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87夜 粘り気のあるボンド


ジェームズ・ボンドの新顔を観た。
映画館はわたしのような一人の客が多かったけれど、男性客がわりに多く感じられた。

『007』って、はるか昔から当たり前のようにある映画で、洒落た大人の映画なのか?
いつも水着の、高すぎる背丈のお姉さんが、ゼロゼロセブンというおじさんに花を添える
よくわからない映画、という印象を持っていて、愛着を感じたことがない。
おそらくそれは、七三に分けたような髪型と背広のせいで、おじさんの顔ぶれが
どう若返ってもやっぱりおじさんだからだ。

おじさんがどんなに気障(きざ)なくどき文句を言っても、
接着剤じゃないが粘り気のある、まわりくどい気使いにしか思えず、
会話の妙味や洒落た物腰、洗練された仕草、というものは理解できず、
おじさんの整髪料には粘り気があるんじゃないか、という方に気が行った。
それに、気障って、気に障るって書くだろう?

そんなふうに、わたしがダブルオー・シリーズを好ましく思えなかったのは、
わたしの未熟さが第一にあり、次には男性側の視点で撮られている違和感に、
馴染めなかったからだ。

新しいボンドはまだ粘り気がなく、短髪で、怪我ばかりしていた。
洒脱な会話のまわりくどさよりも、無骨で単純で、信じてもいいような優しさがあった。
けれど、これこれこんなことがあって、ダブルオー・シリーズが始まりましたとさ、と言われても、
懐かしの映画とは違い、高テクノロジーを随所で使うので、設定は現代。
この粘り気のないボンドが、あの粘り気のあるボンドに変貌を遂げるとは思えない。
『バットマン・ビギニング』でもそうだったが、物語以前の物語には、必然に至る必然と
いうべきものがある。原点回帰ではなくて。
大抵は、強い悲しみが必然への引き金になるのだけれども、『カジノロワイヤル』、
これはどこか他所の世界の、もうひとりのジェームズ・ボンドだったから、楽しかった。


本年のご愛顧に感謝いたします
みなさま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ

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by NOONE-sei | 2006-12-31 01:38

86夜 暮れの戴きもの


少女の頃に、女友達と約束した。
大人になったら、外国製の美しい瓶に入った美味しいもの、
それがたくさん詰め合わされた、わくわくするような『お歳暮』を贈り合おう。
彼女が一人暮らしの社会人になってから、家にあるものをみつくろって、
カルピスだのジャムだの、佃煮だの麺だの、瓶やら缶やら玉手箱のような食料を送ったけれど、
ヨーロッパの美味しいものは遠く、せいぜいが国内の美味しいものか、アジアの美味しいものどまりだ。
彼女とはちょっとした贈り物のやりとりはあっても、お歳暮の約束は未だに果たされずにいる。

お歳暮という「のし」のついた包みは、どことなくあらたまっていて、特別な気がする。
のし、というのは、のし烏賊(いか)のことだろうか。
赤のし、と呼んでいる祝儀袋の上端に、糊付けされている矢羽のような紅白の紙。
その紙に包まれ少し顔を出している薄茶の化繊。あれがのし烏賊に見立てた物?
崩した書体でのしと書いてあるのは汎用ののし袋で、ただの朱書きだ。
のしを漢字で書くと熨斗というのか?なんて難しいんだろう。

のし袋に礼金を入れて渡すときには、台をつけるという。
ただ金銭を渡すよりも、菓子折りなどの箱を台に見立て、その上に袋を載せれば失礼がないとか。
台がなければ紫のふくさに入れて。
中に、台になる板のついたふくさを出す時など、緊張で台を落っことしたらどうしよう、と心配になる。
ふくさ、漢字で書くと袱紗、これもやっぱり難しい。

たいした世話をしたわけでもないのに、暮れのご挨拶にとお礼を届けてくれる人があった。
戴いた包み紙には、古くからの店、△△海草店と印刷があって、中を開けたら楽しかった。
干し椎茸、煮物用昆布、焼き海苔、佃煮セット、車麩。
スルメをあたりめ、すりゴマをあたりゴマ等々、よく縁起を担いで当て字を使うことがあるけれど、
車麩も久留満麩という当て字になっていた。

いえいえ、たいしたお世話もしておりませんのに、
などと受け取れないそぶりができたら相当な大人ぶりなのだけれど、
さっそく包みを開けて佃煮セットを組み立てて、、、いや、作ってしまった。
わたしよりもずっと若い女性に戴いたのに、なにやらずっとずっと大人の女性に
古式ゆかしい贈り物を貰った気分。

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父のパチンコ友達は専業農家で、市場に出さないリンゴや白菜を戴いた。
白菜は、素人ではこううまく玉にまとまらない。

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この地は北限の柚子産地で、山の斜面に柚子畑がある。
柚子農家から戴いたゆずの皮をむき、韓国の粉唐辛子・みりん・赤味噌とミキサーで混ぜると
熱を加えないゆず味噌のできあがり。

気になる佃煮セットの中身
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by NOONE-sei | 2006-12-29 22:50

85夜 偽りの口


すべての道はローマに通じているのだったっけ?
では真実の道も?
偽りの道も?

真実の口はローマの教会にある。
偽りある者が手を口に入れると、その手首を噛み切られるとか手が抜けなくなるという。
映画『ローマの休日』で知られる、大きな海神の石円盤。
では、何度手首が無くなったか数えきれないにちがいない。
わたしは大勢の子ども達に、無数の嘘をついてきた嘘つきだから。
心とうらはらな偽りを語るのが嘘つきなのだとしたら、その嘘は厄介な道徳に満ちていて、
一方、真実とは、短絡と享楽だ。

子どもというものが純粋な魂かといえば、それはひどく乱暴な問いで、
子どもは野生の欲に満ち満ちて、不完全な姿と思考の、人間以前の「鬼」だ。
罪なことに、ちいさい者は白く光る物を数多く持っているものだから、
おおきい者はそれに目がくらんでしまうのだ。
瞳の黒目の大きさ、そして白目の青いような白さ。
髪の天辺にぐるりと、ちょうど天使の輪にたとえられる白く光る艶。
調和の比率に欠ける姿や、己が神であるかのような振る舞いを何と言う?
天真爛漫?天衣無縫?何故、「天」という文字を冠するのだろう。

神の庭から人間界に下りてきたナニモノカは、まだ「邪(よこし)ま」なものを知らない。
人間になるためには、羽化するまで脱皮を幾度(いくたび)も繰り返さなければいけない。
人間の形は、おおきい者達が与えてゆく。
ナニモノカは、ほどなくちいさい者となり、それらをおおきい者達は愛でるけれども、
どれほど永くと望んでも、その蜜月には終わりがあることを知っている。

聖なる夜、ちいさい者の枕辺に贈り物を届けるといわれている老人がいる。
ちいさい者達は待ちわびるけれど、それは、羽化にひと足ひと足と
ちいさい者を近づかせる、白い髭の老人の姿を借りた、姿なき者。
来なければいいと望んだ蜜月の終わり、
姿なき者には、おおきい者が真実の名を与える。
ちいさい者への贈り物は、喪失。おおきい者は自らの手で喪失を与え虚無を受けとる。
ときには代償に、ちいさな悲しみも虚無には付随する。

天使のようなナニモノカは、たちまちのうちにちいさい者となり、やがて喪失を知るが、
受けたその洗礼で、ちいさい者は新たな名を得る。
子ども、という名の、人間になる脱皮をした者達は、小鬼のような貪欲さで生きる。
あと幾度の脱皮が待っているだろう。
それまでは、天使達であったことをとうに忘れてしまった天と邪と鬼の、
ただの「天邪鬼(あまのじゃく)」だ。

偽りの口はどこにあるだろう。・・それはわたしの中に。


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ついこの間のイヴから幾日も経っていないのに、浮世はもう師走の騒々しさ。
時間の流れに追いつけなくて、まだわたしはクリスマスのことを考えている。
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by NOONE-sei | 2006-12-28 22:34

84夜 真実の口 


年長のお姉さまから聞いた話。

今ではどの子も貰うような、紙でできた長靴。
彼女がちいさな頃にはまだそれはハイカラで、誰もが貰うものではなかった。
それは聖夜の翌朝ではなく、夕げの席で父から手渡される。
もと軍人だった父上は子どもに厳格な父親だった。
クリスマスを家庭の行事にすることは許したけれど、
聖夜には役に立つ物を子どもに渡すならわしだった。
靴の中には菓子に手が触れる前に、まず「役に立つ物」が入っている。
・・・たわし。家のお手伝いをするように、という意味。

こういった家庭で育った彼女が結婚したのは、父上と同じように厳格な人だった。
授かった子どもが少し大きくなり、やがてクリスマスが近づくと、「サンタさんはいるの?」
大抵の場合、親は通過儀礼として真実を告げるのが常だが、彼女のご亭主は違った。
・・・「サンタクロースを疑ったら、その時から彼は来なくなる。」
そうしてその家の子は中学生になるまで、二度と疑いを口にしなかった。

わに丸が小学生の頃、友達が来てクリスマス会のまねごとでもてなす機会があった。
サンタクロースへの疑いを口にするのは上に兄弟のいる子ども。
そういう時は聞こえないふりでやり過ごし、なりゆきに任せるものなのかもしれない。
けれど、わたしは彼女のご亭主に習って、子ども達が雁首を並べている席で言い渡した。
「いろいろ思っているだろうけど、サンタさんを疑ったら二度と来てくれないんだって。」

幼稚園児のわに丸は、夜中にサンタクロースの鈴の音を聞いたことがある。
王様でもわたしでもなく立派な髭のサンタクロースだから、影だけでも見せようとしたのだが、
ぎっちりと目をつぶって耳だけを澄まし、わに丸は決して瞼を開けない。
掠れた静かな「メリークリスマス・・・」という声が遠ざかると、
やっと「サンタさんはほんとにおじいさんだった、、、。」とつぶやいた。

後に知ったことだが、わに丸はその時の印象が鮮烈だったことと、
疑ったら贈り物も貰えなくなると解釈して、思考そのものを停止させたのだという。
わたしの言い渡した言葉で、あの時の子ども達も思考を停止させていたのだろうか。
答えを聞いてみたいような、聞きたくないような、、、。
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by NOONE-sei | 2006-12-27 01:54

83夜 うちへおいでよ


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明日はイヴだね。なにか特別な夜?


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なんとなくイルミネーションを見ていたの?
ふう~ん。・・じゃ、ちょっと魔法のじゅうたんで、おでかけしてみる?
それじゃ、目をつぶっていてね。


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着いたよ。ここはヘンゼルとグレーテルのお菓子の家ではありません。アブラカダブラ。


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ゴマが開いて、トナカイみたいな犬がお出迎え。ランプの精ではありません。


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ほら、プレゼントがあるよ。みんなで分けよう。「どれにしようかな、神様の言うとおり、赤豆白豆三度豆。」


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手遊びをしよう。手の甲を出して。「お・せ・ん・べ・焼けたかな。」
・・ピザが焼けたよ。けんかしないで仲良く食べてね。


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くだものはいかが?「ぱいなつぷる、ちよこれいと。」一歩二歩散歩。


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ココナツのクロタンをおやつにどうぞ。いばら姫が編んだ、イバラじゃなくてこれはヒイラギ。


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あ。もうこんな時間。送っていくよ。来た時とおんなじに、目をつぶってひとっ飛びだよ。
帰りは真っ赤なお鼻のトナカイと、サンタさんと一緒のそりでね。


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Come On-A My House、よく眠って、夢の中でもまた遊ぼうね。
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by NOONE-sei | 2006-12-23 15:16

82夜 風雲金閣を告げる


「風雲急を告げる」とはどんな意味だったっけ。
調べたらわかった。今にも大変動が起こりそうな、緊迫した情勢であること。
今夜はでたらめな日本語でいこう。

わに丸の受験はちょうど期末考査の最中だったため、公欠扱いで後日再テストの予定だった。
しかし受験の直後、事態は『風雲急を告げ』、情勢はあれよあれよと変動していった。
何故か再テストは受けられず、教科担任からは零点を言い渡されたという。
まず、卒業に障りがないかどうかを確認しなければならなかった。受験結果もまだ出ていない。
王様とわたしは、学校でなにがあったのか頭がこんがらかりそうだった。
教頭先生から電話をもらい、わに丸は電話で叱られた。
わに丸が主人公になって、わが家は熱情の館と化し、翌日、王様は塾を休んで高校に行った。

学校では担任・教科担任・教頭先生が並んで、王様の前でわに丸に経過確認をした。
聞くべき話を聞かず、訊ねるべきことを訊ねず、するべきことをせず、とうとう今に至ったことを知った。
学校は再テストの場を準備したが、受けさせてもらうための願い出と日時の確認とを怠って
すっぽかしたのはわに丸の方で、日時を知らせてくれなかったという本人の認識だけが
自己中心的だった。そしてそういう累積が情状酌量の余地のない零点だった。

王様は、こんな話をした。
わに丸が高校に入学した当初は遅刻ばかりだったこと。
電車は待ってくれないのに、定刻の電車に乗れない。間に合わない。
電車がオレを待っている、と思っているかのような振る舞いで、
毎日の繰り返しが体に身につくのを 家庭では根気強く待ったこと。
通学のために、いつ・なにを・どこで・どうすべきかを類推するには時間がかかったこと。
「ばかだと思われるでしょうが、赤ん坊だと思わなければやってこれなかったのです。」
そして王様は人目をはばからず、泣いた。
教頭先生はわに丸に人間の性根のなんたるかを説いた。わに丸の将来のために。

脳みそには、沁み込む言葉の穴がたくさんあるとしたら、わに丸の穴は少ない。
教頭先生の言葉でわに丸に残ったものは「親不孝な人間は、俺は大嫌いだ」だった。
学校は少し田舎にあり、先生方は学校を愛していて生徒を思う気持ちを持っている。
わに丸は不真面目な学業不振ではないから、寄せ集めて成績を貰えることになった。
王様の涙と教頭先生の説教があったからといって性格がすぐに変わるものではない。
けれど、人生ならほんのすこし、そしてすこしずつ変わるものかもしれない。
後日の残念な受験結果に醜い言い訳をしたわに丸は、わたしにたたかれはしたけれど。

試験は試練、、、なんて、駄洒落ばかりを並べている情勢ではない。
受験結果が出て、大学だけが道ではないと話し合ったのだが、受けさせてくれと殊勝なことを言う。
よそに比べれば机に向かっている時間はたかがしれているが、夕べの忍者わに丸、
「生まれてから今まで、こんなに勉強したことはない。日本史はもう室町時代だ。
 オレはこの一週間で、金閣寺を建てちまった。」
建てたのか?わに丸が?でたらめな日本語の源はここにある。
鹿苑寺金閣を覚えたらしく、まるで自分が建てたような物言いをするのが、いかにもわに丸らしい。
・・ふう~ん、、、建てたのは、風雲急を告げた「風雲まぼろし城」じゃなかったのか。


これはおまけ
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ここは安達太良の旅館、金閣ならぬ「金泉閣」。松林に佇む一件宿。

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下げてあるのは暖簾(のれん)。最後に「ふう~ん」と書いたからといって、ふんどしじゃない。
中は入ってびっくり混浴の露天風呂。
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by NOONE-sei | 2006-12-19 16:42

81夜 妖怪よりもママレンジャー


三たび目の閑話休題にちなんで駄洒落を言うわけじゃないが、
人の生は自分の干支の三周り、十二支の声を三たび聴いたら、それが折り返しなのだとか。
三十六歳を倍したらだいたいの寿命だという計算。現代の寿命はもっと長そうだ。

孫、曾孫(ひまご)、玄孫(やしゃご)まで見たら人は化けるんだと聞いたことがある。
昔の婚姻は早かったから、十代で嫁御になって、子も孫も皆十代で子を産んだならば、
玄孫くらい見られそうなものだと思うが、寿命が今ほど長くはなかった。
それでもなお長生きできて玄孫を抱いたら、人は妖怪に化けるんだろうか。
だとしたら、それはとても幸せな妖怪だ。

「お母さん、戦おう。」
小さい時のわに丸は忍者だった。
最強の敵は妖怪ガシャドクロで、わたしはいつもなにかしらの妖怪の役。
心臓の治療で長い入院中、プレイルームはわたしたちの戦いの場だった。
表記するのが困難な、『どぅふっ』だか『だぉふっ』だか妙な発音のおかしな掛け声で、
正義の忍者は、体当たりで悪い妖怪に挑んできた。
ごっこじゃなくて、完全にわに丸は忍者になりきっている。

テレビの中に入りたいほど戦隊ものが好きなわに丸は、忍者戦隊カクレンジャーの一員だ。
正義の砦は「風雲まぼろし城」、この巨大な要塞は意志を持ち動き出して敵とも戦う。
正義の忍者は赤・白・黄・青・黒、皆それぞれに守護獣を持っている。
猿、鶴、熊、狼、蝦蟇蛙(ガマガエル)、だから自分は緑で、守護獣は鰐(ワニ)なんだという。
みんな英語風にアレンジした名でかっこいい。
レッドサルダー、ホワイトカーク、イエロークマード、ブルーローガン、ブラックガンマー、、、。
わに丸はまだ小さくて英語がわからないから、直(じか)に「グリーンわに」。
本人は大真面目に仲間になったつもり、でもその名前、ちょとかっこわるくないか?

物語の中で生きる子供に、正義が負ける物語はない。
けれど現実は、妖怪もやられてばかりではいられないから、忍者をやっつけてしまうのだ。
「お母さんは妖怪なのに!」
悪い妖怪が勝ってしまう、わに丸はその理不尽さに悔しくて泣いた。
大人なんだから負けてやればいいのに、負けない未熟な妖怪、母、わたし。
今では、わに丸とわたし、どちらが妖怪なのか、ちとわからないけれど、おそらくどちらもが未熟だ。
「たたいちゃいかんよ」どこかでだれかが言ったけれど、
たたいたのだ、わたしは、つい先日。試験の残念な結果の原因は我が身から出たことに他ならない。
わに丸、忍者は言い訳しないものだよ。
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by NOONE-sei | 2006-12-16 00:45

閑話休題 三たび


セイです。三度目の百夜に八十の夜が来ました。
昨年の今頃はもう雪でした。今年の雪はどうなるでせう。

予告なく一週間のご無沙汰で、ご心配をお掛けしたようです。
まもなくまた書けると思いますので、
もうすこしだけお待ちくださいませ。

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ここは安達太良高原の喫茶店です。お茶を飲んでひと休みしてくださいな。
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by NOONE-sei | 2006-12-13 23:20 | 閑話休題(22)

80夜 冬の贈り物


秋に王様からもらった、贈り物の入った封筒。それを初雪の晩に開けた。
クリスマス・カクテルショーのチケット。出演はピーターさんだった。

大好きだから「さん」付け。少女の頃からずっとずっと好きだった。
映画『薔薇の葬列』(松本俊夫)も、舞台『青ひげ公の城』(寺山修司)も、
舞台『あやかしの鼓』(原作・夢野久作/作・赤江 瀑)も、
映画『上海異人娼館』(寺山修司)も、
ホラービデオ『悪魔の女医さん』(喰始)も、どれも怖かったけれどみんな観た。
夢まぼろしの妖しいものがピーターさんの周りにはあって、くらくらしてしまう。

ディナーショーの客が引けてから始まるカクテルショーには、お洒落した紳士淑女が集う。
・・まちがいはないのだが、少しちがう。紳士は数えた方が早い。カクテルドレスのお嬢さんも見かけたが、
フォーマルドレスはもとより、お着物や、中にはイブニングドレスのご婦人もいて、そういったご婦人方は
いろいろな、そう、いろいろな意味で場慣れしており、もしかすると、「かつて少女だった」女の人達ではなく、
「生まれた時から女の人」だったかもしれない。王様とわたしはまだ若造だった。

スモークが焚かれ、生バンドにダンサーが踊り、ステージの一曲目は、
江利チエミの名曲『家へおいでよ(Come On-A My House)』。二曲目は『夜と朝のあいだに』。
そしてシャンソンを歌い、衣装を替えたら越路吹雪の歌を。最後に白の衣装でフィナーレ。
・・エレガントなショーのイメージ?全然ちがう。ゴージャスなキャバレー。
歌に合わせた振りを練習させられるのだが、ピーターさんはやらせておきながらステージの上から客席を見て
けらけらと本気で笑う。会場は笑いに包まれ、笑い始めると笑っていることが可笑しくて連鎖してゆく可笑しさ。

久しぶりに観たピーターさんは、すっかり大人になっていた。
それでも三輪明宏の半分の年だと言っていたけれど、嘘つき。
客へ惜しまず投げかけて、あしらいが上手く、分け隔てない。
三輪さんのように霊験あらたかな菩薩化しないでいいから、いつまでも淫靡な妖かしでいて。
ステージを下りて歌いながら歩くピーターさんとそっと握手をしたら、
白粉(おしろい)とドーラン(舞台化粧)の匂いがして、顔も体もちゃんと年をとっていた。

越路吹雪の『ろくでなし』を歌っていたピーターさんは、客と握手をしていたはずなのに、
くるりと振り向いて王様の目を見ながら歌詞を替えた。
「・・す・け・こ・ま・しーー、おんな・たらしー、なんてひどい、ah wi 言いかたー」そしてにっこりと笑った。
ほんのわずかな時間だけれどピーターさんを独り占めした王様こそ、
贈り物をもらったんじゃないのか?


追って・・
寺山の「青ひげ公の城」は、オペラ「青ひげ公の城」 (1911年 作曲・バルトーク)がもとになっている

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by NOONE-sei | 2006-12-06 02:55 | 趣味の書庫話(→タグへ)

79夜 論より証拠  


就職しろと言っても進学を希望したわに丸は、人に言える成績じゃない。
あれで受験生かとあきれるほど、高校生活を山岳部と野球観戦に明け暮れた。
密かな夢、野球のスカウトマンになって、高校球児を発掘したいのだが、充分に
この三年間に仮想スカウトマンないしは野球評論家をやり尽くしたようにわたしには見える。

今の受験は、推薦制度がさまざまあって十月くらいに行き先が決まっている生徒やら、
わに丸のように今が受験真っ只中の生徒やら、これから教科試験を受ける生徒やら、
三月に本試験のある生徒やら、何段階にも分かれているらしい。
だから、わに丸の受験日を つい二、三日前まで知らなかった。
妙に「家庭ってなんだ?」とか「環境ってどう守るんだ?」とか、
わに丸に似合わないようなことを言うなあと思っていたら、小論文のお題を想定していたらしい。
ここのところ、普段全く勉強をしないわに丸が原稿用紙に向かっていたらしく、
小論文の添削指導を受けていたようなのだ。
茶の間に置いてあった原稿を見て、わに丸の筆跡を初めて見るような気がした。

わたしを馬鹿だと思って五、六年は過ぎたわに丸。
本を全く読まないわに丸でも、新聞を全く読まないわたしが相当な馬鹿に見えていたんだろう。
馬鹿が馬鹿を馬鹿にしてどうする、とも言えるんだが、わに丸は自信家だった。
王様は「根拠のないあの自信は一体どこから降ってくるのか」と、常々不思議に思っていた。

先日、「母ちゃん、あさってカツカレー作ってくれ。」と言うので、
「なんでだ。」と訊ねたら、「受験だ。」 ・・ゲンかつぎをいつ覚えたんだ?
そういえば、高校受験の時に、知人がわざわざカツサンドを届けに来てくれ、
朝、それを食べて受験に臨んだ。
「カツ」と「勝つ」を掛けたゲンかつぎをすることが頭になかったわたしは、本当に有難く思った。
きっとその時に覚えたことなんだろう。それから三年後、受験日を知らなかったわたしは、
やっぱりカツの意味がピンとこなかった。これではいかんと反省して、夜はカツカレー、
そして知人のおかげで高校に合格できたカツサンドを買いに駅ビルまで行った。

昨夜のわに丸は小憎らしかった。
想定したお題を言ってみても、わちゃくちゃな答えをするわたしに焦(じ)れて呆れて、
「母ちゃんは小論文書いたことあんのか。」
わたしは論文というものを書いた記憶はなく、小論文なぞ、やったこともない。
卒業論文は、なんと王様に書いてもらったんだ、まいったか。
・・今思えば、自信家のわに丸でもさすがに前夜は不安だったらしいんだが。
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by NOONE-sei | 2006-12-02 03:08