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67夜 秋のお写真 味覚編


塾の前庭で芋煮会をやった。

芋煮を食べるのはこれで三度目。
一度目は、
見事に田園が広がる場所に敷地を持つ民家に、大勢の人が集い、
わたしもお招きいただきご馳走になった。
敷地には居住区とは別に蔵座敷があり、土間がひんやりと気持ちが良かった。
漆喰の壁、太い梁、まるで民芸館のような佇(たたず)まい。
柳宗悦などの民芸運動に明るくはないが、これまで何度も目にした彼らの器は、
こんなところで実際に使ってこその、用と美ではないかと思わされる。

二度目は、
大工の棟梁をはじめ、親戚一同が揃っての、本家の上棟式。
これまた大勢の人が招かれた席で、お膳に添えて芋煮をもらった。

けれどといおうか、やっぱりといおうか。
この地の芋煮は味噌仕立てだ。
秋の野菜が幾種類も入る。
里芋・大根・白菜・ごぼう・ねぎ・きのこ。
にんじん・こんにゃく・豚肉。
・・だいたいこのような食材。

さて本日の芋煮会では、すっかりわたしの思いつきの食材となった。
里芋・ねぎ・舞茸・こんにゃく・牛肉で、醤油仕立て。
・・これに生揚げを。こんなものを入れる芋煮、聞いたことがないけれど。

そして最後の締めには、カレールウを少し割り入れて、カレーうどん。
なんたる芋煮と呆れられ、邪道だと怒られそうだ。
・・どうせお叱りを受けるならば、もう、大きなお写真を載せてしまおう。

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牛肉を軽く炒め別に取りわけておく。

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鍋に水を張り、里芋と軽く下味。泡が出ないようにするため。

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材料いろいろ。きのこをたっぷり。

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里芋が煮えたら、

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牛肉を戻し入れて、

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酒をたっぷり・砂糖・醤油で味を整えて、沸騰したら出来上がり。
作り方は適当。めったに料理の写真を載せたことなど無いのだから、片目をつむって勘弁。
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by NOONE-sei | 2005-10-31 01:04 | 新百夜話 本日の塾(12)

66夜 鬼の居ぬ間 


わに丸が修学旅行へ。
京都・奈良・大阪へ四泊の旅。

わたしはその間、まったく料理をしなかった。
料理は嫌いじゃない。むしろ、趣味に近い。
が、夜は連夜、仕事を終えてから王様と外出。

酒を飲まない王様と一緒だと、
ほどよく食事も兼ねるので、へべへべになる前に帰宅。
たまには記憶が飛ぶほど壊れるのもいいのだけれど。

その頃わに丸の携帯電話が、すでに寝ている好きな女の子「マイ・ハニー」を呼んでいた。
翌朝「マイ・ハニー」から、めちゃくちゃ叱られたわに丸。
・・・身に覚えがない。なにしろわに丸も寝ていたのだから。
これは宿で同室の男子からの、わに丸に対する友情の表れらしい。
身の潔白は訴えたが、いたずら電話をした犯人の名は「マイ・ハニー」にも決して言えない。
こちらは記憶を飛ばさずに、封印。

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            ゆるしてください。

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            ゆるしてください。・・そう見えないけど。

なんとか信じてもらえましたとさ。
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by NOONE-sei | 2005-10-26 21:19

65夜 はつゆき


山は、ひとあしもふたあしも早い冬。
吾妻小富士はわたぼうしをかぶって
富士山のおよめさん。

川にも冬のおとずれが。
阿武隈川に、寒い国から白鳥がやってきた。

雪も鳥も、
どちらも白いから
・・は・つ・ゆ・き。
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by NOONE-sei | 2005-10-24 17:52

64夜 ハニー・ヘイス


64夜は、もちろん虫歯のおはなし。最後に乳歯が抜けたのはいつ?

乳歯が虫歯になって、笑うと歯がみそっ歯の子供の顔は可愛い。
歯と歯の間に隙間のある、すきっ歯も可愛い。
そしていちばん可愛いのは、前歯が一本抜けた笑い顔。
頼んだら、イーーッってやって見せてくれないかな。
口を横に思いきり開くと、どうして子供って目をつぶるんだろう。

ときどき思い出すのだけれど、わに丸の歯っ欠け写真。・・じゃなかった、歯抜け写真。
抜けるたびに撮ったのに、どこにしまったのかわからない。

子供は歯が抜けても、互いを笑ったりからかったりはしない。
歯を見せて見せてと寄ってくることもあれば、まだ抜けていない子はうらやましがったりもする。
でも大概は、あたり前のような無関心。まるで乳歯は永久歯に生え変わる、と知っているように。
すべての子供にそれを誰かが教えているとは思えない。それとも本能が教えている?

わたしが思う、子供の可愛さ上位三番は、

  歯抜け
  おしり
  手の甲のくぼみ

もみじのお手々とよく言うけれど、ビスケットの表面に穴がぽつぽつ開(あ)いているのに似た、
ぷっくりした指の付け根の甲のくぼみが、わたしは可愛いと思う。

でも嫌いな一番は、寝顔。
天使のようだと言うけれど、天使も天使、あどけないゆえそのまま天に神から召されるようで、
深い眠りは気味が悪い。寝顔って、なんだかどこか、切なくなる。

もうじきハロウィン。
子供達が顔を汚して思いきり醜くめかしこんで、わさわさとぞろぞろと歩き、戸口に立つお祭り。
ファニーなお顔がいっぱいだ。

前歯でくちびるを噛んで発音するF。歯抜けはこれが言えないね。だからファニー・フェイスは、
・・ハニー・ヘイス。


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町の花屋の店先。わたしの頭がみっつは入るかぼちゃ。
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by NOONE-sei | 2005-10-22 16:19

63夜 ふくれちまった哲学に


61夜は、思わぬところで「哲学」という固有の言葉に反応があって、驚いたり慌てたり。
どう返答したものか、言葉に慣れていない脳を使ったので、ちょっぴり眠れない夜だった。

「哲学」。
元来は個人的な楽しみであったはず、と教えてくれたひともいた。
わたしの連想する「哲学」は、遥かなところに浮かんでいる。

たとえば「知のたのしみ」と言い換える。
それは個々それぞれの楽しみ方だったんだ。するとすこしだけ力が抜ける。

たとえば「普遍を求める」と言い換える。
求める過程より得た結果こそ大切。すると置いてきぼりを食ったようで悲しい。

たとえば「物事の根源を知ろうとする理性の立場」と言い換える。
もう窮屈で逃げ出したい。すると楽しくなくて、身の置き所がない。

そもそも源には宗教や思想がからんでいただろう、「哲学」。
派生して政治・経済・科学・そして精神や心理にまで及ぶもの。・・大きすぎて、持て余す。

たとえば一家言ある人物と会話するのに骨が折れるのと同じように、
たとえば心の世界を旅する人に寄り添うのが居心地悪いのと同じように、
天邪鬼(あまのじゃく)で脆弱な脳では、黄色い信号が点滅する。・・避けて通りたいのだ。

「哲学」というものも、考えてみれば可哀相に。
いつしか、歴史に望まれ普遍になり、人々が描くイメージをたっぷり吸って膨らんでしまった。
可哀相な「哲学」は、今では実体を離れ幽体になって、あちらこちらにぷかぷか浮かぶ?
それともユーモラスで庶民的になって、時を越えて懐深く変容した?

61夜は、会話は相手に幻想を持たせることもある、というわたしの恐がりでおよび腰のつぶやき。
思わぬ「哲学」という言葉は藪を突いて出た蛇。

六三(ろくさん)という昔からの習わしがある。
年に一度、体の傷むところや悪さをするところを寺で払ってもらう、厄払い。

今夜は、「哲学」で痛んだ脳みそに、六三払いの63夜。
払ってしまえば幻想も蛇も、ただの無邪気な言葉の遊びだ。

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青い林檎は王林(おうりん)。良い香り。
香気とはこの林檎の香りを言うのではないかと思うほど。
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by NOONE-sei | 2005-10-20 19:34

62夜 移ろいのいろ


花のいろは移ろう。
いたましくて いたましくて そのあまり、
いっそ いろを盗ってしまおう。


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たいせつな花束なんだから。ひとり占め。
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by NOONE-sei | 2005-10-20 00:38

61夜 短絡享楽でいこう


無為自然、老子のありがたいお言葉だとか。
道(タオ)は、天と地が生まれる以前からそこに在った?
計りしれない思想の深みには、うっかり踏み込むとこわい。

世には迷い惑う人々の、如何に多いことか。
精神性という言葉を聞くと、気持ちが沈む。
自分探しの旅や、意味探しの内省(ないせい)に理解を求められると困る。
ひとのこころというものに感応してしまうと戻れなくなりそうだ。

どうしてひとはものを考えるのだろう。

「セイさんは、黙っていると哲学をしているようだね。」
そう言われて驚いたことがある。
感じるけれど考えない脳、それがわたしの脳なのに。

会話ってむずかしい。
誰かと会って、言葉でやりとりをすると、
信念やら理念やらコダワリやら、わたしが持っていないものを
まるであるかのように受け取られてしまう。

相手から、伝えようと語られるものがあるならば、
きちんと正確に理解しようと、誠実につとめるけれども、
だからといって言葉のやりとりに堪能なわけではない。理屈は苦手。
けれど誤解されることが多いのは何故だ。

精神世界の、言語の暗闇に迷い込んでしまうよりも、
執着せずにただ感じ合おうよと思うのは、短絡的?

61夜、無為は難解、ということで。


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犬は哲学をしていない。


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馬もおなじく哲学をしていない。
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by NOONE-sei | 2005-10-18 20:04

60夜 夜の罵倒


ゆうべ、夜遅くに電話が鳴った。

 「・・・あ・た・し。」
どちらのアタシさんでしょう?

すっかり出来上がった古くからの友人。
ひとりで飲んで歩いて、なにやら楽しくなってしまって、
最後の〆(しめ)の店に入る前に、声が聞きたくなったのだとか。
彼はよく一緒に飲んで歩いた仲間だ。
お金が無くて安い居酒屋をハシゴしたあの頃と違うのは、〆の店にはオネエサンがいるということ。
いわゆるスナックを わたしは「おねえちゃんの店」と呼んでいる。

わたしは彼に、数えきれないほど夜の罵倒をした。
仲間と飲んでへべへべになり、いよいいよ帰ろうと皆が三々五々歩き出すと、帰る背中に叫ぶわたし。

 「ばーかーばーかーちんどんやー、
 おまえのかーちゃん、でーべーそー」
この、夜の罵倒はいつものことなので、皆口々にセイは馬鹿だのあほたれだのと叫び返し帰る。

さて、近頃わに丸は、わたしを口笛で呼ぶ。振り返ってしまう自分が情けない。
そこで先日、わに丸に悪口を言ってせいせいしたら、言い返された。

 「ブス」

馬鹿のあほたれのとは、今までもさんざん言われたことがあるし、
実際、天然が入っているのだから仕方がないけれど、あろうことかそれを言うか、太郎冠者。
それは教科書にも載るほどの言葉なのだ。
インテリジェンスの未熟な君は、知らなかっただろ?

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わに丸がとんかつ定食を食った跡。
漫画「ガッシュ」に登場するおもちゃを模(かたど)って、名をバルカンという。こういう奴だ、しくしく、、。

狂言 「不附」
毒は、トリカブトから抽出した毒。
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by NOONE-sei | 2005-10-15 17:15

59夜 親と名のつくもの


『親』と名のつくものは、ときに痛くて、ときに照れくさい。

娘を持つ『お母さん』というものは、子供からあれこれと情報が耳に入り、
賢く、世間をよく知っていて、世渡りの術(すべ)もさすがだと、感心する。

わに丸の同級生のお母さんの、年頃になった娘の容姿を表わす言葉にも、圧倒される。
 「もうすっかりおっきなお尻だから、子供をばんばん産めるよぉ。」
健康に育てた娘は、いつでもお嫁さんになれるんだという明快なこの視点、
あっけらかんとしていて眩しい。

家族のために、子供のために、という言葉は、
『母親』にとって、他のどんな理由も入る余地のない、免罪符のようなものだ。
尽くすという、重いイメージを伴わずに家庭の太陽であり続ける、
こんなお母さんは偉いなぁ、と思う。

いつも情報のおすそ分けをくれる彼女が、歯医者の帰りにうちに来た。
聞けば『親知らず』を初めて抜くんだという。
初めて紹介状を持たされ、口腔外科なる所に行かなくちゃならない。
あれこれ妄想が膨らんで、怖くなって家に帰れなくなった模様。

まずは、電話で病院の外来に問い合わせて予定を立てたら?と言ってみるが、
電話などしたら、すぐ来いすぐ抜歯、にちがいない、と彼女の恐怖は恐怖の連鎖を呼んでいる。
なるほど、健康診断も受けたことがないという、さすがに親知らずならぬ、医者知らずの人だ。
『親』という名を脱いでみたら、親知らずの抜歯に慄く、すっかりはだかのパーソナル。

親知らずの抜歯など、病院は日常茶飯、慣れたもの。
拝まれて、彼女に代わり電話をしたら、病院は予定に合わせ、ちゃんと予約を入れてくれた。
それに、彼女の親知らずは問題なく真っ直ぐに生えている。心配いらない。

「セイさん、ほんとはワタシ、びびりなんだ、、、。」と彼女。
天におわします我らが『父上』。拝む懺悔の部屋には神父と牧師、どちらが居るのだったっけ?

・・ここだけの話。わたしは、狭い顎に大きい歯が収容しきれない、つまりがちゃ歯だ。
親知らずも大きい『親不孝者』。四本のうち、最後の一本は大学病院に紹介されて抜いた。
それは生えないまま歯茎の下に真横に堂々と寝ており、抜いた歯には、根が三本あった。
途中で何本の麻酔注射を追加しただろう、歯を砕く様はまるで血のスプラッタだった、、、。

もひとつ。むかしむかし、学会で噛み合せについての発表をするため、
わたしの歯の型を使わせてもらいたい、と歯医者に頼まれた。
奥も奥、親知らずまでの、全ての型を取るのは辛かった、泣きそう、吐きそうだった、、、。
・・・これらのことをひっくるめると、つまりは立派な『親自慢』、ということか?
いや、親知らず自慢、・・だろ。

ところで『親』の挿話、王様とわに丸。
王様から、王様に代わり、わに丸の携帯にメールするよう頼まれた。
拝まれてないけど、ひらめいて用件の最後に「今晩一緒に風呂、どお?」とおちゃらけてみた。
わに丸から王様に返事、「極楽湯?」 ・・実在の銭湯の名。
風呂好きのわに丸は本気。わたしのいたずらに焦ったのは王様。

王様はときに『父親』という、脱げない名に四苦八苦する。
ほんとは面白い人なのだから、はだかの王様になればいいのに、そう常々思っていたわたし。
とりだてて何か話したわけでもない男同士『親子』の風呂だけれど、
王様はその晩、風呂で正真正銘のはだか。
・・ここだけの話。わに丸は、わたしが代打だったことを知らない。が、懺悔は無しだ。

慄いたり焦ったり、赤くなったり青くなったり、いろいろあるからこの世は極楽。
59夜、極楽な夜には極楽湯、ということで。
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by NOONE-sei | 2005-10-13 11:08

58夜 愛を育む


誰かがくれたお題で、誰かの為にお話を書く、そういう時があってもいい。

声にして呼びかけるというのは、大切なこと。
思っているだけじゃ伝わらない。
以心伝心?あ・うんの呼吸?
それもいいけど、惜しみなく声を投げかける時があってもいい。たまにはね。
言葉じゃなくて、声よ、届け。

くるりんさんからの依頼   ----------------------

   *いただいたお題は *育む*
世の中には姉妹のように仲のいい母子がいます。
お母さんが大好きな娘がいっぱいです。
ところが、わたしは母が嫌いでした。
愛することに不器用な母と、愛を感じにくい子を よくも神様は組み合わせたものだと、
大きくなるまで、ずっとそう思っていました。
わたしが生まれたことは、親の負担ではなかったかと自分を責め、
生まれたことが疎ましく、生きることを持て余していました。
褒められたいのに、褒められたことがない、
大好きだよ、と言われたいのに言われた事がない、
届いてこない声を ずっと待っていたような気がします。

ひとはひとに育てられるのだけれど、
たとえば赤ん坊などは、ひとりでは生きられないのだけれど、
大きくなってからは、でこぼこで穴だらけの幼稚な精神を 
自分のちからで育んで埋めていくということもあるのですね。

大きくなって、愛の言葉を声にして、
自分が欲しかったその声を いっぱいいっぱい惜しまずに投げかけているうちに、
わたしはお母さんになったのだと思います。

子供が大嫌いだったわたしは、嫌いとおんなじ分だけ子供が好きになりました。
ずっと子供でいればいいのに、急いで大人にならなけりゃいいのにね。
子供って、自分のことは憶えていなくて、ひとに思い出をくれる生き物です。

だいじょうぶ。
今でも母のことは苦手だけれど、まあいいか、とやりすごせる日々です。

   *わたしがイメージする言葉は *福音*
実はわたしが生まれた日に、これを書いています。
ひとがこの世に送り出されることには、きっとなにか意味があるのでしょう。
赤ちゃんはみな、神様の庭でまだ見ぬお母さんと約束をしてから生まれてくるのだから、
あなたもきっと、そのなかのひとりの赤ちゃんに訊いたのです。
「あなたを産んでいいですか」
「いいですよ」・・そう答えた赤ちゃんの声が、聞こえるような気がしませんか。

   *くるりんさんへ
わたしの書くお話に、別世界に連れて行ってくれる、と言ってくれてありがとう。
わたしのほうこそ、あなたに届けたい声があります。
「たくさんのひとがあなたを愛しているよ」
わたしのブログには、くるりんさんファンがいること、知らなかったでしょう?
わたしもファンのひとりです。

そして願うよ。
おなかの赤ちゃんがたくさんのひとに愛されますように。
赤ちゃんがあなたに、たくさんのしあわせをくれますように。
これから逢える赤ちゃんを 待っているあなたが世界でいちばん綺麗な妊婦さんです。
  
   *あなたからいただいたバトンは、、、
あなたへのメッセージを書くために受け取ったので、
もう、ここで行き止まりにしてもいいですね。             
                                                 セイ拝

イメージバトン
1、くるりんさんからのキーワード「育む」
2、自分がイメージしたキーワード「福音」
3、くるりんさんへのメッセージ
4、バトンをまわす人
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by NOONE-sei | 2005-10-10 22:39