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100夜 おまえ百まで


目出度い百の夜。
死から生にころりと転じる百珍。
新百夜話、蝋燭は今夜が最後の一本。

百にちなんだ言葉をひとつ。

「おまえ百まで、わしゃ九十九まで」
これはなんとも美しい夫婦愛。

仙人と呼ばれたという画家、熊谷守一は、「下手も絵のうち」という名言を残した。
どれほどのへたくそかと、美術展を観たことがある。
絵はともかく、書がほれぼれするくらいの、
悪ガキが書いたような字。

あんまり面白いので掛け軸の一幅一幅に見入っていたら、
こんな書があった。

「おまえ百まで、わしゃいつまでも」
ひっくり返りそうになった。

爺さまになると、ぬけぬけとこんな茶目をいうのだな。
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by NOONE-sei | 2006-01-30 01:02

99夜 死の発見


はるか太古の『ヒト』は、まだ原始の生き物だった。それを猿人という。
あるとき、それまでの種(しゅ)の幹から、外れた者が出現した。
なぜなのかはわからない。これを原人という。

二足歩行で手の自由を得たヒトは、飛躍的な進化をすることとなる。
肉食を覚えたヒトは、顎の発達で音声を自在に操るようになり、やがて、言語に到達した。
言語は、意識の交流を生むが、政治も生む。
群れは、群れを維持するための知恵を要する。それは政治の原点だった。

同じ頃、『オオカミ』という太い種の幹から、『イヌ』が枝分かれした。
同じ種の群れからこうむる負担(ストレス)は、寿命にまで影響する。
進化の過程で、イヌは同じ種の群れを捨て、ヒトに寄り添うようになった。
そうして犬は、群れを替え、政治の負担を人間に任せることで、生き延びることを選んだ。

新しい人類は、アフリカから世界中に種を伝播した。
わたしたちは、新しい人類の末裔。
新しい人類は、「死」を発見した。

わたしたちがヒトに近い種と感じている『サル』。
不運にも、けもの道を断つように通った道路で、子猿が轢かれた。
子を抱き上げる親猿。
親が、子を失ってその死を悲しんでいる。
けれど、親猿は、子を放置していなくなってしまった。

多くの動物が同様の行動をとる。
中には、触らないまま、確認せずにその場を立ち去ることもある。
動物は、本当は「死」を知らない。
動かなくなったという事実に困惑はするが、悲しみは伴わない。
犬も猫も鳥も、皆「死」を知らない。
事実が意味するものが何なのかを 人間だけが獲得してしまった。

子猿と親猿に悲しみを重ねるのは、人間が人間たる証。
感情を重ね合わせ、擬人化せずにはおれない。
子を亡くして悲しかろうと感じるのは、人間が「死」を知っているから。

動物は、「生」を生きている。懸命に、そして過酷に。
「死」を発見してしまった人間は、「生」のためだけに生きることはできない。
もう後へ戻れない。これを業と呼ぶか?
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by NOONE-sei | 2006-01-30 00:07

98夜 海に還りたいか


ひとは魚だった。
それは遠い遠い昔ではなく、ついこの間のこと。

胎内の海で、赤ん坊の魚はあくびをする。
羊水をこくこくと飲んだり指をしゃぶったりおしっこしたり。
誕生のときが来ると、ひとになるために産道をねじれながら下りてくる。
産まれた赤ん坊が産声を上げるのは、えら呼吸から肺呼吸に切り替わる初めの息。

何故泣くんだろう。
もう還れない羊水の海を思って泣くんだろうか。
まれに、ひとになったその時の苦しみを記憶している子供もいる。

ひとりの女性に泣かれた。
遠くで長兄と暮らす、年とった母の身体が弱っているという。
もとより彼女は、母が高齢になってから生まれたから、兄や姉とも親子ほどの年の差。
いつも忙しそうな大人たちの中でぽつんとひとり。
食いごしらえも自分でやったし、早くから自立心を持った。
末の子はかわいがられるというけれど、まれに、そうではない子もいる。

彼女は、早く独立して自分の家庭を持ちたかった。
初めてのお産には、兄に遠慮した母が、帰って来てもらっては困るというので、
自分の産後の世話を家政婦に頼んだ。金銭面で負担をかけたことはない。
親兄弟に、末の子だからといって、迷惑をかけたくないというのは彼女の意地だった。

聞くと、たいしていい親とも思えないのに、何故、彼女から親の愚痴がないのか。
親には複数の子供達だけれど、子供にはたったひとりの親。
子供とは、不憫なものだな。

 「セイさん、大人になってから聞いたのだけど、
  母親は私を生みたくて産んだって、言ってた。」
嬉しかったという。それをずっと知りたかったという。
本当に子供とは、不憫なものだな。

話しながら、彼女の記憶は少しずつ幼い頃に戻っていった。
このままどこまで溯(さかのぼ)るだろう、、、と思った。
魚になるのかな、とふと思った。

何故泣くんだろう。
もう還れない母の海を思って泣くんだろうか。
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by NOONE-sei | 2006-01-26 00:17

97夜 したごころ


受験を控えた子供たちは、問題を解く背中が日に日に美しくなってゆく。
ついこの間まで、思春期特有の気難しさや脆(もろ)さをたくさん見せていたのに、
ひとつひとつ、それらを削(そ)ぎ落としてゆくかのように。

今年の受験生は、昨年の子たちよりも線が細かった。
痛々しい子もいた。

どの子にも、寄り添いながら静かに見つめた。
自分を持て余すさまには、見て見ぬふりをした。
大人ぶって教訓めいたことを言うよりも、伴走するほうが、愛が深いことだってある。

まだ幼い子供たちが、たとえば幼稚園の園庭で汗をかくほど遊ぶ、懐かしい風景。
その子供の群れからは湯気が見えるほどの、夢中なさま。
やがて、すいっと群れから抜けた子がひとり走ってきて、
幼稚園の先生のおなかに両手をまわして抱きついて、黙ってものの五秒間。
そうしてなにごともなかったように、群れに走って戻る。
人肌に、ちょっと触れれば気が済む、子供の本能のようなもの。

受験生たちは、幼い子供よりは少し大きいから、
直接こちらの人肌に触れることはもうないけれど、似たようなことは、たまにある。
振り返ると、すぐ後ろをくっついて歩いていたりするのだ。

あんまりひたむきな姿なので、少しかき混ぜてやろうと、漢字の部首で遊んだ。
「まだれ」だとか「にくづき」だとか「けものへん」だとか、小学生に戻ったように、目がきらきらだ。

  「意味の『意』の心は、なーんだ?」
  「したごころーー!」

ひとりの女の子が言った。
  「えぇっ?『恋』もしたごころだったのかぁ、、。」

・・あらら、すごいことに気づいてしまったかもしれない。
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by NOONE-sei | 2006-01-22 01:58 | 新百夜話 本日の塾(12)

96夜 約束はできない

「太平洋に米粒」さんで読んだおはなし。

同じ職場にいても、プライベートなことは、案外知っているようで知らない。
あるとき、同じ職場の二十代の女性が子供のある人ののち添えで、
子供がもう大きいということを知り、子供の話を初めて聞いた。

「最近、息子に彼女ができてねぇ」 (へぇ、妬けるもの?)
「今、脅されてるの」 (脅す?)
「『二 十 代 で お ば あ ち ゃ ん に し て や ろ う か』って」 (・・・!)

話す女性は、素敵な母の顔だったという。
この女性の小さなユーモアがたまらない。あこがれるほどのたおやかさ。

けれど、こちらの母ぶりはどうだろう。
わたしは、わに丸の結婚は早いほうがいいと思っている。
額が広くなってきているように思うのだ。

自分でも気にして「かーちゃん、オレは禿げるんだろうか・・・?」
と、訊ねられると答えに詰まる。
どう答えろというのだ。
未来のことは誰にもわからない。

仕方がないので、
「若いうちに結婚しちゃいなさい、早く子供作っちゃいなさい。」
こう答えるのだが、ちと乱暴だろうか。

わがままなわに丸の性根をお嫁さんに直してもらえばいい。
結婚して、ひとへの気遣いを教えてもらえばいいのだ。
髪という、せめて見た目がいいうちでもなければ、
わに丸と結婚してくれるような、奇特で殊勝な心がけの人はいないにちがいない。

でも、この約束をしてはいけない。
王様はわたしと結婚する時に、
自分は母方に似ているから、親族は皆髪がある、と言った。
だいじょうぶだと約束してくれたのに、なにやらあやしい。
・・父方だったのかもしれない。
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by NOONE-sei | 2006-01-20 13:20

95夜 ふるさと

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小正月には、ミズキの枝に紅白の餅を 花に見立てて飾る。
十五日の小正月、シベリアから飛来した白鳥に餌代を援助している里親達の集いに行った。


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白鳥は頭がいい。日本では白鳥に猟銃を向けないから、手から餌を与えることもできる。
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カモのシンクロナイズドスイミング。嘘だけど。
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白鳥もシンクロナイズドスイミング。やっぱり嘘だけど。開いた脚が、妙に可愛い。


白鳥と対面し、野鳥の会の方々に芋煮やおにぎりをご馳走になった後は、
里親達はバスで観光のもてなしを受ける。今年は近くの温泉へ。
風呂のお写真を ちょっとおまけ。
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川辺に建つ、大きな旅館の内風呂。
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掛け流しひのきの露天風呂。

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風呂の外には渓流が。対岸に小さな猿を見た。

観光で行ったのだけれど、ここはわたしが育った温泉町。・・わたしのふるさと。
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by NOONE-sei | 2006-01-17 22:14

94夜 浅い息


長生きして、人間にしたら百歳くらいまで生きた犬。
体はかるかるになって、縁側で抱っこして外を眺めさせた。
もう目は見えていなかったかもしれないが、
お日様が体にあたって、ひなたぼっこは気持ち良さそうだった。

浅い息。
年取った犬は、いつも機嫌がいいのに呼吸が浅かった。
あんまり気持ち良くて、犬の頭がぐらりと腕から落ちる。
首の坐らない赤ん坊のように。
「おい、息してるかー。」
わたしはわざと大声で、耳の傍でそう呼びかけた。

人間でも、ふと気づくと呼吸が浅くなっていることがある。
いつも機嫌のムラはさほどないのに、
家にいるときの声が小さいわたしは、よく王様に聞き返される。
わに丸は生返事で、あとになって言った言わないがよくある。

昨夏、目に付く所に小さなメモを貼っておいた。
  『呼吸を深く』
寒くなってすっかりそれを忘れていた。
メモもいつのまにか、はがれて無くなっていた。

耳の遠い老夫婦が聞き返しながら大声で話す、今からそれはちょっと困るけれど、
いつか本当に、王様とそういう日が来るのもわるくない。
声を大きくすることは、呼吸が深いということ。
曖昧な会話じゃないというのも、わるくない。

犬は、よく晴れた暖かい日に、
ひなたぼっこしながらいつのまにか逝った。
・・歳取って大往生する幸せ。
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by NOONE-sei | 2006-01-16 18:58

93夜 がらくた奇譚


骨董屋で店番をしていたことがある。

古道具屋ではないので、時代箪笥や自在かぎなどは置いていなかった。
甲冑や刀剣類も置かないので、骨董屋と聞いて浮かぶ、お化け屋敷的な店でもなかった。
何より良かったのは、櫛やかんざしや帯止めがなかったことだ。
鼈甲・珊瑚・翡翠などの宝飾品や、細かい銀の細工の装飾品は、
身につけていた人の、まるで「過去」という人体標本を見るようで薄気味悪い。
一緒に埋葬されるはずのものが、いつまでも主(あるじ)から離れてさ迷うようで、
店に、そのような半永久に生きる幽霊が飾ってあったら、店番はきっと怖かっただろう。

どこかで落とし物を見つけたら、拾って店の人や受付に届ける。
けれど落とし物の髪飾りだけは、拾わずに口頭で知らせることにしている。
人の髪に付いていた物は、拾うと苦労を背負うから。
きっとちいさい時に誰かに言われたんだろう、
「黒」と「苦労」を掛けただけなのかもしれないが、妙に生々しくて記憶に刻んでしまった。

人が使っていたときにはそうでなかったものが、
使われなくなって、やがて負のイメージを醸し出す。

骨董屋の店主が、セリで落とした器の木箱に一緒に入っていた、
売るのに余分な物を処分していいというので貰った。
壊れた懐中時計や彫りのある時代箪笥の取っ手などの楽しいがらくた。
これらのがらくたの中に、銀細工の小さな蝶が混じっていた。
かんざしの装飾の一部だ。

今でも時々、がらくた箱を取り出して見るのだが、
部品の欠けた懐中時計の中の、小さな歯車にわくわくし、
かんざしに付いていたはずの、小さな蝶を見てびくびくする。
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by NOONE-sei | 2006-01-14 18:45

92夜 あたらしい分類


あたらしい。
あらたなるもの。・・あたらなるもの、ではなく。

新しいという言葉には妙な昂揚感が伴う。
ヌーベル。
ヌーベルバーグ、ヌーベルキュイジーヌ、、、等々
要するに、NEWという意味なのに、新しいばかりでなく品のよさまで語感に漂う。
これはフランス語のせい?

年末、暮れも押し迫ってから男友達から電話をもらった。忘年会の誘い。
誘いとは名ばかりで、普段はなかなか会えないので、
すでにわたしが承知するのを見越して、店まで予約していた。

彼は精神科医なのだけれど、学生の頃からの長いつきあいなので、
困った時に一方的に相談にくるのは彼のほうだし、なにかいいことがあると自慢しにくる。
外向きにはきっといいお医者なのだろうが、わたしは学生のままのような彼しか知らない。
昨年、いろいろと話を聞いてやったので、すこし恩義に感じているのだとか、
ご馳走してくれるという。
酒を愉しむ、小洒落た中華の店。

パリの万国博覧会に日本から持っていったあれこれが、浮世絵に包んであったのだったか。
フランスの画家達に影響を与えたのが浮世絵で、のちに印象派になったのだっけ。
東洋が好まれ、それをシノワズリと呼んだ?

では、彼が案内したような店はなんと呼ぶのだろう。
シノワズリ・キュイジーヌ?
調べてみたらわかった。
ヌーベル・シノワ。

美味い白身魚の炒め物、北京ダックとワインと日本酒。
案の定飲みすぎた。久しぶりの二日酔い。
正月の準備に追われ、新年もゆっくり休めなかったから、体調がいまひとつ戻らない。

もうじき小正月。
暮れからずっと酒を飲んでいないわたしは、ちょっとえらいかもしれない。
自慢してやろうと思ったら、彼は、翌日の二日酔いもなく、
すっきりと病院にゆき、英気を養って仕事ができたとお礼を言われた。
・・妙な気分。
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by NOONE-sei | 2006-01-13 00:48

91夜 おばあちゃんの会釈


まだちいさい頃、この地に越して来て不思議だった。
見ず知らずのおばあちゃん達が、すれ違うときにちいさなわたしに会釈をする。
おばあちゃん達はお百姓さんで、おじいちゃん達は大抵威張っている。

おばあちゃん達は、たとえば東京から来た見知らぬ人にも、よく顔を合わせる知り合いにも、
そして越してきたばかりで右も左も、大人への挨拶もまだろくにできないわたしにも、
おなじ会釈をする。

言葉を交わすわけではなく、ただ微笑んでする会釈。
田舎のおばあちゃん達にはあたりまえの日常。
家が建て込んできて、新しい人達が増えた。貸家も何軒も建った。
近頃はあんなおばあちゃん達にお目にかかれない。

雪の季節だ。

毎日、家の周りを雪掻きする。
幸い今年は吾妻おろしの風に飛ばされて、
この地の雪の量はまだまだたいしたことはない。
「家屋敷周りに雪があったら外聞が悪いだろう。」
父はそう言うけれど、
以前のようにまるまる綺麗に雪掻きをすることを 今年、わたしはやめにした。

家が疎(まば)らだった頃のほうが、各家々は道路の雪をあたりまえに掃いた。
今ではどの家も、敷地内と、せいぜい玄関や門の前の雪を掃(はら)う程度。
そうして一軒が雪掻きをやめると、一軒また一軒とやらなくなり顔を合わせなくなる。
道路は一本につながっているけれど、掃いた所は低く、掃かない所は高く、
やがて誰も掃かなくなって、いつしか平らな一本の圧雪道路になった。

近隣の、ほんの近くの住まいとおぼしき車が幾台も、
雪を掻いているわたしの目の前を通り、タイヤが、掃いている途中の雪を踏んでゆく。
ほんの数年前までどちらからともなく会釈を交わしたのに、
徐々に顔ぶれが変わり、今ではどの車も目を合わせず通り過ぎる。

人に身だしなみがあるように、居ずまいというものがあって、
おそらく雪掻きとはそうしたものでもあるんだろう。
ソノヒトタチの通る道、ソノヒトタチの車のために雪を掻いているわけではなく。

なのに何故だろう、おばあちゃんの会釈が思い出されてむなしい。
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by NOONE-sei | 2006-01-11 01:10