ある。
けれども古くからの慣わし(ならわし)のない地域なので、右倣え(みぎならえ)することができない。
母方の親戚縁戚に四件も不祝儀があったわが家は、新盆を迎える本家に倣うしかない。
温泉町の本家に教わって、薪を鉈(なた)で細く割って火の準備をした。
近隣で迎え火を焚いたのはうちだけ。
よそは盆棚に飾るほおずきを探しただろうか。
墓や盆棚に、ササギとナスを細かく刻んで生米を混ぜたものを供えただろうか。
ナスやキュウリを牛馬に見立てて一年分の荷物を背負わせて送っただろうか。



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供菓、いろいろ。


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米の団子、味噌、ひょう(青菜)、茶を十二枚の桑の葉で包む。


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来るときには馬に乗って速く、行くときには牛に乗ってゆっくり帰る、だったっけ。


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この牛馬、鰐号が作った。


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夜は灯籠流しへ。幻想的な川辺の祭り。
流し終えると、派手な花火が上がる。
口をあいて、空から降る大輪の菊の花びらのような余韻を飲み込むのだけれど、
あっぱぐちをあけて、まぬけな顔をしながら、泣きそうになっているなんて、おかしなはなし。

お盆のシワ コ は                                    
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by NOONE-sei | 2008-08-20 00:04 | 数のない夜(23)

数のない夜  空の爬行動物


 ・またまた旅の途中。映画を観る予定の人は読まないほうがいい。


黒い服を着ると、しきたりだとか順列だとかに過敏になってゆく。
黒い服のイメージがだんだんに、正統な正装ではなく土着を全うするための制服、
あるいは、ときに戦闘服といったものに変わってきていてこわい。

従姉妹の葬儀の翌々日は伯父の納骨式。
この地の墓は墓石を開けると土があり、文字通り骨は土に還す。
墓で頭蓋骨を見たので映画を観に行った。
ひとりの時間を持たないと、定針儀の針が現実世界に向かって振り切れてしまう。

「スカイ・クロラ」。
押井守の製作現場、特に音響や声への演出をテレビで観たとき、
空のクロレラって、意味がわからなかった。いや、クロラであってクロレラじゃない。
じゃ、クロウ等(ら)だから、戦闘機の乗り手は、カラスか?
駄洒落を言っていると思うだろうが、これはわたしの脳みその真実なのだ。
翻訳機能でThe Sky Crawlers を見たら「空の爬行動物」になった。
空を這うもの?

声や音に敏感なこの映画の中で、ワインの壜をテーブルに置く音がよかった。
静かな室内にかかる川井憲次の音楽も美しい。
マッチの火の消し方がとても懐かしく、
自分もそんなふうに消していたっけと思い出し、
戦闘機のメカニックの女性に「パトレイバー」のメカニックのおやじさんを思い、
耳長犬に「攻殻機動隊」の「イノセンス」を思い、
主人公に深く関わる女性に草薙素子を思った。
そうしているうちにこれまで見た押井作品群が連なってきて、
長編、短編、実写、アニメーション等々、売れたものも絶対に売れないものも、
押井の、狭いところにこだわって入り込んでゆく感覚が流れ込んできた。
厭世観がぷんぷん匂うのに、どこかにユーモアもあったっけ。
そうだ、クレジットを見ていたらひし美ゆり子の名があったような。

大人にならない子どもが大人みたいに煙草を吸い、酒を飲み、
一丁前の恋をして、一丁前以上に人を殺し、妄(ぼう)として曖昧な生を納得している。
少しだけ長く生きると、ひとと関わることを覚え、
ときには生き直すために死に、ふたりあるいはそれ以上の生を生きる。
そんな映画だった。
もう一度生まれてきたいと思う?子どもたちに語らせたこの問いに、
押井は、それもいいかもしれない、と思うようになれたんだろう。
誰もこんな連想はしないかもしれないが、萩尾望都の「A-A'」の読後感に、
すこし似ている。


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お写真は、七月に見た裏磐梯雄国沼の空。
湿原はニッコウキスゲが満開だった。



シワ コ の通院が終了しました
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by NOONE-sei | 2008-08-13 02:45 | 数のない夜(23)

数のない夜  祓え給え


 ・まだ旅の途中に居る。足踏みがもどかしい人は読まないほうがいい。


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嘘のような話だが、仏事つづきで参る。
天の川が曇っていた晩に母の姉が亡くなり、先日は少し年長の従姉妹が亡くなった。
身内筋は、通夜も葬儀もひと七日もみっか七日も四十九日も納骨式もあるので、
告別式でおしまいというわけにいかない。
すべてに出席するのでないにしろ、本家に伺いを立てつつ行動するものだから、
新宅のわが家は不祝儀のたびに頭を悩ます。加えて本家もわが家も今夏が新盆だ。

たしかに悲しい。
シワ コ が咬まれた傷にかさぶたができるようになって、
医者に行くときれいに治るよう、わざわざそれをがりがりと剥がす。
しかし人間のわたしのかさぶたは、不祝儀の度に剥がされたくはない。

今日の葬儀では、故人の御霊(みたま)を浄化する言葉を聴いた。
僧侶が言う。「時には千の風となり、時には鳥となって空高く、云々」・・わるいが陳腐だ。
わたしが世界一嫌いな歌は「四季の歌」だが、「千の風になって」というのは、
どちらを世界一にするか甲乙つけがたいほど、好きではない。

僧侶すべてが俗めいているとは言わないが、
これほど仏事に遭ってもまだ経験が足りないのか、立派な僧侶というものに出会ったことがない。
シワ コ を咬んだ犬の飼い主が、賽銭泥棒を咬んでも咬まれる方が悪いと言った僧侶だったせいで、
今は、なおさら僧侶の説法は勘弁だ。

学生の頃、たびたび巫女のアルバイトをしていた。
坊主の経は宗派によってちがうので何を言っているのかわからない。
けれど、神主の祓詞(はらいことば)には馴染みがあって、ところどころ憶えている。

  掛けまくも畏き(かけまくもかしこき)なんとか
  祓へ給ひ清め給へ(はらへたまひきよめたまへ)かんとか
  恐み恐みも白す(かしこみかしこみもまをす)

ほらね、そしていつも白いばさばさとした紙の束のようなもので祓っておしまい。
ばさばさも、なむなむも、アーメンも、どれにも心寄せようという気にはなれないが、
こうまで嬉しくないことが続いて、お祓いするか、という話がわが家で出ている。
だったら神社だ。だって、すくなくとも神社の空気って、綺麗な気がしないか?



シワ コ の傷は順調に良くなっており、
よく知っている犬たちに協力してもらって徐々に犬に慣らしてゆこうと思っています

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by NOONE-sei | 2008-08-05 03:02 | 数のない夜(23)