<   2006年 09月 ( 10 )   > この月の画像一覧

59夜 夜美女


ええい、検索したいなら、そのままをお題にしてあげる。
何を検索して辿り着くかを解析する機能というものが世の中にはさまざまあるらしく、
わたしの鄙のウェブログにも最低限の機能が付いている。
こんな辺鄙なところにどんな言葉を探して来るんだろうと思ったら、
とても人気があるのが「夜美女」。
意味深長で悩ましいこの単語、わたしはお話に書いた憶えがない。

わに丸は、美女がいっぱいの雑誌に囲まれている。
わに丸の部屋には作りつけの本棚があって、少し大きくなって部屋を与えるときに、
大人の本をいくつか、わざとそのまま残しておいた。
マンディアルグや澁澤龍彦、ベルメールも四谷シモンも置いておいたが、
怪奇も幻想も関係なさそうで、本や図譜に囲まれる愉しみはないらしい。
王様がむかしむかし机にぽいと乗せておいた中井英夫を読んだ塾生がいたが、
とっつき易い種村季弘を棚に置いておいても、わに丸が手に取ることはない。

ディアギレフの時代など、昔の舞踊の映像や、名の知れた「雨に唄えば」のジーン・ケリーや、
優雅なタップのフレッド・アステアのミュージカルも置いてあるけれど、
それらはわに丸の大量のコレクション、野球のビデオに徐々に追いやられた。
親の趣味と子の趣味の狭間をやっとつなぐのは、せいぜいが「ゲゲゲの鬼太郎」くらいだ。

漫画も、丸尾末広も大友克洋も諸星大二郎も、手塚治虫もますむらひろしも、
「ドカベン」に棚を明け渡した。
もっとも、手塚漫画をわたしはあまり好まず、「どろろ」と「ワンダー3」さえ残してくれればよかったが、
それも今ではダンボール箱の中に詰め込まれている。おそるべし「ドカベン」。
わに丸の部屋に置いた大人の単行本の数々は、かろうじてダンボール箱の刑を免れたけれど、
今では棚は、本の背表紙も見えないほど野球選手のサインボールや記念のお品で飾られている。

音楽はどんな趣味なのか、わたしにはわからない。
携帯音楽プレイヤーをいつも聴いていて、両耳の塞がったわに丸は、
まるで耳のおんつぁになった爺様だ。おんつぁというのは方言で、おんつぁまとも言い、
おやじ様なのだろうが、意味はちっとも偉くなくて少しあちゃこちゃになった状態を言う。
朝食をとる間だけはなんとか外させたけれど、そんなわに丸とわたしは、
孤立と疎外感の組み合わせだ。

テレビでなにかの宣伝に、ダミ声が流れた。
わに丸も聞き覚えがあったらしく、歌うのは誰だという。 
 What A Wonderful World このすばらしき世界
歌い手の名がなかなか思い出せず、翌日になってようやくひらめいた。
わに丸は、授業中携帯電話の電源を切り忘れていないだろうか。いたずらしてやれ。
『ルイ・アームストロング』と送信してやった。いつもは返事などよこさないわに丸だが、
めずらしく折り返し、『そう!それだ』。
スタンダード・ナンバーを聴く耳はおんつぁじゃなかったらしいな。

わに丸の現在の心境と願望。
米国メジャーの選手達が来日して試合をするのだとか。
 Fly Me To The Moon わたしを月まで連れてって ・・さしずめ、ぼくを日米野球に連れてって
さてこのスタンダード・ナンバーを わに丸は知っているでせうか。


夜美女で心あたりがあるのはこれ。美女の雑誌のお話。7夜の「夜」と「美女」をつなげて夜美女なんだな、きっと。
新百夜話 7夜 美女と野獣
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by NOONE-sei | 2006-09-30 22:50 | 趣味の書庫話(→タグへ)

58夜 秋はどこから


朝はどこからくるかしら。
知っているか?・・わたしは知らない。おひさまに聞いてみなくちゃわからないだろ?
これはむかしむかしの道徳のようなだ。

秋はどこからくるかしら。
知りたくない。・・日の暮れが速くて速くて日ごとにさみしい気分がつのり、変化に追いつけない。
「小さい秋」という歌があるけれど、なぜあんなにさみしいメロディなんだろう。

お米はどこからくるかしら。
知ったばかり。・・県境に種もみ農家の田んぼがあるのだそうだ。
ササニシキもコシヒカリも、そこから全国に出荷されて作られるんだと聞いて驚いた。
食べる米ができるには、種が要るんだという当たり前のことを 考えたことはなかった。
米を作るのでなく種を作る農家って、ほかにどれくらいあるんだろう。

一昨日から大雨が降ったのだが、それ前にと急いだのか近くの田んぼで稲刈りがあった。
なんだかまだ稲刈りには早いような気がして、秋の気分にならない。
コスモスの群生もあちこちで見るのだが、それでも秋の花々にはまだ早いような気がしてしまう。
体感季(そんな言葉はないけれど)が狂ってるんだろうか。お話を書く手も滞りがちだ。
日々の風物は何気ない変化。けれどわたしの眼差しが追いつかない。

昨日は庭で山男を収穫した。
父が山男と言うからそういうものだと思ってジャムを作っていたけれど、そんな学名も和名もない。
調べたらナツハゼというツツジの仲間だった。真っ黒い実が成る。
コケモモ、クロスグリ、山ブドウ、どれでもなくて葉の形から辿った。
リキュールで名を聞くカシスは仏語で、クロフサスグリのことだったと知ったおまけつき。
初めは山おやじという名だと思っていたのだけれど、山おやじを収穫したら大変だ。
だって、山おやじって、熊のことなんだろう?

お米は、ほんとはどこからくるかしら。・・ちゃんとわかった。
今朝、新米が送られてきたから。・・南に住む友人からだった。


今夜は「小さい秋」じゃなくて大きい秋、ということで、おおきなお写真を。
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蔵王の山の斜面の田んぼ。日当たりがいいからなのか、穂が金色に見えた。

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稲穂が垂れているから稲刈りはもうじき?

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わが家の秋の収穫祭。写真奥が山男。手前の黄緑はにんじんの葉。てんぷらにする。

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近くの田んぼで落ち穂拾いをし、蓼(たで)を見つけたら嬉しくなっておままごとをしてみた。
おままごとは見立て遊びだ。赤まんまと白まんま。あしらいの菊はモッテノホカという食用菊。
庭でひとつだけ成ったアケビも加え、マユミの房はさくらんぼのつもり。
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by NOONE-sei | 2006-09-28 23:05

57夜 食の愉しみ


つまり食い意地が張っているのだ。
胃が痛くても目は食いたい。ほんのすこしでもいいのだ。
食べられないときはある。
風邪で鼻がつまって、嗅覚がやられたとき。・・味覚がなくなるから。
食事は、かなりの割合を視覚から得ているというけれど、
のこりの割合の味覚や嗅覚も、やられて初めて、機能しているとわかる。
口からものを食することは生の根幹だ。

この家に同居することになったとき、初めは食いごしらえを母西太后と一緒にやった。
台所を厨(くりや)というが、厨の竃(かまど)に女ふたりは要らないという言葉があって、
昔の言葉には真実があるものだと思う。
台所に立つ動線がどうだとかリズムがどうだとかではない。
献立を自分で立てられないことがつらかった。
わが家は料理嫌いだがあれこれと好みのある母と、鯉のアライを作れる板前のような父だから、
食べ物にうるさかった。
料理は趣味だ。そう思っていたし今でもそう思うけれど、料理の楽しみの割合の中には、
できなくて初めて、献立を立てる愉しみが含まれているとわかる。

料理は家事と一線を画す。
わたしにとって料理は趣味だけれど、だからといって腕の良し悪しとは関係ない。
好き、ただそれだけだ。

生活の時間帯が違いすぎるので、ほどなくわが家には厨も竃もふたつになり、
今では食に保守的なわに丸には内緒で、ベトナムの魚醤や中国の黒酢やタイの調味料を
料理にひそませている。
・・だから同じ料理を所望されても二度とは作れない。


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写真を撮られるときに何と言う?「チーズ」?「ウヰスキー」? これは「キムチ」。
・・最近、駄洒落が不調だ、、、。

追って・・・
色っぽくという助言をいただいたので、あらためて。「撮りますよ。」はい「きぃ ・ むぅ ・ ちぃぃー」っと。

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by NOONE-sei | 2006-09-23 18:25

56夜 秋の風物 


今日は子規忌。
季節の行事や年間の歳時は、意識していないとすぐに遠のく。
明日は彼岸の入りだと知らなかった。

犬の散歩がてら夕飯のおつかいに行って、店の中をうろうろしていたら、
近所のひとに話し掛けられた。
  「おばんです。明日は彼岸の入りですねぇ。」
  「あ・・・はい、そうでしたねぇ。」

  「いつも彼岸の入りには混ぜご飯を作るんですよ。」
  「へぇ・・・何を入れますか?」

そのひとは買い物かごをひょいと見せて、
  「ほら。ごぼうとね、あぶらげとね、しいたけ、こんにゃく、、、そんなものですね、
   鶏肉は殺生だからお彼岸にはねぇ、、、。」
  「あぁ・・・そうですよねぇ、、、。彼岸の中日には、あの・・」
ぼた餅だかおはぎだか、わたしは季節に疎くて、考えないとわからない。

そのひとは察して、
  「おはぎね、作りますよ。ほら、うち、仏様がいるから。」
  「あぁそうかぁ、そうですよねぇ、、、」

  「セイさんちでは?仏様いないんですか?」
  「あ、うちはいないんですよ。だからよくわからなくて。」

  「だんだんにね、わかるようになりますよ。」
  「あぁ、そういうものですかぁ、、、」

そのひとは言葉がよくて、方言が出ない。きれいなひとで、よそから嫁に来たのだろう。
世事に疎いわたしをふんわりと受けとめて、恥をかかせないような美しい会話をする。
外に繋いで待たせていた犬は、店の人やおつかいにきたおばあちゃんにかわいがられていた。
めったに歩いておつかいをしないから、どの人が近所なのかもよくわからないのだけれど、
たまに、のんびり近くでおつかいもいいものかもしれないな。


今日のお写真は秋の風物を。
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果樹畑は梨の実がたわわ。


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蕎麦畑も一面の白。
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by NOONE-sei | 2006-09-20 01:36

55夜 天空×字拳

 
飛行場から自宅に、専用の道路があるのだとか聞く鳥山明も、
老人の皮をかぶった子供、または子供の皮をかぶった老人にこだわる大友克洋も、
どこか湿度の低い漫画だと思っていたら、
アメリカの漫画の影響を受けた作家なのだと聞いたのはずっと後になってから。

「バットマン」も「スパイダーマン」も、先日観た「スーパーマン」も「X-メン」も、
映画の本家は漫画。そしてアメリカの漫画はひとつの作品を複数の作家が交代で描く。
だから古くは物語に重点を置いた、胸のすく冒険活劇だったものが形を変えていったりする。
あやふやな情感でお茶を濁さない湿度の低さだったり、ゆで卵(ハードボイルド)だったり、
単純に分けられない正義と悪の混在が描かれたり、ヒーローに人間的な葛藤も影もあったり。
かといって作品には甘さがない、漫画の新しい分類グラフィック・ノベルズには、
日本の劇画の影響もあるのだとか。
劇画は大人の読み物という感じがするのだが、アメリカでも漫画は大人のものになった?
口を半開きにした顔が良く似合うジョニー・デップが切り裂きジャックを追う、
「フロム・ヘル」は気に入っている映画だが、これも本家は漫画なのだと知って驚いた。

X-メンのリーダー「教授」が授業で物理の事例を挙げて、生徒に考えさせるシーンがあった。
植物状態の患者の脳にミュータントが意識を飛ばすことは可能か。倫理はどうか。だったか。
常識的な回答をした生徒に『アインシュタインはミュータントじゃなかった、おそらくね。』
法則にとらわれない視点を求めた時にちょうど事件が起こり、解答は後回しになったけれど。
映画を見終えた時、その謎が解けないわたしは、アメコミに精通している男性客同士の会話に
耳が聴診器になってしまった。

ヒーローってなんだろう。
光の戦士的な、正義を体現するヒーローは子供のお手本に格好の材料だ。
子供はヒーローものに自分を投影する。
男の子はヒーローのその強さをかっこいいと感じ、女の子は魔法とファッションに惹かれる。
敵(かたき)役を仰せつかった時には、子供より強くてはいけない。
泣くほど悔しがられるから。
わに丸に妖怪役をやらされて、わたしのほうが強くて何度泣かれたことか。
女の子も小首をかしげてなりきっている時には、決して笑ったりけなしてはいけない。
傷ついて、ずっと忘れてくれないから。
なりきりファッションって、とっても可笑しいのだけれど。

ずっと昔から不思議に思っていたことがある。
ヒーローを持たない子のこと。
誰もが幼い頃には、自分を何かに見立てたり、何かになったりしたと思う。
自分と何かが切り離されて、すこしだけ挫折や失望を経験して、
そうして少年期に別れを告げるのだけれど、
中には、遠いあこがれに形を変えずに、自分に酔ったまま大きくなる子供もいる。
そういう子の胸にはヒーローはいない。
初めからいなかったのか、ヒーローを取り込んで消してしまったのかわからない。
そういう子は、成人した大人の皮をかぶっていたり、
可愛らしい子供の皮をかぶっていたりするものだから、
ひと目ではそれとわからない。
・・ヒロイズムとナルシズムは、どちらが健全だろう。

ところで天空×字拳(てんくうぺけじけん)は、X-メンの技じゃない。

ドラゴンボール
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by NOONE-sei | 2006-09-19 01:48

54夜 仏と毒


伝承話じゃない。
なにげないお話。

塾のちいさいさん達と、カルタを作っている。
まだ小粒達がちいさいさんだった頃に世界一難しい熟語を集めて作ったカルタを
今までずっと使っていた。
二枚一組で、裏返して神経衰弱をしたり、一枚ずつ表を並べて、
読み札をわたしが読んでちいさいさんが取ったり。

  薔薇と醤油
  髑髏は怖い
  瓶と甕
  政治家を揶揄する
  豚に真珠

何故かこんなものも。

  納豆はネバネバ

そして遊ぶうちに、自分達のが欲しくなったようなのだ。
じゃ、作ろうか、と言ったら、気合いのはいり方が半端ではない。
すでにもう、何週間もかけている。
小粒達男子のカルタに負けないものを作らないと気が済まないらしい。
熱いやる気を長時間は維持できない小粒達が、どんな短時間と思いつきで作ったかを
現在のちいさいさん女子達には気の毒で言えない。

  阿古屋貝と真珠
  狐と狸の化かし合い

ほら、根拠はないが、なんとなく女子らしくないか?

この地には吾妻山という美しい山があって、それは富士山に似ている。
自然シリーズで札を書いている八歳のちいさいさんが選んだ言葉は、

  富士山と吾妻山(ふじさん と あづまやま)

けれどちいさいので漢字がわからない。
妻、と板書したら、ちいさいさんは「毒!」と叫んだ。・・冗談だろ?いや大真面目だ。
仕方がないので、
「女のひとは、大きくなってお嫁さんになったら家の女で妻になり、母になったら毒になる、
・・って覚えるんだけどね、漢字をばらばらにして覚えやすくしただけだからね。」
なんだかわたしもしどろもどろだ。

ところで王様は、中学生になっても鼻っ柱の強い小粒に格言を教えるのに、
「仏の顔も三度。・・っていうけどな、オレは仏様より偉いから、四度までは許してやるよ。」

妻が毒になるのもえらいことだけど、王様が仏様より偉かったら、
それこそえらいことじゃないか?

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お写真の中央が吾妻山。星の観測所がある。
「星空への招待」という星祭りが開催されたときのマスコットは犬。

チロ  
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by NOONE-sei | 2006-09-14 22:52 | 新々百夜話 本日の塾(9)

53夜 夏のつまさき 


夜のおでかけが好き。
猫の夜回りじゃないが、あちこち点検して歩きたい。
昼間は、けだるく眠っている路地が、夜になるとぴかぴかに目を覚ます。
これ、猫の夜回りじゃなくて夜遊びとも言う?

「綿の国星」という猫漫画に、真夜中の集会というのがある。
そういえば、登場する高貴で美しい雄猫は神秘的で、
まるで王の傍(かたわ)らに静かに佇む道化師、白のクラウンのようだったっけ。
もう一度読みたい。

夏の初めのこと。
暑気払いをしよう、と男友達から誘いの電話があった。
仕事を終えた王様も合流。
三人の真夜中の集会で、飲んで食べて喋ったら、町をふらふら歩きたい。
けれど、わたしは足をくじいていた。

鈍いのも鈍い、ここまで鈍いと呆れてしまう。
夏は玄関を開けて打ち水をするが、
低い板を敷居に渡して外の埃(ほこり)除けにしておく。
それにつまづいて転んだ。
つまり足元を見ていないんだな、猫みたいにしなやかじゃない。

ひょこひょこと足元のおぼつかないわたしに、男友達が
  「セイってさ、いつも足、怪我してない?
   骨折だとか捻挫だとか。今日はなに?」

  「・・生爪。」

  「はがしたの?」

  「はがれそうなのっ。」

  「じゃあさ、ちがうの履いてくればよかったじゃない、
   ないの?ちがう履物。」

  「ある。・・雪駄。」

王様はけらけら笑う。
お洒落していたんだ。履けるわけないじゃないか、雪駄。
足の親指に包帯を巻いていたって、綺麗なサンダルを履きたい。
夏のお洒落は、オープン・トゥなんだ。

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この夏、家族それぞれに読んでは積んで重ねた漫画。
「綿の国星」はむかしむかしの漫画なのでここにはない。・・王様の趣味なんだけど。
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by NOONE-sei | 2006-09-09 02:22 | 趣味の書庫話(→タグへ)

52夜 花田少年、はなたらし


「花田少年史」は貧乏くさい映画だった。貧乏な家とぽっちゃんトイレが舞台だったから。
夏の少年記には、ぽっちゃんトイレと幽霊が良く似合う。

主人公は、貧乏だけれど健全な精神の家庭に育ち、
自分が赤ん坊のときにどんなに手をかけさせたかなど棚にあげた暴れん坊の少年。
それが「妖怪伝さくや」でさくや役だった女子高生に導かれて、自分が生まれる前の両親の姿を見る。
少年役は、「妖怪大戦争」や「ガメラ」の子役よりずっと達者な子役。
友達は、「だいじょぶかー」と聞かれて「・・だいじょばないぃー」と答える、気の弱い少年。
物語は、家族は揃っていて当たり前だから目に入らない少年と、
親に虐げられて死んだ子供の幽霊が成長した少女と、
死に別れたが父から強い愛を胸に貰った気の弱い少年の、三人の成長を描いている。

日本の作品の多くは、情緒に重きがありすぎて、行間から情感を読み取ってくれとか、間を感じてくれとか、
そんな声が聴こえるようで、、観る側への要求がわたしには受け止めきれない。
よくわからないんですけど・・という、素朴な声を上げるには躊躇するような閉塞感を感じてしまう。
日本映画が醸すカタルシスが、まだ人間的な深まりの足りないわたしにはカタルシスにならない。
人間的な深まりとは、想像力とも言い換えられる。夢想や妄想じゃなくて、
実際に目にしなくとも、きちんと他者の立場や環境に思いが至ること。
それが未熟なうちは、意図のわかりずらいものより論理的なほうが、からりとしていて気分がいい。

「花田少年史」は、わたしにもわかる映画だった。「洟(はな)たら」を題の間に挟んでみた。
映画の中で、洟をたらす場面は無かったけれども。
おとなってなんだ・こどもってなんだ、、人が成長するために必要な関わりってなんだ、、
意地を張らないとか遠慮するとか、謙遜するとか感謝するとか、そうした、ほんとに照れくさい、
ちいさなちいさな機微を表わせずにいると、いつしかこうまで歪んでずれるんだ、、、等々
子供映画の色は濃いけれども、観ながら真面目にいろいろ考えた。映画とは別に、鞄の奥深くさんが
「年齢と共に失うものもあろうけれど、で、成長や成熟の方はどうなの?」と投げかけていたから。
わたしはおとなであるけれども、おとなだって成長できるんだと思った。

男の子は、小さい時から手がかかる。
赤ん坊も、綺麗な赤ちゃんなどというけれど、洟を喉に詰まらせ死にそうになったり、
だらだらと涎(よだれ)が多いのも男の子に多い。
唇でぶぶぶぶ・・と遊ぶようになると、涎はあわあわになる。泡を「あぶく」と言わないか?
だから赤ん坊で涎の多い子は「あぶく太夫(たゆう)」と呼ばれ、涎は健康の証しと喜ばれた。
男児は死亡率が高いため、多く産まれるが生かすのはたいへんなことだ。

男の子の、はじけるような力の放射の制御には手がかかる。
やんちゃで、「ばばぁ」なんて言っても愛すべき少年なんて、今どきいるんだろうか。
「『おいた』をしちゃいけません」なんて言葉も、久しく聞かない。美しい日本語なのだが。
やんちゃという言葉は小僧に掛かるものと思っていたが、近頃では成人男性にも使うのが妙だ。
やんちゃとは、予(あらかじ)め失うことを前提としたジュブナイル、少年期にこそ許される言葉で、
分別のわかる歳になった大人の男性の逃げ口上に使う言葉じゃない。
そしてわたしの頭の中では、やんちゃは洟たらしだ。
若造を洟たれ小僧というけれど、「はなたれ」と「はなたらし」は、同じ未熟でも微妙にちがう。
「はなたらし」は、本当に洟を垂らしながら懸命に遊ぶ。

男の子も爺様になると、やっかいで手がかかる。
「きぶくさい」という言葉がある。方言で、気難しいという意味だ。
一家言を貫くむかしびとに多く、そういう御仁は側(はた)で見ているぶんには面白いけれど、
その刃の先に自分がさらされたときには逃げの一手しかない。爺様はなかなか成長してくれない。
きぶくさくなったら、爺様は唯我独尊の世界に生きる人になり、多面的な思考ではないから、
他者の思いやそれに至る過程への想像はすでに及ばない。一家言の一貫性も、ちと怪しくなる。
爺様から一方的に些末なことをがみがみ言われ続けると、気持ちがへこまないわけはないのだが、
あら、そんな爺様にも、おむつを当てられていた幼児期があったくせに、、、と思うと
かくれてくすくすと、いじわるにも微笑んでしまう。
爺様がそういう「じじぃ」に成るには、成るだけの時間と手間がかかっているのだろうな。
少年期には、爺様もがみがみと人に叱られたんだろうか。
案外、すぐにへそやらつむじやらを曲げてしまう短気者だったりして。

わたしが成りたいものはいぢわるばあさん。しかも成長をしつづける。きぶくさい婆様はいや。
王様とふたりで暮らすときがきたら、食べ物やさんごっこだ。
ブランチは王様が焼いた素朴なパンとイタリアンサラダを食べ、
ヨーグルトには庭のブラックベリー・ジャム。夏のスープには刺激を少なく作ったガスパチョ。
夜は香りのある和洋の野菜とアジアの調味料で作った無国籍ごはんいろいろ。
台所に一緒に立つ王様にも、きぶくさくない爺様になってもらわなくちゃ。

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夏の野菜とブラックベリー

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これはイメージのお写真ということにしておこう。こんなのを毎日供せたら、おでかけしなくなる。
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by NOONE-sei | 2006-09-06 10:59

51夜 彼女のおもひで


彼女とは幼なじみだ。
幼い頃に出会ったわけではないのだが、十八・九の小娘のときであれ、
二十歳(はたち)前の出会いならば、今となっては幼なじみみたいなものだ。

いつも酒を飲みながらなので、会話らしい会話の記憶はない。
ほんとうに料理にセンスの感じられる女性で、
パテやテリーヌやムースの違いなぞよくわからないが、彼女のはんぺんを使った前菜は美味かったし、
水切りした豆腐の味噌漬も美味かった。
正月には彼女手製のおせちを前に、それまでの暴飲暴食が祟って胃痛がひどいのに
目の食欲が胃痛を撃破してどうしても錦玉子が食いたくて、噛みしめるように御馳走になった。
ご飯だけでなく、肩で紐を結ぶサマードレスを手作りしてもらったり、
彼女というと、丁寧な手作業のイメージがある。

普段、スカートをはかないわたしは、靴下にはちょっと洒落たい気持ちがあって、
彼女から昔、花柄の可愛らしい靴下を貰ってからは、
すっかり足元に密かな花模様が気に入って、今でも靴下の花柄には目がない。
けれどあのとき貰った靴下よりも洒落た靴下にはお目にかからず、
あのときの靴下は大事にはいたけれどもう穴があいてしまって悲しい。

遠く離れて暮らしていて、日頃不義理をしているわたしに、彼女が絵本を贈ってくれた。
絵の上手い人だから、いつか彼女の漫画が絵本になればいいのにと思っていた。
わたしは不義理だし、彼女も自分のことをあまり語らない人だから
こんな本が出版されていることをちっとも知らなかった。
彼女もこんな鄙の場所で自分の本がわたしに披露されていることなど知らないだろう。

目出度いので密かに尾頭付きをあげよう。
みしほちゃん、おめでたう。

絵本
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by NOONE-sei | 2006-09-02 14:47 | 趣味の書庫話(→タグへ)

本日の産声 八


夏の名残り?
昼間は暑いけれど、空気がよどんでいない。
日の暮れも速くなった。
時おりの休息が折々の休息になって、思わぬ長居をしたけれど、本日の産声もこれでおしまい。
末広がりの八なら縁起もいいぢゃないか。

歌詞を探して旅したけれど、取り上げた歌を日頃聴いているわけじゃない。
まったく聴かないと言ったほうが正確だ。好きな歌が、聴きたい歌だとは限らないだろう?
実は普段はコンピレーション・アルバムを流している。
ウェディングのために集めたハピィなラブソングとか軽いラテンとか。
だから曲名も歌い手もよく知らない。
または、女性のボーカルのアルバムを。最近はリッキー・リー・ジョーンズの「パイレーツ」だった。
外国の曲は聴き込むということをしない。メロディしか聴こえないし、ただのBGMだ。
モーツァルトが脳にいいというので、今度はそれにしようと思っているくらいに、節操が無い。
わたしのおはなしに音楽が出てこないのは、本当によく知らないから書けないのだ。

そうそう、こんなわたしでも、世界で一番嫌いな曲というのがある。
芹洋子が歌う、「四季の歌」。
肌の表面がざわついて生理的に受け入れられないのだから仕方がない。

本日の産声、最後の曲は、これ。
サディスティック・ミカエラ・バンドでも、桐島かれんのミカ・バンドでもなく、加藤ミカのね。


          *タイムマシンにおねがい*
                              詞 松山猛
                              曲 加藤和彦
                              歌 サディスティック・ミカ・バンド

       さぁ 不思議な夢と遠い昔が好きなら
       さぁ そのスヰッチを遠い昔に廻せば
       ジュラ紀の世界が拡がり はるかな化石の時代よ
       アンモナイトはお昼寝 ティラノザウルスお散歩 A-ha-ha-n

       さぁ 無邪気な夢のはずむ素敵な時代へ
       さぁ タップダンスと恋とシネマの明け暮れ
       きらめく黄金時代は ミンクをまとった娘が
       ボギーのソフトにいかれて デュセンバーグを夢見る A-ha-ha-n

       好きな時代に行けるわ 時間のラセンをひと飛び
       タイムマシンにおねがい

       さぁ 何かが変わるそんな時代が好きなら
       さぁ そのスヰッチを少し昔に廻せば
       鹿鳴館では夜ごとの ワルツのテムポに今宵も
       ポンパドールが花咲き シルクハットが揺れるわ A-ha-ha-n
  
       好きな時代に行けるわ 時間のラセンをひと飛び
       タイムマシンにおねがい
       タイムマシンにおねがい

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夏の名残りということで、和菓子はいかが?

歌詞の改行箇所は、わたしの目に映る詩に替えています

おまけ
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by NOONE-sei | 2006-09-01 01:57 | 本日の産声(8)