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21夜 あなたに似たひと


世の中には何人、似た人がいるのだったっけ。

知人が何度もいう。
「セイさんは、ほんとに△△っていう店、知らない?」
店主を慕って人が集まる店だとか。その開店当時、大勢で撮った写真の中に、
わたしがいるんだという。
きっと何度も聞き直したいくらいに、写っている人にわたしは似ていたんだろう。

転校した時のこと。学校中の生徒が、入れかわり立ちかわりわたしの顔を見にきた。
まわりから見ればわたしは新参者。本家のオリジナルは学年が上の男子だった。
自分でも、他人を見て『わたしとおなじ顔だ、、』と感じた、この最初の記憶は十歳。

その後おとなになるまでに、『おなじ顔だ、、』の直感は、十歳から数えて四回ある。
自分が思うだけではない。
友人の結婚式に招かれた時、式場のロビーで新婦の親族に何度も声を掛けられた。
「あなた!なにしてるのこんなとこで!はやくはやく!」
・・わたしはこちらの新婦じゃない。

結婚式のエピソードはもうひとつ。
学生時代の仲間が郷里で結婚した時、新郎側の友人として招かれた男友達が、
帰ってからわたしにさけぶ。
「ヨメさんが、おまえにそっくりだったんだ!オレ、太い声で呼びそうになったぞ、
『セイーー!なにやってんだこんなとこでー!』って!」
・・そちらの新婦とは、未だにお会いしたことがない。

自分がじかに会って直感した人と、周囲から似ていると聞くまだ見ぬ人、
どちらも合わせると、似ている人は六人ということか。
わたしが似ている?あちらが似ている?

では、これはどう分類したらいい?
わたしには『わたしの双子だ、、』と直感した記憶が過去にひとつだけある。
日頃は思い出さないように封じている。
顔も姿も似ても似つかないのだが、敢えて言うなら、声か。
不思議に、『おなじ顔』のひとたちに、『おなじ声』を感じたことは一度もない。
骨格が似ているはずだから、声も近かったはずなのに。

声は怖い。
感覚が共鳴してしまいそうで平静でいられない。
そうだ、この先『おなじ声』のひとに出会ったら、おずおずとこう言おう。
・・わたしが、オリジナルなんですけど。
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by NOONE-sei | 2005-06-28 18:20

20夜 おばあちゃんの社交場


梅・桃・桜、三つの花がいっぺんに咲いて春になるから名が付いたと聞く、三春というちいさな町。

三春といえば滝桜。
しかし名を知られて花見に人が集まる桜は、つらい。
その寿命には見合わない程の手をかけ、花を咲かせられているから、
とうに予(あらかじ)めの樹齢は越えていて、妖気があると言う人もいる。
 ずいぶん昔、その老樹の下で花見酒を飲んだ。
へべへべになったその時の記憶は脈絡なく、
例えば黒澤明の映画「夢」の、狐の嫁入りやら桃畑の雛壇やらのシーンと重なる。
わたしは妖気をもらった気がしない。
おばあちゃんの桜は、わたしを酔わせて夢を見せてくれたように思う。

そこから少し離れた山あいには、二軒きりの温泉があり上の湯、下の湯という。
ちいさな湯で、桜じゃなくて人間のおばあちゃん達に会った。
うば桜などと言ってはいけない。
現役で農作業をする、働き者のおばあちゃん達のようだった。
おばあちゃんたちは、ほどあいのいいお喋りを楽しむ。

 ・・・・お母さんが、行ってきたらと勧めてくれて、若い人たちが家にいたから
    今日は送ってもらえて、お父さんと湯に入りに来た。
    ここはいい湯だ、いちばんいい湯だ、毎日の野良仕事もここに来れば生き返る、、、、

ありゃりゃ、方言は聞き取れるはずなんだけど、ちょっとの間、頭がこんがらかった。
つまりこういうこと。
お母さん、とは、息子の嫁さん。若い人たちは、息子一家。お父さんはおじいちゃん。
息子が結婚して子供が生まれると、おばあちゃんたちは嫁さんをお母さんと呼ぶのだ。
わたしは穏やかなお喋りを 淡い乳白色の湯につかりながら聞いていた。

やがて腰の曲がったおばあちゃんも入ってきた。
腰も湯舟でなら楽だが、湯から上がるとつらい。・・枕、枕、、といろいろ試し、
湯桶を返して頭にあて、風呂の床にころんと横になる。
みんな床に坐って、おばあちゃんたちのゆったりしたお喋りは続いた。

わたしはそうっと湯から上がり、軽く会釈だけして風呂場を出た。

おばあちゃんの胸は白い。すこし垂れている。
赤ちゃんたちは、たくさんの夢を見ただろう。
この、温かくてほっこり丸いおっぱいから乳をもらって。
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by NOONE-sei | 2005-06-25 00:04

19夜 説くや解かざるや


文字は魅力的な記号。
言葉はひらめきの図像。

論理や解体を説かれても問われても困る。
思考の一歩手前で感じてるだけだから。

視覚的な仕掛け。 ・・四角?
シカク的なシカケ。

言葉のあやとり。 ・・あや跳び?
コトバのナワトビ。

思考を文字化。 ・・ほんと?
シコウはモジか?

ほら、目と耳でたのしんでいるだけ。
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by NOONE-sei | 2005-06-22 14:27

18夜 でたらめことば


大笑い。
・・小笑い。

大ざっぱ。
・・小ざっぱ。

大人(オトナ)しくしなさい。
・・小人(コドナ)しくしなさい。

まじめ?
・・でたらめ。
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by NOONE-sei | 2005-06-20 22:03

17夜 ちいさな息


十六、七の小娘よりすこしちいさかった頃、幸福の手紙という葉書をもらったことがある。
きっとおませな誰かからだろうが、奥手のわたしはそれがチェーンメールだとは知らなかった。
差出人もわからず、幸福といいながら『不幸』になるという矛盾が、ただただ悲しかった。

おとなになってから、レシピの輪(だったか?)という封書をもらったことがある。
料理のレシピをもらい、自分もレシピを提供し、結果、これに参加した人は
料理のレパートリーが増える、という楽しい内容だった。
 ただ、ネックが一点あった。
三人(だったかな)に、趣旨ともらったレシピと自分の提供するレシピを書いて郵送しなければならなかった。

・・わたしは筆不精だった。
幸福の手紙は自分の意志でとめたけれど、とめるつもりがなかったのにレシピの輪をとめてしまった。
記名で送ってくれた人には大変申し訳なかったという悔いが今もある。

さて先日、こんな依頼をもらった。
Musical Baton
(依頼主「Hugo Strikes Back!」のHugoさんの記事はこちら
音楽のバトンをつなげる、という意味か。海外のブログ界から日本に入ってきた企画なのだとか。
"Musical Baton"については、こちらに解説があるとのこと。

以下が5つのお題。
1: 自分のPCに入っている音楽ファイルの容量
2:今聴いている曲
3:最も最近買ったCD
4:よく聞く、または自分にとって大きな意味のある5曲は?
5:次にバトンを渡す5人

困った。
ブログにはそれぞれ、運営者が造った人格があり、スタイルやテーマが自己完結していたりすると、
乱入するようで頼みにくい場合がある。ましてチェーンメール(?)に勘違いされても不本意。
なにより問題は、わたしにはお願いできるひとが五人もいない。
ブログの歴史が浅い日本はまだ手さぐりの段階だから、五人というのは、現状に合っていないままなんだろう。

・・引き受けようと思う。依頼するには皆それぞれ、相手を気づかいながら依頼している。人から人へだから。
 おそらく企画の出どころはすでにわからなくなり、何処に向かっているかも意味を失っている、
半永久運動の壊れかけの自転車。なのにバトンはつながってゆく。
何処かの片隅で、与えられたお題に誰かが、音楽をきっかけに何かをパーソナルに語る、それだけは真実。
まるでひっそりちいさい息をしているように。おもしろいじゃないか。

五人に縛られてボツにするのではなく、ひとりだっていい、頼めるひとに頼んでみればいいのだ。

と、前置きが長くなったがお題への返事。 --------------------------------------

1: 自分のPCに入ってる音楽ファイルの容量
ゼロ。

2:今聴いてる曲
「大江 光の音楽」 (大江 光)

3:最も最近買ったCD
「シチリアーナ ~リュートのためのアリア~ 」 (つのだ たかし)

4:よく聞く、または自分にとって大きな意味のある5曲は?
・ラストワルツ (ザ・バンド)  ・・王様の踊りを観終え帰る観客の、送り出しの曲。
・青春の蹉跌 (井上孝之)  ・・映画は嫌いだったけどこのテーマ曲は切ない。
・魚のいない水族館 (曲/林光・詞/佐藤信)
                   ・・黒テントで、裸の女優さんにびっくり、そのひとはかわいそうな役だった。
                      回想シーンだったかで、ブランコに揺れながら歌ってくれたのがこの曲。
・SEXY (石川セリ)      ・・本家は下田逸郎だったかな。でもこっちが大人っぽくて色っぽくて、
                     どうして井上陽水の奥さんなんだろう、しくしく、、。
・元気を出して (竹内まりあ) ・・だれかがこんなことを言ってくれたら元気出ます。
 これらは記憶の中にある曲ばかり。実際には聞かないし聞けない、思い出だからいいんだ。

5:次にバトンを渡す5人
わたしには頼めるひとがふたりだけ。
引き受けてくれるかしら、、、。

「カド部屋の手記」 の dayzさん
「Bless The Baby Born Today」 の bowさん

どうかひとつ、ということで。
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by NOONE-sei | 2005-06-17 09:30

16夜 世にも不幸せな物語の不幸せ


どれだけ美しいものは醜さと境界が際どく、どれだけ清らかさは陰険さと隣合わせで、
ほとんどの道徳は狂気に満ちているか、、、。
単語を入れ替えてみる。 ・・狂気は道徳に満ちている、なんだか魅力的だったりしないか?

「阿修羅城の瞳」を観たときだったか「コンスタンティン」を観たときだったか忘れたが、
「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」の予告を観て、惹かれていた。
 頭の中では、ジュネ&キャロの撮った「ロストチルドレン」(仏)のような映画を期待していた。
子供のように心優しい怪力男や、少女なのに妖しく美しい、孤児院の盗賊団のリーダー、
のみのサーカス、憎たらしいシャム双子の婆さん、おかしな潜水服、同じ顔でねじがゆるい人工的な人々、、、。
異形(いぎょう)でゴシックで、ごった煮で寓意的な、美しい映画。そしてわたしは水がある場所の映画に弱い。

「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」
火事で焼け出された三姉弟妹が、財産を執拗に狙う後見人の魔の手から繰り出される数々の不幸を
知恵と勇気で払いのけてゆく物語。
はじまりが水辺、これが予告にもなっていたのが惹かれたきっかけ。
極端な遠近法で造った背景や風景は意味ありげだったし、家具調度品も必要以上に凝っていたし、
まだ口がきけない、歯だけが異様に頑健な末の幼児の活躍も見たかった。

どんな仕掛けで、どんな非常識で、どれほど裏切ってあちらの世界に持っていってくれるかと
思ったのはわたしの不幸せだったようだ。物語に映像に、狂気がなければ道徳は浮かび上がらない。

そして、やっぱりジム・キャリーはご馳走様だ。
あの過剰なアピールは鼻について受け入れ難い。
 彼の出演した映画、「トゥルーマンショウ」で、主人公の青年は最後に、
なにもかも作り物の島を出て作り物の海を渡るが、この海をみつめるエド・ハリスのまなざしが好きだった。
主役はジム・キャリーでない俳優ならなおよかったのに。


『ジム・キャリー「レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語」』というサブタイトルにまでなっているから、
彼はほぼ全編に登場するけれど、登場しない場面には素敵な映像がある。
亡くなった両親のシルエットを影絵にした蚊帳の中で、かりそめの家族水入らずになる三姉弟妹。
二軒目に預けられた蛇屋敷の博士が、ちいさなハープのような楽器で弾き語ってくれる静かな夜。

印象的だったのはエンドロール。
この映画でいちばんよかったのは、このアニメーションかもしれない。
背景音も単調だから心地よく、耳に残った。

・・アニメーション。
ふいにロシアのアニメーションをおもいだしちゃった。影絵ではないのだけれど、、。



レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語
 水の音を聴きながら、なかなか開かないのにじれながら
 あちこちクリックして観るのは楽しい。
 上映が終わっているので、このサイト、いつまで在るかな。

ロシアのアニメーション
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by NOONE-sei | 2005-06-14 12:43

15夜 一升飲みの松


森の石松や、清水の次郎長の世界じゃない。

花鳥風月というけれど、松に月というのも趣があるらしく、
浮世絵やら日本画やらに描かれ、歌にも詠みこまれているようだ。
15夜は、その月じゃなくて松のほうのはなし。

父がこよなく愛でる我が家の松、カドマツ。
門の横に鎮座して、まるで片手一本だけを門の上に伸ばしているような、
わたしにはミョウチキリンにしか見えない松。

ちょうど桜の頃、父は真新しい、青々とした太い竹をどこからか持ってきた。
ここでご存知、脚立の登場、二本の脚立に板を渡し、その上に乗って松の枝を支える竹を取り替えた。
松に青竹、門構えはすっかり料亭か割烹だ。
父は、竹取の翁か花咲か爺か。梅があれば、目出度い役者の揃い踏みだ。
・・我が家は凡なる一般人の家なのに。

どうも松には因縁があるらしい。
塾のブロック塀の門には松が植えてあって、これは大家さんの趣味か。
父の松とちがって、こちらは背が低い。けれど、三本も。
店子(たなこ)になったときに、広い庭を好きなようにしていいと言ってもらったので、
シロツメクサを植え、二十種近くがひと袋に入った混合種子を蒔き、花は咲いてのお楽しみをたのしんでいる。
・・しかし、松は合わないんだ、松は。

片目をつぶり、二年間は松を黙殺した。
新芽が伸び、翌年もまた伸びて、ばさばさになってきた。
 大家さんには、毎月店賃(たなちん)を納めにゆく。松の話を切り出した。
・・大家さん、松もさることながら、松を植えたときの土がご自慢だった。

さっそく植木職人に剪定してもらったあと、大家さんから以後剪定は好きなようにやるといいと言われた。
・・好きなように?好きじゃない場合は?
放っておいて一年が過ぎ、今年は二年目、また新芽が伸びて、ばさばさになってきた。

先日、青々とした松ぼっくりがなっていたので、観念してちょきちょきと新芽を切り始めたのが運の月。
じゃなくて運の尽き。面白くなってしまったのだ。もう、じょきじょきだ。
・・枯れなきゃいいが。松の剪定は難しいんだった、、、。

ひとが愛でる順番は、若い頃は花を好み、やがて緑から樹になり石になり、さいごは土になるという。
父が施すカドマツへの恵み。
一升酒をときどき飲むのは土か?松か?

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by NOONE-sei | 2005-06-11 00:05 | 新百夜話 父のお話(4)

14夜 行儀作法


わに丸が三泊の県大会から帰ってきた。

ヒゲがある。
こんなのを風呂に入れて寝かしつけていたのかと思うと、かわいかった、あの同じこどもとは思えない。
なんで育つんだ?
急いで大きくならなくてもいいのに。

わに丸を小さい時からよく知る、むかしワンダーフォーゲルをやっていたという友人が、
えらそうにわに丸に語った。
  「山に入ったら、ヒゲもそらないし、下着も取り替えちゃいけない。
  ヒゲ?いいんだぞ、それで。おじちゃんも山の風来坊だった時はそうした。
  山の神は女だから、身なりを整えるのは禊(みそぎ)をすることになって、
  それはある意味、死に装束なんだ。山にひっぱられるからな、だからそのまんまだ。」

おじちゃんはエライ。
全国大会予定地の千葉の山の困難さ、来年予定地の奈良の山の特徴も語りに語った。

実はおじちゃんなりの励ましだ。
わに丸たちは全国大会に行かれない。
体力のある三年生で組んだパーティの学校に出場をもっていかれた。
しかし、わに丸たちは次点で優秀賞を貰ったのだという。
 つまり、来年は三年生、奈良の山に行けよ、という婉曲な励ましなのである。

登山に無知なわたしは、励ましようを知らない。
女子はどうだったのかと聞く。
 部員数の少ない学校から、ひとりパーティの女子がいたという。
装備に不足なく、すべて整ったザックが背負えれば、パーティ人数はひとりでもよいとか。
・・とはいえ、ひとりは心もとない。
審査員の配慮で、わに丸の学校の女子が荷を引き受け、夜は同じテントに寝せた。
その負荷がかかってさえ、県でただ一校の全国大会女子出場枠に今年も推薦された。
そのパーティ、三年生は一名きりだ。しかし圧倒的だったとか。

どれほど無尽蔵のパワーの女子だろう。
尊敬の意を込めて『野獣』と呼ぶ、わに丸の信頼がわかるような気がする。

わに丸は、山から帰るたびに人間に近づく。
気持ちのささくれが小さくなって帰って来る。
濃密な数日間を仲間と過ごし、パーティの誇りを自覚して審査員にアピールし、
皆、一癖ある山男の審査員たちと渡り合うわけだから、普段ねむっている知恵もしぼるのだろう。
 つまり、わに丸は山にゆくたび、行儀作法見習いをしてくるというわけだ。
ありがたい、ありがたい。

14夜、みっつめの14歳、ということで。


百夜話 30夜 ふたつの14歳
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by NOONE-sei | 2005-06-08 00:02

13夜 おんな三代十三参り


神社で巫女のバイトをしたことがある。
式場で三々九度のお神酒(おみき)を注(つ)いだときには、
一般に新婦は盃にかたちだけ唇を当てることが多いけれども、まれにちゃんと飲む嫁さんもいて、
巫女さんたるもの、表情こそ変えないが内心は愉(たの)しかった。
だからというわけでもないが、自分のときは三盃全部頂いた。

人間の節目には、かたちで表すことが何度かある。
七五三、女の子は三歳七歳、男の子は五歳で。
そのあと女性は十九、三十三、男性は二十五、四十二に厄年を迎えるのだったか?
あとは男女とも還暦とか喜寿とか、、?
お祝い事と厄払いは表裏をなすものらしく、寺で拝んで貰ったり神社で払って貰ったりする。

男の子は、女の子に比べると生まれてからが弱くて育ちにくい。
死ぬことも多いから、女の子よりも多く生まれるというのは、自然界の不思議だ。
五歳まで生きられたら上々、感謝と次の節目まで生きられるよう神仏に願うこともまた自然なことなのだろう。

節目とは成長の節目。長じては肉体の節目。
その節目を越えるか越えないか、それは自然界との折り合いだ。
季節の変わり目に、よく年寄りの不祝儀の花環を目にするけれど、
そういうものを見るにつけ、気候や気圧の変化というものは、耐えて越えるものなのだということを感じる。

ところで十三参りといって、十三になると虚空蔵様へお参りに行くならわしがある。
男の子なら昔は元服、男女とも成人か。
わたしの育った山あいでは、女の子が詣でたように思う。
これは関西、特に京都のならわしと聞くが、こんな辺鄙(へんぴ)な処に同じならわしがあるのは、不思議だ。

先日、母が親戚にもらったという、母方の祖母の写真を見た。
自分の親の年を越えて生きるのはひとつの節目だというが、母はとうに祖母の年を越えている。
しかし写真の祖母は老いて見えた。わたしが五歳のときに亡くなった、そのときの死の顔がおぼろげな記憶だ。
 祖母は、旅館に生まれてお嬢さんとして育ったけれど、女は跡をとらないから分家に出して、
いい婿をと探して娶(めあ)わせたはずの祖父は体が弱かった。
母は苦労している祖母の姿しか知らない。
ときどき、坐るちいさい祖母の後ろに立って、乱れた髷(まげ)を結い直してやったという。

祖母の十三参りは、きれいにおめかしをして虚空蔵様へ行った。
母の十三参りは、臥せがちな祖父に代わって祖母が貧しい身なりで連れて行った。
今と違い、交通の便がない。いちにちしごとどころか、二日かかる。詣でた晩は、寺にお籠(こ)もりをした。
 わたしの十三参りがどうだったのか、・・記憶がない。今住んでいる所からなら車で15分の距離だ。

母は自分のときもわたしのときも、虚空蔵様の眼下に流れる阿武隈川を見たという。
硬い岩盤が瓦のように重なり、流れは緩く深い水は濃い青。
母は、ここがこの地でいちばん阿武隈川が綺麗に見える場所だといい、
それは祖母から教わったのだという。
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by NOONE-sei | 2005-06-06 11:35

12夜 嫌われもの

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なんやの・・?
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なにする気・・!?


病院に連れて行くのに、つかまえるのはいつもわたし。
また、嫌われた。
『猫の恩返し』  ・・あり得ない。
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by NOONE-sei | 2005-06-02 11:06