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15夜 木に翁


木に花咲く。扇のように末広がりに、そうして久遠に。

報告せねば。
林家木久蔵の新しい名が決まった。
待ちかねていた木久ちゃんの名は、「木久扇(きくおう)」。
木久翁(きくおう)に掛けているのだろう。

異例の公募という形を取ったところ三万人からの応募があり、
そのうちのふたつに、木久扇があったのだという。
三万分の二。

わたしも応募していたから、名を聞いて、
うれしかなしの妙な気分の今朝だった。


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林檎街道で、木に小さい花の蕾を見つけた。


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こちらは、夕暮れに桃の花すぐりをしていた翁。
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by NOONE-sei | 2007-04-30 02:21

14夜 箱根はケチの半次郎


小粒が十四歳になった。いや、この秋には十五だ。
小学生のちいさいさんだった頃、塾でわたしが何を言おうとどうおだてようと、
「やだねったら、やだね~~ やだねったら、やだねぇ~~」と、
『箱根八里の半次郎』を歌っていたのに。
それでも作文を書かせようとあの手この手の変化球を繰り出すと、
わたしがセロハンテープで開かなくした百科事典の蛇のページを持って来て、
「見せるぞ見せるぞ」と反撃していたものだったのに。

山椒は小粒でぴりりと辛い、小粒はあっという間に中学三年生。
先日、修学旅行に行ってきた。行き先はディズニーランド。歌っていた箱根までは、行かない。
塾ではいつのころからか、中三になると修学旅行のお土産の菓子を買ってきて見せ合い、
分け合って食べ、下級生にもお裾分けをするようになった。
自分が上の子からしてもらったことを 今度は下の子にして返すというような、
代々のならわしのようになっている。

今年の中三男子は皆ケチんぼだから、お土産はないかもしれないな、と思っていたら、
買ってきたのだ、皆が。しかも、あの小粒もだ。
鞄から菓子の包みを出した小粒が言った。
 「ほい、土産。・・あれ?小学生って、何人だべ?・・足りるかなぁ、、、、。
  足りなかったら、あっからな。もひとつ。」
ちらっと鞄の中のもうひとつの包みを王様に見せた。

楽しい旅の話をしながら皆で菓子をほおばる。
小粒はちいさいさんだった頃から、たとえば何か決めるような話がばらけると、
ばしっと正論を言って、はっとさせる子だった。
不思議なことに、誰よりも自分中心で、いつも自分が一番なのに、そういう時の
当たり前なことを当たり前だと言う小粒には、皆を納得させる力がある。
ケチんぼなどと言っちゃわるかったかな。

さて残りの菓子を下の子たちの分としてひとまとめにして、茶話会の時間はおしまい。
いつもどおりに円卓でお座りして、頭を寄せ合いながら口喧嘩もしながら勉強。
まだ受験生と呼ぶには、この地で言う赤ん坊の意「ややこ(嬰児)」の中三男組。
おしまいは「さぁなら~」と口々に言いながら自転車に乗って帰る。

ややこの塾生が帰った後は、静かな塾。王様がひとり残って仕事をするのだが、、、、
王様は、はっと思い出した。小粒は、もうひとつの包みを鞄から出さずに持ち帰った。
・・あったな、前にもこんなこと。


前にもあった小粒のあんなこと


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ちょっと伸びたつくしは、小粒に似ている。
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by NOONE-sei | 2007-04-29 02:36 | 新々々百夜話 本日の塾(4)

13夜 いい湯だな


十三というのは縁起が悪い。だから今夜は嫌な話を。

犬と山のふもとの公園にゆくのに、この時季になるとおそろしげな予感がある。
つい先日はその予感が当たってしまって気分が悪かった。
今年も見た。長いやつ。
昨年は同じ場所で二度見た。

どこかに巣穴があるんだろうか。
わたしは自然界のことに疎いので、あの長い種の生態をよく知らないんだが。
軟体動物といいたいのにそうじゃない。
小さい時、父の車に乗っていたら、あれが長々道路に横たわっていて轢いた。
かすかなカコンという感じ。
脊椎のある動物なんだな、あんななのにいっちょまえに骨がある。

父が家族の猛反対にあい、山菜採りに山に入らなくなったので、
せいぜい葉わさびくらいしか摘んでこなくなった。
父の山菜は食いたいが、長いのがくっついてくるのは嫌なので、ほっとしてもいた。
一生見なくてもいいんだが、嫌いな者ほど目で探すというから、
父が捕ってこなくても、きっと一生ついてまわるだろう。

焼酎にマムシを入れて寝かせるのに、入れる首の方向を間違うといけない。
下向きなら上手く寝てくれるが、上向きだとどこか覚醒していて、
一升瓶の口から飛び出してきて咬まれる。
きっと嘘だ。
何年も焼酎の中で仮死状態でいるとは思えない。
焼酎の温泉の中でいい湯だからと眠るマムシなんているわけがない。
なのにどこかで信じてしまう。

だから、というわけでは決してないのだが、
幾度試しても、わたしは焼酎が苦手だ。
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by NOONE-sei | 2007-04-28 00:53

12夜 古い友


王様はこの二週間、朝から夜更けまで休みなしに働いた。
わたしのパブリックな会合、鰐号の入学と新生活、そのほかにも地域の行事と、
春は転がる枕木のように過ぎた。

やっと昨日休みがとれた王様と、鰐号の内祝いを用意しに出かけた。
古くからの友人の陶房では、新しい窯から作品を出し終えたところだった。
彼が焼き物の長い修行を終え、自分の窯を持って以来、ずっと作品を見つめてきた。
作った作品のみならず、作る彼の手とその向き合い方をいつも思う。
薪を窯にくべて焼き物を作るのは一生のうちにあと何回できるかな、と彼は言う。

電気やガスで焼くと、火と格闘するということがない。
火は原初の火のようにヒトを興奮させる。血わき肉おどるというのは、たとえの表現ではない。
そうして火を受けた土が作品となって生まれるのは不思議なことではなく必然だ。
焼き物は、緻密な計算と、経験の蓄積でできている。
作りたいものに合わせて、窯まで作り替えれば制作の時間が作れない。
作陶展が開けなければ生活が成りたたない。
それでも一生のうちに、作りたいものとの邂逅が幾度あるかを思うとき、
窯を作り替えることを選んだ彼の、このたびの作品群はひとつの高みに到達していた。

陶房は、昼夜といわず火と組み合ったあとの、祭りのあとのような静けさだった。
彼に会うときはいつも、暖かで穏やかな気持ちになる。


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新しく作り替えた窯。ここで作品が生まれた。窯はもう静かだ。

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ひと窯に膨大な量の薪を使う。くべる薪を準備するのがひと苦労だ。

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穴の口を塞ぐのにも使う煉瓦。

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このたびの作品。窯の中で火を受けて、自然の灰釉(かいゆう)がガラス質のように器にかかる。

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左は前回の窯から出た作品。釉のかかりは偶然のように思われるけれどそうではない。
窯を作り替えれば、この釉は必然で生まれると確信した右がこのたび出た翡翠色の釉。
窯の数室ある部屋の特定の場所でしか生まれない色。これを出せる作家は数少ない。

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瑠璃色のような翡翠色のような釉も美しいが、彼がこのたびいちばん欲しかった色や手触りがこの作品の白。
この器を譲ってもらった。

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電動ではなく蹴りろくろを使う昔ながらの作陶。
ろくろ台のある所、上の天井には乾いて焼かれるのを待っている器の群と焼かれた群。

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鎌倉時代の花瓶の存在感を好んで自分の作品に取り入れるけれども、生活諸雑器も作る。

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展示室の一隅。


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夕暮れの陶房、鉢の子窯。
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by NOONE-sei | 2007-04-23 11:18

11夜 夢にのみ


ふいに言葉が降ってくることがある。
そんなとき、言の葉というくらいだから、言葉は葉っぱのように
ひらひらと舞い降りるかと思うとそうではない。
しゅるっと飛び込んでくるような、そんな降りかたをする。
今夜は『夢』が降ってきた。

わたしと諍(いさか)いをして寝る晩など、
王様には誰かが夢枕に立つらしい。
その誰かは、なにかを見透かすようで、王様は身動きができなくなる。
わたしは金縛りに遭うような経験がなく霊感もないので、想像もつかない。
朝の来るのが長いんだろうか、それとも朝が来ないような気がするんだろうか。
諍いをしている時だから、気づかってそうしたことを聞いたことがない。


『夢にのみ』という言葉をなにかで聴いた。和歌だったように思う。
調べてみると平安のいにしえには、『夢にのみ』を詠み込んだ歌がいくつかある。

   夢にのみ みえつつ共に い寝ぬ夜ぞ多き (万葉集)

   夢にのみ 昔の人をあひみれば 覺むる程こそ別れなりけれ (金葉和歌集)

   夢にのみ 継ぎて見えつつ高島の 磯越す波のしくしく思ほゆ
   絶え間なく 夢に見ゆれば高島の 波の重ねと思ほゆるかも (万葉集)

   夢にのみききききききとききききとききききききといたくとぞ見し (古今六帖)


王様の好きな曲「夢で逢えたら」(詞・曲 大滝詠一/歌 吉田美奈子)は、
夢の中で好きな人に逢いたくて眠り続けたいという内容だが、
いにしえの歌はすこし切ない意味の歌が多い気がする。
夢で逢えたら、なおさら逢えないことや別れたことを切なく感じる、というような。

最後に記した歌は狂歌で、同じ言葉を連ねる面白さで読むもので、
意味は特にないように言われている。
けれどわたしには「き」の連なりが、

あるときは「嬉々嬉々」と、
またあるときは「鬼気鬼気」と、
そのまたあるときは「忌々忌々」と、

ふいに言葉になって降り注いでくる。

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柔らかい旬の野菜、くきたち菜。茎立ち菜?久喜立ち菜?九鬼立ち菜?
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by NOONE-sei | 2007-04-21 02:35

10夜 桜の園


「叱る」とは、とても難しい。
わに丸などは叱られ慣れているから、叱り上手の大人には
「一生ついて行きます!」などと平気で言う。
一生って言葉の意味、わかってるのか?と思うけれど、
なるほど叱り上手の大人とは、叱り方が深くて人間的な魅力を持っている。
「先生」などと己(おのれ)を迷いなく言える人の叱り方は怖い。
その人種は、世の珍種じゃないところがなおさら薄寒く怖い。

5夜の後日談。
幼なじみとわに丸のふたりに会いに、幼稚園の恩師「まつこせんせい」が来てくれた。
これが彼らの「ふるさと巡り」のしめくくり。
お嫁に行ってママになっても、まつこ先生は変わらず可愛いのに、
ふたりと話すその目はちゃんと先生でふうわりと威厳がある。
「せんせい」で在り続けてくれるまつこ先生はひらがなのニュアンス。「先生」ではなく「せんせい」。

『コンビわに丸』の思い出話は、
ふたりで体を斜めにして並び、手を差し出して「デュワ~♪」と歌う芸。
幼なじみのお弁当は大きな大きなおにぎりで、必ず筋子が入っていたこと。
わに丸は走り回って下駄箱の角に頭をぶつけ、大出血し数針縫ったこと。
「ちょんまげ音頭」、、じゃなくて「ちょんまげマーチ」という歌のこと。
それは敬老の日におじいちゃんおばあちゃんに観てもらうおゆうぎ会の劇中歌。
五歳児を侮るなかれ。まつ組の出し物は組全員で話し合ってのオリジナル、
子どもたちが考える口立て芝居の台詞を 毎日まつこ先生は添削してくれた。

まつこ先生は、今だから言うけれど、、、と、出し物の準備よりも、実は、
オリジナル劇に園の了解を得ることが大変だったと教えてくれた。
集団を動かすには、枠をこしらえざるを得ない。これを規律ともいう。
少ない人数なら自由保育もできようが、大人数の園の枠からまつ組ははみ出ていた。
『コンビわに丸』もしかり。マニュアル通りの枠にはめる指導は実は簡単、
枠にはめないまま動かしてゆけるのが、まつこ先生の上手さだった。

彼らは三歳の記憶まで語りだした。「さくらこせんせい」のさくら組で叱られたこと。
さくらこ先生は彼らひとりひとりの両の手をしっかりと握り、しゃがんで彼らの目を見て叱った。
極道の妻みたいに恐かったと振り返るふたり。
さくらこ先生には威厳があって、選ぶ職業がもしかすると違ったのではないか、と。
極道を職業と言っていいのか?と思うけれど、
なるほど三歳児の記憶にきちんと叱られた記憶を残したさくらこ先生には、
正しい叱り方ができる人間的な魅力がある。


わに丸改め鰐号は大学で障害のある子どものことを学ぼうとしている。
脳・心・体のなかでも、脳の発達障害について知りたいと思っている。
ものを机の上の学問からでなく経験から考える鰐号は、子どもとじかに接したくて、
夜間に開いている幼稚園教諭になるための講座にも通う。
つまり鰐号のかばんの中には昼の教科書と、夜のはさみと糊が入っている。
ゆうべは子どもの手遊び歌を教わり、図画工作を習ってきた。
もういちど幼稚園?
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by NOONE-sei | 2007-04-19 02:12

9夜 花に埋もれる


鰐号の新生活が始まって二日目。
わに丸は鰐号と名を改める。
プラモデルみたいだ。ぷぷっ。

これ以降のお話には鰐号、これ以前のお話にはわに丸、
書き手であるわたし自身が混乱しなければいいけれど。 ・・いや、わたしのことだもの、きっとするだろな。
名の由来は簡単。ワニを漢字に変換したら、鰐という文字のつくりの部分が号に似ていたから。


今夜はいっぺんに花盛りになったこの地の、花に埋もれたような春を。



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赤は木瓜(ぼけ)の花。

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桃源郷か。梅桃桜がいっぺんに咲くから三つの春。

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この黄色は連翹(れんぎょう)の枝々。

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この黄色は菜の花。

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桃色は花桃。観賞用で、食べる桃の実は成らない。

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桜のトンネル。

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ソメイヨシノは花が大きく豪奢だけれど、この山の桜は可憐な彼岸桜や十月桜。
これはどっちなんだろう。花の名知らずなのでわからない。

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これは源平桜というのだったか。ひとつの花の中に、紅白の色がある。

持ち山に何年もかけて花を植え続け、花いっぱいにしたお百姓さんがいて、ここはそのかたの個人の山。
その心意気のおすそ分けをいただいて、満開の桜や花々で埋もれた春を見た。
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by NOONE-sei | 2007-04-14 02:17

8夜 はなまつり


この時季はあちこちで春の祭りがある。
吾妻山の雪がうさぎの形に融け残り、まるで合図するように春の種蒔き時を知らせると、
一斉にあちこちの神社が奉納旗を掲げ、豊穣祈願祭をする。
桜も咲き始め、菜の花は一面の黄、桃の蕾は色づき、連翹の黄もちらちらと見かける。
梅は桜と見まがうほどに盛りだ。あと少しでこの地はいっぺんに春の花で埋もれる。

目出度い末広がりの8夜は、はなまつり。
友人に招かれ、はなまつりに連れていってもらった。
神社じゃなくて、お寺。
今日は釈迦の誕生日、花を散らして祝うのだという。
寺には子どもたちが集まり、数珠を作り、お釈迦様が花畑でこの世に誕生するまでを
紙芝居で話してもらう。わたしは大きいけれども、その中に混じらせてもらった。

女性の僧侶を初めて見た。
手を合わせることは、釈迦との挨拶と約束なのだということ、
身を清める香を右手に置くと、その手のひらに左手を合わせ、
左に右に返し甲にすり合わせ、胸に手を置き開く所作、
花に見立てた紙片の撒きかた、経の唱えかた。
初めてのことはみな新鮮な驚きだった。

甘茶は媚薬か、甘味料を加えていない天然の味だと聞いたが、
舌の点に入り込みこじあけて、脳を騙して直接甘味を感じさせるような味。
右手は天を左手は地を指して生まれたという釈迦像に、その甘茶をかける。
皆が順に甘茶をかけ、手を合わせる間、彼女は経を唱えている。
話すときには気づかなかったのだが、
女性の唱える経文は、美しく摩訶不思議な響きだった。



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これから数珠をつなぐところ。

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数珠をつないでいるところ。

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小さい子も自分で作りました。でも簡単じゃありません。

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最後の仕上げを 僧侶に手伝って貰っているところ。物を作る手は綺麗。

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不思議なお味の甘茶。



これはおまけ
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御馳走でもてなしてくれた友人に感謝。
友人の名は「坊」というのだけれど、僧侶ではないので精進料理ではありません。
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by NOONE-sei | 2007-04-09 02:37

7夜 春の驚き


街なかでは桜の花が少しずつ咲き始めているのを見て、驚いた。
こたつもストーブもなくては寒いというのに、
花はしめし合わせたように咲くのだもの。
花咲か爺ならぬ、出遅れた花咲か婆の気分。
つい今しがたまで歌っていた「春よこい」が、桜の歌になってしまったような。
でもまだ「春がきた」という歌じゃない。


               * 春よこい *
                           詞 相馬御風
                           曲 弘田龍太郎

        春よこい 早くこい 歩き始めた みいちゃんが
        赤い鼻緒の じょじょはいて おんもへ出たいと 待っている

        春よこい 早く来い おうちの前の 桃の木の
        蕾もみんな ふくらんで はよ咲きたいと 待っている


この歌、ずっとみよちゃんだと思っていた女の子が、みいちゃんだったことに驚いた。
桜が咲くことが春の象徴だとしたら、春の歌とは「さくらさくら」か。


               * さくらさくら * 
                           詞・曲 未詳

        さくら さくら
        弥生の空は 見渡すかぎり
        霞か雲か 匂いぞ出ずる
        いざや いざや 見にゆかん


これがわたしの知っている「さくらさくら」なのだけれど、塾の子に尋ねても知らないという。
歌詞は二通りあり、筝曲がもとになったこの詞は昭和十六年に改められ、
今は音楽の教科書にも載っていないのだとか。驚くどころではない。ひっくり返ってしまった。
わたしは、塾では歳をとらない六十九歳で通しているけれど、嘘つきだからばちが当たったのか。
主流になったという新しい歌詞を見ても、まったく憶えがなかった。


        さくら さくら
        野山も里も 見わたすかぎり
        霞か雲か 朝日に匂う
        さくら さくら 花ざかり


・・・知らない歌。
誓って言うが、わたしは昭和十六年にはまだ生まれていない。



                                 *    *    *


今夜のお写真は、すこし春の気配。

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夏に実る桃は、春に蕾がふくらむ。夏には、いつもこの木の桃をお写真に撮っている。

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庭のカタクリ。日中は開いていた花が、夕暮れには閉じる。

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近所の空き地はあさつきの宝庫だ。

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春の小川はさらさらゆくよ。土手にはせりが生えている。

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春の小川には野生の菜の花が咲いている。

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散歩しながら摘んだ、あさつき・せり・からし菜。

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いつも行く山のふもとの公園には、こんな立て札が立っている。桜前線の北上を調べる木なんだろうか。

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見上げた基準木はまだ固い蕾。わに丸とシワ コ 。


わに丸のことについて。
高校を卒業するということは、動物でいう親別れ子別れのようなものだと思う。
むかし、自宅から地元の大学へ通う娘を案じ、自立を促(うなが)すために、
「仕送りするから下宿をするように。下宿先は自宅だけれども、けじめをつけなさい。」
と言った母上がいたと聞いた。
わたしは未熟で、そこまで毅然とした母じゃないけれど、わに丸との新たな絆を持ちたいと思った。

わに丸を改名しようと考えている。
新たな名に改まったからといって、なにが変わるでもないがけじめだ。
そうして、幼名をここに書く時には、精一杯慈しんだお話にしたい。
・・どんな名がいいかな。
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by NOONE-sei | 2007-04-05 02:41