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75夜 とむらいのふるまい


メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい

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自分で自分を天然だと感じてがっかりすることがよくあるのだが、
近頃、わたしは自分がほとほと鈍いのだとわかった。

白い菊にも、大輪から小菊まで、さまざまな種類がある。
あしらいにする花は、小手毬(こでまり)やかすみ草、
ポイントにする花は、カサブランカや鉄砲ゆりやストック、
白の花々を手入れしてずいぶん日が経ったような気がする。
そして、手のひらや指先が近頃かさかさすると思ったら、
花の手入れのせいだったのではないかとようやく気づいた。

奇数の七日毎(ごと)に集まって偲びましょうと、
初七日、三日七日、五日七日に親戚が来てくれた。
白ぶかしや、きのこのおこわ、いかにんじん、切り昆布の煮物、白菜漬け、大根の甘酢漬け、
などなど、本家も分家も、銘々が料理を持ち寄り思い出話をしながら食事をする。
わたしも根菜の煮物やちくわの天ぷら、きのこと豆腐のすまし汁などを用意した。

そのとき夢の話が話題にのぼった。
父は、四十九日までには近しいひとの夢に出るのだそうで、
亡くなった朝に父が夢枕に立ってくれたという親戚もいれば、
ふた七日に父が笑顔で車に寄ってきてくれたという親戚もいた。
ところが、わが家では誰一人夢に出たという者がいない。
母はまだ夢で会いたくないと言い、王様は楽しみにしていると言い、
鰐号は心待ちにしているのだと言う。
わたしは、会いたいような困ったような、でも会いたいような。

人寄せが続いて疲れが出たのか、ここ数日頭が痛かった。
今朝はすこしゆっくり起きたのだが、夢と現(うつつ)の境い目のような起きしな、
父の後ろ姿を見かけたので驚いて近寄った。
真っ直ぐの緩い坂道を前を向いて歩いている父は、えんじ色のスーツを着ていた。
前にまわって顔を見たけれど、目は合わなかった。

鈍い。
声をかければよかったと思ったのは目が覚めてから。
近頃になって、ようやく悲しいのだと気づいたのも、やっぱり鈍いから。
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by NOONE-sei | 2008-03-15 03:10

74夜 おとなになったね


弔事があると、悲しむ暇(いとま)を与えないためなのか、
さまざまな手続きに追われる。

うちは田舎なので普段なら出先の支所へゆくのだが、
その日は幾つか町なかの役所を巡らねばならなかったから、
いつもはあまり馴染みのない市役所へ行った。

本人確認があるので、母を伴なって行くと、
「こういうことは全部、役所が来てやってくれるものだと思ってた。」
西太后は下々(しもじも)のことに疎い。
さりとてわたしが聡(さと)いわけでもなく、
西太后ほどの上々(かみがみ)とはいわないが、中々(なかなか)くらいだろうか。
わたしのイメージの造語なので、ほんとうはこんな言葉は無いと思うが。

わからないということは本当に悲しいもので、
自分が何をどうわからないのかが、わからない。
わからないことについて、説明することもできない。
貧しい脳みそを総動員して窓口で説明するのだが、おぼつかないことこの上ない。
赤くなったり青くなったりしながら目も泳いでいたかもしれない。

ふとゆらゆら定まらなかった視線が、ひとりの女性に留まった。
  「×△○っ!!」
思わず役所のロビーで呼び捨てした職員は、卒塾生だった。
もう成人している彼女の代の塾生たちとは、昨夏も飲んだ。
十代の頃の、揺れていた彼女たちの姿も知っている。
しかしこんな所で天の助けになって現われるとは思いもよらなかった。
初めて彼女から教わる立場になったけれど、わかりやすく教えてくれる。
ということは、わからない者が何をわからないかが類推できるということ、 ・・偉い。

夜になって、彼女から電話を貰った。
今、役所を出たのでお線香をつけに行ってもいいか、とのこと。
同じ年頃のころのわたしに、そんな気遣いができただろうか。
ちゃんと社会人をやって、情もあって、上々(じょうじょう)のおとなぶり。

昼は父の祭壇の花々の手入れをしながらぽつぽつ訪れる客人の応対をし、
役所に通い、初七日や三日七日(みっかなのか)には親戚が集うので「ふるまい」をし、
夜になるとすこしさみしい、そんな日々を過ごしていた。
その晩は彼女にお礼がしたくて外での食事に誘った。

食事? ・・いや、飲みすぎなかったけど。
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by NOONE-sei | 2008-03-05 01:56 | その五の百夜話 本日の塾(3)