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閑話休題 三たび


また百の夜を折り返します。
五十と一の夜が来る前に、
いつもならここいらで一息入れて、数のない夜話をいくつか、
月が欠けるのに待ったをかけるみたいに呟くのだけれど、
もうすこし数のある夜話におつきあいください。
ちかごろ、軽いお話が少なくてさみしいと感じているかたもあるかもしれません、
勘弁ね。

明るさを抑えたお写真は地味で、
お話もけして明るいとはいえないこの鄙のウェブログに、
夜ごと訪れてくださることに感謝しています。
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by NOONE-sei | 2007-09-29 03:20 | 閑話休題(22)

50夜 見えすぎる月 


ゆうべの月は満月、高くから照らすものだから、夜中なのに見えすぎて困った。

蝶は蛹のまま、羽化に失敗したようなのだ。
色が黒ずんだのを見て、鰐号が言った。
「それ、もう死んでる。ほんとはもっと透明になんだ。」
王様も、わたしを気遣いながら言った。
「ずいぶん日が経ったよね。」

殻の中に蝶の羽の模様が見える。
殻を切って出してやろうと思う。
鰐号に手伝いを頼んだらいい顔をしない。
「だってもう死んでんだよ。」
自分の気持ちをうまく伝えられないわたしが精一杯言う。
「このまま埋めたくないんだ。最後まで見なくちゃいけない気がする。」

鰐号が小さかった時、友達と子猫を拾ってきたことがある。
橋のたもとで紙袋に入っていたそれをそのまま自転車のカゴに入れて。
じいじは、この猫の親を飼う人がいかに悪いかを語り、可哀相だが元の所に置いてこいと言った。
じいじもばあばも、飼うことはできないと頑として許さなかった。
わたしは方々(ほうぼう)手を尽くし、涙をこぼしながら貰い手を探した。
子どもが、親ならなんとかしてくれると思って持ってきたものを 放り出すことはできないと思った。

ついに貰い手はどこにも見つからず、王様とわたしは獣医に薬殺してもらう決心をした。
最期まで見るのが役目だと思ったから、医者から焼き場にも自分で持ってゆく。
それを知ったばあばは、わたしに「あんたは恐ろしい。」と言った。
理解されないことは悲しかったが、保健所に持ち込んで殺処分することのほうは普通で、
わたしのした選択のほうが異常なのだとは思えなかった。
見るということは最期まで見るということではないのか?

今夜は満月の次の夜。
蝶は山椒の木の根元に埋めてやろう。


                         *


猫のその後:
子猫を見た獣医が、最近同じような柄の猫を亡くした人を知っているからと連絡を取ってくれ、
おかげで猫は貰われて行った。
鰐号は貰い手が決まってから心ひそかに猫に名を付けた。実際には誰も呼ぶことのない名を。
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by NOONE-sei | 2007-09-27 21:03

49夜 龍の肝


龍の肝、竜の胆、つまりリンドウだ。
調べたら、竜の肝のように苦い生薬だから、たとえて竜胆なのだと知った。
リンドウのつぼみは花弁が左巻きに閉じており、
客人は南半球に行くと巻きが逆になると言った。
・・嘘。わたしはすっかりだまされた。

山の植物には、毒気があると思っているので迂闊に触(さわ)れない。
この地の方言で、かせて(かぶれて)しまうとか、まして口にしたら舌が麻痺してしまうとか、
恐くて口に運ぶなど、思いもよらないことだった。
生薬だと知っていたらそっと味見をしたのに、機会を逃してしまった物知らず。

龍とは幻想の産物の最たるもの。
強さの象徴、権力であり生命力であり、タツノオトシゴの親分。あ、ちがった。
瀧口修造、渋沢龍彦、芥川龍之介、、、
龍の文字を名に持つ者の、癇(かん)の強い切れそうな感触。
それでいながら指で筆を持つように空(くう)に書いた「龍」の文字の気持ち良さ。

竜の肝を食したことのある者はいるのか?
苦いというなら想像できる。
わたしは小さい時、癇の虫が強くて丸薬を飲まされた。
熊の胆(くまのい)も甞(な)めたことがある。真っ黒い小さな塊だった。

ところで癇の虫のある子どもは眉間に青筋がある。
薄い皮膚から血管が透けて見える。
塩を手に擦り込みながら拝んでもらうと、指の先から白い糸が立ち上(のぼ)るのだとか。
糸と見えたもの、それが体から追い出された癇の虫、、、 
・・しまった。また虫話をしてしまった。


21夜 うるわしのミイラ女
参考 竜胆の謂われ花盗人


今夜は吾妻山(あづまやま)最後のお写真を。
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夕暮れでよく見えないけれど、遠くに猪苗代湖がある。

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天使の梯子(はしご)、それとも龍が天空に昇る?

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ここは龍の昼寝する庭。

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ほんとうは
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                                                       photo by osa
    
めったに人の来ないちいさな湿原、鳥子平。
奥の木道で、あんまり気持ちよくて昼寝をしていたのは登山の帰り客。


・追って
竜胆の謂われをクリックしてもリンク先に訪ねあたらなかったかた、ごめんなさい。
見かねた花盗人さんがじきじきに教えてくだすったので今度は大丈夫かと。PCに遊ばれていました。しくしく

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by NOONE-sei | 2007-09-21 00:48

48夜 浄土は極楽?


「王様の千と線」の、千の森にわたしは『夜ノ森(よのもり)』と名づけていて、
そこには怪しげでユーモラスな、おかしなもの達が棲んでいる。
一方、恐ろしげなものは絵や活字の中に棲んでいる。

幼い頃、従姉妹が引き戸の奥にしまっておく少女雑誌の、
楳図かずおの漫画が怖くて、そっと出しては閉じ、また出しては閉じた。
それでいながら、晴れた日には祖母の眠る山の斜面の墓地に行った。
ずいぶん後まで埋葬は土葬で、今ならばひとりで墓地には行きたくない。
その頃は、なにが怖くてなにが怖くないか、境目が曖昧だった。
小さな頃に住んでいたのは野中の一軒家で、ひとりで留守番は怖かった。
狸も蛇も虫も当たり前に居て、闇は怖い。それでも絵や活字のほうがもっと怖い。

この地には吾妻山があり、それぞれの場所に、浄土平だとか一切経山だとか、
烏帽子山、天狗岩、梵天岩、など、仏教を思わせるような名がついている。
ごろごろと岩がころがり、賽(さい)の河原のようなえぐれた岩肌に硫黄の水が流れ、
有毒ガスが立ち込める中に山母子草(ヤマハハコグサ)が咲いている。
そんなこの世のものでないようなところを抜けると、一転して美しい湿原が広がる。
風が強くて背が伸びない木々の林の中に、転々と沼や湿地がある。

吾妻山は、わたしにとって安達太良よりも身近だ。
浄土なんて意味を知らないうちからあの岩だらけの場所が浄土だったし、
火山を流れる川には魚が棲めないから、その水を飲んではいけなかった。
浄土はパラダイスじゃなくて、荒涼とした景色だと仏教を知る前から知っていた。
言葉を知ってなお、仏さまのいるところはさぞ怖かろうと、今でも思う。


今夜は吾妻山、浄土平のお写真を。
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山の上から見る景色。よく見えない時には、下界から見て雲の上にいるのだろうな。

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ここはガスが強くて危ない。

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一切経と赤い葉。

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一切経を雲が覆うところ。

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赤い川。土も石も硫黄分で変色している。

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浄土平の湿原から見た景色。
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by NOONE-sei | 2007-09-19 01:15

47夜 青の素数 


山はリンドウ。今年こそは見なくちゃと思っていた。
夏と秋の境目の季節、山には見るべきものがないと思う?
深緑と紅葉の境目には、リンドウの青があるんだ。

リンドウは紫だと思う?
山のリンドウは青い。
青紫というには、青が濃い。
花も一本にやっとふたつみつ。
花屋のリンドウとは別のもの。

青はなにでできていると思う?
空の青と言ったらありふれた物言いだと思う?
やっぱり空に近い場所の青は、青い空気を吸ってできるんだ。


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吾妻山の湿原にはリンドウが群生している。
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この日、遠くの客人にこの青を見せた。
びっくりしてくれて、わたしはうれしい。

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足元にはこんなものがびっしりと。これは苔(こけ)?

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エーデルワイスによく似た高山の花。
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道端にも雑草にまぎれて咲いている。

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白いこれも、苔?

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これは名前を知っている。クロマメノキ。
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こんな小さな花から紫の実になる。
クロマメノキの名を知っているのは、山に来るとこれだけそっと口にいれるから。
食べられるものの名は、ちゃんと知っているんだ。
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by NOONE-sei | 2007-09-18 02:11

46夜 叫び

   嫌いなひとは読まないほうがいい。

ムンクの「叫び」じゃない。
今夜は虫のお話。

叫ぶほど嫌うって、一体どんな感情なんだろう。
その「嫌い」という言葉に含まれるものは、人それぞれ。
気持ち悪さ、不気味さ、不潔感への嫌悪、恐怖感、、、、。
「嫌い」とは、もとより生理的な感覚、ほかの言葉に置き換えにくいもの。
わたしが蛇を嫌う中に、人間という種が恐竜の末裔を恐がる、
遺伝子に刷り込まれたような「嫌い」が在るのとおんなじ。
よく聞く「ゴキブリが嫌い」には、そんな根源的な「嫌い」のニュアンスを感じる。

夕げの支度に、庭の畑で三つ葉を摘んで流しに入れたら驚いた。
根元にアゲハの蛹(さなぎ)が付いているのを採ってきてしまった。
夕暮れ時で手元がよく見えなかった。
ひっそりと羽化する日を待っていただろうに、たった一本の細い糸で身を支えて。
委ねたはずの、たった一本の細い三つ葉の茎は、わたしが折ってしまった。
蝶の羽化の観察を始めなければならない。

家に来た友人に、嫌いだったら見せないようにしなくちゃ、と思ったら、
もとを見ても、最後の姿がわかるなら大丈夫だと言う。
本来は、本能だとしか思えないほど、虫は嫌いなんだと言う。
ことに、変態する虫は、最終形態がわからないから恐いのだ、と。

44夜にゴキブリのお話を書いた晩、鰐号が叫んだ。
男の子の叫びって、動物みたいだ。
鰐号はどこかで見たことがあるのか、ゴキブリが大嫌いだ。
よだれをたらして(嘘)寝ていたら、顔にしゅたっと飛んできて着地した。
転がるように叫びながら下りてきた鰐号から紙の包みを渡されて、見るとカマキリが気絶していた。
なんだ、叫びのもとはカマキリじゃないか。ああ小気味いい。
もう、カマキリの季節なんだなあ。


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まだ綺麗な黄緑色の蛹。三つ葉は新鮮な黄緑だから、植物に擬態して色が明るい。

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ライティングして撮ってみた。

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虫嫌いなのに見てしまったひとは、これで口直しをしてね。
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by NOONE-sei | 2007-09-16 01:44

45夜 ゆうぞら 


              夕空晴れて 秋風吹き
              月かげ落ちて 鈴虫鳴く

なんという歌の名なのか知らなくて、てっきり『夕空』だと思ったらちがった。
ほんとうは『故郷の空』、原曲はスコットランド民謡なのだとか。
春には春の入り口を指し示す草花があるように、
秋には夏の終わりを告げる果樹がある。それが「ゆうぞら」 ・・桃の名前。

会津から、まるで山越えをするように山形を通った嵐は、
かの地の西洋梨ラ・フランスの収穫に大きな打撃を与えたという。
台風が山づたいに北上したために、この地の果樹は実が落ちるほどの難は免(まぬか)れた。
台風一過、嵐のあとには果樹農家の悲喜こもごもがある。

この地には果樹試験場という、果樹栽培の研究所がある。
広い敷地には桃・梨・林檎・葡萄などの畑があり、この地独自の品種を開発改良している。
参観日と呼ぶ公開日には、年に一度、外部の人間が立ち入ることができる。
建物の中では農業の本や雑誌が売られ、外では節の果物が売られ、一角には果樹相談コーナーがある。
作業服を着た学者さんのような雰囲気の研究員は、普段、果実や試験管とお話しているのだろうに、
この日ばかりは生身の人間達にお話や説明をしなくちゃいけない。

その試食会に参加してみた。
糖度の低い順に、桃(ゆうぞら)・梨(幸水)・葡萄二種(ふくしずく・あづましずく)。
今年は雨で桃の糖度が上がらなかった。
桃が一番糖度が低いとは意外だけれど、巨峰によく似た「あづましずく」などは皮が薄く、
甘い菓子のようで、水菓子という言葉がまさに似合う。
ところで「ふくしずく」という、マスカット色の葡萄には、こんな歴史があって驚いた。

1988年 育成・交配に着手
       父をヒムロッドシードレス(巨峰・赤)、母をブラックオリンピア(緑)として
       人工交配して得た実生個体から作出
1996年 初結実
2002年 現地試験開始
2005年 栽培特性を確認、育成終了
2006年 「ふくしずく」と命名、登録出願


果樹の育成は苗からもするけれど、 枝の接木(つぎき)ですることができる。
今ではバイオの技術で約半分の期間で研究の育成を終えられるようになったけれど、
「でも、最後は枝で生(な)らせないと。」と研究員が言う。
品種が安定して、農家の人が畑の木の枝に生らせて初めて市場に出せる。

1988年は鰐号が生まれた年。
この日ぱくぱくと口に入れた美しい葡萄の実は、なんと鰐号と同い年だったのか。

 
           
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この林檎の品種は「つがる」。夏りんごというのだとか。
写真奥のプルーンには、たかしまだったかくらしまだったか、なにか和名が付いていた。
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by NOONE-sei | 2007-09-09 21:53

44夜 虫を愛づる

   虫を愛(め)づらないひとは読まないほうがいい。

わたしを「ちーねぇちゃん」と呼んで、同じ時期を同じ屋根の下で暮らした妹分がいた。
彼女は北海道の出身で、大きくなるまで信号を見たことがなかった。
進学して東京に出、借りた部屋にゴキブリが出たら、これも見たことがないので
珍しがって、捕まえて虫かごに入れた。

わたしは東北から東京に出、信号は見たことがあったがゴキブリを知らなかった。
だから、わたしもゴキブリは全然恐くない。
この地では、今でも一年に一度見るか見ないか、ほとんどお目にかからない。
ゴキブリは動作の素早いクワガタのようなものだ。
不潔で悪い虫なんだとだれかに教えられてからは、ちゃんと仕留める。
妹分の彼女とは違って、飼うには至らなかった。なむなむ合掌。

北海道では地震もあまりないんだろうか。
ゴキブリを愛でる彼女は、地震がくるとたたっとわたしの部屋の戸を叩き、
「ちーちゃん、恐いよっ。」とわたしの布団で震えた。彼女はゴキブリが恐くなくて地震は恐い。
わたしよりずっと大柄なのに、小さな虫のように丸くなる。 ・・ダンゴ虫みたいで可愛かった。

                      *

今、庭の畑には気になる虫が五ついる。
どれもアゲハの幼虫で、三つはもうじきまどろむのじゃないかと毎日観ていた。
あむあむと口を動かしてニンジンの葉を食うもの、三つ葉を食うもの。
でも、ひとつは紫蘇にくっついている。おかしくないか?
アゲハって、ミカン科やセリ科の植物を食うのだろう?紫蘇って、シソ科とちがうか?

残りのふたつはまだ鳥の糞に擬態している醜い毛虫のような姿。
幼虫は四回姿を変える。
いずれ、これらも黄緑の綺麗な青虫になって、オレンジの点々の芋虫になって、
どこか離れた、とんでもないところで蛹になるんだろう、まどろむように、体に糸を巻いて。
脱皮はセミとはちがう。脳天がぱかりと開くようにして折りたたんだ濡れた羽が現れるのだ。

どうぞこのまま、蜂や鳥に食われずに虫から蝶へと変貌できますように。なむなむ神様仏様。


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「虫愛づる姫」って、平安時代、いろんな人がどんどんお話を作ってつなげてゆく、
宮中の女性たちの遊び「堤中納言物語」の中の一篇。 ・・風の谷のナウシカではありません。



おまけ
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この夏に読んだり読み返した漫画等々。
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by NOONE-sei | 2007-09-04 22:49 | 趣味の書庫話(→タグへ)

43夜 見てはいけないもの


昭和のにおい、そう訊ねたら人の数だけ答えが返ってくるのだろうな、きっと。
わたしには、ピーターさんが昭和のにおいだ。化石のような意味じゃない。
わたしの昭和のにおいには寺山修司のエッセンスが欠かせなくて、
それは学生時代の通学路に、青テント、天井桟敷があったから。
寺山というと、丸山明宏(美輪明宏)を思い浮かべる人もいるだろうけれど、
丸山明宏はどこか三島由紀夫に属しているように感じられて、
江戸川乱歩原作、三島脚本の『黒蜥蜴』のイメージがあり、
ある日年上の従姉妹の週刊誌をのぞき見た、
明智小五郎役の天知茂と接吻した舞台写真が蘇ってしまう。
子どもの脳裏に焼きついた、見てはいけないもの。

ピーターさんが寺山作品に出演したからといって、
それが必ずしも代表作なわけでもないのだけれど、
似合う、というのかな。その線の細さが寺山の舞台の幻想の青さに。
その頃の小劇場の芝居には、時にエロティックで残酷で、
それでいながらロマンチックな、神秘的なところがあった。
そうして、不条理な昭和という社会に抗(あらが)っていた。

具象的な商業演劇、特に新歌舞伎や新派、新劇や新国劇は、明治のにおいがした。
今思えば、親子の情愛や男女の割り切れなさを描く時代物は、
人間の当たり前の感情を呼び覚まさせるもの。その自然さに気づかなかった。
歌舞伎は古典で、日本の芸能は抽象的すぎて身近な気がしなかった。
振り返ればわたしの知性は貧しかった。

先日、松竹の興行芝居というものを初めて観た。
松だの座敷だのがきっちりと描かれた書割(かきわり)に、カツラを付けた時代劇。
松竹といったら、妙齢の女性たちが観るものと思っていた。
舞台で座長を務めるのはピーターさん、芝居とレヴューの二本立て。
芝居は新歌舞伎を基にした『一本刀土俵入』。
ピーターさんの女役の声は、憂いがあって細く、けれど出演したどの俳優よりよく聞き取れる、
通る声だった。

               - - - あらすじ - - -
  取手宿の前で暴れる荒くれ者に喧嘩を挑まれやっつけた力士に、
  宿の二階で見ていた酌婦が話しかけ、身の上などを聞いた。
  いつかは横綱になりたい。夢を語る貧しい力士、駒形茂兵衛は食うや食わずで、
  酌婦お蔦に、立派な横綱におなりよ、、、と金子(きんす)や櫛を貰い、情けをかけてもらう。
  自分はその日一日が生きられればいいんだから、と。
  「よぅよぅ!駒形茂兵衛!」後ろ姿に声を掛けて門出を見送るお蔦の仇っぽさ。

  十年後、今は堅気(かたぎ)になって貧しい暮らしをするお蔦と小さな娘。
  亭主は行方知れずで死んだものと、位牌まである。
  賭場でイカサマをはたらいた亭主が、ヤクザに追われて逃げ込んで来た。
  親子三人で逃げようとするところに旅の渡世人が現れて、お蔦に金を渡そうとする。
  夢果たさず渡世人になりはしたが、茂兵衛は恩を忘れず、
  情けに報いたいと思うのだが、お蔦は茂兵衛が思い出せない。
  やがて、親子はヤクザに囲まれてしまう。
  親子を救おうと、ヤクザを追い払うその姿を見て、お蔦は十年前の茂兵衛を思い出す。
  窮地を救われ金まで貰い、有難さに手を合わせるお蔦。
  茂兵衛は両手を広げ腰を落とし、型を作り、
  これがせめてもの土俵入り、、、と言い残して去ってゆく。
  「よぅよぅ!駒形茂兵衛!」後ろ姿に声を掛けて別れを見送るお蔦の情の濃さ。


・・人情話だった。
『一本刀土俵入』、刀を差したまま土俵入りするのが自然でないということに、
全く気づかなかったのが恥ずかしい。
商業演劇は、見てはいけないものじゃなかったんだなぁ、、、とっくに。
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by NOONE-sei | 2007-09-01 14:36