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42夜 おりこうは誰だ


鰐号のお話をするかと思うと腕が鳴る、いや、まちがい、書く手が鈍る。

なんのまちがいか大学生活が始まった鰐号は、名づけてタダノチャラオ。
今や、ただちゃらついたにいちゃんと化している。
何時に帰ろうが帰るまいが、それはどうでもいいんだが、
これまで経験のなかった、友達の家での『お誕生会』というものがたいそう気に入って、
しょっちゅう名入りホールケーキだのプレゼントだの準備はどうするの打ち合わせだのと、
おこちゃまごっこにいそしむ日々。
この夏は高校までの夏休みとはちがって、一日中家にいる日々ではなかった。

王様もわたしも、鰐号に会ってくれる友達ができたとは目出度いと喜んでいる。
それがおこちゃまごっこであろうと、いつまで長続きするか先のことはわからないことであろうと。
ただ、夏に帰省した古くからの友人を粗末に扱うのが気になった。
自分がなにかしている時に電話があったりすると、きりのいいところまで待たせるのが平気。
受話器の向こうで待つ身にわが身を置き換えたら、鰐号は待っていられないはずだのに。
友人の根気強さと優しさのおかげで細い糸が切れずにいるとは思いが至らない。

今日から学校が始まった。
いよいよ夕べ、春から階段にうず高く積み上げられた教科書類を鰐号の部屋にどすんと置いた。
そうなるにはそうなるだけの積み重ねがあり、相も変わらず、肉弾戦も青たん赤たんもあった。
ため息が出そうなくらい、わに丸のままの鰐号ではある。闘犬鰐号、名前負けだぞ。

犬でおりこうでないもの。
身近なかけがえのない人間を支配下に置くことを覚えてしまった犬。
飼い主を威嚇や咬むことでたじろがせ、思いのままに動かす味を覚えてしまった犬。
わたしは鰐号と、おりこうでない飼い主と犬の、黄金コンビになるのはまっぴらだ。
少し威嚇でわたしを怖がらせることを覚えた鰐号に、わたしも新たな戦いの準備をしなければ。
犬になら『無視作戦』というのがあるが、わたしのは『無関心攻撃作戦』だ。

今朝、ちかごろ食の細くなったじいじが資材置き場から重いパイプ棒を運んでいた。
わたしが、ぱんついっちょで寝転んで野球を観る鰐号に声を掛けてはみたが、いつもどおりの無視。
軍手をし、できる範囲の手伝いをし、作業も終わる頃、鰐号が遠くからちょっと様子を見に来た。
わたしは鰐号を見ず、「・・来たっ。ケツの重い百貫でぶ。」
鰐号に気づかないじいじは、「その長さのだけそろえてくれ。」と、わたしに最後の指示、
わたしは鰐号を見ず、「だいじょうぶ、わかってるよ、あったまいいから。」

数時間後、かばんの中から必要でない教科書をそこいらに放り、学校に行く支度を整えた鰐号、
わたしを見ずに言った。「頭良くなりに学校行ってくっから。へへっ。」
門に向かった鰐号を見送ろうとする愛犬シワ コ はいつもと変わらず優しい。
・・鰐号、門を出たが開けたまま。シワ コ には脱走歴がある。

急いで門を閉めながらわたしが言った。「シワ コ 、チャラオを咬め。」


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公園で見つけたセミの抜け殻。
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by NOONE-sei | 2007-08-28 23:25

41夜 そっと歌うよ 


41夜。よい夜なのに、暑くてなかなかよい夜がやってこない。
夏といえば入道雲、激しい通り雨の後はすうっと涼しさがやってきたものなのに。
狐の嫁入りがこの夏はほとんどないから、虹もかからなくてさみしい。

山で久しぶりに通り雨らしい通り雨が降りかかった。
裏磐梯を眺めながら外でお茶を飲んでいたら、音がするような雨。
雨の通り過ぎたあとの緑は、青にも紫にも色を変えて美しい。
そしてその雨は、瞳の美しいひとと一緒に見た。

瞳の美しいひとは、眉毛の濃いひとと一緒だった。
わたしは王様と一緒、わたしはめがねで王様は眉毛が薄い。
組み合わせって不思議だな。なんだか二組(ふたくみ)はそれぞれにいい感じ。

会いたいと思うと、一度は会えるものなのかもしれない。
声だって、届けと思うと届くときがあって、もしかすると一度は振り向いてもらえそうな。
二度目があるかどうかは、望む気持ちが天に届くかどうかだ。
またいつの日にか、会えますように。願っていれば。

鳴く鳥に名を尋ねても答えない。
咲く花に名を問うても歌わない。
山育ちのわたしは、ものには名のあることにずっと気づかなかった。
ものの名は今でも知らぬばかりだが、野山の写真を撮り続けたら、
いつの日にか、名に届くことがあるかもしれない。願っていれば。

雨上がりの森の、野性的な遊歩道を歩いたら、赤い実が生(な)っていた。
赤い鳥って、いるんだろうか。
名を知らないから白秋の歌をそっと歌った。
     ・・・赤い鳥 小鳥 なぜなぜ赤い 赤い実をたべた

遊歩道は、赤い鼻緒の草履(ぞうり)で歩いたので、ぬかるみを避けながらだ。
わたしは草履やサンダルのことを「じょっちょ」と呼ぶ。
瞳の美しいひとに、ビーチサンダルは「ビーチじょっちょ」というんだと話したら、
うしろを歩いていた眉毛の濃いひとがそっと言った。
     ・・・みいちゃん

すぐにはなんのことだかわからなかった。
「春よこい」の、歩き始めたみいちゃんの、履いているのが赤い鼻緒のじょじょだったっけ。
・・歌わなかったけれどほんとは歌ってくれたんだね。


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レンゲ沼遊歩道の入り口は淡い紫の花の群。ギボウシというのか?

花、いろいろ
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赤い実はこれ。小鳥は食べるんだろうか。そして赤い小鳥になるんだろうか。

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夕暮れの湖沼。

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森の野性的な遊歩道。

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磐梯山を裏側から仰ぐから、裏磐梯。

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磐梯山の噴火でちりぢりに飛んだ石のひとつだろうか。石というよりも、岩の群。

                          * * *
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こんな高い二本の樹がある場所で瞳の美しいひとに会った。
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お写真は絵のように加工して。
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by NOONE-sei | 2007-08-22 00:23

40夜 がんばれ獣


盆の送り火も消えて、今日は、じりじりと続いた夏日と祖霊を送るような雨。
この夏の暑さは、うちにいる動物たちには辛かった。
犬は昼も夜もぐったりと横になっていた。犬の一日は人間の二週間くらいなんだろうか。
年をとって、一日が早くなってきているような気がする。

風通しのいい玄関先は気温が低く、木戸のそばで犬はいつも過ごす。
簾(すだれ)で日陰を作り、日に何度も打ち水をし、飲み物の空き容器に
水をカチコチに凍らせ胸に抱かせる。
天然の長い毛皮を着ているから直(じか)に皮膚には当たらない。
それでもずいぶんと毛を短く刈り込んでやったので、犬種らしさのない姿ではある。
リンパ腺を冷やすといいし、近くに冷気があるだけでもすこしは過ごしやすくなる。
午後は風も止んでしまうので扇風機を回してやる。
シワ コ 、がんばれ。

一方、父じいじと母西太后を僕(しもべ)に従えている猫は、
家の中の、涼しい所涼しい所へと流浪の民ならぬ流浪の猫。
廊下の木床がひんやりするのか、思わぬ所にたっぺらになって寝そべっている。
体の色がまぜこぜ色なので、周囲にまぎれ、うっかり踏んづけそうになって困る。
アク コ 、それなりにがんばってくれ。

この夏、母屋(おもや)の台所では大きな事件が解決した。
西太后の自慢のシステムキッチンは食器棚も流しも桜の無垢材の扉で格好がいい。
ところが流しの下に収納している米びつの回りに虫の糞が出て困っていた。
何度も綺麗にするのだが埒(らち)が明かない。
米びつごと引っ張り出して掃除をしている時に、はたと気づいた。
虫がいない。糞だけがある。

父が懐中電灯で中をよく見て言った。「ネズミの糞だ。」
流しの真下は、隙間が開かぬよう床下との境の穴は配水管をくるむように閉じられているもの
なのだが、明かりを照らして見たらすっぽりと開いていた。つまり、施工時の誤り。
父は大工だから、床下からネズミが上がらぬようちゃちゃっと蓋をこしらえ閉じた。

・・・これで一件は落着したわけなんだが、どうもすっきりしない。
去年の今頃、こんな騒ぎは起きなかった。
周囲には田畑が広がる土地柄だからネズミごときに騒ぐわけではないが、
待っても待ってもツバメが巣をかけてくれないのは
動物を飼っているからだろうと諦めるほど「獣がいる家」なのだ。なぜネズミが出る?

アク コ はせいぜい暑さでへたばったカエルを獲(と)るくらいしかできず、
狩りはいつも母猫に任せっぱなしだった。
ちょうど去年の今頃に母猫が逝き、ネズミにしてみれば「獣がいない家」になったらしい。
こんなふうにして、誰も名を口にしないでいた猫を思った。
ブチ コ 、がんばっていたんだなぁ。


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アク コ :ネズミ?獲るの?わたしがですか?
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by NOONE-sei | 2007-08-17 23:52

39夜 ラスベガスには花火が似合う


「オーシャンズ13」を観た。
シリーズ三作目になってやっとチームの11人の顔を覚えることができたものだから、
なんだかうれしい。
一作目は体を使い、二作目は頭を使い、三作目は湯水のように金を使ってみせる内容。
もとより、ゆとりが体中からこぼれている俳優がざぶざぶと集(つど)った、
贅沢な映画なのだけれど、今回もおかしな任侠じみたお馬鹿な映画に仕上がって、
これまたうれしい。

ホテルの清掃員になりすましたブラッド・ピットの、作業服のズボンの丈が短めで可愛いのも、
一方、ノーネクタイにシルクシャツ姿がてろてろと光沢があって色っぽいのも、
おじさんな男たちのスーツは、ネクタイにポケットチーフの配色がくどすぎて楽しいのも、
ちっとも似ていない双子の兄弟があとさき考えずに突っ走るところも、
自分では一丁前のつもりで若造が背伸びしているさまも、
なにもかもに、にやにやと笑って観終えてしまった。
だれも死なないし、だれも泣かないし、こんな娯楽映画はうれしい。

お盆とはいえお休みは今日だけだった我が家。
王様とふたりでデートな映画だもの、楽しくなくちゃ、ね。


                      * * *
今夜は夏のお写真を。
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壜いろいろ。
あんずソースや、梅ジュースや、ブラックベリーソースや、青唐辛子の塩水漬け。

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むいたばかりのとうもろこしは、頭に金髪のちょんまげがついている。

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今年は収穫が少なかったブラックベリー。

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夏野菜いろいろ。今年の我が家の元気の素はルッコラ。

これはおまけ
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夏のおかず。
きゅうりを煮たおかずは暑気払いになる。ほんとはもっとお化けみたいに大きなきゅうりがいいのだけれど。
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by NOONE-sei | 2007-08-12 23:59

38夜 耳あり芳一


耳なし芳一が、口がきけるようになったのには訳がある。
クラスメートを連れてきたのだ。
連れてきたその日から、人が変わったように喋りだした。
まるで毒を吐き散らす評論家のように、独白が繰り出せる奴だったとは驚いた。
可哀相なことに物事の本質を捉える力がないので、表層を悪意でなぞるのがどういうことか、
周囲がそれをどう不快に感じるか、芳一は想像することができない。
そしてこれが一番の不幸なんだが、耳が無いからキャッチボールが成り立たない。
もとより、「ひと」に喋ってはいないのだ。

クラスメートを 「耳なし芳一の友達」と書かないのには訳がある。
群れてはいるが、とても友人関係には思えないからだ。
可哀相なことにクラスメートには人の話を最後まで聞く力がない。
聞く気がないのでも気力がないのでもなく、なんというか、聞きとりきる力が備わっていない。
これも同じくキャッチボールが成り立たない。
ふたりの群れは、馴れ合いで馴染んでいる危うさだ。

芳一がこの塾に来てしばらくになる。
優しくはないがはじきもしなかった同学年の男子たちも、中三ともなるとすこし幼さが抜けて、
芳一が繰り出す攻撃的な言葉の数々を遠巻きに見るようになる。
ことに、小粒に至っては癇(かん)に障るらしく、楕円の円卓の、一番遠いところに席をとる。

高校に進学したいというはっきりとした希望があるでもなく、
同世代の群れから離れて歩む気概があるでもなく、
以前からの塾生と接点を持てるわけでもなく、
はじかれなくても孤立へと向かう己の現実を悲観する目を持っているでもなく。
こんな子たちに共通しているのは、「少年たちは大人が嫌い」だということ。
そして総(すべ)ての年長者をステレオタイプな目で見るということ。親もそれに含まれる。

芳一は、皆が無関心を装う中、塾で唯一自分に反応するわたしが嫌いだろう。
ゆきずりに自分になにか注意を与えた老人をいかに疎ましく思ったかを残酷な言葉で話すようなとき、
「あら、自分だっていつかじじいになるくせに、ははは」などと揶揄するのはきまってわたしだから。
中学生の授業を持たず、ちいさいさんとおやつを食べながら勉強するわたしは気楽な立場、
ときどき中三の授業中に辞書やら文房具やらを取りに、部屋をうろうろする。そんなとき、
「円卓がすこし傾(かし)いできたからじいちゃんに支えの脚をこしらえてもらった」だとか、
大工志望の子には「じいちゃんは中卒で高校に行かないかわり、親方に弟子入りしたんだ」
などと雑談をしたりするのだが、耳なし芳一はその間、耳に手をやり塞いで耳なしになっている。

その耳の塞ぎ方がいかにも「耳なし芳一」の所以(ゆえん)なので、面白いと思い、
ちょと顔を近づけて塞ぐ手と耳をよく見てみた。
・・耳の穴が見えた。
芳一、どうして穴を塞いでいなかったの?

一年前


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公園の百日紅(さるすべり)、今年は花が付かないんだろうか。
サルスベリって、サルが登れない木肌だから猿滑(さるすべり)だと思っていたのだけれど、
漢字で書くと趣きがあるなあ。
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by NOONE-sei | 2007-08-11 01:20

37夜 山の手 千の手 


時に、観たかったなと思うものが都会にはある。
その最たるものは歌舞伎。

先日、映像で観た俳優祭は楽しかった。
豪華な出演陣、俳優は余裕綽々(しゃくしゃく)、
有り余った余裕は一旦銀座を抜けて山手線を一周してきてのち、
なお涼しげに楽しんで演じているのではないかと思うほど。
これまでの上演演目は、『佛国宮殿薔薇譚(べるさいゆばらのよばなし)』だとか 
『歌舞伎座の怪人』 『鯛多ニ九波濤泡(たいたにっくなみまのうたかた)』等々。

今回はグリムを下敷きに『白雪姫』、数度目の再演だけれど、
白雪は玉三郎、王子は幸四郎、魔女・継母は団十郎のキャスティング。
七人の童の一人には、笑顔が爽やかな仁左衛門、これが愛くるしい。
外国のおとぎ話には、最後に主人公が幸せになれるよう、
良い魔法使いがめでたしめでたしを助けるものが多くあるけれど、
白雪姫の目覚めに魔法使いは出てこない。
そこは日本の歌舞伎、ハンケチ王子と白雪を結ぶような結ばないような、
妖怪のような観音が登場して千手観音よろしく人海戦術の手という手。
おそらく養成所の研修生たちがよほど息を合わせて振りを揃えたんだろう。
観音、菊五郎の背後に芋虫のように並び、正面からは観音の千の手だ。
きらきらの装束、鳴り物に声明(しょうみょう)のような義太夫の低音。
真面目にやればやるほど客席は笑いの渦。

よく聞いていたら観音は千手観音じゃなかった。・・北千住観音なのだって。
菊五郎が「きたせんじゅー、きたせんじゅー。」と唱えていたもの。
「・・次は」と菊五郎が問えば、義太夫がドスを効かせ「みなみせんじゅー」と答える。
二枚目で売っている菊五郎、この余裕っぷりはもう、山手線を軽く二周だ。

・・あら、北千住って隅田川の近く?山手線じゃ行かれないんだった。


俳優祭 第三十三回 第三十四回


              * * *

ちょと観たかったもの。
西洋の幻想生物は眺めて美しいけれど、日本の魑魅魍魎はときにユーモラスで身近で、
どことなく懐かしさがある。
化け物の文化誌展 こんな特集は、ちょと惹かれる。またやらないかな。

               * * *

観ればよかったもの。
Ashes and Snow 展  情報に疎いから、こんなものがあっただなんて知らなかった。
廃墟徒然草さんのところで知った展覧会。
時にリアルよりリアリティのあるものってある。
わたしの息づく小さな世界とは真逆の、大きな彼方の世界。
こんな彼方に連れてゆかれるのもいい。
もう会期は終えてしまったけれど、このサイトは時間がたっぷりあるときに観てほしい。
観るのなら「リアル体験」を選んでゆっくりゆっくりあちこちに迷い込んで楽しんでね。
ロレックス インスティチュート メントー&プロトジェアートプログラムのダンスも素敵。
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by NOONE-sei | 2007-08-06 13:52