<   2006年 07月 ( 9 )   > この月の画像一覧

本日の産声 壱


ラジオから流れてきたピアノのメロディ。
聞き覚えがある。ところどころ歌詞も浮かんでくる。
せつなくてなつかしい、ロシアのうた。


                        *ぐみの木*
                                           ロシア民謡

               なぜか揺れる細きぐみよ かしらうなだれ思い込めて

               広き川の岸を隔(へだ)て 高き樫(かし)の木ひとり立てり

               ぐみの想い樫に伝えん わが身震わせ語るときに

               細き枝を君に寄せて 日ごと囁く若葉のこえ

               ぐみの心届かざれど 永遠(とわ)の願いはやがて結ばん


c0002408_18181666.jpg
ぐみの季節は終わってしまったので、お写真は庭のブラックベリーを。


メロディはこちら
「小さいぐみの木」という曲名で取り上げられている。
[PR]
by NOONE-sei | 2006-07-28 18:21 | 本日の産声(8)

閑話休題 ふたたび


弥生三月から綴った、三度目の百夜話が五十夜になりました。
こういうのを今は、シーズン3と言うのですか?

いつも、ぶっきらぼうな体言止めでぽつぽつと語るこんな夜話ですが、 
「日々の言祝ぎ(ことほぎ)」と言ってくださったかたがいて、
英語ではなんというのですか、とお訊ねしたら
 
  SEI's graceful murmur

と名づけてくださいました。
わたしは、「名づける」ということを特別なことだと思っていて、
名を与えるという、そのおこないを尊いと感じています。

さて、青色吐息で惑いながら旅する『王様の千と線』、
残り半分を旅する前に、すこしだけ「時おりの休息」をいただきます。
「折々の休息」になるやもしれませんが、笑っておゆるしください。
五十とひとつ目の夜話まで、
折々のお写真と拙文がお相手をさせていただきます。


c0002408_15164519.jpg


絵のように素敵なカメ。詠み人しらずならぬ、撮り人しらずのお写真。
英語で名づけてくだすったかたは、生まれ変わったらカメになりたいと言いました。
[PR]
by NOONE-sei | 2006-07-24 15:22 | 閑話休題(22)

50夜 雨の理由


田んぼのあぜ道で撮ったお写真を整理していると、知らない名の植物ばかり。
いつかわかるだろう、だれかが教えてくれるかもしれない、
そんなふうにして、自分のちからで調べる気もすべもない。

宵待ち草と待つ宵草は同じもの?夏の花なのだと、今年初めて知った。
けれど、どんな顔をした花なのかがわからない。
名を知って感心する得心もいいが、顔を知らぬまま、いつかいつかとあこがれて待つのもいい。

浜昼顔、昼顔、夕顔、、、。顔と名の付く花も数々ある。
つくづくと、花というものには顔があるのだなあと思う。

ところでこれは昼顔?
王様が言っていた。
   ・・花を摘むごとに雨が降る花、
     小さいときにたくさん摘んでしまったから雨男にされてしまった。

そうか、毎日降り止まぬ雨。これは王様が摘んだ花の数だけ降っているのか。


c0002408_3421621.jpg

[PR]
by NOONE-sei | 2006-07-19 03:44

49夜 美白の素 


色の白いは七難隠す、とはよく言ったもので、色白で得する話は多い。
深窓の令嬢を思い浮かべるのか、すこし病弱で繊細なイメージがある。
切れ長の目で伏目がちだったら、周りから大切に扱われる。

かたや色黒は損だ。色黒で目に憂いがあるという話は聞いたことがない。
海や山に行くから日に焼けるのではなく、日照時間に伴なって色素を吸収するのだろう。
わたしなぞどこにもゆかないのに、いい色になって、と言われる。

色は健康を表わす基準にはならないんだ、と言ったところで説得力がいまひとつ弱い。
肌色で気の強さとか、勇気のあるなしとか、前向き度だとかは量(はか)れないけれど、
色(しょく)ならぬ食(しょく)に関しては、好奇心や執着心がものを言うことがある。
食への意欲は健康な精神かもしれない。健康のための食にはあまり興味が持てないけれども。

ところで、冷蔵庫を開けるたびにすっぽんのスープというちいさな缶詰を見る。
もう暑さで体も弱りぎみなのだから飲めばいいのに、いつも迷っては扉を閉める。
例年ならば、もうそろそろ点滴をしに病院にゆく頃。
しかし以前、台湾料理屋で、首を落としたすっぽんを見てしまったので、
缶詰とはいえ飲むにはわずかな躊躇がある。

飲めない、食べられないものがあるというのは、くやしい。
味に抵抗がなく匂いが苦手なブルーチーズを食せるようになりたくて、
鼻をつまんで食すうちに食べられるようになったことがあるのだから、すっぽんも大丈夫?

・・実は色白のひとのほうが、抵抗なくこくんこくんと飲みそうに思うのだけれど?
[PR]
by NOONE-sei | 2006-07-15 16:26

48夜 ハニィ・スウィーツ 


ハッピーより、ハピィのほうが女の子っぽい語感。
カラメルよりキャラメルのほうが、ずっと女の子っぽい語感。

ハピィな気分になりたくてキャラメルソースを作った。
雑誌に載っているとおりにできたのだけれど、ちょっとちがう。いや、ずいぶんとちがう。
キャラメルって、キャラメル色の不透明だと思うのだけれど。
できあがったものは、プリンの底に敷いてある、褐色に透き通った甘苦いソース。

調べたらわかった。
正しくはこう。
砂糖を温めて、金色に色づいたら少しずつ水を加えてできたものがカラメルソース。
そこに、バターとミルククリームを入れたものがキャラメルソース。
・・なんだ、雑誌にはキャラメルって書いてあったのに。カラメルだったんじゃないか。

メープルより、メイプルのほうが濃厚な語感。
でも、ソースとシロップのちがいがわからない。
贅沢な料理は、メイプルシロップで作るすきやきだと言った文人がいたけれど、
それはちょっとキッチュな好奇心かもしれない。キッチュって、悪い意味とは限らないが。

ハニーより、ハニィのほうが可愛い語感。
蜂蜜より、はちみつのほうがずっと可愛い語感。
ハネムーンのハネィが、ハニィで、はちみつのことだって、大きくなるまで知らなかった。
日本語に英語をそのまま訳したのが蜜月?

とても上等なはちみつをいただいた。
はちみつも、みつを集める花の種類によって味も香りもちがうのだとか。
可愛らしい花、レンゲ。
これは、レンゲの蜂蜜じゃなくて、れんげのはちみつと呼ぼう。
可愛らしい味だから。

c0002408_235237.jpg
甘味でも、スウィーツではなく和菓子と呼びたい、上生菓子。             <器は勢至堂の鉢の子窯>

                
[PR]
by NOONE-sei | 2006-07-11 23:42

47夜 連想ゲーム


連想はよくあることなのだが、自分では突飛と思わない。
頭が悪いと思われるが、頭に悪い所は無い。
昔、交通事故にあったことがあって、頭を打ち、耳から出血していたので、
周囲からは、脳がやられてもう駄目だろうと思われた。
けれど、お花畑だとか彼岸を観なかったから、どこかに意識がさ迷ったわけでもない。

頭の中で起こっていることを伝えるのはむずかしい。
伝播する電気信号の羅列なのだけれど、そう割り切れるものでもない。
活発に機能する脳は赤く、停滞した脳は青い。

わたしの脳の中の連想はこうだ。

先日「トリック劇場版 2」(監督 堤幸彦)を観たのだが、その宣伝画像が「おろち」なのだ。
山の中で遠くを指差す主人公の女奇術師の指がそれを連想させた。
人差し指以外の指をたたんでいる手が美しくない。たたみかたが特徴的だ。
漫画「おろち」(楳図かずお)の女主人公がこんな手だった。

楳図かずおの恐怖漫画にはずいぶん悩まされた。
カラーじゃないのに、登場する人間たちは皆、顔が青ざめていて怖かった。
ことに少女は目が大きく、女の子らしさを強調した服装をしており、
それらは『きいちのぬりえ』(蔦谷喜一 絵)に描かれた少女たちと等質に思えた。
生きた気がしないぬりえの少女と漫画の中の少女。 

「おろち」は、少なくともわたしにとっては少女ではなかったので、
奇妙ではあったが『きいちのぬりえ』の連想はなかった。
「あかんぼ少女」のような、結末の哀しさがないかわりに、
不思議な力を持つばかりに、旅を終えられない女性は哀しかった。

「おろち」と「七瀬ふたたび」(筒井康隆 著)が重なる。
七瀬の最後の戦いをなにかで読んだが、思い出せない。
おろちは戦うのではなく時に癒し救うが、最後はあったのだろうか。
終わらない物語はたくさんあるのだけれど、このふたつの物語にも終わりがない。

連想の連は「連(つらなる)」と書く。
わたしの手相は生命線が二本あると言われたことがあるのだが、
今では一本だ。
[PR]
by NOONE-sei | 2006-07-09 23:59 | 趣味の書庫話(→タグへ)

46夜 さくらんぼ伝説


春に高校生になった卒塾生たちが、一学期をもうすぐ終えようとしている。
希望校に行けた子、行けなかった子、
懸命に受験勉強をしても結果はさまざまに厳しい。
けれど、皆、納得して高校に行った。
一学期を乗り切ることができれば、なんとか学校を辞めずに続けてくれる。
卒塾生が退学したという話を聞くことはいちばんつらい。

二両編成のちいさな電車に乗って終点の温泉町に行く途中に、果樹園が並ぶ。
果樹試験場という、最新技術で、より味の濃い果物を研究している建物もある。
果樹園を抜けたところには高校が建っている。

電車を降りたら、林檎や桃の街道をてくてく歩いて通うこの高校に行った子たちは、
日々をうららかに過ごしている。
塾に遊びに来たので、王様がその浮世離れしたのんびりさをからかったら、
本人たちはけっこう大変なんだという。
   「万引きとかバイクに乗るとか、普通そういうのが学校から処分を受けるでしょ?
    うちら、もっとあるんだよ。
    林檎や葡萄や桃を取るとね、停学になっちゃうんだ。」

   「そりゃすごいな。・・・果物泥棒は罪が重いんだな?」

   「そう!さくらんぼなんかに手を出したらね、退学だよ、退学!」

   「なんで知ってるんだ?」

   「言い伝えだよー。伝説っていうの?そういうの。」

・・言うんだろうか、そういうのを伝説って。

c0002408_053456.jpg
宝石のような果物、さくらんぼ。                             <器は気比の鋳物師(いもじ)焼き>
[PR]
by NOONE-sei | 2006-07-05 23:46 | 新々百夜話 本日の塾(9)

45夜 顔の無いお母さん 


「母」という言葉の持つイメージは深い。
愛という養分を吸って育つ植物が「子」だ。

「子」は「母」というものに漠然としたイメージを持つ。
それはこの世のものでない聖母マリアのようなイメージで、
慈愛を纏(まと)って「子」に抱擁する。
この世に生きるものは皆、等しく「子」だけれど、「個」でもある。
けれど、憧れて願うとき、「母」の像はどこか「個」ではなく「子」の群れの願いだ。

「母」のイメージはひとつでも、現実の母とは、子が百人いれば百通りある。
現実の子の願いは共通していて、せつない。
ちいさな塾にはちいさい子が幾人もかよった。
養分が足りなくて育たない子を見た。
見て欲しいばかりに、嫌われることをする子を見た。
母だけを目で追う子を見た。
いそがしい母の顔を黒く塗りつぶした子を見た。

母を知らずに育った子がいた。
母の日の絵を皆が描く中、どうしても描けなくて幼稚園の先生に
 「僕には三人のお母さんがいるんだよ。
  新しいお母さん、お世話してくれた先生、僕を産んだ、顔の無いお母さん。
  だれを描いたらいいのかわからないんだ。」

悲しくて涙を流す新しいお母さんに、ベテランのお母さんが言った。
 「こどもが小さいと、ほんとうにいそがしくていつも張り詰めていていつも悲しいね。
  でも。だから、こどもがお花を摘んでその一本をくれたら、もうそれだけで幸せにもなる。
  顔の無いお母さんに、いっしょに憧れてあげなさい。
  それは現実のお母さんじゃないの。
  聖母マリア様なんだから、みんなが憧れるお母さんなんだから、・・ね。」

そう教えたベテランのお母さんこそ慈愛で抱擁する「母」そのものだった。
  
[PR]
by NOONE-sei | 2006-07-03 00:41 | 新々百夜話 本日の塾(9)

44夜 呼び名を呼びな


わに丸が王様を何と呼んでいるのか、王様は今日まで知らなかった。
だから教えてあげた。・・『ぱぱやん』。王様がひっくり返っていたのが楽しい。
呼びかけるときには『とーちゃん』。お金が必要だったり相談があるときには『お父さん』。
今日、じいじとの会話に王様が登場し、わに丸は王様を『おやじ』と呼んでいて、
わたしはそれを初めて知った。

子供には、両親をちがう呼び名で呼びたくなる時期がある。
わたしは『おとん・おかん』と呼べと言ったのに、わに丸は『とーちゃん・かーちゃん』を選んだ。
外で、自分達がどう呼ばれているか。『おや』もしくは『ちちおや・ははおや』かと思っていた。

最近いいことがふたつあった。
ひとつは、
朝、喧騒のさなか、弁当を作っていたわたしは急に情けなくなって、途中で蓋をしてしまった。
ご飯用の入れ物には白米と梅干と佃煮。
昼、学校で蓋をあけたら、おかずの入れ物にはから揚げがころんとふたつだけ。
隣の席の子が「おめーのかーちゃん、手抜きだなーー。」
けれどわに丸は、もしやそれは手抜きではなく朝のせいだったかもしれないと感じたという。
そんなふうに気づき、しかも、責めるでなくわたしにそれを話したのは、奇跡だ。
もうひとつは、
アルバイトで貰った給料で王様になにか買うように言っておいたら、父の日にシャツを贈った。
サイズが合わなかったので、後日そっとわたしが取り替えてきたけれど、それはご愛嬌。
進路について、わに丸は王様に相談することが増え、ふたりの会話も増えてきた。
不器用な触手をおずおずと伸ばし始めている。

実は今日、もうひとついいことがあった。
じいじは耳が遠い。ただでさえ遠いのに、そのとき周りの音がうるさかった。
大きな声で幾度も話し掛けるわたしを見て、わに丸が初めての場面を見るように言った。
「お母さんって、ほんとに大きな声が出せなかったんだ・・。」
声の小さいわたしの声を聞かずに過ごしてきたことを 初めて知ったようだった。

王様が『おやじ』なら、わたしは?『おふくろ』はぜったいに嫌。
・・『おかん』と呼んでほしい。


c0002408_2334359.jpg

[PR]
by NOONE-sei | 2006-07-01 02:53