カテゴリ:新々百夜話 本日の塾(9)( 9 )

97夜 書くということ


ちいさいわたしを育てたのは物語で、読むことは好きだった。
けれど書くということはまた別で、苦もなく書くというわけにはいかなかった。

人に自分の考えを正しく伝えるのはむずかしい。
「伝える」という作業、とりわけ「話す」という行為は、不確かで曖昧だ。
自分にとってぴったり感じる言葉を使っても、
それが伝えようとする相手にぴったりかといえば、そうとは限らない。
相手にぴったりするように、量(はか)り感じ取りさぐりながら言葉を選び、
かたや自分は相手の考えを正しくトレースしているのかを検証しつつ会話は進む。
こうして書くと複雑そうだけれど、会話するとき人は皆、瞬時にそれを行なっているのだから、
その知力や集中力は高度で、その時、脳の中はさぞや赤く活発に活動していることだろう。

伝えたつもりが伝わっていなかったことを知る、そんな苦い思いを何度も繰り返し、
こう言えばよかったああ言えばよかったを重ね、あまりの辛さにわたしは意識的に自分を訓練した。
後悔して傷ついても取り戻せない思い出を 人は幾つも持っていると思う。

もうすぐ中学生になるちいさいさんたちに、ここ最近、塾で「あらすじ」を書いてもらっていた。
ほんとうに小さなちいさいさんには民話を読んでやるのだが、
そしてそれらは東北の言葉で書かれたものでなんとも楽しいのだが、
もうすぐお姉さんになるちいさいさんには、問題集に載っている、物語の抜粋を読んだ。

『ききみみずきん』 木下順二
『マクベス』 シェークスピア (魔女が予言を与える場面)
『めくらぶどうと虹』 宮沢賢治

「書く」という行為には、年長になるほど苦戦する。
思春期にさしかかっている子ほど、情感を最小限、またはばっさりと削(そ)いで簡潔にまとめる
ということに抵抗が出てくる。美しい肉付けがされている文学を骨にしてしまうわけだから。
けれど、実はその健康な抵抗こそ、情緒が育っている証なのだが。

やがてあらすじを書く回を重ねるほどに、削ぐことができず盛りだくさんの文章を書いた子は、
コンパクトだけれど品のある文章になり、残酷なほど簡潔すぎる文章を書いた子は、
嫌か、または、いいかの二極しかなかった視点に灰色の層が生まれた。

もっとずっとこの子たちのあらすじを読んでいたかったけれど、今日から二月、
中学での即戦力をつける学習に移らなきゃいけなくて残念だ。
あらすじは今日でおしまい、と話した時にわたしが言った言葉。

「将来、人に何かを伝えたいときがあるとするでしょ。
そのとき、いっぱいいっぱい伝えたいことがあるとするでしょ。
でも、頭の中を開いて、その中身を見てもらうわけにはいかないよね。
思っていることを言葉で簡潔に、正確に、十分に伝えたい、
そう貴女たちが心から願ったときに、これまでの作業がきっと力になってくれるから。
いつかそういう日がくるから。」

・・・伝わったかどうかは量らなくていい。わたしは未来の彼女たちに話し掛けたんだから。
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by NOONE-sei | 2007-02-02 01:45 | 新々百夜話 本日の塾(9)

67夜 耳なし芳一赤ちゃんがえり


怪談話じゃなくて、塾のお話。

塾では親子面談がある。
普段、王様が用事で電話すると、女親は用件よりも胸の内を明かしはじめ、長電話になるのが常だ。
小学校までは母親同士がよく情報交換をするものだが、子が中学生になると学校へ行く機会が減り、
母親同士がわが子のことを打ち解けて話す機会が減る。母親の心理は孤独で不安だ。
母は子の評価を自分の評価にすり替えるな、とよくいうけれど、それはまちがいではないけれど、
個としての評価を持たない女親はよりどころがなくて寂しい。
「いい子に育ってますね、おかあさん。」
王様は、電話でも面談でも必ずそう言う。言われたときの女親は声が明るくほどけ、表情がほぐれる。

密かにわたしが耳なし芳一と呼んでいる子が塾生になったのはこんな理由。
塾生、ちょんまげが、
 「うちのお父さんがね、親友の子供を心配してここに紹介するって。すごい馬鹿なんだって。
  私より馬鹿なんだって、きっとすごいよ。馬鹿じゃなくしてくれるんじゃないかって。」

魔法使いじゃないんだから、馬鹿につける薬なんか作れない。
でもとりあえず、来たらいい。そして言っておくが、ちょんまげ、君は馬鹿じゃないし優しい。
そうしてやって来た耳なし芳一は、馬鹿じゃなかった。少なくとも成績は問題ない。
問題は、聞く耳がないことだった。場を読まない。これは、学校では異質な雰囲気だろうな。

親子面談には、両親が来た。学校で、クラス中からボールを投げられた話、無視される話を聞いた。
学校では学年全体の教師が目をかけていくことになったという。
王様は塾の話をした。塾での彼の学年は、彼が話を聞かなくても、結果的に無視されても、全く
気にしないから傷つかない。だから、仕返しもない。なぜかというと、皆が皆、まだ赤ちゃんだから。
この学年は小学校はハガレン(鋼の錬金術師・漫画)で、最近までハンター・ハンター(漫画)に凝り、
王様にそれを読めと強要し、随時、感想まで言わせ続けた。今ではゲームはポケモン、漫画は
ケロロ軍曹を「深い」と言いながら読んでいる。赤ちゃんがえりをしている学年と言ってもいい。
学校では大人っぽく見えるから煙たいけれど、ここで赤ちゃんになってもらいますか。
・・実は耳なし芳一は、すでに塾では影響を受け、赤ちゃんもどきになっていたのだが。

ところで、ちょんまげのところは、親子四人で来た。
 「じいちゃんばあちゃんは、来ないのか?」とは、ちょんまげに王様の冗談。
下の弟はちゃんとおもちゃを持参していた。この弟、いつも姉ちゃんのちょんまげを迎えに来る。
授業が終わると、円卓を掃除するジャンケンをするのだが、なぜかそれに加わる。
そして、たまに負けて、掃除して帰るのだ。ご苦労さん。
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by NOONE-sei | 2006-10-29 03:20 | 新々百夜話 本日の塾(9)

63夜 蒸しぱんはははの味


塾のちいさいさんのお母さんが、
ちいさいさんの下の妹を抱っこしながら蒸しぱんを持ってきてくれた。
ときどき、味噌ぱんや干しぶどうぱんなどを差し入れてくれるのだが、
今日は黒糖を使って蒸した、さつまいもぱんだった。
そういう時は、ちいさいさんのクラスだけでなく、中学生のお兄ちゃんお姉ちゃんも、
ちいさいさんにお礼を言ってごちそうになる。

数年前の受験生男子たちは、ケモノのようにいつも腹を空かせていて、どんな物でも
口にさえ入れば、あらゆるものを食い漁ったものだが、今年のケモノは二年生。小粒たちだ。
小粒のけちんぼが伝染(うつ)ったのか、二年男子はほとんどがけちんぼで、
なにか菓子を買ってきては自分の食う分を隠しておく。
犬のように、隠したまま忘れてしまっては困るので、流しに菓子を入れる段ボールを用意してやったら、
紙に大きく名を書いて貼り付け、食い半端には湿気ないよう開け口にテープをする。
それはよその学年に食われないためでもある。
食うときには、いくら言ってもぼろぼろとこぼして食うくせに、そんなところだけはちゃんとしている。
ただし、小粒はこぼさない。筋金入りのけちんぼだから。

小学生のちいさいさんだった小粒は、その年の芋煮会に初めて差し入れを持って来た。
みんなが驚嘆の声をあげた。大好きなミカンの袋をふたつ、母に持たされたらしい。
ひとりひとつずつ貰い、袋がひとつ空になった。焼きそばを焼いたあと、網で焼きミカンも作った。
牛肉で醤油味の山形芋煮を食って、腹ごなしにかくれんぼをして、みんなミカンのことは
すっかり忘れて遊んだ。
帰り支度を始めるころ、小粒のザックが妙にぷっくりしているのを見て、王様が言った。
「小粒、おまえ、なにか野菜を持ってきてて、出し忘れたんじゃないか?」
・・そうじゃない。小粒は残りの袋にたっぷり入っているミカンを持ち帰るところだったのだ。

ちいさいさんは蒸しぱんが嫌いで、食べ厭きていて、ちっとも嬉しくないんだという。
贅沢な言い分(ぶん)だけれど、今わたしが言っても母の手作りを再認識するわけじゃない。
ちいさな彼女が気づくのは、いくつもの夜と朝を繰り返して大きくなったはるかの未来。
「手作りのお菓子はいいねっ、いいお母さんだねっ、すごいねっ。」
そう言いながら美味そうに食べて見せるしかない。

来週は、小粒何度目かの芋煮会。あれ以来ミカンは持ってこない。
今年はソーセージも焼肉も、焼き方一切(いっさい)を任せてみようかな。
みんなに等分に分けて、しかも自分も食べることができるようになっているだろうか。
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by NOONE-sei | 2006-10-16 18:45 | 新々百夜話 本日の塾(9)

54夜 仏と毒


伝承話じゃない。
なにげないお話。

塾のちいさいさん達と、カルタを作っている。
まだ小粒達がちいさいさんだった頃に世界一難しい熟語を集めて作ったカルタを
今までずっと使っていた。
二枚一組で、裏返して神経衰弱をしたり、一枚ずつ表を並べて、
読み札をわたしが読んでちいさいさんが取ったり。

  薔薇と醤油
  髑髏は怖い
  瓶と甕
  政治家を揶揄する
  豚に真珠

何故かこんなものも。

  納豆はネバネバ

そして遊ぶうちに、自分達のが欲しくなったようなのだ。
じゃ、作ろうか、と言ったら、気合いのはいり方が半端ではない。
すでにもう、何週間もかけている。
小粒達男子のカルタに負けないものを作らないと気が済まないらしい。
熱いやる気を長時間は維持できない小粒達が、どんな短時間と思いつきで作ったかを
現在のちいさいさん女子達には気の毒で言えない。

  阿古屋貝と真珠
  狐と狸の化かし合い

ほら、根拠はないが、なんとなく女子らしくないか?

この地には吾妻山という美しい山があって、それは富士山に似ている。
自然シリーズで札を書いている八歳のちいさいさんが選んだ言葉は、

  富士山と吾妻山(ふじさん と あづまやま)

けれどちいさいので漢字がわからない。
妻、と板書したら、ちいさいさんは「毒!」と叫んだ。・・冗談だろ?いや大真面目だ。
仕方がないので、
「女のひとは、大きくなってお嫁さんになったら家の女で妻になり、母になったら毒になる、
・・って覚えるんだけどね、漢字をばらばらにして覚えやすくしただけだからね。」
なんだかわたしもしどろもどろだ。

ところで王様は、中学生になっても鼻っ柱の強い小粒に格言を教えるのに、
「仏の顔も三度。・・っていうけどな、オレは仏様より偉いから、四度までは許してやるよ。」

妻が毒になるのもえらいことだけど、王様が仏様より偉かったら、
それこそえらいことじゃないか?

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お写真の中央が吾妻山。星の観測所がある。
「星空への招待」という星祭りが開催されたときのマスコットは犬。

チロ  
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by NOONE-sei | 2006-09-14 22:52 | 新々百夜話 本日の塾(9)

46夜 さくらんぼ伝説


春に高校生になった卒塾生たちが、一学期をもうすぐ終えようとしている。
希望校に行けた子、行けなかった子、
懸命に受験勉強をしても結果はさまざまに厳しい。
けれど、皆、納得して高校に行った。
一学期を乗り切ることができれば、なんとか学校を辞めずに続けてくれる。
卒塾生が退学したという話を聞くことはいちばんつらい。

二両編成のちいさな電車に乗って終点の温泉町に行く途中に、果樹園が並ぶ。
果樹試験場という、最新技術で、より味の濃い果物を研究している建物もある。
果樹園を抜けたところには高校が建っている。

電車を降りたら、林檎や桃の街道をてくてく歩いて通うこの高校に行った子たちは、
日々をうららかに過ごしている。
塾に遊びに来たので、王様がその浮世離れしたのんびりさをからかったら、
本人たちはけっこう大変なんだという。
   「万引きとかバイクに乗るとか、普通そういうのが学校から処分を受けるでしょ?
    うちら、もっとあるんだよ。
    林檎や葡萄や桃を取るとね、停学になっちゃうんだ。」

   「そりゃすごいな。・・・果物泥棒は罪が重いんだな?」

   「そう!さくらんぼなんかに手を出したらね、退学だよ、退学!」

   「なんで知ってるんだ?」

   「言い伝えだよー。伝説っていうの?そういうの。」

・・言うんだろうか、そういうのを伝説って。

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宝石のような果物、さくらんぼ。                             <器は気比の鋳物師(いもじ)焼き>
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by NOONE-sei | 2006-07-05 23:46 | 新々百夜話 本日の塾(9)

45夜 顔の無いお母さん 


「母」という言葉の持つイメージは深い。
愛という養分を吸って育つ植物が「子」だ。

「子」は「母」というものに漠然としたイメージを持つ。
それはこの世のものでない聖母マリアのようなイメージで、
慈愛を纏(まと)って「子」に抱擁する。
この世に生きるものは皆、等しく「子」だけれど、「個」でもある。
けれど、憧れて願うとき、「母」の像はどこか「個」ではなく「子」の群れの願いだ。

「母」のイメージはひとつでも、現実の母とは、子が百人いれば百通りある。
現実の子の願いは共通していて、せつない。
ちいさな塾にはちいさい子が幾人もかよった。
養分が足りなくて育たない子を見た。
見て欲しいばかりに、嫌われることをする子を見た。
母だけを目で追う子を見た。
いそがしい母の顔を黒く塗りつぶした子を見た。

母を知らずに育った子がいた。
母の日の絵を皆が描く中、どうしても描けなくて幼稚園の先生に
 「僕には三人のお母さんがいるんだよ。
  新しいお母さん、お世話してくれた先生、僕を産んだ、顔の無いお母さん。
  だれを描いたらいいのかわからないんだ。」

悲しくて涙を流す新しいお母さんに、ベテランのお母さんが言った。
 「こどもが小さいと、ほんとうにいそがしくていつも張り詰めていていつも悲しいね。
  でも。だから、こどもがお花を摘んでその一本をくれたら、もうそれだけで幸せにもなる。
  顔の無いお母さんに、いっしょに憧れてあげなさい。
  それは現実のお母さんじゃないの。
  聖母マリア様なんだから、みんなが憧れるお母さんなんだから、・・ね。」

そう教えたベテランのお母さんこそ慈愛で抱擁する「母」そのものだった。
  
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by NOONE-sei | 2006-07-03 00:41 | 新々百夜話 本日の塾(9)

31夜 鶴は折れない


思春期の小生意気な年頃。
語彙数が増え、それを使ってみたくて妙にこねくりまわす、おかしな会話。
中学生の頃、回りは皆大人びていたので、
わたしは格言やら故事成語やらが入り混じった、やたらむずかしい言葉にかこまれていた。

口下手でも、耳だけは肥える。
本を読まないわたしがこうしてなんとかお話を書けるようになったのは、
中学時代の、口達者な回りのおかげかもしれない。

あんまり理屈っぽいことを「小理屈を語る」というが、
そんな会話をするいつも成績のよい男子に、活発で成績はまあまあの男子がひとこと、
「そんなしちめんどくさいことは、鶴を折れるようになってから言え!」と言った。
その時の「腑に落ちない」ならぬ「腑に落ちる」思いは強烈で、
それは、ものを見聞きするときの、いまだにわたしの大切な物差しになっている。

あたりまえのことをあたりまえにできるということは、とてもむずかしい。
できる、ということと、やったことがある、ということの間には大きな差があるように、
やったことがない、ということと、まったく知らない、ということの差ははてしない。

塾で小学生のちいさいさんに、折り紙で折々の季節や歳時で壁面を飾ってもらう。
・・といえば、まるで一緒に遊んでいるようだが、わたしは遊びようを知らない。
だから、こんなのを作ってくれと頼み、あとはおまかせ。
わたしはちいさいさんから教わることばかり。ちいさな手から繰り出される折り紙の数々、
ためいきがこぼれそうな見事な立体には敬服するばかり。

けれどここ二年ほど、おまかせできない子が続いている。
できると言ったものの実際には折り紙の経験がほとんどなかったり、
ハサミを紙に垂直に刃を当てられなかったり。やりたくないのではない、つまり、できないのだ。
今日は、朝顔を折ろうということになって、色や葉の形を調べ、蔓(つる)の巻き方を知った。
以前なら自分達で図鑑をめくり、頼まないのにわたしの嫌いなものまで調べてくれたが。

今日、塾で初めて折り紙をした。
・・そろそろ、一緒に鶴を折る日も近いかもしれないな。
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by NOONE-sei | 2006-05-30 03:28 | 新々百夜話 本日の塾(9)

30夜 僕は一番


男の子をヤロ コ と呼ぶとかわいい。
犬をシワ コ と呼ぶように、猫をアク コ と呼ぶように、
男の子が動物の仔のような気がしてくる。

脱皮して「人間」になるのは女の子の方が先だけれど、
動物としての「人間らしさ」は、もしかすると男の子に生まれたときから備わっていて、
本能のようなそれは、いかにも人間くさい。

塾の事務室にいたら、教室からお経が聞こえてきた。
それも、坊主の声明(しょうみょう)のように声が和になっている。

昨年の三年生、高校生になったばかりの卒塾生たちは、
いろいろな思い出やエピソードを残してくれたけれど、すこし線が細くて痛々しかった。
だから、久しく塾での出来事は、おはなしとして書くにはしのびなかった。
その次の代がいま三年生になり、上のつかえが外れて伸び伸びしている。
声は、三年女組のおかしなハーモニー。

一昨年の三年男組は、全員で英語を独自のカタカナ英語に直して読んでいた。
そのバイリンガルぶりは大真面目で、れっきとした勉学の姿だったので笑うに笑えず、
修正させるわけにもいかないほど、「この単語はこう発音する」という確固たる規則性があった。
・・その中のひとりの妹が兄直伝のお経、いや、カタカナ読みを皆に伝授したのだ。
一年ぶりに聞くお経は、こころなしか洗練されていた。

兄が同期の卒塾生数名と菓子の差し入れを持って顔を見せた。
妹にしたら本家の兄達に聞かれるのは気恥ずかしい。
兄達も分家のような現三年生に気を使って同席しなかったが、
心の内では「おれらの英語は最高だべ。」と思っていただろう。

王様にしていったのは、つまりはそれぞれの自慢話だ。
  「ハンドボール部は、実力的にはおれらの高校が県下一だべ。」
  「ウェイトリフティング部は、おれの重量級が県じゃおれだけだべ?
   んだからまっすぐ東北大会。全国制覇も夢じゃねーべな。」

スキマスイッチの歌に「全力少年」というのがあって、その中の『・・世界を開くのは僕だ!』
という歌詞が、大それていて大げさで、そこがなんとも好きなのだが、
このヤロ コ たちの熱くて暑苦しい語りは、歌そのものだ。
実際には挫折を知らない子たちじゃないし、悩むことの苦しさも知っている。
それでも語ってしまうこのヤロ コ たちの人間くささはなんだろう。

・・汗くささ?


百夜話 72夜 とつくにのことば


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ヤロ コ って何故、棒を持ちたがるんだろう。三人とも手に棒が。ひとりは左利きか?
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by NOONE-sei | 2006-05-27 03:11 | 新々百夜話 本日の塾(9)

10夜 ずっとともだち


ふたり。
ふたりはいつも見つめ合ってはくすくすと笑う。
大親友、それは不思議なことじゃない。
不思議なのは、ふたりでなにかを決めるのを徹底して避けること。

最初は互いにどうぞどうぞと譲り合い。
次に自分の考えを伏せて相手の意見を引き出す。
その次に、提案したのはそっちだからね、という念押し。
そのまた次は、そうはさせじと押し問答。
いよいよ不仲になっては困るので、そもそも何故これを決めねばならないか、とふりだしに戻る。
それでも決めねばならないと観念して、最後は選択肢を紙に書いてくじびき。
これで責任はおあいこだ。

そばで見ていると、丁丁発止、駆け引きは張り詰めている。
いつ足元をすくわれるかと、気が抜けない。
それでも引き合うように一緒にいないではいられない、共棲し合うふたり。
だから、ふたりの間は閉じていて、おそらくは、目も閉じていて、互いしか見えない。

この不思議なふたりの十歳の話を王様にしたら、
「生まれた時から女だからね。おんなおんなしいもんだよ。」
意味がわからない。めめしい?それともおんならしい?
・・『ともだち』という玉手箱、何が出るのか薄寒くて聞けない。
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by NOONE-sei | 2006-03-24 18:52 | 新々百夜話 本日の塾(9)