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87夜 玉子焼き


ひとのお母さんがうらやましいと思う時。
それはひとの弁当の玉子焼きを一切れ分けてもらった時。
あんまりわたしが一切れの玉子焼きを悦(よろこ)ぶものだから、それならばと、
わたしのために、おかず入れにみっちりと玉子焼きを持たせてくれたお母さんもいた。

わたしが育った山あいは温泉町なので、旅館がたくさんある。
風呂をもらいに行くころ、旅館では板前が翌日の朝食に出す玉子焼きを焼いていたりする。
熊かひげ親父のような板前は無口で、めったに口をきかない。
その板前の横で、わたしはよく、玉子を焼く手をじっと見ていた。

長い菜箸(さいばし)と、四角い銅色のフライパン。
玉子を入れてぷつぷつと泡が立ったら菜箸で泡をつぶし、
火が通ったら集めて寄せたりひっくり返したり。
そんなふうに手品のように黙々と厚焼き玉子を仕上げると、また次の玉子焼きを焼く。
ずっとへばりついて手を見ているので、あるとき板前はわたしに焼き方を教えてくれたのだが、
めずらしく口をきいたことのほうに気をとられて、肝心の焼き方はさっぱり覚えなかった。

今でも、きちんと板前が料理を作ってくれる料理屋に行くと、必ず玉子焼きを注文する。
それがだし巻き玉子だったりすると、心が躍るほど嬉しい。
大根おろしや醤油はなくてもいい。
揚げ物を注文すると、たっぷりとポテトサラダが添えられて来る大衆料理屋があって、
その店のだし巻き玉子は美味かった。
主(あるじ)は歳をとって店をたたんでしまったが、そのだし巻き玉子にはもう一度会いたい。

旅館の板前も、わたしが大きくなった頃にはどこかに流れて行ってしまったが、
今になってみると、味見をさせてもらった記憶がない。
もう一度あの板前の手に会って、そして一切れ、あの時の玉子焼きを食べたい。


                      * * *

                         
今夜のお写真は、雨上がりに玉子焼きの下手な母を連れて登った山の植物。
景色はまた次の夜に。


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色補正なし。   ・・・(1)



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下は今までのカメラで。
同じ種類の植物を撮ったのだけれど、微妙に色あいに違いがあるように思う。   ・・・(2)



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この名はわたしにもわかる。山吹。

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この名もわかる。山のつつじ、、、だと思う。

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今までのカメラで。色補正あり。   ・・・(3)


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あけびの葉。
新芽の蔓(つる)をたくさん摘んで、さっと湯がき、玉子の黄身に醤油をたらし和えて食する。



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下は今までのカメラ。   ・・・(4)



花の名知らずなので、花や葉の名を聞かないでくれ。
ただただ雨上がりの植物のつややかさが綺麗だったのだ。


・追って
ありがたいものだな。花の名を教わることができた。
(1) 稚児百合
(2) 一人静
(3) タチツボスミレ
(4) 山菜の、ミズ
教えてくれた方々に、ありがたう。

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by NOONE-sei | 2008-05-31 03:22

86夜 色っぽい


過日は夏日で、半袖のシャツで過ごした。
とはいえ、部屋にはまだこたつがある。
外気は暑く、家の中はひんやりしている。

袖口の色っぽいひとを見ると、ひそかにきゅんとなる。
それは女性にも男性にもいて、線というか、輪郭というか、そこからかもし出される空気が、色っぽい。
すくなくともぽちゃぽちゃしたわたしの袖口では無理だ。

父に瓜二つどころか瓜三つと言われるほど似ていたのはいつのことだったか、はるかかなた。
ぽちゃぽちゃして、父にも母にも別段似てはいなくなったのに、
父の看病で痩せたので、葬式に遺影と見比べながら「お父さんにそっくりだ。」と皆に言われた。

またぽちゃぽちゃになったのは、酒の量のせい。
飲むとすぐにぽちゃぽちゃになる。
花の蕾のように、音を立ててぽんとはじけるわけではないんだが。

まだだろうと油断していたら、長いものが車に轢かれてのたばっているところにでくわした。
いつも訪問するウェブログに脱皮した抜け殻が載せてあって、
叶うことなら時間を逆回転させて、見なかったことにしたかった。
予感がよぎる脳を鈍くしてやりすごしたのに、現実のほうが唐突にやってきた。

それは長くて大きくて色味があった。
・・音、、、したかもしれない。 ぞくっ。


                           * * *

今夜は85夜のつづきのお写真を。
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木の根元はあたたかみがあるんだろうか。木に体温があるんだろうか。
生えた根元の雪が丸く消えている。


木のさまざまな表情を。
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風が強い山で、木というか樹というか、これらはダンスを観せてくれる。



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露天風呂にゆく路(みち)。

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湯けむりという言葉があるが、これは噴煙。有毒なガス。



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道端でみつけたふきのとう。
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by NOONE-sei | 2008-05-25 02:50

85夜 カメラ


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五月の連休に名残りの雪を見た。
ここは、安達太良の登山口にある山の宿界隈。
鬼面山(きめんざん)という山もすぐ近く。


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宿で風呂をもらった。
子どもの目がこっちを見ている。
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by NOONE-sei | 2008-05-23 02:42

84夜 きれいな手


目は口ほどにものを云い、というけれど、手もいろいろなことを語ってくれる。
男性で指の細くて長い人はすこし苦手だ。
喋りすぎる手は、酒などの水ものを作るのが似合うようで、すこしこわい。
一方、白くて指が短くて、ふくふくしている手は飽きない。
そういう手は、料理を作るのが似合う。

和菓子の講座に行った。
以前から、菓子には物語があると言う菓子職人だということを知っていたので楽しみだった。
その職人の店には、白髪で白い割烹着を着たかわいらしいおばあちゃんがいて、
代金を渡そうとすると、両の手を重ねてきちんと受け取ってくれる。
季節の菓子のいわれやそれにまつわる古(いにしえ)の物語が書かれたものが置いてあって、
それを読むのも愉しみだった。

講座は学校の調理実習室。
学生に戻ったような気分で、夏の和菓子を作った。

今夜のお写真は、職人さんの手。
トリミングしてあるので大きさがまちまちなのは、勘弁。


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湧く水(わくみず)という、ずんだ(枝豆の餡)と寒天でかためた菓子。
とよ型という長方形の枠に流し入れる。ここでちょっと教わった科学を。
寒天の凝固点はおおよそ30度、ゼラチンは10度以下。つまり、寒天は常温で固まる。


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葛焼き(くずやき)という、四月から八月のお茶会に供される菓子。
葛を練って蒸し、切り分けて片栗粉をまぶして焼き、焦げ目をつける。

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ここでもちょっと科学を。
焦げ目がつき始めるのは、160度から。


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室温で固まった湧く水を ものさしで測り長い包丁で切り分ける。
もう、手が覚えていて「ものさし」でなく「目さし」が利くのに、やっぱり測る。


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焼きあがった葛焼き。


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笹の葉にくるんであるのは道明寺というもち米で作った笹衣(ささごろも)。



ところで受講した学校は西洋の神様がいるところ。
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実習中に、気をもんで作っていたら、「お菓子の神様は、急ぐとちゃんとわかるから、
気をもまずにゆっくりやってください。」と教わった。
お菓子の神様はきっと日本の神様なのだろう?
けれども、きれいな手でわたしが受けた至福には、
日本も西洋も、たいして変わりがなかったかもしれない。
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by NOONE-sei | 2008-05-19 03:07

83夜 春までの書庫


秋から冬、冬から春、今では山は新緑で、先日登った山では
ウグイスが美しく鳴き交わしていた。
今朝はカッコウの声を聴き、夕方には田んぼでカエルが合唱をしていた。

憂いの中にあるような、けだるい気分で日々を過ごしていたら、
撮りっぱなしのお写真の整理が進まないまま増えてしまった。
カメラが替わったので手に馴染ませるようにちょこちょこと撮り始めたら、
あっという間にたくさん撮っていて驚いた。
映画も観たし、音楽も毎日部屋に流しているし、漫画も読んだ。
お写真だけがまだ勘がつかめないのか鈍いのか、かちっと決められない。
それらは、ゆるゆるとまた今度の夜に。

今夜は読んだ漫画を。
このところのわたしの選書は、開拓者のようだ。
これまで縁の無かったようなものをことさら選んでいる感がある。
夢中になって読むと、その日いちにち、頭の中の半分が別の世界に引っ張られている。

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これらの三分の一は、古本屋に処分する。
娯楽を傍(かたわ)らに置かずにいられないのに、
いつのころからか、コレクションの趣味が希薄になった。
脳に記憶しておく自信のないものだけを とり置くようにしている。

娯楽といえば、初めて買ったものというのは記憶に刻まれる。
自分のこずかいで、初めて買ったクラッシックはなんだっただろう。  ・・「ボレロ」だ。
ジャズは、なかなか思い出せない。  ・・「ポートレイト・イン・ジャズ」だった。
どちらも、好きだとか詳しいとかではなく、ジャケットで引いたように思う。
これが当たりなのかはずれなのかは、よくわからないけれども。

このあいだ古本屋に手塚治虫の文庫をたくさん持って行った。
ほとんど好きではなかった。
手元に「W3」と「どろろ」だけを残そうと思ったら、鰐号に
「ノーマン」と「マグマ大使」も残すように言われた。
ふうん、 ・・鰐号、手塚漫画も読んでいたとは。


当時、鰐号は
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by NOONE-sei | 2008-05-17 02:09 | 趣味の書庫話(→タグへ)

82夜 鰐号の桃太郎


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むかしむかし、あるところにじじとばばが住んでいました。
ばばが襖をそっと開けると、鰐号がエプロンをしてお裁縫をしていました。
フェルトをハサミで切り抜いて、大きな縫い目でちくちくと針仕事。

 「これはなんだ?」
と聞かれるままに、フェルトの形から連想するものを ばばは答えました。
 「鳥・さる・ピーマン。」

へんな顔をして鰐号は再び針仕事。
じじとばばは、あとになって、鰐号が桃太郎のおはなしを作っていたことを知りましたとさ。



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四月の半ばは、こんなに桃畑が広がっていました。


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これはきびだんごを作っているのではありません。
大切な友人が送ってくれたたけのこに合うよう、
いただいた山椒の葉をすり鉢で擂(す)って、山椒味噌を作っているところ。


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これは、サル。(嘘です。)
シワ コ は年をとるにつれて、顔が白くなってきました。
その、色の抜け方がまるで京劇のサルです。

「鳥・さる・ピーマン。」
桃太郎のお供をするのはニホンザルとキジとシワ コ ?
ピーマンに見えたものはどうやらシワ コ でした。
たしかに犬が桃太郎のお供をするのだけれど、むかしむかしのおはなしでしょう?
桃太郎にはやっぱり和犬ではないか?
鰐号、 ・・シワ コ は洋犬なんだけど。


   鰐号は幼稚園で実習があるのだとか、エプロンシアターという課題に向けて制作中でした。
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by NOONE-sei | 2008-05-14 01:59

81夜 野菜の花


四月の花がめくるめく華やかな移ろいだった頃、
畑の花も移ろいを見せていた。

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林檎の白い花の花選(すぐ)り。選っただけでは実がつかない。
花に受粉させながら、養蜂家が北へ北へと旅をする。
ミツバチを数日間、林檎畑に放しては、花に受粉をさせてまた箱にしまう。
わたしが聞いた畑では、三日間ミツバチを貸してもらっていたのだとか。
箱に戻りそこねたミツバチは、この地の野生に戻るのだろうか。


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これはルッコラの花。大根の花にすこし似ている。


菜の花三種。
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上から茎たち菜、ほうれん草、白菜。
でも、春の菜は種類が多くて、とても見分けがつかない。
たとえば茎たち菜と言っているのだけれど、これは本当の名なんだろうか。


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夕暮れの菜の花畑。春なのになんだかさみしい。


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庭の畑で収穫したもの。
香草(シャンツァイ)、ほうれん草、みつば、行者にんにく、茎たち菜。
冬から春にかけての野菜達、もうほとんどの根を掘りあげてしまったので、今、畑はからっぽ。


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父のためにいただいた花がこれでおしまい。庭の花や野菜を加えて花かごにしてみた。

父の畑はからっぽ。
今はまだ、収穫しておいた名残りの野菜や根菜があるのだけれど、
来年は買って食べるようになるのだろうなぁ。
そういえば、このあいだ、「タラの芽」や「こしあぶら」などの山菜を 買ってきて食べた。
買わなければ口に入らない、それは当たり前のことなのだけれど、初めてのことだった。
父は鰐号に、山菜やきのこの採れる場所を教えてゆけなかったらしい。残念。
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by NOONE-sei | 2008-05-13 15:56

80夜 三世代三様 


王様とわたしはじじとばばになった。
卒塾生が赤ん坊を見せに来てくれた。
まるまるとして、まるで昔ながらの餅のような赤ん坊だった。
「塾の孫だー。」
かわりばんこに抱く王様とわたしは、
あきれた、ただの、目のくらんだ、、、、冠(かんむり)の詞をたっぷり載せたじじとばば。

その子には、ちいさいさんのときから母性ともとれるようなものが備わっていたので、
早く母になるかもしれないという予感があった。
けれども、若すぎるし、なにより夫もまだ若いので、じつは案じてもいた。
「職はどうした?籍は入った?」

短いスカートに細い細い眉の、いまどきのその新米ママは、
まだ首の据わらない赤ん坊をこともなげに抱き上げる。
まるで『生かしてゆくんだ』という根源が備わっているかのように。

ところで、塾にはさまざまな少女たちが通(かよ)ってくる。
全員が長女だけ、というクラスがあって、これがちょっと怖い。
子が母を 母が子を 近親憎悪する日常が、ときにひょいと顔を出す。
「生かす」ことに急(せ)かされ、ときに几帳面さにつぶされそうな母が、
子を自分の子としてでなく、天からの預かり物として扱う困惑を見る。
子は天からの授かり物ではあろうが、いつから預かり物になっただろうか。

絵を描いていた頃、好んでつけた題が、『Keep In Touch』 だった。
本来の訳は知らないが、「ほどのいいつきあいかた」というのがわたしの解釈だった。
ほどのよさとはむずかしい。
現実の世界でそれを実現するには、よほどのパワーが要る。

少女というものに限ったことではないが、
自分を好きでない者は、人を好きになりにくかったりする。
前述の長女の少女たちは、自分だけが好きで、まだ人を好きでない。
「人」を好きになっていない者は、「ひと」を好きになる手前に居る。
人間未満の者たちを生かしてゆくには、ほどのいい揺さぶりも要る。

少女たちと、これから数年間のおつきあいをする。
彼らはその間、幾度人間への脱皮をするだろう。
ときに醜く、ときに苦しく、ときに切なく。
それを見つめるわたしたちは、「生かす」ことに手を貸してゆくんだ。
赤ん坊ではない彼らには、まだ冠をつけたじじばばではいられない。



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餅のような赤ん坊。それにしても頭の大きいこと。





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ポットに入った花の苗を地面に移すときにはね、
土を掘るでしょ、そこにじょうろでたっぷり水を注いでね、それから植えると
根っこがよく水を吸い上げて土と馴染むんだよ。
・・なんて、今では知ったかぶりをするわたしも、庭仕事の上手な人にこれを教わったときには
この子みたいな目をしていたんだろうな。
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by NOONE-sei | 2008-05-12 01:45 | 新々々百夜話 本日の塾(4)