カテゴリ:百夜話 父のお話(19)( 19 )

34夜 密談


王様と父が密談したようだ。

何につけ、わに丸は普段から腰が重い。
父はわに丸について、
「わに丸には手本になるよう、オレは腰をあっためないで動いて見せてるんだがなあ。」と。
 先日の「ののしり事件」の報は、すでに母、西太后から父にもたらされていた。

さてわたしについて。
「あの短気は、いったいどこからくるんだろうなあ。」
「ははは、ほんとにねえ。」
王様は相槌をうちながら、腹の中で「そりゃ、この父にしてあの娘ですから。」

王様はヒトがワルイ奴だから。
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by NOONE-sei | 2004-12-31 13:11 | 百夜話 父のお話(19)

32夜 烏賊と蛸


今日はずっと雪が降り続いている。
父が病院から何度も連絡をよこす。

「門の上の松の枝が折れないように、支えをしろ。」
雪の重みで松の枝が耐え切れず、折れたらいけない。でも降りはたいしたことはない。
いくら言ってもきかないので、しぶしぶながら言われたとおりにすることにした。

外の物置から脚立やら、空のビールケースやら、角材やら、必要なものを
準備しながら、無性に腹が立ってきた。
(だいたい、幹の太さに比べてバランスが悪いと思うのだが、ひと枝だけを
門の上に長く張り出すなんて。)

 昔、父は素性もあやしい骨董屋から何百万円もする鎧兜を買いたくて買いたくて、
夜も日も明けなかったことがある。刀剣にも興味があるはずだし、もしかしたら、
虎や熊の敷物だって、欲しがっても不思議ではない。
いずれにしても趣味が悪いにはちがいないのだが、どれほどの悪趣味か、
知るのも恐い。
 あの、松への執着ぶりからして、きっと「カドマツ」とか名づけているに違いない。

脚立にのぼった瞬間、わたしの神経は三本くらい切れたんだろう、わに丸の名を呼び、
近所迷惑も顧みずののしった。
 そのときわに丸は、戸外でなにをしているのかをわかっていた。
わかってはいたが、わに丸には独自の時間の流れが常々あって、腰を上げる時間に
まだなっていなかったようだ。

 ご飯を食べるのに手を二本、食べながらパソコンで野球情報を得るのに手を二本、
食べながらキーボードを操作しながら携帯でメールするのに手を二本、極めつけに、
ご飯・パソコン・携帯・テレビのチャンネル操作に手を二本、わに丸はタコ男だ、
計八本の手足。

父は言わずと知れたイカ刺し。イカの足の数を知っているか?
計十本、歩いて病院の電話まで行けるようになったものだから、うるさい。

父はイカでわに丸はタコ。
いずれ劣らぬ無礼なやつらだ。
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by NOONE-sei | 2004-12-29 23:26 | 百夜話 父のお話(19)

30夜 ふたつの14歳


人間が成長するのには、幾つかの関所がある。

少年犯罪でひところ報道された、14歳は大きな関所だ。
先天的な統合失調症が発現するのに、この年齢は精神医学の世界では
ひとつの目安になっているともいう。

わに丸たち生徒の間で、「スジをとおせ。」が口癖の、職を選び間違えたのではないか
と噂されていた老練の教師が、こんな話をした。
「14歳、中学二年生。これが、醜い。
人間の一生のうちで、一番醜くなるんじゃないですか。」
 子供でもなく大人でもないこの年頃を「コドナ」と言って笑わせてくれた人もいた。

脱皮、変身、思春期、、、言い方は幾らでもある。
醜い、わたしはそのとおりだと思う。14歳のわに丸もまた、醜かった。
体中のホルモンが沸き立ち、逆流して変動値が振り切れているのではないかと思う
ような変身ぶりだった。
 学校では自転車が蹴り倒され、鞄にナイフを忍ばせる生徒もいたし、花火のロケット弾を
持ち歩く生徒もいたし、包丁を持っている生徒までいた。
誰かが授業以外の時間に教師と口をきけば、チクったと放課後の体育館の裏でシメられた。
わに丸だけではない。学年全部が醜かった。
 家の空気はどんより暗く、家族は息をひそめる日々だった。
じいじが、わに丸に自分が14歳だった時の話をした。

 貧乏で家族の多い農家だったじいじの父、わたしの祖父は、一念発起で
家族を連れて満州に渡った。
 中国人のクーリーを手伝いに雇い、韓国人とも交流があった。
小学生だったじいじは、あっという間に中国語を覚えた。

 家は農業と酪農で生計を立て、じいじは馬や牛の世話をするかたわら、
日本人学校にかよった。馬が家で生まれ、乗れるまでに育てたじいじは、今でも
前世は動物使いではなかったかと思うほど、動物を手なずける才がある。

 満州でのいい時期は、そう長くなかった。じいじが十四の年に祖父は亡くなった。
畑に薪を積み上げ、その上に亡骸を載せ、火を点けて火葬にし、夜空に見送った。
 14歳、わに丸のように、内から沸き起こるどうしようもないものと戦う14歳もあれば、
じいじのように、現実という嵐は外からやってきて、戦いながら受け入れ折り合う
14歳もある。

 戦時下の満州に影が差して来た頃、家はロシアの馬賊に襲われるようになった。
女は髪を男のように短く刈り込んで身を守り、じいじは夜、馬に乗って襲い返した。
 やがて終戦になり、じいじは家族が帰国するときに、中国人から養子にしたいと
望まれたが、悩んだ末、断わった。残留孤児の報道を見るたびに、自分も親探しを
する側だったかもしれない、とじいじは言う。
置いてくるほうが、食うに困らず幸せかもしれない、家族はそう思っていたから、
中国に残るか日本に帰国するかは、じいじの胸ひとつだったのだ。

 佐世保に上陸した家族はほとんど無一文だった。
自分のことだけで精一杯、死にそうになって帰ってきた家族は、気付けば皆、
祖父の骨をどこかにやってしまっていた。祖母ひとりを除いては。

 そのたったひとかけらの遺骨が、そののちじいじの過ごした、浜の墓にはいっている。


追って・・・
14歳の発現について以前は統合失調症という広い括り方でしたが、
現在では研究が進み、アスペルガー症候群ではないかと言われています。

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by NOONE-sei | 2004-12-26 23:52 | 百夜話 父のお話(19)

28夜 怪しげな世界


学生の頃、男友達と飲んでいたら怪しげなおじさんに声をかけられ、誘われるままに
怪しげツアーをやったことがある。

裏路地の隅にある、ちいさなビストロでおじさんに会った。
おじさんはビーツのシチューを奢ってくれ、わたしたちを次の店へ連れて行き、
薄暗いカウンターバーでワンショット。と思ったら、また次の店。
 坂道を登って、いちばん奥まったちいさなスナックへ。お店のきれいな女性が
おじさんになにやら励まされているような。「先生、、、」という言葉も聞こえる。
切れ切れに聞こえる会話から察するに、下積みの女優さんで明治座に出ているとか。
お店にカラオケはなく、その女性がギターで数曲歌ってくれた。
 といってもちっとも腰を落ち着けたわけではなく、また次の店。
これもちいさな古い甘味屋で、氷小豆を食べ、、、次は、、、よく覚えていない。
なにか話らしい話をした記憶もないが、ちゃんとタクシーで送ってもらった。
 おじさんのちょっとイカシた、大人の気まぐれにつきあって、ちょっとだけ怪しくて、
あこがれるけれども実際には扉を開けたことのない路地裏の店の探検。

当時の怪しげと言ったら、新宿二丁目やゴールデン街、池袋西口ピンサロ街、
それはもう、ときめくような場所は数々ある。
 中野のオカマ、角刈りのヒトミちゃんは、旦那さんがゲイで自分を男性として愛する
けれども、ほんとうは女性として愛されたい。真実を告白できなくて辛いという。
こうした話も怪しげで、同情しながらもときめくのを禁じえない。

 でもわたしの怪しげな世界の原風景は、父の過ごした浜だ。
父は少年時代、職人の年季奉公をしていた。
 姐さん(親方の奥方)の賄い方の手伝いから始めるのだが、
ひとによそりながら自分はひとより早く食わなきゃいけない。それで考えたのが、
兄弟子達に飯を盛るのは釜の真ん中熱いところから。ふぅふぅ言わせておいて、
自分は釜の縁の冷めたところをよそってさっさと食う。
 そんなふうに親方、姐さん、兄弟子たちに仕事を習って、夕食のかたづけを終えると、
わずかだが自分の時間を持てる。
父は、隣に住む、ヤクザにかわいがられていた。花札を習い、彫り物の入れ方を習い、
一緒に素っ裸で夜の海で泳いだ。
 当時は、生きて帰ってしまい世をすねグレた特攻隊くずれが町にはいた。
彼らの巻いている白いスカーフは目についたし痛々しかった。
戦争の傷跡と向き合うより、父にはヤクザと遊ぶほうが気が楽だった。

 小さい頃、温泉街で暮らしていたわたしの家には、風呂がなかった。
旅館の大風呂がわたしの遊び場だった。わたしは父と、客が引けたころに
いつも風呂に行った。
 あるとき、立派な倶利伽羅悶々のおじさんが、湯につかっていた。
ほかの客へ気がねして、時間をずらして風呂にはいったんだろう。
なにがあったのかは知らないが、一人で湯治に来ている風だった。
わたしはおじさんの背中を流してやった。

 父は若いころ、小さい彫り物を自分で入れた。
針の先に墨をつけて肌に挿すと、黒い墨は紫の色になる。
わたしが物心ついたときにはもう彫り物は消えていたし、花札も、
わたしの従姉妹たちは教えてもらったが、わたしには教えてくれなかった。
花札のデザインはいい。猪鹿蝶より、坊主が好きだ。

 父と仲間が、町の連中と喧嘩をし、警察にぱくられて指紋を採られたころには、
父はもう少年時代を終え、青年になっていた。
 隣のヤクザも、沖に停泊していた外国船に、日本刀を口にくわえてふんどし一丁、
たったひとりで泳いで斬りこんで、帰らぬ人になった。
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by NOONE-sei | 2004-12-23 22:42 | 百夜話 父のお話(19)

27夜 かんろかんろ。


メニエールは、吐き気とめまいに苦しめられる。

病院は、病人を安静にばかりはしておかない。
起き上がらせ、可能なら歩かせる。リハビリだからだ。
 夜の付き添いは終わったが、ただ完全看護にお任せする付き添いも終わり。
手を添えて、ほんとうの意味で父に日中付き添う日々が始まった。
母もわに丸も夜の付き添いが続き、ダウン。
今日からは、わたしだ。
しかし何につけメニエールの症状が出てしまう。体を動かすたびにつらそうだ。

今日、初めて水分を口から摂っていいことにはなった。
が、飲む気力がないまま夕方になった。
 だいぶ容態が落ち着くと、ばちっと目を開けて突然父は言った。
「自動販売機で、ジュース、買って来い。」
「は?」
「医者が飲んでいいって言った。ジュースだ。」
「ジュースを、飲んでいいって言ったの?」
「・・・水分だ、だからジュースだ。」
当然、良くない。結局、看護士に見張られながら、ふたくちの水。
「ん~、山の水みたいだ、うまいなーー。」

そのあとのトイレに歩いて行くのに、履物がない。
術後用の病室ではずっと歩いていなかったから、すぐには出せない。
仕方がないので、母が置いておく女物のサンダルを履かせた。するとこれが、よく似合う。
いまでいうなら、ヤンキーのあんちゃんだ。
 若い頃、浜で遊んでいた父。
昔摂った杵柄、、、、、、・・・ちょっと違うか。
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by NOONE-sei | 2004-12-22 18:24 | 百夜話 父のお話(19)

25夜 目のやり場


吸い込まれてしまうので、こまります。
主治医の鼻毛に、目が。
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by NOONE-sei | 2004-12-20 22:21 | 百夜話 父のお話(19)

24夜 願い


父が手術室に向かう時間に、わに丸は居なかった。
わざとではない。間に合わなかったのだ。

「頼みがある。取り出した臓器を写真に撮ってくれ。じいちゃんは、手術が終わっても
眠らされていてきっと見られない。約束だぞ。」
わに丸は、手術の何日も前から父にそう言われていた。
 本当は引き受けたくない。自分の、壮絶な五歳の手術の記憶と重なるから。
そして、人工心肺に器官をつなげておき、自分の心臓はいったん取り出されて
再び体に戻ったことを知っているから。

わに丸が拒めなかったのは父への愛情からだけではない。
父の言動が、術前の緊張や興奮から来るものではなく、ゆるぎないものだったからだ。
 王様はひそかに自分が願いを叶えてやろうと決め、わたしはひそかに
医者に話して折り合いをつけようと考えていた。母、西太后は別次元にいた。
自分の心細さでいっぱいだから、ひとりで付き添わずに済む方策を練っていた。

執刀医による説明に呼ばれた日。
手術に関する全ての説明を聞いたあと、父は自分の口から願いを告げた。
「自分の体の中で、なにが起こっていたのかを知るのは大事なことですから、
私はそれをちゃんと知らなくちゃいけない。自分の目で見られないなら、孫に
写真を撮らせてそれを見たいです。」
それを聞いて医者は、
「取り出したものは、すぐに病理に回して細かく切って調べます。
細かくなってしまったものは、お見せしようにも見せられないので、
こうしましょう、形のある状態で撮った写真を差し上げます。
個人情報ですから、お孫さんといえども写真を撮ることはできません。
しかし、ご本人がご自分の写真をもらう、これなら拒む理由はありませんから。」

手術直前。
ストレッチャーの上で父は上機嫌だ。薬が効いているのか、願いが叶ったからか。
「ハラヘッタなー。腹の中はカランコだよ、もう。オレは今(まな板の上の)コイだからね!
イカ(刺身)になって帰ってくるから、ハハハ。」
酔っ払っているようだが、入院中、ずっとこんな調子だった。
浜で育ったせいでイカが大好物の父は、イカになるんだという。

実のところ手術時間が予定より延びて気が気でなかった。
西太后は一族に囲まれ賑やかに控え室にいたので、気づかなかったようだが。
複数の付き添いを遂に許可してもらえなかったことを思い出して、急に不安に
なるよりずっといい。
 
術後、父と同時に臓器も運ばれてきた。
人間はゼンマイ仕掛けの人形とはちがう。オブジェではない、これは現実。
王様と私、そしてわに丸でそれはそれは丁寧に確認した。わに丸はどう思ったか。
「・・・・ゆば。きれいだね。」

処置が終わり、病室ですこし眠ったあと、目覚めた父がわに丸を呼んだ。
酸素マスクで動かない口と点滴の管で動かない手で、
わに丸の頭を撫でて言った。
「えらい、えらい。」

がんばったあなたもえらかったんだよ、おとうさん。
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by NOONE-sei | 2004-12-20 01:12 | 百夜話 父のお話(19)

14夜 爺っ子


わに丸は寂しい。
じいじが入院した。

わに丸は生まれたときから心臓が悪かった。
治りそうもないので五歳で手術に踏み切った。
じいじは、その時のことを思えば自分は大丈夫だという。

すっかり図体が大きくなったわに丸。
ちいさいときには手術の跡が大きくあり、しかも胸骨をワイヤーでつないであるため、
胸が縦一直線に張り出してまるで尖った鳩の胸のようだった。
 術後は眠りにつくとコワイモノが現れ、鳥のようにけたたましく鳴く夜がひと月続いた。
コワイモノがいったい何なのか、退治してやろうにもわに丸は幼すぎてただ泣いて鳴く。
 王様はわに丸が寝入る頃に病室にやってくる。
鳥になったわに丸をかかえて病室を飛び出し、人間にもどるまで
人気(ひとけ)のないところで抱きしめ続ける、わたしの毎夜の闘いを励ましに。
 経過が良好だと判断されると最後の処置がなされる。
心臓に、じかに電気ショックを与えるために、抜糸後も残しておいた肋骨下の
ワイヤーの引き抜きだ。
処置室の奥から、かすかな悲鳴。
泣きながら乗り越えたのに、小学校の体育の時間に、
心無いいじめ、「人造人間」には、わたしも泣いた。

そのときのことを思えば、、、
ちいさな頃からじいじに、風呂でからだをつるつるに洗ってもらっていたわに丸。
入院前夜、わに丸は生まれて初めてじいじの背中を流した。
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by NOONE-sei | 2004-12-05 20:24 | 百夜話 父のお話(19)

10夜 西太后


「西太后」はわたしの母だ。
実在の人物だが、名を借りただけ。史実とは関係ない。

父の胃の細胞検査の結果がおもわしくないと、かかりつけの医者から連絡があった。
一昨年にもあやしくて連絡をもらい、再検査し事なきを得た。
昨年は大丈夫だった。
今年の連絡は、手術を視野にいれて、、、という内容だった。

電話を受けたのは母。
「一昨年はあやしいといいながら結局は何でもなかった、それなのに今年は手術と言う。
ずいぶんころころと変わるんだこと。」
・・・これを母、西太后はあろうことか医者に言った。

「胃の調子がころころ変わる、、という意味なのに、医者は気を悪くしたような口ぶりだった。
医者も、言うことが毎度ちがうと自分でもわかってるからそう聴こえたんだろう。
だいたい、いつも言うのが急なんだから。
去年は何でもなかったんだ。これをみればわかる。」 
西太后、去年の検診結果をわたしに見せる。
・・・わかる、ってあんたは医者か。

母には医者の気を逆撫でした前科が過去にも数度ある。
「母は気が動転してしまって。」と電話ですぐに詫び、父とわたしで説明を直接聞きに行った。

昔からの医者というものは、会話も薬になるということを心得ている。
さりげないが、話す相手の人となりを即座に見抜き、知的レベルに合った会話を組み立て、
科学的データを程よく説明してくれる。
 どんな医療行為も、百パーセント安全とは言い切れない。だから必ず、念のため、
という内容が提示される。昔からの医者には、不安にさせないうまさがある。
どう相手に届けるか、そこが若造と古参の差だ。

かかりつけの医者には申し訳ないのだが、
母はどうしても不安材料の提示を受け入れない。内容ではない。行為に対してなのだ。
そのあたりの「西太后」のメカニズムを熟知しているのはわたし以外にない。

わたしがなにかつらい状況にあるとき、母はかならず自分がどんなに不安で
心配かをうったえ続けてきた。それは今も変わらない。
 「きっとだいじょうぶ。」そう励まされたいほどのいちばんつらいときに、
わたしは母に「心配いらない、だいじょうぶだから。」と安心させてきた。
我ながらこの年季のはいりかたは筋金入りだ。

不安材料を提示するのは母であって医者ではない。
そういうメカニズムを知らずに母と会話して、うったえにいちいち対応するうちに
渦に巻き込まれてしまった医者達は気の毒だ。

穏やかでわかりやすい説明のあと、医者は言った。
「いいとは言えない細胞だから、取ってしまわなければならないが、
こんなに小さいうちに早くみつけてほんとうに良かった。
命に関わるという心配は、要らないからね。」
わたしたちは本当に胸をなでおろした。

父は、全く母のことには触れなかった。
「ワタシのこと、なにか言ってた?」開口一番。
父は恥の上塗りはしないと決め込んでいたとか。
この母にしてこの父。
いい根性をしている。
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by NOONE-sei | 2004-11-30 22:18 | 百夜話 父のお話(19)