<   2007年 01月 ( 9 )   > この月の画像一覧

96夜 ちかごろのこと


いつも行く場所のいつものものが、ちがって見えることがある。
それは、見るほうの角度でちがって見えることもあれば、
ほんとうにちがうものになっていることもある。

気づいたことが嬉しいこともあれば、
さみしいこともある。
でも気づかないままでいるよりいい。

今夜はちかごろのことをお写真で。

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犬と散歩していたら、松ぼっくりの群(ぐん)を見た。
葉がひとつもない高い松に、びっしりと。小鳥が枝という枝に留まっているみたいに。
これはいつもの松なんだろうか。松の木って、こんなふうに落葉するのか?


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木立の中に、木のテーブルがある。
子どもが松ぼっくりを拾ってきては一個一個置いて並べた群。いつものテーブルとちがって見える。
写真を撮っていいかどうか、子どもに了解をとったお写真。


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わたしも子どもの真似をして、松ぼっくりや伐採時にでた板や松の葉を拾ってきた。
ままごとのように並べて、ちかごろめずらしく自分のために買ったアクセサリーを置いてみる。
立体的なブローチ。でもこのバレリーナ、ふくらはぎが太いような。


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ちかごろ読んでは積んだ漫画。むかしの漫画もひっぱりだしてきて。

中には数冊、よそのウェブログで知ったものがある。紹介してくれたひとはさまざまな画像を集めていて、
それらは美しかったり時に気味悪かったりしたけれど、不思議と追いかけてこなくて好きだった。
そのひとの日記のほうは、職場で徹夜になると椅子を集めてきて並べたその上で寝るだとか、
お昼に買ったカレー弁当には何故味噌汁がついてくるんだろうだとか、お腹の調子がよくないのに
ステーキを食っただとか、くすくすと笑いながら読むようなことが淡々と書かれていて楽しかった。
やがて画像のウェブログはパブリックな印象になって日記はだんだんに日常が見えなくなり、
すこしさみしいと感じていたら、ある日急に画像のウェブログは休載になった。
ちかごろ日記には画像も掲載され、それまでと変わりなくなったように見えるけれどすこしちがう。
わたしはそのひとが犬を飼っていることを知って、すこし嬉しい。
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by NOONE-sei | 2007-01-31 02:50 | 趣味の書庫話(→タグへ)

95夜 死体がひとつ


はじめに : 今夜の夜話は、本編を観る予定なら読まないほうがいい。

「ラッキーナンバー7」を観た。
いいじゃないか、これ。
ひとつの死体に仕掛けがいっぱい。

観る前に、原題を見ちゃだめだよ。
できるならポスターも見ないで本編を観たほうが、楽しい。
なんにも知らずに観たほうが、知能をぐるんぐるんに回されて楽しく疲れさせてくれるから。

英語の言葉のあやとりが楽しい。
wrong time ・・long?
wrong place
wrong number 

goodkat ・・cat?

lucky number 7 ・・seven?

この映画、復讐の物語とも、大きな意味で父と子の物語ともとれるし、
実際には死体がいっぱい、血がいっぱい、陰険でどうしようもなく暗い物語なのだが、
可愛い愛の物語でもあって、それが映画に明るさを与えている。

ジョシュ・ハートネットの鼻血が可愛い。
ずっとずっと、映画が終るまで、運のない、情けない、頼りない、目に力のない、
そんな明るい若造姿でいて欲しかったのだけれど。
タオルを腰に巻いた裸はどうでもいいんだが、シャツにはアーガイルのベストだなんて、
若造にぴったりの清潔感じゃないか。
モス・グリーンのベストが綺麗。

ルーシー・リューがちっちゃくてくるくる動いて可愛い。
こんなに可愛かったら、悲しい顔はさせられないね。
わたしが彼女を観たもののほとんどは、アクションだとかSMの女王様だとかだったもので、
アジアン・ビューティと聞いても、さして魅力的とも思わないでいた。
けれど、「カンパニー・マン」(ヴィンチェンゾ・ナタリ 米2002)という妙に印象に残る映画に、
ルーシー・リューはちょっと可愛い役で出演していて、もしかしたらエキセントリックな役じゃない
ほうがいいのかもしれないと思っていたら、これほど可愛いとは。
ラベンダーの色がよく似合う。
この色、ちょっとしか見えないから、見逃すかもしれないけど。
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by NOONE-sei | 2007-01-29 14:01

94夜 死者がいっぱい


「 ディパーテッド 」〔原題:THE DEPARTED(死者)  監督:マーティン・スコセッシ〕を観た。

いかれたマフィアは、馬鹿みたいに人殺しをするし、警察との攻防でも、事件解決後も、
つまりは簡単に死体が出るんだが、
この映画、お題は、「死者」よりも「亡霊」のほうがいいんじゃないだろうか。
単に生き死によりも、存在そのものについて考えさせると思うのだけど。
香港映画のリメイクらしいけれど、何故こんな題なんだろう。

覆面捜査官という、身分を警察内でさえ幽霊のように伏せられて潜入捜査をする若者、
いるはずなのにいない、そんな居場所のない不安感を演じたディカプリオ。
小太りの坊ちゃん俳優と思っていたが、葛藤が伝わってきたし、だいぶ大人びて見えるようになった。

一方、マフィアの援助を受けて警察学校を卒業し、情報を流す警察官にも、
そうなるにはなるだけの理由があり、葛藤や苦しみがあった、はずなのだが、
マット・ディモンからは、役柄の狡猾さと小さな演技しか伝わってこなかった。
だいたい、設定からして若者が警察でこんなに指揮権を持てるとは思えない。
上司であるはずのアレック・ボールドウィンの影が薄いのももったいない。
マット・ディモンは「ボーン・アイデンティティー」(2002)の、
英才教育で殺人兵器に仕立てられ、記憶をなくした暗殺者のほうが、百倍もいいし、
「オーシャンズ11・12」の坊ちゃんぶりも捨てがたい。

マフィアの親分は、覆面捜査官に、七十歳になっても何故自ら犯罪を続けるんだ、と問われる。
深まるいいシーンになりそうな気がしたのに、脚本はそれを深めなかった。
脚本の代わりに、いかれたサイコぶりで答えたようなジャック・ニコルソン。
わたしは、ジャック・ニコルソンが嫌いだ。
意味ありげでこちらの視線を引っ張ってゆく仕草、黙って立っていればゴシック的、
懐疑と狂気をたたえた、愛もその裏返しの黙殺も自在の、人を壊れた糸操り人形にしてしまう眼。
けれど、恐怖政治のようなマフィアの親分は、ほんとうにただのいかれたサイコでよかったんだろうか?
そうだ、彼の「カッコーの巣の上で」(1975)を観た時から、そして映画が終わった後、
映画館で拍手が起こった時から、ずっと嫌いなんだった。
今となっては、あの映画が嫌いなんだか彼が嫌いなんだかもよくわからない。

同じ潜入捜査の映画なら、アル・パチーノ、ジョニー・デップ主演の「フェイク」(1997)のほうがいい。
少なくとも、スパイをネズミと呼ぶからといって、
最後にマンションの手すりをネズミに歩かせるような、
ネズミが人を齧(かじ)ったような、じゃなかった、人を食ったような勘違いの余韻作りは無いから。


追って・・
本文ではマフィアと記述したけれど、この映画の場合はギャングとする方がいいかもしれないな。

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by NOONE-sei | 2007-01-23 23:50

93夜 待っていないよ


「待ちぼうけ」という歌だったっけ?ころり転げた木の根っこ。
お百姓さんがせっせと野良仕事をしていたら、突然ウサギがぴょんと跳ねて出て、
切り株にぶつかって昇天、労せずして利益を得ることを覚えたお百姓さんは、
それ以来働くのをやめてしまい、ただ畑で棚からぼた餅のような獲物を待っていましたとさ。
やがて畑は荒れ放題、昔の光、いまいずこ。・・だったか?

いつも犬と行く山のふもとの公園は、管理が行き届いていて、パトロールの車が巡回している。
植栽の手入れもよくなされていて、松林の中は下草が刈られ、蔓は掃(はら)ってあるので、
見通しもいいし松も真っ直ぐに伸びる。
先日、暖かい日に林を歩いた。松の葉が足の裏にふかふかと、じゅうたんのようだった。

ふと気づくと、新しい切り株があちこちにある。松の木って、冬に伐採をするのか?
ゆく道々、新しい切り株、古い切り株、と、切り株を追いながら歩いた。
ずいぶんと林の奥まで歩いた頃、老齢のご夫婦がわたしの後から歩いてきた。
歩いてきただけじゃない、ご主人に声を掛けられた。
「何をしているんですか。」
なにやら声の調子に険(けん)がある。
そのとき、わたしは切り株のお写真を撮っていたのだが、どうも不審な行ないと思われたようなのだ。

あわてて、「切り株を写真に、、、。」
辺りを見回すご夫婦、わたしとの距離を微妙にとりながら。
撮るべきものなど無いではないか、というような訝(いぶか)しげな空気。
口ごもっていてはいけない、ととっさに感じて、脳を人と対応するパブリックに切り替えた。
「美しいものだけが写真に撮られるとは限りませんよね。
 この切り株にも、写真に撮るおもしろさがあったものですから。」
冷静ににこやかにゆっくりと言葉を口にした。ほんとうは逃げ出したかったのだけれど。
「個展でもされるんですか?」
奥方が初めてご主人の背の後ろからわたしを見て言った。
かぶりを振って、いやいやとんでもない、というそぶりをしたら、
ただの散歩の途中だとやっと理解したらしく、行き過ぎてくれた。

下を向いて佇む姿はそれほど怪しかったのだろうか。
わたしは熊も猿もウサギも待っていなかったのだけれど。


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公園に着くときに見えた、雪の吾妻山。

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まつぼっくりがあちこちに転がっている。

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問題の切り株。美しいとわたしには思えるのだけれど。


よし、切り株のお写真を連続で載せてしまおう、わたしは確かにこれらを撮っていたのだから。
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新しい切り株から順に古くて半ば朽ちたような切り株まで。

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いろいろな表情の切り株。

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夕暮れの池には薄氷が張っていたけれど、一日ずうっと融(と)け残っていたんだな。
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by NOONE-sei | 2007-01-19 15:47

92夜 雪のない小正月


ほんとうなら、今頃は雪めんぼ。
寒いけれど、風のない雪の日はあたたかな感じがするのに。
今日の吾妻おろしは冷たかった。雪のない風の日はさみしい。

いつもなら、雪の小正月には「だんごさし」がよく映える。
寒くてどこにも花が咲いていないから、花のように華やぐ。
つい二年ほど前までは、家でひとつひとつ、
麩菓子のような縁起物を糊付けして枝に下げた。

もっともっと昔には、新粉餅をついて、食紅を入れ、桃色や白の
だんごに丸めた餅をミズキの枝に付けたという。

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「だんごさし」には、さいころ、鯛、恵比寿さん、寿ひょうたん、打ち出の小槌、亀、小判、、、、。
どの家も神棚がにぎわって、上からざらんざらんと福が降(お)りてくる音が聞こえそうだ。
これを見に奉公人もお嫁さんも、店や婚家から帰ってくる。
浜で大工の年季奉公をしていた父は、薮入りが何よりの楽しみ、
親方から小遣いを貰って炭鉱の実家に帰ったのだという。
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by NOONE-sei | 2007-01-14 03:31

91夜 日々新たなり


毎年、心待ちにしているリトグラフの賀状。
いつもゆっくりと届くのだが、いつも待った甲斐がある。
今年のは流行の話題なので、人の記憶にある旬なうちに書かなくては。

触ると表面にふくらみまである、花びらが開いたような六角皿が葉書の真ん中に。
色は灰色がかった渋みのある銀で、華やかな皿ではない。
錦の色で描線が施してある。
地図?どこかの国の輪郭線?天地を逆さにしてみたり、水平にして目を凝らしたり。

わかった。
後方にのけぞる、リアルに太ったイノシシ。
何故に皿の上で?
謎解きに毎度悩むわたしのために、ヒントが表書きに記されていた。


■ 2007年 亥(ゐ)年の賀状
           
       
       ゐのboar
       ひび新たに


銀板の氷上で、亥(ゐ)がアイススケートの技、イナバウワーをしているから「ゐのboar」。
皿を亀の甲羅に見立て、さらに銀板に見立てている。あらら、駄洒落るつもりじゃなかったが、、。
亀の甲羅に見えた訳、それは、甲羅のように「ひび」のような模様だったから。「ひび新たに」。
吉兆を占う亀の甲羅の上で今年の干支がのけぞって、日々を新たにしてくれる。
目出度い。


追って・・・しまった見落とした。英和辞典で調べるのを怠って、目出度いのはわたしの頭。
イナバウワーを連想させておいて、もうひとつ語呂遊びが隠れていたとは。「ゐ」も「boar」も同じ意味、どちらも「イノシシ」。



・わたしの、語呂遊びの素
一昨年の賀状 語呂合わせ
昨年の賀状  たっぺらな犬

                     *  *  *

昨年の今日も、こうして91夜を書いていた。
不思議な偶然。
いつも言葉を掛けたり割ったりして語る百珍だけれど、日数(ひかず)まで合わせて
仕掛けを予定していたわけではない。

新々百夜話、三百の夜話も終焉にあとすこしだ。
近づくにつれ、即興で書く故の拠り所のないおぼつかなさや、削(そ)ぐような感触が増す。
拙い夜話に、あともうすこしおつきあいください。
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by NOONE-sei | 2007-01-11 15:12

90夜 まるちゃんの母 


どっかり座って夕げの支度が整うのを待っていたわに丸が、わざわざわたしを呼ぶ。
テレビアニメ『ちびまるこちゃん』のお母さんにそっくりだというのだ、わたしが。
若い時分の回想場面と現在の場面が交互に出るのを指差して、この変化だとしたり顔をする。
しかも、丸くなっただけでなく髪型までそっくりだという。
「こういうのをおばさんパーマっていうんだ、おばさんパーマ、略しておパー。」
残念でした、わたしは髪にパーマはかけていない。
このゆるゆるは、天然なんだ。略して天パー。

朝食をめずらしく早く済ませたと思ったら朝寝をし、午後になっても寝ている。
この一時(いっとき)さえ時間が惜しかろうに。
だから、人からもらったおもしろ袋の中から紙の顔パックを取り出して美顔を試みた。
すっぽりマスクの白い顔と言ったら、映画『犬神家の一族』だ。
その顔のまま、だかだかっと足音を立ててわに丸の部屋に行ってみた。
「うわぁーーっ!!・・頼むから!寝かせといてくれっ!」
頼むだなんて、久々の台詞。許してやる。

ふたたびの夕げ、繰り返しわに丸に掛かる手数(てかず)に、根気が続かない夜もある。
ああ言えばこう言うの果てに出る、わに丸得意の抉(えぐ)り技、「二重人格」。
普段から、これを言われるとわたしがぐっと詰まることを知っている。
なんのことはない、わたしの血液型がAB型だからなのだが、
「人格」とは人の格や品性まで表わすような重い言葉だ、と瞬間的に脳が反応してしまう。
わに丸につかみかかったものの、母屋(おもや)のじいじが何事かと驚いてしまった。

わに丸に静かに言うだけのことは言い、よく眠れる薬を飲んでも脳の覚醒は収まらない。
電話もかかってき、布団にはいる暇がないうちに王様が帰ったので、ちょっと話をと思って座った。
あとで聞いた話。
脳が寝ても、わたしの手は食べ物に執着するのだとか。
話しながら言葉は途切れ、手だけが王様が食べ終えた刺身皿の上をかきまぜていたという。
そして別皿に残っていた小さなおかずを手で口に入れはしたものの、口の周りは鰹節まみれ。
わに丸が仲を取り持ってもらうために部屋に上げていた犬が、それを全部なめた。

朝の会話。
王様  「問題です。セイは夕べ、どうして寝ることができたのでしょう?」
わたし 「お薬を飲んだからです。」
・・ちびまるこちゃんのお母さんになったわたしを 二階までかついでくれてありがたう、王様。


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鰹節が大好きです。おやすみなさい。コメントもちょとおやすみです。
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by NOONE-sei | 2007-01-10 03:09

89夜 小さなめあて


年の初めに、なにかめあてを持つ、って考えたことがなかった。
塾のちいさいさんと年明けに初綴り方をやるときでも、
「今年の目標を書いて」とは促(うなが)したことがない。
不言実行ならぬ有言実行などと、耳慣れない言葉を聞くことがあるが、
目標をまず掲げ、実現しなければ恥をかくから逃げられぬ、
そんなふうに自らを追い込まねばならないとしたら、窮屈ですこし悲しい。

今年は例年とは違い、小さな目標を意識して言葉にしてみた。
小さすぎるくらいに小さいし、「目標」では大業(たいぎょう)な感じがするので、
「めあて」くらいがちょうどいい。
探していた食材をみつける、とか、犬が寒くてくるりんと小さく丸まった姿を写真に撮る、とか、
記念にとっておいたわに丸の幼い頃の子供服を思い切って処分する前に、
布の一部を切り取って小物を作り、形を変えて残す、とか、
レースの端切れを縫い付けて自分のシャツをちょっぴりエレガントに変える、とか。
実現できなくて気持ちがしぼんだら困るのだけれど、年の初めのうちはすこし張りがでる。
そしてこれが肝心なことだが、心には鍵を掛けて、ユーモアに支えられて感情の平静を保ちたい。

「人はそれほど期待して貴女にものを言っているわけではないのだから、
誠を尽くさないほうがいい。真(ま)に受け、傷つくだけ消耗するよ。」ずっと昔に、
そう言って諌(いさ)めてくれた人がいた。
わたしの悪い癖で物事を感傷的に捉え、人とのやりとりにくじけることばかりだ。
血圧が低いから感情が表面に出ないで、動悸や小刻みな震えが見えにくい。
情という血が薄いより、まだいいと思うけれど。

今年は、世間話のひとつも、できるようになってみよう。
・・そのめあて、やっぱりちょと大きすぎるなぁ。

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福を招く猫。魔を睨むだるま?手も足も出ないのがだるま?
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by NOONE-sei | 2007-01-07 00:10

88夜 謹賀新年福まさる


正月の縁起物に、「まさる」というものがあって、
撓(しな)らせた竹の両端に糸を結わえ、弓に見立て、その糸には土鈴が掛かっている。
振るとからからと音を立てながら、土鈴が糸をつたって落ちてくる玩具のようなもの。
「去年に勝る、福勝る」というのだが、「魔去る」にも掛け言葉になっている。

いつもの休みとたいして変わりなく正月休みを過ごしたが、初詣には行った。
破魔矢のほかに、まさる、白河だるま、会津の起き上がり小法師など、
地方色のある縁起物が売られていた。

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「まさる」とは、これのこと。土鈴には白い羽が付いていて、獅子の顔のように見える。

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まさるを振る手をじっと見つめる、初詣に連れられて来た子ども。

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神社で手を合わせた後、破魔矢を持って帰る子ども。


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今夜は88夜、末広がりな初夢の夜。
末広がりに風呂敷ならぬ座布団を敷いて、ちょこんと載っかっている文字、「笑」。
折り返した角には、朝日ならぬ文字、「福」。
かどはかどでも角ならぬ門。
・・笑う門には福来たる、ということで。

どうぞ、本年が皆様にとって、福まさるお年でありますように。
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by NOONE-sei | 2007-01-03 02:17