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ときおりの休息  弐  人の幸 


初めは商店や路地や看板をお写真に撮っていた。
帰宅して整理してみたら、人の息吹があってこその商店街の生気だと思った。
こんなにいとしく人を載せるのなら、もっときちんとした意識で撮ればよかった。


■商店街にて
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学校帰りの女の子ふたり



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お買い物のおばさん



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商店のおじさんと買い物客



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商店にておばさんふたり



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買い物する母と子





■路地のある界隈にて
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商店のご夫婦



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自転車に乗ったおじさん



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路地を走る子どもたち





■道修町にて
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ビル街を歩くおじさん



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ビル街で見かけた美しいひと





■天満宮にて
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寄席の近くの商店街を歩くおじさん



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商店街のお菓子屋さん
菓子を買いながら「手のお写真を撮ってもいいですか」と頼んだら、
わざわざ手を一旦洗ってだんごを丸めてみせてくれた。
はたらく手はきれいだ。




お顔が写っているかたがた、
もしどこかでこのウェブログを見かけて障りがあったときは言ってください。
すみやかに削除します。
 

   
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by NOONE-sei | 2008-06-30 23:57 | ときおりの休息 壱(14)

ときおりの休息  壱  旅の幸


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旅をしてきた。
気の滅入ることが続いたので、気分を変えておいでと
王様がひとり旅を勧めてくれたのだけれど、
車以外の乗り物に乗って移動するということがとてもこわくて、
電車を選ぶ気になれなかった。

飛行機の離陸が好きだ。
重力を感じると、地面をつかんでいなくていいんだと思える。

大阪は生まれて初めての土地で、
豊かな食と住まいかたと人の生気に満ちていた。
友人は、疲れていない町や通りを選んで案内してくれたのだと思う。

旅では、空の、川の、食の、住まいの、人の、さまざまな「幸(さち)」を見た。
何より、わたしを迎え入れてくれた、
「人からの幸」に感謝する。
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by NOONE-sei | 2008-06-29 02:00 | ときおりの休息 壱(14)

91夜 ちょうちょの花


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触(さわ)ってくれと言わんばかり。
桜貝のような薄い花びら。
いつも綺麗な花だと思うのに、名前を知らない。

「なんという名前なんだろうね。知らないから『ちょうちょの花』って呼んでたんだ。」
王様に聞かれても、ほんとうのことが言えない。

ほんとうのこと。
小さいころに、厠(かわや)の横に咲く花だと聞かされて、
ひそかに呼んでいた名、『べんじょげたの花』。





来週はちょと旅に出ます。
『べんじょげた』ならぬ夏の定番オープン・トウ、ぞうりで行きたかったけれど、
歩く距離が長そうなのでズックにしました。

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by NOONE-sei | 2008-06-21 01:19

90夜 新車に吐くな


車の顔って、にーとかいーとかふーとか、何か言っているような気がしないか?

父が乗っていた車は大きくて運転できないので、泣く泣く手放し
今までのわたしの十年(以上)選手を交代することになった。
車に興味がなく、運転も好きではないので、どれを選んだらいいかわからない。
どれなら乗れるかと、すれちがう車を見ながら走るうちに、
丸っこい車が可愛いんだということに気づいた。女の子だからね。
そして、顔がものを言う。

パグの顔やサルの顔は嫌だし、ワニの口も嫌。骸骨の歯も恐いし鳥のくちばしも嫌。
顔に文句は言うが車の名前はわからない。
ずいぶんおちょぼ口すぎないか、と思った車は、聞いたらアルファロメオだった。
女の子が乗るんだよ、たらたら走るんだもの、ちょっと顔がぬけているくらいでちょうどいい。
新しい車は犬仕様で、犬と公園に行きたい。
車の中が毛だらけになるから、専用の敷物をつけてもらった。

週末、鰐号は幼稚園実習の仲間と打ち上げだった。
正体のないほど飲んで酔いつぶれ、店から王様とわたしに連絡が来た。
救急当番医を二件はしごし、(はしごって言うのか?)
二件目の病院にお泊まりした。(お泊まり保育ぢゃないんだから、もう)
おばかな鰐号は、大声で声掛けすると、いーっとワニみたいな口をする。
ワニの口は嫌い。鰐号の顔も嫌い。

病院に運ぶ際、犬の敷物が大活躍だった。
もしも車で吐くとき、車から病院のストレッチャーに載せるとき、ストレッチャーから病床に移すとき。
ベテランの看護士さんが言うには、朝、とんでもない場所で目覚めたときに、
びっくりして飛び起きて床に落っこちる患者がいるのだとか。
鰐号もぺちぺち看護士さんに顔をたたかれて起きた時、飛び起きたんだという。
憎らしいから、ついでに目覚めて落っこちてみればおばかな目が覚めたかもしれない。



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顔がちょと似ていると思ったら、大きさが全然ちがった。
これはリムジン。教会で花嫁を乗せる。

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車に似ているシワ コ の顔。可愛いでしょ?

見なくてもいいおまけ
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by NOONE-sei | 2008-06-16 02:30

89夜 霧に巻きたかったミスト


   映画を観る予定の人は読まないほうがいい。

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「煙に巻く」という言葉はあっても、霧は、「巻く」のではなく「巻かれる」だったか。
スティーブン・キング原作の映画「ミスト」、
怖がりのわたしには十分ホラーで心臓に悪かったのだが、
本でいうなら読後感が良くない映画のひとつ。

人間関係や、クリーチャーの展示会を愉しむ映画だったのかな。
この世と地続きでありながら、この世と同じ顔のようでいつしか違う世界に持っていかれるような、
「ドリーム・キャッチャー」は三十倍、「サイレントヒル」は五倍、
「ミスト」よりも誠実な映画だったような気がする。
なんとも嫌な感じを残したあざとい最後が、どうしてもずるく感じられてしまうのだ。

生き残りたい親、生き残ってしまった親、生き残る子、生き残らない子、
勇敢かと思った女教師が涙をこぼし続け、強靭かと思った男性が諦めを悟り、
生きるための行動を起こさなかった者達が運良く生き延びる。

狙っているのだろうな、というのがわかるから、
やるせない霧に巻きたかった作り手が作った、
クリーチャーの触手に黙って巻かれてみたけれど。


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・お写真の背景音は、サミー・ディヴィスJr. の
「YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO」(帰ってくれたら嬉しいね)という気分 
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by NOONE-sei | 2008-06-13 02:20

88夜 女たちの白頭巾


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器量の悪いアク コ からもみなさまへ。

「王様の千と線」、平常運転し始めたかと思ったら、ふたたび歩いたり停まったり。
嬉し楽しのコメントを頂きながら、ありがたいのにお返事もせぬままにごめんなさい。どうぞどうぞ、懲りずにおつきあいくださいませ。




                               * *




88夜。
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小ぶりなこの花の名を初めて知った。姫しゃが。おしゃかさまを連想してなにやら抹香くさい。


                      
八八とはなにやら目出度い数。けれども仏事で七七は四十九日のこと。
本家のざらんぽんから、初七日(ひとなのか)、三日七日(みっかなのか)、
五日七日(いつかなのか)、そうしてもうじき四十九日。
わが家と本家の仏事に追われていたら、加えて本家の婿様の実家までざらんぽん。
仏事というものは、三たび続くと誰かが言ったけれどそのとおりになった。
信じているわけではないけれども、今年はこうした年回りなのだろう。

お題に掲げた白頭巾。言葉がふいっと浮かんだのだけれど、ちゃんばらじゃない。
・・本当は白い手ぬぐいにまつわるおはなし。

本家の婿様の実家の葬儀は、昔のならわしがあちこちに垣間見える不思議なものだった。
本家の葬儀も、妻が夫の葬儀で御詠歌をうたうという、たいそう不思議なものだったけれども。
初めて聴いた女たちの御詠歌は、しみじみと哀しかった。
仏への長い道のりをゆこうとする死者とそれを見送る生者に、世は常ならずとうたう。
御詠歌というのだから、節があって「うたう」のだけれども、それが「歌う」なのか「詠う」なのか、
わたしにはよくわからない。
僧侶は仏に仕え、その妻が檀家の女たちに御詠歌を教えているということは、初めて知った。
先祖を祀る家の嫁たちが、各家々の葬儀に備えて稽古していることも不思議な気がする。

さて、婿様の母御の葬儀告別式は、生仏(なまぼとけ)様だった。
関東では当たり前のことでも、この地ではめずらしい。
朝のうちに焼き場で骨にしてもらってから告別式が執(と)り行われるのがこちらでは一般的だ。
その地その地で風習はちがい、おそらく因習にもちがいがあるんだろう。
焼き場に向かう人々が、皆白い布を持っている。
女はそれを頭にぱさりと掛け、男はよだれかけのように後ろで結び、襟元に垂らす。
これに驚いたら、本家のばっぱちゃんも墓に行くときにはそうしたと聞いた。
わたしが育った山あいでも、女たちは白頭巾だったのか。

この地から遠い北の葬儀でも白い布を使うという。
その北の地では、女は頭に白布を掛け、男は額に三角の白い布をつけ、
棺(ひつぎ)を住まいから運び出す時には故人の衣服を皆が足で踏んづけるんだという。
生者も死者も世は常ならずとうたうことには憂いがあるが、
死者をこの世から断ち切る引導の渡し方には否応(いやおう)のなさがある。



抹香くさいついでに、今夜は87夜のつづきのお写真。仏くさい風景。
五月に母を連れて登った山の名は、霊山(りょうぜん)。
低い山なのに変化に富んでおり、難所もあり美しい花も草もあり、飽きるということがない。


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屏風岩と呼ばれる岩肌が連なる。


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岩場には鎖がある。遠くを観るとこんな景色。


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赤茶けたこんな道を歩く。


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こんな花が咲いていた。


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五月には山桜の花びらが枯れ葉の上に。


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こんな立て札が。
これもなにやら抹香くさいと思わないか?仏の道の道標とはこうしたものだろうか。

                                            
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by NOONE-sei | 2008-06-07 18:06