カテゴリ:絵のような 文のような(5)( 5 )

絵のような 文のような  五




今夜はイヴだね。

カードは書いた?
贈り物は届けた?

昼間はどうしていたかな。
クリスマスってこそばゆくて、
イヴってすこし重たい。


・・だから、

ひとりでこんな日を過ごしてみる?



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ちょとかわいいでしょう?
「ちいさな王様」という絵本があるのだけれど、
これは、その王様が連れて行ってくれる、モーツァルトの森。



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森のおうちカフェで過ごそう。


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大きな粒のいちごをどうぞ。「あまおう」というのだって。
甘い王様だからではないそうだよ。



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昼の露天風呂は、のんびり気持ちがいいね。
お風呂から上がったら、すこしお昼寝をしたらいい。



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夕暮れだよ。
もみの木の根元にトナカイが迎えに来ています。
どこまで送ろうか?


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ほぉら、街はもう雪だ。
誰かがお店で待っているよ。
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by NOONE-sei | 2008-12-24 23:53 | 絵のような 文のような(5)

絵のような 文のような  四


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夜に動き出すものはなんだろう。
それは、スイカを食べに来る者。
・・そんなはずはない。

知覚融合のない、というより、ちょと鈍いわたしは、
なにかを見ても、脳が見たものと別のものを即座にイメージできるわけではない。
花だとか雲だとか月だとかいうような、具体的なものを見たとして、
視覚から脳にそれらの像がまず伝達されて、
それから別のイメージに変換されるまでには、ややしばらくかかる。
むしろ、文字記号のほうが、素早くイメージは膨(ふく)らむ。

ゆうべ、友人と飲んで帰る途中のこと、彼女が月を見つけた。
「ほら、あそこ、スイカのような月。」
わたしはあさってのほうを探し、夜のてっぺんを見上げたら、
月はなんのことはない、駅のすぐ上にあった。
・・スイカ?

緑も赤もない半月を見つけて彼女はスイカという。
満月であればウサギが居るあたりが、スイカの種だ、と。
・・見えない。

同じものを見ていながら、同じように見えない、
交じり合わないことはさみしい。
両の目で見て、脳で見て、それでも見たまましか見えないのなら、
せめてわたしは網膜の裏で像を結ぼう。
そして想像しよう。
夜、寝静まった頃に来るスイカ泥棒を。


                     * *


今夜は夜にスイカ泥棒を見張る者たちのお写真を。
・・嘘。ガーゴイルの絵本を。
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「ガーゴイルたちは虚空をみつめ、
町かど高く身をひそめている。
からっぽの目はまたたきもしない」

幻獣には惹かれるのだけれど、この絵はこわい。
昼に見張りの仕事をしている者たちは、なぜこんなにこわい姿になってしまったの?



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「夜がくるまでは。」

夜になって開放されて、壁や梁を這い下(お)り、自分たちがいた建物の中の、
ミイラや絵やよろいかぶとを見る。
地面に下りると集会をし、噴水の水をなめるけれども、石でできているので声はくぐもっている。
こんなふうに作った人間のことが好きじゃないから、いたずらしてこわがらせているうちに、
夜が明けて、翼のある者は飛んで戻り、無い者は這い登り、また次の夜まで。・・というお話。
訳が大人っぽくて良いのだが、名が体を現わして麗しすぎる江國香織と知って、ちょと驚いた。



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開くとこんな絵。


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これは、昔からいいなぁと思っている岩波の本の紹介誌。絵が楽しみなので、おまけに載せてみた。



東京には久しく行っていないけれど、こんなところこんなところには行ってみたい。
ガーゴイルってこんなもの


いつも予告している次の夜のことだけれど、クリスマス・イヴかしらん?
シワ コ に用意をさせなくちゃ!

ちかごろの犬たち
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by NOONE-sei | 2008-12-21 02:49 | 絵のような 文のような(5)

絵のような 文のような  参


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秋の夜長ということばがあるけれども、冬の昼間こそ短い。
夕暮れはあっという間に夜になって、かちんと輪郭のある月が出る。
月の近くには、木星と金星が仲良く居るのだとか。
わたしの住んでいる場所では、星々が見えすぎるほどよく見える。

夜だとか月だとかいうことばには魔力があって、
実際に見る夜より月より、想像する夜の面積は広く、月は光る。

綺麗な本や挿絵にも魔力があって、
絵が目をとろけさすとしたら、文は眼をとろけさす。
目は器官だから、実際にはとろけるはずはないんだが、
眼はまなざしだから、文のもたらすものは蠱惑(こわく)的でくらくらする。

・・絵のような 文のような
こうして書く夜話のお題にはぴったりとこないかもしれないのだけれど、
とろけさすようなものたちから受ける感触を
なんと名づけたらよいものか、わからなくてわからないまま
そのままをお題にしてしまったというわけ。


                     * *


さて今夜は宇野亜喜良の挿絵の絵本を。
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道化師が出てきたのはこの絵本。「あかるい箱」(作・江國香織)
江國香織の書いたものって、これ以外に読んだことがない。
名が想起させる体(たい)が、麗(うるわ)しすぎるからだな。


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表紙をめくるとこんな感じ。


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まあ。なんて可愛くて憂いのある女の子の悪魔なんでしょう。



ここからはいろいろ。
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寺山修司展に伴って、劇団万有引力が美術館のすべてを使って観客と遊んでくれた。
そのポスターと懐かしい書式のチラシ。


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寺山には欠かせない宇野亜喜良。あんまり懐かしかったので、作品集を引っぱり出してみた。



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幻獣に乗ったジュリさん。


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大好きだから、大写しのジュリさん。

ところで、夜に動き出すものたちの登場する絵本があるのだけれど、
このお話はまた次の夜に・・。
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by NOONE-sei | 2008-12-13 03:21 | 絵のような 文のような(5)

絵のような 文のような  弐


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冴え冴えと脳が働くわけでもなく、
今のわたしは使いものにならないわけで、
おはなしも文章も低迷している。
読んでいるひとたちは、こんなものでおもしろいだろうか。
申し訳なく思う。

過去の夜話(よばなし)を読み返すということは、あまりしない。
それは過去に遡れば遡るほど、こんなことを書いてよいのだろうかと、
どきどきひやひやしながら、薄氷を渡るような心持ちで書いたからで、
それは拙(つたな)いものだったけれども、いつも決心をして書いたからで、
張り詰めていたひとつひとつのそれら夜話は、今のわたしには書けないからだ。
それらに、少なくとも脳が鈍っている、今のわたしの緩さはない。
書けないものを目でなぞるのはつらい。


名は体を現わすというだろう?
名には、文章をつないで想起させるほどの力があって、
先の夜話 壱に登場させたほとんどよく知らない作家であるのに、
小川未明、その文章がどれほど読むわたしを救われない悲しみに蹴落とすか、
新美南吉、その土着がどれほど読むわたしを木枯らしに立ちつくさせるか、
それを思うと背表紙に手を伸ばせない。
鈴木三重吉という名からは、先にも言ったとおり、なにも感じないからよくわからない。

先ごろ、文章をある誌面に掲載される機会があり、
うっかり筆名を打ち合わせずにしまったものだから本名に近いもので載って驚いた。
わが家の子犬はうちに来る前、仮の名が「セイ」だったという。
理由は聞いていないけれども、天然なところはよく似合っていたと思う。
・・どうせなら、ペンネームもどき、犬の仮の名と同じでよかったのにな。


                     * *


さて今夜は本のおはなし。
・・ではなくて、初山 滋が挿画を描いている本が綺麗だったので、そのお写真を。
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となりの道化師は宇野亜喜良の挿絵の絵本。
このお話はまた次の夜に・・。

本日の子犬
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by NOONE-sei | 2008-12-12 03:14 | 絵のような 文のような(5)

絵のような 文のような  壱


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四度目の百夜話、
もうすぐ四百目のお話だというのに、
なんだかまだ気持ちが追いつかない。

すこし道草を食ってもいいですか。


                  * *


以前、浜田広助(ひろすけ)の資料館というのか文学館というのか、
そこでこじんまりした展示を観たことがあって、
わたしを形づくったものは、やはりこうした日本語の物語なのかなと思った。
日本の、ではなく日本語の、端正な文章を目にすると落ち着く。
すこしむかしびとのような語り口はおっとりとして、挑んでくるということがない。

散文詩とおとぎ話と昔話と童話の区別が、わたしにはよくわからないのだが、
童話には童話を名乗る、その世界の黎明期というのか夜明けがあったのだとか。
小川未明や新美南吉はかろうじて読んだことがあるけれど、
雑誌「赤い鳥」を創刊した童話の創始者だという鈴木三重吉についてはさっぱりわからない。

外国の童話を訳したものは、ちいさなときに毎日読んだ。
けれど日本で生まれた童話を読むようになったのは、ずいぶんと遅かったような気がする。
いずれにしてもわたしにとっては、なんであれ皆「物語」で、
今では筋(すじ)もよく憶えていないほど、眠くて舟を漕ぐ間(ま)の短い寝物語だった。

悲しすぎてはいけない。
残酷すぎてもいけない。
教条的にすぎるのもいただけない。
ほんのほんのひと匙、可愛げがなくては。

日本の物語では、浜田広助の書くなにげなさを大切に慈しむところが、
わたしには好ましく感じられる。



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「ひろすけ」という名前が、なんだか可愛げがあると思わないか?
さりとて田舎くさくなく、重くなく、斬りつけてくるようなひんやりした感じがない。



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集い、童話について真剣に語り合っているようなお写真は、
なんだかおじさんばっかりのような。



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生まれてはじめてお月さまにおめにかかったり、
川底にしずむまえにちらと青空を見て沈んだり、
えだからおちてもなかないで、ひとりでおきる月夜のどんぐりになりたい。




おまけ 浜田家所蔵の素敵な年賀状
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わが家はお年賀の礼を遠慮するのだけれども、
今頃はみんな、年賀状を書いている頃だろうか。
このお年賀の初山 滋のお話は、また次の夜に・・。
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by NOONE-sei | 2008-12-09 02:14 | 絵のような 文のような(5)