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60夜 すきまのじかん


父の検査が一段落し、ちょびひげの医者からこれからのことを聞いたら、
気が抜けたのか目覚まし時計をかけわすれ、寝坊した。王様も鰐号も遅刻、すまないことをした。
いつもなら起こさなかったわたしになにか言う鰐号はなにも言わず、
王様は、日頃からわたしをあてにしていないはずなのに起きられなかったと、
首をかしげながら出かけた。

父は本格的な治療に入る前に少し退院させてもらえるというので、
今日は母もわたしも休みをもらった。
返しそびれていた図書館の本、いつか行ってみようと思っていたお店でひとりでランチ、
役所、病院で自分の健康診断の申し込み、そしてついでに点滴。
あとまわしにしていたことをいっぺんにやろうと思ったら、
病院の予約時間に間に合わなくなりそうだったので午後に変更してもらったんだが、
そのやりとりでふと思った。
ありのままの自分ってよくいうけれど、それはなんだろう?

以前なら、変更を希望するときに、誤解をされたくない一心で病院にあれこれ説明をしただろうな。
だめなやつと誤解されたら困る、けれども、身の丈以上にきちんと思われても先が窮屈になる。
それではなんと思われたいのだ?
・・等身大。・・それ以上でも以下でもなく。・・ほんとに?
ちがうな。
等身大とありのままって、似ているようで立って見ている場所も見ているひとにもちがいがある。
等身大は、見られたい自分、ありのままは、見られるがまま。
今日のわたしは、どう見られてもよかった。約束を守り、迷惑をかけないですんだから。
ちかごろ、いろんなところで失敗つづきだったから。

今日は、しめくくりに美容院に行った。
点滴は即効性があるとはいえ、そうすぐに効くものではない。けれども、行きたかった。
こんなおやすみの日にこそ、美容院に行くのは大切なことに思えた。
出来上がった頭は、おかっぱ。
泳ぎが達者でも時には失敗することを河童の川流れというのだったっけ?
かっぱはかっぱでも、おかっぱは初めから泳ぎは達者じゃない。
だから目覚まし時計を今夜はちゃんとかけて、すきまのじかんに起きるよ。



借りていたのはこんな本
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太陽と月の間で右往左往して悲しかった「すきまのじかん」が、
夜明けにちょこっと顔を見せる「よあけのお姫様」に、
アオサギに姿を変えて会いに行くお話。
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by NOONE-sei | 2007-10-31 02:45 | 趣味の書庫話(→タグへ)

59夜 文章の記憶


「銀の匙」(中勘助)を教えてくれたのは、中学の時の教育実習生だった。
中学の教諭はみな老練で、今思えばさほど年寄りでもなかったはずなのだが、
まだ小学生のしっぽをつけているわたしの幼い目には、
自信に満ちた立派な大人たちが、立派すぎて近寄り難(がた)かった。
実習生はまだ大学生のおにいさんおねえさんで、
ともに六週間の日々を過ごすと親しみがつのり、別れ難かった。

その実習生は、実習を終えると、勉強のできないわたしの家庭教師になった。
彼女は農家の納屋の二階に住んでいて、納屋の木の階段を上り、
隠し扉のような天井の一部分を押し上げると広い一部屋に台所があった。
そこでわたしは天気図を書く楽しさを教わり、歌を教わり、食の愉しみを教わり、
ときには思想めいた話を聴いた。

あるとき、初めて書いたちいさなお話を読んでもらったときに、
「セイちゃんのこのお話は、中原中也の詩のようだね。」と言われた。
勉強どころか物知らずのわたしは、中原中也を知らなかった。
そして、知ったことを深くなお知るという喜びも知らなかった。
そんな、教える手ごたえも張り合いもないわたしに、
綺麗な日本語だからと、彼女は「銀の匙」を教えてくれた。

目の粗い、笊(ざる)のようなわたしの感応の受け皿に、
一つ残っているのはさらさらと陽の射した、宝石のような小石。




                  一つのメルヘン
                                 中原中也

       秋の夜は、はるかの彼方に、
       小石ばかりの、河原があつて、
       それに陽は、さらさらと
       さらさらと射してゐるのでありました。

       陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
       非常な個体の粉末のやうで、
       さればこそ、さらさらと
       かすかな音を立ててもゐるのでした。

       さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
       淡い、それでゐてくつきりとした
       影を落としてゐるのでした。
  
       やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
       今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
       さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました・・・

中勘助そのほか
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by NOONE-sei | 2007-10-29 02:37 | 趣味の書庫話(→タグへ)

58夜 音楽の記憶 

  
映像に音楽を乗せると、いい気分で物語を観たはずなのに音楽の記憶がない。
今までなにを観て聴いていたんだというくらい、もったいないことをしてきた。
いい音楽は、観終わった後に憶えていないというけれど。

クラシックの音楽会などにゆくと、聴いているうちに考え事を始めることはないか?
眠くなるのじゃなくて、脳の中からなにかが開放されるようにしてほとばしり出るような。
ステージを観ているのに、網膜には別の映像が映る。
ただ、それはどの音楽会やどの演目でもそうだとは限らなくて、
振り返るといい演奏やいい曲だった時にそんなおかしな幽体離脱が起きる。

まれに、映画を観ていても銀幕の向こうにちがう映像を観ることもある。
そんな時は、映画ももちろん音楽も憶えていない。
けれども、ちっとも不快な気分じゃない。
ただ、音楽のかけらが脳のどこかに残っていてくれたらと残念に思う。

脳に記憶保存装置があればいいのに。
無意識の領域で保存して、意識で取り出すことができたら、わたしだけの音楽の索引を作るのに。
いや、脳にはすでにその機能は組み込まれているんだが。
ただ、開放するきっかけを意識に埋め込めないんだな。

感覚器官が外界から受け取った情報はすべて脳で処理されるんだとか。
中学生の理科で、すでにこうしたヒトの体のしくみは学習するんだが、
理科的な視点でなく、もっとこう、曖昧模糊(あいまいもこ)としたところで
脳が感じる音楽や記憶のあれこれを語ろうとするともどかしいことだ。

理科的な「ヒト」ではなく社会科的な「人」でもなく、国語的な「ひと」という語彙で語ったら、
「感覚」も、もっと「もやもやもこもことした感じ」になれるだろうか。



感覚器とは

ところで、よく訪問するウェブログでこんなものを教えてもらった。
サントリーローヤルCM(ランボオ編)
サントリーローヤルCM(ガウディ編)
タイトルを目にしたとたんに音楽が頭の中に響き、
次に、ほとばしるように、フェリーニの映画の断片が映像になって現われて驚いた。
サーカス、手を繋ぎ輪になって歩く者たち、わたしの脳の中は紙ふぶきのようだった。

追って
詳しくはこれこれ (PCが不得手でうまくいかなかったけど、こんどはリンクできてるかな?)
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by NOONE-sei | 2007-10-24 02:25

57夜 料理と映画と音楽


レンタルショップにゆくと、SFとかサスペンスとか映画の棚に立ってしまうのだけれど、
夏の終わりに覚えた楽しいこと。映画のサウンドトラックを聴くこと。
「レミーのおいしいレストラン」の予告を観て、フランスの音楽もいいな、と思った。
でも、ねずみが料理するのはどうしても嫌で、映画は未見のままCDを借りた。
ついでに、人間が料理する映画もいいかな、と、DVDを借りて数本観た。
「バベットの晩餐会」(1987年 デンマーク)は、すっかり忘れてしまったのでそれでもよかったんだが、
知らない映画を観るのも楽しい。

観た中で純粋に料理が楽しかったのは、「リストランテの夜」(1996年 米)。
物語はともあれ、登場人物が本物の料理人にしか見えない。
いや、そんなはずはないのだ。
物語の最後にプレーンオムレツを作るのは、ハリウッド版「シャル・ウィ・ダンス」で竹中直人の役を
最近では「ラッキーナンバー7」で刑事の役を演じた、達者な俳優なのだから。

ドイツのフランス料理に興味が湧いたのは、「マーサの幸せレシピ」(2001年 独)。
主人公は人に作って食べさせるが、自分は食べることをしない。
独り身で硬くて、心理カウンセリングを受けながら、厳しい食の世界で料理長をしている。
原題はずっと素っ気なくて、「Mostly Martha(原題:Bella Martha)」。
邦題から想起するものとちがい、甘ったるい映画ではなかった。
最近ハリウッドでリメイクされたが、オリジナルを壊してはいないと聞いた。
角(かど)を取って、まろやかな味に仕上げてあるとも聞くので、ラヴストーリーは遠慮しておくかな。

ところで、予備知識なしの気分で引いて当たりだったらドイツ映画だったということがある。
「バンディッツ」(1997年 独)もそのひとつで、こっちは料理の映画じゃなくて音楽映画。
囚人四人の女の子バンドの物語。
かっこええよ、姐さんたち、と声を掛けたくなるようないい歌いっぷりだった。

サウンドトラックを流しておくことを覚えたら、聴き込むわけじゃないんだが
展開があって飽きず、しかも邪魔にならないということを知った。
もう少しほかのものを聴いてみたい欲が出た。
軽い気分になりたい時には「オーシャンズ11」、
しっとり気分になりたい時には「海の上のピアニスト」。

実は「海の上のピアニスト」は観たことがなくて、食指が動かずまだ観る予定がない。
映画それ自体と音楽が結びついたり繋がったり、そんな楽しさを覚えるのは
まだ少し先のことかもしれないな。



「Mostly Martha」
 Another Storyをクリックして、栞(しおり)のひとつひとつをクリックすると
 映画の中のフランス料理店の背景がよくわかる
 Marthas Rezeptの右奥の女の子が可愛いくて、フライパンと計量カップには
 レシピがふたつ、カーソルをくるくるして楽しんでね
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by NOONE-sei | 2007-10-21 01:38

56夜 夜の花摘み


病院通いが続くと、一般的にそうだと思うのだが、生活のリズムが崩れる。
母のリズムは崩れない。
朝は早起き、農家の人が言う『朝草刈り(あさくさがり)』、つまり野良仕事をして、
洗濯をして、掃除をして、朝食をとって、身だしなみを整えて、それから病院。
帰ると猫に餌をやって、夕食をとって、風呂にはいって、いつもの時間には寝る。

わたしのほうは、リズムが狂ってまだ立て直せない。
母の通院に合わせて生活しているからといえばそうなのだが、
時間の帳尻を合わせるということがうまくできない。
遅く帰ったら帰ったなりに、時間に動きの丈を詰めれば帳尻が合うものを。

庭の畑では食用菊の盛りだ。
山形では『もってのほか』、新潟では『おもいのほか』というのだとか。
家ではいくらも食わぬのに、花は毎日咲く。
摘まないでいては外聞が悪いから、と病院で父に言われた。

王様と鰐号の食事が済んで手が空いたらもうすぐ夜の正午。
菊を摘もうと外に出たら王様もカゴを持って出てきた。
夜の灯りに薄紫の小菊の群。
夜更けに時間は詰められなかったけれど花を摘みながらおしゃべり、
それもまた良き哉(かな)。

正反対のおはなし
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by NOONE-sei | 2007-10-19 10:36

55夜 科学の子


父が入院するといつも思うのだが、
よくよく自分の体に起きていることを知りたい人で、
検査でカメラを入れられれば、もちろん痛みがあって苦しいはずなのだが、
ベッドに戻ると、見た画像やそれについて医者がどう説明したかを
まるで見てきたように話す。
つまり、カメラの先に自分が目になって見てきたように、である。
検査は通常はカーテンで見えなくしてあるのだが、父はそれを開けてまで見る。
それなら、と、医者もカメラの目になってよろこんで教えているようなのだ。

父は医者でも科学者でもない、ただの大工だけれど、
知りたい、さわって知りたい、見て知りたい。
科学の子は鉄腕アトムだけれど、科学的に知りたい父は、なに?

自分で自分の体を知るだけでなく、今度は人に教えたくなるものらしく、
病室に来た看護師に様子を尋ねられれば父はぺろんと腹を見せ、
しかもさわってみろと言う。
母はこれが嫌で、人にまでさわらせる気がしれないと言う。
臆病な母は、自分のをさわるのだって気味悪いのに、と。

実習に来ている見習いの看護師がさわりたそうにしているのを見て、
 「いいよ!さわってみな!」
嬉々として腹を出した時には、母は即座に
 「さわり賃、高いよ!」
・・これはちょと、「嫌」に、ちがう意味が混じっているかもしれない。
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by NOONE-sei | 2007-10-16 15:45 | 新々々百夜話 父のお話(12)

54夜 質のちがい


いつもは小さい小さいちいさいさんと、
川の名をさがすだとか、「『てんちゃん・わたし・ねずみ』の登場するおはなし」を創るだとか、
学校で習わない魚の漢字集だとか、身体の部位の漢字集だとか、
難しい熟語のかるたを作るだとか、昔話を聴いてあらすじを書くだとか、
おやつを食べながら好きなことをするのだけれど、
このごろ高学年のちいさいさんと、すこし「勉強」らしいことをしている。
中学生との時間割が重なるので、ここしばらく王様から任されているのだ。

教科書は見たことがないので、学校でなにを今勉強しているのかさっぱりわからないから、
王様が問題を用意してくれるのだけれど、でもちっとも進まない。
たとえば「社会の勉強」で戦国時代の問題があっても、脱線してしまう。わたしが。
「明智光秀って書いてみて。すごいよ、四字とも光り輝くような意味の漢字だよ。」
・・頭脳明晰を名前で表わしているみたいだ。
「豊臣秀吉はどぉ?」
・・臣下に恵まれ運も強かった武将なのだろう?
ほかにも織田信長の安土城の、構造や城というものへの考え方の秀(ひい)で方などなど、
一緒に調べながら、いちばん勉強になっているのは物知らずのわたしかもしれない。
わたしにできることは、漢字の筆順や、とめ・はね・はらいをよく見てやることくらいだ。
・・それって「国語の勉強」じゃないか?

きのうは塾で六年生のちいさいさんと「理科の勉強」をした。質問をするのはやっぱりわたし。
「『植物のからだのしくみ』って、ねえ、植物にも『からだ』って言うの?なんとなくおかしくない?」
・・体でない言い方はあるのだろうか。
「『でんぷん』って書いてあるけど、どうしてカタカナじゃないんだろう。『種や実やいも』に
栄養をためるって書いてあるけど、『いも』ってなんかへんじゃない?球根じゃないのかなぁ。」
・・光合成によって体の中にデンプンを作った植物は、それを栄養として体を成長させたり
種子や球根に蓄え子孫を残すのだそうだ。
「デンプンって炭水化物の一部?じゃ、ほかにも栄養素の名前、知ってる?」
・・ここまでは良かったんだが、ひとりから『無機質』って答えが出てからちょと脱線し始めた。
無機質と有機質の差はなんだろう?温度?命の有無?命の生み出される素か否か?
わたしにはまったくわからないことだから、机を触りひとりの子の肩に手を置き
「これとこれの違いが無機質と有機質の差なんだと思うんです、わたし。」
・・勉強できなくてほんとにごめんね。

炭水化物、調べてみた。そして食べ物の三大栄養素が「炭水化物・たんぱく質・脂質」ということも知った。
今日もこれから塾でちいさいさん。わたしも勉強してきたよ、って言おう。
・・でもそれって「家庭科の勉強」じゃないか?


デンプンって、何?
・追って
こんなサイトを教えてもらいました。
有機物と無機物 (りかちゃんのサブノート)
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by NOONE-sei | 2007-10-12 15:08

53夜 年の功 積の候


・・ほんとうは積(せき)の候などという語句はない。
誕生日に山ほど漫画を買ったと言ったら、その積んだ高さが歳の嵩(かさ)だそうなので、
それならばと漫画のお話。

紙類には微小な虫が付く。本の類は重くて地震が起きたら怪我をする。
本類を家の外にと西太后に命じられ、泣く泣く物置に入れた。
書庫と呼びはするが、木造の物置は砂埃(すなぼこり)が入りいちいちハタキをかけないといけない。
いつか少しずつ部屋に運び込もうと思っていたら、物置の辺りで尻尾を見た。
・・とかげ?
父に言うと、笑って、外だからとかげもいるだろうと言う。
物置の床下に潜り込んだと言うと、涼しいから隠れるのにちょうどだ、あいつらは歯がないから
ちっとも恐いことはない、と笑う。
去年の盆に逝った猫は蛇もとかげも獲ったから、とかげを住まわせるようなことはなかった。
歯がなくとも、床板一枚の差でとかげの上にある本って、恐くないか?

とりあえず、漫画を救出しよう。
寝る前にちびちび読む楽しみをこのごろ覚えたものだから、いちいち物置に置くよりも
寝る部屋のそばに置きたい。
寝る前に諸星大二郎は目が疲れそうな絵だ。
ゆうきまさみの「パトレイバー」は、熟読してやめられなくなりそうだ。
皆川亮二の「スプリガン」も、終わりまで読んでしまうかもしれない。
浦沢直樹の「パイナップルアーミー」がちょうどいいかな。
壮大な宇宙物のころは楽しかったけれど、星野之宣は女性を画一的に描くからもう結構だ。

そういえば、いつか観たテレビで、サディスティック・ミカエラ・バンドのボーカルが
課長島なんとかという漫画が楽しいと言っていた。
ありえない女の人ばかりが登場するから、男の人の思い描く女性像の妄想を見ているようで面白いと。
作者は柴門ふみの夫だったか。わたしは柴門ふみもかなり苦手だ。

女性作家の描く、ここではないどこかが舞台の漫画はおもしろい。
24年組・ポスト24年組という名で括(くく)られる作家たちがいることをつい最近知った。
その中の幾人かの、ごくいくつかの作品は、思い出したように読むことがある。
団塊世代頃の女性たちなのだとか。団塊世代の男性たちは、癖が強くて苦手だけれども。

聡明な女性たちが生んだ物語に登場する者の、とりわけ女の子も女の人も、
ちゃんと自分の肺で物語を呼吸しているような気がする。
幼い頃、物語を読んで育ったわたしは、大きくなった今ほとんど本を読まなくなったが、
今でも漫画の中に物語を探している。



24年組
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歳の嵩で崩れそうだなどと言ってはいけない。くすくす

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最近復刊した漫画を取り寄せたら、サイン本だった。ちょと嬉しい。

                        *

おまけ 秋の味覚。
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十月は里芋・あけび・鮭の腹子飯。小芋もよいけれど、お写真の里芋の親芋もいい。
あけびには肉味噌を詰めて揚げ、腹子は湯をかけほぐして酒・醤油に漬ける。
焼いた鮭と昆布で飯を炊き、食べるときにざっくり混ぜ、茶碗に盛ったらたっぷり腹子をかける。
白子は天ぷらか、アンチョビとニンニクでバターソテー。

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先日のムーミンの料理本を参考に煮た洋梨の名を知った。
マルグリット・マリーヤー、なんだか気高そうな名だと思わないか?
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by NOONE-sei | 2007-10-11 01:08 | 趣味の書庫話(→タグへ)

52夜 紅い花


「セイ、そういうときには、『耳がいたいです、せつないです』っていうんだよ。」
あるとき、うまく言葉が出て来ずに言いよどんでしまったわたしに、女友達が助け舟を出してくれた。
彼女は手で耳を塞ぐ真似をしてみせた。
小柄な彼女はおしゃれさんなので、後にその台詞がガロに掲載された「紅い花」(つげ義春)に
登場する女の子のものだったと知って、なんだか似つかわしくない気がした。
男漫画、女漫画と分けるとしたら、つげを読む女性は少ない。

「紅い花」は、まだ大人になりきっていない男の子と女の子の挿話で、不器用で恋と呼ぶには幼い、
格好をつけるにもまださまにならない、読む者が大人になっていたならいた分だけ切なさが増すような、
そんな物語だったと思う。
わたしが初めて読んだのは大人になりきる前のことだったから、情感を胸に入れるには至らなかった。
ただ最後に、男の子が女の子をおぶって山を下りる野辺に一面、紅い花が咲く情景だけを憶えている。

父の検査入院が決まり、母西太后の精神は不安定になっている。
悪いほうに物事を捉えて疑心暗鬼になってゆくのを
わたしは「大丈夫だから」という決まり文句で支えるしかない。
それは今までもそうで、これからも変わることはないのだが、骨が折れることにはちがいない。
紅い花は少女から大人になる女だけでなく、猜疑の沼のほとりを歩く老女の足元にも咲く。

鰐号の何様ぶりが増すと、父が入院して歯止めをかけるのが不思議な符号になって久しい。
ちかごろの鰐号は、急に世界が開けて大人になった気分と現実の未熟な精神とで均衡が崩れている。
相手を思うより、自分の精神の安全を一義とする西太后と鰐号、
慎重なのではなく臆病で脆弱(ぜいじゃく)なところがなぜかよく似ている。
仏の顔も三度までというが、仏様より人間が出来ているから四度目に怒ると自分をうそぶく王様が、
今朝、鰐号がわたしを言葉で四度傷つけたのを見てわたしをかばった。
王様が出勤してもなお、悔しくてわたしをなじる鰐号に抗う言葉がなくて、わたしも悔しくて鰐号を蹴った。
手で耳を塞げばよかった。
成人にはまだ遠い獣の道にも、紅い花が咲く。

近くの田んぼの用水路沿いに、何百メートルも彼岸花が咲いている。
わたしの野辺に咲くのは赤い花?それとも紅い花?



用水路の両脇に続く彼岸花
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                            * *
赤いものをいろいろ
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彼岸花

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赤まんま

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水引き

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唐辛子

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赤いものばかりじゃ目が疲れるから緑を
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畑で育っている葉もの。左上から時計回りにルッコラ・小松菜(だと思うんだけど)・香菜(シャンツァイでもパクチーでもコリアンダーでもいいんだけど)・三つ葉。

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白くなる予定のものを
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上はこれから大きくなって白菜になる予定。下は大根になる予定。
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by NOONE-sei | 2007-10-05 23:52 | 趣味の書庫話(→タグへ)

51夜 女の子の日


競馬場で全国からの焼き鳥を食べ比べる催しがあって、誘われて行ってみた。
炭で焼いたものって、どうしてあんなに香ばしくなるんだろう。
なぜだか予感があって、出かける時に畑から紫蘇の葉と香菜(シャンツァイ)を摘んでおいたから、
モツ入りの焼き鳥もちゃんと食べることができた。
広い競馬場の中庭芝生で生酒の試飲やら生ビールに焼き鳥、わたしはすこしへべへべ。
よし、建物見学もしてみよう。

ずいぶん前に、ラジオ局が女性限定で企画した競馬教室に参加したことがある。
目に綺麗な松花堂弁当をご馳走になり、競馬新聞を貰い、会議室で馬券の種類を習い、
招待客のゴンドラ席でお茶を飲みながら、アナウンサーのお姉さんと、馬が走るのを眺めた。
馬券というのか選挙じゃないのに投票券というのか、なにしろそれはとてもむずかしくて、
結局のところ、ひとつふたつ賭けて楽しかったけれど何も覚えずじまいだった。

建物は明るく、綺麗な制服のお姉さんがあちこちで案内してくれ、食べ物や飲み物も
有料無料とりまぜ豊富にあり、大きなガラス窓の外には芝が広がり、テーマパークのようだ。
日によってはパドックで誘導馬に乗せてくれるし、中庭ではポニーに乗れる。
競馬といえば渋谷場外馬券売り場が通学路にあって、そこを通ると目にしたおきまりの風景。
競馬はワンカップ酒と新聞と、赤ら顔のおじさんが地面に座っている、
というのがわたしの頭に浮かぶ像なんだが、ここは夢のようだ。そういうおじさんはやっぱり居たけど。

場内アナウンスが耳に入った。
ビギナーズコーナーがあって、投票の仕方を教えてくれるというもの。
行かなくちゃ、せっかく遊びに来たんだもの。
王様も競馬はやらないから、ふたりで椅子にちょこんと腰掛けて、説明を神妙に聴いた。
ではやってみようと、レーシングプログラムを開いてもらい、出馬表を見せてもらい、
今の時刻で賭けられるレースを教わり、カードを貰った。
札幌競馬、STV賞16頭出馬というレース。 ・・どうやって選ぶの?

よくわからないから、一着二着どちらでもいい、馬番号を選ぶ馬連という方法で、
サーキットレディという馬とクィーンマルトクという馬にした。王様も適当に名前で選んだ。
大画面でレースを観ていたら、接戦で周囲から大きな声が上がった。二着は判定待ちなのだって。
しばらく次のレースを観ていたら、画面が変わって着順と配当が出た。
・・わたし、当てたみたい。あわててビギナーズコーナーに行ったら換金の仕方を教えてくれ、
「おめでとうございます。ビギナーズラックですね。」と言われた。
百円使ったら七千五百円に増えてしまった。

どうしよう。もうやらない。こんなの、普通にやったら当たるものじゃない。
お金は女の子らしいことに使ってしまうことにした。
苺と生クリームのホールケーキを買い、家に洋梨があるのでそれを使う料理の本を買い、家路に着いた。
残りは以前から欲しかったバレエレッスンCDを注文しよう、踊らなくても三拍子の音楽は気持ちがいいから。
今日の幸運は女の子のおかげだからね。
そのレースは牝馬だけだったから、わたしはいちばん女の子らしいと思う名を選んで投票したんだ。


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太い炭で焼く。鶏もも肉と玉ねぎの間にモツが挟み込まれている。


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競馬場への舗道にはこんなタイルが敷かれている。


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馬の絵コンクールに出品された子どもの作品。


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お料理本の表紙。ムーミンの物語はよく知らないのだけれど。

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レシピと挿絵。こけもものジャムとシナモンをとろりとなるまで煮て、そのソースで洋梨を煮、冷やしてアイスクリームを添えて食べるんだけど、洋梨はむくの?切るの?よくわからないから適当でいいや。こけもものジャムは少ししかないから、山おとこ(夏はぜ)のジャムで代用しちゃおう。

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野菜と果物いろいろ。
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by NOONE-sei | 2007-10-02 15:51