カテゴリ:ときおりの休息 参(12)( 12 )

82夜 ときおりの休息 参  自然の作法


ゆうべの寒さで、吾妻山に初冠雪があった。
今朝の山はふしぎな景色で、山の頂(いただき)とその嶺(みね)には白い雪、
中腹は赤黄緑の美しい紅葉、下界はまだ緑。

今日はストーブを買いに行き、木小屋からは各部屋分の数だけストーブを出して石油を入れ、
いつでも点けられる準備、すっかり冬支度だ。
もうとうにこたつは出ており、朝夕はときどきエアコンを点けて暖をとっていたけれど、
本格的な寒さに東北はエアコンでは間に合わない。

身支度も薄手のセーターから少し厚手のセーターへ。
でもまだウールのコートには早くて、つるりとした手触りのジャケットを羽織るので丁度。
食卓にはおでんが似合うようになる。
真っ白な高原大根はもう出回っていて、紫色の小さな大根は酢大根にすると紅色。
服装はカラフルでなくなるのに、自然のものは色味が増える不思議。
そうそう、牛すじのおでんには、セロリを大きく切って一緒に煮ると旨い。
セロリは夏から秋、もう節(旬)のものではないけれど。

畑にはたまねぎの苗を五十本ほど植えなくちゃならない。
冬を越させなければ春の芽が出ない、不思議な野菜。
今から植えて収穫は六月、長い長い時を畑で過ごす本当に不思議な野菜。
たまねぎは、丸のまま包丁を下までは入れずに四つ割りにし、
皿に入れて電子レンジにかけ、酢醤油をかけて食すると柔らかな甘みが旨い。
複雑な調理にも堪える野菜だけれども、こんな単純な主役にしてやると素朴な良さがある。

今年の夏はいつまでも暑くて、白菜の種の蒔き時(まきどき)に困ったのはうちだけではなくて、
いつもは上手に野菜を作る山あいの温泉町の本家でも、
発芽したら涼しいところに移してやったものの生育が悪く、
そのまま畑に放っておいたもののほうが成績がよかったのだとか。
うちでは種がうまく発芽せずに、仕方がないので苗を買って植えた。
近隣では三度も種を蒔いて、三度目の正直でやっと綺麗に発芽したという。

大根はまだ白い首を土から持ち上げない。葉は天に広がっているけれども、土の下はまだちびだ。
寒さが来ると土の下で急に育つと本家から教わった。
うちの畑にはホウレンソウやシュンギクが若い緑、これも雪をかぶるとうまみが増すのだそうだ。
そして本当に青い葉物が甘みとうまみを備えるのは、正月が明けて本格的な雪の後。

かぼちゃはとうに収穫が済んでいるけれど、保存が効くので冬至に食されることが多い。
かぼちゃと粒あんを一緒に煮たものをこの地では食するのだが、
わたしはもともと粒あんを好まず、このようないとこ煮はちょと苦手だ。
路地かぼちゃは場所取りの野菜なのでうちでは作らないが、
本家は戦後の食糧難を思い出しては毎年作る。
米がなくて、何割にも水増しして野菜を煮た食事、
ことにかぼちゃを煮たものが続くと、顔まで黄色になるという。
温泉町には当時「錦」の文字がつく旅館があって、そこは十一人家族、
十一人の顔が皆が皆、錦じゃないが黄色かったと本家と母が昔語り、
・・ほんとうなのかしらん。




今夜で「ときおりの休息 参」はおしまい。
ゆるゆると長くつづくとはじまりに書いたとおり、
七月の旅はやっぱり夏を越し、秋を越し、山の初雪になってしまった。
よくおつきあいくださいました。


今夜のお写真は、最後に、食の旅を。
□京都の昼食 夏の編
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略式の会席。折敷(おしき)が用意されている。箸には祇園の「まとの」。


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先付。


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吸い椀。


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向付。お造り。


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炊き合わせ。


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焼き物、揚げ物、酢の物等々の八寸盛り。
小さな紙は幣束(へいそく)を模(かたど)っているんだろうか。
ちょうど祇園祭の宵々山だったので「蘇民将来子孫也」と書かれている。


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ご飯と留め椀と香の物。やっぱり京都ってじゃこ山椒なのね。


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水物。
チープな旅の中で唯一の贅沢、京料理。旅の前から、京都は喫茶店と建築と和食と決めていた。
寺めぐりは眼中になかった。




□大阪のおやつ
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王将という店は大阪のあちこちにあるけれど、こちらでは近くにはない。仙台に支店があって、いつも行列だ。
餃子をつまみに昼から飲む。

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もちろんおやつの王様串かつ。もちろん飲む。

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どて焼き。白味噌なのかなぁ。

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どて焼きはこんなふうにして温めている。


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三時のおやつ、たこ焼き。飲んでません。


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帰りの梅田駅で立ち食いうどん。これから夜行のバスに乗る。飲みませんでした。
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by noone-sei | 2010-10-28 01:12 | ときおりの休息 参(12)

79夜 ときおりの休息 参  五時から飲んだ


 ・メンタルな話なので、引っ張られるひとは読まないほうがいい


王様は帰りが遅いので、外で飲もうとすると夜もずいぶん更けてからになるのが常、
塾を終えて、母が寝たのを確認してから夜の街にそっと出る、わたしたちは不良だ。
出掛けたのを知っているのは犬ばかり。

王様は酒を飲まないんだが、酒を出す店は好ましく思っていて、
裏路地の居酒屋でもカウンターバーでも、面白がってつきあってくれる。
わたしはビルの中の店は苦手なので、できるだけ地面に建っている店がいい。
地に足がついている店、というのか?
飲むほうの人間はちっとも地に足がついてはいないんだが。

わが家で地に足がついているのは、王様ただひとりなんじゃないかと思う。
母は墓参の花に緑も欲しいと、あろうことか神棚に供える榊(さかき)なんか買ってしまう
物知らずのひとだし、
わたしはいつも疲れていて、毎晩酒を飲んでは酔っ払いになるし、
鰐号にいたっては上から読んでも下から読んでもでたらめとめらたでを繰り返している
奇妙な動物になってしまったし、
王様の明るさがなかったら、わが家は灯が消えてしまう。

今日は初めての就職活動で県外に行かねばならず、地の利のたいそう良くない所だったので、
王様が車を出してくれることになったんだが、鰐号は予定を全部すっぽかしてしまった。
気が小さいので、そのまま逃亡し行方知れず、携帯電話の電源まで切っている。
踏み出したいような逃げ出したいような、そんなそぶりには気づいていたんだが、
鰐号は自分で段取りながらしまいに土壇場でひっくり返した。
はげましじゃなくて、見て見ぬふりじゃなくて、「いつでもやめにしていいんだよ」と
腕にくるむような接し方をしておけばよかったのか?
どうすればよかったのか、今でもわからない。

鰐号の後始末をしたらまだ外は夕暮れ、このまま飲んでしまおうと、王様と昔ながらの居酒屋へ。
商店はまだ仕舞いにならず、酒を出す店はぼちぼち開き始める、そんな時間。
初めてそんな時間に飲んでみたわたしたちは不良か?
家路につく途中、王様は急にハンドルを切って鰐号のアパートに向かった。
「生死の確認だけ~」と言って、鰐号の部屋に明かりが点いているのを見、帰ってきた。
ずっと家に居続けだった鰐号、今晩は自分のアパートにいる。
地に足ではなくて、布団に根っこじゃなければいいが。




今夜のお写真は、日中の商店街を。


□大阪の商店街
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わたしの印象は、大阪の商店街といえば、自転車に乗った人。


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ほらね、自転車を押している。そして気になるのはお惣菜。大きく載せてみよう。


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ほんとうは正面から見える角度で撮りたいんだけど。


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ミシン店があれば、うちの昭和三十年代の足踏みミシンも調子よくなるのだろうになぁ。


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大阪といえばうどん。歯ごたえのしっかりしたうどんよりも、優しいだしとすこし甘めのつゆがかかった玉うどんがいい。


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和菓子の店。ここで雲形の餅と青海苔の不思議でしかもくせになるお味のおはぎを作ってもらった。

ちかごろの犬たち
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by noone-sei | 2010-10-20 03:36 | ときおりの休息 参(12)

78夜 ときおりの休息 参  枕木のように


困難なことが枕木のようにやってくる。
枕木とはいい言葉だなぁ。
線路に敷き続けられた枕木のように、次から次から問題が起こる。
これは嫌だなぁ。

鰐号の旅は野球で阪神を追うところから始まり、
行く先々で王様やわたしの友人たちに飲ませてもらい食わせてもらい、
学生に大人がどれほど優しいかを知るのはこの先の将来、逆の立場になった時のことだろうが、
夢のような二週間を過ごして行方不明になっていた。
帰ってきたら夢は一転していて、いや二転三転、半ば内定していた就職が駄目になった。

なにもかも面倒になってしまった鰐号は家に居続け、
だるまのようにただ転がっていたら、アパートの水道管が破裂して大騒ぎになっており、
大学からは後期の履修届けの不備が知らされ、再び卒業が危うくなるところだった。
この枕木のような既視感はなんだろう。

たいてい、困難なことや問題が起こるのは、ひとつで済まないと相場は決まっている。
あといくつ枕木は転がってくるだろう。
あといくつ寝るとお正月、、、なのだけれども、その前に、
あといくつ練ると対策は建てられるだろう。



今夜のお写真は、さまざまにしなやかに建っている日本建築を。
□京都寺町界隈
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通りで見かけた素敵な親子連れ。
子どもの長靴も可愛いけれど、若いお母さんの長靴が可愛い。


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・・くだらない駄洒落を言ってしまおう。
わたしの旅の途中で、足袋(たび)の店。


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なんだかわくわくしてしまわないか?香料は調香師が調合するのだな。
そうそう、おそらくもう二度と観ないけれども「パヒューム」というのは映画らしい映画だった。



□祇園 八坂神社裏の料理屋
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□加茂川
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加茂川沿いは、雨で川床料理どころではない。


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京都南座



□大阪
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「ちいさいおうち」という可愛い絵本があるんだが、そこには周囲がどんどん変わってゆく様子が描かれている。
これは、駒川駅そばのちいさいおうち。



ところで、「ときおりの休息 参」をゆるゆると載せていたら、お写真が貯まってしまった。
このあと、愛機パタリロであとふたつ、ときおりの休息がある予定なんだが、
じつは愛機バンコランがすこしずつ手に馴染んできていてお写真が保管庫にある。
鰐号の枕木を寝かせることはできないけれど、対策を練りつつ自分の時間も持とう。
またあした、のあしたが何日かかるかわからないけれども、
すこし速い足並みでおはなしとお写真を載せてゆきたいものだと思っている。


     

そのバンコランは
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by noone-sei | 2010-10-17 03:13 | ときおりの休息 参(12)

76夜 ときおりの休息 参  はじめの吐息 


家にお邪魔してお茶をいただきながら話していると、
妙齢のお姉さまは「もう歳だから」と、奇妙なことを言う。
わたしにはそれがほんとうに奇妙に聞こえるので、感じたとおりに言ってみる。
普通は謙遜なのでしょうが、わたしには母がいるので「普通」がなんなのかわかりません、と。
お姉さまをわたしは敬愛しているが、
「もう歳だから」という言葉は、会話の潤滑剤にするにはほんとうに奇妙だ。

そのお姉さまよりもわたしの母はずっと年上で、近頃初めて天ぷらをひとりで揚げた。
母の茶の間にはカトリーヌ・ドヌーヴの映画「シェルブールの雨傘」のフライヤーが貼ってあり、
マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」も、観たいと言ったので連れて行った。
ときどき茶の間からそのCDが聴こえる。
母は観劇の会に入っているんだが、先日は代わりにわたしが行った。
新派の芝居は花柳界だの旦那というパトロンだの身請けだのと、百年も古くて退屈だからと。
達者な芝居に、わたしは十分愉しかったのだけれど。

母が人にものを頼むときに言う言葉は変わっている。
「~してもいいよ」と許可形で言う。許可形なんていう言葉はわたしの造語なんだが。
「~してもいいよ」、それは鰐号も同じで、これはなんだろうと考えてみる。
よほど意地っ張りなのか、ものを頼む言いようを知らないのか、普通はどうなんだろう。
そんなふたりが身近にいるわたしには、お姉さまの慎みがたいそう珍しいものに感じられる。

昨日はゴンチチのコンサートだった。
「ノルウェーの森」「ひまわり」「スカボロ・フェア」など母が知っている曲も演奏してくれたし、
ストリングス・カルテットも共演したので気持ちよかった。
「放課後の音楽室」はアンコール、最後は「Birth of Sigh 」、
ためいきのはじまり?生まれたてのためいき?ためいきの誕生?Birth of Sigh の訳はなんだろう。
わたしには曲名の紹介が「First of Sigh」と聞こえていて、
・・ああ、はじめの吐息なのね、、などと思いながら眠ってしまった。

普通、眠っちゃいけないんじゃないかと隣を見たら、母は気持ちよく眠っており、
周囲を見渡したらわたしたちだけじゃない、皆眠っている。
普通ってなに?ゴンチチは普通眠っていいんだって、後になって知った。



                        * *



今夜のお写真も洋館を。
□京都 寺町界隈
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銀行かな。


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中京郵便局。ここから母に葉書を出した。
頼むと、観光地などの郵便局では風景印といって図柄の入った消印を押してくれる。
鳶色(赤茶色)のインクで押した大きな丸い消印は記念印ともいう。
切手の収集家は使わずに保存するのではなくて、葉書や封筒に貼り記念印を押してもらう。
いつどこでそれがどういう道順を辿って手元に来たか、それを表わしてこその切手なのだとか。


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郵便局の入り口。


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保険会社。



□祇園
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八坂神社の後方、この洋館は別荘?



□河原町いろいろ
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□大阪 松竹座
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ためいきとも吐息ともつかぬ、えもいわれぬ無意識の息、なんて美しい建物だろう。
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by noone-sei | 2010-09-26 03:15 | ときおりの休息 参(12)

75夜 ときおりの休息 参  帰るあれこれ 


毎日、網で掬ってアオコを退治していると、
池で生まれた小さな鯉より大きいカエルが、ぼちゃんと飛び出したり飛び込んだりする。
一方、鰐が家には居ついてしまい、毎日、のたくたと茶の間を出たり入ったりする。
言うまでもなく、鰐とは一応人間の鰐号である。
旅行の費用を稼ぎに泊まり込みでアルバイトに精を出し、帰ったらアパートに戻らず居ついた。

友人のご子息は帰省して初給料で親に馳走し、
父の誕生日にはワインとチーズを送ってきたとのこと。
その成長にじんとなっていたら、わたしも鰐号に現金を貰った。

アパートに引っ越す時に残していった古本やDVDを引き取ってくれるところを見つけたので、
段ボールにひとつ送らせたら旅費の五千円になった。言うまでもなく艶物ばかりである。
泊まり込みから帰りその金を手にすると、
稼ぎが十分になったからこの金はかあちゃんにやる、というわけで、
どういう心境かわたしにくれた。

夏からこの秋、まとまった時間がとれず忙しかった。
「つづきはまたあした」で終えた74夜なのに、わたしの「あした」は二週間だ。
でもやっぱり「つづきはまたあした」って、とてもいい言葉。
ついこの間細い細い三角のような月を見たのに、いや月が三角であるはずはないんだが、
月のあしたは数日経って中秋の名月になった。

青い夕暮れを犬と散歩すると日の暮れが速い。
帰り足の空は夕闇にコウモリが飛び去る。
地面はぺたんと何かが脚に張り付き飛び跳ねたのはカエルだった。
うちの池に帰るカエルではないだろうけれど。
・・そうそう、鰐号は三日前から野球観戦の旅に出た。
二週間は帰らない。



                       *  *



今夜は、狭いところからより狭いところに入り込むようなお写真を。

□京都文化博物館の内部
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天井を見上げた時に見えた、漆喰(しっくい)の壁。


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美しい、意匠を凝らした天井。


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木の柱。


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柱の台座。


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大理石。


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窓。

青い夕暮れというと
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by noone-sei | 2010-09-22 03:56 | ときおりの休息 参(12)

74夜 ときおりの休息 参  水の華


美しい言葉だろう? ・・水の華。
美しすぎると思わないか?
華ならぬ花ならぬ鼻が白むのはこんな言葉なんじゃないかと思う。

だいたいにして、なんだ、水の華って。
わかったような印象を受けながらぜんぜんわからないじゃないか。
もやもやとして。

そうなんだ、もやもやとしているものと闘っていたんだ。
水の中の藻と。
大発生して、池が眼の覚めるような緑になってしまった。

この悪さばかりする藻の別名が水の華。
網で掬おうにももやもやと漂って正体がない。
鯉はエラにこれが絡んであっぷあっぷするし、毒気もある。
丁寧に掬ったものはこの暑さで乾くと潮の匂いがする。
憎らしいものなのだから、匂いじゃなくて臭(にお)いと言おう。

正体を現わせ。本当の名はなんだ。
・・アオコ。
憎らしいアオコ。可愛くないから半角の コ じゃなくてコだ。





気を取り直して今夜のお写真は重厚な近代建築を。


□京都文化博物館
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内部の意匠は次の夜に載せるので、今夜は外観と細部を。


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博物館の入り口。


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入り口の上の屋根。


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博物館一階の窓のひとつ。


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一階窓の上の意匠。


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外壁柱のレリーフ。

お写真はともあれ、なんて美しい建物なんだろう。
つづきはまたあした。



ところでここ数日闘っていたアオコへの腹立たしさを喩えてみようと思う。
漫画に「ブラッディ・マンデイ」(龍門諒原作・恵広史作画)というのがあって、
テレビドラマも面白かったのだけれど、劇中でハッカーの仕掛けに腹立たしい思いをさせられるのがこれだ。
見たらほんとうに腹が立つので、それでも構わないという人だけが見てくれ。

これを見たら腹立たしい
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by noone-sei | 2010-09-08 03:09 | ときおりの休息 参(12)

73夜 ときおりの休息 参  格子の眼


たとえば神社仏閣の全体像にはさほど興味がない。
庭のつくりに詳しければ、もっと愉しみ方があるようには思う。
日本庭園には宇宙観があるらしいのだけれども、
まだそれを理解するほど庭を知らない。

近代建築も日本家屋も神社仏閣も、全体像の美しさもさることながら、
各部にほどこされた意匠に惹かれる。
近代建築ならば
漆喰(しっくい)の天井だったり真鍮(しんちゅう)のドアノブだったり
エンタシスの柱だったり円形の窓枠だったり。
日本家屋ならば
木の軒や廂(ひさし)だったり木組みの建具だったり襖(ふすま)の金具だったり。
神社仏閣ならば
賽銭箱の上の柱や梁(はり)に掘り込んである得体の知れない幻獣たち。
それは麒麟のような、龍のような、獏のような、象のような。
雲や蓮の花に乗って現われるようなおかしなものたち。

狭いところから、より狭いところに入ってゆくようなものの見方をするとき、
建物を視るわたしの眼には、格子状の定規がある。
それは写真を撮るときにも現われて、画面の中に切り取って入れるような気分で眼を使っている。
ただ、水平や垂直が写真にきちんと収まらないのは眼のせいじゃない。
それは、写真機の重さを左右の手が配分できていないから。
あ、写真のまずさの言い訳じゃないから。




今夜のお写真は京都で見た建物、いろいろ。





□洋風建築
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地下鉄東西線、京都市役所前駅。
駅を降りて、最初に見た近代建築が京都市役所だった。・・・1




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烏丸御池駅。
この近辺には和洋とりまぜ美しい建物が並んでいる。ここは新風館。・・・2


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新風館の入り口。


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新風館の壁のタイル、お写真を連結して見ると千鳥格子と矢羽模様。
って、こういう洋風建築の壁のタイルの張り方にそういう名前で意匠を言っていいのかな。




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名前がわからなくなっちゃったのだけれど、可愛い洋館。
小さな出版社だったかな。・・・3




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商売をしているようなのだけれど、個人名の表札が出ていた。可愛い扉。


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その扉の上部横のお写真。


追って: 詳しく教えていただいてありがたい。
1.京都市役所は西と東があって、
それぞれ昭和2年と昭和6年に建築。
設計は武田五一と中野進一。

2.新風館は旧京都中央電話局の建物。
大正15年と昭和6年の2期に分けて建築、吉田鉄郎の設計。

3.平楽寺書店は仏教関係の学術書を扱う老舗出版社。
建物は昭和2年の建築、からきや工務店の設計・施工。


     
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by noone-sei | 2010-09-01 02:38 | ときおりの休息 参(12)

72夜 ときおりの休息 参  変わらないこと


 ・メンタルな話なので引き寄せられる人は読まないほうがいい

変わらないって、どんなイメージ?
変わらないことの良さ、安心感、安定感。
けれど、ものごとには両面があって、
変わらないことは醜悪だったり、怠惰だったり、凝り固まっていたりもする。
変わらないものの最たるイメージ、永遠というものは美しそうだけれど、
躍動に欠けていて老いたままを維持するとも言えないか?

清濁合わせ飲む、という言葉があって、これはとても危険な言葉だと思いつつ、
わたしはよく「折り合う」という言葉で折り合いをつけている。
もしかしたら、ありっこない境地を清濁のなかに見ているからかもしれない。

父を失ったり人との別れがあったり、
許し許される「ほどのよさ」を保つために淡水の交わりで折り合ったり、
悲しいことに変わることへの耐性をつけるために目をつぶったり耳を塞いだり。
後ろ向きに限りなく近い及び腰は、つまり臆病になってしまったからだ。
ほんとうはそれを大人の振る舞いと言えるだろうか。

言ってしまおう。 ・・今年になっての文章が嫌いだ。
どこか真綿でくるんで触りのいいところを泳ごうという意図が嫌いだ。
「王様の千と線」を始めた、破裂するようなものを抱えてどきどきしながら書いていた頃、
わたしは幾度こころが死んでもユーモアがいつかきっと助けてくれると信じていた。
現実が苦いものでも、書くことの苦さで相殺される、どこかでそう思っていた。

ではそれらは皆、塗り替わったんだろうか。
変わって替わって望みどおり、怠惰な安定を手に入れられたんだろうか。

諦めながらそれでももがいてしまうのは、
変わらないのではなくて変わり得ないから?
だとしたらずいぶんとそれは、業が深いものだな。




                          *  *   *



今夜のお写真も喫茶店のつづきを。

□大阪で見つけた喫茶店
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大阪環状線を降りて、ジャンジャン横丁に向かうところ。


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この喫茶店から、可愛いウェイトレスのおねえさんがコーヒーの出前に行くのを見かけた。
すぐ近くの店で将棋を指すおじさんが注文したのかな。


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これからお店が開店、しっかり掃除。


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大阪ではいつも思うのだけれど、食品サンプルが素敵。


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実は午前中。この店もモーニングサービスをやっている。



ところで鰐号が来月、甲子園球場に再び行く。
わたしとの旅が予行演習になって今度はひとり旅。
甲子園から始まって名古屋ドーム、東京で六大学野球、十日くらいかけて野球漬け。
ついこの間までは高校野球に夢中だった。
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by noone-sei | 2010-08-27 02:37 | ときおりの休息 参(12)

71夜 ときおりの休息 参  王道


おじさんが好き、というわけじゃないんだ。
かなりのファザコンを指摘されるんだが、だからといって
おじさんが無条件に好き、というわけでもないんだ。

敬愛しているというのかな。
条件は、素敵なおじさんじゃなくちゃならないんだが、
職業が必ずしもそうでなくとも、人生の師という印象のある、
先生という冠(かん)があってもいいと思うような、そんなおじさんをそっと見たい。

わたしの個人的な趣味の世界だから、妄想の世界と際どく重なっているんじゃないかな。
おじさんは煙草が似合って、新聞が似合って、足を組んで座る。
そしておじさんはジーンズを履かない。
悪いが、禿げてちゃいけない。銀髪でなくちゃ。声は静かで低い。
奥方を失くしていて、娘はとうに嫁に行っていて、男友だちを幾人か持っていて、
ときどき喫茶店でくだらない話をするでもなくする。

そんな女の人って、いる?
おじさんじゃなきゃ、さまにならないような風情だと思わないか?
だって、ちょとさみしそうじゃないか。
女の人は、さみしくならない術(すべ)を心得すぎているから、
そういう儚さはないんだ。



今夜のお写真は、京都でいちばん行ってみたかった喫茶店、「喫茶セブン」、
カフェと呼ばないでくれ。

□喫茶セブン
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雨の降る午前中。通りに面した入り口。


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美しい店内。


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ドリップで淹れた濃い目のコーヒー。店主がチョコレートをそっとくれる。


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美しいグラスに入れた水。


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素敵なおじさん達。



詳しいことはこちらとかこちらで紹介記事がある。


お顔が写っているかたがた、
もしどこかでこのウェブログを見かけて障りがあったときは言ってください。
すみやかに削除します。

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by noone-sei | 2010-08-24 21:51 | ときおりの休息 参(12)

70夜 ときおりの休息 参  狭いところ  


どうしてもそうしたい、とか、
これを知ったらほかは考えられない、とか、
まるで「狭いところ」からより「狭いところ」に入ってゆくような衝動ってないか?

関西の旅は、鰐号は野球の旅、終始一貫「狭いところ」。
わたしは会いたいひとに会う旅だった。そして大阪では鰐号に観光案内をすること。
ただ、「狭いところ」での目的はひそかにあって、京都では喫茶店に入りたかった。

京都は喫茶店の街だ、そう閃(ひらめ)いてしまったから、
行きたい喫茶店を基点にして歩くことになった。
「広いところ」から絞り込んだら「狭いところ」に行きたい喫茶店もあった、という順番でなく。

朝の七時からモーニングサービスをやっている喫茶店は、
わたしの住むこの地にはもうなくなってしまった。
ファミリーレストランやファーストフードではなくて、喫茶店。・・とてもさみしい。
夜行バスは早朝に着く。京都で朝食をどうしようかと思ったとき、
喫茶店でと思い浮かばなかったこと、・・それもさみしい。

喫茶店って、文化なんじゃないだろうか。
京都に文化があるだとかないだとか、そういう広いことはわからない。
けれど、「狭いところ」での「一杯の豊かなお茶」という心栄え(こころばえ)というか心晴えは、
たしかにあるように思うのだけれど。



今夜のお写真は、京都の喫茶店。


□寺町
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全国に何店舗もある変哲もない店だと思うだろう?


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気取っておらず、良心的なモーニング。


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選んだのはこんなサンドイッチ。


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一階、実は奥に坪庭がある。


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二階には落ち着きがある。


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二階奥。ぜんぜんこじゃれていない。


□有名店
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イノダコーヒ本店


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イノダコーヒ本店


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イノダコーヒ三条店
イノダコーヒも良いのだけれど、わたしにはもっと「狭いところ」で行ってみたい喫茶店があった。
それはまた次の夜に。

お盆は
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by noone-sei | 2010-08-18 03:45 | ときおりの休息 参(12)